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toxandoria:フレーム&フリンジの謎

W.Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「数多の境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

■啓蒙思想初期に周知!のタナトスはヒトの共有エルゴン、i.e.その悪の情念の天敵はアナログモーダル(健全なヒトの意識)!先行把握の身体知で新しい「社会構成」への展相が急務(3/5)

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Alfred Sisley 「サン=マルタン運河の眺め/View of the Canal Saint-Martin」1870 50 x 65 cm Musée d'Orsay, Paris, France /https://www.wikiart.org/en/alfred-sisley/view-of-the-canal-saint-martin-1870 
啓蒙思想初期に周知!のタナトスはヒトの共有エルゴン、i.e.その悪の情念の天敵はアナログモーダル(健全なヒトの意識)!先行把握の身体知で新しい「社会構成」への展相が急務(3/5)

 

[関連ブログ]

(note版)啓蒙思想初期に周知!のタナトスはヒトの共有エルゴン i.e.その悪の情念の天敵はアナログモーダル(健全なヒトの意識)!先行把握の身体知で新しい「社会構成」への展相が急務/<注>アナログモーダル=生あるヒトの概念流動性https://note.com/toxandoria2/n/ndf2a223ea56c

3 アナログモーダル(身体化認知)こそ「リアリズム倫理」覚醒への契機

・・・身体化認知とリアリズム倫理への覚醒が必須の時代/それは[ヒューム的『身体化認知(認識論)』]Vs[AI・DLアルゴリズム『ヴァーチャル身体論』]の逆説的な「構造的カップリング」関係の発見ということ。・・・

構造的カップリング、メイヤスー『数学の一次性質』、ジルベール・シモンドン『相転移閾値(特異性)』の必然的関連性)

[北大研究者総覧、https://bit.ly/3aufIBy]のプロフィールで「E・フッサール現象学、「意識」をめぐる科学者との共同研究、西田幾多郎田辺元の哲学。主に自我・自己論、間主観性論、明証(evidence)論に取り組んできたが、近年は神経科学・数学・ロボティクス・情報科学の研究者と共同で「意識」の学際的研究に取り組んでいる」と紹介されている、田口 茂・北大大学院文学研究院教授に、コメント論文「内と外の切断と接続、認知と生命の本質をめぐって:認知科学・第28巻、第2号https://bit.ly/3ziIpvx」がある

田口 茂教授は、その論文の中で「認知科学で生命性の復権を試みる」とする、“池上高志・東京大学大学院情報学環教授のQ.メイヤスー解釈”とも共鳴する重要な論点として「構造的カップリング」の問題を取り上げている。「構造的カップリング/相互浸透」とは、“二つの異なる閉鎖系であり、夫々が自律的に運動するシステム系でありながら、相手側の環境条件をお互いに作り出しているような関係性のこと”を言う(ブログ『発達理論の学び舎』https://bit.ly/3GQLrsG)。

また、田口 茂氏はベルグソン(Henri-Louis Bergson /1859-1941/生命・精神・物質の関係性を広く渉猟した経験主義的形而上学の哲学者)の用語である「縮減」に注目しており、それはイメージの総体である物質(物)から引き算して「知覚」が成立することを意味しており、このような視点はQ.メイヤスーの「新実在論(思弁的実在論)/祖先以前性の覚醒」の哲学にも繋がるものがあると考えられる

それは、メイヤスーが著書『有限性の後で―偶然性の必然性についての試論(人文書院https://bit.ly/3mdwBmv』の中でメイヤスーも「数学は物体の知覚において表れる二次性質ではなく一次性質そのものに達することができる」という興味深い主張をしており、このメイヤスーの説明は「カントールの数学(無限集合論)を使うと、より精密な説明が可能となるのでは?と期待されているhttps://note.com/toxandoria2/n/n4ea0f2eba0e6)。

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ところで、構造的カップリング」の具体例を考えてみると、例えば『三次元空間で観察される二次元の表面イメージ/石鹸幕、i.e.二次関数の極小曲面(石鹸膜の数学的抽象化)、https://bit.ly/3metuKW』が、その観察的な典型ではないかと思われる。これは、「変分原理」又は「変分問題」とも呼ばれる自然界で観察(実験を含む)される「なんらかのエネルギーが最小または極小となる状態」としてイメージ表現できる物理法則の事例である。

もう一つ事例を挙げれば量子力学に因る化学的な力とされるロンドン分散力】もある分子を統合させる力には、量子力学的な性質も貢献していることが理解されており、その量子力学による励起双極子を原因とするファンデルワールス力〈分子間の引力〉は「ロンドン分散力」(物理学者Fritz Wolfgang London に因む/Ex.接着剤がくっ付く原理)と呼ばれており、モノとモノが接着剤でくっ付いた状態(姿)は、まさに「構造的カップリング」の賜物だと言えるであろう。https://study-z.net/100129053/2

このように見てくると構造的カップリング」が連続して重畳・拡散するイメージは際限なく拡張(又は縮小、又は伸縮)することになるが、それは第1章で取り上げたジルベール・シモンドンの「相転移閾値(特異性)で繋がる一定の系が強度intensitéとしての情報が連続する多層構造(?・・・超ミクロスケール~量子物理学スケール~物理・化学スケール~オミクス生命論スケール~宇宙論スケール~超マクロスケール・・・?)」という彼の問題にも関係することが想像される。

(ヒューム『身体化認知』Vs デカルト『コギト・エルゴ・スム』の逆説的“相補関係”の秘密を解く鍵は、“AI原理主義批判”風に言えばアナログモーダル)

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実は、我われが自在にイメージを膨らませながら、その諸相の段階を隈なく「認識」し抽象「観念」をも持ち得るのは、我われが正に「知覚」の能力を持つことから出発しているからだとする主張の始まりがデイヴィッド・ヒューム(David Hume/1711-1776/スコットランドの哲学者/↑画像はウイキより)であり、このヒューム哲学の核心である「古典的な身体化認知(ヒューム認識論)こそが知識の起源であるとする、身体化認知の『知覚』論こそがイギリス経験論の完成と初期啓蒙思想の胎動の土台となった

その意味での経験論の完成者であったヒュームは、知の成立過程をそもそもの源泉から問うやり方で知識の起源を知覚によって得られる観念にあるとしたが、一方で数学を唯一の論証的に確実な学問と認める比較的緩やかな懐疑論を打ち立て、結果的に「人間の知および経験論の限界」を示した。

なお、このヒュームが「比較的緩やかな懐疑論を打ち立てるため、数学を唯一の論証的に確実な学問と認めていた」という点は、奇しくも「ヒューム的な考え方をも含むと見える観念論」への徹底的な批判(祖先以前性なる概念で自らの思弁的実在論を完成させること、https://bit.ly/3GWzLVd)のため、メイヤスーが数学の本来性としての『数学の一次性質』ということを最重視していたことと、逆説的に一致している

そして、このことが小林道夫京都大学名誉教授(哲学者)の論文(↓◆)が指摘する[ヒューム『身体化認知』Vs デカルト『コギト・エルゴ・スム』の逆説的“相補関係”を想起させるのは実に興味深いことである。端的に言えば、それは[常識的には決定的な対立関係と見るべき、ヒュームの観念論とデカルト実在論物心二元論)が逆説的な相補関係にあることが小林道夫氏によって論証された]ということである。

[参考]ヒュームの認識論についての覚え書き : デカルトの認識論との対比において:小林道夫(哲学者、京都大学名誉教授)https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/189806/1/smp_014_001.pdf

結局、このことから言えるのは、矢張り[ヒトは、“AI‐DLアルゴリズム原理主義(近未来に実現する?とされるAI‐DL“意識もどき”)”ならぬ、“生の身体知であるアナログモーダルな意識作用(知識は身体からできている!:ローレンスW.バルサルーのアナログモーダル・シンボル理論/PSS/↓★)”によってのみ、ヒトの内外環境を構成するリアル実在とリアリズム倫理が理解可能である]ということであるようだ。

[第1章の再録]レベッカフィンチャー-キーファー著・望月正哉ほか訳『知識は身体からできている/身体化された認知の心理学』(新曜社)=ローレンスW.バルサルー「アナログモーダル・シンボル理論/PSS

(『身体的認知理論』のハイライト、アナログモーダルへ至るまでの概観)

・・・現代の身体的認知理論・・・

・・・(一般的に)身体化とは,精神現象が身体症状として現れることである。たとえば、身体化を特徴とする障害は、症状が「無意識かつ不随意的に発生するもの」から「症状が意識的かつ意図的に現れるもの」までの一連のものとして認められる。(メルク社のMSDマニュアル、https://msdmnls.co/3kWDF6iより転載)。

・・・身体的認知理論のハイライト、アナログモーダルへ至るまでの概観・・・

 

・・・以下は、レベッカフィンチャー-キーファー(ゲティスバーグ大学/心理学教授)著・望月正哉ほか訳『知識は身体からできている/身体化された認知の心理学』(新曜社)を参考にし、関連する部分を抽出し纏めたものである。・・・

デカルトの二元論(コギト・エルゴ・スム/我思う、ゆえに我あり)に反論し、カントは「知識が心と外界の相互作用によるもの」と主張し、その後、身体化された認知理論の発展に貢献した哲学者たちは、認知を現実世界の状況の要求に直面したときの「身体の欲求」に応えるものとして捉える当理論の名称の由来)。だが、この「世界に関する内的な心的表象は必須でない」とも受け取れる主張は「急進的身体化認知科学」の名称の下で強い批判を浴びる

しかし、別の哲学者らは、関係性を反転させ「外界世界(身体がそのエントランス)は、思考を構成する心的表象に情報を与えつつ、その案内をするように身体を導く」と主張する。それにより「身体は認知の生成に不可欠であり、事実、身体こそが認知処理において本質的な役割を担っている」と、より穏健に主張し、この考え方が現在では、いわゆる「身体化認知科学」とよばれる

その意味での現代の「身体化認知科学」は、『物理的シンボル仮説』(脳内の表象的特性を備えた非モーダル的な物理的デジタル・シンボル、i.e.ニューロンネットワーク・モデルと関連付けるチューリングマシン(現代ではAIコンピューター)のベースともなっている)の段階から、今や『人間的でアナログ・モーダルな感性的シンボル』が優位とされる、新しい“知覚的シンボルシステム”理論へ到達(深化)しつつある

(『 巨大AI・DL‐Webアルゴリズム情報汎知DBが構築するリアル?空間』なる虚構、i.e.デジタル抽象空間の正体)

目下、大いに期待されている量子コンピュータについてはそれが「イオントラップ量子コンピュータhttps://bit.ly/3GrTego」らの出現でスパコンの数億倍になるとしても、そして仮にそのような高速計算が可能とはいえども、量子ビットが熱などの外部要因でノイズや量子ビット同士の干渉などを引き起こすこと(リアル空間の因果性と断絶した不確定性原理のジャンル)から設定通りの動作をしない事態が考えられることに加え、「不確定性原理」https://bit.ly/2Py1aVX  /量子状態そのものが持っている不確定性なのでリアル“理由の空間”の因果性、i.e.“時間の矢”の問題とは無関係と考えられる)に係わる量子の状態変化を安定させる方法など(Ex.データ保持期間の長期化など)についての課題が多々残されている

また、1古典量子ビット(1.0)と比べた情報量の大きさで見ると、仮に、現行の50量子ビット(2の50乗=1,125,899,906,842,624)から100量子ビット(1.26765060022822940149670320537E+30)へ拡大する技術(古典コンピュータ50台分の計算の同時並行処理)が実現できたとしても、それを実用化する(そのままで理解不能な膨大な計算結果を人が読解できるよう処理する)ため(それは現在でも同じことだが)、その各々の計算(情報処理)の結果を統合的に理解する「古典コンピュータによる解読(計算)処理」が必ず必要である。

つまり、そこには「我われが日常を送るリアル世界」と「ビット情報が蓄積した抽象的ヴァーチャル世界」の決定的な「断絶」の幅が、古典ビット時代を遥かに超える膨大なスケールて益々拡大するという深刻なジレンマ問題が潜んでいるようだ。無論、この「隔絶(断絶)した両世界の生産性の差異=『労働生産性 Vs AI‐DL機械生産性』の差異、による深刻な『格差』問題」は、益々、拡がるばかりである。また、そのような「断絶」について、あまり深く考えず割り切って無視することも出来るだろう

が、そうすると今度はそこで「ヒトが生きる意味は何か?」という古くて新しい問いが、つまり<倫理と人道に関わる厄介な価値判断>が必ず浮上して影を落とすことになる。<日々に巨大化へと増殖し続けるWebネットDB汎“知”型ヴァーチャル世界>が、自分をも含むリアルの日常を圧倒しつつ飲み込み続けるという「デジタル・ナルシス」のイメージが実に悍ましく見え始めることを只の杞憂として見過ごしてよいものだろうか?(参考情報 ⇒ポーランドのSF作家、スタ二スラフ・レム原作、表現の自由を求めてソ連から亡命し、故郷に還ることなくパリにて54歳で客死したアンドレイ・タルコフスキー監督、映画『惑星ソラリス』、ttp://www.imageforum.co.jp/tarkovsky/wksslr.html

要は、“ビット情報に因って伝わるWeb情報は、たとえそれが見かけ上で文脈的な体裁となっているものであっても、それは純粋に抽象化した「データ」(潜勢態/デュミナス)であり、リアル・コミュニケーションにおける会話や文章(がもたらすアナログ情報)は、必ず何らかの特定の目的や意図、何らかの世界観・生活感などの表象(現勢態、エネルゲイア)と密に繋がる「インテリジェンス情報」ということになる。

真逆に言えば、<リアル世界でのデータ>は、たとえそれが数字等の抽象的データであっても、それがこの世界に出現した瞬間(何らかの数字や記号やコトバが話したり書かれたりした瞬間、あるいは書棚の本やそこに置かれた新聞が読み始められたりした瞬間など)には、それらは必ず何らかの生きたエトノス環境(内外の自然&文化環境)と生きた身体知に包摂されているという意味でリアルな「マッハ感覚論的素材性」を帯びていることになる。なお、ミシェル・フーコーによれば、19世紀に印象派を導いた画家マネは“真に見るべき美的“表象”として、これを表現する絵画技法を発見していたとされる(@小林康夫『表象‐構造と出来事‐』(東大出版会))。

つまり、<巨大AI・DL‐Web情報&データベース型汎“知”DBが構築する電脳階層に格納され続けるデジタル情報>と<リアル世界という大海原と身体内感情の海を漂い、泳ぎ、潜水と浮上を繰り返し、あるいは交流する社会フィールドを駆け巡るアナログモーダル情報>との間には、このような意味で<宿命的、かつ決定的な断絶>があることになる。

その両者を仲介するのが「エトノス観念(エトノス環境論)とリアリズム倫理」(最広義の自然・文化環境に包摂され同期し続けるリアル意識の総体)である。かつ、これら両者を日常のリアル世界で繋ぎ続けるのが「生命の論理に支えられたヒトの身体知」であるだろう。そして、それこそが今の一回性を生き続けようとする生身のヒトの未来への意思の源泉でもあるのではないか(関連/エトノス環境の委細はコチラ⇒http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20180503)。

つまり、「自然・社会・生命・精神」現象のリアルは、ある目的のために抽出した特徴量の如く、特定の目的等のため集約されたものだけから成っている訳ではない。因みに、ここで言う“アナログな暗黙知が優勢なリアル現象トータル”の、ある瞬間ごとの切り口がマッハ現象学における「マッハ感覚論的素材性」(マッハの内面的表象=日常世界で凡ゆる内外環境と共鳴しつつリアル意識が漂うアナログの海の表層)と見ることが出来るだろう。

因みに、このような「ヒトをめぐるリアル世界の描像」は当ブログ記事の基本コンセプトと位置付けている「W.Ⅴ.O.クワインのネオプラグマティズム」とも重なると思われるので、以下にその内容を転載しておく。

《W.Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「数多の境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)》

結局のところ、やがてAIは非常に原始的な“感情モドキ”を身に着けることにはなるかも知れないが、それはヒトの感情とは全く異なる何ものかであるだろう。それは、恰もAI機械学習やAIディープラーニングの特徴量らが過去・現在・未来のどのリアル事象とも全く別物であることに呼応すると思われる。

何故なら、ヒトの場合は個体が子から子へ、子孫から子孫へと連綿と持続させる生命連鎖が絶えず地球環境及び内面の生命環境(これも外界に劣らぬほど膨大なスケールで連鎖・交流・持続・共振する“地球型自然環境の延長”である!)と多面的・重層的に非常に複雑な交流・共鳴・反響を持続させており、ヒトの感情なるものはその瞬間の内外の複雑な反響の持続的反映上で述べたマッハ感覚論的素材性http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20180701であるとの意味でゴッドビーヒー博士の指摘どうり、それは動的なエルゴン(生命エネルギー活動のリアルな側面)であるからだ

一方、AIの原始的な“感情もどき”(機械意識?機械感情?)は(仮に、そこで何らかの意識のようなものが生じるとしても)、それはヒトと同様の意味での内外の地球型自然環境を必要とはしないただ、そのようなAIの原始的な“感情もどき”はそれがいやしくも<知能>であるからには、必ず自らが対象とするものを分類し、あるいは区別・区分して認識するということが基本となるそして、AIには歴史観も倫理観も不在なのでそこ(ヒトの意識に対応する?AIの認知機能)にはヒトの場合で言う「区別」と「差別」が混然一体化して存在することになるだろう。

そこで懸念されるのが「AIによる、ヒトの場合の善悪の倫理観とは全く無関係な(換言すれば、人間的な感情とは無関係で超ハードボイルドな?w)“差別”や“マイファースト”or“異常な忖度”などが出現する可能性があることだ。米マイクロソフトがインターネット上で一般人と会話させた人工知能(AI“Tay”)がヒトラーを肯定する発言をするようになり、実験が中止された事件?(Cf. →https://tech-camp.in/note/technology/48366/)等はその典型事例である。

実は、以上のような状況(現実)こそが、「いまやリアリズム倫理が必須の時代に入った!」と声高に叫ばれつつある昨今の時代背景であり、具体的に言えば、それは<巨大AI・DL‐Web情報汎“知”DBが構築する電脳型階層の中へ「ヒトの社会構成意識トータル」がスッポリ格納されつつある>という恐るべき事態である。

(権力政治(マハト・ポリティーク)の正体こと「狂信者(orカルト)になった俗物」との対峙のため、今こそ求められるリアリズム倫理)

[参考資料]政治の無道徳性/政治的リアリズムのひとつの系譜は、政治の世界を権力という力学的作用が趨勢を決する一種の必然的空間として描くものである。私たちが受け入れている倫理や道徳は、一皮剥けば現れるこうした「 権力政治 マハト・ポリティーク」の表層でしかない。:政治的悪の規範理論的分析―政治的リアリズムを中心に―松元雅和(關西大學法學論集・巻 66-号 1)https://kansai-u.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=3904&item_no=1&attribute_id=19&file_no=1

[注記]マハト・ポリティーク(独:Machtpolitik)とは?・・・政治権力(英:Power politics)のこと。国際関係を理解する最も基本的な考え方。日本語では、権力政治武力政治イギリスの国際政治学者マーティン・ワイトの著書『パワー・ポリティクス』が初出とされる。(出典:WebLIOhttps://bit.ly/3zlq019

[第2章- 初期啓蒙思想期には周知だった[「情念のマグマ」の超リスク(死への誘惑タナトス/-)と可能性(生への希望デュナミス/+) ]の問題]で取り上げあげた「闇の系譜」(互 盛央『エスの系譜-沈黙の西欧思想史-』(講談社))は、その『エスの系譜-沈黙の西欧思想史-』が提起した二つの「エスの系譜」(1、2/↓再録)の一つ「第二のエス[閉塞的で無限後退的な闇の系譜]」である。重要な部分なので、以下に[再録]しておく。

(1)第一のエス[開放的で持続生命論的な光の系譜]:リヒテンベルク→フォイエルバッハニーチェフロイト→(フロイト左派/i.e. 新フロイト派)・・・、という『エトノス環境と繋がり共鳴する無意識の系譜』i.e. 生命力そのものに匹敵する自然の摂理と見るべき無意識の深い層であるエルゴン空間において伝承される。この空間にある限り、それは未だ善悪の評価とは基本的に無関係である。<注>系譜“後半”の(  )内の流れは、toxandoria が追記したもの。

(2)第二のエス[閉塞的で無限後退的な闇の系譜]:リヒテンベルク→フィヒテシェリングビスマルク→(ニーチェフロイトヒトラー→(自由原理主義リバタリアニズム、トランピズム、プーチンアベノミクスらポストトウルース派)・・・、という『これも矢張りエトノス環境と繋がり共鳴するが、(1)より深い無意識の系譜』i.e. 生命力そのものに匹敵する自然の摂理と見るべき無意識の深い層であるエルゴン空間において伝承される、と考えられる。しかし、このエルゴン空間にある限り、それは矢張り未だ善悪の評価とは基本的に無関係である。<注>系譜“後半”の(  )内の流れは、同上の補記。

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リヒテンベルク(Georg Christoph Lichtenberg/1742-1799/↑画像×2件は(上)ウイキ、および(下)https://bit.ly/3NFPWJnより)は、ドイツの科学者、風刺家ドイツで初の実験物理学専門の教授(ゲッティンゲン大学)となった人物であり、荷電した樹脂板に現れる「リヒテンベルク図形(沿面放電図形)https://1000ya.isis.ne.jp/1715.htmlで名を残す人物である(同図形の“説明”画像↓は、https://detail-infomation.com/creeping-discharge/より)。

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ところで、フランス革命とナポレオンのイタリア討伐遠征の動乱期を経験したリヒテンベルクは、上の[互 盛央『エスの系譜-沈黙の西欧思想史-』]によれば、「フィフィテが希求した統一国家樹立に成功したドイツは勝利に酔いしれ、「狂信者になった俗物=凡人権力のリアル狂人化」が跋扈している…「狂信者になった俗物」、それが私たちドイツの今を際立たせる前代未聞の現象である…」という言葉を残している

リヒテンベルクが言う、この「狂信者(orカルト)になった俗物」こそ「根本的に見誤り我を「神」とさえナルシスティックに自認してしまう、例えばウクライナ侵攻の暴挙へと走った彼(か)のウラジミール・プーチン、あるいは安倍晋三・トランプら、i.e.ポストトウールース派の嘘つき政治家たちの如く、瞬時にして“絶対独裁権力者”へと豹変するマハト・ポリティーク」の恐るべき正体である。

換言すれば、内なる<非生命論的な異端の『種(しゅ)』>こと『闇の系譜』のリアル出現である。すなわち『蜂の寓話』でマンデヴィルが使ったアイロニー風に言えば、それこそ正に“内なる悪の両義性”の内の一つ、すなわち『無益な悪徳』の実に奇怪で有害なインカーネーションである

この恐るべき「内なる闇」の「“沿面放電”のインカーネーション」に対峙し得る<このリアル世界における有効なパワー>とは何か? まことに残念なことではあるが、それは先ず[遍く人々による地球の自然環境と「オミクス生命論」で初めて納得できる生の一回性への目覚め]および其れをベースとする[「リアリズム倫理」へのアナログモーダル意識による覚醒]ということだけであるもし、この<唯一の対抗策であるアナログモーダル意識、オミクス生命論(個体生命の一回性)、etリアリズム倫理>の意義を見失うや否や、今度は肝心の民主主義がいとも容易く「プーチン安倍晋三・トランプら、i.e. 残忍かつ冷酷なポストトウールース派の嘘つき政治家たち」の恰好の餌食と化すだけであり、それが現下「ウクライナ戦争」の悲惨の真相である!

一つだけ付言すると、互 盛央氏は著書『エスの系譜-沈黙の西欧思想史-』のなかの「端緒としてのリヒテンベルク」(フロイトらに先立ちリヒテンベルクが光と闇の『二つのエスの系譜』に覚醒した最初の人物であったことを意味する)という言葉でリヒテンベルクは、現代の科学者たちが殆ど忘れ去った「暗黙知を自在に操る能力」が健全な科学自身の発展のためにも非常に重要であることを理解していたと指摘している

・・・なお、「リアリズム倫理」「オミクス生命論」の委細については下のブログ記事★を参照乞う。・・・

★【実験医学的な思考実験】アンチ「重篤エピジェネティック疾患こと、アベシンゾー型トランスオミクス(orオミクス)層リアル反転『リピート異常発現』症」に対する、一つの処方の方向性、https://note.com/toxandoria2/n/nba47ae28eff6?nt=like_2181994

★科学と倫理の距離は近い!/大格差、人間の壁がDX肥大症化!「リーン高度生産性Vs伝統労働力」はAI構造災に非ず重力・変分原理ら科学「知」に関わる根本的な誤謬 or 作為(Pseudo)の人災!https://note.com/toxandoria2/n/n7f729d5bf46c