■マイファースト&ポピュリズムで“流動化”する世界、特に日本で目立つ<主要TV・新聞・国民>らの「共依存(相互忖度“もたれ&もつれ”合い)」に因る<想像力>消滅
(Cover Images)
ボッティチェリ『プリマヴェーラ』(Primavera/春の寓意)』Sandro Botticelli(1445- 1510)「Primavera」c. 1482 Tempera on panel 202 cm × 314 cm Uffizi Gallery, Flore
ボッティチェリ『ヴィーナスの誕生』(Related image)Sandro Botticelli(1445 – 1510)「The Birth of Venusc」1485 Tempera on Canvas 172.5 x 278.5cm Galleria degli Uffizi, Florence
(ボッティチェリに係わる二つの発見)
ー形式的イマージュの発展(想像力の泉1)ー
ギリシャ・ローマ古典の意味を見直すことで人間の復興と新たなヒューマニズムの可能性を期待し、それを大いに賛美するルネサンス芸術の代表者とされているボッティチェリであるが、一方で彼の絵にはメディチ家周辺の後期ゴシック(中世末期)的な美意識が深く投影されている。そのため、この<春>という愛の季節を讃える初々しい感性にあふれているはずの『プリマヴェーラ(春の寓意)』でも、その絵の全体にはなぜか“やや暗め”の霊気のようなものが漂っている。無論、それもボッティチェリの美学を引き立てる魅力の一部ではあるが。
その人物像を取り巻く繊細な風景描写のなかに、おそらくボッティチェリは、その後期ゴシック(中世)的な霊気のようなものを殆ど無意識に塗りこめているはずだ。だから、彼が描く自然の風景には変化に富み生きいした自然の風景が必ずしも反映されてはおらず、むしろそこには綴れ織り(京都の西陣織/一説で、その起源は古代エジプトのコプト織にあり、中国・朝鮮半島経由で古代の機内(京都)へ伝来したとされる)のような感触のやや暗みを帯びた自然物が描かれいる。やがて次第にボッティチェリはそれらの形象を更に装飾的なものへと変遷させて行った(形式的イマージュの発展)。
ー新たな物質的イマージュの創造(想像力の泉2)ー
一方で、これは逆説的なもの言いとなるが、ボッティチェリの絵から、その霊気を帯びた暗さと、恰も綴れ織りの如く過剰に装飾化した自然描写にもかかわらず、その「絵」全体の印象ではボッティチェリ的な空気とでもしか言いようがない不思議な瑞々しさ(その正体は様々な花や樹木らの植物群と黒い土のなか、およびやや暗めの霊気(空気)のなかに漂う“水”の成分の印象/厳密には、そのボッティチェリの絵を見たことによる共感が励起し鑑賞者の心に宿るエトノス感)を鑑賞者は感じさせられるはずだ(新たな物質的イマージュの発見)。
そのことは『プリマヴェーラ(春の寓意)』から約10年後の作品となる、直接的に海の「水」をモチーフとして描いた『ヴィーナスの誕生』では、より分かり易く現れる。瑞々しく美しい裸体に恥じらいを宿すヴィーナスは、青みがかった緑の海原に散る花々、風になびくエロチックな長い髪、あるいは色濃く茂る神秘の樹木、それらの全てが、恰も「水」の成分の仲立ち(物質環境的想像力)によって、ルネサンスの美意識を背景としつつギリシャ・ローマ古典古代と後期ゴシック(中世末期)の二つの美意識が、新たな息吹と新たなエトノス感に目覚めたルネサンス期の人間の心のなかで和解したかの如きである。
(モネ『カピュシーヌ大通り』は、到来する市民社会に相応しい『“斬新な視覚”と“色彩混合”、“水の想像力”(市民社会エトノス感)』の発見)
モネ『カピュシーヌ大通り』Claude Monet,(1840 – 1926)「Boulevard des Capucines」1873-74 Type Oil on canvas 80.3 cm × 60.3 cm Nelson-Atkins Museum of Art, Kansas City, Missouri
我われがいま最もその批判対象と見て警戒すべきは、エンドレスで格差の再生産へと大暴走し、もはや正統な資本主義とは言えぬまで、そして殆ど統制不能のレベルまで怪物化した<グローバル市場金融資本主義>に悪乗りして、妖怪カルト守銭奴(その象徴がアベノミクス!)と化した、正統保守を騙る偽装極右(偽エトノス)派)の跋扈&一強支配である。現在の日本でいえばそれは1%派の利権保守で原子村らの御仲間と諸利権(カネ、カルト、排他的ネポティズム構造)絡みで日本社会の深部に浸潤する 日本会議 、神道政治連盟、神社本庁らを意味する(浸潤=本来その組織固有でない細胞が組織の中に出現すること)。
一方、血みどろの凄惨な戦いが繰り返されたフランス革命など「市民革命」の意義(極言すれば応報・連鎖したテロ同然の内戦・闘争の歴史的意味)を表層的or勧善懲悪的に理解するのは危険である。
それは、ここで正しい歴史認識と歴史への反省及び自由・平等・国民主権、あるいは憲法の授権規範性や立憲主義の意味が正しく読み取れ(理解でき)ない限り、新たな世界規模の危機状況の到来(特に、マイファースト権力・刹那的ポピュリズム・主要忖度メディアの共依存的な癒着構造の暴走による大パニック出現?)が囁かれる昨今の状況下では、ほんの僅かな情勢の読み違えから、我われ普通の世界市民が再びエンドレスの血みどろの応酬戦争を繰り返す、愚かな過去の時代と同等の煉獄の罠に易々と嵌りかねないからだ。
ところで、カピュシーヌ大通りはオペラ座を正面にして左右に伸びる大通り(オペラ座とルーブル美術館を結ぶオペラ通りとクロスする)であるが、そこにはモネがこの絵を描いた1873年頃は未だ「パリコミューン(1871)」の惨劇(内戦、テロの応酬)の生々しい空気が残っていたはずだ。しかし、このモネの絵から、その不穏な血生臭い空気は一切感じられず、それどころか急速に賑わいを取り戻しつつある繁華街と、そこで未来への希望を手に入れたパリ市民らの新たなエトノス感の発見に因る未生の活力と生命力が感じられる。
その「明るい希望」への急速な意識転換のエポックを感じさせるこの絵の秘密はどこにあるのだろうか?まず考えられるのは、「ある種の心地良さを感じる適度な俯瞰の視点(ふわりと浮いた適度な高さの鳥の目線による、一定の中立的で普遍的な視座の確保)」ということだ。具体的に言えば、それは1874年に第一回印象派展の会場となったナダール写真館(3階)から俯瞰した構図の発見であり、その後これは活性化した市民意識(特に、新興の中間ブルジョアジー層)の活躍を感じさせる「大都会の群衆」(その草創期における希望に満ちたより良い意味でのポピュリズム感覚/例えば、現代日本の安倍政権下における衆愚ポピュリズムとは全く異質・異次元な!)を描く印象派の一手法(いわば、それは矢張り形式的想像力の新たな発見)として定着する。
モネ『水連』1914(Related images) Claude Monet「Water-Lilies」 1914. Oil on canvas. 200 x 200 cm National Museum of Western Art, Tokyo, Japan.
もう一つは、印象派の画家たちが創り出した色彩混合(視覚混合/並置した二つ以上の色彩が遠くから見ると混じり合って一つの色に見える光学現象を応用した)の技法だ。特に色彩の鮮やかさとイマージュ的感性で捉えた光の煌きの一瞬の同定を粘り強く追及したモネはこの手法に優れており、周知のとおり、それは漸くジヴェルニー庭園に落ちつき、そこで晩年に描かれた水連の連作に結晶している(後述するバシュラールに通じる水に関わる物質的(環境的)想像力の新たな発見!)。
この絵の色彩的な特徴を端的に言うなら、それは<その殆どが地味な黒とブルー、そして少々の茶色と白色で描かれているだけであるにもかかわらず、なぜか晩年の連作「水連」にも通じる「水」にまつわる瑞々しいバシュラール的な斬新な感性、言い換えればエトノス感覚的なイマージュの印象、いわばその奥深い背景に潜む未生のパワーを連想させる生き生きと果てしなく広がる、自然界に生きる諸生命の根源としての水の波紋の印象が強く鑑賞者の心に残ること>である。
Erik Satie: Gymnopédies & Gnossiennes (Full Album)
Lara Fabian – Ma vie dans la tienne (Official Video)
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(プロローグ)「マイファースト&ポピュリズム」共依存の漂着先・・・
・・・それは、ヒトの歴史と現実が崩壊する「人類文化デコヒーレンス」なる過激<歴史修正主義>の席捲かも?そして、そのお先棒を担ぐのは近親憎悪的な?TV等メディアの率先で今や<嫌韓>一色に染まるアベ・ニッポン鴨?・・・
・・・当画像は。20190516国立遺伝学研究所プレスリリースhttps://www.nig.ac.jp/nig/ja/2019/05/research-highlights_ja/pr20190516.html より。
【ジョンソンは米トラ・日アベらと同質の歴史的に過激な“歴史修正主義者”の典型となる鴨?!】・・・スコットランドが連合王国から抜ける?更に北アイルランドでも英国からの分離とアイルランドとの南北統一を問う住民投票を止めることは困難になる。⇒ 英ジョンソン首相の暴走で「連合王国」は崩壊か903 岡部 伸、JB.プレス https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/57490?page=2
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/57490?page=2
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/57490?page=2
1 “混迷”日本の克服に有効な“バシュラールの(a)形式的想像力と(b)物質環境的想像力”についての気付き
ガストン・バシュラール(Gaston Bachelard/1884 – 1962/フランスの科学哲学者、詩的想像力の研究にも業績)の著書『水と夢/物質的想像力詩論』(及川 馥(かおる)訳、法政大学出版局)によれば、我われ人間に備わる想像力は大いに異なった二つの軸に沿って展開する。因みに、想像力の一般的な意味は「ヒトゆえの、共有世界の感覚認識に由来する諸要素から、心の内側で部分的または全体的な個人の意識の中核的な領域(しかも、それは諸環境下における個性的な一回性のもの)を生み出す能力」ということになるだろう。
その一つは観念的な形象イマージュであり、それは絵画的で多様な変化、偶然の出来事の連鎖や組み合わせなどから「新しい楽しみや発見の形」を取り出す傾向(spring、beginning)があり、この想像力は絶えず美しい春を描き出し様々な花を生み出すとされ、バシュラールはこれを形式的想像力と名付けた。そして、いみじくもそれはボッティチェリ『プリマヴェーラ(春の寓意)』を想起させる。
もう一つの想像にかかわる能力群は、リアルな存在(物質)の根底を掘り進み、その根底のなかで絶えず原始(初)的・始原的なものと永遠なるものを同時に見出そうとするる。つまり、こちらの能力群(想像力)は歴史(Ethnos&History)と季節(Season)を支配している。
それは我われの外である自然のなかで、あるいは我われ内部の自然のなかでも、絶えず様々な未生の萌芽を発見したり、あるいは作り出し続けたりしている。それゆえバシュラールはこれには物質的想像力の名を与えており、そのなかでも特に「水」に関わる物質環境的想像力を重要と考えた。
視点を変えれば、この二つの想像力は恰も「論理・推理による観念的・抽象的構想力」と「自然・エトノス環境の因果(律)に関わる観察眼と皮膚感覚による感性的な発見」に対応すると考えられる。
<注>エトノスとは?
・・・エトノス(ethnos)とは『人間の生命と社会生活の維持に必須となる一定のローカル地域の自然・歴史・文化環境と深く共鳴して“人間性を未生(未来)へ繋ぐ揺り籠”となし得る開放系の共有観念、および風土または過去〜現在〜未来に渡り生存環境の微小馴化(マイクロバイオーム世界の理解/関連参照 ⇒ マイクロバイオームが拓く新世界への希望/DNA観察から見える「民族主義、レイシズム=非合理”の発見」, https://toxandoria.hatenablog.com/entries/2017/03/20、ロブ・デサールほか著・斉藤隆央訳『マイクロバイオームの世界―あなたの中と表面と周りにいる何兆もの微生物たち』‐紀伊國屋書店‐、https://honz.jp/articles/-/43555)を常に受け入れつつも、その伝統的なヒューマン・スケールの全体性の“持続”を最も重視する、非常にしなやかで幅が広い寛容の意識、およびその受け皿となるローカルの風土』を意味する。
・・・しかし、そのethnosは古代ギリシア語に由来しており、それは村や都市に集住する「民衆」(デモス/demos)の周辺に住み、その「民衆」以外の部族集団のことを意味するから、エトノスの意味は、そこに置かれる人々の立ち位置が変われば正反対になり得るので、そもそも絶対的で画一的な評価を伴う言葉ではなかった(関連、http://u0u0.net/EyB6)。おそらく、それは「生命」現象そのものと同じく、永遠に揺らぎつつも持続性を必死で繋ぎとめるべきものであるのかも知れない(委細参照 ⇒ https://toxandoria.hatenablog.com/entry/20170713/p1)。
・・・
無論、殆ど刹那的に生きているかに見える一般の動物ならぬ我われ人間の場合は、その精神のなかの全く異次元のフィールドでこれら両者が個別に機能しているとは考え難く、この二つの想像力は絶えず相互の影響や浸透によって多少のぶれを見せつつも、歴史や記憶の蓄積と生きいきした感性的イマージュの再生産を繰り返しながら、それらが精神にもたらす交感・交流、あるいは共鳴のプロセスで絶えず「中立的」な判断力や豊かな感覚的イメージが生み出されていると考えられる。
言い換えれば、我われの内面で行われるその「中立的」な未了の精神活動こそが、我われ人間に対して絶えず<健全でアグレッシブな思考と新たな生命力と活力>を与え続け、健全な前進へのパワーを供給してくれることになる。
さらに少しだけ付け加えれば、その「中立的」な精神活動は決して日和見的なものではありえず、いわば自然・エトノス環境と人間社会の間の<未了の相克>を持続させるための批判的意思がそのための必須条件となっている。又、あくまでも相対的な比較であるが、どちらかといえば皮膚感覚に近い(b)物質環境的想像力の方が、(a)形式的想像力よりも、地球上の自然エトノス環境との関わりが深いと考えられる。
しかも、これら二つの想像力、つまり「形式的想像力」と「物質環境的想像力」には、それぞれ「善と悪」(あるいは生と死)の相反する要素が常に潜むのが当然なのだという自覚(我われ自身もその二つの成分、「善と悪」(あるいは生と死)からできていると理解する謙虚さ)を先ず持つことが肝要である。
それは、より広く捉えてみればたとえ「形式的想像力」と「物質環境的想像力」といえども、その内側で我われ自身が無意識の内に誕生していた生来の自然・エトノス環境の賜物であり、いくら高度なAI・コンピュータを使いこなすことが出来るとしても、その自然・エトノス環境との調和を抜きにした人間の力だけでは絶対に「善と悪」(あるいは生と死)は支配できない現象であるからだ。
ともかくも、この<それぞれに「善と悪」(あるいは生と死)の要素を潜ませた(a)形式的想像力と(b)物質環境的想像力の二つの想像力が、絶えず相互の影響や浸透、又は共鳴によって多少のぶれを見せつつも、我われは一回性の歴史や記憶の蓄積と生きいきした新たなイマージュの再生産を繰り返すことが可能となる訳である。
しかも、それら広義のエトノス(自然・文化・社会環境)が個々人の精神との間で交わす交感と交流のなかでこそ、「中立的」で豊饒なイメージや新たな判断力を絶えず生み出すことができる>というバシュラールの豊かな想像力についての考え方を理解することが重要であるだろう。
そして、このような点を援用すれば、先に取り上げたボッティチェリの『プリマヴェーラ(春の寓意)』に関わる新たな解釈としての水の想像力」も、あるいはプロローグで取り上げた「モネの絵画における水の想像力(つまり、新たなエトノス感を想像する水の能力)の発見」も、十分腑に落ちることになるはずだ。
2 コンシリエンス的“想像力”に因るリアリズムの復権と自覚が必須!/ バシュラール「形式的想像力・物質環境的想像力」と深く共鳴するマクダウエル「リアリズム倫理学」の核心(第二の自然)
・・・その「リアリズム倫理学」の核心は、マクダウエルが“露骨な自然主義と居丈高なプラトニズムの共犯関係”といみじくも名付けて摘出してみせた、一般的な「リアリズムに係わる理解の混乱」の問題である!・・・
無論、マクダウエルがここで言う“露骨な自然主義”(マクダウエルが言うところの第一の本性、第一の自然)とは、限定的な意味合いで言う、ごく普通の意味での地球上の自然(環境)だけを指すものではなく、いわゆる唯物論・物的還元論(ヒトの客観的・科学観察的・経験論的な態度を支持する条件で成立する次元での対象である「物質世界」(凡ゆる意味での宇宙・世界に内包されるPhysical World)と理解すべきであるだろう。
<注>ジョン・マクダウエル/John McDowell(1942‐ )・・・ピッツバーグ大学教授. オックスフォード大学講師を経て 1986年より現職/研究分野は多岐にわたりプラトン・アリストテレスに代表される古代ギリシア哲学, 倫理学, 言語哲学, 認識論, 心の哲学,ヴィトゲンシュタイン研究などで大きな影響力のある論考を発表している。.カント, ヘーゲル研究でも知られるが、日米および欧州などで跋扈するマイファースト・自己責任論・多様性否定主義あるいは表層的なAI万能論が囃される昨今(関連参照↓ブログ記事★)であるからこそ、そのユニークな「リアリズム倫理」(道徳的実在論/自然と対比的に、それを第二の本性(自然)と位置付ける)が注目されている。つまり、ジョン・マクダウエルは、かつてヒト(人類)が理解していた筈の【根源的かつコンシリエンス的な“想像力”(人文・科学知の融和・和解的統合)に因るリアリズム/コンシリエンス・リアリズムとでも呼ぶべきか?】の自覚(復権)こそが、愈々、必須になると警鐘を鳴らしていることになる(委細、後述)。(マクダウエルのイメージはウイキより)。
★AIの正体を知れば哲学が分かる!上っ面のAI崇拝は豚に真珠/AI批判「知」の “活用”で「ヒトがやるべき仕事」の発見と「壁《AI Vs ヒト》」の切り崩しができるhttps://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/05/19/040514
・・・
・・・当画像は、http://archive.boston.com/bostonglobe/ideas/brainiac/2011/06/plato_applied_m.htmlより。
他方、いささか否定的な印象を受ける「居丈高なプラトニズム」(マクダウエルの用語)も普通に言うところの観念論に止まらず、それはR.ペンローズが言うところの「数学」概念(いわゆる只の非常に優れた計算能力に非ず!)が代表する「プラトン的イデア世界」Platonic World/第二の本性/但し、一般的には“そもそも絶対的・究極的な観念・概念の極致”とされてきたプラトンのイデア)は、このマクダウエルの実在論(第二の本性)によって、実に見事に自然物質と同等の実在として逆転・倒置されていることになる。
そして、一見、これは常識的な意味では奇異に映るかも知れないが、よくよく考えてみれば、「それは量子力学とニュートン力学(伝統物理学)の統一理論の存在を探るR.ペンローズの視座(同じく、量子重力理論に至る可能な道としてのペンローズのツイスター理論)に接近していることが分かる(仮説上の素粒子であるgraviton(重力子)は未発見!)」と、理解すべきであるだろう(Cf.R.ペンローズ『心は量子で語れるか‐21世紀物理の進むべき道をさぐる‐(講談社)』)。
<注>ロジャー・ペンローズ(Sir Roger Penrose/1931‐ )・・・イギリス・エセックス州コルチェスター生まれの天才的な数学者、宇宙物理学者、理論物理学者(画像はウィキより)。
・・・
つまり、「数学・物理学・ヒトの心」の共通原理の解明に挑むR.ペンローズに因れば、これは一般的な常識には反することのように思われるが、最も厳密な科学である「抽象数学」(それは生きたヒトの脳内で創生される!)は、如何に高度AI化・大容量化したコンピュータ上でもプログラムが不可能であり、このことはゲーデル不完全性定理の変形で証明される(出典:R.ペンローズ『心は量子で語れるか』(講談社))。
因みに、巨大量子メモリを持つスケーラブル量子コンピュータ(scalable quantum computer)を夢見る研究者の多くにとって、目下のところ、波動関数(現在では量子論における状態(より正確には純粋状態)を表す複素数値関数のことを指す)は言わば量子情報(様々な物理量の確率分布の束)そのものとなっているようだ(出典 ⇒ http://mhotta.hatenablog.com/entry/2014/04/05/094917)。
しかし、R.ペンローズ『心は量子で語れるか』(講談社)によれば、量子論・数学論の立場からヒトの思考や意識の特色を探り、それらを前提に「物質から精神が生じるさま」の説明を試みるペンローズは意識の生ずる場所として生体中の微小管(microtubule)をその候補に挙げている。しかし、それに止まらず量子力学を用いて説明できる現象が我われの周囲に偏在していると主張している。
以下にその事例サンプルを纏めておく。要は、量子力学の重要な意義と役割は、我われが生きる日常生活の至る処に偏在しており、決して一般に広く信じられているような意味に留まるものではなく、ましてやそれがスケーラブル量子コンピュータ計算の専従ツールなどに特化すべきものではない!ということだ。
当microtubuleの画像は、 https://dev.biologists.org/content/144/17/3012?rss=1 より。
<注>生体中の微小管(microtubule)・・ 微小管は真核生物における主要な細胞骨格の一つ。チューブリン(分子量約5万のα-チューブリンとβ-チューブリンがあり、これらが1個ずつ結合したチューブリンダイマー(d-ダイマー/血管損傷からの止血作用として形成されるフィブリン血栓から派生する作用/なお、ダイマーは化学分子構造的にサブユニットがカップリングしたものであり、3‐ダイマー、4-ダイマーも存在する)が直線上に重合し微小管のプロトフィラメントを構成する)のヘテロダイマーを基本構成単位とする中空の円筒状線維で、外径は約25 nm。重合と脱重合を繰り返す非常に動的な構造物で、細胞の形態維持や変化、細胞分裂、細胞内物質輸送、鞭毛や繊毛の運動等の多様な細胞機能に重要な役割を果たしている。さまざまなタンパク質と結合したり、翻訳後修飾を受けたりすることにより、その構造や動態が調節され、多様な機能を発揮する(出典 ⇒ https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E5%BE%AE%E5%B0%8F%E7%AE%A1)。
<注> 1nm(ナノメートル)=10の-9乗=10憶分の1メートル
https://www.cosmobio.co.jp/product/detail/antibodies-for-er-stress-pgi.asp?entry_id=33180
https://twitter.com/tadanoossan2/status/1173783014762921984
(関連情報)【アベ式「憲法“改悪”」は“小胞体” ストレス応答システムの破壊と酷似!w】“小胞体”内の異常蛋白蓄積が“同”ストレスで是が様々な病因(殺戮・破壊・戦争状態)になる!「“同”ストレス応答」は此の異常発現の制御システムで、喩えれば<平和「憲法」>! ⇒(科学の扉)小胞体ストレスって?細胞内蛋白質工場、不良品たまると病気に916朝日 https://www.asahi.com/articles/DA3S14179000.html
https://twitter.com/tadanoossan2/status/1173783014762921984
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(関連情報)水を差すわけでないが、「わずか二種類のタンパク質要素に因る<in vivo>(量子世界など無限の多様性、換言すれば“無数の因果の空間(偶然)と理由の空間(論理)が創生する多様性の影響下にある”!(@ ドナルド・デビッドソン)”無限の可能性に満ちたリアル生命環境内)ならぬ<in vitro(計算機&実験環境内)>の“モデル”の意義に止まる!との自覚と謙虚さが必須。さもなくば、汎用AI“信仰or妄想”と同じく<悪徳orカルト政治権力の好餌>となるダケの恐れがある。 ⇒NICTが僅か二種類のタンパク質、モータ・キネシンと微小管を一定比率で混合しATPを加えるだけで自発的に様々な空間秩序構造を創ることを発見!https://twitter.com/tadanoossan2/status/1174095800156086272
・・・当イメージ画像は、https://www.nict.go.jp/data/nict-news/index.html より転載。
[タンパク質モータと微小管に学ぶ自然知からの応用=分子通信という情報通信の新概念を提唱]鞭毛をつくり出すという究極を求めて/生き物が「動く」ってすごく不思議:20181005大岩 和弘(未来ICT研究所 主管研究員 NICT(国立情報通信研究機構)フェロー)http://www2.nict.go.jp/advanced_ict/oiwa/index.html
・・・タンパク質モータの機能を、物理学的視点から、最少要素を用いて試験管内で再構築、その解析を行う「in vitro 再構成実験系」と、一つのタンパク質モータ分子を捕捉して、その力学・酵素特性を計測する「単一分子計測手法」の発展に大きく寄与し、分子通信という情報通信の新概念を提唱することで、世界的な新しい潮流を生み出すに至っています。
・・・微小管とキネシンが創出したネットワーク構造=星状体の中心にキネシンが集積している。
【関連】微小管-タンパク質モータ相互作用によるネットワーク構築とその数理モデル化に成功~細胞の形や硬さを決める細胞骨格の操作技術につながる成果~20160727国立研究開発法人情報通信研究機構、https://www.nict.go.jp/press/2016/07/27-1.html
・・・[研究成果/要点]今回、私たち研究チームは、わずか二種類のタンパク質要素、タンパク質モータ・キネシン(キネシン-5)と微小管を、一定の比率で混合してエネルギー源であるATP(アデノシン三リン酸)を加えるだけで、自発的に様々な空間的秩序構造を創り出すことを見いだしました。10マイクロメートルほどの長さしかない微小管が、キネシン-5と相互作用することで、1000倍に及ぶセンチメートルサイズの実験槽全域に広がる安定なネットワークを形成し、それが大域的な収縮を起こして崩壊することなど、これまで報告されていなかった現象を発見しました。つまり、微小管とタンパク質モータ・キネシンが自己組織的に形成するネットワークの振る舞いを定量的に明らかにして、その数理モデル化に成功したことになります。
・・・微小管とキネシンは、細胞の形態形成、細胞分裂や細胞内物質輸送などの重要な生命機能の基盤を担う細胞骨格の主要要素です。このネットワークの動態観察システムの構築と理論モデルの確立は、生命現象の様々な場面で現れる細胞内秩序構造の形成メカニズムの解明とその秩序構造の操作技術につながることが期待されます。
・・・本研究は、国立研究開発法人科学技術振興機構(JST) 戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)「生命動態の理解と制御のための基盤技術の創出」研究領域における研究課題「細胞間接着・骨格の秩序形成メカニズムの解明と上皮バリア操作技術の開発」(研究代表者: 月田 早智子)として実施したものです。
・・・
・・・非論理的、非科学的、非人間的、かつ非立憲民主主義的な<アベ「カルトor悪徳」権力>がもたらした、しかもその由々しき影響が今後も日本国民を引き続き抑圧し続ける恐れがある、直近の深刻被害の事例(2件)・・・
https://twitter.com/tadanoossan2/status/1173980218102468608
(我われの周囲に偏在する量子力学を用いて説明できる現象・事象のサンプル)
- 原子の安定性・・・古典的な説明では、電子が原子核に落下するはずであり、安定した原子は存在するはずがない。
- スペクトル線・・・原子の中には量子化されたエネルギーが存在し、その準位間で電子が遷移すると、正確に定義された波長を持つ輝線が観測される。
- 化学的な力・・・分子を統合させる力は、量子力学的な性質を持っている。
- 黒体放射・・・黒体放射(https://blogs.yahoo.co.jp/karaokegurui/68303163.html)のスペクトルは、その放射自体が量子化されるときにのみ理解される。
- 遺伝の信頼性・・・これは、DNAの分子レベルにおける量子力学に依存している。
- レーザー・・・レーザーの働きは、分子の量子力学的な状態間における励起した量子遷移の存在と、光の量子的性質に依存している。
- 超伝導と超流動・・・これらは非常な低温で起こる現象だが、様々な物質中に存在する電子と電子の間(および他の素粒子との間)の、遠距離量子間相関に関係している。
・・・
・・・当画像は、https://news.mynavi.jp/photo/article/20100208-a061/images/011l.jpg より転載。
なお、著書『心は量子で語れるか』(講談社)のなかでR. ペンローズは量子力学がいかに古典物理学と異なるかの典型的な事例(量子力学のミステリー)として以下の二つ、A【量子論的非破壊検査(量子的爆弾検査問題)の限界?】とB【量子的非局所性(量子もつれ)を利用した量子テレポーテーションの限界?】を挙げている(ペンローズはAについて、それは古典物理で言えば零位測定(零位法/天秤や電位差計と同じ考え方による測定方法)に相当する、とも述べる)。
それは、これら両者が共に現実的な意味で(実用の面で)は信頼性が未だ十分に確保されたとは言い難いからである(個々の説明にあるとおり、夫々は研究手法の側面で様々な改良・工夫が行われているが・・・)。
・・・当イメージ画像はwikiより。
A【量子論的非破壊検査(量子的爆弾検査問題)の限界】現実には理想的な実験は困難であり、爆弾のときにも弱い干渉が起きる(あるいは、不発弾のときにも干渉が完全でない)可能性があるため、1個の光子で確実な判定はできない。しかし、爆発させずに爆弾を選び出す確率を高めるため、偏光面の回転を利用することが提案されている。これによって100%まではいかないがそれに近い確率が実現されているが、たまには爆発が起こる(だから実用には耐えられない!苦w)。現実の実験では、ミラーに取り付けられた爆弾の代わりに特定のエネルギー準位にある原子などが用いられる(出典:Q&A科学と技術の諸相、http://www005.upp.so-net.ne.jp/yoshida_n/qa_a97.htm)。
・・・当画像は、https://nazology.net/archives/44167 より。
B【量子的非局所性(量子もつれ)を利用した量子テレポーテーションの限界】
(1)先行する論文はチャールズ・ベネットらのものがあるが、2004年に古澤明(現、東大大学院工学系研究科教授)らが3者間での量子テレポーテーション実験に成功しており、更に2009年には9者間での量子テレポーテーション実験を成功させたため、これらの実験の成功で量子もつれを用いた情報通信ネットワークを構成できることが実証された、とされているが実験の成功率は?
(2)続いて、2013年8月に古澤明(当時、東大工学部教授)を中心とするグループが、完全な量子テレポーテーションに成功したと発表されたが、それは波の性質の転送技術を改良し、従来の100倍となる61%の成功率であったとされる。
(3)更に、2017年7月には中華人民共和国の研究チームが地上・宇宙間の量子テレポーテーションに成功したらしいがその実験の成功率は不明?(結局、通信セキュリティを高めることが目的となるか?/以上、(1)~(3)の出典はウイキほか)。
・・・
・・・当画像は、https://www.gizmodo.jp/2019/04/there-may-not-be-objective-reality.htmlより。
この点について、R.ペンローズは従来の量子力学の描像には何か物理学上の基本的な要素が二、三、欠けていると確信しているようだが、ペンローズが期待する新しい理論には不可欠の要素として「波動関数の収縮」(又は、波動関数の崩壊)と呼ばれるものが含まれる筈だ。そして、この新しい理論は従来の量子力学や場の原子論に還元されるべきだが、同時に新しい物理現象の発見をもたらしそうでもある。
・・・初めはいくつかの固有状態の重ね合わせであった波動関数が、(観測によって)ある1つの固有状態に収縮(へ崩壊)すること。量子測定の本質をなし、波動関数と古典的なオブザーバブル(位置や運動量など)との間を繋げるものである。波動関数の崩壊は、量子系が時間発展する2通りの方法の1つであり、もう1つの方法はシュレーディンガー方程式に従う連続的な時間発展である。
・・・
そして、この理論(ペンローズが期待する、古典物理学と量子力学を統一する新しい物理現象の発見)の中には重力の量子化(未知の重力子の発見の問題)や初期宇宙の物理学の問題に関係する解答が眠っているかも知れないし、或いは後述する<人文・科学知の融和・和解的統合(コンシリエンス/consilience)=堀田昌寛氏(2019年度: 東北大学, 理学研究科, 助教)が言うところの“波動関数(量子状態)についての” 実在論的解釈(ontological intepretation)ならぬ認識論的解釈(epistemological interpretation)の問題>が必然的に深く関わることになるのではなかろうか?
https://twitter.com/tadanoossan2/status/1165012047194554368
例えば、in vivo(イン・ヴィボ/リアル生命環境内/in vitro(イン\ヴィトロ)は、試験・実験環境内)における「電気化学的勾配によるカルシウム・イオン、ホルモン・酵素等の“内分泌系”情報伝達物質の脳などにおける移動・伝播、細胞蛋白質や細胞小器官との間で情報伝達的かつ物理的な橋渡し役を担う細胞骨格(マイクロフィラメント等(直径で約約5~9nm以下の超マイクロ・スケール!)の超微細組織)の働き、という驚くべき事実(リアル生命環境内における生命の姿)はこの新しい理論に深く関わる可能性がある。しかも、それは宇宙規模のブラックホールとも通底する!(ワイル曲率仮説↓☆)
ペンローズ『皇帝の新しい心』(みすず書房)は ホーキングが「ビッグバンとビッグクランチ(無次元の特異点)の相違は前者がワイル曲率の極小で後者は極大であり、その差こそが重力場のエントロピーの大小を決める決定的要因で宇宙論的な時間の矢は宇宙の両端の境界条件で定まる」と説いたことを紹介している。
<参考1>ワイル曲率
・・・R.ペンローズによれば、ワイル曲率はリーマン曲率テンソル(tensor)の一部で、それは「閉じたフリードマン宇宙」(現時点における宇宙の時空の実態を記述する有力な仮説モデルの1つ)のイメージとして、ペンローズの著書『心は量子で語れるか』(ブルーバックス)の中で解説が加えられている。なお、量子力学とニュートン力学(伝統物理学)の統一理論の存在を探るR.ペンローズの視座は、このフリードマン宇宙仮説の妥当性の保証に接近しつつある。
・・・言い換えれば、ワイル曲率は一般相対性理論における数学的な宇宙の時空世界であるが、テンソルとは線形的な幾何概念を一般化したイメージ概念であり、これで多次元の配列が表現できる.。また、ライプニッツに由来するとされる、ベクトル束(線形代数で言う、一定の方向性を持つ独立な線列の束)の原点である基底を決めれば、そのテンソルのイメージは作図できる。なお、数学的な意味でのテンソル自身は、特定の座標系によらないで定まる対象である(右下、数学的なテンソルのイメージはwikiより)。
・・・当「閉じたフリードマン宇宙」のイメージ画像は『ブログ:科学と技術の諸相/第3章.膨張する宇宙~動的世界観の復活~』http://www005.upp.so-net.ne.jp/yoshida_n/L1_03.htmより転載した。
・・・ラグビーボール状のイメージの上端をビッグバン(エントロピー極大/ワイル曲率0)とすれば下端がビッグクランチ(エントロピー極小/ワイル曲率∞)となる。また、ラグビーボール状イメージの中間の下端に近い領域にホワイトホール(white hole)が存在し、真逆に上端に近い領域にブラックホールが存在することになる。
・・・これらは、ブラックホール解を時間反転させたアインシュタイン方程式の解として、一般相対性理論で理論上で議論される天体である。ブラックホールが事象の地平を越えて飛び込む物質を再び外部へ逃さずにすべてを呑み込む領域であるのに対し、ホワイトホールは事象の地平線から物質を放出すると考えられる。
・・・興味深いのは、このラグビーボールの全体から、更に「輪廻」(・・・→誕生→生成→消滅(死?)~再生・・・)という象徴的な意味での円環のイメージが想像的に理解できることである(Cf.↓▼)。言い換えれば、それは、このことから「ヒトと世界」のリアリズムについて、更に、新たな「認識論的解釈(epistemological interpretation)」の可能性が拡がるのではないか、と思われることである。
▼「維摩経」の良循環と真逆の「靖国&原発ダブルス顕幽論カルト」、それは「第3の矢=超格差拡大・原発推進・武器輸出・戦時体制強化」なるアベ一派・反知性主義の賜物https://toxandoria.hatenablog.com/entry/20140502/p1
<参考1>史上初、ブラックホールの撮影に成功 ― 地球サイズの電波望遠鏡で、楕円銀河M87に潜む巨大ブラックホールに迫る20190410国立天文台・・・イベント・ホライズン・テレスコープで撮影された、銀河M87中心の巨大ブラックホールシャドウ。リング状の明るい部分の大きさはおよそ42マイクロ秒角であり、月面に置いた野球のボールを地球から見た時の大きさに相当します。(Credit: EHT Collaboration) オリジナルサイズ(643KB)https://www.nao.ac.jp/news/science/2019/20190410-eht.html
<参考2>ビッグ‐クランチ(Big Crunch)は、現在において想定される宇宙終焉の三つ(Big Crunch(噛み砕き圧し潰される) 、Big Chill(冷え切る)、Big Rip(引き裂かれ粉々になる)のシナリオの一つ/ナショナル・ジオグラフィック、https://natgeotv.jp/tv/lineup/prgmtop/index/prgm_cd/102
<参考3>
興味深い! ∵ 更に何らかの‘生命’の痕跡が見つかれば単なる第一自然型のフロンティア発見の意義に止まらず、マクダウエル≪リアリズム倫理≫自体の相転換(第三の自然の発見!?/Cf.↓▼)により、AIシンギュラリティ妄想など比較にもならぬ人類文明の更なる更新・持続の可能性が拡がる。https://twitter.com/tadanoossan2/status/1172592235054940161
▼マクダウエル『リアリズム倫理学』の核心はヒトの意識を“第二の自然”と見なし、それを“第一の自然”(地球環境)と同等に位置づける点にある https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/09/点にある https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/09/
【QT】…初期宇宙では未知の物理学が作用しているということであり、それについて研究を行う必要がある!?@マックス・プランク天体物理学研究所イン・ジー氏 ⇒宇宙の膨張率を新たに測定、謎解明に一歩前進918時事、https://twitter.com/tadanoossan2/status/1174204609667186688
・・・
(マクダウエル倫理学の核心=近代的二項対立に陥る以前の古代ギリシャ的(プラトンと和解・融和したという意味でのアリストテレス的)な世界観を範に採るべきだという主張)
ところで、一般に我われは人間の心について、普通<それはコギトエルゴスム(cogito、ergo sum/我思う、故に我あり)のデカルトが考えたような物理的世界には何ものをも負わない実体とされるか(マクダウェルの言う『威丈高なプラトニズム』)、逆に物性物理的・還元論的な性質に還元されて説明されるか(同じくマクダウェルが言う「露骨な自然主義」)という二者択一に常に迫られるというジレンマに陥っていることになる。
マクダウェルは、このような「威丈高なプラトニズム」と「露骨な自然主義」とが実は共犯関係にある(普通、我われはそれにより騙されている)ので、今やAI‐コンピュータがほぼ万能視されるような時代になったからこそ、そのような近代的二項対立に陥る以前の古代ギリシャ的(プラトンと和解・融和したという意味でのアリストテレス的)な世界観を範に採るべきだと主張している(これが、マクダウエル・リアリズム倫理学の核心!/出典:現代独仏圏の哲学的人間学とジョン・マクダウェルのアリストテレス的自然主義(岩手大学、音喜多信博/KAKENhttps://kaken.nii.ac.jp/grant/KAKENHI-PROJECT-17K02156/)
マクダウェルが言う「今こそ我われが範に採るべき“近代的二項対立に陥る以前のアリストテレス的な世界観”」ということを言い換えれば、それは「ガダマーがディルタイの生の哲学のなかに再発見したとされる“”古代ギリシャ・ローマにまで遡る「現代人がすっかり忘れ去ったリベラル・アーツ的な観念でありそれこそがヒト故の豊かな想像力の源泉」(その流れの二大潮流がプラトンとアリストテレスの和解・融和ということ/そして、これは見方次第のことながら、アリストテレス主義(徳の倫理学/二コマコス倫理学)がプラトン主義を批判的に受け止めつつも深く理解し、同様にプラトン主義(敬虔(謙虚さ)の倫理学)もアリストテレスの徳の倫理学を批判的に受け止め深く理解していたと考えられること)であったのではないか?と思われる。(Cf.https://kimihikohiraoka.hatenablog.com/entry/20120422/p1 、https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/05/19/040514 )
(マクダウエル『リアリズム倫理学』の核心はヒトの意識を“第二の自然”と見なし、それを“第一の自然”(地球環境)と同等に位置づける点にある)
https://twitter.com/tadanoossan2/status/1166906719974244352
https://twitter.com/tadanoossan2/status/1166906855035035648
たまたまのことだが、<20190827朝日「文化・文芸」欄の『スマホ・AI、言語を変える/コンピューターは想像が苦手?』という記事>は興味深い内容であった。
それは、我われが<スマホ・AIによって言語の質そのものが根本から変わりつつある(話し言葉が書き言葉の中に入ってきた?!ヒトの意識と異質なコンピューターは文脈的・文法的な意味は分からないが、それは人間同士の言語の使い方とは全く異なるコミュニケーションの形を創造しつつある?)時代に入ったというユニークな指摘に加えて、コンピューターはヒトの最もヒトらしい特徴と見るべき「想像」( imagination)が苦手である!?(従って、益々、これからの時代において我われヒトの会話と文章、つまりその意識から想像力が失われて“我われが動物化”する宿命にあるのでは?)という、当ブログ記事のテーマでもある「ヒト故の想像力のユニークさ(重要性)を本格AI化の時代に入りつつある今こそ再認識すべきだ!という問題意識」と重なる論点を提供しているからだ。
【補足1】『人間の壁2』と「選言説」について
・・・「選言説」(intentionalism)は、知覚・感覚ひいては感情こそがヒトの日常言語における固有名の一義的な「意義」と概念の形成に先行すると見る、言語哲学の立場であり、一般的には概念説(表象説、概念相対主義/relativism)と対置されるが、マクダウエルでは、これが「ヒトの意識=第二の自然と定義し、それを第一義の自然と等置する考え方」のベースとなっている。
・・・「マクダウエルの≪選言説≫に因る意味論」でも、その第二の自然たるヒトの意識はそもそも胎盤的な謂い-の環境である第一義の自然の影響を当然のこと受けている(諸感覚を経由して)はずなので、たとえ固有名詞であっても初めから固有の価値を持つとは考えられない‐ということになる。
・・・『人間の壁2』は、準汎用AIの高度機械生産性の角度から見れば『人間の壁1』の問題そのもの(AI抽象化デュナミス潜勢態(生命体のヒトにとっては、抽象化である限り、それはあくまでも可能性の次元に留まる/大黒岳彦)に重なる(委細参照 ⇒ (1)https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/03/05/153938 , (2)https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/05/19/040514)
6・・・つまり、上の記事(2)で述べた『人間の壁2』(“感じる”ヒトは高度デジタル抽象的なビジネス・サービスだけでは十分に満足できないという)問題は、<知覚・感覚ひいては感情>こそがヒトの日常言語における固有名の一義的な「意義」と概念の形成に先行すると見る「選言説」と関りが深いことになる(https://www.jstage.jst.go.jp/article/jpssj/42/1/42_1_1_29/_pdf/-char/en)。
<参考>マクダウエル自身は概念説(表象説)と選言説の結びつきについて明確な論述を施していないが、われわれは、ひとまず両者の関係を次のように整理することができる
・・・概念説と選言説はそれぞれ対立する立場との間に論争を巻き起こしつつ、現代の知覚の哲学における中心的な関心領域の一部を形成している。マクダウエル自身はこれらふたつの説の結びつきについて明確な論述を施していないが、われわれはひとまず両者の関係を次のように整理することができる。
・・・一方の「概念説」が確保しようとするのは、「知覚経験においてわれわれの信念は合理的な制約を獲得する」という論点であり、他方の「選言説」が確保しようとするのは、「知覚経験においてわれわれの心に提示されるのは実在の在り方そのものである」という論点である。
・・・したがって、これら二つの見方は、相伴うことで「経験は信念に対して実在からの外的な合理的制約を与える」という論点を構成すると考えることができる。換言すれば、選言説と概念説の両者はそれぞれ、「実在から経験へ」および「経験から信念へ」という二つの道筋を整備し、それらを正当化の序列のなかに正しく位置づけるために相補的に機能すると捉えられる(出典:知覚経験の選言説と概念説/小口峰樹(東京大学総合文化研究科科学史科学哲学/現・玉川大学脳科学研究所、特任助教)。https://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/members/pdf/知覚経験の選言説と概念説.pdf
【補足】「選言説Vs概念説」の緊張関係がヒントとなる「AI時代の民主主義の新たな可能性」について(小論)
・・・パース(Charles Sanders Peirce/1839 – 1914/米国の哲学者、論理学者、数学者、科学者/プラグマティズムの創始)が提唱したタイプ(脳内で自由に変容する可能性がある概念そのもの)とトークン(その概念と対峙する関係にある、確固たる実在としての因果の連鎖に縛られる特定・個別の対象)の区別(Type-token distinction)という考え方がある。
・・・デイヴィドソン(Donald Herbert Davidson/1917- 2003/米国の哲学者/最も著名な論文は『行為、理由、原因(1963)』)によれば、現実的には、個々人の心理面におけるこの両者の対応関係は一筋縄では行かない。
・・・そこで、例えばある固有名詞(特定タイプの言語表象)ら多様な言語表象の組み合わせに因る一定の言語表現(厳密に言えば、それによる或る人の心的理由の説明)は、必ずしも因果論的ないしは論理的に首尾一貫性を確保するとは限らないことになる。いわば、個々人の内心それ自身は常に多様性に満ちていることになる。(画像は、https://www.s9.com/Biography/davidson-donald-herbert/ より)。
・・・別に言えば、如何に客観合理性を謳うとしても、安定的に、それが中立性・公平性を担保するのは非常に困難であることが理解できるはずだ。ましてや、何か絶対的に梃子でも動かぬソリッドな固定観念か何かが自己の中核的で、個性的な生命力の正体だと理解することはできないといえる。逆に言えば、個々の個性的な一回性は個々の関係性にこそあることになる。
・・・実は、このような点にこそ、マクダウエルが「選言説」(intentionalism/必然的に脳内外の諸環境の干渉の影響下にある感情こそがヒトの日常言語における固有名の一義的な意義と概念の形成に先行すると見る立場/その極致が、いわば“恰も感情と表象が一体化”しているが如き純粋経験としてのアプリオリで居丈高なプラトニズム)と「概念説」(表象説、概念相対主義/relativism/その極致が、いわば露骨な自然主義)に関わり、これら二つの視座の融和・和解に因る真のリアリズムの自覚を取り戻すこと(それによって真のリアリズムを復権させること)が、愈々、必須である!と警鐘を鳴らす根本的な理由がある。
・・・しかも、この論点は現実的に現下の国際政治の局面(言い換えれば、世界の民主主義と世界経済の行き方を占う!?)にも絡んでいることが理解できるはずだ。
・・・それは、例えば今や混迷を極める隘路に嵌ったかに見えるBrexit、又は米トランプ政権の「自国(実はトランプ自身?)第一主義」の暴走などにしても、果たしてこれらは「英国⇔欧州」を巡る諸問題の解決策として、あるいはトランプ流の格差解消策として有効なのかどうか?等の次元よりも、格段に重要なことのあることが世界的に共有されつつあるということだ。
・・・つまり今まで有意であった筈の民主主義そのものが今後も存続するために必須と見るべき第一条件は何か?ということ、言い換えれば、このパース、ディヴィドソンらに由来する<根本的な人間理解(人間社会・人間文化などをより深く理解するため)のベースとして選言説を採るか、概念説(表象説、概念相対主義)を採るか、そしてこれ等と「いまや、益々、流動化しつつあるAI時代の民主主義」の新しい在り方とを、どのように結び付け、どう理解し、更に、どう議論を深めて行くべきか?という重要な課題を最優先させるべきであること>が、悪化するばかりの格差拡大や地球温暖化、あるいはあまりにも悲惨な移民問題などを目の当たりとして歴然としつつあるからだ。
・・・因みに、『ネット階級社会ーGAFAが牛耳る新世界のルールー』(早川書房/カズオ・イシグロ推奨)の訳者(中島山華氏)の“訳者あとがき”によると、この本の著者アンドリュー・キーンは英国生まれのIT起業家(シリコンヴァレーのインサイダー)であるが、キーンは前著二冊の主張(ユーザー生成コンテンツ(日常言語主義がベースとなる)への過度な依存となることに因るネット・メディアの質の低下と、フェイスブック・ツイッターらSNSが促す“超可視性/hyperbisibility”(見た目&表層的分かり易さ重視)の危うさを指摘)を踏まえ、以下のように<我われが準汎用AIがもたらす『人間の壁』に囲い込まれる危険性>について警鐘を鳴らしている。
・・・『更に、インターネットを万能の解決策のようにとらえる現代人のものの見方、ズバリ言えば、その民主主義の特異な在り方への傾斜の危険性、換言すれば「一般社会の『非選言説』的な思考への傾斜によって、我われは『第一の自然』と『第二の自然』(両者ともマクダウエルの命名)の双方から過剰に乖離しつつある。いわば、それは我々が“準汎用AI機械化経済化によって【人間の壁】(過剰な抽象世界における只の可能性に過ぎないAI高度生産性)の奴隷と化しつつある”ということだ。』(委細は下記★を参照乞う)。
★AIの正体を知れば哲学が分かる!上っ面のAI崇拝は豚に真珠/AI批判「知」の “活用”で「ヒトがやるべき仕事」の発見と「壁《AI Vs ヒト》」の切り崩しができる https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/05/19/040514
【補足】試される民主主義/ヤン・ヴェルナー・ミュラー著
https://twitter.com/tadanoossan2/status/1170440578519031808
【構想の死角】それは紙一重ながら、ヒトは冷戦的な視点(悪)と平和の理念(善)の相剋(試され続ける民主主義)のリアリズムのなかでこそ世代を繋ぎつつ生き抜くことができる!逆に言えば、紙一重の不確実性に抗うエルゴン(善悪紙一重の拮抗を超克し続ける動的パワー)に由来する意識が生命の実相であるかも?
・・・「民主主義=A第一自然(モノ) Vs B第二自然(ヒトの意識)の相剋」と見れば(マクダウエル、ペンローズ)、「民主主義=制度化された不確実性の実験」が腑に落ちる。つまり、プラトン主義(敬虔(謙虚さ)の倫理学)とアリストテレスの徳の倫理学を批判的に受け止め深く双方の着地点を理解する実験だ!と、マクダウエル流にそれを見立てることができる。
・・・従って、いま内外で復活しつつある「冷戦的な視点」は、“A Vs B”の≪相剋≫ならぬ“マイファースト(謙虚さの対極である傲慢に流された)故の、“A Vs B”の≪代理戦争≫意識”に他ならぬ。その意味で「著者ミュラーの定義=民主主義は制度化された不確実性」は実にタイムリーな再確認である。
・・・換言すると、両者の関係が≪相剋≫であるか?≪戦争≫であるか?の差異は、永遠に≪紙一重≫であろう。しかし、汎用AIマシンならぬ生身のヒトは、“A Vs B”の≪戦争≫ならぬ両者の≪相剋≫(ヒトの生誕環境)のなかでこそ、世代を繋ぎつつ生き抜くことができる。
・・・このような現実(リアリズム/マクダウエル流に言えばリアリズム倫理=“物的実在&環境”と“ヒトの意識”を全く同等の実在(リアル)と見なす)に全く覚醒不能であるのが「悪しきポピュリズム」(および、それと共依存した政治権力・主要メディアら)の病理である。(関連/Cf.↓★)
★マイファースト&ポピュリズムで“流動化”する世界、特に日本で目立つ<主要TV・新聞・国民>の「共依存(相互忖度“もたれ&もつれ”合い)」に因る「想像力」消滅 https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/09/
(新たなコンシリエンス時代が到来!?の予感/日本国民の豊かな想像力“再生”への期待)
・・・以下では、日本でも量子力学等の先端科学フィールドを軸として、特に若手研究者の中に理系・人文系の垣根を超えた、人間そのものへ新たな理解が深まりつつある!?と思しき事例を少し取り上げておく。・・・
<注>人文・科学知の融和的統合(コンシリエンス/consilience)の委細についてはコチラを参照!⇒20161107toxandoriaの日記、http://urx3.nu/AH4L
松岡正剛『千夜千冊』(https://1000ya.isis.ne.jp/0004.html)によると、R.ペンローズ『皇帝の新しい心』(みすず書房 1994)には「コンピュータ・心・物理法則」という副題がついている。そのため、「コンピュータは心を表現できるのか」との積年の疑問への解答か?との期待を持つ向きもあったようだが、その期待はあっけなく裏切られる。
しかし、「心の科学」の観点からペンローズは同書の中で「コンピュータ(AI)に対峙する人間の心の特性(換言すれば全宇宙におけるヒトの心の特異性?(換言すると一回性的な意味で)のヒトのスケールのユニークさ(例えば“対数目盛”に換算して見る限り人間の寿命は殆ど宇宙の年齢と同等に長いとも言える!)を発見しており、奇しくも此の観点がマクダウエルのリアリズム倫理と深く共鳴することに驚かされる。/補、toxandoria)」を解き明かしたとも言える(関連参照 ⇒既出の ペンローズ『心は量子で語れるか?』(講談社)。http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000226689)
また、量子力学(量子的な絡み合い、量子もつれ)によれば、起こり得たかも知れないが実際には起こらなかった過程についての情報を得ることができる(関連参照 ⇒既述の量子的爆弾検査問題http://www7b.biglobe.ne.jp/~fortran/education/Doshisha/bomb.pdf)
[事例1]波動関数の収縮(崩壊)はパラドクスではない!20140405堀田昌寛/2019年度: 東北大学, 理学研究科, 助教http://mhotta.hatenablog.com/entry/2014/04/05/094917
https://twitter.com/tadanoossan2/status/1165459574897299456
1 【メモランダム/QT】波動関数の収縮(崩壊)はパラドクスではない!20140405堀田昌寛/2019年度: 東北大学, 理学研究科, 助教・・・以下、部分転載・・・コペンハーゲン解釈を学ぶ時、一番最初にひっかかるのは「波動関数の収縮(崩壊)」という概念ではないだろうか。http://mhotta.hatenablog.com/entry/2014/04/
2 ある量子系を測定して結果を得た途端、その状態は瞬間に別な状態へと変化するという、あの話だ。古い教科書で学んだ先生方からは、「そんなことは気にするな。まずは計算ができるようになれればいい。と親切なアドバイスを受けた人もいるだろう。http://mhotta.hatenablog.com/entry/2014/04/
3 それでも何か気持ち悪い感じが残っている人も多いらしい。従来の教科書ではコペンハーゲン解釈の本質的パーツの説明が抜けているから、こういう消化不良を起こすのだと思われる。http://mhotta.hatenablog.com/entry/2014/04/
4 「コペンハーゲン解釈では波動関数(量子状態)は物理的実在ではなく、認識論的情報概念である」としっかり理解すれば何も問題は起こらないのだ。観測者が持っている系の情報量に応じて、1つの量子系に対する波動関数は人によって異なってもいい。http://mhotta.hatenablog.com/entry/2014/04/
5 それは、実在論的解釈(ontological intepretation)ではなく、認識論的解釈(epistemological interpretation)の問題なのである。http://mhotta.hatenablog.com/entry/2014/04/
6 また、猫や人間を含む有限自由度のマクロ系でも量子力学は適用できるという点も認めれば、コペンハーゲン解釈のどこにもパラドクスは生じない。シュレーディンガーの猫の思考実験もパラドクスではないのだ。http://mhotta.hatenablog.com/entry/2014/04/
7 量子コンピュータの概念が多くの研究者に浸透するとともに、マクロ状態の線形重ね合わせを原理的に否定する考え方は廃れてきた。もちろん「デコヒーレンスを抑えれば」’(関連参照 ⇒https://www.weblio.jp/content/%E3%83%87%E3%82%B3%E3%83%92%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B9 )という前提があるのだが、http://mhotta.hatenablog.com/entry/2014/04/
8 マクロ系でも量子コヒーレンスをうまく保つ(デコヒーレンスを抑える)方法があの手この手で模索されている。実用に耐える巨大量子メモリを持つ、スケーラブル量子コンピュータ(scalable quantum computer)を夢見る研究者の多くにとって、http://mhotta.hatenablog.com/entry/2014/04/
9 波動関数は言わば量子情報(様々な物理量の確率分布の束)そのものなのだ。現代的コペンハーゲン解釈での波動関数の収縮(崩壊)は、測定による量子系の知識の増加に過ぎない。・・・以下、省略・・・http://mhotta.hatenablog.com/entry/2014/04/
[事例2]<研究ノート> 「コペンハーゲン解釈」とは何か : ニールス・ボーアと崩壊解釈は両立するか:森田 紘平、京都大学大学院文学研究科・科学哲学科学史研究 (2014), 8: 77-87 https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/185330/1/phs_8_77.pdf
1 はじめに
量子力学の哲学におけるテーマの一つに解釈問題がある。解釈問題とは,その名の通り,量子力学の理論をどのように解釈するべきかという問題である(補足、toxandoria/[事例1]で堀田昌寛氏( 東北大学, 理学研究科, 助教)が指摘するとおり、それは実在論的解釈(ontological intepretation)ではなく、認識論的解釈(epistemological interpretation)の問題!愈々、この領域は理系・人文系の垣根を超えたコンシリエンスの視座が必須であると、特に若い研究者の間で共通理解されつつある!)。
・・・以下は、同論文より部分転載・・・
量子力学の解釈としては,van Fraassen の様相解釈や,DeWitt の多世界解釈,Bohm の隠れた変数理論などが挙げられる。中でも,最も有名であり標準的な解釈とされているのが,コペンハーゲン解釈である。一般に解釈問題を扱う際には,標準解釈とコペンハーゲン解釈は区別して用いられるが,量子力学を波束の崩壊を認めるか否かで二つに分けるとすると同じグループに属すと言える。波束の崩壊を認める立場では,量子力学における状態の時間発展に射影公準(射影仮説)を認め非連続的な変化を認める(後述)。コペンハーゲン解釈はこの波束の崩壊を認める立場であり,多世界解釈などはそれを認めない立場である。
<参考>マクダウエル「リアリズム倫理」(コンシリエンス的な心の哲学フェーズ)で留まり、下(◆2、◆3)の世界へはあまり踏み込まぬ方が無難かもしれない?(苦w)
◆1「使われない公理」扱いされているが、実は「射影仮説」は重要であるhttp://as2.c.u-tokyo.ac.jp/~shmz/zakkifiles/01-11-07.html
◆2量子言語は、(A1)と(A2)の折衷案 http://chanelkant.blog.fc2.com/blog-entry-191.html
・・・(A1):射影仮説を採用しない(したがって、波束の収縮はない)、(A2):射影仮説を採用する(したがって、波束の収縮はある)
◆3"量子言語入門:量子力学の言語的解釈" http://www.math.keio.ac.jp/~ishikawa/QLEJ/indexj002.html
・・・
コペンハーゲン解釈はその名の通り,コペンハーゲンで生まれたとされる解釈であり,デンマークの物理学者Niels Bohr が発案者とされることが多い.また,1930年代前後にBohr を支持していたとされる幾人かの物理学者たちもコペンハーゲン解釈の支持者と考えられている。例えば,Werner Heisenberg やWolfgang Pauli,Ernst Jordan,L`eon Rosenfeld などがコペンハーゲン解釈を支持し,発展させた物理学者であるとされる(Camilleri 2007,pp. 27–28).中でも特にHeisenberg とBohr は20 世紀前半の量子力学の議論をリードしてきた物理学者である。
この二人の量子力学解釈はコペンハーゲン解釈と呼ばれることも少なくない。このような立場では,例えば相補性や全体性といった概念に対する態度や,崩壊過程を肯定する態度はBohr とHeisenberg に共通する量子力学解釈であるとみなされている。しかし,このような捉え方に反して,Heisenberg とBohr との間に解釈の違いがあることは1970 年代前後から指摘されてきた。後述するが,崩壊過程(量子崩壊、波動関数の崩壊)を認めるか否かという問題でさえ,Bohr とHeisenberg は異なる立場にある。とはいえBohr とHiesenberg が異なる解釈をとっているとしながらも,20 世紀の量子力学史研究ではコペンハーゲン解釈は存在するはずで,その核となる主張が曖昧なだけであるとされてきた。つまり,Bohr とHeisenbergの主張は合致していない部分もあるが,それでもコペンハーゲン解釈なるものが存在し,その内容を明らかにするという研究方針が20 世紀には主流であった。
・・・
しかし,このような研究の方針自体をHoward は否定している(Howard 2004).Howard はそもそもコペンハーゲン解釈は虚構であり,その内容を探究する試みは無意味であると考えた。Camilleri はHoward と同じ立場をとり,現在では有力な立場の一つと言っていいだろう。一方で,旧来の方針を踏襲するGomatam のような立場もある。どちらの立場が正しいかという問いは本論では扱わない。しかし,このGomatamの議論は波束の崩壊に関する議論において決定的な問題がある。本論では,その問題点を指摘する。
本稿の構成は以下の通りである。第2 節ではHoward(2004)までのコペンハーゲン解釈研究を概観する。加えて,Kragh(1999)やJammer(1974)といった量子力学史,および量子力学の哲学の標準的な本においても,コペンハーゲン解釈の内容が曖昧であることが指摘されている点を確認する。続いて,第3 節では科学史的な側面から現代のコペンハーゲン解釈研究を見る。特にCamilleri はコペンハーゲン解釈の誕生に関する説得的な議論を展開している。第4 節では,波束の崩壊に注目し,Bohr の解釈との整合性に関する議論を見る。そこではHoward(2004)とGomatam(2007)を扱う。そして,第5 節においてGomatam の議論に対する決定的な反例を提示しよう。・・・途中、省略・・・
4 Bohr(Henrik David Bohr/1885 - 1962/デンマークの理論物理学者) と崩壊解釈
<補足>「量子力学の育ての親」とも呼ばれるニールス・ボーアは、特にブッダや老子ら東洋の思索家が直面した認識上の問題に関心があり、「ヒトの存在は観客でもあり演技者でもある」(toxandoria補:おそらく、 波動関数の収縮を認めていなかった可能性が高いボーア(委細、後述)は“マクダウエルのリアリズム倫理にも似た厳格リアリズム(in vivo)認識論的な量子論”の立場であった?と考えられる )ことに関心を向けていた(INTHETIC『量子力学と東洋思想』https://inthetic.com/about_attracting)。 ・・・ボーアは、次のように言っている。⇒「原子物理学論との類似性を認識するためには、我われはブッダや老子といった思索家がかつて直面した認識上の問題(認識論的解釈(epistemological interpretation)の問題)にたち帰り、大いなる存在のドラマのなかで、観客でもあり演技者でもある我々の位置を調和あるものとするように努めねばならない。」 https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/09/01/165255
・・・
ここまでで,コペンハーゲン解釈の研究に関する,いくつかの重要な論文をまとめてきた。この節では,崩壊解釈とBohr の解釈が一致するのかという観点から検討する。コペンハーゲン解釈が虚構であるとされる根拠の一つとして,コペンハーゲン解釈の特徴とされていた波束の崩壊を認めるというアイディアが,支持者の中心人物であるはずのBohr と両立しないという点が挙げられている。これ以外にも,この解釈の支持者の間で解釈が一致しない概念があり,結論として,コペンハーゲン解釈が虚構であるとされている。例えば,相補性や全体性などがその好例であるが,ここでは波束の崩壊に絞って議論を進める。
最初に波束の崩壊を定義しよう。Howard(2004),Gomatam(2007)において波束の崩壊と射影公準は区別されていないので,本論でもそれに倣う.波束の崩壊とは,ある系(その状態を| ⟩ と表すとする)が観測機器と相互作用することで,この系 は観測しようとした物理量A に対応する固有状態|a⟩ に変化することとする。また| ⟩ , |a⟩ とする。波束の崩壊を認めるか否かによって,量子力学の解釈を分類できることはすでに述べた。コペンハーゲン解釈は一般的に崩壊解釈であるとされている。しかし,Bohr は波束の崩壊を認めない。この点に注目してHoward とGomatam の議論を追って行く。∗・・途中、省略・・・・
Bohr が波束の崩壊という言葉を一度も使っていないという点はHoward,Gomatamによって指摘されている(Howard 2004,pp. 670–671;Gomatam 2007,p. 738)。ただし,Bohr が波束の崩壊やそれに類する主張をしていないことは,Teller(1980)やKragh(1999)でも指摘されている。Howard はBohr が崩壊を認めなかった根拠として,観測の標準的な扱いに関する議論を提示する(Howard 2004,p 671).Howard によれば,量子力学の観測過程がどれほど新奇なものであれ,観測は物理的なプロセスであるとBohr は考えていた。一方,波束の崩壊を認めるということは観測に通常とは異なる時間発展を認めることに他ならない。これはつまり,観測過程が特殊な物理的なプロセスだと考えていることになる。Bohr は1927 年のComo 会議で以下のように述べている。
量子仮説は,原子的現象のすべての観測には,観測装置との無視することのできない相互作用がともなうということを意味している。それがために,現象にたいしても観測装置にたいしても,従来の物理学の意味における独立した実在性なるものを付与することはできなくなる。(Bohr [1927]1999,pp. 54–55,邦訳pp. 20–21)この引用は,Bohr が独立した実在を認めていないことを意味している。さらに,Bohr は観測による擾乱を生涯認めることはなかった(Howard 2004,p. 672)。
<注記>「Bohr が独立した実在を認めていないこと」の重要な意義(epistemological interpretation的な理解)
・・・この「Bohr が独立した実在を認めていないこと」は、マクダウエル『リアリズム倫理』の考え方に似ている!つまり、そもそもある自然事象(社会的事象に非ず!)に善か悪かの差異はなく、その差異はヒト故の意識的な理解に因ることになる。しかし、マクダウエルでは、それ故にこそリアリズム(実在)としてのヒトの意識のリアリズム(実在)が非常に重みをもつことになる訳だ。しかも、そのような意味でのリアリズム意識を持つのはヒトのみに限られていると考えられるので、ヒトが作る社会・文化・政治・経済のあり方については、まさにヒト自身(しかも、ヒトだけ)が此の奇跡的とも言えるエトノス自然環境のなかで責任を負っていることになる。特に、そのヒトの中でも為政者のそれが非常に重要であることは論を待たないと考えられる。(補、toxandoria)
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観測機器は古典的に記述して,対象系は量子力学的に記述するという機器と対象の二元論をBohr は否定する。むしろ,Bohr の立場では機器と対象はエンタングルメントを起こすのであるから,この二つは分離不可能である(Howard 2004,p. 675)。古典力学の範疇ではエンタングルメントは生じないので,観測機器が対象とエンタングルメントを起こすなら機器も量子力学的に扱うべきであるというのが理由である。
Howard によればBohr は観測過程を物理学における相互作用の一種とみなし特別扱いを認めず,加えて,分離不可能性を用いて波束の崩壊を認めていなかった。この分離不可能性は,機器の扱いと対称系の扱いを区別することを禁じている。
・・・当画像は、http://maruyama097.blogspot.com/2017/05/epr.html より。
<補足>分離不可能性について
・・・A. Einsteinらが提起した分離不可能性とは、量子も含む物理量が「分離不可能」な一つの系を成していると理解すべきなので、そもそも“完全な理論には、実在のそれぞれの要素に対応する要素が、理論自体の中にあるべきだ!”とする、いわゆるEPR論文(A. Einstein, B. Podolsky, and N. Rosen、http://as2.c.u-tokyo.ac.jp/lecture_note/kstext04_ohp.pdf)の立場である。
・・・そして、ボーア(ブッダなど東洋の思想・哲学に関心を持っていたとされる!/既述)も同じ考え方であったのでは?とするのが、当「森田紘平」論文の立場でもあると思われる。
・・・因みに、このボーアの考え方は、“現在の量子理論(コペンハーゲン解釈)には何か二、三の基本的な公理の如きものが欠けているのでは?と見るR.ペンローズの疑問、あるいは「“第一の自然”と“第二の自然”を等置しつつマクダウエルが説くリアリズム倫理」(同じく既述)の考え方とも共鳴する点があるように感じられて興味深い(関連参照↓ブログ記事▼)。
▼世界中の天才たちを悩ませた「謎」とは? 物理学史上最大のドラマ/科学ジャーナリスト:Louisa Gilder(訳:山田 克哉、窪田恭子)https://gendai.ismedia.jp/articles/-/49977?page=4
・・・
続いてGomatam の議論も確認しよう.Gomatam もHoward 同様に,波束の崩壊がBohr の解釈と両立しないと論じている。しかし,Gomatam は崩壊を量子文脈性と分離不可能性を用いて議論している点で異なっている。
さらに,Gomatam はコペンハーゲン解釈に様々なバージョンがあるとしながらも,コペンハーゲン解釈には核(中心となる理論構造)があるとして議論している点も特徴的である。このGomatam の立場は,Howard やCamilleriが明らかにコペンハーゲン解釈になんらかの核を認めないこととは対照的である。以下で,詳しくみていこう。
Gomatam は量子文脈性について以下のように定義する(Gomatam 2007,pp. 738– 739)。量子文脈性とは,波動関数は個々の系を記述しているが,物理量の明確な値は 観測の文脈(ヒトの意識の視座?/補、水のイマージュ)でしか予測されないというアイディアである。つまり,固有状態・固有値 は観測によって,かつ観測が行われた時に作られるとする立場である。この量子文脈性こそがコペンハーゲン解釈を特徴づけるものである。これは Gomatam において波束の崩壊がコペンハーゲン解釈の要素であることを示していると言えるだろう。
・・・当イメージ画像はhttps://www.pinterest.jp/pin/408349891189510540/) より)
<補足>量子文脈性の問題を、一挙に、いわゆる“クォンタムリープ(量子的飛躍 /science-fiction の造語)”なる怪しげな?カルト概念(orサイエンス・フィクションの世界)へ結び付けるのは危険である(苦w)。そのように一気にleap的に理解したいという人々の気持ちが分からぬ訳ではないが、例えば、ボーア・ペンローズられっきとした科学者、又はマクダウエルら哲学者の如く、あくまでも「実在論的解釈(ontological intepretation)と認識論的解釈(epistemological interpretation)の相剋」というコンシリエンス(リベラルアーツ・アカデミズム)の領域に止まるべきである。因みに、高度AIの実現に因りシンギュラリティ(超現実的と見紛う大画期の新時代)への劇的な相転移が出現する!なるサヴォナローラ風の預言?も、此のクォンタムリープのジャンルに属する、一種のハイな酩酊意識(喩えれば“何でも「改憲」で解決!”一本鎗へムリクリ突っ走る #安倍政権 や #日本会議 らの(オ?)カルト観念は是に似ている鴨神社!w)だと考えられる。
<蛇足1>【現代日本のクォンタムリープ!(量子的飛躍)こと“共依存シンドローム”の土壌?】・・・現代「勲位制」にしぶとく遺る、戦中・戦前期「英霊界位階制≒神階制」なる国家守護神制(国立亡(英)霊鎮護国家?)の残照・・・
・・・位階(神階)は、著しい業・功績をあげたと評価される政治家・大学名誉教授・財界人らの著名人に対し、主にその死後に日本政府から下賜される“従四位、正四位・・・”らの叙位称号のことを指す。
・・・日本国憲法第7条では、栄典の授与を内閣の助言と承認のもとに行われる天皇の国事行為と規定しており、勲章や位階などは天皇の名により授与する形式をとっている。
・・・又、この規定は「天皇以外の機関(国会、内閣総理大臣、都道府県知事、市町村長ら)が授与を行う栄典の制度を設けることを排斥するものではない」とされる。
・・・日本における位階制は古代律令制に基づく政治行政制度とともに中国から輸入し、爾後に独自の発展を遂げたものである。
・・・他方、一般に律令の位階と混同されることが多い神階(神位)は、神道の神に授けられた位階のことで、「神道と日本人」(春秋社)の著者・葉室頼昭氏(故人/春日大社宮司・医師)によれば、「国家神道(国家英霊を尊崇する)は明治政府の大きな誤りで、そもそも伝統神道には“英霊”に連なる神位の考え方はなかった」とされる。Cf.
http://www003.upp.so-net.ne.jp/tomoiki/kokkasintou.htm
・・・そして、「国家神道」イデオローグの下で「英霊に連なる神位」を創作すること、換言すれば「顕彰教義に埋め込まれた侵略への“総忖度・共依存”型の大政“翼賛“動員という政治目的を、聖戦教義(一強官邸(>司法・検察・官憲)麾下のアベ様から下賜された嫌韓の呪文に溺れ、かつ浮かれ舞い上がる現在の日本世論の空気にも似た(苦w)日本人の“情”を擽るこのみいくさ論/Cf.↓♨)・英霊教義の似非宗教トリックで粉飾(クォンタムリープ(量子的飛躍)化)する」ための国家宗教施設として制度化されたのが靖国神社である。
♨【戦後JPNクォンタムリープ一強超然権力の元祖!/半島“極右権力”と同根/聖戦を煽る社会的“共依存”の空気は小さな風穴から吹き始める!】「名にかへて このみいくさの正しさを 来世までも語り残さむ」 岸 信介(安倍晋三・祖父)、https://mie-net.hatenablog.com/entry/20140105/p1
・・・
<蛇足2>日・韓(安倍・朴)両政権が共有する“カルト超然権力”の核心は旧日本軍(関東軍/旧満州統治)方式の『軍事国家主義』
・・・https://toxandoria.hatenablog.com/entry/20160109/p1 より、部分転載・・・
・・・朴槿恵の父・朴正煕は日本の陸士出身で関東軍・陸軍中尉の経験があった。その朴正煕(岸と同じ満州国人脈!/韓国第三共和国大統領)が米国(米産軍複合体)支援の下で行った経済開発の手法は旧日本軍(関東軍)仕込みの「軍事国家主義」政策であった。
・・・ところで、韓国の反共理念が米国の基本利益に一致するとの判断から「韓米経済軍事援助協定、http://ur0.xyz/q9Nq」が締結されたのと同年、1954年の5月1日に「世界神霊統一協会(明らかにカルト教団!)」が韓国で設立されており、この符号は不気味である。
・・・しかも、《霊的なもの、あるいはカルト》が暴走的な政治権力と軍事パワーに対し支配的に関わり(場合によって、その影響力は原子力などの科学技術や文教・文化政策にまで及ぶ)、その「一般市民・庶民層に対する買弁的な抑圧の構図」は作為で創られるという意味で、そこから<中東においても、米産軍複合体がアルカイダ・ISらイスラム原理主義テロ集団の草創期に関わっていた>ということ(事実)が連想させられ空恐ろしくなる。
・・・やがて、70年安保の直前にあたる1968年には、「世界神霊統一協会」の政治活動部門である「国際勝共連合」が韓・日の双方で発足しており、日本では岸信介、ほか判事経験者など法曹界系の国会議員らがその活動に参画したことがよく知られている。(ウイキ情報あり)
・・・発足時から日本「国際勝共連合」が掲げてきた主要目標の中には、≪改憲(9条放棄ほか)・軍事力強化(三原則放棄など)・原発推進≫などがあり、これらはまさに現在の安倍政権が躍起になって取り組む重要政策となっていることだ!(ウイキ情報あり)
・・・現在の朴槿恵には韓国の経済再建という絶対的な命題が伸し掛かっており、その意味でも「漢江(ハンガン)の奇跡」(http://ur0.pw/qeDj )を実現した父・朴正煕の偶像化と再評価に縋りつくという思いが強いと考えられる。
・・・つまり、安倍晋三と朴槿恵の両者は、日韓両国の「民衆・市民レベルの歴史」とは全く異なる、殆ど異次元と言っても過言ではない特異な、米国(米産軍複合体)が“公式にではなく戦略的に公認”する私的歴史観(=関東軍仕込みの軍事国家主義史観)を共有していることが理解できる。・・・以下、省略・・・
・・・
Gomatam における崩壊の記述を確認する。Gomatam は波束の崩壊に対して定義を 与えていない。しかし,崩壊仮説に対する説明は加えている。そこでは,崩壊が観測によって生じることと,崩壊仮説に基づけば波動関数は,個々の状態と関連している ことを述べている(Gomatam 2007,p.738)。量子文脈性は,この崩壊仮説を含む形で 定義されている。なので,ここでは量子文脈性に注目して議論しよう。
先の引用でも見たように,Bohr は対象と観測機器を区別するということを認めない。 このことを Gomatam は分離不可能性と呼ぶ。ここでの分離不可能性とは,個々の系 の記述と量子力学的な形式を関連付けることを認めないということである(Gomatam 2007,p. 739)。言い換えると,量子力学の形式の対象である量子系を観測系と被観測系の全体として捉えることである(Gomatam 2007,p. 738)。
Gomatam は,この意味での分離不可能性と崩壊解釈が両立しないと論じている。 換言すると個々の系に対して波動関数を割り当てるとする量子文脈性は,Bohr の分離不可能性と両立しない。分離不可能性に基づけば,個々の系に対して波動関数を 割り当てることは許されない。
したがって,Bohr の立場と量子文脈性は両立しない。 Gomatam によれば,Bohr の分離不可能性に基づく解釈は,崩壊仮説を回避している。 なぜなら,Bohr は個々の粒子に波動関数を関係づけることを認めていないからである (Gomatam 2007,p. 747)。つまり,波動関数は対象だけを独立に記述することが出来 ないとする Bohr の立場は,対象だけに波動関数を割り当てることができないとする量子文脈性とは両立しない。この議論は量子文脈性にのみ適応されるものではなく, 波束の崩壊にも応用できる。
Gomatam の議論を引き継げば,波束の崩壊における二つの時間発展と分離不可能性が両立しないと言えるだろう。 このように Howard,Gomatam はともに崩壊解釈と Bohr の量子力学に対する立場 が両立しないと主張している。結論は同じであるが,そこで用いられている議論が異 なっており,Howard の議論に比べ,Gomatam の議論には直ちに反例を与えることが できる。その点については次節で確認しよう。
5 Gomatam の問題点
Gomatam(2007)の議論は,分離不可能性によって,波束の崩壊を回避できるとい う主張であった。しかし,分離不可能性に反せずに波束の崩壊を認めることができる例を提示できる。 Bub が述べているように,観測機器との相互作用による時間発展では,
観測機器と の相互作用によって生じるユニタリ(補・toxandoria/直交行列を複素数体へ拡張した/ごく平易に言えば、複素数体上の内積空間より抽象化された(実数→複素数の各空間より更に一次元だけ抽象度が深まった)内積空間(その定義の範囲における元の無限集合)と言うべき鴨?))な時間発展(補・toxandoria/固有値ないしは固有ベクトルを持つヒルベルト空間での)と,非ユニタリな時間発展(補・toxandoria/固有値の不在があり得る実数空間での)の二つがあ る(Bub 1999,pp. 34–37)。
・・・「ヒルベルト空間は、厳密な数学上の定義を置くとすれば、とりあえず実数・複素数の計算に適応できるベクトル空間」として、また「量子内の波動関数は、無限次元複素(数)ヒルベルト空間内のベクトル」として、夫々が定義できる(出典:https://eman-physics.net/quantum/hilbert.htm )
・・・
したがって,波束の崩壊を回避するために被観測系に波動関数を割り当てることができないという分離不可能性を用いても,観測機器と被観測系の複合系において崩壊過程が生じうる。よって,Gomatam の議論は成立しない。
より正確には,分離不可能性だけでは,波束の崩壊を否定する根拠たりえない。した がって,Bohr が分離不可能性を支持していたことだけでは,Bohr が波束の崩壊を否定していたことを導けない。それでは結論も否定されるのだろうか。つまり,観測機器との相互作用によって生じるユニタリな発展と,非ユニタリな発展の二つの時間発展があるという点をBohrは認めるだろうか。Gomatam の用いる分離不可能性の議論だけでは,この点を十分に 否定できない。
しかし,Howard の議論を用いればこの点にも反論できる。つまり,前述した通り Howard によれば,Bohrは観測機器の相互作用を特別扱いすることを認め ない。Bohr は特別な時間発展を,この場合では非ユニタリな時間発展を量子力学に認めることを否定しているからである。
従って、Bohr は波束の崩壊を認めないと言えるだろう(補・toxandoria/しかし、同時にボーアは波束の崩壊を認めていたとも言えそうだ。それは、この二者択一の決着は“観測”によらざるを得ない筈だが、その先では再び“観測問題”が登場することになり、このアポリア状況の連鎖が“入れ子”構造的に連続する筈であるからだ。)。
6 おわりに
本論では,2000 年代以降のコペンハーゲン解釈研究について見てきた。現在は Howard(2004)の影響もあり,この解釈が虚構であったとする立場が優勢である。し かし,彼らが共通の概念を使っていたことも明らかである。例えば,相補性や全体性などの概念は Bohr らに特徴的である。
とはいえ,彼らが同じ意味で用いているとは 言い難い(Cammileri 2009,pp. 45–48)。そこで,Bohr らを総称してコペンハーゲン学派と呼ぶことは問題ないだろう。むしろ,コペンハーゲン解釈という言葉よりも, より正確な呼称ではないだろうか。いずれにせよ,コペンハーゲン解釈という言葉を無批判に用いることは非常に危険であると言わざるをえない。
Bohr の解釈はいまだに議論の的であるが,歴史的な分析が十分に行われているわけではない。例えば,Gomatam は本論でも指摘したように,議論には根本的な問題点が ある。Bohrの解釈を再定式化しようとする試みは少なくないが,歴史的な分析は少な い。今後は,歴史的な分析に基づく Bohr 解釈を構築していく必要もあるだろう.・・・以下、省略・・・
[事例3]絶縁体の量子振動の観測に成功 ‐金属でも絶縁体でもない前例のない電子状態を発見‐20180906京都大学・研究成果
・・・佐藤雄貴 理学研究科博士課程学生、および笠原裕一 同准教授、松田祐司 同教授、伊賀文俊 茨城大学教授、杉本邦久 高輝度光科学研究センター主幹研究員、河口彰吾 同研究員らの研究グループは、米国ミシガン大学、英国オックスフォード大学、米国ロスアラモス国立研究所と共同で、本来電子を流さない絶縁体であるイッテルビウム12ホウ化物(YbB12)において、強磁場中で量子力学的効果により電気抵抗と磁化率が磁場とともに振動する現象(量子振動)を初めて観測しました。本研究成果は、2018年8月31日に米国の科学雑誌「Science」のオンライン版に掲載されました。
・・・【研究者からのコメント】私達の身のまわりにある物質は、絶縁体と金属の2種類に分類されると考えられてきました。本研究成果はそのような従来の常識を覆すものであり、絶縁体とも金属とも区別できない新しい状態があることを示しました。このような新奇電子状態の研究を今後さらに進展させることで、従来の枠組みを超えた新現象の発見が期待されます。
【概要】
・・・物質には電気を流す金属と流さない絶縁体の2種類が存在します。金属では「量子振動」という現象が起きることが知られています。この量子振動とは、強磁場中で量子力学的効果により電気抵抗や磁化率が磁場とともに振動する現象で、量子振動が観測されることは金属状態が実現していることを意味します。
・・・ところが、近年「近藤絶縁体」と呼ばれる希土類元素を含んだ化合物サマリウム6ホウ化物で、磁化の量子振動が観測され注目されています。ただし、この絶縁体では、電気抵抗では量子振動が起きず、量子振動の起源や解釈を巡って大きな問題となっていました。
・・・本研究では、別の近藤絶縁体イッテルビウム12ホウ化物(YbB12)に着目し、大型放射光施設SPring-8で結晶構造とその純度(単相性)を確認しました。続いて、高感度磁化測定(磁気トルク測定)および精密電気抵抗測定を、米国立強磁場研究所において極低温かつ高磁場中で行いました。
・・・次いで、高感度磁化測定(磁気トルク測定)および精密電気抵抗測定を、米国立強磁場研究所において極低温かつ高磁場中で行いました。その結果、このYbB12において、磁化だけでなく電気抵抗における量子振動を世界で初めて観測しました。
・・・さらに、この量子振動をもたらす電子状態が、通常の金属と同様のふるまいを示すことも明らかとなりました。本研究成果により、YbB12は絶縁体とも金属とも区別することができない前例のない電子状態をもつことが示唆されます。
【関連情報/研究情報 2016大阪大学 トポロジカル近藤絶縁体の特異な2次元電子状態を発見】https://twitter.com/tadanoossan2/status/1166166585045700608
【参考】近藤効果は磁性を持つ極微量な不純物がある金属では温度を下げ続けるとある温度以下で電気抵抗が上昇に転じる現象で、これは金属の一般的な性質とは異なる。1930年頃から知られていた当現象の物理的機構は1964年に近藤淳が初めて理論的に解明した。・・・最近では、プルトニウムの普通でない金属δ相(面心立方格子構造)を理解するためには近藤効果の現れが必要であると考えられている。・・・近藤の業績を引用する論文も増えていて、ノーベル賞の候補とされている。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91
3 日本政府のAI兵器に係わる惚けた意思表明は総国民と忖度メディア(主要TV・新聞)等が共依存の関係で<普遍情報“共有環境”劣化シンドローム>に罹患した証左
<注>共依存(Co-Dependency、Co-Addiction)の核心は、アイデンティティ又は確固たる自意識の自閉的な溶解・希薄化!
・・・ある特定の物質、出来事、行動、人間・社会関係(パートナーや周辺人物、又はナルシズムの対象としての自己らとの共鳴・交感・交歓・交流)等を特に好み、それら特定の関係性(関りのバイアス)に頼り切る双方向的な性向(嗜癖、習慣・心理的傾向、社会的風潮or傾斜的関係性など)に引きずられ、そもそも自己の核心であるべきアイデンティティや信念、あるいは客観視が可能な確固たる自意識が崩壊(溶解・希薄化)した相互対人・対自己関係という意味での超閉鎖的なループ共存状態。端的に言えば、それは「自分自身に開放的・客観的な自意識の光が当たらない水準まで精神環境が溶解・希薄化・内向化した繰り返しループ型の異常な双方向的関係性」である。・・・
Cf. http://ds.cc.yamaguchi-u.ac.jp/~nabeyama/works/nenpou.htm#2 http://www.purelight1111.com/co-dependency-the-addiction-of-fake-love/https://twitter.com/Nikkan_BizLine/status/1165578802392522752
「マイファーストG7/2019」でリアル化した「マイファースト、ポピュリズム」&「共有情報環境劣化」なる現代世界における二大マイナー・トレンドの根源(熱源)と見るべきものは、意外と思われるかもしれないが、愈々、恐るべき現実と化しつつある「AI兵器」の問題である。
マイファーストG7/20190827日経、https://twitter.com/tadanoossan2/status/1166066376462630912
https://twitter.com/metatetsu/status/1164280308021075968
https://twitter.com/rockfish31/status/1163224542325567491
以下1~3は、平成31年3月22日付けの外務省「報道発表」(=AI兵器に関わる“日本政府、つまり安倍政権”の見解)より部分転載したものであるが、その要点は@tetsuさんがTwで纏めたとおり(上の画像)、以下の3点((1)~(3))である。https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_007229.html ←外務省「報道発表」
・・・
https://gigazine.net/news/20170822-elon-musk-ban-killer-robots/
★AI兵器について日本政府の意見
(1)日本は完全無人兵器を開発しない
(2)メリットもあるため完全禁止とは言わないが、厳格なルールが必要
(3)"軍事利用の可能性がある"というだけでの自律化技術の研究規制を行うことは厳に慎むべき
・・・
1 3月21日,我が国は,特定通常兵器使用禁止制限条約(CCW)の枠組みの下で,自律型致死兵器システム(LAWS)に関する政府専門家会合(GGE)の2019年第一会期が同月25日から29日まで開催されるに当たり,作業文書(英文)(PDF)を提出しました。
2 我が国は,通常兵器に関する軍備管理・軍縮に積極的に取り組んできました。今回の作業文書は,本年のGGEにおいて,人道と安全保障の観点も勘案したバランスの取れた議論を行い,国際社会が将来目指すべき取組の方向性を示すことに貢献すべく提出したものです。
3 我が国としては,国際社会において共通認識が得られるよう,LAWSに関する議論を更に深めていく必要があると考えており,我が国の安全保障の観点も考慮しつつ,引き続き,国際的なルール作りに積極的かつ建設的に参加していく考えです。
[参考1]作業文書のポイント
(1)目的: 国際社会が将来目指すべき取組の方向性を示すことに貢献。
(2)議論の整理: 過去の議論を踏まえ,関係者間で認識共有すべき事項を指摘。
(3)日本の考え方:日本は,完全自律型の致死性を有する兵器を開発しないという立場。有意な人間の関与が確保された自律型兵器システムについては,ヒューマンエラーの減少や,省力化・省人化といった安全保障上の意義がある。
- ア LAWSの定義: 致死性や人間の関与の在り方等の議論を深めることが必要。
- イ 致死性: 致死性を有する自律型兵器システムのみについて議論を進めることが望ましい。直接的に人間を殺害する設計がなされた兵器システムをルールの対象とすることは一案。
- ウ 有意な人間の関与: 致死性兵器には,使用される兵器に関する情報を十分に掌握した人間による関与を確保する等,有意な人間の関与が必須。兵器のライフサイクルにおいて有意な人間の関与が必要な段階と程度について議論を深めるべき。
- エ ルールの対象範囲: 致死性兵器に用いられる可能性があるといった安易な理由で,自律化技術の研究・開発の規制は厳に慎むべき。ルールの対象範囲は,致死性があり,かつ有意な人間の関与がない完全自律型兵器とすべき。
- オ 国際法や倫理との関係: LAWSを含め,武力の行使に当たっては,国際法,特に国際人道法を遵守することが必須。国際人道法違反に対しては,通常の兵器と同様に使用する国家や個人の責任が問われるべき。
- カ 信頼醸成措置: 透明性の確保のため,兵器審査の履行体制をCCW年次報告に加える等,いかなる仕組みが適切か検討することが適当。
(4)あり得べき成果: 主要国を含む,国際社会で広く共通認識を確保した上でルールについて合意するのが望ましいが,意見の相違があるため,法的拘束力のある文書を直ちに実効的なルール枠組みとすることは困難。現状においては,GGEにおける議論を踏まえた成果文書が適切なオプションの一つであり,今後,他の関係者と協力する
・・・
先ず、ズバリ言えば“余りにも善良な多数派の日本国民と全世界の人々を煙に巻く”という点に明らさまに照準を定めた、それ故にこそ斯くも“ひどく煮え切ぬ表現にした”安倍政権の<AI兵器に関わる曖昧で分かり難い意見>が公式に表明されたこと、しかもそのこと自体に関しさしたる批判的な意見が主要メディア等から出されていないという点にこそ、世界の中でも、特に今の日本社会トータルが悪しき「マイァースト、ポピュリズム&情報環境劣化」に激しく汚染していることの証左である。
しかも、絶対に見逃すべきでないのは@tetsuさんがTwで纏めた「政府意見」のポイント(1~3)の中の(2)と(3)である。それらを以下に再録(+補足)しておく。
(2)メリットもあるため完全禁止とは言わないが、厳格なルールが必要(論理矛盾!)
(3)"軍事利用の可能性がある"というだけでの自律化技術の研究規制を行うことは厳に慎むべき(論理矛盾のみならず、マグダネル・リアリズム倫理に抵触(“人間の壁”無視)の謂いで非人間的!)
先ず、「(2)メリットもあるため完全禁止とは言わない・・・」のメリットとは何を意味するのか?想像力を逞しくするまでもなく思い出されるのが先ず「AI兵器研究・開発&関連ビジネス」の推進・展開(特に、同輸出関連)による経済的メリットということであろう。
つまり、このような日本政府(安倍政権)の発想は、現行の兵器・軍需ビジネスの只の延長として「AI兵器」を古典的な国家間戦争のツールとして理解していることに他ならず、まさに安倍政権がホンネでは19~20世紀的な「帝国主義・植民地資本主義時代の資源蕩尽型の死の商人」ビジネスの延長上に「AI兵器」を位置付けていることの現れである(関連参照↓▼ロジェ・カイヨワ『戦争論』)。
▼現代におけるマイファースト権力者らの多くが古典的な「資源蕩尽(スクラップ&ビルド)型のビッグ戦争経済」の信奉者であるという忌むべき現実がある一方で、一縷の“救い”は、資源蕩尽の点で祭りと戦争が共通性を持つと共に、戦争と祭りの決定的な違い(後者=他者への思いやり、共感、自然と世界に関わる情報の共有、を目的としている!)を同じカイヨワが指摘していること! ☞ 2019-08-21HATENAブログびぼうろく/NHK・Eテレ100分de名著「カイヨワ「戦争論」「第3回 内的体験としての戦争」」 https://amagomago.hatenablog.com/entry/2019/08/21/160947?_ga=2.243834117.1077550725.1566286849-988706385.1566286849
加えて、これはなにも「AI兵器」に限ることではないのだが、そもそも「軍需・兵器」に関する研究が先端科学(特に、原子力・バイオ・医薬学等の分野)において、絶えず新たな展望(先端的な新機軸の開拓)をリードしてきたのは歴史的な事実である。
しかも、「AI兵器」については、おそらく一般国民も此の点については遍く周知のことである筈だが、従来の先端科学に関わる研究とは全く異質な次元である『人間の壁』の問題に到達しているのが現実である(だからこそ、『AI兵器フィールド=自律化技術の開発・研究』の一言で割り切るべきでない!ハッキリ言えば、これはリアルな人類存亡の危機(身近に言えば、国家・日本の存亡の危機)と言うことに他ならないのである!/≪AIがもたらしつつある『人間の壁』≫の委細については下記▲1、2を参照乞う)。
▲1 『人間の壁』、デュナミス経済化を助長する“間主観性⇔AIロボ・クラウド汎知”断絶問題(チェリーピンク・アベGDPの日本はAIロボ『人間の壁』経済(第4次産業・AI革命)に備え“社会の茎”、「新マクロ経済/Ex. BI型“社会的共通資本”」金融への展相が必須!/第6章‐1)https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/03/05/153938
▲2 ディープラーニング(多層機械学習(計算)を導入するに当たっての留意点(『人間の壁1』と『人間の壁2』について(AIの正体を知れば哲学が分かる!上っ面のAI崇拝は豚に真珠/AI批判「知」の “活用”で「ヒトがやるべき仕事」の発見と「壁《AI Vs ヒト》」の切り崩しができる/第3章)https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/05/19/040514
因みに、このような実に由々しき日本政府(安倍政権)の「AI兵器に関する曖昧で惚けた意思表明」は、ヒロシマ・ナガサキに照らせば、全世界に対して実に恥ずべき“ヒトとして最低限の倫理観”不在のおぞましさである!しかも、それが彼の「核禁止条約参加」を頑なに否定し続ける安倍政権のホンネ(究極的には、日本の核武装も厭わぬという、世界で唯一の被曝国のトップにしては殆ど狂人同然の“戦前型軍国主義者”の実に恐るべき本心!)に通底しているのは火を見るよりも明らかだ。
しかし、ごく一部の例外を除けば、今や深刻罹患した「共依存」関係の居心地の良さ?に甘んじるあまり、相変わらず「主要メディア(TV・新聞)」は、かくの如き安倍政権のおぞましくも唾棄すべき実像を堂々と批判的に報じることに対して距離を置いている。
◆首相、核禁止条約参加 あらためて否定(東京新聞)/安倍首相が広島“原爆の日”にまた冷酷対応! 広島市長の核兵器禁止条約参加の訴えを無視、原爆養護ホームも訪問せず(リテラ) 20190806東京新聞/20190806リテラ、(1枚目の画像は、リテラ、二枚目はアフロ(2018)より)https://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201908/CK2019080602000303.html https://lite-ra.com/2019/08/post-4886_2.html https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180806-00000001-storyfulp-soci.view-001
・・以下、東京新聞記事の転載・・・
・・・ 安倍晋三首相は六日午前、広島で行われた平和記念式典であいさつした後の記者会見で、国連で二〇一七年七月に採択された核兵器禁止条約について「現実の安全保障の観点を踏まえることなく作成されたために、核兵器保有国が一カ国として参加していない」と指摘し、参加に否定的な見解をあらためて示した。
・・・首相はその上で、核軍縮の進め方について、核保有国や非保有国との間で「立場の隔たりが拡大している。各国の橋渡しに努め、対話を粘り強く求める必要がある」と語った。
・・・式典後の被爆者団体代表との面会では、条約について「アプローチは異なるが、条約が目指す核廃絶という目標はわが国も共有している」とも語った。
・・・式典のあいさつでは、核兵器禁止条約や、ロシア、中国に対抗して核戦力の増強を進めるトランプ米政権の動きには触れず「唯一の戦争被爆国として、『核兵器のない世界』の実現に向けた努力をたゆまず続ける」と語った。
・・・東西冷戦を終結に導いた米国と旧ソ連のINF廃棄条約が二日で失効したことへの直接的な言及はなかったが、核軍縮を巡る現状について「近年、世界的に安全保障環境は厳しさを増し、核軍縮を巡っては各国の立場の隔たりが拡大している」と指摘した。(中根政人)
・・・
(関連情報)プルトニウムをため込みながら世界に非核化を訴える、日本の矛盾(ピースボート共同代表、川崎哲氏)
https://twitter.com/yurikalin/status/1170609430569738240
・・・以下、globe記事「2019.09.06World Now」https://globe.asahi.com/article/12687093
の転載・・・
「核の夢 二つの世界」連続インタビュー⑤
日本は原発から出る使用済み核燃料を再処理してプルトニウムを取り出し、再び燃料にする核燃料サイクルを推進している。ただ、プルトニウムは核兵器の材料に使われるため、再処理に批判的な意見も少なくない。核兵器廃絶と同時に「脱原発」の立場をとる国際交流NGO「ピースボート」の川崎哲(あきら)共同代表(50)に、日本が大量に保有するプルトニウムの問題点を聞いた。(聞き手・構成=渡辺志帆)
――川崎さんは、2017年にノーベル平和賞を受賞した国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」の活動で知られています。ICANも「脱原発」の立場なのでしょうか。
ICANは世界の500以上の団体が加盟し、原発に対する意見も様々だ。そのためICANは原発について賛否の立場を取っていない。ただ、ウラン採掘への反対運動から反核運動に発展したオーストラリアの団体は、核兵器も原発も、両方だめという立場。英国も、伝統的に反原発と反核運動の親和性が高い。
――なぜ川崎さんは原発に反対なのですか。
原発の燃料に使うプルトニウムや濃縮ウランは「核兵器の材料」にもなる。つまり原爆につながる問題ということだ。
ピースボートの活動で、私たちは被爆者の方々と世界を回ってきた。被爆者の中でも、ずっと原発に賛成だった人や、原子力産業で働いてきた人が多くいた。その中で3.11(東日本大震災と東京電力福島第一原発事故)が起きた。その後は、被爆者が原爆の証言をすると、原発についても尋ねられる。「日本は原爆で苦労したのに、なぜ原発をつくったの」と。大きな問いかけになっている。
――日本が再処理したプルトニウムを国内外に約46トンを保有していることが問題になっています。
日本だけが特別にプルトニウムをため込んでいる。他にプルトニウムを大量に保有している国は核保有国。それも褒められたことではないが、一応は理解できる。核兵器の材料なんだから。でも核兵器を持っていないし、「造らない」と言っているにもかかわらず、なぜ日本はプルトニウムをため込むのか。原発で消費する見通しもないのに。合理的な説明がつかない。
中国はそういう批判を繰り返しているが、国際的孤立を選んでまで日本に核兵器をつくる気があるとはとても思えない。核兵器をつくるとなれば、核不拡散条約(NPT)を脱退して北朝鮮のように経済制裁を受けることになる。
――では、どんな問題がありますか。
イランや北朝鮮に対して核開発を「やめて」と言わないといけないときに、日本が問題解決を複雑にする。「日本が認められているならいいじゃないか」「日本のように平和利用に取り組みつつ、高度な技術でプルトニウムを作れるようになりたい」と言われたら、今の日本の態度では、認めないという説明がつかない。世界が目指す「核の脅威」の封じ込めを妨害し、核拡散の温床になる。
また、保有プルトニウムのうち約9トンは国内にある。米国では核兵器と同じように武装して守られているというが、日本の防護体制はきわめて弱いし、テロ対策も不十分。そうした問題を早く解決しないといけない。
――それでも日本がプルトニウムを手放さないのはなぜでしょうか。
(核燃料サイクルを断念すると)中間貯蔵施設のある青森県が(国の約束に反して)最終処分場になるという「パンドラの箱」を開けたくないから、という説明もありうるが、疑問が残る。
プルトニウムの生産能力を持っていること自体に、一定の価値を見いだす計算が日本政府の中にあるのではないか。1988年発効の日米原子力協定で、(核保有国でない)日本のプルトニウムの保有を例外として米国に認めさせたことが、いかに素晴らしい外交的成果だったかを説く日本人外交官に会ったことがある。イランにも北朝鮮にも韓国にもない、ある種の「特権」をみすみす手放していいのか、と。最終的に核武装能力につながるものを、一定の価値、あるいはアセット(有用なもの)として見ていると感じる。
ーー世界の原子力政策を見ると、先進国で撤退の動きがある中、インドや中国など新興国で新たに原発を建設する動きも活発です。
核兵器の開発や使用を法的に禁じる国際条約「核兵器禁止条約」が2017年に採択されたことで、「核兵器を持つことが大国である」という議論にくさびを打つことはできてきた。だが、条約に賛同した多数の国にとっても、「核技術はグレート(偉大)なもの」という考え方はいまだに根強い。そして、その延長線上にある原発などの技術も偉大ですごいという価値観を壊さない限りは、この問題は続く。
NPTの議論でも繰り返されてきたが、開発途上国の「核の平和利用の権利」の主張は、多分に「メンツ」の問題だ。先進国から指図されたくない、負けたくない、自分たちも発展して大国になりたいという願いや競争意識がある。だから、多くの開発途上国は「核兵器は悪だ。しかし、核技術は善だ」というNPT的思考をいまだに抜け出せていない。
私としては、「核兵器は非人道的である」と価値観を転換させた上で、「核技術も、危険で、恐ろしくて、悪いものである」というところへもっていきたい。
――日本は「アプローチが違う」として核兵器禁止条約は批准していません。米国の「核の傘」に守られているという現実もありますが、日本にできることはありますか。
核兵器禁止条約が発効した後、たとえ日本が批准していなくても、条約加盟を隠れ蓑にして核兵器開発を企てる国が現れないよう、検証方法の強化を提案することはできる。締約国会議に参加して、建設的な議論に参加することが期待されている。
川崎哲 かわさきあきら 1968年東京都出身。東京大学卒業後、2003年より国際交流NGO「ピースボート」共同代表。ICANでは10年に副代表となり、その後、共同代表。14年からは国際運営委員。
・・・
(関連情報)経済・軍事覇権ファクターだけが世界政治のリアリズムとの理解は、全人類に対する冒涜では?専門コンサルか何だか知らぬが、核戦争をリアルに想像してるのか!? ⇒ ボルトン解任で日本の核武装が現実に!913吉川圭一/コンサルティング事務所グローバルイッシューズ総研代表
ttps://twitter.com/tadanoossan2/status/1172785640510877697
(エピローグ) 「共依存シンドローム(日本社会の想像力の消滅)」がもたらす最大の悲劇は、AI「人間の壁」に抗し得る最後の砦としての憲法問題
・・・AI「ヒトもどき意識」(意識なし差別)の観点はリアリズム倫理(マクダウエル)の問題に深く関わることになる!・・・
AI(特にDLディープラーニング)がやっているの(特徴量の予測という仕事)は、「ある事象の典型パターン」の予測的な抽出であり、それは一定の説明的な(個々の異なる母集団の上で、それぞれ特定の母集団に関わる性質等の説明を目的とする)統計とは本質的に異なるものである。
つまり、それは「仮想ビッグデータ空間」であるから中立的だと見る現象(事象)に関わる確率の大きさ(推測値)を意味する(DLではそう想定することが大前提となっている)以外の何物でもないのである。
だからこそ、安倍政権が手を染めてきた如き統計パラメータの操作・改竄などは絶対に許されない行為である!これは、このような意味での統計とDLの正体(それらの根本的な違い)を考量した上での逆説的・相対的な視点から十分に理解できることである(つまり、一事が万事だが、アベ政権がやっているのは非科学的な個々の事実の隠蔽・改竄・消去!)。
従って、AI‐DLが弾き出した推測値(特徴量、内部表現、潜在表現は、決してそれ以外の残余の現実(時間の流れに沿う無限の因果に因り全方向の空間へ繋がるリアル現象の全体、つまりマッハ感覚論的素材性が表象するヒトの世界のリアリズム(現実のアナログ世界における自然計算の全容)と全てのエルゴン(未生の可能性も含め、そこから未来へ繋がる活力源の全て)を示すものではなかった。
なぜならビッグデータの仮想母集団に関わる膨大な計算処理プロセスで、その殆どが機械計算処理の過程でデジタル的に捨象されているからだ。しかも、そのデジタル的に捨象された“リアル・アナログ”ワールドは、<AI“ビックデータ”ディープラーニング>の“印象操作”が与える領域よりも、実は遥かに広大なリアル世界なのだ。
いわば、地球という生命環境の一部である我々の日常生活を取り巻く「自然・社会・精神・生命」現象のリアル・アナログワールドは、ある目的で抽出された「推測的な特徴量」らの如く、ビッグデータ故に中立的であると想定されたような意味の素材性(抽象的デュナミス潜在性の要素)からだけ出来ているのではないということだ(いわば過去と未生から成るキャンバスとしての内外環境トータル、そして何よりもエルゴンと絡みつつ、変容し続ける量子世界とも連動する因果の干渉・共振こそがリアル世界である!)。
ところで、特に日本のマスメディア、与党政治家、多数派財界人らがAI‐DL(ディープラーニング)技術に対し過剰に忖度する(苦w)、あるいは短絡的な目先主義でそれを自己利益のために利用しようとする、つまりその意味で《ドラえもんなんでもポケット》風のマイファースト主義を採るようになった背景には、おそらく此のようなリアル(AI機械経済化に因る『人間の壁』の問題)についての無関心(ないしは統計とAI‐DLとの決定的な違いに係わる無知、又はその不都合な事実を隠蔽しようとする作為)があるのかもしれない。
そして、その先に透けるのは、あの<新自由主義の跋扈によるもの以上の更なる重篤化症状を伴うグレート・デカップリング(Great Decoupling)に因る超格差の拡大>、換言すれば『人間の壁』が巨大化するマクロ経済的な意味で重篤な業病に冒された暗黒社会(デストピア)が襲来する懸念である。そこで重要となるのが(下記ブログ記事の第三章‐『ディープラーニング(多層機械学習(計算)を導入するに当たっての留意点』で見てきたとおり)、AI技術をリアル世界で応用する場合に留意すべき基本的な観点ということだ。
<注>グレート・デカップリング(Great Decoupling):スキル偏向技術進歩(技術イノベーション)に因る“雇用一人当たり生産性向上(GDP総額増加)と一家計当り所得減少”の大<乖離>問題(特に中間層の没落に繋がる主な原因)のこと(委細は。下記ブログ記事★を参照乞う)。
★チェリーピンク・アベGDPの日本はAIロボ『人間の壁』経済(第4次産業・AI革命)に備え“社会の茎”、「新マクロ経済/Ex. BI型“社会的共通資本”」金融への展相が必須!https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/03/05/153938
つまり、それは「そのAI技術の応用・活用・利用対象となるフィールドがどの程度の深さまで、ヒトを含む多様な生命に満ちたリアル世界において「生命・人権・倫理・哲学・平和主義・多様性・教育など人類と一般の生物にとって最も重要な価値観の根幹と、どのような意味で致命的に深く切り結ぶ関りがりがあるか?を絶えず粘り強く考え、そのような側面から常在的に検証しながらAI技術を有効活用するという観点」であった。
(『人がやるべき仕事』のベースとしての憲法問題)
ところで、仮に、AIの内部で何らかの意識のようなものが生じるとしても、「AI兵器」の主役となると予想されるアンドロイドらの原始的な“感情もどきはヒトと同様の意味での内外の地球型自然環境を必要とはしない。しかし、その“感情もどき”は、いやしくもそれが<知能>であるからには、必ず自らが対象とするものを分類し、あるいは区別・区分して認識することが基本となると思われる。
〈参考画像>日本のSkeletonics Incが開発した装着型ロボット:
http://externalstorageunit.blogspot.com/2017/04/より、右(軍事ロボ)はウイキより転載
しかし、AIには歴史観も倫理観も不在なので、そのヒトの意識に相当するAIの認知機能にはヒトの場合で言う「区別」と「差別」が混然一体化して存在することになるだろう。そこで懸念されるのが「ヒトの場合の意図的な善悪の倫理観などとは全く異質(換言すれば人間的な感情とは無関係)な、ヒトから見れば“実に冷酷なマイペース”or“超異常な忖度”(感情を伴わない機械的な差別)が出現する可能性があることだ。
また、特異な価値観を持つ研究者やプログラマーが差別的・排他的な、又は好戦的で憲法上の平和主義を否定するアルゴリズム・プログラムを作為で(あるいは彼らが異常な権力を忖度して)実装するリスクも生ずると見ておくべきだろう。AIロボ兵器や戦士らによるヒトの感情抜きの殺戮・戦争タスクが如何に恐るべきほど凄惨なものとなるかは想像に難くない。それは、AI兵器ロボ化する近未来の戦争がヒトを巻き込まぬ戦闘で終始するとは限らないからだ。
また、関連筋からの伝聞によれば凡そ2000年あたりから始まった第3次人工知能ブームの中での日本は、残念ながら欧米・中国に比べ人材と財政の両面において、今や立ち遅れた位置にある。その背景となっているのが、AI技術にも関わるコンピュータ技術者やソフトウエア開発者らを特殊なアーティストのジャンルと見なす欧米と中国に比べ、日本では一部の研究者を除き、彼らの多くは低俗な職人のジャンルとして見下される風潮が伝統と化してきたことにあるようだ。
しかし、今や彼らもディープラーニング・ブームの到来で急に脚光を浴び始めたことになる。このため、一部の研究者やAI技術関係者らの中には、研究費の獲得や目先の成功を焦るあまり過剰にこのブームの空気を煽り立てたり、極端な場合では「AIもどきの装備」で先端AIシステムを装ったり、それを騙ったりする悪徳ケースまでが現れている。しかも、驚くべきことに日本政府のお墨付きがある場合でさえ、この悪しきケースの事例が出現したのは未だ記憶に新しいはずだ。
古いものではP2Pファイル共有ソフトWinny開発者・故金子勇氏の事件、直近では理化学研究所(RIKEN)や大学共同利用機関法人高エネ加速器研究機構(KEK)ら大手研究機関が巻き込まれた、PEZY社(齋藤元章氏/中国を日本の脅威と見る超保守系論者で2017経済財政諮問会議“2030年展望と改革タスクフォース委員メンバー”として安倍政権下で国家戦略にも関与)の事件などがある。https://www.businessinsider.jp/post-
・・・
(関連情報)◆「生命・人権・倫理・哲学・歴史」などとも深く通底する日本国憲法を見据え「AI社会の在り方にも憲法議論」が必要!との意思のもとに、憲法を守る立場の研究者らで作る「全国憲法研究会」が、2019年5月3日に開かれ、およそ1200人が集まったことの意義は大きい。(以下、20190503NHKニュース&関連サイトの転載)https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190503/k10011904711000.html
https://www.nhk.or.jp/d-navi/sci_cul/2019/05/column/column_190507/
・・・憲法記念日の3日、AI=人工知能が普及する社会の在り方について憲法の視点から考えようという講演会が都内で開かれました。この講演会は、憲法を守る立場の研究者らで作る「全国憲法研究会」が開き、およそ1200人が集まりました。
・・・この中で、慶応大学の山本龍彦教授はAI=人工知能の普及によって、個人の好みや健康状態、信用力などが分析され、企業の採用活動などにまで利用されていることを紹介しました。
・・・そのうえで、山本教授はAIによる個人の分析は、プライバシーや自由を脅かすおそれがあるほか、個人の点数化で低い点数をつけられ、理由がわからないままはい上がれない新たな被差別集団が生まれかねないと指摘しました。
・・・山本教授は「欧米ではAIによって生じうる課題について憲法の視点を踏まえた制度面での対応が進んでいる。日本でも憲法の問題(特に、≪人権の“保全”≫と表裏一体と見るべき、≪AIの利・使用“責任”≫の視点が重要になる!/←補足、toxandoria)として人工知能とどう関わっていくかについて議論を進める必要がある」と訴えていました。
・・・研究者などおよそ1200人が集まった講演会場で、壇上に立っていたのは慶應大学の山本龍彦教授。人工知能が膨大なデータを学習することで、個人の好みや健康状態、それに信用力まで分析できるようになり、企業の採用活動のほか、海外では犯罪捜査にも活用されていることを紹介しました。しかし、こうした人工知能の分析は、あくまで学習したデータから導き出した「予測」に過ぎません。元のデータがゆがんでいれば分析もゆがむことになると、山本教授は指摘します。
もうひとつの問題は、人工知能が膨大なデータから自動的に規則性を読み取って判断を下すため、「なぜそう判断したのか」が外部から分からないことです。このため、人工知能が個人の点数化に使われた場合、低い評価を受けた人がどうすれば評価を高められるかも分からず、再挑戦の機会が奪われかねません。山本教授が最も懸念しているのは、これによって「バーチャルスラム」と呼ばれる新たな被差別集団が生み出されてしまうことです。山本教授は、私たちの人権と人工知能との関わりについて、おおもとの憲法まで立ち返って考える必要性を訴えています。
「欧米では、人工知能によって生じうる課題について、憲法的な議論を踏まえて制度面での対応が進んでいる。日本でも、人工知能を憲法の問題として議論を進める必要がある」
どのようなAI社会を目指すのか
一方で、人工知能が人事面接を行うことの是非について、山本教授が学生に聞いたところ、賛成と反対とが半々に割れたということです。
山本教授は、「これまでの人間社会の方がよほど不公平で、人工知能は公平に判断してくれる」といった思いが背景にあると分析しています。私たちの社会をより便利なものにする力を持つ人工知能。私たち一人ひとりが、人工知能とともにどのような社会を築くのかを考えるべき時が来ているのかも知れません。
(『共依存シンドローム(日本社会の想像力の消滅)』がもたらす異様な風景、アラカルト)
・・・<「韓国なんていらない=日本なんていらない」>のブーメランであるリアルが(科学・歴史・現在の関係性について)≪想像≫不能?となった≪アベ政権・メディア・国民の相互忖度“もたれ&もつれ”合いの共依存シンドローム≫こと、JPNお笑いポピュリズム社会化なるお笑い? w・・・
・・・[関連/要参照資料](日本文化のルーツを形成した渡来系弥生人に加えて/補、toxandoria)縄文人もウルチ、韓国人、台湾先住民、オーストロネシア系フィリピン人と遺伝的に近かった(図)。/遺伝子から続々解明される縄文人の起源~高精度縄文人ゲノム~:20190516国立遺伝学研究所プレスリリースhttps://www.nig.ac.jp/nig/ja/2019/05/research-highlights_ja/pr20190516.html
https://twitter.com/tadanoossan2/status/1168598389723783170
https://twitter.com/tadanoossan2/status/1168598389723783170
https://twitter.com/tadanoossan2/status/1168598389723783170
https://twitter.com/tadanoossan2/status/1168598389723783170
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https://twitter.com/BARANEKO0409/status/1167629402294767616
安倍内閣は、20180830の閣議で「読売新聞グループ本社の白石興二郎会長をスイス大使に充てる異例の人事」を決めたが、現職報道機関トップのあまりにも異常(メディア出身者の起用は5人目)な人事である(20180831朝日)。
https://twitter.com/jcast_news/status/1167692002453909504
明らかに、これは「主要TV・新聞・国民の共依存(相互忖度“もたれ&もつれ”合い)の空気をリードして、安倍内閣の高支持率に貢献したた主要メディアらに対する「露骨な褒章人事」であり、一般国民が徹底的に舐められていることの現れである。また、このことが、くだんの「日本報道検証機構がGoHooを解散した動向」と無関係ではない、と思われる。
・・・以下、J-castニュース記事「日本報道検証機構が解散 ツイッターで明かした運営サイトGoHooの今後」の部分転載・・・
「苦渋の決断」と説明
8月30日の発表文によると、「諸般の事業から事業継続が困難」になったとして、29日をもって解散、30日から清算手続きに入ることになった。「皆様にご厚情をいただいているなか苦渋の決断となりましたが、(略)」とことわった上で、解散への理解を求めている。以前は寄付や会員からの会費で運営していたが、17年4月に「運営体制の縮小等」に伴い会員制度を中止していた 。
また機構ツイッターの8月30日更新分によると、「GoHoo」は、「現在、一時非公開」になっているが、14年10月分までの旧サイトは閲覧可能だとして、リンクも貼っている。機構解散後も「これら検証記事はアーカイブ公開することも検討しております」としている。
さらに、「Peing 質問箱」サイトの機構(GoHoo)ページでは30日、寄せられた質問に対し、文末に楊井氏の署名がある文章で回答している。回答文では、「GoHoo」は米国デューク大学研究室のデータベースに日本で唯一のファクトチェックサイトとして登録されていたが、今回の機構解散に伴う事業終了で、国内登録サイトがゼロになってしまうとして、「新たなファクトチェックメディアはぜひとも必要ですので、楊井個人として立ち上げの準備もしています」と明かしている 。
回答文が触れたデューク大研究室のサイトをJ-CASTニュースが31日昼に確認したところ、「GoHoo」はまだ掲載されており、日本国内では「GoHoo」だけだった。参考に周辺国を見ると、中国では1サイト、韓国は5サイトが掲載されていた 。
「GoHoo」はこれまでに、加計学園問題をめぐる政治家発言に関する報道などを検証する多くの記事を配信してきた。テレビニュースのコメンテーター発言に統計的事実の誤認があったことを指摘するなどし、メディア側が謝罪や訂正に至るケースもあった。
(関連情報)
https://twitter.com/kageshobo/status/1167277517293539328
https://twitter.com/SamejimaH/status/1167767054168002560
https://twitter.com/ggzhmru2/status/1167982818145628160
【日本メディアが殆ど報じようとしない“事実”】
https://twitter.com/kikko_no_blog/status/1168099491683004417
https://twitter.com/ChizuruA1/status/1168118470132695041
https://twitter.com/masaru_kaneko/status/1167941111731519489
(『共依存シンドローム(日本社会の想像力の消滅)』にもめげぬ希望の風景、アラカルト)
デカルトからベイトソンへ――世界の再魔術化 モリス・バーマン 柴田元幸
定価:本体3,800円+税 発売日:2019年07月25日 ジャンル:ノンフィクション
17世紀、デカルトとニュートンのパラダイム成立によって、世界から魔術が失われた。幣による資本主義と合理的な科学思考によってできあがった近代的な世界。魔術は科学に置き換えられてしまった。しかし、科学的に再編成される過程で色あせていったパワフルな知を取り戻すために、今こそ「世界の再魔術化」が必要だ!デカルト・パラダイムに反旗を翻し、1960年代のカウンター・カルチャーの空気をひっさげ、「世界の再魔術化」への道筋を探った知的冒険の書、待望の復刊!オカルト学の山々を乗り越え、たどり着いたひとつのヒントはグレゴリー・ベイトソン。ロボティクス、アンドロイド、VR的な現実世界の出現を前に、今こそ再読されるべき書。
・・・以下、朝日書評(都甲 幸治氏/早稲田大学教授・アメリカ文学)転載ブログ『好書好日』https://book.asahi.com/article/12670324 より“転載”
近代科学の成立によって、世界から魔術が失われた。大きなパラダイムチェンジを経て登場したのは、資本主義と科学思考によってできあがった単色の近代である−。歴史的なパラダイムの…
https://twitter.com/tadanoossan2/status/1166451143133687808
デカルトからベイトソンへ 世界の再魔術化 [著]モリス・バーマン
人生がうまくいかない。生きる意味がわからない。こうした苦しみこそ気づきのチャンスだ、とバーマンは本書で言う。どういう気づきなのか。強い自己はすべてをコントロールできる、という西洋近代の前提が間違っているという気づきだ。
彼は代わりに弱い自己を導入する。弱い自己とは何か。世界という大いなる循環の中の一要素でしかない、という謙虚さとともにある自己だ。たとえば、アルコール依存症者はどうか。酒を止めようとする意志に身体は抵抗する。意志が強固であればあるほど抵抗は強まり、ついには意志を砕く。
なぜ上手くいかないのか。それは、意志が身体をねじ伏せようとするからだ。だがアルコール依存症更正のための団体である「AA」の考え方は違う。定期的なミーティングの中で、参加者は自分が無力であることを認め、大きな力に身を委ねることを学ぶ。そして、かろうじて今日だけは飲まないでおこうと誓う。
大きな力とはなにか。神かもしれない。あるいは動植物すべてを含めた命の拡がりかもしれない。それがなんであれ、無力の自覚とともに、自己は身体と和解する。そして世界と和解する。
文化人類学者ベイトソンの「AA」に関する議論を引きながらバーマンは言う。こうした弱い自己こそが、現代の多くの問題解決へのヒントになるのではないか。
きちんと身体の声を聴きながら動くとき、自己は身体とともに一つのシステムを作り上げる。身体だけではない。周囲の人々、そして環境へと自己を開いていくとき、システムは拡張し続ける。こうした循環システム全体を〈精神〉と呼んでみてはどうか。敵対ではなく和解を、制圧ではなく傾聴を。真に世界とともにあるとき、自己は最も強くあり得るだろう。
本書の情報量は膨大だが、その議論は思いのほかシンプルだ。「本当に生きること、黄金を獲得することは、自分自身の本性の命じるところに従って生きることによってのみ成し遂げられるのであり、そのためにはまず魂の死の危険に真向から向きあわなければならない」
強い自己など表層的なものでしかない。その死をくぐり抜けることで、人はより深いところにある、弱い自己と出会う。かつて多くの物語が、こうした魂の旅を描いてきた。だがその意義は古びてはいない。
いや、環境汚染や地球温暖化といった巨大な危機に人類が直面している現代にこそ、こうした自己のあり方が必要とされているのではないか。近代を超える生き方を模索するバーマンの粘り強い思索に圧倒された。
◇
Morris Berman 1944年生まれ。社会批評家。北米の複数の大学で教えた後、執筆活動に専念。著書に『社会変革と科学的組織』など。本書の原書は81年刊行、89年に邦訳され、訳文を手直しして復刊。
(補足、toxandoria)
<きちんと身体の声を聴きながら動くとき、自己は身体とともに一つのシステムを作り上げる。身体だけではない。周囲の人々、そして環境へと自己を開いていくとき、システムは拡張し続ける。こうした循環システム全体を〈精神〉と呼んでみてはどうか。敵対ではなく和解を、制圧ではなく傾聴を。真に世界とともにあるとき、自己は最も強くあり得るだろう。> ← まさに、コレは当記事・本文中[第2章:バシュラール「形式的想像力・物質環境的想像力」と深く共鳴するマクダウエル「リアリズム倫理学」の核心(第二の自然)]の<マクダウェルが言う「今こそ我われが範に採るべき“近代的二項対立に陥る以前のアリストテレス的な世界観”」ということを言い換えれば、それは「ガダマーがディルタイの生の哲学のなかに再発見したとされる“”古代ギリシャ・ローマにまで遡る「現代人がすっかり忘れ去ったリベラル・アーツ的な観念でありそれこそがヒト故の豊かな想像力の源泉」(その流れの二大潮流がプラトンとアリストテレスの和解・融和ということ/そして、これは見方次第のことながら、アリストテレス主義(徳の倫理学/二コマコス倫理学)がプラトン主義を批判的に受け止めつつも深く理解し、同様にプラトン主義(敬虔(謙虚さ)の倫理学)もアリストテレスの徳の倫理学を批判的に受け止め深く理解していたと考えられること)であったのではないか?と思われる。>と共振・干渉(恰も絶縁体の量子振動の観測 or 量子コヒーレンスの如く)する!!
・・・
(関連情報)
https://twitter.com/Nao_Maeda_Asahi/status/1166136004148748288
https://twitter.com/tadanoossan2/status/1170721909870219264
・・・任期満了に伴う岩手県知事選は8日投開票され、現職の達増拓也氏(立憲民主、国民民主、共産、社民推薦)が元県議の新人、及川敦氏を破った。参院選後、埼玉県知事選に続き野党共闘の候補が与野党対決を制した(20190909毎日)。
https://twitter.com/tadanoossan2/status/1168246149200797696
・・・以下、河北新報・記事の部分転載・・・
25日に投開票された仙台市議選(定数55)で、初参戦となった立憲民主党は新人4人を含む6人全員が当選し、躍進した。5選挙区のうち青葉、宮城野、泉でトップを飾り、党新人が自民党現職を破った7月の参院選の余勢を駆った格好。宮城県議選を10月に控え、県政界に吹き荒れる立民旋風は続くのか。
太白選挙区(定数12)に立候補した立民新人貞宗健司氏(33)は2位で初陣を飾った。2015年の前回、同選挙区でトップ当選し、国政に転じた岡本章子党県連代表(衆院比例東北)の後継だ。
貞宗氏は「知名度不足は否めず、党の看板で勝たせてもらった。風は確実に感じた」と振り返った。
「(旧民主党時代の)07年以来の波を感じる」。岡本氏を市議時代から支える貞宗氏の陣営幹部は前回の亥(い)年選挙と重ね合わせた。
07年市議選で旧民主党は3議席を増やし、擁立した9人全員が当選。岡本氏は市内最多得票だった。同年の参院選は当時の民主現職が自民現職に大差をつけて1位当選。2年後の政権交代の足掛かりを築いた。
7月の参院選宮城選挙区では全国32の1人区で唯一、立民公認の新人が野党共闘の枠組みで勝利した。市議選期間中、枝野幸男代表が地方選では異例となる2度の応援に入り、党を挙げての支援態勢を敷いた。
「参院選の流れが非常に大きい」と陣営幹部。「立民の看板で出れば当選するような風が吹いている。まるでバブルだ」と息巻く。
10月18日告示、27日投開票の県議選が迫る。勢いが続くかどうかは今後の候補者選びや戦略が鍵を握る。
立民県連の鎌田さゆり幹事長は「自民独占区には、野党間で調整して候補者を擁立する」と攻めの姿勢を強調。「この勢いを追い風にしなければならない」と気を引き締めた。
https://twitter.com/tadanoossan2/status/1166451143133687808
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♨[国民は覚醒すべし!今や【年金枯渇】が明白ゆえ準汎用AI時代に適応可能なベーシックインカム設計が必須!]
1 アベ・国民・官憲・主要メディアら共依存型<普遍情報“共有環境”劣化シンドローム>罹患の儘(↓★)では展望も拓けず埒も明かぬ!(2へ) ⇒年金水準、高成長でも2割減 厚労省が30年後見通し、50%確保・甘い想定/老後不安 年金も自助を 827朝日 https://twitter.com/tadanoossan2/status/1166451143133687808
2 今更「自助」押付けなら、そもそもアベらは消費税を何のためゴリ推す?自民「自腹欠減」補填が狙いか!?(3へ) ⇒年金水準、高成長でも2割減 厚労省が30年後見通し、50%確保・甘い想定/老後不安 年金も自助を 827朝日https://twitter.com/tadanoossan2/status/1166451143133687808
3 時代環境・先端科学等の関連「深層奔流」を凝視して(Cf.↓▼)、今や≪尻に火が付いた日本≫だからこそ、(4へ) ⇒年金水準、高成長でも2割減 厚労省が30年後見通し、50%確保・甘い想定/老後不安 年金も自助を 827朝日https://twitter.com/tadanoossan2/status/1166451143133687808
4 今こそ、例えばAI『人間の壁』対応のベーシックインカム導入を具体化すべき!(Cf.↓☆)⇒年金水準、高成長でも2割減 厚労省が30年後見通し、50%確保・甘い想定/老後不安 年金も自助を 827朝日https://twitter.com/tadanoossan2/status/1166451143133687808
https://twitter.com/tadanoossan2/status/1166451870174310400
★国民・官憲・主要メディアらの共依存で、日本が<普遍情報“共有環境”劣化シンドローム>に罹患した証左! ⇒「わめき散らす声はおかしい」文科相への抗議で大学入試改革への反対を訴えた大学生を警察官が取り囲んで遠ざける騒ぎ!朝日
▼米仏、デジタル課税 妥協案で合意20190826:日本経済新聞https://twitter.com/manekicat_koban/status/1166090079766368256
☆「エネルギー通貨」モデルこそ「新しいマクロ金融」のエルゴン/その一例がべーシックインカム/a 段階的べーシックインカムが今の日本で必須!と考えられる理由、ほか https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/03/05/153938 … https://twitter.com/tadanoossan2/status/1166454641711697920 (完)