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toxandoria:フレーム&フリンジの謎

W.Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「数多の境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

新コロナの警告/ファシズム2.0に抗い持続を保障する潜在イノヴェーションはエトノス&生命の一回性を「共有する自由」で繋ぐ『日常』にある(1/2)

新コロナの警告/ファシズム2.0に抗い持続を保障する潜在イノヴェーションはエトノス&生命の一回性を「共有する自由」で繋ぐ『日常』にある(1/2)

・・・そして、それは「地球環境の保全、および現代世界の庶民層(99%派)の『日常』のベースがデュー プロセスであること」の再確認が必須であるとの警告でもある!・・・

<注>ファシズム2.0・・・20世紀型ファシズム(20世紀初頭に現れたナチス・ドイツムッソリーニのイタリアの亜流としてのネオ・ファシズム(またはネオナチ)と“ほぼ同義”だが、ここでは例えば安倍政権がそうであるように「新自由主義と独裁の癒着」を明確化させるために「ファシズム2.0」と名付けた。

【これも新コロナの警告!】行政、立法、司法、既存メディアに次ぐ5th.エステート(第5勢力/権力)たるFB・Twらは新自由主義の麾下におけるもっぱら“混沌/フェイク”の拡散で我利が貪れる時代は終了!?第4権力との建設的関係を思考するべき時!➾「第5勢力」SNSの功罪:イノヴェーション・エディター、ジョン・ソーンヒル323日経/F.Times https://www.nikkei.com/article/DGKKZO57005270Z10C20A3TCR000/

 

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・・・

(前置1)「リバタリアニズムファシズム2.0の癒着」を読み解くためのキーワードが、自由原理・ファシズム2.0・批判実在論・エトノスということ

『民主主義の内なる敵』(第1章で詳述)の著者ツヴェタン・トドロフは、グローバル市場原理主義リバタリアニズム=完全自由(市場)原理主義)が主導する現代世界であるからこそ、いまや世界中に出現しつつあるポスト全体主義2.0(=ファシズム2.0/米国・トランプ政権、日本・安倍政権など/補、toxandoria)であっても、ファシズムなるものの「あるものは無い、ないものは在る」と言う正体は全く変わらないという。

が、厳密に言えば「米国・トランプ政権の米国」と「安倍政権の日本」は同じ<ポスト全体主義2.0>下にあるとはいえ、実は全く異なっている。その謂いは「米国・トランプ政権(ファシズム2.0的な権力)下の米国」は、それでも未だ民主主義国といえるが、その憲法が名目化し一般国民の意思も希薄化した「安倍政権一強支配下の日本」は今やれっきとしたファシズム2.0(リバタリアニズム(完全自由主義新自由主義)と独裁権力が癒着した全体主義)の国であるということだ委細は、『第3章-モンペルラン協会の理念の変質』で触れるが、同様の視点から、すでに20190505の時点で、Newyork Timesが、安倍政権に対する(その独裁的なメディア規制のやり方を切り口として)厳しい批判記事を書いている。

いわば、ファシズムとは『例外的なもの(“あるものはない、ないものは在る”という表象的な異常価値観)への抽象的同一化なる視野狭窄に嵌った倒錯合理主義であり(ファシズム下では、国民の殆どがその独裁者の異常価値観と一体化!の空気に無意識の内に回収されてしまう)、それは、いわば乳幼児的な鏡像ナルシスの小さな機能主義(催眠術にかかる如き小さな合理主義)の世界である』ともいえる(@田中 純『政治の美学-権力と表象-』(東大出版会)/↓画像)典型事例の委細は↓▲を参照乞う)。

「Markus Gabriel」の画像検索結果

f:id:toxandoria:20200323023406j:plain「表象と権力 権力の美学」の画像検索結果

 そして、それと真逆の認識論(認知)の視座が例えば『画家セザンヌの眼』のリアリズムであり、それは、いわゆる「批判実在論(Critical Realism)」、または後で詳しく触れる現代「知」の先端の一人と見るべき、“心”という語で表せるたったひとつのものなど存在しない!と主張する「マルクス・ガブリエル(↑画像)の新実存主義」らの斬新な視点に重なると思われる。

 

マンデヴィル『蜂の寓話』は透明甲殻リバイアタン・安倍晋三ら出現への警告!『日常』とホッブスに潜むエルゴン内需等に係る新しい生産性の培地)の発見がアベ「サクラ怪獣」駆除のカギhttps://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/11/30/184331

ナチスの流儀で『ファシズム2.0アベの国』、ディープ・フェイク【真実モドキ】化する日本!が合法的に完成!?】<PCR検査の「忌避」徹底、新コロナパンデミック(株価大暴落付き)に負けず五輪「断行」宣言(その後、IOCの決定で、急転直下、1年の延期となったが!)、対・緊急事態法「主要野党&メディア」の翼賛、検察法・内閣法制局法務省ら諸法制&官庁の完全アベ御用組織(アベさま御用達の特務機関)化>でも、安倍支持が50%未満で安定(むしろ上昇トレンド?)>等を併せ見れば、忌々しきこと乍ら大ショックはチャンス!のナチス流儀で『ファシズム2.0アベの国』、ディープ・フェイク(オール・ウソw)日本!が合法的に完成した!?   公取員長に古谷官房副長官補、国公安委に横畠前法制局長官 両者ともにアベ首相直近の官僚 317毎日 https://twitter.com/tadanoossan2/status/1240197588470530048 

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・・・左:古谷氏、右:横畠氏

【アベ・ファシズム2.0】検察・官憲・内調(内閣情報調査室)ら手駒化なる、高圧“印象&表象”操作で官僚、新聞等メディア、野党、国民を抑圧!は戦前~戦中<特務機関式“威圧権力なる政治的情動誇示”>の再現!法曹&主要メディアの奮起が絶対に不可欠! ➾近畿財務局職員を自殺に追込んだ森友公文書改竄は財務省・佐川氏だけの責任に非ず! 事実上アベの指示だった320リテラhttps://lite-ra.com/2020/03/post-5320.html

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<注>ディープ・フェイク・・・ディープラーニング深層学習)とフェイク偽物)を組み合わせた【真実モドキ】動画らを創生(捏造)する技術で、GAN(Generative AdversariaNetwork/敵対的生成ネットワーク)が利用されている。TVドラマ(tv-asahi2020318)相棒スペシャル「第20話/ディープフェイク・エクスぺリメント(解決の鍵は“動かぬ証拠”である映像!?」のモチーフで使われていた。https://www.tv-asahi.co.jp/aibou/story/0020/

ディープ・フェイク【真実モドキ】安倍首相が超然君臨/アベ・ウソザクラが咲き誇る美しい?ニッポン!

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323共同通信 https://news.yahoo.co.jp/pickup/6354918

近財局・故・赤木氏の奥さまは、安倍氏人間性を国民の眼前に露呈させた:検事総長・稲田氏率いる広島地検はいつ、安倍事務所に立ち入るのか20200324新ベンチャー革命
http://blog.livedoor.jp/hisa_yamamot/archives/6036898.html

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https://twitter.com/freedom19752008/status/1241992869935644673
【“踏み絵”流儀のアベの御<急所>を踏み潰した?ぶら“タモリ”の慧眼!w】アベの正体は宗門改めの御都合主義的な法解釈変更「官憲=特務機関型の御用私兵化」と同じ!wタモリさん、これからもガンガンお願いします!@akasakaromanteiさん https://twitter.com/akasakaromantei/status/1241626705262809088

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https://twitter.com/akasakaromantei/status/1241626705262809088

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https://twitter.com/nogutiya/status/1242410055581855746

【検察が(アベ様のために?!)握りつぶした極秘ファイル!】「8億円値引きは問題だった」森友事件 近畿財務局「売買担当者」が赤木さん妻に告白 325文春on-line/週刊文春・326発売号 https://twitter.com/tadanoossan2/status/1242905309015752704f:id:toxandoria:20200326052046p:plain

安倍晋三=良性組織へも深刻なダメージを与えるため潰すに潰せないまで巨大化した悪政(性)腫瘍、つまり『ファシズム2.0』】内田樹 @levinassienさん/安倍政権のtoo big to fail policy は「統治機構内部で不祥事に関与した人間の数が多すぎて、全部摘発すると統治機構が機能不全に陥るので、摘発できない」ように意図的に仕込むことです。安倍政権はその「歴史的成功例」として政治学の教科書に載りそうです。https://twitter.com/levinassien/status/1240429822481821696

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そもそもGPIFの株式投資枠「24%→50%引上」は『日常』エルゴンに関わる「非情アベ」の無知と、国民の痛み無視が原因!too big to fail policyを非情・無知・作為で仕込んだアベはヒトに非ず! ➾GPIF22兆円の損失 株価暴落&運用失敗でまた年金が消えた318日刊ゲンダイhttps://twitter.com/tadanoossan2/status/1240565640718454784

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御意!まさに「ウソ吐き・ドロボー」のアベ様に悪ノリした火事場ドロボーだ!!結局、電力会社も【万事が他人(99%日常)のフンドシ(褌)の暗号資産(日常住血吸虫)と同意!】その儘であり、《ヒトの日常&一回性の生命》の意味が分からぬやんごとなき「モンペルラン協会」風の経済オンチの御仲間!いわばバカの集まり!https://twitter.com/yurikalin/status/1243468070070312962

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https://twitter.com/tadanoossan2/status/1243622588657664002

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ー批判実在論(Critical Realism)のまなざしー

梶原葉月氏社会学者、立教大学社会福祉研究所研究員、ジャーナリスト/↓★)によれば、イギリスの哲学者ロイ・バスカー(Roy Bhaskar 1944−2014)が提唱した社会科学論のベースとなる新しい認識論である「批判実在論は、中世~啓蒙期に革命的な視座を提供した事実同定型の「実証主義」、1950年代以降に米国で台頭した“社会の多様性”が前提の「(言語)解釈主義」に次ぐ、「“経験、客観現象、各現象内構造”の3領域の説明的な統合理解(認知)こそ実在の在処(正体)!と見る新しい認識論の立場」である。

梶原葉月オフィシャル・ブログ:批判的実在論https://hazuki.ddtune.com/%E6%89%B9%E5%88%A4%E7%9A%84%E5%AE%9F%E5%9C%A8%E8%AB%96/

社会科学は予測可能性で評価されるものではなく、その説明力で評価されるべきであると主張し、ロイ・バスカーは、新しい認識論である批判実在論(Critical Realism)」に基づき「説明的社会科学」(explanatory social science)を提唱している。この広角な視座からは、「人文・科学知の融和的統合(コンシリエンス/consilience)/▼」への接近を連想させるものであり、本格的AIの時代に入りつつあると喧伝される昨今であるからこそ、ヒトとAIの根本的な差異の問題はもとより、改めてヒトの正体を正しく理解し直すためにも、更に、例えば批判実在論コンシリエンスの融合のような試みから如何なる新たな認識論が可能となるかを検討すべき時代に入りつつあるのでは?ということなども考えさせられる。

▼抑制的なAI活用を視野に文化進化論・進化経済学らによる新しい知の総合、コンシリエンスの視点で21世紀の多元的『啓蒙主義ルネサンス』を目指すべき、https://toxandoria.hatenablog.com/entries/2016/11/07

エトノスとは?ー

世界大百科事典第2版(平凡社)の説明によれば、そもそものエトノス(ethnos)はギリシア語で民族を意味する。民俗学の用語としては、ロシア系の民俗学者S.M.シロコゴロフがはじめて本格的に論じ,ドイツの民俗学者ミュールマン(W.E.Mühlmann/1904‐ )などによって、この概念の重要性が明らかにされた。それは、同一の文化的伝統を共有するとともに〈われわれ何々族、何々人〉という共属意識をもつ最大の独立した単位集団を指す。

従って,「一つのエトノスは場合によっては,バンドでも,氏族でも,部族でも,あるいはカーストでもありうる。」ということになるが、ここではその後の自然科学、歴史、地球環境、民族・人類学等に関わる研究と人間社会の全般に係わる意識上の変化等を反映させつつ、更に批判実在論(Critical Realism)、新実在論(新実存主義)などの新たな視点を加味してエトノスの概念を再定義しておくことにする。

そこで、次のように定義することが可能となるだろう。すなわち、ethnosは古代ギリシア語に由来しており、村や都市に集住する「民衆」(デモス/demos)の周辺に住み、その「民衆」以外の部族集団のことを意味することから、エトノスの意味は、そこに置かれる人々の立ち位置が変われば正反対に反転し得ることになるので、そもそも絶対的で画一的な価値評価を伴う言葉ではなかったということになる。

おそらく、それは休むことなき一回生の連続である「生命」現象そのものと同じく、永遠に揺らぎつつも(対象と背景環境が絶えず交替し得るものでもあるため)アイデンティティ持続性を必死で繋ぎとめるべきものであると言えるのではなかろうか。

従って、エトノスとは『人間の生命と社会生活の維持に必須となる一定のローカル地域の自然・歴史・文化環境と深く共鳴して“人間性を未生(未来)へ繋ぐ揺り籠”(培地)となし得る開放系の共有観念、および風土または過去〜現在〜未来に渡り生存環境の微小馴化(マイクロバイオーム世界、量子物理学世界の理解など)を常に受け入れつつも、その伝統的なヒューマン・スケールの全体性の“持続”を最も重視する、非常にしなやかで幅が広い寛容の意識、およびその受け皿となるローカルの風土』を意味する。>ということになる。

(Cover Images)セザンヌの言葉-その現代的な意味-

 f:id:toxandoria:20200308110022j:plainPaul Cezanne, Still Life with Apples on a Sideboard, 1900–1906, Dallas Museum of Art5 cuadros de Paul Cézanne, con música de Debussy HD

"The real voyage of discovery consists not in seeking “new” landscapes but in having new eyes."

                 - Marcel Proust 

f:id:toxandoria:20200225084702j:plainPaul Cezanne『The Gulf of Marseilles Seen from L'Estaqu ca. 1885 The Metropolitan Museum of Art 

f:id:toxandoria:20200308115304g:plainPaul Cezanne『Mont Sainte-Victoire 1902-1904 Philadelphia Museum of Art


25 cuadros de Paul Cézanne, con música de Debussy HD

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『私(セザンヌ)があなたに翻訳してみせようとしているものは、もっと神秘的であり、存在の根そのもの、感覚の(その感覚だけではなく/補、toxandoria)感知しがたい源泉(自然・伝統・文化エトノス/補、toxandoria)と絡みあっているのです。』・・・J.ガスケ「セザンヌ」‐岩波文庫

・・・プロヴァンスが生んだ画家セザンヌ.その晩年に親しくつき合った同郷の若き詩人.ガスケは自ら目にし耳にした老画家の姿を丹念に記録していた。ゾラとの破綻した友情,ルーヴルで見せる破天荒な熱狂,アトリエで戸外で仕事に向かうセザンヌが語った芸術論・・・、傷つきやすい天才の複雑な内面を、詩的な言葉で再現した古典的伝記と対話篇.書評情報(岩波文庫・解説https://www.iwanami.co.jp/book/b246634.html)より・・・

晩年のセザンヌがポスト印象派の若い画家エミール・ベルナール(Emile Bernard/1868-1941)あてに書いた手紙(19040415)のなかの言葉、「自然を円筒形と球形と円錐形で扱い、すべてを遠近法のなかに入れなさい」キュビズムの予見で、かつ19世紀末~20世紀初頭の科学的な眼であるとされることもあるが、もしこれが只それだけの意味であるとするなら、それは誤解であるようだ。

無論、時代の空気からセザンヌが科学的な最先端の視座を持っていたのは間違いがないだろうが、それに留まるものではなく、むしろセザンヌは後の時代のミシェル・アンリ(Michel Henry/1922−2002/フランスの哲学者・現象学者)の『情感の現象学』(実質的現象学)の先取り的な「実在に関わるユニークな認識」を持っていたと見るべきかもしれない。

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この晩年のセザンヌの有名な言葉の背景にあるのは、まず「南仏エクス・アン・プロヴァンスの豊かな自然環境のなかで育まれた情感豊かな少年時代の想い出」である(画像はhttps://www.teestyle.jp/country/france/aix_en_provence/report/reportQXBAVN170502.html、および

https://www.traveldonkey.jp/france/aix-en-provence/11948/より)

そして、パリ以降の生活では、「ルーブル美術館でのデッサン(模写)の研鑽の傍らピサロなど印象派の画家たちと親交を結び、印象派展にも出品するが、やがて固有の道を探るため、その後は約40年にもおよび血がにじむような「自然と実在の本質を捉え、それをカンバス上で表現する困難な研究と仕事」に取り組むという、「セザンヌが画家として生き抜いた厳しくも美しい人生そのものの重み」である。

また、上に先立つ1905年のベルナールあての手紙では「ルーブルの先人たちの美しい描き方を学ぶだけで満足してはいけません。そこから抜け出し美しい自然を研究しつつ精神を解放させ私たちの固有の気質に従って自己を表現することに努めましょう。」と書いている。無論、セザンヌは、画家固有の気質・情感の実存だけでなく、同時に「自然の本質」に科学的な視覚で肉薄する努力を積み重ねた。それがセザンヌ絵画の「重厚なリアリティ」の秘密(情感と自然、二つの実在の融合としての実存)と言えるかもしれない。

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因みに、M.アンリ『実質的現象学』(叢書ウニベルシタス/法政大学出版会によれば、M.アンリ(Michel Henry/1922 - 2002)は、次のような原点となる視座から論考を深めて行ったと思われる。

 <自分一人が、あるいは自らを含む一定数の人々が、仮に、いま突然に此処で命絶えることがあるとしても、自らの周辺を含み此の世界に生きるその他大勢の人々は、何事もなかったかのように、今までどおりの日々を生き続けてゆくだろう。しかし、このように絶えず流れ去る世界の中で、個々人の「絶対的主観性」を保障する<現象学的実在性(真理)>とは何であるのか?>

そして、同じ現象学と呼ばれるものであっても、M.アンリは、<フッサール現象学(委細/参照↓★)における「形相(エイドス)、質料(ヒュレー)」の作用因(アリストテレスによる)=抽象的認知>と、<自ら(M.アンリ)の現象学における「絶対的主観性」に内在する作用因=実存的認知(‐意識)>を全く異なるものとして峻別した。

フッサール現象学の概要(および、その現代的意義):旧「toxandoriaの日記」https://toxandoria.hatenablog.com/entries/2017/09/01

<注>アリストテレスの言う4種の作用因・・・形相因(エイドス)、質料因(ヒュレー)、始動因(起動因/アルケー)、目的因(テロス)の4つ。

・・・

従って、M.アンリの<実質的・志向的現象学/普通の意識では見えず、かつ理解不能な個々人の内奥にある真理の中核たる意識作用(コギタチオ)の探求プロセス>におけるエイドス(形相)とヒュレー(質量)の両者に相当する概念は、フッサール現象学とは異なり、外部世界の現象学的な形相的「与件/現出」以外の実在とも共鳴し得る多様な志向性(様々なベクトルを帯びた意識)を獲得することになった。

言い換えれば、M.アンリの現象学では、作用因としてヒュレー(質量)が最も重視されていることになる。もっと分かり易く言ってしまえば、M.アンリは、個々人の絶対的主観性の意識作用(コギタチオ)の実在性として視覚と結びつき易い形相(エイドス)よりも触覚・痛覚らとの親和性を十分に想像させる質料(ヒュレー)を採用していることになる。

そして、M.アンリは絶対的主観性の実在性(その中核に内在する真理)の現象学的な「与件(現れ)」として「感情」の表出を措定する。その絶対的主観性の核心(自己性の湧出源)となる「与件」の背後、個々の絶対的主観性の中核には、その与件(現れ)を含む広大な「感情の海」(超越論的情感性/affectivite)が存在すると見るのがM・アンリの特徴である。

つまり、「視覚」以外の知覚(内感の窓口としての触覚なども含む)を重視しているという点が、「視覚」という個々の形相的な与件(現れ)と結びつき易いエイドス(形相たる意識内容(コギタートゥム/cogitatum))を重視するフッサール現象学(やや設計主義的な理性の現象学)と、片や触覚を重視するM.アンリの現象学(“感情の海”の拡がりを想定する情感性の現象学)の根本的な差異であると思われる。

なお、[神谷英二:情感性と記憶―アンリ現象学による試論(1)/福岡県立大学人間社会学部紀要2005,vol.14,No.1,21―36 http://u0u1.net/GN7E]によれば、<情感性(affectivite)とは何か?の問い>に、M.アンリ以前のヨーロッパ哲学は必ずしも十分な答えを提示してきたとは言えないようだ。また、M.アンリ「現象学」の稀有な特質と言えるのは、それが『情感の現象学』から独特の一瞬一瞬の出会い(一回性)を重視する共同体論(個の自由原理ではなく、『第3章-モンペルラン協会の理念の変質』で後述する、デューイのプラグマティズムの共有的な自由(自由の共有)意識を連想させる!)へと発展することだが、ここではその委細を省く。

 (前置2)

【ポスト全体主義2.0(ネオリベ自国第一ファシズム2.0国家)の完成を“急ぐ”米トランプ政権/但し、安倍ファッショ体制下の<“事実上”独裁国>日本と異なり、国民の総体が催眠にかかっていないアメリカ合衆国は依然として薄皮一枚の差で民主主義国家の儘である!】目先と近未来~、二つの現実で何れが<イノヴェーション源>と見えるかがカギ! ➾資本主義の王、強気のワナ/金融緩和&時間稼ぎだけで真の成長戦略が不在!(アベ日本はもっとヤバ!W)/経済だ!愚か者@B・クリントンをパクるトランプ、社債バブルがリスク!2020222日経https://twitter.com/tadanoossan2/status/1231349236551254017

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世界投資マネーがトランプ強権(ネオリベ自国第一ファシズム2.0国家の完成を願望する!)支配の米国債務異常拡大に吸収されるグローバル・バブル仕掛で多数派国民&強欲投資家らが“操作”される、世界の構図!いわばトラ熱に浮かれた「タコ脚自食」方式のグローバル強欲バブル!万一の米財政破綻世界恐慌“勃発”の恐れが高まるバカリ!20200223日経 https://twitter.com/tadanoossan2/status/1220184941062811650

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人々が日々に生きる『日常』エルゴン(蓄積不能なプレ・デュナミス生産性の潜性ワールド!近未来・未来の可能性の宝庫!/持続的な信用と生産性の培地=人々の自制心に基づく普段の生命力の海こそが 、<市場経済社債・株・AIら高度生産性の第一義的な生命線!>であるリアル!それを再確認(or覚醒)させてくれる新コロナパンデミック ➾米市場動揺、干上がるマネー CP発行難しく 資金調達に逆風 318日経 https://twitter.com/tadanoossan2/status/1240332302795722753 

<注>エルゴン(ergon/死静態)・・・W.フンボルト(19世紀、プロイセン時代ドイツの言語学者)の用語で、普段は休眠状態にある「±」または「善・悪」など、そもそも両義的な性質をもつ情念or表象のことだが、リアルに活性化するとそれら両者の何れかを表現する言語的な意識活動となる。近年の生(命)化学、量子物理学ら先端科学研究フィールドにおける生命エネルギー論では、たとえばATP(アデノシン酸三燐酸)あるいは生体中の微小管(microtubule)などヒトの意識とプレ生命エネルギーたるエルゴンの(おそらく量子論的な?)関係性が注目されつつある(Ex.@R.ペンローズ、Cf.↓★)。

★コンシリエンス的“想像力”に因るリアリズムの復権と自覚が必須!/ バシュラール「形式的想像力・物質環境的想像力」と深く共鳴するマクダウエル「リアリズム倫理学」の核心(第二の自然)https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/09/01/165255

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不況の外形だけで目が曇り新コロナパンデの警告とバブル金融危機リーマンの決定的「差異」、つまり根本的に「経済」が分からぬアベの愚策!支持率対策も兼ねるバラマキでなく『日常』エルゴン(潜在イノヴェーション=対弱者層“傾斜”救済、ベーシックインカム等)】の意義に覚醒し、これらと併せて斬新な方向性を示すべき ➾政府、全国民に現金給付へ 「リーマン対策」の1万2000円超す額で検討(その後、一律10万円の一時「金」的な一回ポッキリのバラマキ案となった?) ➾ 更に、姑息な出し惜しみ「緊急事態宣言407」へ変容? 新型コロナ対策 319 毎日 https://twitter.com/tadanoossan2/status/1240721582110040064

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1 『人間社会』故の逆説ともいえるファシズム出現の可能性は常在的に潜む

 ・・・それだけに、AI学者であるブリュースター・ケール氏の「複数のウェブ(インターネット)・システム&デジタル図書館」の構築で「ネット社会の信頼」を取り戻すという挑戦には大いに期待したい!2020222日経(続、1~)https://twitter.com/tadanoossan2/status/1230947420449599488

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自然界の一部たる人間社会もある意味で広義の「永続性の原理」(持続的な対称性バイアス、つまり同調圧力のジャンル(自然界で作用する物理・化学的な相転移・熱伝導・濃度希釈など広義の“忖度・同調”への傾斜圧力)の誘惑を可能な限り断ち切り、または遅らせつつ最大限に定常性を維持するため暗黙知によるリスク分散/その全体を保証する原理が、おそらくハーネス調教に似る自然計算のプロセス(関連/Cf.↓★))で補完されている可能性が高い。

想定上の完全AIアンドロイドはなぜ胡散臭いのか? それは「アナログ/自然計算(“暗黙知”ワールド?)」と「デジタル/AIディープラーニング(“形式知”抽出マシンワールド?)」の溝の深さによる?(仮説)、https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2019/09/02/125003

ただ厳密にはローカル自然環境や広義の伝統文化または歴史発展的な意味でのヴァリエーションがあり、その典型が現代の人間社会(民主主義)の維持を目的とするヴォルテールが提唱した合理的精神による政治権力批判の実践に刺激を受けてモンテスキューが着想した「三権分立」に「メディア(第4権力)」が加わる権力分散(四つの権力)の形である

これが剥出しの、換言すれば善・悪を超越した苛烈な生存競争に曝される生物・動物一般と異なる差異(信頼に基づく人間社会)を保証してきたといえる。しかし、そこには「人間社会」故の逆説ともいえるファシズム出現の可能性が常在的に潜んでいる

ファシズム全体主義)の最大の特徴は、『例外的なもの(あるものは無い、ないものは在る)への抽象的同一化』(委細は、当記事の冒頭の<注>を参照乞う)ということに加えて、ポピュリズム脆弱性を狙いモノカルチャー化(統一化・画一化)を仕込み「信頼に基づく人間社会」を敢えて破壊し、それを国家統制の一強支配下に置くこと(Ex.現下の日本でアベ政権が出現させた“カルト”流ポスト全体主義(又は、全体主義ファッショ2.0))だが、見方を変えると、これは自然界の大きな「永続性の原理」を破壊する、実に愚かな狂暴性の狂い咲き(インカーネーション)だともいえる

上で取り上げたAI学者、ブリュースター・ケール氏の「複数のウェブ(インターネット)・システム&デジタル図書館」の構築で「ネット社会の信頼」を取り戻すという挑戦>は、当然ながら、「新自由主義とAIの野放図な癒着」が進みつつある悪しき潮流(@ツヴェタン・トドロフ)に逆らうことであり、敢えて此のような意味での人間社会の優れた特性を取り戻すことが、その前提となっているはずだ

同じく、上で取り上げた<Deep Insight/世界投資マネーがトランプ強権支配の米国債務異常拡大に吸収されるグローバル・バブル仕掛で多数派国民&強欲投資家らが“操作”される構図>、あるいは<日本でアベ政権が出現させた“異常愛国カルト”性のポスト全体主義(又は、ポスト全体主義2.0)の出現>などは、いうまでもな新自由主義とAIと政治的情念」の野放図な癒着が暴走した挙句に産み落とされた異様な怪物リバイアタン(@ホッブス/現代の日本で言えば、アベ・サクラ怪獣リバイアタン!)とも見える

比喩的に言えば、それは形式知(一定の文脈、図表、数式らに因る抽象的な推測知で演出された物語)+悪徳感情」のマグマが凝集した“復讐の先取り”であり、それが戦争や飽くなき強欲のエネルギー源ともなっている。因みに、これは動物一般には見られない、ヒトの生体で起こる、ヒトであるからこそ出現する非常に特異で残忍かつ貪欲な意識の湧出現象である。

f:id:toxandoria:20200308162953j:plain英国のノーベル賞作家であるカズオ・イシグロは、ヒトの感情の最深部の病理(浪漫的でありつつも同時に奇怪で異常に残忍な感情の流れ)である、この<復讐の先取り/無媒介的認知的自己意識(@ダン・ザハヴィ)>をアーサー王が亡くなった頃のイングランドが舞台の作品、冒険ファンタジー忘れられた巨人』で見事に摘出している。因みに、ヒトの「形式知」を補完するのが「暗黙知」であるが、暗黙知はマイケル・ポラニー(Michael Polanyi /1891 - 1976/ハンガリーの物理化学・社会科学・科学哲学者)が提唱した概念であり、それは言葉や数式に置き換えて表せない印象、雰囲気(肯定の契機のフモール、又は虚無的なそれのイロニーなど)、感覚、直感らの経験「知」を意味する。

f:id:toxandoria:20200308163106j:plainダン・ザハヴィ(Dan Zahavi/1967‐ /デンマークの哲学者・現象学者)によれば、それ(復讐の先取りのジャンルの感情)はヒトの感情の最深部に潜むヒト故(その他の動物では見られない)の「作為的で狭隘な、あるいは過剰に貪欲な目的感情」(過剰な“個の自由原理”の湧出源の可能性もある!/補、toxandoria)であり<無意識かつ条件反射的>に現れる非常に危険な悪徳感情、いわば「無媒介的認知的自己意識」である。そして「無媒介的」であるということは、それが殆ど無意識で条件反射的な感情の一方的で超権力的な表出ないしは、そこから派生する異常な応答関係(“権力的威圧⇄忖度&盲従”関係なる倒錯的な“安寧”ワールドの出現)であることを意味する

恐るべきことだが、その典型が日本の安倍晋三首相の<忖度>強制型の政治であり、いわば「安倍首相⇄高級官僚ら」という、殆ど条件反射的で倒錯的な“安寧”ワールドの出現(異常応答関係)の形で観察される。つまり安倍政権下における高級官僚らの過剰<忖度>の言動は、(無論それは保身のためではあるものの)殆ど条件反射的な行為の表出(下から上へ向かう)となっている。だから民主主義国家の権力者たるmin.理性法則(ロゴス)を遥かに凌駕するまで、その「無意識の悪徳感情」(上から下へ向けての)が異常肥大化した安倍晋三は、そもそも首相になるべき人物でなかったのである。

今や、日本も含め全世界は「新自由主義(経済)に呑み込まれるAI‐Web技術と新自由主義の癒着)」で殆ど一色に塗り込められつつあるが、これは紛れもなく、ツヴェタン・トドロフが警告した「AI・原子力らの科学技術」が新自由主義に呑み込まれるという、両者の癒着の構図が深化する姿であるしかし、それはヒトの「永続性の原理」と「人間社会の信頼」の破壊に他ならない。

しかも、「ヒロシマナガサキという戦時下における人類史上の大悲劇」と「フクシマ311」という原発過酷事故(初動因は大地震であるとはいえ、フクシマ原発の事故が過酷化したのは紛れもなくネオリベ型の強欲資本主義に取り込まれた政治権力者らが引き起こした人災(+日本伝統の悪しき構造災))の当事国である肝心の日本政府(外務省)が、<“NPT3本柱の一つ=原子力の平和利用”を口実として被団協主催の原爆展の後援はできない!>と断っていることには驚愕させられる。

日本は、いつから「日本へ原爆を投下した戦勝国」の仲間入りをしたのだろうか?「ナガサキヒロシマそしてフクシマ311」は日本政府(安倍政権)が見事に超克(アンダーコントロールしてみせた!などという、こんなアベさま好みの屁理屈で粉飾した戯言をまともに信じる日本国民は果たしてどれほど存在するのだろうか?(関連/↓★)

★1  外務省「原爆展後援できぬ」原発事故掲出、理由に 被団協主催20200304朝日 https://www.asahi.com/articles/DA3S14388869.html

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★2 朝日新聞の<対「アベ原発」忖度>人事!?】主要メディア・科学・政治・経済が諸共でファシズム2.0(ネオリベファッショ)に吸引される典型! ➾3.11~9年!の朝日・原発記者が現場を外される異例人事/229「官邸&記者クラブ、ズブズブ・ヤラセ安倍会見」幹事も朝日!311日刊ゲンダイhttps://twitter.com/tadanoossan2/status/1238630424420552704

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それだけに、上で取り上げた人工知能(AI)学者であるブリュースター・ケール氏の「複数のウェブ(インターネット)・システム&デジタル図書館」の構築で「ネット社会の信頼」(新自由主義に取り込まれやすい(@ツヴェタン・トドロフ)、否、既に殆どそれに呑み込まれている!)を取り戻すという挑戦には大いに期待したい!(関連/↓▼) 

その原理は「イメージセンサ、マイクロ流体力学&同流路チップ、シングルセル解析etc」✖ AI‐DLの学際的な先端技術!(科学の扉)人体、1細胞ずつ解析 機能調べる国際計画、「成り立ち」の謎迫る124朝日:(所見/toxandoria)しかし、その実現でヒトが人造物(マニプランダ)化(“ヒト永続性の原理”破壊)のおそれ!「批判的実在論&人文・社会系」視座の役割がますます重要化しつつある!だから、今こそ「科学・科学技術という還元論的・絶対的人工主義がいくつかの抽象的(数学的・物理的)な指標から人間なり歴史なりを構成する(いわばそれは自在なディープ・フェイク化とも見える!)ことが容易になればそのとき、我われヒトは、自分で思い込むとおりの人造物(マニプランダ)となってしまうので、我われヒトは「経験論」的な、あるいは「生の現象学」的な(or普通の人々が住まい生活する日常生活的な)謂いでの文化の支配圏へ呼び起こされることがあり得ない(必要なくなる)ので?深い眠りへ、否、寧ろ悪夢に落ち込んでしまう筈だ。(@メルロ・ポンティ『眼と精神』-みすず書房-)という予告(警告)も真剣に受け止めるべき時であろう https://twitter.com/tadanoossan2/status/1232789730376339456

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「精神と眼 メルロ・ポンティ」の画像検索結果

 2  ツベタン・トドロフ『民主主義の内なる敵』が意味すること

 (自由原理主義のルーツと現在)

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『民主主義の内なる敵』(大谷直之・訳-みすず書房-)の著者、ツヴェタン・トドロフ(Tzvetan Todorov/1939 - 2017/ブルガリア出身/仏の思想家、哲学者、文芸批評家)によれば、キリスト教一神教)では、その神が創造するより前の世界は考えない。かつ、その神は自らに似せてヒトを創ったとされる。

故に、神とほぼ同等の(どこまで似せても許されるのか?その程度(神へ服従すべき範囲)に関わる論争が、アウグスティヌスVsペラギウス、の対立・抗争&異端問題ということになる。従って、このような西欧の世界観の下で我われ人類には<進歩と人民(個人の権利)>の未来を切り開き、直線的に未来へ向かって、少しでもより良い豊かな世界を創り続ける<自由/“原罪についての理解”と関わる>(特にプロテスタントにおいては義務?)があるということになる。

 <注>原罪と自由の理解について・・・諸説あるが、一応は「アダムとイヴが自由の原理に関わる神の示唆の無視」ということが原罪の意味である、と理解できる。なお、東方教会は原罪そのものを認めていないとされる(要参照資料/↓★)。

★ペラギウス派による原罪論批判の本質と課題──悪は「善の欠如」であるか?──山田 望/中世哲学会 http://jsmp.jpn.org/jsmp_wp/wp-content/uploads/smt/vol60/115-123_tokushu-yamada.pdf

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トドロフによれば、歴史的に見るとキリスト教の世界では神が許容する一定の範囲での自由を良しとするのが正統であり、最大限に自律的な人間としての自由を尊重すべきとするのは異端とされてきた(因みに12世紀スコットランドではヨハネス・ドウンス・スコトウス(Johannes Duns Scotus/1266-1308)による両者の中間をとる非常に中庸な自由論が生まれており、これが啓蒙思想へ流れ込んだとの説もある/補、toxandoria)

一方、近代「科学革命」の曙の時代でもあった仏革命後の18世紀末~20世紀初頭にかけての急速な科学理解の深化と科学技術の進歩とも相俟って、共産主義独裁(ソ連邦ほか)、ファシズム(戦前のナチス独、日、伊など)、新自由主義(特にポスト冷戦の世界体制)という、いわば<政治的イデオロギーどおりの理想の国家体制(いわば神の国)をリアル世界で実現しようとする「政治的メシア思想」>の呪縛が世界を縛ることになった。

繰り返すがキリスト教では神が現れるより前の世界については考えない(ポスト神の起点から時間が一直線に進む)ことが大前提であり、この点こそ「輪廻の観念を前提とする仏教世界」と「直線的に時間が推移するキリスト教世界」との決定的な違いをもたらしている。また、実に興味深いことだが本格的なAI時代に差し掛かかりつつあるともされる昨今の「ヒトの意識の発祥に関わる研究」(特に脳科学フィールド)でも、このような意味での「東西における宗教観の根本的な差異」が研究手法そのものへ大きな影響を与えていることが観察される(関連参照↓★)。

★【塚田 稔:書評】ウオーター・J・フリーマン著「脳はいかにして心を創るのか—神経回路網のカオスが生み出す志向性・意味・自由意思—」浅野孝雄・訳(埼玉医科大学名誉教授、小川赤十字病院名誉院長)・・・嗅球(olfactory bulb)は、脳底部の旧哺乳類脳の一部が鼻腔上方に突出して形成する球状の構造物である。鼻腔の嗅上皮に到達した嗅いの分子が、末梢受容細胞である嗅細胞の受容タンパクと結合して発生させたインパルスは、嗅神経を通って第一次中枢である嗅球へと達する。・・・ https://www.jstage.jst.go.jp/pub/pdfpreview/jnns/18/4_18_4_227.jpg

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それ故、西欧の世界観の下では、直線的に未来へ向かって進みつつ「飽くなき進歩と豊かさへの欲望と人民(個人)の権利の領域」を切り開き、少しでもより良い経済的に豊かな世界を創り続ける<自由>(特にプロテスタントにおいてはそれ(豊かさを実現するための天職(職業)への精進)が義務となる!/@マックス・ウェーバー)が我われ人類にはあるのだということになる。

近年、マックス・ウェーバープロテスタント倫理=天職」の問題プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神)として、ウェーバーの「論」そのものに誤謬(作為的?)があるとの説もあり、注目されている(↓◆)。その理由は「ルター訳『聖書』1534」頃の時代の独語Berufに“世俗的な天職の意味はなかったということ”などである。

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羽入辰郎マックス・ヴェーバーの犯罪/『倫理』論文における資料操作の詐術と「知的誠実性」の崩壊』ミネルヴァ書房、をめぐる「羽入-折原論争」の展開/橋本 務 https://www.econ.hokudai.ac.jp/~hasimoto/Book%20Review%20on%20Hayu%20Tatsuro.htm

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しかし、いずれにせよプロテスタントの「少しでもより良い経済的に豊かな世界を創り続ける<自由>を求める強い意思」こそが(それは、ほぼ併行して進んできた啓蒙思想、科学進歩、そして資本主義経済が発展するベースでもあった訳だが)、ツヴェタン・トドロフが言う意味での“自由原理主義”の胎盤でもあったと考えられる。

従って、米トランプ現象(新自由主義リバタリアニズムと結託してファシズム2.0国家へ米国を展相させるという野望)らの「排外ポピュリズム(自己(自国)第一主義)、マネタリズム&グローバル市場原理主義、地球環境破壊容認論」など、全人類的な危機の源は、そのことごとくが此の核心に居座る「際限がない行き過ぎ(Depassement sans fin)/飽くなき過剰(無限のオーバーフロー)の欲望と化した、自由原理主義(厳密に言えばリバタリアニズム)の拡張意思」にある!と言える

(深刻化する“新自由(自由原理)主義、ファシズム2.0、科学技術”癒着の問題

周知のとおり、主流経済学の座を占めた新自由主義の独断場と化したかに見える「1970年代以降~現在に至る約半世紀におよぶ時代」は、いまや止まることを知らぬか!とさえ見える激しい「格差」拡大のトレンドが世界を震撼させ続けてきたといえる。そして、近年になってから、その深刻な経済「格差」による社会「分断」の「犯人」として、漸く、広くリアルに理解されつつあるのが「ファシズム2.0のツール化して新自由主義ネオリベ自国第一ファシズム国家)に呑み込まれる科学(科学技術)」の問題である。

然るに、ツヴェタン・トドロフは以前からこの問題を指摘しており、上掲署『民主主義の内なる敵』のなかでも新自由主義イデオロギーに科学が呑み込まれる甚大なリスク」について警告しており、特に「フクシマ3.11」の如き悲劇を回避する決め手はヒト(特に一般国民と政治権力者)の意志(意識)しだいである、ということを強調している。なぜなら、明らかに「フクシマ3.11」は<科学技術が新自由主義イデオロギー>に呑み込まれた“見事なまでの人災の典型事例”であるからだ

それにもかかわらず、「新コロナウイルス」と「ウソ吐きまくるアベさまのサクラスキャンダル」等の喧騒が“フクシマ3.11についての国民の関心”をスッカリ掻き消してしまったかのような空気のなかで、「女川原発2号機/再稼動準備・検査合格/↓▲」のニュースが殆どノー・コメントで、恰も、誠に希少な日本の祝事(いわいごと)か、あるいは明るい出来事でもあるかの如く垂れ流された

 宮城 女川原発2号機 規制委員会の審査に合格2020年2月26日NHK https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200226/k10012301761000.html?fbclid=IwAR1_a1cBuN5KaqHFpLo8Xfr83hug398dxvxlhRiML2ftPmLA5plRnTD87s8

・・・アベ“フクシマ・アンダーコントロール宣言という悪辣な嘘”はその深刻化の典型事例・・・

★1 [主張/赤旗]女川原発「合格」住民の安全は置き去りなのか・・・2011年3月11日の東日本大震災で大きな被害を出した東北電力女川原発2号機(宮城県女川町、石巻市)について、原子力規制委員会は新規制基準に適合すると認めた審査書を正式決定しました。・・・原発をめぐっては、原発そのものの危険性にとどまらず、避難計画の実効性について、周辺の住民や自治体から不安と懸念の声が絶えません。それにもかかわらず、「合格」を出したことは重大です。安全を置き去りにした再稼働を推進することは許されません。・・・以下、省略・・・20200228赤旗https://www.jcp.or.jp/akahata/aik19/2020-02-28/2020022801_05_1.html 

★2【連想】“原発マネー式玉砕”?/ボロボロ!女川原発2号機にひび1130カ所】自民党公明党らは何故に再稼働を強行しようとするのか?カミカゼ原発のつもりか?原発マネーのためか?

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  https://twitter.com/tadanoossan2/status/1186364304842317824

★3  フクシマ2号機「爆発」危機の回避が成功の科学的根拠は未解明!安倍アンダーコントロール式「大嘘」の罪は重く恰もそれは新コロナ行政検査での発症「件数」抑制の欺瞞&傲慢に重なる! ➾終わりと始まり:フクシマ、現場の奮闘 「偶然」の生還、思い出して 池澤夏樹304朝日 https://twitter.com/tadanoossan2/status/1237109397551067137

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★4 福島第一原発3号機は核爆発だった」原発設計技術者が東電、政府を批判、・・・低濃縮ウランで核爆発が起きないというのは安全神話にすぎず、実際に爆発を起こした実験結果が米国にあります:藤原節男氏306AERA dot./週刊朝日 https://twitter.com/tadanoossan2/status/1236979883256893440

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(ツヴェタン・トドロフが指摘する新自由主義の盲点)

・・・新自由主義に潜む「二つの盲点」・・・

ツヴェタン・トドロフが著書『民主主義の内なる敵』のなかで最も強調しているのは新自由主義の盲点」ということだが、それは(1)ロック、ホッブスら革命(啓蒙)思想家から新自由主義者が受け継いだ抽象的・普遍的価値観の重要性ということ(2)同じく彼らが啓蒙思想家から受け継いだ“ヒトを物質的or合理的な利益のみで動かされるエゴイストとしての存在”と見ること、の二つに絞られる。

まず、トドロフ(1)について「新自由主義者は自由原理の普遍的な牽引力を公準としている」ことが彼らの最もベーシックな盲点だ」と主張するが、そこで、トドロフは、この新自由主義の第一の盲点を照射し、それを理解しやすく説明するため、フランス革命の自由に関わり十分に注意すべき側面があること」について1790年にエドマンド・バーク(参照/↓▲)が書いた内容を引用する。全文転載では長くなり過ぎるので、以下にその『要点』を抽出して転載する。

エドマンド・バークEdmund Burke/1729-1797):アイルラン生まれの英国の政治 思想家・哲学者。『保守思想の父』とされる人物。

 『ある事象に関わる一切の諸関係を切断して、形而上学的抽象による裸で孤立状態にある事象それ自体しか見ないのであれば、私は責任を持って人間の自由に関わる行動や問題に関係することについて称賛すべきか、非難すべきかを、まったく区別することができない。また、例えば権力を使用する自由であっても、それは如何に使用されるかで判断されるべきであって、抽象的に判断されるべきではない。何も私の行動を制限しなければ、私は絶えず増大する権力を獲得することになる。この権力は私が望もうが望むまいが、周囲の他の個人を犠牲にして行使される。特に、それが政治的なものである場合は、彼らはそうすることで、穏健であろうとしていた政府のためにモンテスキューが表明した黄金律を忘れるのである。すなわち、無際限の権力は正統ではありえないだろう。』

<注>このモンテスキューが表明した黄金律のなかで位置付けられる「自由」は、「第3

章-モンペルラン協会の理念の変質」で触れるデューイの“共有的な自由”」(完全な“個の自由”をベストとするリバタリアニズムと異なる、米国における、もう一つの自由主義の伝統、つまり自由の共有(共有が可能な自由)ということ)にソックリ重なると思われる。つまり、「啓蒙思想」自身が硬直的な抽象的普遍に囚われているという理解は誤りである。

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ともかくも、このトドロフの(1)「新自由主義の盲点」は、見方を変えれば、それが次節で書くアンドリュー・セイヤーの「概念飽和(Concept Saturation)」(セイヤーが説く批判実在論の重要な視点の一つ)の問題に重なること」は間違いがない。 セイヤーは、の最も重要な著書とされる『社会科学の方法-実在論的アプローチ-』(ナカニシヤ出版)のなかで、度々、この「概念飽和」に触れており、例えばミルトン・フリードマンの自由原理主義は、「非常に高度抽象化した概念飽和」が<一切の伸縮性を失い固着化したもの>だとセイヤーは主張する。つまり、この点こそがトドロフの(1)「新自由主義の盲点」と同じ理解ではないか、と考えられる訳だ。

ところで「概念飽和」がセイヤーら批判実在論この用語の創始者は(前置1)で触れたとおり現代イギリスの哲学者ロイ・バスカーである)の用語であるとしても「概念飽和」的な考え方は普通に我われが、殆ど無意識に理解していることだ。例えば、物や色などを表す言葉の意味(概念)、または抽象的な言葉の定義(概念)などが、ある程度は一定の範囲に止まることがなければ、我われの日常的なコミュニケーションが取れなくなるはずだ。

従って、そのような意味で一定の範囲で言葉に伴う概念の範囲が留まることは、それ自体が概念飽和であり、そのような意味での概念飽和は、人間社会においては至極あたりまえのことである。そして、この意味での概念飽和がなければ、つまり、もし一定の範囲の意味が共有できない(その意味での概念飽和がない)とすれば、日常会話でのコミュニケーションは無論のこと、特に法律や科学技術など専門分野の用語では致命的な問題に繋がることになるだろう

一方、ものごとを寛容に理解したり、永続的に信用を繋ぎ留めたり、多様性を大切にしたり、あるいはイノヴェーション・新発見・芸術的創造性や豊かな想像力の発揮などのためには、その意味での概念飽和(これは概念規定と言うべきだが)に余りにも過剰に固着すると、それらに関する新しい可能性や能力発揮の機会を逃したり、又はヒトにとり最も重要な人間性を破壊したり人道上の犯罪を犯したりする如き悪行さえ、人間社会で当然視されることにもなりかねない

つまり、「ウソ吐き・ドロボー・記録改竄etc」の非人間的な悪行の常習犯お仲間こと「安倍サクラ政権/ファシズム2.0」が一強支配する今の日本で、目下、万事につき日々に起こり続けている社会的な大混乱の原因の殆どが、実は、安倍首相による「このような意味での概念飽和の使用ルールの作為的な破壊」であることが理解できる。従って、安倍晋三氏を崇め奉る諸権力グループのお仲間らは、とても普通の意味での人間とは言い難い存在である。w

従って、ここで重要なのが、その個々の「概念飽和」をコミュニケーションの媒介材料として日常的に利用する必要がある人間社会そのもの(従って、数理的なそれは別として抽象概念そのものさえも)が、それ自体としては絶対に独立的に超然と存在(君臨)することはできず、必ず我われは「エトノス自然・文化環境」と数多の「ヒトの生命の一回性」との結びつきの共鳴と干渉の場のなかで生かされ、生きている存在なのだという、そのような意味で謙虚な<現実(リアリズム/実存)>についての理解があるか否か、ということになる

言い換えればこの「エトノス自然・文化環境」と「我われ人間社会で生きる一人ひとり」が、生(個々の限られた生命)の「一回性」を介し繋がり続けることが「ヒトの生きることの意味」だという“十分に文脈的で説明的”な相互の理解がありさえすれば(特に、政治・経済・社会的な問題については法の支配の下において)、もっと言えば「ヒトとしての傲慢な心性を遍く捨て去り、この謙虚な態度を絶対的な前提条件」とすれば、たとえこれが専門用語の概念規定の謂いでの「概念飽和」であるとしても、又はたとえそれが啓蒙思想の普遍(高度に抽象的な)であったとしても、その意味を周囲や社会一般の人々との間で、等しく十分に文脈的で説明的な意味でのコミュニケーションをとりつつ微調整で変容させることは可能であり、むしろそのような意味(概念フレームを深化させる)であれば、これらの意味は積極的に深化・変容させるべきだとも考えられる(因みに、この点はアベさま流の自分勝手で独善的で好き勝手なムリクリ解釈の世界とは雲泥の違いがある!)それは、我われ人類が決して「エトノス自然・文化環境」および「数多の人々との一回性の繋がりの持続性」から超然となり得る森羅万象の万能の神などではないからだ。もし、それができるなら、そのヒトは例えばアベ様の如き「癌細胞かカルト狂人のジャンル」となる!w

なお、二つ目の「(2)同じく彼らが啓蒙思想家から受け継いだ、“ヒトを物質的or合理的な利益のみで動かされるエゴイストとしての存在”と見ること」は、いわゆる「新古典派(主流経済学)の合理的経済人 」と繋がる問題だが、後で第5章で書くことになるのでここでは省略する。

いささか異なる視点から見ると、このセイヤーの主張が意味するのは、「新自由主義マネタリズムを代表する学者であるミルトン・フリードマン市場原理主義は<純粋に抽象的で固着的な世界に嵌った概念飽和の典型>だということであるセイヤーの著書『社会科学の方法-実在論的アプローチ-』によればフリードマン「直感の人」とされることが多いようだが(https://jww.iss.u-tokyo.ac.jp/jss/pdf/jss6402_167170.pdf)、実は数学的才能に恵まれた(ハイエクと異なり/苦w)ミルトン・フリードマンの「市場原理主義」論は、市場経済が物質における重力の法則と類似の法則に支配されていることを前提としている

また、セイヤーによれば、フリードマン特徴的な「抽象概念基底的な意味」で“抽象”概念飽和を示す典型的な表現はミルトン・フリードマン自身が好んで使った「整序枠組み」(ファイリング・システム)という用語である。いわば、ファイリング・システムの如く「分類・論理・体系」的に整然と配列され続ける経済理論体系のイメージである。だから、ここでは「リアル経済に関わる客観・実在・因果的合理性」と「抽象概念的な主観・論理的合理性」の混同が見られるということになる。そして、この種の偏狭な市場経済の理解について距離を置くのがシュンペーターであるが、これについての委細は第4章へ送る

因みに、フリードマンの「整序枠組み」については、この説に対峙するかのような異説もあることを申し添えておく。例えば、下記★がある。ただ、この点については「フリードマンの完全自由原理主義リバタリアニズム)」(委細、第3章で詳述)との絡みで、果たしてフリードマンプラグマティズム(特にデューイの)を何処まで正確に理解していたのか?という意味で疑問符がつく。

ミルトン・フリードマン道具主義としての“市場原理”主義・・・市場原理の祖と見なされるミルトン.フリードマンではあるが、「重要論文F35」の読み直しから、実は<フリードマンが「諸経済理論F・システム大系を哲学的視点(?/補、toxandoria: ∵フリードマンの道徳哲学は名ばかりであった!@宇沢弘文でネットワーク化し、真の経済理論が完成する迄のさし当りの道具としての市場原理である/道具主義プラグマティズム)の市場原理」>と考えていた節があると、理解できる。https://www.chuo-u.ac.jp/uploads/2018/11/2988_31122discussno167.pdf?1552953600201

ともかくも、特に“一回性”と“永続性原理”の橋渡しと見るべき生命・生態論およびリアルな人間社会の日常性と深く関わる人文・社会科学フィールドでは、自然科学(数学・物性物理学あるいは量子物理学ら)の如き意味で究極の統一理論の完成を期待することそれ自体が誤りではないかと考えられる。なお、このような論点については、後で触れることになるが新進気鋭の哲学者マルクス・ガブリエルも「新実存主義の立場で主張している。

だから、最も広範な視座(逆説に聞こえるかもしれないが)を提供する哲学・倫理こそが最も重要であり、その哲学を頼りに「整序枠組み」(ミルトン・フリードマンが好んだ用語)へのプロセスを、絶えず広角の視座から大系づけし直すことが重要ではないか?無論、これは特に人文・社会系では必須であるが、自然科学も生態系で生きるヒトを含む生命・生態論を土台とする視座(いわば、その意味での科学哲学の視座)が、つまり多様性と開放系へのエントランスの確保こそが生命のベースであるという立場からヒトを認知理論的に理解するためにも、究極的にはそのような視座が必須であろう。

「経済的理性の狂気」の画像検索結果

さもなければ、「科学の過剰サービス化(@カール・マルクスデヴィッド・ハーヴェイの解釈:『経済的理性の狂気』-作品社-)≒新自由主義に呑み込まれた科学・科学技術」の如き、“自らの拠って立つべき大地を喰らいつくす”と言う意味で、我われを生み落としてくれた生命・生態系にとって有害な科学利用の方向へ暴走する恐れがある、ということになるだろう。

<補足>生命体であるヒトの思考(意識)における概念飽和は科学(化学・物理ら)の「飽和」とは意味が異なる。それは、ヒトの概念飽和には殆ど無限の自在性(伸縮自在性)があるが、科学のそれには無制限な伸縮自在性が基本的にはあり得ないから。また、おそらく「概念飽和」の観念は「マッハ感覚論的素材性(論)」(マッハ現象学/Cf.↓)の考え方と何らかの関わり合があると考えられる(当ブログ記事に関わる限りという意味でだが、それは未だ文献類での確認ができていない!)。

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Claude Monet−Young Girls in a Boat. 1887. Oil on canvas. National Museum of Western Art, Tokyo, Japan./Olga's Gallery

 再び、マッハ現象学とマッハ感覚論的素材論(性)についての考察が必須・・・「同じと思われる光景」でも我われは異なる現出(実在・真理と信ずる射影、イメージ表象)を見ている/が、一方でその最大公約の表象(最大の共通項となる)が客観性(間主観性が保証する)である、https://toxandoria.hatenablog.com/entry/20180701/p1

 (飽くなき過剰の欲望への批判力たるコンシリエンスと批判実在論の登場)

 「批判実在論」(Critical Realism/文脈的な説明を重視する社会科学/関連参照➾(前置)の視点で見ると、下記は「過酷事故・放射性廃棄物」リスクの原発と同じく「自然計算or自然循環/特に“複雑生命系”の永続性原理」を無視し、むしろそれを破壊しようとする安倍内閣の「ポスト全体主義2.0ネオリベ自国第一ファシズム国家)」とそっくりに見えるのだが、どうだろうか?(苦w)

(科学の扉)種の壁越え、望みの作物 受粉・受精・発芽できれば食糧問題に光?113朝日https://twitter.com/tadanoossan2/status/1216624648034455553

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ツヴェタン・トドロフによれば、コンディヤック(E. B. de Condillac/1714 - 1780/英経験論の父ジョン・.ロック(John Locke/1632- 1704)から決定的な影響を受けた仏の哲学者・聖職者)は、16世紀以降の「科学革命」の時代の空気のなかで、先ず<感覚論>を研究しており、やがて<経験論哲学>の研究を経て抽象的な分析思考を記号化し、それらを論理大系化する道を開いた。

更にこれがラヴォアジェ(フロギストン説(↓▲)を論破したため近代化学の父とされる)の化学記号の整理と大系的命名法の考案(化学革命)に繋がった。他方、化学(元素)記号そのものの考案者はスウェーデンの化学者イェンス・ベルセリウス(J. J.Berzelius/1779 -1848)である。

▲フロギストン説はなぜ支持されたのか/永井俊哉ドットコム、https://www.nagaitoshiya.com/ja/2011/phlogiston-theory/

・・・ 

すでに(前置)で触れてきたことだが、感覚と感情は切り離し難く深い関係にあると思われるが「感覚=感情」ではなく、いわば「感覚=感情のエントランス」と言うべきであろう。同じく、(前置)で既に述べたとおり、M.アンリは絶対的主観性の実在性(その中核に内在する真理)の現象学的な「与件(現れ)」として「感情」の表出を措定する。

そして、その絶対的主観性の核心(中核的な自己性の湧出源)となる「与件(現れ)」の更なる背後、つまり個々の絶対的主観性の深奥には、その与件(現れ)を含む広大な「感情の海」(超越論的情感性の拡がり/affectivite)が存在すると見るのがM・アンリの特徴であった。

ともかくも、このようにコンディヤックの「感覚論(もっぱら暗黙知)の研究」(先ず<感覚論>を研究し、やがて<経験論哲学>の研究を経て抽象的な分析思考を記号化し、それらを論理大系化する道を開いた歴史)が、それは間接的であったとはいえ、遂には、それがラヴォアジェ(Antoine-Laurent de Lavoisier/1743 - 1794)らがフロギストン説を超克して「化学革命」をもたらすことに繋がったという歴史から[次のようなこと]が理解できる。

*[17 世紀「科学革命~化学革命」~現代「民主主義」社会のフローの柱と見るべき事象のポイント]

ニュートン力学の受容(17世紀・科学革命)・・・もっぱら数学・数理物理論らの形式知による

●18世紀「コンディヤックの化学革命」・・・「形式知暗黙知」による

●18世紀「科学革命の完成期」・・・もっぱら形式知による

●18~19世紀「啓蒙思想の完成」・・・もっぱら形式知(事実検証的な理性)による

●20世紀~「現代民主主義の成熟?」・・・コンシリエンス(consilience/人文・科学知の融和的統合)が必須の時代!?(←関連で(前置)参照!)

・・・

この流れから分かるのは、いよいよ21世紀こそ、AI・原子核物理学(核 分裂反応・核融合反応、他等の先端科学それ自体のためではなく、またヒトの飽くなき過剰(無限のオーバーフロー、または科学の過剰サービス化への願望)である欲望のためではなく、この地球という自然環境のなかでヒトが等しく幸せに生きられるよう、それら先端科学技術らを役立たせるための広角の展望を与え続けることが可能な<既存アカデミズムの領域を超えたコンシリエンス、批判実在論>などの視座が確実に必須になると考えられることだ。 

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因みに、批判実在論(Critical Realism/文脈的な説明を重視する社会科学の視点で書かれた『社会科学の方法-実在論的アプローチ-』(ナカニシヤ出版)の著者アンドリュー・セイヤーは、同書のなかで<100%形式知の立場を採る自然科学といえども自らの「仮説」に因る論理大系のフロー(説明的な文脈)には必ず比喩的(暗黙知的)な言語表現が施されるか、あるいはそれを内包している(その仮説の展開者自身がそれを自覚しているか否かはともかく)。但し、純粋な形式知である数式そのものはその内包から除く。>と主張しているが、それは上の<既存アカデミズムの領域を超えたコンシリエンス、批判実在論>などの視座が確実に必須になる>ことを裏付けている、といえるだろう。

なお、アンドリュー・セイヤーの委細は、下記情報()を参照乞う。

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 アンドリュー・セイヤーと同書の内容について―ナカニシヤ出版の案内より転載― http://www.nakanishiya.co.jp/book/b481631.html

アンドリュー・セイヤーAndrew Sayer/1949‐ イギリス、ランカスター大学社会学部教授。専門は社会理論および政治経済学。社会科学に関する哲学的諸問題に一貫して関心を寄せて研究をしてきたが、その研究は社会の実質的な諸問題、特に政治経済と不平等の問題の研究と常に結合している。

内容説明研究対象と研究目的から、最適の研究社会研究にどのようにアプローチすべきか、を批判的実在論の視点から考察。研究対象と研究目的から、最適の研究方法を割り出すための方法論。欧米で30年にわたり版を重ね続ける名著、待望の初訳。

(批判実在論とコンシリエンスの先に見える身体化された心(エナクティヴィズム)の問題)

生存の限界に直面した生命が新たな適応力を展開し得る条件は何か?に関わる現象学的な方法論を探るごく新しい概念が「身体化された心(エナクティヴィズムenactivism)」の問題である。特に、ダン・ザハヴィが「現象学の自然化」(アバウトに言えば、コンシリエンス(“人文科学”と“科学知、特に神経生理学”の融合/実在論と観念論の中間の道)、いわば「批判実在論」に近いとも見える新しい概念の研究enactivismに取り組んでおり、そこから開始する新たな認知理論の展開が期待されている(関連著書↓★1)。

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★1 ダン・ザハヴィ『フッサールの遺産』―現象学形而上学、超越論哲学―(叢書・ウニベルシタス)

・・・そもそも「身体化された心」は、オートポイエーシス論の創始者であるマトゥラーナとヴァレラの研究に由来する概念であり、この概念を確立したのは上のザハヴィの著書★1とされている。しかし,更に遡れば「エナクティヴィズム」(enactivism)の用語を初めて使ったのはエヴァン・トンプソンであると思われる(↓★2)。

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★2 ヴァレラ、トンプソン、ロッシュ著:田中靖夫訳『身体化された心(The Embodied Mind)1991』(2001、工作舎)・・・Evan Thompson (born 1962) is Professor of Philosophy at the University of British Columbia in Vancouver and an Associate Member of the Department of Asian Studies and the Department of Psychology (Cognitive Science Group). He is a Fellow of the Royal Society of Canada.https://evanthompson.me/

特に、この「身体化された心」は科学的現象学(カント由来の超越論的哲学の立場=カント哲学の如く全ての批判哲学の上に立つ先見的、の謂いの最先端フィールド)、ダイナミカルシステム理論(ゲシュタルト心理学の分野)、第四段階に到達したとされる先端AI研究(自らを世界内存在であると意識できる、いわゆるハイデガー的な人工知能)などの分野で注目されている。

因みに、繰り返しになるがHKBモデル(身体-環境システム・モデル、https://en.wikipedia.org/wiki/Haken-Kelso-Bunz_model )を使った「神経科学における意識研究」(神経現象学)の最先端では、「意識の特性は志向性」にあることがS.ギャラガー(米・精神病理哲学者)とザハヴィが名付けた「現象学の前倒し」(front-loading phenomenology)という研究手法で科学的にも裏付けられつつあり、当然、これはヒトのコトバの誕生・発生等の問題とも関連することが考えられる。

なお、神経現象学(Neurophenomenology)はF.J.ヴァレラ(チリ出身の認知科学者/オートポイエーシス理論で知られる)によって提唱されたアプローチで、一般に①体験の現象学的な分析、②力学系理論(ポテンシャル関数、統一場理論など)、③生物学的システムに関する実験、の三者の統合に特徴がある(Gallagher and Zahavi 2008; Thompson2007)(以上、当節『エナクティヴィズム、関連』の出典=当事者研究を神経現象学に接合する:石原孝二・東京大学・大学院総合文化研究科、http://phsc.jp/dat/rsm/2013_a1-3.pdf )

ハイエクミルトン・フリードマン、そしてモンペㇽラン協会に始まる新自由主義の奔流

ハイエクミルトン・フリードマン

・・・ハイエク、および宇沢弘文ミルトン・フリードマンの天敵?)が紹介する「米国における“共有的な自由(自由の共有)”の伝統」について・・・

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シカゴ学派自由主義経済(自由原理主義)とマネタリズムを日本へ紹介しハイエク全集とミルトン・フリードマン『選択の自由 』の日本語訳を手掛けて自由主義哲学と新自由主義思想)の普及に大きく貢献した人物は、西山千明1924-2017理論経済学者、立教大学名誉教授)であるが、同じ自由原理主義と言っても、ハイエクミルトン・フリードマンのそれでは、拠って立つ原点における考え方は大きく異なっている。

ハイエクデビッド・ヒューム (David Hume)の経験論の基盤たる感覚哲学(観念連合(観念連想))を頂点とする 道徳哲学の流れ(スコットランド啓蒙主義)、あるいはクヌート・ヴィクセル(Johan Gustaf Knut Wicksell/1851-1926スウェーデン経済学派)らの影響を受けており、特に初めのころは経済に止まらない幅の広い「非設計主義」的な視野が感じられる。

「宇沢弘文」の画像検索結果

つまり、それだけハイエクでは各所において大いに矛盾点が目立っており、例えば同じヒューム思想とクヌート・ヴィクセルの大きな影響の流れから、新自由主義とは真逆の立場(“エトノス自然・文化環境論”的な)と見るべき宇沢弘文1928-2014/東大名誉教授/数理経済学、意思決定理論)の『社会的共通資本』という非常に人間的な経済思想が生まれている!/関連参照↓★)因みに、シカゴ大学時代の宇沢弘文ミルトン・フリードマンと同僚の立場であった(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/60245?page=2)。

宇沢弘文「社会的共通資本」から学ぶ、自由原理主義(金融市場原理主義/サプライサイド論)の根本的誤謬の在り処、https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/03/05/153938

・・・

もうひとつハイエクの矛盾点?というか興味深いところを拾っておくと、自らが主張する自律的な自由思想の拠りどころとしてハイエクも、ツヴェタン・トドロフが“ヒトのための大きな合理主義”を重視する視点から新自由主義への批判の拠りどころとして触れた、エドマンド・バークを取り上げていることだ(関連で、第1章‐(ツヴェタン・トドロフが指摘する新自由主義の盲点)を参照乞う)。

無論、表面的に見れば、バークが正統的な保守思想家の祖であると見なされていることから保守思想家であるハイエクがバークを引用するのは何ら不思議ではないようにも思える。しかし、ことはそう単純ではない。むしろ、それだけ「ハイエクが主張する新自由主義の自由原理(過激な完全自由原理に傾斜するリバタリアニズム)」には大きな矛盾(キリスト教の解釈で異端とされたペラギウス派に潜む陥穽/関連で(前置)も参照乞う)が内在することの現れだと理解すべきであろう

因みに、ハイエクFriedrich August von Hayek/1899-1992)は、「第一次世界大戦が終わるころから世界経済恐慌(1929‐1932)、独ナチスの欧州支配、ソ連スターリン独裁、第二次世界大戦、東西冷戦期、ソヴィエト連邦が解体(1991.12.25)しロシア連邦とCIS諸国が出現するとき(ベルリンの壁の崩壊を目撃する直前のとき)」まで、94年間の激動の時代を生きたオーストリアンの経済学者哲学者である

ナチスの脅威がオーストリアへ及ぶ前にハイエクはイギリスの LSE(London School of Economics and Political Science)で教授職に就き、第二次世界大戦後はシカゴ大学(社会科学・道徳哲学研究所の教授)へ移り、 リバタリアニズム(libertarianism/新自由主義と一部は重なるが、それより更に個人の自律的な自由を完全に徹底させる非常に厳しい立場/(前置)で触れたペラギウス派(@ツヴェタン・トドロフ)に近い?)に立脚する学者らが集結した組織「モンペルラン・ソサイエティー」を組織(1947)し、その初代会長を務めた晩年には欧州へ戻り、例えば ロンドンのIEA (Institute of Economic Affairs) の設立に関与する(IEAはラスキを徹底的に批判するサッチャー革命の理論的拠点となる)などで活躍した

<注>The IEA is the UK’s original free-market think-tank, founded in 1955. Our mission is to improve understanding of the fundamental institutions of a free society by analysing and expounding the role of markets in solving economic and social problems.https://iea.org.uk/about-us

<注>ハロルド・ジョセフ・ラスキ(Harold Joseph Laski/1893-1950

・・・多元的国家論を唱えた英国の政治学者で労働党の幹部。フェビアン協会を通じ労働党に入党した。マルクス主義に傾倒したが、戦時中の英国では極めて評価が高く、戦後はロンドン・スクール・オブ・エコノミクス政治科学部長を務めた。

 ・・・ハイエクのカタラクシー(Catalaxy)・・・

市場には「自生的秩序」(spontaneous order)があると見て、ハイエクはそれをカタラクシー(Catalaxy)と名付けた(ハイエクの造語)。が、この「市場で何かが自生する」という見方はミーゼス(Ludwig H. E. von Mises/1881-1973オーストリア=ハンガリー帝国出身の経済学者で現代の自由主義思想に大きな影響を及ぼした人物、ハイエクはその弟子の一人の頃からオーストリアンの核心に明確な姿を現した伝統的な考え方であった。

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根井雅弘『資本主義はいかに衰退するのか/ミーゼス、ハイエク、そしてシュンペーター』(NHK出版)などによれば、世界が大恐慌に見舞われ、ルーズベルトが1930年代にニューディール政策を導入した頃に、ハイエクは名高い<ハイエクVsケインズ『経済論争』>から身を引いたとされ(ケインズに敗れたと感じたらしい?)、それ以降のハイエクは専ら社会・経済哲学の分野の著作を手掛けるようになった

言い換えれば、ハイエクVsケインズ『経済論争』>とは<ハイエク(a小さな機能(合理)主義/おそらくハイエク自身は大きな合理主義を意識していたつもりらしい?)Vsケインズ(b大きな機能(合理)主義/実は非常に数学の才能に秀でており、かつそれに留まらず謂わば現代の“ロジャー・ペンローズ的な意味で計算不可能なリスク(大きな合理主義=自然・生命論理を支える永続性の原理、量子物理学の視座も取り込んだ自然計算ワールドについての理解に匹敵する視座)”に強かったケインズ計算不可能なリスク、つまり大きな合理主義の支配力(リアリズム倫理論的な意味での広大な視座)も十分に意識していたと思われる?)の『経済論争』>と、見立てることができるようだ。

「大きな機能(合理)主義」とは、ムッソリーニファシズムに回収されたイタリアの建築家ジュゼッペ・テラーニのモダニズム建築の特徴となっている「小さな機能(合理)主義」と対比的な概念と見るべき(@田中 順『政治の美学‐権力と表象‐』https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/11/30/184331)、フィンランドのアルヴァ・アールトが創造した言葉である。

それは「小さく、ひ弱な人間のための建築(一回性の命を日々に紡ぐリアルな生命の論理を求める人間のための建築)」、つまり<「アールト建築の特徴である大きな機能主義/人間性を包摂する、人間のための機能主義=エルゴンワールド(ergon/蓄積不能なプレ・デュナミス生産性(潜在イノヴェーション)の潜性ワールド/持続的な信用と生産性の培地=人々の自制心に基づく普段(日常生活)の生命力の海」のことである。

因みに、「不確実性」の意味を、「a 予測可能性/計算可能なリスク(小さな合理主義)」と「b予測不可能性/計算不可能なリスク(大きな(推定)合理主義/自然・生命論理のベース=永続性の原理、自然計算エルゴンワールド」の二つ(厳密に言えば、aは先見的(数学計算的)確率と統計的確率になる)に切り分けて定義した(“ナイトの不確実性”と呼ばれる)のはフランク・ナイトであるFrank H. Knight/1885-1972/シカゴ学の第一世代(道徳哲学がベース)の経済学者/ミルトン・フリードマン宇沢弘文の共通の師にあたる)

ところで、そのころのハイエクは「19世紀末~20世紀前半の社会主義経済論争/関連↓★」のひとまずの決着が、「取引市場における価格はワルラス系の連立方程式の解でしかあり得ないので、資本主義・社会主義の何れにせよ同じ解(価格)になる」というポーランドの経済学者オスカル・ランゲ(Oskar Lange1904-1965)の的確な証明(ランゲ・モデル/参照↓)が示されたことから、この新しい議論に応じて自分の立場をさらに磨き上げる(政治哲学的に社会主義を否定する?)決心をした。 

 社会主義経済計算論争とランゲ・モデル、https://www.weblio.jp/wkpja/content/%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B2_%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%A6%81

 2  社会主義計算論争とは? https://cruel.org/econthought/essays/paretian/socialcalc.html

・・・  

<補足>ワルラスを自由原理の祖の一人と考えるのは誤り

・・・ワルラス(Marie E. L. Walras /1834-1910/フランス生まれのスイスの経済学者/シュンペーターが高く評価した人物。経済分析に数学的手法を活かし一般均衡理論を最初に定式化した)は、個々人の力では及ばない大きな動きという意味での自然現象として経済を観察分析しようというスタイルで、その意味で経済学を自然科学と見立てていた。

・・・そのうえで人間的要素の介在のどの部分までをそこに含めるのか、どこから先を道徳科学など別の科学に委ねるのか、その線引きという微妙な問題に取り組んだ。従って、ワルラス理論経済学の最大の目的は自由競争が適用されるべき範囲を画定することであった。

・・・だから、ワルラスを自由原理の祖の一人と考えるのは誤りである。そもそも、ワルラスは“限定合理主義”的で社会主義的な発想の持ち主であったとも言える。(参照文献↓★)

★「ワルラスの経済学観と科学への視点」−英国モラルサイエンスとセイの間で−/鈴木則稔・筑波学院大学教授、https://www.tsukuba-g.ac.jp/library/kiyou/2013/04-suzuki.pdf

・・・

 そして、ハイエクは従来は与件(当然の前提条件)とされてきた資本財・消費財・労働などをめぐる知識(現代的に言えば“情報”によるオートポエーシスに似た自生的な秩序創生論の視点の重要性)に気づき、ハイエクの人生後半の研究はそれに費やされることとなり(一連の重要な論文が1937、 1940、 1945、 1948、 1968)、その成果が『市場・知識・自由』(1986ミネルヴァ書房 /原著1973)で纏められた。ただ、その「自生論的」な視点は『隷属への道』(西山千明訳 1992、春秋社/原著1944)のなかで既に見られるようだ(@根井雅弘『資本主義はいかに衰退するのか』)

・・・

 一方、ハイエクのそもそもの自由論は国家権力(特に、その独裁化は必然と見るべき行政権力機構)からの自由を意味する古典的な自由論であり、その意味では革命期「欧州」の自由論の一つのタイプ、「叡智あるべき?貴族エリート層が上から与える自由」であったハイエク自身はオーストリア=ハンガリー帝国の首都ウイーンの学者の家庭の生まれだが父方はボヘミア 貴族の家系)。また、革命期「欧州」の自由論にはもう一つのタイプの民衆の自然権への覚醒に因る「下から要求する自由」があり、フランス革命(大革命期以降~第三共和制までのプロセス)とは、この二つのタイプの自由論の葛藤の歴史であったと見なすこともできる

その意味での古典的な自由論からスタートしたハイエクの自由論は、モンペㇽラン協会の設立(委細後述)などの影響もあって、しだいにその内容が変化しており、自律的な節度ある古典的な自由をうたいつつも遂には過激な自由市場原理主義(完全自由原理主義)へ過剰に傾斜するリバタリアニズムへ到達し、やがてそれ故にこそハイエクは自由原理主義の元祖視されることとなる

ついでながら、ハイエクVsケインズ『経済論争』>の背景に<市民型自由主義ハイエク)Vsハーベイロード金融エリート新興貴族趣味(ケインズ/↓▼)>の伏線を見る向きが多いようだが、「ハイエク自身が貴族系の出自であること(後で触れる)、またハイエクの自由が古典的自由主義から完全自由原理(リバタリアニズム)へ深化し、遂には啓蒙思想由来の自由原理(市民型の下から自由)の真逆に位置する新自由主義(格差を当然視する新しいタイプの“ごく少数派”のための完全設計主義)へ到達しているという現実があること」などから、それは無理なようである。

ハーヴェイロードの前提(Harvey Road presumption)・・・「政府は民間経済主体に比べ経済政策の立案能力・実行能力に優れている」という仮説。増税と政府の裁量権拡大を正当化するケインズ経済学を批判する意味で使われる。経済学者ロイ・ハロッドRoy F. Harrod/1900-1978/ケインズの弟子でポスト・ケインジアンの一人が、『ケインズ伝』で、ケインズが生まれ育ったケンブリッジのハーヴェイ・ロード6番地(ロンドンの上流知識人が多く住む街)にちなんで、ケインズの政治思想につけた言葉。いわば、裁量的な財政・金融政策は、民間の一般人より賢明で合理的な判断ができるエリートが行うことが前提条件だということ。

・・・

しかし、非常に残念なことだが(見方しだいでは、この重要な問題を末永く考え続けさせてくれるハイエク!?という意味では有意義なことともいえるが・・・)上で見たとおりハイエクの自由論には大きな欠陥がある。くり返しになるが、それは、ハイエクの古典的自由論の内容が時間の経過と共に変化しており、自律的な節度ある古典的な自由をうたいつつも、遂には過激な自由市場原理主義へ過剰に傾斜する完全自由主義リバタリアニズムまで到達してしまったということだ

そのため、ファシズム国家や社会主義の過剰「設計主義」を厳しく批判しながらも、肝心のハイエク自身の思想が「完全自由市場原理主義リバタリアニズム)という抽象的・普遍的な牽引力を公準とする」(@ツヴェタン・トドロフ)という<新自由主義の盲点の一つ>に嵌っていること(過剰な設計主義を厳しく批判するハイエク自身がリバタリアニズムという完全設計主義の帝王となってしまうという、一種の自己撞着的な矛盾に嵌っているということ)になる、と思われる。

また、残念なのはそれらがすべて「市場」のなかに押し込められてしまっている、いわば「市場原理主義」であるということだ。しかも、そのハイエクの「市場原理主義」の眼差しには、後述する『日常』に潜むエルゴン(潜性イノヴェーション)の問題は入っていないようだ。

無論、更に厳密に言えば、根井雅弘が指摘するとおり自生的秩序の考え方は既に『隷属への道』(1944)の頃に現れており、やがてハイエクはそれをケインズとの『経済論争』に敗れた後の時代になって研究対象として明確に取り上げることとなった初めは市場における「知識(情報)の分散」を収斂させる方法の考察の意味合いが強かったのだが、やがてその視野には社会制度の全般までが入るようになり、現代で言えば複雑系の社会制度論(その中枢となるのが市場原理、いわば一種の市場原理の崇拝に近い?)のような、あるいはその種の社会哲学的な論考の方向性となった

つまり、そのユニークなハイエクの「自生的秩序」の考え方は市場論を超えて社会一般への社会哲学的な意味合いまで深化した訳だが、残念に思われるのは、そのハイエクの「自生的秩序(Catalaxy)」論が飽くまでも、そもそもの課題であった「市場」論に内在すると見るべき「『日常』に潜むエルゴン(プレデュナミス潜在性/内需等に係る新しい生産性の培地)」の視点を欠いているのではないかと思われることである。おそらくそのためと思われるが、ハイエクには先に触れた「大きな機能(合理)主義」(計算不可能なリスクを伴う)と「小さな機能(合理)主義(計算可能なリスク)」の混同が窺われる(ハイエク自身が大きな機能(合理)主義を意識していたこととは関わりなく!)

しかし、それにもかかわらずハイエクの「自生的秩序(Catalaxy)」 の着想は、現在の「政治権力の在り方から科学技術に至るまでのことごとくが市場原理主義に呑み込まれて然るべき」と見る人々が多数派を占めるまで増長化するに至った、いわゆる<ネオリベラリズムの呪縛(@ツヴェタン・トドロフ)>を乗り越えるためにも、また未生の世代を持続的に育む役割を担うべきと思われる資本主義の未来のためにも非常に重要な視点を提供しているとも思われるので、そのエッセンスを下に纏めておく。

「フリードリヒ・ハイエク 市場・知識・自由 ミネルヴァ書房」の画像検索結果

・・・以下は、[松岡正剛フリードリヒ・ハイエク 市場・知識・自由 ミネルヴァ書房 1986]https://1000ya.isis.ne.jp/1337.html ほかを参照しつつカタラクシー周辺の関連情報を纏めたものである。・・・

カタラクシー(Catalaxy)という言葉は「交換すること」「コミュニティへの参入を認めること」「敵から友人にかわること」などの意味を持つギリシャ語に由来している。ハイエクが自生的秩序(社会・市場における)として語るカタラクシーは、各人が当局に統制されることのない環境のなかで、主観的な情報や意図・目的を自由に利用しつつ決定し、その帰結として導かれるところの相互作用的な行為システムが織りなす(市場の)自生的秩序である

因みに、ハイエクの場合も同じことが言えるようだが、自称“新自由主義”派のエコノミスト(現代経済の主流派)らがエコノミー的な思考で設計主義(大きな合理主義の論理を見落とすこと!)に堕すのはいわば必然ともいえるだろう。また(既述のとおり)、ハイエクは自由原理についても“古典的自由主義リバタリアニズム(完全自由主義)”という思想的な遍歴を経てミイラ取りがミイラ(設計主義排除→完全設計主義者)になるプロセスを歩んでいる。

つまり、それはこういうことだ。歴史を遡れば、そもそもは人間行為を「より満足の低い状態と、より満足の高い状態との交換」(恰も熱力学または統計力学相転移を彷彿とさせる考え方!) とするカール・メンガーCarl Menge/1840-1921ワルラスと共に限界効用理論の創始者の一人)は、既述のとおりオーストリアンの開祖的な存在で、ハイエクはその弟子のひとりが『政治経済学』 に代わる用語として「カタラクティクス」を使っていた。

ハイエクは、この「カタラクティクス」の派生語として「カタラクシー(catallaxy)」という新語を考案する。それは、社会のために計画者が立案したものではなく、各個人がそれぞれの目的を追求するうちに、自生的に整う市場秩序のことであり、ハイエクはこの語によってそのことを表現し、遂にはそれを従来の「経済/economic」に代わる言葉とすることを試みた

そして、その“カタラクシーという新しい言葉は、喩えれば恰もセザンヌ絵画の重厚なリアリティの秘密(情感と自然、二つの実在の意識上の融合としての実存)の如き実に興味深い、斬新な実在論(つまりカタラクシーというリアリズム)の視座を発見したのではないか?と思わせる一方で、ハイエクには極端なマルキシズム嫌いなどで見られるとおり、一種の政治・経済的なメシア思想(原理主義的イデオローグ)へジャンプする傾向(つまり、その非常に観念的な保守イデオロギーを現実社会の制度や仕組みで、かなり強引に実現させようとする傾向)がある。

ハイエクの弱点とも見るべき、このように政治・経済的なメシア思想へジャンプする傾向を脇に置くとすれば、<ケインズVsハイエク『経済論争』>の後にハイエクが発見した視点、いわば<玉石混交の知識(情報)が交差する「市場」という名の坩堝から、経済的に意味のある「価値」が創生するという「カタラクシー」>の考え方は重要である。それは、古典派の大前提では、市場に参加するすべてが完全な知識をもっていると想定されているのだが、現実には、そんなことはありえないと思われるからだ。

それ(市場が完全な知識をもっていない)にもかかわらず市場はうまく動いているのだとすると、むしろ本当のところ、実は真逆であり<不完全な知識が市場に参加することによって、うまく「カタラクシー」で分業されている>のではないかつまり、知識(≒情報)もまた、アダム・スミスが市場での「労働の分業」を説いたように、分業されているのではないか?とハイエクは見たようだ

しかし、おそらくハイエクは気づいていなかったようだが、この「カタラクシー/自生的秩序」の培地と見るべきものこそが、個々の人々と内外の諸観念や自然が目に見えない多様なルートで繋がり、共鳴しつつ活動し続ける現象とみるべきエルゴン(“プレ・デュナミス潜性生産性=潜在イノヴェーション”の培地)であると考えられるので、<知識(情報)も市場で分業されている>というハイエクの主張のくだりを、<市場のカタラクシー(自生的秩序)で経済的に意味のある「価値」(リアル生産性)の創生が分業されるとともに、市民の日常のカタラクシーではエルゴン・ファクター(潜在イノヴェーション)も強化され続けている>と読み替えて理解するのが妥当かもしれない。

・・・ミルトン・フリードマンの市場原理について・・・

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一方、ミルトン・フリードマン Milton Friedman1912-2006マネタリズム市場原理主義金融資本主義を主張しケインズの総需要管理を批判し1976 年にノーベル経済学賞受賞)の経済思想は同じ新自由主義とはいえ、そもそも当の新自由主義派の人々が忌避する「設計主義」的な空気(フリードマンの場合は、超抽象設計主義的なもの)が感じられる関連参照➾第1章‐『・・・セイヤーの主張、<ミルトン・フリードマンの自由原理主義は「概念飽和」が高度抽象化のうえ固着化したものである!>が意味すること。・・・)。

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ところで、マネタリ ズムと新自由主義の信奉者であることを誇りとされる山田 久・元和光大学教授によれば(和光経済 巻 50 号 : 発行年 2018-03和光大学リポジトリ  https://wako.repo.nii.ac.jp/?)によれば、 安井琢磨戦後の日本で近代経済学の普及と建て直しに多大な貢献をした経済学者)、福岡正夫、熊谷尚夫、荒憲 治郎、内田忠夫、篠原三代平、ミルトン・フリー ドマン、市村真一、嘉治元郎、山田雄三西山千明(執筆順,敬称略)共著、西山千明ほか編『近代経済学講義』(1964/創文社)は、1962 年に米国(シカゴ大学) から帰国して立教大学の教授に就いた西山千秋が 帰国後すぐに理論経済学セミナーを開催して出版 までこぎつけたものだ。

これがフリードマン自身の講演による「マ ネタリズム」の日本初上陸であった。その頃、マネタリズム に関する論文 はすでに日本でも知られていたが、フリードマン自身が直接日本で新貨幣数量説について講演したことに意義があると思われ

・・・以下は、山田 久氏“退任記念講演”(同上、和光大学リポジトリ )の部分転載・・・

山田 久氏(同上、和光大学リポジトリ )によると『米国貨幣史』はフリード マンのマネタリズム」の実証研究の基礎となったもので、それは米国の過去 100 年の国民総生産と 貨幣の時系列の趨勢を丹念に拾い上げたものであった。その全体の読み解きから貨幣の動きが国民総生産の動きの原因になっていることが分かったとされる特に 1929-1933 年の大恐慌は,貨幣量の大幅な減少が国民総生産を減少させ大量の失業を発生させたと理解できるとされた。
このようなフリードマンの主張は当時の経済学界にとって衝撃的であった。それは、当時の主流派であるケインズ経済学は、 1930 年代の国民総生産が減ったことが貨幣量の 減少を引き起こしたのであり,貨幣量の減少は  結果でしかないという見解だったからだ
つま り、それまでの経済学界の認識では経済が流動性の罠(金融緩和で利子率が一定水準以下に低下した場合、投機的動機に基づく貨幣需要が無限大となり、通常の金融政策が効力を失うことに落ち込んでいるときは 貨幣量の変動は実体経済に影響を与えないという 解釈だったからであった
フリードマンは自説のマネタリズムに対する批判に応えるため、米国の事実を見ようということになり NBER(全米経済研究所)の研究として『米国貨幣史』を著した訳であった。しかし、 NBER の理事会の評価は、米国の経験だけでは不十分だということになったため、その調査範囲を英国と日本に拡大した。100 年以上にわたる貨幣の経済統計を有する国は米、英、日ぐらいしか考えられなかったからだとされる。 日本には江戸時代末期からの資料が残ってい たうえ(大混乱期でもあった、此の時期のデータは信憑性に些か疑義を感じるが?/補、toxandoria)、幕末から明治時代にも各金融機関や日本銀行は詳細な金融基礎資料を残していた。

そして、貨幣委員会の当面の目標 はフリードマン流のマネーサプライの作成であった。 まず日本銀行の管理下にある、すべての金融機関 の預金勘定を流動性の高い要求払い預金と流動性 の低い定期性預金とに仕訳けをした。次に現金通貨と要求払い預金を合計して M1 とし、M1 と 定期性預金を合計して M2 とするというものである。つまり、 今では M1、M2 は常識であるが、当時は革新的でマネタリズム新自由主義とともに目新しいものであった。フリードマンが M1、M2 というマネー サプライの新しい概念を示したことで、米国の連邦準備制度日本銀行も時間はかかったが, それらを採用するに至ったことになる。・・・ここで、山田 久氏“退任記念講演”(同上、和光大学リポジトリ )の部分転載は終わり・・・

・・・ミルトン・フリードマン市場原理主義が批判的に検証されるべき理由・・・
ただし、以上の山田 久氏“退任記念講演”のミルトン・フリードマンマネタリズムに関わる紹介については、客観的に見て些か留意すべき点があると思われる。それは、「貨幣量が短期的には実質経済に大きな影響力を持つ」とする一方で、「長期的には実質経済への影響がなくなりインフレにのみ作用する」という考え方や、「政府の裁量より中央銀行のルールを重視すべきという主張」は、ニューケインジアン(新ケインズ派/新古典学派と本質的に異なる理論体系を主張する経済学者の総称)を含め現代のマクロ経済学に広く組み込まれており、現在では多くの経済モデルが何らかの意味でマネタリズム的であるからだそのため、かつてのようなケインジアンマネタリストか、といった区別は意味を持たなくなってきており、「今日のマクロ経済学者の中で伝統的なマネタリストを見つけるのは難しくなっている」と言える。
もっとも、ごく大雑把に言えば、マネー供給量が増えれば所得が増える、という考え方はケインジアンも端からもっていた訳であり、ただ、その流通速度への評価には違いがあるということではないか?従って、問題とすべきは<純粋な伝統マネタリズム理論(ミルトン・フリードマンのそれ)よりも、<政治的強者に媚を売ったり、理論の内容の是非は問わず“とにかく高名な理論”を私益や出世のタネとして平然と利用するエセ学者(例えば、竹中平蔵氏?らw)らに煽られて暴走する一方となってしまった自由原理主義の無条件賛同者>らの方である。無論、これら双方が深く癒着した金融・経済政策、例えばアベノミクスなどは甚だ有害だと見るべきであろう!
ともかくも、このマネーサプライの概念を世間に浸透させたことが「ミルトン・フリードマンマネタリズムの功績」であることは間違いがない但し、その肝心マネタリズムの実証研究」の有意性は未だに未完のままであるとみるのが、ごく冷静な経済学的視点ではないか?と思われる
それは、ネタリズムの理論の有効な部分がある一方でケインズ『所得速度』(同一の貨幣が一定期間内に何回持ち主を変えるかの平均)を最も重視した意義は決して失われておらず、それどころか昨今の新コロナ・パンデミック株価大暴落が発生、日常生活に関わるリスクが急拡大すると同時に現金(キャッシュ)の重要(必要)性が条件反射的に?高まりつつある!)の到来では、マネタリズム(又はAI機械イノヴェーション、サプライサイド政策、AI型投機・サービス金融、ビットコインなど)へ過剰傾斜すること(AI・金融傾斜型の市場原理主義政策の暴走)の限界とケインズ派の意義が再認識されている。従って、これを機に、今こそ市民の『日常』生活と表裏一体と見るべき「潜在イノヴェーション」の重要な意義にこそスポットを当てるべきと思われる

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いずれにせよ、市民の安定的なリアル『日常』の持続と、それを支える安定的な『衣食住の持続的なリアル生産・消費活動』(このリアルな日常は絶対に蓄積ができない一回性の持続であることに留意!)、およびその培地とも言うべきローカルな地球上の文化・自然環境(エトノス)および内なる精神環境の充実こそが経済的な「常態」(シュンペーター『静態⇄動態』モデル全体の意味)のベースであり(この点は、およそ封建時代以前の素朴な経済社会でも同じコト!)、更にそのため最も肝心となる『物価安定』の要は、矢張り、ヒトのための<信用>の維持であるということが、AI「シンギュラリティ」なる新世界の熱狂的「信徒」はともかくとして(w)、我われ<リアルに生きる人類>へ、再び、そのことが突きつられていると見るべきだろう(関連参照➾フィッシャーの交換方程式(古典的貨幣数量説)https://www.findai.com/yogow/w00370.html)。
だから、「ミルトン・フリードマンマネタリズム」の意義を再考するとすれば、おそらくその最も重要なポイントは“一定期間におけるマネー量トータル(供給量)の大きさだけでなく、その期間内に流通するマネーが人々の『日常』生活のなかで<各「一回性」の関係=ヒトがヒトとして生き続けること>を十分に支えることが極めて重要だという認識に基づく、適切な量のマネーが持続的に、適度な速さで供給できる仕組みを工夫するということである。
次に重要なのが「その各一回性の関係(=ヒトがヒトとして生き続けること)が可能になるという意味で十分な量のマネーが供給できる仕組み」を工夫する役割の中心的な担い手は、いくらグローバルAI‐Web時代になったとしても「国家」以外には考えられないことだ。安定したグローバル・ネットワークでその代替が可能だ!という理想を持ち続けるのは、それはそれとして重要であるだろうが(関連参照↓▼)、まず人々がリアルの『日常』生活を安心して持続できるという<ヒトにとって最低限の必要条件を満たす生命の論理>を最優先させなければ、あらゆる意味で本末転倒となる。

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・・・

そして、その「国家」の<信用>を着実に支え続けるのが、先ず基本的には古典的イノヴェーションによるエネルゲイア(ビジネス&金融活動がもたらし貨幣に換算できる付加価値)の創造であるが、「そのヒトがヒトとして生き続けることが可能になるという意味で十分な量のマネーが供給できる仕組み」を保証するためには、一定期間におけるマネー量トータルの大きさだけでは不十分であると考えられるが、 この問題については、後の第3章と第4章へ送る。
 
  (モンペㇽラン協会に始まる新自由主義の奔流)

 ・・・モンペルラン協会の創設・・・

 ・・・以下は、本山美彦・京都大学名誉教授(世界経済論)のブログ『福井日記 No.170 ハイエク、シカゴ大学、モンペルラン協会』からの部分転載。https://blog.goo.ne.jp/motoyama_2006/e/c47be2da63f00bb7414bb3e0f9e18217

◆モンペルラン協会(Mont Pelerin Society)は、市場経済と開かれた社会(open society)の促進を目的として設立された国際組織である。
 一九四七年四月一〇日、フリードリッヒ・ハイエク(Friedrich Hayek)がスイスのモン・ペルランに世界から三九人を招待した。招待された人のほとんどは経済学者であったが、歴史学者、哲学者もいた。国家の現状、古典的自由主義(classical liberalism)の運命にならんで、世界を覆うマルキストケインジアンたちとの闘争が会議のテーマであった。
 招待された人たちは、例えばヘンリー・サイモンズ(Henry Simonsシカゴ大学教授、経済学)、ミルトン・フリードマン(後に会の会長)、元、米国のフェビアン協会員でフェビアン社会主義者であったジャーナリスとのウォルター・リップマン(Walter Lippmann)、「ウィーン・アリストテレス協会」(Viennese Aristotelian Society)の指導者、『開かれた社会』の哲学者カール・ポッパー(Karl Popper)、オーストリー学派の経済学者、ルードウィヒ・フォン・ミーゼス(Ludwig von Mises)、一九四〇年~四六年の英国王立協会(the British Royal Society)会長を務めた後にイングランド銀行理事(senior official)となったクラッパム卿(Sir John Clapham)、オーストリーハンガリー帝国皇帝(the Austro-Hungarian throne)の末裔、オットー・フォン・ハプスブルク(Otto von Habsburg)家に代々使えてきた、四〇〇年の伝統をもつイタリア出身の大富豪「ツルン・ウント・タクシス」(Thurn und Taxis)家の末裔でバイエルン(Bavaria)に本拠をもつ同名の老舗企業のマックス・フォン・ツルン・ウント・タキシス(Max von Thurn und Taxis)等々、錚々たる顔ぶれであった。

 これらは中世の貴族、現在の上流階層、そしてオーストリー学派、つまり、上流階級にとってのよき時代のよき伝統を継承する面々だったのである。古典的自由主義とは、現代的な民主主義や共和主義を指すのではなく、貴族たちがもっていた高尚な心の自由を意味する概念であるように思われる。・・・途中、省略・・・
 もうお分かりであろう、ハイエクの理想とする自由主義(究極的には古典的自由主義からリバタリアニズムへ変質した!/補、toxandoria)とは、ナポレオン以前の皇族たちも享受できる自由だったのである。
 ミルトン・フリードマンの義兄にアーロン・ディレクター(Aaron Director, 1901~2004)がいる。アーロン・ディレクターの妹、ローズ(Rose)とフリードマンは一九三八年に結婚している。ディレクターは、経済学におけるシカゴ学派を隆盛させた功労者であると言われている。
 一九〇一年、ウクライナ(Ukraune)のチャルテリスク(Charterisk)に生まれ、米国に移民した後、第一次大戦後、エール大学(Yale University)入学、第二次大戦中は、戦争省(the War Department)と商務省(the Department of Commerce)に勤務、一九四六年シカゴ大学ロー・スクール(the University of Chicago Law School)に採用される。著作は少ないが、シカゴ大学の発展に大きな貢献をなしている。一九五八年にはノーベル経済学賞受賞者(一九九一年)ロナルド・コース(Ronald Coase)と協同してthe Journal of Law & Economicsを創刊した。シカゴ大学はすでに一八九二年からthe Journal of Political Economy をもっているが、ディレクターは、法と経済学の接合を目指したのである。
 ディレクターが、米国の出版社のことごとくが断っていたハイエク(Friedrich Hayek, 1899 ~1992)の『隷属への道』(Hayek, F.[1944])をシカゴ大学から出版させた。

 
当時、ディレクターはまだシカゴ大学ではなく、上記のようにワシントンに勤務していたが、シカゴ大学出版部とのコネクションがあったし、なによりもすでにシカゴ大学にいたフランク・ナイト(Frank Knight)と親しかった。このこともあって、シカゴ大学出版部にこの本を出版させたたのである。
 ディレクターは、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(London School of Economics=LSE)に留学していて、そのときにハイエクと面識ができた。ディレクターは、同時にモン・ペルランの開催に協力することになる。とくにシカゴ大学のメンバーをこの会の会員に勧誘することに成功した。シカゴ大学関係では、上記のフランク・ナイトとジョージ・スティグラー(George Stigler)がいた。もちろん、ディレクターも会員であり、その強い勧誘でフリードマンも会員になった。そして、フリードマンは、第一回のの会議に招待されたのである(http://www.pbs.org/wgbg/commandingheights/shared/minitextlo/int_miltonfriedman.html)。
 引用文献 Hayek, Friedrich[1944], The Road to Serfdom, Routledge Press; the University of Chicago Press.
     ハイエク、F. A.、西山千明訳『隷属への道』春秋社、一九九二年。

・・・ここで、引用おわり・・・

・・・日本における新自由主義の始まり・・・

山田 久氏“退任記念講演”(同上、和光大学リポジトリ )」(既出)によると、日本で初めてモンペルラン協会のメンバーになったのは木内信胤1899-1993吉田茂らのブレーン・相談役を努めた経済評論家であった。それによると、木内信胤1958 年に ハイエクの勧めで「モンペルラン協会」に 入会し、それ以後ハイエクに傾倒したためハイエクの理論に因る「新自由主義」を熱心に説くこととなった。また、同「講演」はモンペルラン協会の理念と目的(文章起草)が以下のようなものであることを紹介している。

<参考>木内信胤のプロフィールhttps://www.hmv.co.jp/artist_%E6%9C%A8%E5%86%85%E4%BF%A1%E8%83%A4_000000000697201/biography/

・・・1899年(明治32年)7月30日、東京市牛込区にて出生。東京高等師範学校附属小学校、中学校から、第一高等学校独法科を経て、1923年(大正12年東京帝国大学法学部独法科を卒業し、横浜正金銀行に入り、東京、上海、南京、ハンブルグ、ロンドンに勤務、1945年(昭和20年)終戦と同時に、総務部長兼調査部長を最後に退職して大蔵省に入り、勅任参事官終戦連絡部長を務めた後、1952年(昭和27年)7月の占領の終了まで、外国為替管理委員会委員長を務め、その後1955年(昭和30年)から今日まで38年間、「財団法人世界経済調査会」理事長の現職にあった。この間、日本国有鉄道理事、外務省参与、国語審議会委員、臨時行政調査会第一専門部会長等を務め、また政治、経済、文化、社会、宗教、農業等極めて広範な分野に亘る経済評論家として活躍、歴代首相の経済指南役とも呼ばれた。1993年(平成5年)12月5日没(享年94歳)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)木内信胤語録』より

<参考>財団法人世界経済調査会(情報源:Wikipedia

連合国軍最高司令官総司令部GHQ)参謀2部(G2)所属のCIC(防諜隊)の下請け機関として設立された、旧軍人による情報収集グループである特務機関河辺機関(河辺 虎四郎、辰巳 栄一らの反共主義工作機関がその後、「睦隣会」に名称変更され、それを母体として、内閣調査室のシンクタンクとして設立されたのが「世界政経調査会」である。そのため、初期の内閣調査室には河辺機関出身者が多く流入している。「内外の政治、経済、社会事情等の総合的な調査研究を行い、 内外事情に関する知識の向上普及を図ること」を目的としており、内閣官房から情報調査委託費が交付されている。内外情勢に関する情報調査や資料収集を行い、毎年「国際情勢の回顧と展望」という名のレポートを刊行している。役員には警察庁内閣情報調査室出身の元官僚が名を連ねている。所在地:東京都港区赤坂2-10-8 設立:1961年7月1日 会長(2013-):植松信一(警察官僚、内閣情報官など歴任

<参考>「河辺機関」に関する米公文書の要旨、http://www.shikoku-np.co.jp/national/detailed_report/article.aspx?id=20060812000263

・・・

(理念)

モンペルラン協会は、市場中心の経済システム の働きを研究し、政府の関与を最小のものとする リベラリズムを理想として、調和の取れた国際経済関係を創り出すような国際秩序の創設や、市場の機能を阻害しない最小限の規制の実現などを追求する

(目的)

その唯一の目的は、自由社会の原則と実践を強化したいと考えて、志を同じくする学者・実務家などの間での交流を促進し、市場中心の経済システム(市場原理)の働き、利点、欠点を研究する ことにある。(そして、1947 年 4 月 10 日に次のような目的を期した文章が起草された 

「現在、文明の中核となるべき価値観が危機に瀕している。世界の広範な地域で、人間の尊厳や自由に欠かせない条件がすでに失われてしまった。 その他の地域も、現在の政治的傾向が進展すると いう脅威に絶えず脅かされている。専制権力が個忍耐の価値を人や自発的組織の地位をますます蝕んでいる。思想や表現の自由といった、西欧人にとり最も貴重なものですら、少数者の立場にあってを唱えながら、自らのもの以外の価値観を弾圧し抹消できる権力の座を確立することのみを目指す信条が広がることによって脅かされている。我々が思うに、こういった事態は絶対的な道徳規準を全て否定する歴史観や、法の支配が望ましい ものであることを疑う理論(共産主義?)が発展したために、さ らには私有財産や自由競争市場がもたらす権力の分散、及びそれに基づいた社会制度なくしては、 自由が十分に保障される社会など考えられないからである。 本質的にはイデオロギーに関するものであるこの 動きに対して、理論的な論争を起こし正しい考え 方を主張する必要がある。この信念に基づき、 我々は、予備的検討を行った結果、以下の点に関 して更なる研究の必要があると考える。
1 現在の危機の本質を分析し研究することによ り、その教訓の本質や経済的起源を人々に知 らしめること
2 国家の機能を再定義し全体主義とリベラルな社会制度との境界を一層明確化すること
3 法の支配を再び確立し、それが個人や団体が他者の自由を侵害する地位になく、個人の権利が略奪的な権力の基盤となることが許容されていないことを保証する手段
4 市場の機能を阻害しない、最小限の規制を確立する可能性
5 自由を害するような信条を推し進めるための歴史の利用に対抗する手段
6 自由と平和の保護や調和の取れた国際的経済関係、国際的な秩序の確立に資する国際秩序の創造」

・・・

因みに、同「講演者」である山田 久氏とモンペルラン協会の本格的な関わりについても、下のとおり紹介されている。大変に興味深いので、その全文を転載しておく

・・・筆者(山田 久氏)とモンペルラン協会の本格的な関わりは「(財) 世界経済調査会」(参照/上の<参考>)の専任研究員になってからですが、 モンペルラン協会の名前は学生時代から知ってい ました。前述したように米国から来日された経済学者は皆さん協会員でした。またフリードマン先生(1970-1972 年 )、 ベ ッ カ ー 先 生(1990-1992 年)、西山千秋先生(1980-1982 年)は会長経験者です。デューク大学での恩師、ブロンフェンブレン ナー先生も古くからの会員でした。2 年に 1 回総会が開かれ、毎年のように地域集 会が開催されます。日本では 1966 年 9 月に東京 地域集会が、1988 年 9 月に東京・京都総会が、 2008 年 9 月に東京総会が開かれました。筆者が本格的に会合に参加できたのは、1986 年 9 月の イタリア総会(St. Vincent, Italy)でした。世界経済調査会理事西村光夫先生の鞄持ちでイタリア総会に連れて行っていただきました。会合に参加するには会員からの推薦が必要です。西村先生には推薦していただいた上に先生のポケットマネーで連れて行っていただきました。正式に会員になるためには複数会員の推薦と事前に会合に出席していることが必須です。会員になるために、1997 年 9 月のバルセロナ地域集会 (Barcelona, Spain)、1998 年 9 月のワシントン総 会(Washington DC, USA)に参加して、2000 年 11 月のチリ総会(Santiago, Chile)で入会を許可されました。2008 年 9 月、モンペルラン協会東京総会の運営・実行委員として活動しました。2008 年 9 月 7 日から12 日まで、ホテルニューオータニで、モ ンペルラン協会 60 周年記念総会が 20 年ぶりに東 京で開かれ、現代社会の技術にかかわる諸問題と 自由市場、自由主義の関わりについて討議がなさ れました。
 テーマは「技術と自由」であり,今日世界が当 面する様々な問題に、次のような切り口から接近 しました。1. 地球温暖化、環境と自由市場 、2.人類の技術、倫理、自由市場  3.自由における医療  4.IT の自由とコミュニケーションにおける 影響  5.アジアの経済成長―自由市場はいかに重要であったか?  6.技術の国際的波及  7.デジタル・デバイド・貧困、所得格差、教育  この 7 つのテーマごとに午前中に 2 セッション が設定され、各々のセッションで 3 人の報告者が 論文を提出しました。午後は、これらの報告者の 問題提起を受けてテーマごとに分かれて討論する グループ・セッションが開かれました。

 モンペルラン協会での議論の内容は本人の承諾なしには公開できません。したがって、発言者はマネタリズム新自由主義に関わる自分の発言に対して何の拘束も咎めも受けない ルールとなっています。これこそが、モンペルラン協会で発表される理念の純粋性、独創性を保証 するものであり、またそれだからこそ、出席者は 心からの満足感をもって、会議終了とともに再会 を約束して、各自のスケジュールに戻っていくの です。通常、会としての議論の要約も、ましてや 決議や共同宣言の発表などは一切行われません。 協会は決してプロパガンダのグループではなく、 自由社会の維持と改良に貢献することを目的とし、 相通じる理想と考えを持つ仲間と意見を交換する場なのです。 

 筆者(山田 久氏)はマネタリストの端くれになりましたが、マネタリスト新自由主義者であることは矛盾し ません。マネタリストの信奉するマネタリズムは 「貨幣は重要である」というだけではなく、その 経済思想や経済政策が新自由主義と一体となって いるからです。

 日本で「新自由主義」という言葉に独自の意味を込めて初めて使ったのは、西山千秋先生です。西山千秋先生は、1966 年 9 月のモンペルラン東京地域集会以来、「フリードマンらが日本経済新聞社が主催する講演会に、いくども来てくれたので、シカ ゴ学派の面々は日本の人々によく知られるように なった。そして 1970 年代から、私はシカゴ学派自由主義を『新自由主義』と呼ぶことにした」と話されています

 新自由主義(neoliberalism、ネオリベラリズム、 または libertarianism、リバタリアニズム)とは、 国家による福祉・公共サービスの縮小(小さな政府、民営化)と、大幅な規制緩和市場原理主義の重視を特徴とする経済思想といえます 。  

 資本移動を自由化するグローバル資本主義新自由主義を一国のみならず世界まで広げたものと言ってよいでしょう。新自由主義は、国家による富の再分配を主張する伝統的な自由主義(liberalism、例えばケインズ主義らのリベラリズム)や社会民主主義(democratic socialism)とは対立する 考え方です

 第二次世界大戦後、1970 年代頃まで、先進諸国の経済政策はリベラリズムケインジアン)が 主流でしたこれは、伝統的な自由放任主義に内在する市場の失敗と呼ばれる欠陥が世界恐慌を引 き起こしたとする認識のもと年金、失業保険、 医療保険等の社会保障の拡充、公共事業による景気の調整、主要産業の国有化などを推進し、国家が経済に積極的に介入して個人の社会権(実質的な自由)を保障すべきであるという考え方です。

 このような、大きな政府福祉国家と呼ばれる 路線は、1970 年代に入り石油危機に陥るとマネタリストやサプライサイダー(供給重視の経済学)からの批判にさらされるようになりました。

 当時、英国は英国病と揶揄された慢性的な不況に陥って財政赤字が拡大し、米国でもスタグフレー ション(≪注≫価値なき価格の暴走!/補、水のイマージュ)が進行し失業率が増大しました新自由主義は、こうした行き詰まりの状況を生み出した責任が、国家による経済への恣意的な介入と政府部門の肥大化にあると主張しました。  

 こうして 1980 年代に登場したのが「新自由主義です。その代表例が、英国のマーガレット・ サッチャー政権によるサッチャリズム、米国のロナルド・レーガン政権によるレーガノミックスと呼ばれる経済政策でした。

 サッチャー政権は、電 話、石炭、航空などの各種国営企業の民営化、労働法制に至るまでの規制緩和社会保障制度の見直し、金融ビッグバンなどを実施しました。グ ローバル資本主義を自国に適用して外国資本を導入、労働者を擁護する多くの制度・思想を一掃し ました。レーガン政権も規制緩和や大幅な減税を実施し、民間経済の活性化を図りました。同時期、 日本においても中曽根康弘政権によって電話、鉄道などの民営化が行われました。  

「社会といったものはない There is no such thing as society」と説き、国家に対する責任転嫁をいましめたサッチャーの下、自助の精神が取り戻されたという評価や、各国に共通した双子の赤字の課題を残しつつも、英国が英国病を克服したこと米国が石油危機に端を発するスタグフレーションを脱し、1990 年代にはクリントン政権下でインターネットなどの新産業が勃興して競争力を回復したこと、南米ではブラジルが 1990 年代までの深刻なインフレの制圧に成功しブラジル通貨危機までの安定成長を遂げているこ となどは、グローバル資本主義新自由主義の功 績であると評価されています。

モンペルラン協会の理念の変質: “共有的な自由(自由の共有)”➾“完全な個の自由”(リバタリアニズム)へ/ミルトン・フリードマンの影響による

ここまで、山田 久氏が紹介されたとおりに「ハイエクが創設したモンペルラン協会の理念」が見事に開花して、グローバルな世界経済が調和のとれた成長を見せつつ、より豊かになり、世界中の人々の社会厚生が遍く平等に充実してきたかと問えば、現実はそれと程遠いというかむしろ真逆の方向へ、大格差の時代へと進みつつある。

例えば、漸く決着しつつあるかに見えるBrexitと並行して明確になった「アイルランド発のレプラコーン・ショック」、あるいは偽装看板「アベノミクスの破綻」で一気に噴出しつつある「安倍長期政権なる日本型ファシズム2.0(新自由主義と戦前型国家主義イデオローグが癒着する異常体制、それはあまりにも異常な『事実上、特務機関と化した官憲・検察』をアベ私兵として重用する一強“独裁”支配など)の矛盾の数々(例えば深刻な格差拡大のベースとなっている“名ばかり働き方改革”の失敗)」、果ては「ポスト・トランプの動向へ大きな影響を与えるかに見え始めた米国における二つのリベラリズムの衝突/米大統領選に潜伏する地雷的な重要テーマ、若年層による熱烈なサンダース現象の背景」などの諸問題がある(関連↓◆)。

アイルランド発のレプラコーン・ショックは「ネオリベ+科学(AI・金融工学等)」の賜物。気付きが遅れたと自戒しつつクルーグマンはトランプ企業減税(過激ネオリベ策)でも同問題を指摘。今や日本にとっても他人事に非ず!https://twitter.com/tadanoossan2/status/1228938209679134720

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◆すっかり色褪せたモンペルラン・ソサエティの目的を連想!w ∵偽装看板、安倍内閣の政策の一例を挙げると、働き方改革の現状は殆どが目標と真逆! ➾加藤厚労相の化けの皮が剥がれた/320政界地獄耳:日刊スポhttps://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/20

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・・・[参考]首相官邸のホームページには働き方改革は1億総活躍社会実現に向けた最大のチャレンジ。多様な働き方を可能とするとともに中間層の厚みを増しつつ、格差の固定化を回避し、成長と分配の好循環を実現するため、働く人の立場・視点で取り組んでいきます」とある。←ところが、驚くべきことに、どうやら加藤厚労相は“フリーランスとフリーターを混同している”らしいのだ!もっとも、安倍首相が“経済そのものの意味を殆ど理解していない”らしいので、当然のこととして“然もありなん!”であるが・・・whttps://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/202003200000066.html

【アベ・ファシズム2.0】検察・官憲・内調ら手駒化の高圧“印象”操作で官僚、新聞等、野党、国民を威圧!の手法は戦前~戦中<特務機関>方式の再現!法曹&主要メディアの奮起が絶対に不可欠! ➾近財局職員を自殺に追込んだ森友公文書改竄は財務省・佐川氏だけの責任に非ず! 事実上、安倍の指示だった320リテラhttps://lite-ra.com/2020/03/post-5320.html

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因みにレプラコーン・ショック」(又はレプラコーン経済/レプラコーン=伝説上のアイルランドの妖精)とはトランプ減税(過激な新自由主義政策の一環)の問題点とは、クルーグマンが指摘する「企業減税の恩恵の多くが海外のグロ-バル投資家らの手に渡ってしまう」ということだ。従って、国内ではますます格差が開くばかりとなる。アイルランドなどでもGAFAらのグローバル企業がこの甘い汁を吸っている。https://news.yahoo.co.jp/byline/kimuramasato/20200210-00162477/   https://himaginary.hatenablog.com/entry/20171111/leprechaun_economics

・・・

ともかくも、モンペルラン協会の歴史を概観して感じられるのは、新自由主義(ここでは特にリバタリアニズムを意味する)が各国へ導入される場面では、、それが導入される国のなかで政治的な意味で敵対勢力を作為的に排除する策謀のようなものがかなり先行している空気が漂っていることだ

また、これは特殊ケースと見るべきかもしれぬが、特に日本の場合はその新自由主義「導入の尖兵」の役割を戦前・戦中期における「特務機関」の流れを汲む研究・調査・シンクタンク組織(必然的に時の政権下の機構、つまり時の内閣の中枢と深く相互に浸潤し合う関係にある組織となる(現代の日本で言えば内調(内閣情報調査室 https://www.weblio.jp/content/%E5%86%85%E8%AA%BF が担ってきたことが伺われる案外、これらの点は「本山美彦・京都大学名誉教授(世界経済論)が述べているもうお分かりであろう、ハイエクの理想とする自由主義リバタリアニズム)とは、ナポレオン以前の皇族(or貴族)たちも享受できる自由だったのである”という論点と重なるのではなかろうか?

・・・日本では殆ど意識されていない「米国における二つのリベラリズムの問題/個の自由、共有的な自由(自由の共有)・・・

ところで、当「第3章」冒頭の『ハイエクミルトン・フリードマン・・・ハイエク、および宇沢弘文・・・』でも触れたことだが、そしてこれは日本で殆ど意識されていないのだが若年層から熱狂的な支持を受ける、いわゆる「サンダース現象」の背景でもある「米国における二つのリベラリズムの問題」ということがある。

それは、米国ではプラグマティズムの伝統に因る「共有的な自由」(自由の共有)と、啓蒙思想由来の「個の自由」の二つが区別されてきたということだ。そして、「個の自由」を重視する流れはハイエクミルトン・フリードマンという「市場原理主義の二大開祖のリバタリアニズム」(完全自由主義)へ帰結した(関連/↓★)。

アメリカのリベラリズムの発展 山本春義:大阪経済大学(哲学)、https://www.evernote.com/shard/s440/sh/743844a9-683f-46ec-8197-709224e27988/ec88f7ac7a5e8d607194ea499d43e8a4

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他方「共有的な自由」(自由の共有)の重視はデューイJohn Dewey/1859-1952プラグマティズムで絶対に忘れるべきでない「一人ひとりの保障された言明可能性」という考え方に由来する(@ルイ・メナンドメタフィジカル・クラブ』-みすず書房デューイはチャールズ・サンダース・パースウィリアム・ジェームズとならびプラグマティズムを代表する思想家であり、20世紀前半のアメリカ哲学者のなかでも代表的且つ進歩的な民主・民衆主義者(良い意味でのポピュリズム主義者)であった。

ところで、このデューイの「一人ひとりの保障された言明可能性」「凡人(日常を大切にする普通の人々)の正しさ」(その根底は、デューイ・プラグマティズムの限定合理的な世界認識にあると考えられる!)を保証する問題とも呼ばれるがそれは<現在における“さしあたりの生き方としての民主主義”を最大限に重視し、それを持続的に繋ぎ留めるよう努力し続けるということであり、逆に言えば『民主主義』はヒトが存在し得る限りでの未完の営為だ!という理解による。換言すると民主主義国家では『聖人・君子ならぬ国民層の大多数を占める“凡人”の正しさの保証手段をシッリ政治・行政的に確保して社会的信用を維持すること』を最大限に重視すべきだ>ということだ。

更に、ここから二つの重要な政治的な原則が創生されることになる。その一つは<公文書・ドキュメント資料、民間のビジネス文書(日本では、これらを軽視する傾向がある!)あるいは歴史資料類は「法」に基づいて厳重に保管・保存すべき>だという『公文書管理(法)』の大原則である。だからこそ、目下のところ<アベさまのウソの山>を糊塗するための<公文書に関わる改竄・廃棄・隠蔽そして作為的な記憶喪失(アベ様によるヤラセ記憶喪失の政治利用?w)>なる大スキャンダルの“てんこ盛り”で揺れ続ける日本は、事実上、れっきとした非民主主義的な独裁国家だ!と肝に銘ずるべである/関連↓▼)

森友の【改竄】は財務省・佐川氏だけの責任に非ず!事実上【安倍の指示】なので人道上からも<「安倍、麻生」=調査される側>は天網恢恢疎にして漏らさずの自明の理では?w➾新型コロナでアベ会見が急遽中止された!「森友」追及避ける思惑か321東京https://twitter.com/tadanoossan2/status/1241455334167678976

 f:id:toxandoria:20200322052238g:plainf:id:toxandoria:20200322052317g:plainhttps://twitter.com/tadanoossan2/status/1241296670240829445

◆「日本、独裁政権のよう」ニューヨーク・タイムズが批判20190706朝https://www.asahi.com/articles/ASM7644NNM76UHBI00V.html

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そして、もう一つが「共有的な自由」(自由の共有/リバタリアニズムの対極となる哲学的な視座)という概念になる。このデューイの「共有的な自由」はニューディール政策(ケインジアニズム政策の応用)へも大きな影響を与えたことが知られており(それは当然だと思われるが)、実は、このこともあってか?<ハイエクVsケインズ『経済論争』>に敗れたハイエクが、ニューディールを実施したフランクリン・ルーズベルト大統領毛嫌いしていたのは、よく知られたエピソードである。

つまり、実はこのような意味での共有的な自由の概念の不在が、「トランプ支配とは雖も民主主義の国アメリカと偽装民主国ニッポン(ファシズム2.0/自由の概念が一つしかないアベの国)の決定的な差異」となって表れていると思われる。しかも、必然的にその根本には“一人ひとりの保障された言明可能性➾ドキュメント重視(改竄等厳禁)”の概念が「アメリカ合衆国では存在」し、「日本では存在しない」という問題が併存する

従って、それらが根本的に不在の日本で「てんこもりの嘘の山が出現し、しかもそれが放置されたままの状態である」のは当然と言えば、当然のことでもある。つまり、このような日米民主主義の「根本的な違い」を端的に言えば<「アベ・ファシズム2.0」政権下の日本の“自由”は芯が不在の玉葱の如き状態であり、米国の“自由”には“プラグマティズム哲学の芯”があり、永続的に論争が続いている、ということだ。

これは前にも触れたことだが、「 ハイエクモンペルラン協会を創設(1947)したホンネが“ナポレオン以前の皇族たちも享受できる自由を取りもどす”(@本山美彦・京都大学名誉教授(世界経済論))ことであったとしても、建前上は山田 久氏“退任記念講演”(同上、和光大学リポジトリ )」が紹介したとおり、ある意味で当たり障りがない(あるいは両義的に理解できる)「第二次世界大戦で失われてしまった人間の尊厳と自由を復活させるための理念と目標」が素直に謳われていたが、おそらく殆どの日本人(国民)はそのように信じ込まされている。

ところで宇沢弘文によれば、そもそも同じ自由原理主義リバタリアニズム/完全自由主義)でもハイエクミルトン・フリードマンのそれでは意味することが些か異なる。

すなわち、ハイエク自由主義は究極的には「市場経済の作用に神の手を見る(その意味ではアダム・スミスの踏襲でもありつつ、それよりも過激な市場至上主義である/ツヴェタン・トドロフによればスミスと異なり科学主義的という意味で、それは科学的社会主義と同次元の“科学”自由主義(この“科学”はアルバ・アールトの“か弱き人間のための大きな合理主義”の対極にある“小さな合理主義”と同意!)」である(関連参照↓★)。

マンデヴィル『蜂の寓話』は透明甲殻リバイアタン・安倍晋三ら出現への警告!『日常』とホッブスに潜むエルゴン内需等に係る新しい生産性(というか、潜性イノヴェーション)の培地)の発見がアベ「サクラ怪獣」駆除のカギ https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/11/30/184331

因みに、道徳哲学に裏付けられた自由主義を主張したフランク・ナイトは、シカゴ学派の第1世代と呼ばれる経済学者であったものの自由競争(市場原理主義)に全幅の信頼を置くフリードマンとは違い(周知のとおり宇沢はフリードマンを厳しく批判している)政府による政策的な介入をある程度は是認する立場を取っていた

また、実に驚くべきことだが、宇沢弘文によれば「ミルトン・フリードマン投機的な動機による取引で金融機関の利益の最大化を実現せよ(“産業イノベーション⇔金融市場経済”の乖離は放置せよ!)と主張したことに止まらず、バリー・ゴールドウォーター上院議員共和党大統領候補/アジア系への差別意識があった)の『ベトナム戦争水素爆弾を使えとの』発言を支持し続けたとされる。

しかも、山田 久氏“退任記念講演”(同上、和光大学リポジトリ )」が紹介していたとおり、モンペルラン協会の内部での討議や各メンバーの発言内容は容易に外部へ漏れ出ないような仕組みとなっているが、 漏れ伝わる情報によれば、初めのころは市場原理主義による格差拡大などに対する懸念も大きな議題となっており、かなり激しい議論が闘わされていた様子だが、なによりもミルトン・フリードマンが参加していたことで、次第に会合の雰囲気が完璧なリバタリアニズムの方向へ変質してしまったとされる。

(モンペルラン協会に透ける、ハイエク型カタラクシー『交換的正義』万能論の限界 

ハイエクは著書『隷属への道』(1944)でファシズム政権や社会主義者が主張する分配的正義は人間の意図せざる行為の結果として市場において自生する自生的秩序(Catalaxy)が実現する交換的正義には敵わない。なぜなら、仮に金持ちから余剰なカネを奪い取り、それを社会的な弱者層へ平等に分配する(分配的正義を実現する)ことが可能であるとしても、それは一強・強権独裁化したファシズム国家でしかあり得ないことになるからだ。>という「趣旨のこと」を主張する

また、そのためハイエクは「長い歴史的な時間をかけ自生的に形成された言語・慣習・伝統および市場の知識を遥かに超えた大いなる力が、つまり人間の力を超えた意図せざる結果として自生的な秩序が市場のなかで生まれる」ことを最重視すべきだとも主張する

たしかに、このような視点は重要であり、それは現代「知」の先端と見るべき「エトノス(ヒト・自然・文化環境)論、新実存主義(@マルクス・ガブリエル/↓▲)、批判実在論(Critical Realism)」などの先取りかと見紛うばかりである

「マルクス・ガブリエル 新実存主義」の画像検索結果

マルクス・ガブリエル(Markus Gabriel/1984 - /ドイツの哲学者、ボン大学教授)の新実存主義/序論:穏健な(“普通の”のニュアンス/補、toxandoria)自然主義と、還元論への人間主義的 抵抗(廣瀬 覚訳、2020.1.21/岩波文庫

・・・以下は、当著書の序章「ジョスラン・マクリュール(Joceran Maclure/ラヴァル大学教授/1973- )のガブリエル・新実存主義についての紹介文」より部分転載。・・・

ガブリエルは、数々の形而上学の重要問題について、大胆な見解を唱えている。たとえば、以前の著作では、存在論や認識論で構成主義(自然科学に似た要素還元論的な)が乱用されるいま、新たな実在論が求められていると論じた。

我われの現実(日常的な)をかたちづくる対象領域―すなわち「意味の場」(つまり『日常』/補、toxandoria)―の多元性(マッハ感覚論的素材性(‐実在性)/補、toxandoria/関連参照↓★)を中心に据えた実在論である。

★マッハ感覚論的素材性(実在性)について:再び、マッハ現象学とマッハ感覚論的素材論(性)についての考察が必須、https://toxandoria.hatenablog.com/entry/20180701/p1

★同上関連/西田哲学の形成に影響を及ぼした現代物理学の影響についての思想史的考察:矢崎 彰(早稲田大学大学院博士課程http://www.jacp.org/wp-content/uploads/2016/04/1994_21_hikaku_10_yazaki.pdf

日本哲学という意味の場—ガブリエルと日本哲学/浅沼光樹:西田幾多郎マルクス・ガブリエル、特に「場所」以後の西田と『なぜ世界は存在しないのか』におけるガブリエルの基本思想の類似を指摘する!

https://www.evernote.com/shard/s440/sh/10ae5d94-4fb6-444c-be2a-6f296cc224f0/1c472734a1d9d1ebdc7a6b98d0d387c6

・・・

心の哲学の研究者も、神経科学者や認知科学者も、ガブリエルとコメンテーターの個々の議論に疑問を抱き、そこにある不備をとがめようと思う人は少なくないはずである。そして、それこそが健全というものだ。それでこそ、新実存主義はより強固なものに育っていける。

だが、アカデミズムの有力な一角で、また文化の広範な領域で、還元論自然主義(特に、一部のAI系研究者やフィンテック系の投資コンサルタントらに見られる素朴な!の謂いでの/補、toxandoria)が幅を利かせる現状に不安を抱く者にとって、ガブリエルらの見方が抵抗の時の到来を告げるものであることは確かなのだ。

私(ジョスラン・マクリュール)の目に映る「心は頭のなかだけにあるのではないと考えるガブリエル」とは、抜き難い心の文化的・社会的側面に注意を促す哲学的人類学者というものだ。

・・・ここで、引用転載おわり・・・

この哲学的人類学者のイメージが、ある程度まで後述する≪ハイエクのカタラクシーに特徴的な考え方≫に重なる点のあることが興味深い

ただ、ハイエクの場合、それはガブリエルの所謂「ヒトの意識(心)の“絶えざる多様性と開放性”の創出の作用」(更に付言すれば、デューイのプラグマティズムの共有的な自由(自由の共有)意識、つまり“凡人の言明の保障の意義”なる暗黙知の重要な役割についての理解)という水準まで深まることはなく、それどころか、折角のその貴重なエントランス部分への気付きが、結局は、もう一つのハイエクの関心事であり、ハイエク自身の大きな拘りでもあった自由市場原理主義(個の完全自由に基づく市場原理を崇拝するリバタリアニズム(その完全自由主義なる超設計主義(自己撞着)があらゆる埒外の余人の自由を厳しく規制するファシズム2.0)、つまりリバタリアニズムという経済計画論(完全な個の自由の絶対保全)による新しいタイプのファシズム国家(開放系の多様性を排除し市場原理の埒外の一切の価値観を否定する方向)に回収されている、と思われる。

片やミルトン・フリードマンについては、シカゴ大学時代に同期で同僚でもあった宇沢弘文の証言によるとフリードマン自身が金融投機のカラ売りで一儲けすることに熱中するタイプのリバタリアニスト( The Complete Libertarianist)であったようだ。だから、ミルトン・フリードマンはガブリエル哲学的な意味での実存主義的な理解とは程遠い世界のヒトであったようだ。

ただ、ミルトン・フリードマンの名誉のために補足しておけば、既述のとおり<「重要論文F35」の読み直しから、実は<フリードマンが「諸経済理論F・システム大系を哲学的視点でネットワーク化し、真の経済理論が完成する迄のさし当りの道具としての市場原理である/道具主義プラグマティズム)の市場原理」>と考えていた節がある。>という説もある。天才とされる経済学者フリードマンも、ハイエクに負けず劣らずの大いに迷える人間であったのかもしれない

とすれば、ハイエクフリードマン新自由主義の聖人たちの正体と欠点を或る程度は知りながらも、それを巧みに政治利用して私腹を肥やし、他方では只管お仲間らの権力強化にうつつをぬかし我が世の春を謳歌する輩(例えば現代日本安倍晋三ファシズム2.0政権の領袖)や竹中平蔵ら)の如き、余りにも野蛮で狡猾で強欲な政治家や御用学者は、この<市場原理主義の二大聖人>に対しても大いに無礼なのではなかろうか?

 ・・・・・第一部:当タイトル記事(1/2)/完・・・・・ 

そもそも、経済史上でアダム・スミスの“神の見えざる手に委ねるべきとするレッセ・フェール、つまりその自由原理の思潮(あとになると、その抑制的であったはずのスミスの自由原理と17世紀の科学革命後の完全合理主義が安易に癒着することになる!)の流れを汲むことを自負する 新自由主義」(シカゴ学派・第二世代~)の経済学者らは(上で述べたとおり、同窓の宇沢弘文は彼らと袂を分かつことになった)、<悪徳のエルゴン(プレ・デュナミス潜在性(生産性の培地)の悪徳の部分)を強調したマンデヴィル『蜂の寓意』の“18世紀~現代までの長きにわたる曲解”の中に自らの市場原理主義の淵源を持つと見ることもできる(当論点、マンデヴィル関連の委細は下記★を参照乞う)。

マンデヴィル『蜂の寓話』は透明甲殻リバイアタン・安倍晋三ら出現への警告!『日常』とホッブスに潜むエルゴン内需等に係る新しい生産性(というか、潜性イノヴェーション)の培地)の発見がアベ「サクラ怪獣」駆除のカギ https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/11/30/184331

・・・いずれにせよ、予定以上に長文となり、容量オーバーの警告が出されたので、最も肝要な当記事のモチーフである「潜在イノヴェーションの培地としての『日常』」(以下の第4章と第5章)については、暫く間をおいて、次回の記事(2/2)へ送ることとする。・・・

・・・

  オーストリアン派(ミーゼス、ハイエクシュンペーター)に通底するもの

・・・それは、「主観的リアリズム」が創造する「潜在イノヴェーション」についての気づきということ・・・

Cf.➾【生の一回性(新実存主義)を保障する新たな認識論!】(連投37) 社会科学は予測可能性で評価されるものではなく、その説明力で評価されるべきであると主張し、ロイ・バスカーは、新しい認識論である「批判実在論(Critical Realism)」に基づき「説明的社会科学」(explanatory social science)を提唱している。https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2020/03/25/042759

・・・

227 また、セイヤーによれば、フリードマンに特徴的な「抽象概念基底的な意味」での“抽象”概念飽和を示す典型的な表現はミルトン・フリードマン自身が好んで使った「整序枠組み」(ファイリング・システム)という用語である。https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2020/03/25/042759

228 いわば、ファイリング・システムの如く「分類・論理・体系」的に整然と配列され続ける経済理論体系のイメージである。だから、ここでは「リアル経済に関わる客観・実在・因果的合理性」とhttps:/toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2020/03/25/042759

229 「抽象概念的な主観・論理的合理性」の混同が見られるということになる。そして、この種の偏狭な市場経済の理解について距離を置くのがシュンペーターであるが、これについての委細は第4章へ送る。https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2020/03/25/042759

・・・

東浩紀の「ルソーの一般意思(又は共通意思)と社会的な間主観性(一回性のリアルで日々に更新され続ける)」の混同の問題】・・・それは、ミルトン・フリードマンハイエク新自由主義の「静学と動学(@シュンペーター宇沢弘文ら)」の混同に因る、より正確に言えば「抽象観念とリアル観念(一回性のマッハ感覚論的素材論(性))」の混同に因ると、考えられる。Cf.『Google‐Webネットワーク時代の「AI・BD‐Web情報」とリアル社会情報の根本的な差異の問題』https://toxandoria.hatenablog.com/entry/20180701/p1

◆やはり渦中の新コロナの警告を十分に傾聴すべき!今や「数理資本主義の時代」!とはやる風潮もあるが先端科学はアベ型「ファシズム2.0」の敵ではなく、より肝心なのは“数理論ら先端科学の超高度イノヴェーションより、一回性の生命論が先決!との覚醒!(続、1~)https://twitter.com/tadanoossan2/status/1249412819130273792

 f:id:toxandoria:20200413045341j:plainf:id:toxandoria:20200413045411j:plainf:id:toxandoria:20200413045605j:plainf:id:toxandoria:20200413045710j:plain

 ◆【新型コロナ関連&派生情報】新コロナ&大統領選を巡り彼の“トランプ”米国に些か変化(生の一回性に覚醒)の兆し!?一方、新コロナパンデミックの警告にもかかわらず、異様に“停滞”し続けるのか?ニッポン!413Newsweek・Bloombergほかhttps://twitter.com/tadanoossan2/status/1249801681425948672

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◆欧米諸国とアベ日本(自粛に見合う日常の保障が不在!)の決定的差異は「“新コロナの警告=・・・との誤解に止まらず其の最大の天敵(救世主)は市民の《日常》」だというリアルの覚醒とトリアージ意識の不在!社会民主主義と民主社会主義は全く異質!(続、1~)https://twitter.com/tadanoossan2/status/1250220436547203072

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◆安倍&与党が共有の“危機感”に因る政治的決断というより奸臣の傀儡ことアベ・ディープフェイクの一環“遅蒔き梨のつぶて風ドケチのオナラで”too little,too late!正常な経済観念と責任感が不在の証拠! → 一転「1人10万円」舞台裏、危機感に押され! 416テレ朝N. 新https://twitter.com/tadanoossan2/status/1250857164140187648

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 GMSサービスの「持たざる人に融資」(いわばAI‐FinTechによる新たなマイクロ・ファイナンス(MF)信用の創造)が、GAFA型の勝者総散りに待った!は、斬新かつ重要な「潜性イノヴェーション」発掘の方向性の一つ! (続、2~へ)https://twitter.com/tadanoossan2/status/1251268648846548994

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・・・Attention! ↓

 
 
 
 
 
水のイマージュ2
 
@tadanoossan2
 
 
♨
4 (資本主義を終焉へ導く)価値生産の減少傾向:労働節約型(機械・AI‐Web)イノヴェーションと独占利潤の追求(p146~)/価値、その表象としての貨幣(p79~)[@デヴィッド・ハーヴェイ『経済的理性の狂気』・・・G資本主義の狂気に迫る“21世紀の資本論”‐作品社‐]sakuhinsha.com/politics/27600
 
 
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◆無脳アベは埒外!w 新コロ対処で支持上昇の独らだけでなく米も過半国民が赤い女王の効果(国&労使ら協力での日常“社会”のパワー&トリアージ確保が要!社会民主ならぬ民主社会の意義に覚醒の可が大!∴民主系知事へのこのトランプ攻撃は-リスクが大!(続、2~) https://twitter.com/tadanoossan2/status/1251628684185702400

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 ◆ <トランプ“新コロナ=戦時”見立て>で甦る<ポスト「ハイエク『隷属への道/1944』>のデジャブ!それはハイエク“赤の女王”効果の誤解(or無関心)に因る「新自由主義」暴走の新たな出現ということ! ∵真の“赤の女王”効果の謂いは・・・(続、2~へ)https://twitter.com/tadanoossan2/status/1252077981482147841

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ダニエル・アラス『なにもみていない』(白水社)・・・独裁国家であれ、絶対王制国家であれ、民主主義国家であれ、普通の一般国民(現実がみえる)が有ればこそその国家は存在し得る。現代日本の政治権力者らと過半の日本国民は、この単純な現実(リアリズム)を視覚だけでなく嗅覚で探る術をほぼ完全に忘れ去っている。https://toxandoria.hatenablog.com/entry/20080203/p1

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・・・@shindon1215さん/アベノマスクを主導した“官邸の金正恩” ほう、こいつがアベノマスクの首謀者(佐伯耕三首相秘書官、すピーチライター)か…。灘高から東大、経産相。官邸の金正恩ねえ。なんかズレてる。http://www.asyura2.com/20/senkyo271/msg/691.html

https://ch.nicovideo.jp/shukanbunshun/blomaga/ar1885478 

https://twitter.com/shindon1215/status/1248814135535497216

◆「ゼロサムの赤の女王」の恐るべき破壊力を軽視し続ける日本の財務省(足枷を完璧に免れたリヴァイアサン!)は無警戒な状況の最中にある先進諸国の中でも最悪だが、それに輪を掛け「政治の信頼」を破壊した安倍政権は万死に値する! https://twitter.com/tadanoossan2/status/1252695439352070144

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 ・・・児玉・金子勝両氏のインタビュー動画(↑関連、にあり)では「薄々、感じていたリスクの正体」がリアルに解説されていたことだ。又、更に驚ぃのはドイツ(メルケル首相)の対応が、殆ど両氏の指摘を先取りしていたのではないかと思われることである。それに比べ我が日本の「医学ならぬ行政PCR検査ありき!」という時代錯誤の対処は、殆どが戦前・戦中期の日本の国家体制のデジャブ!児玉先生が指摘された「精密医療/プレシジョン・メディシン」(新コロナウイルスが人体内で進化・変異することに適切に対処するにはこれしかない!)は、たまたま纏めに掛かっていた「生命のカップリング概念とでも見るべき《ゼロサムの赤の女王、の回避/当Tw内容》こそが今や必須である!というマクロ・政治経済の先端的な知見(@自由の命運/早川書房)とも共鳴するように思われる。

 ◆同時に“搾取”のワニ口(ネオリベ・AI等に因る格差拡大)も開きっ放し!よって抜本的税制改革&ベーシックインカム等の検討が必須!→10万円一律給付の補正予算でワニ口aは崩壊!/新コロ感染拡大の影響で税収が減れば下顎は当図よりもっと下がる!土居丈朗氏 420Y!N. https://twitter.com/tadanoossan2/status/1252793136394276864

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 ◆ “超悪化!政府景気判断”の露払い的な日銀“警戒論”らしいが、それより《コロナの警告=「政府&中央銀行に対する“最後の信用の貸し手(信用創造源:無限の潜在イノヴェーション源)”たる99%派の凡人(日常を一回性で生き続ける普通の人々の“信認”判断》の救済に全力投入が必須!を先ず宣言すべきだった!https://twitter.com/tadanoossan2/status/1253455534809743361

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  ◆【疑心暗鬼/アベ虫マスクの異常空振は「JPNフェルキッシュ」崩壊の予兆?or・・・?】まさかアベ・アソウ・カケイ&××会議らが時に備えca.200億円強の国庫金を猫婆?w →受注4社目、なぜか頑なに公表拒否 妊婦向けアベノマスク、深まる疑念425 毎日 https://twitter.com/tadanoossan2/status/1253939995330531331

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◆【加計関連/アベ「虫」マスク】が、<受注4社目、なぜか頑なに公表拒否/深まる疑念425毎日>の解答!?(怒&苦w) 黴が生え虫が湧くまで超腐敗!の対「アベ友」巨費利益誘導なら「契約&キックバック」額をアベ様は全国民へ具体的に示し説明すべき!https://twitter.com/tadanoossan2/status/1254149918454763522

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◆ アベ「上げ底」キャンペーンの日本と異なりドイツの施策は、目先主義ではなく「宗教的な利他主義」から、より広範な利他主義(99%派国民の日常)の最重視)へ、 謂わば「ナチ・フェルキッシュからプロメテウス的自己へ脱出した戦争経験への深い反省」が生きている! (続、2~へ)https://twitter.com/tadanoossan2/status/1254232472746778624

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◆【人文知を軽んじた失政】コレは<アベ・ファシズム2.0>下の新自由主義に飲み込まれた「日本における広義“官学財”」の「倫理」観の喪失!直近の典型事例が《アベノマスク疑獄》!尤も《此れ》は「倫理」以前であり、明白なアベ型<犯罪>だが!(続、2~へ)426朝日 https://twitter.com/tadanoossan2/status/1255028914612695040

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5『日常』は「潜在イノヴェーション」のエントランス 

(試論)情感性と潜性イノヴェーション?=情感性は潜性イノヴェーションのエントランス?  81-2 <情感性(affectivite)とは何か?の問い>に、M.アンリ以前のヨーロッパ哲学は必ずしも十分な答えを提示してきたとは言えないようだ。また、M.アンリ「現象学」の稀有な特質と言えるのは、それが『情感の現象学』から独特の一瞬一瞬の出会い(一回性)を重視する共同体論(個の自由原理ではなく、『第3章-モンペルラン協会の理念の変質』で後述する、デューイのプラグマティズムの共有的な自由(自由の共有)意識を連想させる!)へと発展することだが、ここではその委細を省く。https://twitter.com/tadanoossan2/status/1250896936137183233

・・・新自由主義の盲点がヒントとなり、『批判実在論の眼』(Critical Realism)が切り開く未来への確実な希望!・・・

<注>ここの前段は、特に合理的経済人の前提,、つまりツベタン・トドロフが第2章で指摘した新自由主義の盲点(2)と係わる論点がテーマとなる。

Cf. ★合理的経済人の系譜を追う 行動経済学に至る250年・・・行動経済学は、それまでの標準的経済学が前提とする「合理的経済人」を否定し、理論の修正を迫ってきた。20171127週刊東洋経済https://premium.toyokeizai.net/articles/-/16898

(古典派~新古典派の歴史に流れる“完全合理Vs限定合理”の通奏低音

・・・新古典派のジョーン・ロビンソン「雇用の内容(質)」とカレツキ「政治的景気循環仮説」が抉った「民主主義のアキレス腱」・・・

 ◆監獄(役所等)の容疑者(雇用者)は監視の目で良心が萎縮!それが自白を強要し断罪。悪循環を切断するのは哲学・思想ら外部(警告知)!科学技術ら専門知も同じ陥穽、警告知の無視に嵌り易い! →なお待たれるフーコー/性や狂気、繊細な権力論/未公開作近く邦訳405朝日https://twitter.com/tadanoossan2/status/1247000037701214209

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関連/宿主細胞(≒一般国民)を殺すと自分も破滅!(アベファッショ2.0ソックリ!w)進化というか、おそらく99%の共生派ウイルスは、ヒトら“宿主の永続性の原理”に関与!? →(科学の扉)ウイルス、共生の歴史 宿主に遺伝子残し病防ぐ/進化、初期から関与?406朝日 https://www.asahi.com/articles/DA3S14430731.html

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関連/ヒト(<諸生命)の一回性(動的平衡)持続に係わる意義の理解が重要!<ウイルス=「永続性の原理」の一環、“大きな合理主義”下の存在>なる新コロナ本質の見極めに因る<ヒトの日常(潜性イノヴェーション>救済に全注力すべき!→(福岡伸一動的平衡)ウイルスという存在 生命の進化に不可避的な一部403朝日 https://twitter.com/tadanoossan2/status/1245840741768687621

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関連/新コロナの警告/ファシズム2.0「新自由主義と独裁」の癒着に抗って持続できるイノヴェーションの培地はエトノスと一回性を共有的な自由で繋ぐ『日常』(1/2)https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2020/03/25/042759

関連/同感!こ奴らの共通項は2・3世の世襲青年会議所日本会議ら極右系ということ。つまり自律的な自生・自活が不能な病原体である新コロナウイルスなど、ウイルス仲間内でも極く少数(1%?)派の病原体ウイルス(非共生派)であるようです。その頭領アベを支持する多数派国民の責任とも見えます。https://twitter.com/tadanoossan2/status/1246977018769465345

・・・追記/20200404/(2/2)用『資料メモ』・・・

ハイマン・ミンスキー(米ポストケインジアン経済学者の一人/現在、特に日米では経済学&財界主流から疎外されている!)は マネージャー(金融)資本主義は資本主義の退化(ヘッジ→投機→ポンツイ(ネズミ講)金融化)なので、将来,破壊的な恐慌が生じる可能性も指摘!@服部茂幸・論文「2008年の金融危機におけるマネー&マネージャー資本主義の崩壊と再生」

 https://www.jstage.jst.go.jp/article/peq/52/3/52_KJ00010198905/_pdf/-char/ja

https://www.evernote.com/shard/s440/sh/4119453e-3059-4432-9d5d-284abf67c401/3d929c60939ae2ec210cf5473ad05295

・・・【よみがえる宇沢弘文/新コロナパンデミックへの対応の差異で日米同盟(金融・軍事)に亀裂?!】リーマンとの違いは、規制緩和中ながらボルカ―ルールを未だFRBが握り米議会の監視も効くこと!片や我がアベ様化!のGPIF年金運用↓♨は危うい!Cf.↓★(続、2へ) https://twitter.com/tadanoossan2/status/1246202573922562049

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・・・現在 までのアメリカ経済の「回復」はマネー&マネージャー資本主 義の再生にすぎない。同じ経済危機からの回復であっ ても,その形がニューディール期とは大きく異なっている。

・・・2008年の危機以前では,世界経済が金融ケインズ主義によって成長を続けていた。金融ケインズ主義は現在のアメリカで可能な成長モデルとしてはほとんど唯一のものであろう。しかし,「2008リーマン危機」は金融ケインズ主義の時代を終わらせた。それが実体経済の回復が遅れ、中間層が破壊され、格差が拡大し続けている理由。すなわち,再び、マネー&マネージャー資本主義は行き詰まっている。新コロナパンデミックはこのことを気づかせるエトノス環境からの警告とも見える。

・・・だからこそ、(1)一般市民層のためのマネージャー(金融)資本主義「制御の意義」、(2)『日常』(潜性イノヴェ―ションの主役たる、一回性に生きる凡人の日常生活が資本主義経済の培地であることの意義)、の二点に覚醒することが急務である!

関連/◆ヒト(<諸個体生命)の一回性(動的平衡)持続に係わる意義の理解が重要!<ウイルス=「永続性の原理」の一環、“大きな合理主義”下の存在>なる新コロナパンデミック本質の見極めに因る<ヒトの日常(潜性イノヴェーション↓♨>救済に全注力すべき!(続、2へ)https://twitter.com/tadanoossan2/status/1245840741768687621

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 【当節の関連で、(1/2)より「共有的な自由」に関連する部分を抽出し転載しておく】・・・[神谷英二:情感性と記憶―アンリ現象学による試論(1)/福岡県立大学人間社会学部紀要2005,vol.14,No.1,21―36 http://u0u1.net/GN7E]によれば、<情感性(affectivite)とは何か?の問い>に、M.アンリ以前のヨーロッパ哲学は必ずしも十分な答えを提示してきたとは言えないようだ。また、M.アンリ「現象学」の稀有な特質と言えるのは、それが『情感の現象学』から独特の一瞬一瞬の出会い(一回性)を重視する共同体論(個の自由原理ではなく、https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2020/03/25/042759『第3章-モンペルラン協会の理念の変質』で後述する、デューイのプラグマティズムの共有的な自由(自由の共有)意識を連想させる!)へと発展することだが、ここではその委細を省く。⇔「感情の政治学」との共鳴!

 


Maurice Ravel - Gaspard de la nuit

 

ディープ・フェイクカルト、ダブルス or カルトの双璧?w

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 人間の壁

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