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toxandoria:フレーム&フリンジの謎

W.Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「数多の境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

■啓蒙思想初期に周知!のタナトスはヒトの共有エルゴン  i.e.その悪の情念の天敵はアナログモーダル(健全なヒトの意識)!先行把握の身体知で新しい「社会構成」への展相が急務(5/5)

啓蒙思想初期に周知!のタナトスはヒトの共有エルゴン  i.e.その悪の情念の天敵はアナログモーダル(健全なヒトの意識)!先行把握の身体知で新しい「社会構成」への展相が急務(5/5)
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Alfred Sisley 「サン=マルタン運河の眺め/View of the Canal Saint-Martin」1870 50 x 65 cm Musée d'Orsay, Paris, France /https://www.wikiart.org/en/alfred-sisley/view-of-the-canal-saint-martin-1870 

(5)ハイデガーの解釈学的状況の前提となる、三つの種類の「先入見」について

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ハイデガー

ところで、ガダマーに衝撃を与えた、ハイデガーMartin Heidegger/1889 - 1976/ドイツの大哲学者/画像↑は、Wikiより)の「解釈学的状況」が意味するのは、以下のプロセスのことを指している

(解釈学的状況の前提となること1/先入見の三つの種類)

[前提条件となること1]

その先入見ということの三つの種類を列挙すると以下のとおりである。まず前提となるのは「それが何であれ、存在への最も根本的な問いが今ではすっかり忘れ去られている」ということだ。そして、ハイデガーは、その「存在への最も根本的な問い」である「忘却」を生み出す「先入見」が三つあるという。

一つ目の先入見 → それは、「存在」が最も普遍的な概念である(一般的には、何かが存在すると考えるのは当たり前のことだと思われている)ということだ。そのため、「存在の概念は最も明晰で、なにも究明を必要としないものだ」と考えられているが、実は、「存在」とは、もっと曖昧なものなのである。

二つ目の先入見 → それは、「存在」という概念は完全に定義することが不可能であることだ。たしかに、例えば人間なる存在を完全に一義的に定義することはできない。理性的な人間もいれば、感情的な人間もいるという具合になるからだ。しかし、だからといって何かの「存在」が定義できないということでもない。

三つ目の先入見 → それは、存在は自明な概念であるということである。たしかに、日常会話の中で「・・・がある」という表現を用いれば、それは直ちに理解されるはずだ。しかし、実は、その「・・・がある」とされたものの意味は多様であり、そのことを思うと、その「・・・がある」という表現の意味は不分明のものとなってしまう(例えば現下の日本を深刻なホワイトアウトへ誘いつつある統一協会カルトの問題を想起してみよ!→♨↓)。

♨  https://twitter.com/tadanoossan2/status/1547689597790228480

結局、以上三つの「先入見」を考えると、「存在」への問いには答えが見つからないうえ、「存在への問い」それ自体が方向性を見失っていることになる。i.e. 凡ゆる存在について、それら各々のことを一義的、完結的、自明的な理解内容で固定的に把握できないことになる

この[前提条件となること2]は、解釈学的状況の理解に係わる先行構造(Ver‐Struktur)ということであり、それは下の三つから成る。

(a)先把持(センハジ/Verhabe)・・・ヒトとしてのアナログモーダル意識の視野が開かれ、解釈されるべきもの(対象)が、その中に確実に取り込まれること。 

(b)先視(センシ/Vorsicht)・・・その対象へ照準が合わせてあること(視線のベクトル)。

(c)先行把握(センコウハアク/Vorgrift)・・・これは予め抽象概念的に規定されているということこの論点は、“もし、プラトン的な観念が不在であれば数学の概念を我々は理解できない”と見るR.ペンローズ(英国出身の天才的な数学者・理論物理学者/1931-)の主張と重なるものがあり興味深い!(関連参照:当記事、第三章:自然計算はアナログ暗黙知ワールド?/超デフォルトモード・フラッシュ?)/←補足、toxandoria)。

・・・

そして、ハイデガーはこれら(a)~(c)の全体を「先入見」(Vorschau)が隠蔽していると見る。そこで、現存在(Dasein)の解釈学を成立させるために「先入見」を破壊するか、ないしは「その状況」を変容しなければならないとハイデガーは主張する。別に言えば、それがハイデガーの「事実性の解釈学=先入見を取り払ったテキストの解釈で漸く自己理解が変容し得ることとなり、その状況に対して根源的な問いを出せるようになる」ということである。

[補足]先行把握(センコウハアク/Vorgrift)と「選言説」の関係について
・・・直接的には無関係なことだが、このハイデガーの「先行把握」からは、[第1章-意識の源としての情念、 アナログ・デフォルトモードフラッシュ、そして“時間の矢”の問題、…[補足]…]でも触れた「選言説」(知覚・感覚ひいては感情こそがヒトの日常言語における固有名の「意義」と「概念の形成」に先行すると(±、および内外の両面において)見る、言語哲学の考え方)が連想される
尚、選言説(論)の委細については、下記★を参照乞う。

★科学哲学 42-1(2009)「論文/知覚の志向説と選言説」小草 泰https://bit.ly/3zolTSa

(6)現代における知の解釈学の基底と適用

ガダマー『真理と方法』の核心として絶対に押さえるべきことについて、丸山高司氏は著書『ガダマー/地平の融合』の中で以下のように語っている。

・・・「知識」だけでなく「規範」(おそらく倫理も含む/補足、toxandoria)についても、現代思想の特徴となっているT.クーンという新たな視座を、「解釈学」の「先行理解」(既述のとおりハイデガーが始祖)のなかにシッカリと取り込むべきことが理解されるようになったが、当然、ガダマーは当初からそうした“人文・社会と自然科学の垣根”を超える、より広い意味での現代思想に関わる「知識」の問題へスポットを当てることが必須であるとの理解を自らの解釈学の基底に取り込んでいた。・・・

このようにして、ガダマーの解釈学は恰も現象学エルンスト・マッハの“マッハ感覚論的素材性(論)”がそうであるような意味でダイナミズムに満ちた、人文・社会・自然科学の垣根を超える広大な「生の思想運動」へ変容したのである

つまり、ガダマーの深い理解は「解釈」と「適用」(理解していることを、只の知識として抱えているのではなく人々がそれを自己の状況へ解釈的に関係づけつつ自ら何らかの新たな意味(それぞれ固有な人間存在の歴史性の意識)を個々に発見すること)の契機を含む統一的で全体的な運動となったのである。

(7)ガダマー『地平の融合』によるAI‐DLアルゴリズム原理主義批判のポイント

(ガダマー『地平の融合』は“意味の全体論”への希望)
 

『地平の融合』の説明に入る前段で『ガダマー/地平の融合』(講談社)の著者・丸山高司氏は以下のように述べている。

・・・ガダマーは「すべての独断論を批判的思考の訓練で克服する」という、先ず非常に地味な立場を主張しつつ、一方でラディカルな問いかけが哲学にとり絶対的に不可欠であることを認めている。しかし、ラディカルな問いからラディカルな帰結を引き出したとしても、それを「最後の言葉」とすることを断固と拒否しており、あらゆる幻想や狂信(例えば、統一教会やオーム真理教の如きカルトは無論のこと、それと近しい権力的な狂信ら)に対して常に覚醒し続けるのがガダマー哲学の心髄である.・・・

そこで、『地平の融合』の最も重要なキーワードと見るべきものが「適用」と「作用史(Wirkungsgeschihite)」である。

先ず「適用」についてだが、これは「理解していることを、只の知識として抱えているのではなく人々がそれを自己の状況(夫々の生き様など)へ解釈的に関係づけつつ自らが何らかの新たな意味(それぞれ固有な人間存在の歴史性の意識)を個々に発見すること」を意味する


ガダマーによれば、過去の理解とは「単純に過去を現在に引き寄せ同化すること、あるいは現在を過去に同化すること」(等時性/例えば、懐古趣味(アナクロニズム)に溺れる極右らがこの罠に落ちることが多い)ではなく、「過去を現在に媒介すること」(共時性)である。

<注>「等(同)時性、共時性」について

・・・等(同)時性:意識空間において美的・歴史的対象の表象などが恰も万華鏡の如くバラバラに散らばっている状態。この場合は、逆説的に見えるが、そうであればこそ特定の恣意的な力(例えばカルトや悪しき権力の誘惑など)が隙間に闖入し、それによって周辺が強圧的に支配され易い、必要に応じて“時間の矢の倒置すらが行われ得る”という弱点という弱点が生まれることになる。

・・・時性:例えば、仮にそれが古い芸術作品であるとしても、その作品に価値があるのは、それを享受(鑑賞)する側(鑑賞者・解釈者ら)が、その古い作品の意味を個々に摂取し、それと共感するという作用プロセスで自己(個々人)の変容がもたらされ、結果的に、新たな自己同一性が絶えず創生されるような状況(極端な事例がカルトによる此の創生プロセスの破壊!)を意味する

つまり、「過去は現在へ働きかけ、現在が過去へ働きかけ続けるという意味で(老婆心だが、これは時間の矢の逆転ではない!)、我われ人間社会を含む全ての地球上の自然・文化・社会エトノス環境のトータルが、リアルに生命あるものとして生き続けること解釈学的循環になるこれこそ『ディルタイ・ハイデガーらの生の哲学』の延長上にガダマーが発見した『理性の生命論』の核心というべきであろう

言い換えれば、ガダマーにおける解釈学上の理解とは、開放的な問いのプロセスにおける、伝承の運動と解釈者の運動とが互いの“見えない内側”(アクセル・ホネット/Axel Honneth/1949年- /ドイツ、フランクフルト学派の哲学者)において働きあう“Das Ineinanderspiel ”のことである。

このような働きによって、過去の地平と現在の地平とが絶えず融合されて“意味の全体”が確認されることになるが、それだけではない。ガダマーの『理性の生命論』の視座から俯瞰すれば、これら二つの地平の延長には、絶えず未来の地平への“アナログモーダル・ブラウジング意識”で一回性を生き続けるヒトのための希望、i.e. 展相(ポテンツ)が見えてくるのであり、これこそ『地平の融合』(換言すれば健全なアナログモーダル表象の持続的創生)ということなのだ

 

(アナログモーダル“再認識”の社会構成(Social Constructivism)に有意な、新たな『解釈学』創生への期待)

 

・・・一旦の「ナチス罹患」で、<アンチ・ナチス「抗原提示『細胞』」型抗体>を獲得したハイデガー哲学、およびガダマー解釈学に残された課題・・・

 

・・・自然免疫より、一層、重要か?とも見える「抗原提示細胞/↓◆」型免疫! 問題は、一旦の深刻な「ナチス罹患」の経験でも<アンチ・ナチス「抗原提示細胞」型免疫>が一向に獲得されない!“美しい日本?”ということ!・・・

 

◆「抗原提示細胞型」抗体、i.e.組織の全体『細胞』に定着して提示されるタイプの抗体(喩えれば、人間・社会“最深部”の文化免疫、持続創生型プロトモダニティー・パワーに相当!)とは?/免疫のしくみと働き(WEB PHYSIOLOGY:“人体の仕組みと働き”の一部)、http://plaza.umin.ac.jp/~histsite/3immuntxt.pdf

 

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・・・“体細胞、幹細胞、ES細胞、iPS細胞”をめぐるエトセトラ・・・
 
ES細胞(胚性幹細胞)とは? その倫理上の問題点| 国際幹細胞普及機構、https://stemcells.or.jp/about-embryonic-stem-cells/
・・・(ポイント)ES細胞は発生初期段階で胎盤胞期の胚の一部、内部細胞塊から産生する幹細胞細胞株のこと。ES細胞には治療が困難とされてきた難治性のがんや、神経損傷などの重篤疾患を治療する可能性があるが、発生初期の胚の一部である内部細胞塊から産生する幹細胞細胞株を利用することに因る倫理上の問題(クローンの可能性などで、個体生命の一回性に係わる/補記、toxandoria)、およびそれに男性の精子が入っていることによる、生体移植時と同じ拒絶反応(自己免疫の発生)などの問題がある。
 
ES細胞とiPS細胞(人工多能性幹細胞):幹細胞のあれこれ | 生物学科 | 東邦大学https://www.toho-u.ac.jp/sci/bio/column/0810.html
・・・下の画像×2枚は、↑HPより転載。

 

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・・・(ポイント)山中伸弥氏のノーベル賞受賞で周知のとおり、iPS細胞は体細胞へ4種類の遺伝子を導入(山中4遺伝子で分化過程を初期化、リプログラミング)することでES細胞(胚性幹細胞)と同様に非常に多くの細胞に分化できる分化万能性 と自己複製能を持たせた細胞。特にヒトiPS細胞は体細胞ドナーにとって免疫拒絶のない移植細胞の供給源になると期待される。特にヒトiPS細胞は体細胞ドナーにとって免疫拒絶のない移植細胞の供給源になると期待される(補記、toxandoria)。
 
★iPS細胞(人工多能性幹細胞)の可能性と新たな倫理上の問題点(解明すべきメカニズムと新たな倫理的課題)| 国際幹細胞普及機構、
https://stemcells.or.jp/abaout-induced-pluripotent-stem-cells/
・・・(所見/toxandoria )細胞の初期化がOct3/4、Sox2、Klf4の3つと、c-MycまたはGlis1でなぜ起こるのかについては詳細なメカニズムが未だ解明されていない。また、拒絶反応についても、そもそも自己細胞なので拒絶反応は理論上起こらない筈だがマウスでは起こることがあるとされる。加えて、「理論上、同性者間でも子供を作る事が可能」、および「理論上、同一人物の細胞から精子卵子を作製して受精させる事も可能(事実上、クローン人間が可能)」であるため、新たな宗教・文化・文明意識上の、あるいは新たなリアリズム倫理上の問題が生まれつつある。だから、この医学的技術の可能性が大きいだけに、一層の慎重を期す姿勢と謙虚な研究姿勢が求められる。矢張り、そこで最大のカギを握るのは、ヒトとAIの「意識をめぐる論争」の最大の難題(アポリア)の形でも垣間見えた、あの<「個体生命の一回性」をどう、我われ人類文明が評価するのか(orできるのか)?>とという点であろう。そして、この<ある意味での人間性生命性?)の壁/“二つのエス”(Cf.当記事・第1章ほかのイニシエーションで現実社会に必ず横槍を入れようとする『悪徳』のエルゴン、i.e. 暴走・横暴化し易い市場原理主義ら>の取り扱いを誤れば(特に、このiPS細胞の技術が、もし市場原理主義の道具視されるようなことにでもなれば)、ポストトウルース派(狂信者になった俗物 =凡人権力のリアル狂人化、i.e. プーチン、安倍晋三、トランプら)がエンドレスに再出現し続ける事態ともなりかねない
 
★[関連情報]iPS細胞を使って毒性検査、京大などがAIシステムを開発20220615MIT. Rev.https://bit.ly/3NVCkcL

 

・・・

ともかく、もし<主に第1章と第3章でふれた「二つのエス」なる無自覚(無意識/無媒介的認知的自己意識)の奥にある一部の闇の部分が、過剰に肥大化しリアル感情を無自覚のままで浸潤するように>でもなれば、意識バランスの様態は一転し自己破壊的リスクとエントロピーを増加させ、遂には自滅(無限背進・後退)型の「超利己主義の病理」(喩えれば、オミクス病(ここでは、いわゆる難病のジャンルが数多くみられる)の発現(発症))へ、人間社会そのものが没入することもあり得る。

それ故、今や「政治思想史」と「感情の政治学」はこの非常に悩ましい問題(ダン・ザハヴィが言うところの無媒介的認知的自己意識である二つのエスの問題、https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2019/09/02/123620)との対峙が避けられなくなっており、これもリアリズム倫理(Fiduciary、https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2021/02/02/011339)が益々重要になる背景となっている。

だから、二つのエス(二つの前意識)、つまり【開放的で持続生命論的な光の系譜】と【閉塞的で無限後退(背進・退嬰)的な闇の系譜】の二つは夫々が「情念(前意識に潜む)のノエマ(いつでも何かを契機としてリアル意識化され得る無自覚な情念の内容)」として自覚的な意識に対し大きな影響を隠然と与え続けることになる。

例えば、古典的な自由平等の「建国の精神」への回帰を標榜するウルトラ保守層(あの“負け組を覚醒し悔しがってきた米国のRust Belt白人層”、i.e.人種差別主義者?)ら熱烈なトランプ支持層が、そもそも自らを困窮化させた元凶である筈の「“格差”拡大政策がホンネの偽イデオローグである自由原理主義」を未だに篤く信奉し、リベラル共和派(その過半超は限定自由主義派)を厳しく批判する米国政治の今の姿(再び、バイデン政権を脅かしつつある)は大きな「自己矛盾」である

従って、この重篤な「米国分断」病の寛解のためにもM.アンリ『感情の政治学』(https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2020/06/04/155449)由来の知恵(悪の情念へも対峙し得るヒュレー成分を、つまり触覚等の内感をより重視するべきというM.アンリの哲学・思想、https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000123.000071793.html)を生かすために、その「前意識」の病理を冷静に摘出するとともに、先ず、その大いなる自己矛盾についてのポピュリズム層の自覚を促すため、より広く、かつ分かり易く解釈し、説明するという意味でのリテラシーのための努力と工夫が求められる。

 

参考資料/20世紀最大の哲学者はなぜナチスに加担したのか?/轟 孝夫「ハイデガー・ナチズム論」の決定版!『ハイデガーの超-政治--ナチズムとの対決/存在・技術・国家への問い』‐明石書店https://www.atpress.ne.jp/news/206188

 

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参考資料/「気づかう人」(ハイデガー哲学)には人間相互の気づかいに留まらず、情念的な成分の“強者側の一方的勝利もあり得るエトノス、i.e.宇宙的・多義的な自然と生命の宿命が視野に入っていたとされる。そのためナチスを歴史的好機(必然の歴史的瞬間=カイロス)と見たハイデガーは、一時期、フライブルグ大学総長・拝命後の同年(1933)にナチスに入党したhttps://toxandoria.hatenablog.com/entry/20171109/p1

参考資料/ 近づく本格的な「第4次産業革命」の時代に潜む超リスク/一般に欧米では“科学技術が政治権力と結びつき易いことが理解されている https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/03/05/153938

 

(エピローグ)

 

マルクス・ガブリエル『外界の思考/新実存主義』とモネ・セザンヌ印象派美学』の共鳴

 

https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2020/06/04/155449

 

・・・<知覚・感覚ひいては感情>こそがヒトの日常言語における固有名の一義的な「意義」と概念の形成に先行すると見る「選言説」と関りが深いことになる(https://jstage.jst.go.jp/article/jpssj/42/1/42_1_1_29/_pdf/-char/en)。・・・

 

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因みに、「外界の思考」という哲学的でユニークな考え方がある。これは、新実存主義を提起する新進気鋭の哲学者マルクス・ガブリエルの言葉であり、それは内外のエトノス自然・社会環境との深い関係性を維持する意識のことを意味するが、例えば、これは「龍安寺・石庭」が我われの内心に拡がる広大な感情の海に永遠の静寂なる感動を与える秘密を解明するヒントを与えてくれているようだ。

 

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また、それぞれアプローチ手法は異なってはいても、モネとセザンヌは「外界の思考」の美学を実践した芸術家であるといって間違いではなさそうだ。つまり、モネの金字塔とも言うべき、かの連作『ルーアン大聖堂』の「色彩を強調した一瞬一瞬の印象の違いの表現」は“まさにモネ自身の感動を伴う感性”の表現である。

一方で、あの「変化しながらも変わらないものについてのセザンヌの表現」は<アナログモーダル意識の『地平の融合』(@ガダマー)における形象認知的な“象徴性”の表象>といえるかもしれない。

(完)

 

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