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toxandoria:フレーム&フリンジの謎

W.Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「数多の境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

  AIの正体を知れば哲学が分かる!上っ面のAI崇拝は豚に真珠/AI批判「知」の “活用”で「ヒトがやるべき仕事」の発見と「壁《AI Vs ヒト》」の切り崩しができる

 

 AIの正体を知れば哲学が分かる!上っ面のAI崇拝は豚に真珠/AI批判「知」の “活用”で「ヒトがやるべき仕事」の発見と「壁《AI Vs ヒト》」の切り崩しができる

  (表紙画像)

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・・・所有者からの寄託を受け、2015年3月から『聖プラクセディス』を展示している国立西洋美術館は、研究者の間で意見が一致していないことを理由に、作者名に関して「フェルメールに帰属」と表記して展示している(画像・文ともウイキより転載)


Maurice Ravel - 夜のガスパード


GabrielFauré - 夢の後、チェロとピアノ

・・・

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 ・・・AIの客観視にも有意と思われるため記事の後半で取り上げる『真理と方法ー哲学的解釈学の要綱』
(1960)の著者、ガダマーが少年期~青年期の初めまで(~1919)を過ごした、ポーランドヴロツワフの風景・・・
             

            f:id:toxandoria:20190429052203j:プレーンf:id:toxandoria:20190429052230j:プレーン

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  f:id:toxandoria:20190429053951j:plainf:id:toxandoria:20190429052515j:プレーン・・・左端はブロツワフ大学の夜景(The main building of the university/ガダマーの画像、と共にウイキメディアより転載/この二つの画像を除きtoxandoriaが撮影)

・・・伝説によると、中世以来の琥珀ロード上の交易中枢都市ヴロツワフには異邦人や異教徒あるいは身体的な形質や特徴が異なる人々を温かく受け入れる伝統があった。このため、その居心地の良さを求め特に沢山のコビトたちがヨーロッパ中からヴロツワフへ集まったとされる。

・・・そのためか、画像のようなコビトおよびソノ仲間たちの像(つまり、異民族と異言語らの象徴)が街中で見られるが、彼らはヴロツワフに幸福を呼び込むと信じられている。

・・・因みに、中~近世におけるポーランドリトアニア国家(1386~1569:ポーランド・リトアニア連合王国はマルチ チリンガル(多言語が共存する状態)であり、特にヴロツワフにはその伝統が長く遺った。

<注>当記事を書いた目的について

 興味深く視聴中の[人間ってナンだ?超AI入門 - NHKhttps://www4.nhk.or.jp/aibeginner/]から、その企画のそもそもの意図はともかくとして、相変わらず新自由主義なるエセ・イデオローグの影響下にある「紛いものAI」(そもそもは自由・平等を実現するツールと目されたIT・AI‐インターネットの筈だったが・・・)の広報・宣伝の印象というか、又は視聴率稼ぎで些かセンセーショナルな喧伝に加担しすぎでは?との印象を受けている。

 そのため、ワン・イッシュー政党「NHKから日本国民を守る党http://www.nhkkara.jp/」の真似ごとではないがw、一歩引いた観点から、もう少し冷静にAIを観察しヒトの幸せや福利厚生と日本国民の日常生活を豊にする経済のため上手くそれを活用するという視点が必要ではないか?との思いから、この記事を書くことになった。

 「AI高付加価値“機械経済”のヒトに役立つ経済への貢献(マクロ経済の展相)」の必要性については、既に下のブログ記事★で詳述したので、ここでは主にa「想定される“AIの意識”がヒトとは全く別物と思われること」、b「ディープラーニングについて(機能、統計との違い、活用のあり方)」、c「AI批判としてのガダマー哲学」、そしてd「“AIで消滅の危機に瀕する(とされる)ヒトの仕事の復権”への方向性」の四点について、その概要を記す。なお特にc関連で「マクダウエルのリアリズム倫理」も必須となるが、これについては次回の記事へ送る(なお、当記事と下の記事★の内容は『補完関係』にあるので、併せてご参照ください)

 チェリーピンク・アベGDPの日本はAIロボ『人間の壁』経済(第4次産業・AI革命)に備え“社会の茎”、「新マクロ経済/Ex. BI型“社会的共通資本”」金融への展相が必須!https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/03/05/153938

 (プロローグ)AIが「ヒトの感情」を理解する日はやってくるか?

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f:id:toxandoria:20190429060534j:プレーン・・・フューチャリスト(未来学者)、F.R.ヨンク(F.Richard Yonck)は次のように語っている ☞ そもそも地球自然環境との関係が深いと考えるべき感情と基底で繋がるヒトの知とAIの知は異質なので,AIは感情(決して感覚に非ず!)に基づいた判断はしない。遠い将来、感情モドキのAIに感情移入するヒトの出現はあり得るかも知れぬが、又、それでも個人差があるはず?なので、結局は個々のヒトが何に幸せを感じるかの問題になると思われる![〈AIが感情を理解する日はやってくるか?/連載『動物と機械からはなれて』(部分抽出、転載)] WIRED.jp https://wired.jp/series/away-from-animals-and-machines/chapter4-1/ ・・・

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・・・感情言語科学の研究者であるリチャード・ファース・ゴッドビーヒー博士は、AIが人間の感情を読み取ることは想像以上に難しいのではないかとの見解を明らかにしている。ゴッドビーヒー博士によれば「感情とは動的なもの」であり、人間の脳はこの動的なもの(マッハ感覚論的素材性、エルゴン・・・委細、後述・・・/補、toxandoria)を柔軟に捉える能力にたけている。

・・・これに対し、ゴッドビーヒー博士は「コンピューターの記憶(保存データ)は事実(デジタル抽象化情報)を完璧かつ確定的に保持できるものではあるが、柔軟性がないゆえに、場合によっては相反する事実に折り合いをつけつつ結合させるというような作業は苦手である!」とも述べている。

・・・コンピューター上の抽象化情報はデジタル・ナルシス(西垣 通)、あるいは AI抽象化デュナミス潜勢態(生命体のヒトにとっては、抽象化である限り、それはあくまでも可能性の次元に留まる/大黒岳彦)である。その具体例は「(1)AI‐Webの検索」や「(2)AIディープラーニングが抽出する特徴量)」等であるが、 いくら大量のデータを使って鍛えても、ヒトと全く同等の“生”の水準でAIが動的(ヒトの生命活動的)な感情をパーフェクトに正しく判断することは、難しいと言えそうだ。cf.[参照資料]『AIに感情を通わせるのは想像以上に難しく不可能かもしれない』Dr Rich Firth-Godbehere/Centre for the History of the Emotions(London) ・・・https://projects.history.qmul.ac.uk/emotions/

<注>AIディープラーニング(DL)の特徴量などは「AI抽象化デュナミス潜勢態」(orデジタル・ナルシス)であり、それとヒトの間には断絶(絶対的な壁)がある!/つまり、あくまでもAIは道具(ツール)のジャンルである(参照 ☞ http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20180701

・・・例えば、DLの特徴量は、確かに「ある事象の典型パターン」の抽出(予測的な)ではあるが、それは一定の想定された巨大空間における特定の現象に関わる確率の大きさ(抽象的推測値/“形式知”に馴染む世界)を意味するに止まり、それ以外の残余の現実(時間の流れに沿う無限の因果で全方向の空間へ繋がるリアル現象(マッハ感覚論的素材性ら)の全体、言い換えれば絶えず地球の自然エトノス&生命環境と同期しつつ生成し続ける、“暗黙知”が持続的に優先するアナログ世界のトータル)を示すものではない(“暗黙知”と“形式知”に関連する委細は後述)。

・・・なぜなら、ビッグデータの機械(自動)計算処理プロセスでは、アナログ暗黙知が優勢なリアル現象トータルの殆どが“形式知”に馴染む抽象的推測値を集約(推計)する機械(自動)計算の過程で切り捨てられているからだ。このことを、より厳密に言えばAIディープラーニング(DL)は、<論理的に説明ができない深層学習プロセスの部分で、その処理に関する暗黙知の部分をソックリ自らの内部に吸収(内部化/厳密に言えば内部に“内生”しているあくまでもリアル暗黙知の宿主であるヒトと徹底的に断絶した儘で、謂わば“全体の意味”から切断された遊離デジタル抽象化して、不条理に(諸矛盾を抱え込んだ状態で寄生/委細後述)することが出来るので、それに関しては形式知化する必要がない>ということである。

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・・・しかし、この一見“長所であること”はDLの根本的な弱点とも見える。例えば、セル生産工場の現場(作業者一人が受け持つ範囲が広い生産システム)では、その製造工程のDL調教のためにQ&A構造化した自然言語データベースと組み合わせるなどの工夫が必要になる(野村直之『人工知能が変える仕事の未来』‐日本経済新聞社‐) 

・・・つまり、「自然・社会・生命・精神」現象のリアルは、ある目的のために抽出した特徴量の如く、特定の目的等のため集約されたものだけから成っている訳ではない因みに、ここで言う“アナログ的な暗黙知が優勢なリアル現象トータル”の、ある瞬間ごとの切り口がマッハ現象学における「マッハ感覚異論的素材性マッハの内面的表象常世界で凡ゆる内外環境と共鳴しつつリアル意識が漂うアナログの海の表層)と見ることが出来るだろう。

・・・・・絶えず切り捨てられている、その数多のリアル残余の歴史的なトータル(我々が生き続ける日常生活のリアルの殆どが浮かぶアナログ的な暗黙知の宝庫たる内外世界の古層から現在への流れ/言い換えれば、歴史と時間に沿った個々のリアル過程における意味の全体)を絶えず謙虚に参照することこそが、特に我われ地球の自然環境のなかで進歩しつつ未来の地平を目指して生き続けるヒト(人類)の生命と文化にとっては重要なことだと考えられる因みに、このような「ヒトをめぐるリアル世界の描像」は当ブログ記事の基本コンセプトと位置付けている「W.Ⅴ.O.クワインのネオプラグマティズム」とも重なると思われるので、以下にその内容を転載しておく。

《W.Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「数多の境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)》

・・・

 結局のところ、やがてAIは非常に原始的な“感情モドキ”を身に着けることにはなるかも知れないが、それはヒトの感情とは全く異なる何ものかであるだろう。それは、恰もAI機械学習AIディープラーニングの特徴量らが過去・現在・未来のどのリアル事象とも全く別物であることに呼応すると思われる。

 何故なら、ヒトの場合は個体が子から子へ、子孫から子孫へと連綿と持続させる生命連鎖が絶えず地球環境及び内面の生命環境(これも外界に劣らぬほど膨大なスケールで連鎖・交流・持続・共振する“地球型自然環境の延長”である!)と多面的・重層的に非常に複雑な交流・共鳴・反響を持続させており、ヒトの感情なるものはその瞬間の内外の複雑な反響の持続的反映(上で述べたマッハ感覚論的素材性http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20180701)であるとの意味でゴッドビーヒー博士の指摘どうりに動的なエルゴン(生命エネルギー活動のリアルな側面)であるからだ。

 一方、AIの原始的な“感情もどき”(機械意識?機械感情?)は(仮に、そこで何らかの意識のようなものが生じるとしても)、それはヒトと同様の意味での内外の地球型自然環境を必要とはしない。ただ、そのようなAIの原始的な“感情もどき”はそれがいやしくも<知能>であるからには、必ず自らが対象とするものを分類し、あるいは区別・区分して認識するということが基本となる。そしてAIには歴史観も倫理観も不在なのでそこ(ヒトの意識に対応する?AIの認知機能)にはヒトの場合で言う「区別」と「差別」が混然一体化して存在することになるだろう

 そこで懸念されるのが「AIによる、ヒトの場合の善悪の倫理観とは全く無関係な(換言すれば、人間的な感情とは無関係で超ハードボイルドな?w)“差別”や“マイファースト”or“異常な忖度”などが出現する可能性があることだ。米マイクロソフトがインターネット上で一般人と会話させた人工知能(AI“Tay”)がヒトラーを肯定する発言をするようになり、実験が中止された事件?w↓▲等はその典型事例である

f:id:toxandoria:20190429065951j:プレーンf:id:toxandoria:20190429070009j:プレーンf:id:toxandoria:20190429070034j:プレーン

▲【AIがヒトラー礼賛】「教師」(ディープラーニングのパラメータ・チューニング?/補、toxandoria)しだいで右翼にも左翼にも(森羅万象の神さまにも/補、toxandoria)なる 人工知能は子供と同じだ 2016.3.26産経、2016326 https://www.sankei.com/life/news/160325/lif1603250029-n1.html

f:id:toxandoria:20190429070138j:プレーン(『不気味の谷』の画像はウイキより)

 だから、むしろ懸念すべきは、いやしくも<ヒトを超える高度な知能のジャンル>を持つAIの「外部観察的に窺われる感情もどき」に対し、それを冷静に上手く道具(只のツール)としてヒューリスティック(限定合理的)に使いこなすべきヒトの側が過剰に、片思い的に一方的かつ多大に感情移入してしまう可能性の方である。

 おそらく、ヒトの意味での感情など一切持たず(ヒトとは全く別物の感情もどきを持つ)、AIがそれこそ<“機械的”に差別(区別)したことを真に受ける>おバカなヒトビト(人々)が数多く出現するリスクの方である。それどころか今の日本では「本格的なAIの実装」を騙るに等しい“AIもどきのお笑い商品”↓★などが広く巷では持て囃されているようだ。つまり、これこそ本物の『不気味の谷』(ないしは『不気味の崖』)の出現だと言えるのではないか?w

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大喜利をする人工知能大喜利β」(オオギリ・ベータ)がスゴイ!https://soyokazesokuhou.com/ogiribeta/

 そもそもヒトや動物の感情(痛み、泣き、笑い、喜び、苦しみ、怒りなどの感情/無論、それはセンサーを介し反応・発生しがちだという意味で感覚との関係は深いのだが決して“感覚=感情”ではない!)について、その実態が何であるかが殆ど未解明であり、近年になって漸く例えば下の例◆の如くヒトを含めた動物の脳内の感情発生の在り処(様?)が理解されつつあるレベルなのだ。

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フンボルト大学ベルリン校の神経科学者、ミヒャエル・ブレヒト教授と石山晋平氏(在独の脳科学者)は、くすぐったいという感覚が脳でどのように扱われているかを初めて明らかにし、2016年11月11日に科学誌サイエンスに論文を発表した。/『特別寄稿】なぜ(コチョコチョ)くすぐられると笑うのか? 脳内にくすぐったい場所を発見~実はねずみも笑う?w 20161114PC‐watch石山晋平https://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/1029670.html

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(参考)「ヒトと別物の知能を持つカラスも空気を読み知能が高い奴らほど上に忖度?つまりアベ様への<忖度>高級官僚らはカラスなのか、それともAIなのか?ということになるの鴨?w ☞カラスも「目上のカラス」に忖度する、知られざる社会模様/カラスにはカラスが必要とする知性があり人間とはパターンが違う!427現代ビジ https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190427-00063531-gendaibiz-life

1 重要なのは「アナログ領域」の縮小(仕事の消滅)への怯え、又はAIスゴイ!一辺倒ではなく「ヒトの幸せのためAIを活かす」視点

 これは下記★でも書いたことだが「欧米で活躍するフランクフルト学派・第3世代でドイツ出身の哲学者、アクセル・ホネットは著書『見えないこと』(叢書ウニベルシタス)の中で、「想像を超える、自己内部の多様性」についての気付き(を内心で見えるようになること)があってこそ、客体として広く外部世界(社会と自然環境のなか)に存在する人々の姿が真に開放(個々のドグマ観念から解放)され双方の眼差しでリアルに見えるようになる。」と言っている

 つまり、それは「そのような意味で、普通は殆ど見えて(自覚して)いないが、実は自己の内部に潜んでいる“想像を超える規模の意識の多様性”が先ず見えるようになること」が、社会における人々の相互主体性の第一の入り口(第一の必須条件)だということになる

★チェリーピンク・アベGDPの日本はAIロボ『人間の壁』((第4次産業・AI革命))経済に備え“社会の茎”、「新マクロ経済/Ex. BI型“社会的共通資本”」金融への展相が必須!https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/03/05/153938 https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/03/05/153938

 そして、例えば多数決で何らかのことを決めて欲しいと提案を出した権力者サイド(内閣提案にせよ、議会提案にせよ)の意思には、つまり一般的に言えば「権力」にはベクトルがあると、ホネットは言う。更に、その提案を承認(提案に賛成)することには、たとえ外見上同じ賛成または反対に見えるとしても、実は内容的にはそれを「(1)自分の属性(それに関わる是非の意思のいずれ)を相手に付与する行いと理解するか?」、あるいは「(2)真逆に、相手(この場合は権力側)の属性(その是非の意思のいずれ)を受容するだけの行いと理解するか?」の違いがあるというのが、そのベクトルの意味である。 

 従って、現代の民主主義国家では<仮に多数決で決まった内容(事案)であっても、内容的にはこの様な意味でベクトルの完全一致ではない(具体的に言えば、内容的にその真の姿を正確に特定できないので、たとえ議決後であっても議論を更に尽くすべきだ!)>というのが常識である。

 だから日本の安倍信三・首相のように強行採決を多発したり、厳しい批判の対象とされ得る事柄や自らの失策(失政)について“丁寧に説明する”との形だけの上っ面な言葉で常に誤魔化し続けたりするのは、“常に見えない意識の世界が何処にでもあり得ること”を前提とするという現代民主主義の意味を全く知らないか、敢えてそれを無視(又は知らないふりを)する邪な意思に因る実に不埒な行為である。

 しかも、それを承知でそのような横暴を繰り返すのは確信犯的な暴政であり、ある程度の関連する法制さえ整っていれば、例えば米国のトランプ大統領如く「弾劾」検討の対象となることすらあり得ることになる(現実には、様々な要因が複雑に絡み難しいことだが・・・)。しかも、日本の場合はそれだけではなく、彼の由々しき、異常な「忖度」の問題がある。

 日本の官僚らによる安倍政権に対する過剰「忖度」は、上で見たホネットの二つのベクトルの内で、たとえ外形的に民主主義ルールでの決定であるとしても、結果的にそれは「(2)相手側(この場合は権力側)の属性を受容するだけの行いと理解する」ことが絶対正しい高級官僚の仕事のあり方だ!と彼らが自信をもって確信していることなので、それは今の日本で欧米先進諸国並みの民主主義が全く機能していないことになる

 つまり端的に言えば、これら高級官僚たちが行なっている「忖度」は形式知的な「デジタル言語処理」(ラング)の行為なのであって、それは決して“意識”を持つヒトがやるべき「アナログ言語行動」(ランガージュ)ではないことになる。

  量子コンピュータ機械学習ディープラーニング)、ヒトの意識研究」などに関わる内外の先進的動向

 <コンピュータ機械計算、統計物理学のイジングモデル強磁性モデル)等による「自然計算のごく一部を模した自動計算+適切な変換を実行するアルゴリズム」で特定の最小解(予測的“特徴量”抽出の基になるデータ)を得る>のが機械学習であるが、この最小解を<量子コンピュータ量子アニーリング方式:シミュレーテッド・アニーリング(分子間の結びつき方を調整する冶金工学の“焼きなまし法”の援用)での多層構造化計算、つまりディープラ―ニング・プロセス(ブラック・ボックス!/委細、後述)>で深化させることで、より汎化性能が高い予測的“特徴量”(最小値)が得られることが判明!https://quantum.fixstars.com/introduction_to_quantum_computer/quantum_annealing/

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 そして、この汎化性能(未知のテストデータに対する識別能力)に関し<ある程度の強度のまま「量子揺らぎ」を残すこと(温度調節圧力、化学組成などで)が重要であることが確認された>とも発表されている。⇒《東北大ら,量子アニーリング(冶金工学の焼きなましの考え方の応用/分子レベルでの)で機械学習の効率化に成功 》20180704 optronicshttp://www.optronics-media.com/news/20180704/51866/ https://qiita.com/YosukeHoshi/items/927d233408346b41e524

 なお、古典理論では温度は系の構成要素の運動エネルギーの尺度で絶対零度は運動が停止することを意味するが、量子力学では絶対零度でも運動が停止することはなく、いわゆる零点振動が残る。量子力学的な粒子は波動(遍歴)と粒子(局在)の 2 つの「顔」を持っており、ポテンシャルエネルギーを得ようとするせめぎ合いの結果、両者の「顔」をほどほどに立てるところで折り合いをつけようとして零点振動が、すなわち「量子ゆらぎ」が生じる(https://www.jps.or.jp/books/gakkaishi/2016/04/71-04trends.pdf)。

 また、この波動と粒子の二重性を古典的な立場から理解するためハイゼンベルクが導いたのが不確定性原理であり、同原理は量子レベルの微視的スケールでは粒子の位置と運動量を共に正確に知ることができないという現実を定量的に明らかにしニュートン力学決定論的世界観を覆した!(http://www.math.cm.is.nagoya-u.ac.jp/~ozawa/Kagaku_201207_Ozawa.pdf

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 ところで、ジュリオ・トノーニ、マルチェッロ・マッスィミーニ著『意識はいつ生まれるのか』(亜紀書房)の<AI研究とクロスする最先端の脳研究(ヒトの意識研究)>の解説によると、人間の頭蓋骨内にはmin.約1000億個のニューロンがあるが(宇宙で想定される銀河のmin.数に匹敵!、その内訳は「a意識の在り処と見るべき視床‐皮質系”(大脳皮質と視床)/min.200億個」、「b小脳&基底核/min.800億個」である。特に驚くべきはb(脳内ニューロンの8割を占める小脳と基底核)が「今のところ、意識とは殆ど無関係と思われるゾンビ状態(機能が未知)」であることだhttp://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20170518

 また、意識の発生については殆ど未解明のままである一方で、この「脳内ニューロンの8割がゾンビ(機能が未解明)状態である」ことも含めて以下の点(●)が明らかとなりつつある

・ヒトの脳をモデルとする「意識」探求の原点は、脳内ニューロンの活動量と同期発火を前提とするニューラルネットワークだが、近年、その両者(意識とニューロンのネットワーク)が直接的には意識と無関係である現象が発見されている。(ニューロン・モデルAI(ディープ・ラーニング)の限界?←補足、toxandoria)

・意識(頭蓋骨内aに関わる部分)が、実は「無数の可能性のレパートリー」(同bに関わるゾンビ、つまり未解明の“脳内ニューロンの8割を占める小脳と基底核”部分)に支えられている可能性がある?・・・(これは想像だが)この「同bに関わるゾンビ部分/ニューロン・モデルAIの限界?」は、当記事の(プロローグ)で触れた「AIによるヒトの感情の取り扱い(模倣・再現)の困難さ、あるいは創造性などヒトの無限の可能性」の問題と関わる可能性がある。もし、そうであれば、AI「意識」探求の原点でもあるニューロン・モデル(ディープラーニング)そのものの見直しの必要性があるかもしれない。それは、全く別種の個体内における生理(免疫)機能に関わることだが、このこと(一見、無駄とすら見える脳内の8割を占めるゾンビ・ニューロン)が、あの“殆ど役に立たない領域と見なされてきたDNA全体の98%を占める非コードDNAが実は無尽蔵なほどの重要な役割を担うことが判明しつつあるという驚くべき事実”を連想させるからだ(↓参考&補足/参照)。

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<参考>)「芸術大学(および人文・社会系/補、toxandoria)の存在意義は『平和のため』と考えます。効率優先ではないものを貴び、そこに美的価値を感じ取る精神作業は平和でなければできない。芸術(おそらく、脳内ニューロンの8割を占める小脳と基底核”のゾンビ部分と関係がある?/補足、toxandoria)は違う表現や言葉を理解しようとするコミュニケーションの手段にもなる。他者への想像力は思いやりにつながる」と松尾貴史さん ☞(文化の扉)美術系大学、育む創造力 時代とともに広がる専攻、社会を生き抜く力に20190422朝日、https://www.asahi.com/articles/DA3S13987536.html  https://twitter.com/tanutinn/status/1120115156942352384

↑(関連Tw)松尾貴史さんに共感!それに伝聞では「欧米および中国」のIT系企業では、創造・想像力!で敢えて芸術・人文系の人材を重視採用とか!脳科学&AIの知見ではニューラルネットブラックボックスの小脳‐脳幹系(細胞数は大脳と大逆転する)が今後のフロンティア?芸術・人文系の役割と深く関連ある鴨!?20190427/@ソラリスの海(toxandoria)https://twitter.com/shinkaikaba/status/1122052114425868288

<補足>『小林武彦・東大分子細胞生物学研究所教授・箸『DNAの98%は謎』(講談社)によれば、「全体の98%を占める非コードDNA」は“遺伝子の発現、DNA複製の開始”などの染色体の上で起こるイベントの全てを制御・維持する機能を担っていると理解されていたが、“タンパク質をコードしていない”という意味では、その点に関する限り殆ど役に立たない領域と見なされてきた。ところが、近年の研究で、この領域がヒトの進化、免疫、老化、形質、ガン・遺伝病発生など非常に多様な分野において、殆ど無尽蔵なほどの重要な役割を担っていることが理解されつつある。』・・・https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/03/05/153938より部分転載・・・

・・・

 よく知られた事例では「免疫グロブリンの遺伝子再編成」の問題がある。免疫グロブリンは抗体を作るタンパク質で、普通は「1種類の抗体がある特定の異物(抗原)だけを攻撃する」という“特異性”を持つ。一方、生命個体の外部から侵入する抗原の種類は殆ど無限大に近いといってもよいので、進化のプロセスでグロブリン再編成(ごく一部の小さな可変領域におけるリフォーム)の仕組みが編み出された。

 ところで、新種の異物(抗原)に対処するためのグロブリン再編成の材料となるタンパク質はDNAでコードされるため、殆ど無限大に近い新種の抗原に対処するためには膨大な数のDNAが必要となるはずだ。しかし、ヒトゲノム・プロジェクトで確定したDNAの数は有限(約2.2万個)である。そこで、進化の過程で編み出されたのが「一見では何の意味も持たないDNAの墓場的な領域を設ける」という戦略であった。

 つまり、その「殆ど無意味な、一見では役に立ちそうもないDNAの墓場=全体の98%を占める非コードDNA/偽(ギ)遺伝子と呼ばれる壊れた遺伝子のリピート配列(従来はジャンク、つまりゴミと呼ばれていた)」からランダムに1つずつの材料が選ばれて、それらの組み合わせで、新しい免疫グロブリンの再編成が行なわれていることが分かったのである。

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 直近の研究成果から「これら98%の偽(ギ)遺伝子が、実は“ヒトの個性、個体形質、体質(糖尿病、ガン、遺伝病など特定の疾患に対する耐性を担っている)”ことが分かりつつある。(情報源:20190505NHKスペシャル シリーズ人体Ⅱ「遺伝子」 あなたの中の宝物"トレジャーDNA(偽(ギ)遺伝子)"、https://www.nhk.or.jp/kenko/atc_967.html

 比喩的な言い方をすれば、「全体の98%を占める非コードDNA」の巧妙(絶妙?)なメカニズムは、短絡的な目先主義からすれば甚だしいムダにさえ見えかねない「社会的共通資本たる“社会の茎”」(ヒトを幸せにするsocio-scapeshttps://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/03/05/153938)」そのものだとさえ言えるのではなかろうか。

 つまり、生命モデルから得られる新たな知見からすれば「例えば、新古典派経済学にシッカリ取り憑いた新自由主義の如き“合理原理主義”(ヒトまでモノ扱いする物象化フェチに嵌っている!)こそが“非合理”であり、“万一の時に備えるムダも一定の視野に入れる“限定合理”(ヒューリスティクス)こそが、ある意味で合理的であることが分かる

f:id:toxandoria:20190519071055j:plain因みに、これら98%の偽(ギ)遺伝子は「新たな生命(子)の誕生の時には、必ず、約80の突然変異をもたらしており、その結果として多様性がヒトの社会に生まれ続けている(無論、ヒトだけではないが・・・)ということも、近年の研究で発見されている(情報源:シリーズ 人体Ⅱ遺伝子 第2集 “DNAスイッチ”が運命を変える20190512https://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20190512

・・・

意識の基本的特性二つ(統合情報理論)⇔(1)情報の統合/ほぼaに対応、(2)情報の豊富さ/ほぼbに対応(おそらく感情の要素も含む?)・・・結局、ヒトの意識は(1)と(2)の統合で完成すると考えられる

その意識統合のため脳内では非常に効果的で限定効率的(ヒューリスティック)な情報圧縮作業が進行している(これは機械学習ディープラーニングとは異なり、やはり+αの別の未発見の要素が加わる?)

 おそらく、その処理計算プロセスはシャノンの「対数関数計算に因る情報圧縮?+αの別の要素が加わる?」が近い?(シャノン情報理論では2を底とする2進対数関数でビットに合わせている)のかもしれないが、一方で知覚可能な情報量は「無数の可能性×無数の組み合わせ」なので莫大になり、知覚的な観察だけでは対応しきれず脳内では凡ゆる方法での揺さぶり(究極のデフォルトモード・フラッシュ?(一種の量子アニーリングに似た効果)+αの要素が加わる?/関連参照⇒http://ur2.link/Dpgi)が行われている。http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20140502

 ところで、現代は量子コンピュータ(深層学習DLと量子アニーリン量子トンネル効果を応用する非常に効率的な超ビッグ多変量回帰分析/量子コンピュータ駆使)で最適解を求める手法)等による「“模倣”天文学的スケールの超高速計算」(しかし、それは約1000億個の銀河の数に匹敵する宇宙規模の天文学的スケール(≒ヒトの脳内ニューロン数)とは未だまだ雲泥の大きな落差がある!)が実現する時代へ入りつつある。別の言い方をすれば、それは1%派と癒着し易いIOT、AI‐インターネット技術がより強靭な社会プラットフォームとして他の凡ゆるものを根こそぎに支配し得る時代、いわゆる<AI‐Web機械経済Vs人間の壁”の社会構造が新たに形成される時代>に入ったということであるが、我々は、そのような意味で「AIの進化がヒトの幸せを脅かす」というパラドクスに此のまま嵌り続けることになるのだろうか?ttps://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/03/05/153938

<注>量子トンネル効果・・・江崎玲於奈が発見した量子物理現象。量子力学の分野でエネルギー的に通常は超えることのできない領域を粒子が一定の確率で通り抜けてしまう現象のこと(厳密には、通り抜けたかに見える現象)http://hp.vector.co.jp/authors/VA011700/physics/tunnel.htm

(日本の量子コンピュータ研究・開発の現況/残念ながら、日本は“本質の部分”で立ち遅れている)

・・・ともかくも、ディープラーニングや先端科学研究などの精度(信頼性)のより一層の高度化のため、今や優れた量子コンピュータの研究・開発が必須となっているが、残念ながら日本のそれは立ち遅れている。(以下は『日経サイエンス/2018年2月号の転載)・・・

文部科学省はこのマシンを,今後の量子コンピューター研究の中核に据える構えだ。もしそうなったら,量子コンピューターを研究していると標榜しながら,実際には古典コンピューターの性能向上を進めるという,名と実の乖離が起きることになる

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・・・日本の量子コンピュータの現況!/日経サイエンス(日本版「量子」コンピューターの選択) 2018年2月号 http://www.nikkei-science.com/201802_054.html

  2017年11月20日内閣府の革新的研究開発推進プログラム(ImPACT) は,NTTなどと共同で,「世界最大規模の量子コンピューター」を開発し,誰でもインターネットを通じて利用できるクラウドサービスとして提供すると発表した。

   量子コンピューター研究は3年前、米国の研究グループが発表した1本の論文をきっかけに様相が一変した。グーグルはこのグループを引き抜いて研究を本格化し、IBMほかIT大手やベンチャー企業、有力大学が研究を加速。それまで20年間にわたって数個にとどまっていた量子ビットの集積度は、今や50ビットに届く勢いだ。中国、米国、EU、オランダ、英国、スウェーデン、オーストラリアも、相次いで大型の研究開発投資を進めている。

 

  今回の発表で日本もいよいよ量子コンピューターの開発競争に参入したと思った人も多いだろう。だが、それは事実と異なる。この「量子」コンピューターは量子を利用した計算はしておらず、現在のCPUと同じ古典的な計算をするコンピューターだというのが専門家のほぼ一致した見解である。量子コンピューターの別タイプではなく、むしろ新規の光アナログコンピューター(メタマテリアルの特異な性質と光という連続アナログ量の変化を利用するという意味で高速化を実現するという意味であり、古典的なアナログコンピュータのその儘の復活ではない。)だといえる。

<注>メタマテリアルの光アナログコンピューターへの応用について ・・・自然界ではありえない振る舞いをする人工物質がメタマテリアルだが、そのメタマテリアルの内部には光の波長よりも小さな構造が無数に配置されており、それによって光の屈折方向を変更するといったことが可能になる。例えば、ある規則に従い、光の波形で曲線を表現する。この光を特別に設計したメタマテリアルに照射すると、内部で波形が変形されて、別の波形を持った光となって出力される。例えば、放物線(y=x²)を表す波形の光を照射すると、微分した直線(y=2x)を表す光が出力されるということができるわけだ。それこそ、光のスピードで演算が行われることになる(だから、これで自然界のアナログ情報が光アナログコンピューター上に取り込まれるということはあり得ず、その情報はあくまでもデジタルコンピュータ上のものと同じくデジタル抽象化されたものである(以上は、https://www.tel.co.jp/museum/magazine/news/111.html より部分転載)。そして、おそらく此の光アナログコンピューターも古典的デジタルコンピュータを介して翻訳され、実際に利用されることになると思われる(補足/toxandoria)。

   だから無意味だというわけでは決してない。量子コンピューターは研究が加速しているとはいえ、いまだ実験段階だ。実用機ができるまでには数十年かかるだろう。量子でなくても現在の半導体コンピューターより高速に動作するマシンなら意義は大きく今回のマシンは、まさにそこを狙っている

 

  だが、量子コンピューターの代わりにはならない。AIの進展とともにコンピューターが扱うデータ量は今後爆発的に増えると予想される。医薬品や新材料などはいずれ、すべて原子レベルで設計されるようになるだろう。その基本となるのは量子力学であり,量子コンピューターは,あらゆる量子力学過程を効率的に再現できる汎用コンピューターであることが理論的に示されている。技術的なハードルが極めて高く、いつ実現できるかわからないにもかかわらず、量子コンピューターの研究が拡大している理由はそこにある。現在のコンピューターと同じ土俵にいるImPACTの「量子」コンピューターとは比較できない。

 

3 想定上の完全AIアンドロイドはなぜ胡散臭いのか? それは「アナログ/自然計算(“暗黙知”ワールド?)」と「デジタル/AIディープラーニング(“形式知”抽出マシンワールド?)」の溝の深さによる?(仮説)

f:id:toxandoria:20190430041845j:plain(映画『エクス・マキナ(2016)』の画像は、https://deskgram.net/p/1965314503818192166_13432762より)

 いま、下のニュース情報★を目にしているが、おそらくこれなどは「インフルエンザウイルス 研究用の細胞開発のハーネス調教的な利用(限定調和的、かつ経験的な自然計算の活用)」と言えるだろう(<注>ハーネス調教=馬の自主性(自然計算)を尊重しつつ轡(くつわ)で統制・訓練し手なずける手法)。

★インフルエンザウイルス 研究用の細胞開発:効果的なワクチンの生産などにつながる成果/インフルエンザウイルスを、変異があまり起こらないようにしながら効率よく増やすことができる研究用の細胞を新たに開発した東京大学医科学研究所などが発表した。20190430NHK https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190430/k10011900951000.html?utm_int=news-new_contents_list-items_004

(自然計算はアナログ暗黙知ワールド?/超デフォルトモード・フラッシュ? ) 

<注>暗黙知形式知について

・・・ともにマイケル・ポラニー(1891-1976/ハンガリー出身の物理化学者・社会科学者・科学哲学者)が提唱した概念で、暗黙知は言葉や数式に置き換えて表せない「知」であり、形式知はそれが可能な「知」と定義できる。委細は、後述するが此の両「知」の差異の問題は、特にAI(ディープラーニング/DL)をビジネス・製造・軍事・医療・教育・司法・行政支援等で具体的に利・活用する場面で非常に重要な意味をもつことになる。

f:id:toxandoria:20190430050340j:plain南方熊楠の画像はウイキより)

 自然計算の全体像を論理的に説明するのはなかなか難しいが、日本では「やりあて」(おそらく無意識に自らの脳の働きを一種の特殊な自然計算と見立てた上でそのハーネス(調教)的な使い方を自らの研究活動の成果に結びつけていた?/ネイチャー誌に掲載された論文の数が約50報で日本人最高記録保持者博物学者・南方熊楠の実践事例(https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-09J01168/)を始めとして、特に医学の世界などでは経験的(おそらく殆ど無意識にそれを使ってきている鈴木泰博氏(名古屋大学准教授)によると、例えば「幼児性中耳炎(好発は 2 歳)の治療(炎症の原因菌と戦う常在菌を選抜し両菌を混在させた上で後は“武運長久”祈願!として敢えて放置する治療戦略が成功している)」、あるいは「最新のがん免疫療法」などが挙げられる(出典:自然計算/201505人工知能30巻3号https://www.ai-gakkai.or.jp/my-bookmark_vol30-no3/ )。また、下・画像の事例「人間の細胞、拒絶しないブタ 免疫の一部抑え成功、再生医療研究に活用 慶大:522朝日」も、自然計算の調教的な利用のアイディアに因るものだと思われる。

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https://twitter.com/shinkaikaba/status/1130972481890611205

 因みに、同じ鈴木泰博氏は自然計算を詳細に論ずるのが難しいのは自然計算ではアルゴリズムを与える主体と計算を実行する主体が同じになって しまうことに因ると説明している。それは仮に生命現象を含む“森羅万象”(“同”神を自負する安倍晋三氏のことではない!w)に関わる自然計算のアルゴリズムの全指定ができるプログラマーがもしいるとするなら、彼は人間が神と同然化したと言えるだろうからだ。

 しかも、これは「プロローグ」で触れた「ヒトの感情とAIの感情もどき」の間に横たわる『不気味の谷』とも重なる問題になると思われる。が、それどころか現実はおそらく「リアル・アナログ世界」と「デジタル世界(コンピューター上の抽象化で実現するAI抽象化デュナミス潜勢態世界」が完全一致する(ユヴァル・ノア・ハラリが言うところの『ヒトが神になる)とは思えないので、おそらく人文「知」による何らかのルネサンス的な新たな知恵(クワイン、マクダウエル、ガダマーら“意味の全体論”(委細、後述)の立場の更なる先にあるetwas?)が創造されなければ、むしろ下で見る事例の如き意味で『リアルの崖』となりかねないだろう

 また、例えば「電気化学的勾配によるカルシウム・イオン、又はホルモン・酵素等の“内分泌系”情報伝達物質の脳など生体内における移動・伝播、細胞蛋白質や細胞小器官との間で情報伝達的かつ物理的な橋渡し役を担う細胞骨格(マイクロフィラメント等(直径で約約5~9nm以下の驚異的なマイクロ・スケール!)の超微細組織)の働き、という驚くべき事実もある

 あるいは、“もし、プラトン的な観念が不在であれば数学の概念を我々は理解できない”と見るR.ペンローズ(英国出身の天才的な数学者・理論物理学者/1931- https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58525)の主張、同じくペンローズが強い関心を寄せる重力量子(これは未観測だが)と生命体(特に脳)との関係性の可能性の問題」なども、ヒトの脳機能を支える重要な要素と考えられるため、到底、脳の全ての働き(つまりヒトの意識トータル)は電子デジタル・ニューラル・ネットワークだけで模式的に説明できるものではないと思われる。

 従って、この様な意味でも「脳のニューロンのネットワークを模したディープラーニング自動計算」と、そのトータルが殆ど「暗黙知」的な「自然計算」の間には大きな落差(断絶)があることが理解できる(そもそも宇宙の銀河数1000億個を超えるともされる莫大なニューロンの規模に加え、数え切れぬ程のシナプス(イオン系、化学系、混合系から成る)なども存在するため、脳内の情報処理ネットワークを100%再現することは到底不可能と思われる)。

 なお、このような意味での自然計算はフランス科学認識論の哲学者、G.シモンドン『個体化の哲学』(叢書・ウニベルシタス)の“ミクロから宇宙規模のマクロにおよぶ大自然世界における相転移の問題意識”の連続リアリティの概念にも重なると理解できること)および個体生命内の「ATP/アデノシン酸三燐酸(動植物に共通の個体内における生命エネルギー通貨)」創造の謎の問題とも深く関わると考えられるが、此処でそれらを深堀りする余地はないので、以下に事例◆を列挙するだけに止めておく。

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◆シモンドンによれば、ミクロ~マクロに至る世界の総体は<存在の特定の相(情報、形相、特異点)>という概念に比肩できるが(これらは相転移閾値(特異性)で繋がっている)、それは一定の系が「強度intensitéとしての情報」の連続する多層構造(~量子物理学“スケール”~物理・化学“同”~生命“同”~宇宙論“同”~)を意味する。今もって重力と磁力の本性が未解明であることを連想すると興味が尽きない!/参考資料:ジルベール・シモンドンとジル・ドゥルーズの「特異性」の概念―「情報」の形而上学的な問い直しのために―堀江郁智(日本学術振興会 特別研究員http://www.iii.u-tokyo.ac.jp/manage/wp-content/uploads/2018/04/88_6.pdf

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◆【ATP合成酵素分子モーター/人間の場合、ATP合成酵素ミトコンドリアの内膜にあり、水素イオンの流れでATPを作っているが、その役割は発電所の仕事に喩えることができる)のメカニズムは解明されつつあるが、なぜ、あらゆる生物が簡単な機構ではなく、複雑なナノモーターを使用しているのか?は未解明である!その回転には何らかの宇宙的な普遍性があるかも!?/京都産業大学、総合生命科学部 生命システム学科 吉田賢右教授、https://www.kyoto-su.ac.jp/project/st/st11_06.html 】・・・Cf. 「分子モーター」を人為的に回して「ATP」の合成に成功(基礎研究最前線)伊藤博康(浜松ホトニクス(株)筑波研究所研究員(専任部員))戦略的創造研究推進事業「タンパク質分子モーターを利用したナノメカノケミカルマシンの創製」研究代表者http://www.jst.go.jp/kisoken/seika/zensen/06ito/ 

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 これは直近の出来事であるが、日本の安倍晋三内閣総理大臣は自らが森羅万象の神だ!と自覚している<貴人ならぬ奇人>であることを国会で白状した!? のは周知の通りである。だからこそ、「完璧なAIアンドロイド」ならぬ安倍晋三氏に『不気味の壁』(自らを“神様”だとマジに自覚している?w 故の独特の胡散臭さ)の空気が漂っても不思議ではないことになる。(『不気味の崖』の画像はウイキより)

(人間のニューロン神経の活動のごく一部を模倣した機械学習手法の一種ディープラーニング(深層学習)の登場)

 ここで「人間のニューロン(神経)の活動を模倣した機械学習手法」の一種であるディープラーニング(深層学習)の登場ということになるのだが、その嚆矢は意外にも、やや古く1940年代の米国にまで遡る。(以下は、『ディープラーニングニューラルネットワークの歴史(株)電通国際情報サービス:⼩川雄太郎https://book.mynavi.jp/manatee/detail/id=89172より部分転載)

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・・・ディープラーニングニューラルネットワーク/多層機械学習)の原形となったモデルは、米国で考案されたマッカロック・ピッツモデル(The McCulloch-Pitts Model/Warren S. McCulloch、Walter Pitts)。形式ニューロンとも呼ばれ、ニューロンの活動を数理的に最も単純な形で模倣したモデルであり、1943年に発表された。マッカロックは外科医、かつ神経科学者でありピッツは数学者だった。つまり、神経科学者と数学者の共著論文でこのモデルが誕生した訳だ。

マッカロック・ピッツモデルを数式で表すと以下の通り。 ・・・11shiki01.jpg (ここで引用は終わり)

 

 (多層機械学習ディープラーニング(深層学習)の概要)  

f:id:toxandoria:20190430081942p:plain(画像は、Leap Mind Blog https://leapmind.io/blog/より)

f:id:toxandoria:20190501130550j:plain(画像は、

ディープラーニング】深層学習とは何か〜学習編〜、https://su-gi-rx.com/archives/960より転載)

 (1)ディープラーニング(2006~)の登場で、第三次ブーム下にあるAI(人工知能)の現況と未来

f:id:toxandoria:20190506161628j:plain(画像はウイキより)

・・・ジェフリー・ヒントン(1947- /英国出身のコンピュータ科学・認知心理学の研究者、トロント大学とGoogleに在籍)が オートエンコーダ(ニューラルネットワークを使った自己符号化アルゴリズムhttps://deepage.net/deep_learning/2016/10/09/deeplearning_autoencoder.html)によるディープラーニングを発明した(2006)が、これは人手を介さず特徴量(そもそもは機械学習で最初に入力する必要がある学習モデルの数値化)が抽出できるため、人間による知識表現であるアルゴリズムの役割が大幅に減少して(それがゼロとなった訳ではない)人工知能(AI)の大きなブレイクスルーとなった。

・・・既述の通りディープラーニングニューラルネットワーク)の原形は、1940年代に米国で考案されたマッカロック・ピッツモデルまで遡るのだが、そもそも機械学習とは「データ、パターン、ルールをコンピュータ自らが学習し、かつ柔軟にそれらを抽出できる」ようにする自然計算(南方熊楠の関連で既述)のごく一部分を模した「自動計算」技術のことである。

・・・ところが、2006年にジェフリー・ヒントンが オートエンコーダ(ニューラルネットワークを使った自己符号化アルゴリズム)を発明した以降のディープラーニング(多層機械“深層”学習)を喩えてみれば、それは「具材をそのまま鍋に放り込んだら、勝手に美味しい料理ができ上っている」と言う様なものだが、後述する通りその論理的プロセスの核心部分(おそらく、それは既述のとおり南方熊楠らが直感していた“自然計算”のごく一部分の再現であるため?)は今も「ブラックボックス」の状態(委細、後述)となっている

・・・しかも、「AIはゼロから1を生み出すこと」ができない!ということが現実である。つまり、《ヒトや自然の“現存在(ハイデガーが名付けたDasein/生命持続の活動エルゴンなる自然計算のトータル》、言い換えれば《地球自然環境そのもののリアルとその歴史の全体》の大前提なしでは、いくらAIと雖も何か新しい自然の存在を創造する」ことはできない。

・・・それにもかかわらず、AIが単独で機械的に、それができるようになると主張する点がシンギュラリティ論の怪しげなところである。つまり、いくらAIと雖も「いわゆる“意味の全体論”派(委細、後述)が主張する真理(クワインヒューマニズム哲学やマクダウエル、あるいはガダマーらの最新のリアリズム倫理・哲学などに沿った解答」を導き出すこともできはしないのである。

・・・だから(個人的な感想であるが)、案外AIの未来は「アナログ自然状態(自然計算)のままに放置し、何も一切の小細工は(ディープラーニングなどの深堀なども?)せぬ方が得策だし、結局、その方が経済的にも社会厚生の側面でもリーズナブル(限定合理的でヒューリスティック)であり、その方がヒトはより幸せになれる!?」というブラックユーモア風味の未来へヒトは突き進むのかも知れない?(苦w)

(2)“広義の機械学習”の種類と概要

・・・そもそもAI機械学習(現在の機械学習はニューラル・ネットワークであり、その更なる進化系の深層学習が多層機械学習、つまりDL(ディープラーニング)である)の得意技のベースは「大量のデータを分類しラベル付けする」ということであり、これが「ヒトが与えたでたらめなデータから、自らジャンル分け出来るように微調整しつつ学習する」という、機械学習の稼働原理の基本となっている。・・・

機械学習]-1教師あり学習(得意は分類すること/最初に正解モデル・データを与え、そこから分類ベースのルールやパターンを電子機械的に自動調整で学ばせる手法)

・・・その応用例は「迷惑メール判定、画像選択(必ずそれらデータの中に正解があるもの)」など(概ね人が正解を判断できるもの)だが、その前提条件は「教師データ数が十分に多いコト、例えばメール判定でも数万件のオーダーが必要!」ということになる。

・・・教師データを学習したコンピュータは自らの中に「未知のデータを予測するため/予測フェーズ」のルール(=稼働の土台となるモデル・アルゴリズム+教師データから学んだルール学習フェーズ・モデル)を保持している。

・・・また、教師あり学習は新たな場面での教師データ(新たに学んだルール)を時系列で学習し累積させ、その都度の微調整で少しづつルールを更新する。いわば教師あり学習では教師データ(正解)との差を微調整することが学習そのものなので何回も繰り返すと洗練度が高まる訳である。

・・・出力パターンは確率の表記となることが多いが、「データの作り方の工夫」と「データ数の大きさ」が、その結果の性能を左右する。

機械学習]-2 教師なし学習(得意は分割(クラスタリング/グルーピング、分割)すること教師データを与えずに行う機械学習の手法)

・・・教師あり学習で行っていたのは「分類」問題を解いていたのだが、教師なし学習が行うのは「クラスタリング」(グループ化)である。両者は似ているように思えるが、「分類」はあくまでも個体のラベリングであり、「クラスタリング」は各「個体」の属性を目星とし同じ仲間と思しき「複数の個体でグループを作る」(クラスター化する)ことだ。

・・・別の角度から言えば、教師なし学習で行うのは、多変量のデータが大量にあって、どういうクラスタ分割ができるのか分からないので、とりあえず、それをやってみるという様な場合に有効な手法である。

・・・重要なのは、クラスタリングで得られた複数のクラスターの夫々がどのような特徴を持つデータ集団(仲間)であるかを、その教師なし学習の結果しだいで、今度は人が類推的に理解(今度は人が、その複数クラスターを見分けて評価)する必要があることだ。

・・・クラスタリングでは凝集型クラスタリングボトムアップクラスタリング最も近いものどうしを順番にまとめるやり方)など様々な手法がある。いずれにせよ「何で似ていると判定するか?」「クラスタどうしをどの様な基準で比較するのか?」などの条件設定しだいで、様々な目的に応じ使うことになる。これは教師あり学習の分類でも同じことだが、機械学習を使っても目的に応じそれを使う人が試行錯誤する必要があるということである。

・・・因みに、教師なし学習ではクラスタリング(グループ分け)の行為そのものが学習することの意味になる。

機械学習]-3 強化学習(得意は決定の行動パターンを学習すること/ある状態における多様な行動を評価し、よりよい行動を自動的に学習する手法)

・・・これは、特に囲碁・将棋・チェスなどのゲームやロボットの動作制御(デシジョン・ツリー選択での

確率を決める)などで高い性能を発揮するが教師あり学習教師なし学習に比べて使い方のハードルが高い

・・・別に言えばある環境内のエージェントが現在の状態を観測し今後の取るべき二者択一の行動を決定するという問題を扱う機械学習」であるが、そこでエージェントは行動の選択に応じて環境から報酬シグナル
(選択した割引累積報酬)を得ることになる。

・・・ポイントは、右か左かを単純に決めるのではなく先ず右の確率と左の確率を決め、その確率の結果を介して得た報酬シグナル(電子的なパラメータ数値/脳内ニューラルネットの対神経“快感賦与”物質であるドーパミンの量に相当する)の大小を比べる学習経験を何回も繰り返し、最終的に得た割引累積報酬(累積パラメータ数値)から逆算して得た最終累積報酬が最大となる(将棋などの勝負の場合は勝ちを得る)ように各選択段階の個々の確率をバックプロパゲーション(下記/注)で波状的に決定しつつ、それを繰り返して、そのつどの経験値(知)を累積して行くことにある

・・・つまり、最終の累積割引報酬シグナルを最大化するよう意思決定(先行かつ遡行的に選択)するという確率の決め方)の技術「経験知」を電子的に学習・累積するところが強化学習特徴である。

[補足]GAN:敵対的生成ネットワークとは何か ~「教師なし学習」による画像生成(リアルをフェイク化する“教師なし学習”のジャンル?w)・・・以下、https://www.imagazine.co.jp/gan%EF%BC%9A%E6%95%B5%E5%AF%BE%E7%9A%84%E7%94%9F%E6%88%90%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B%E3%80%80%EF%BD%9E%E3%80%8C%E6%95%99%E5%B8%AB/ より部分転載・・・

 近年、いわゆるAI を構成する要素技術として機械学習の発展が著しい。とくにディープラーニングはその火付け役であり、画像分類、物体検出、セグメンテーションなどの画像領域をはじめ、自然言語処理音声認識といった分野にまで広く応用されている。その表現力の高さから、今や従来の機械学習手法を凌ぐ結果を見せている。

 ディープラーニングの技術は日進月歩で進化しており、新たな研究が発表されると、すぐに実装コードが公開されたり、応用研究が進められたり、ビジネスに適用されたりする。

 なかでも最近注目されている技術の1つに、「敵対的生成ネットワーク」(Genera tive Adversarial Networks。以下、GAN)がある。GANは生成モデルの一種であり、データから特徴を学習することで、実在しないデータを生成したり、存在するデータの特徴に沿って変換できる。

 GANは、正解データを与えることなく特徴を学習する「教師なし学習」の一手法として注目されている。そのアーキテクチャの柔軟性から、アイデア次第で広範な領域に摘用できる。応用研究や理論的研究も急速に進んでおり、今後の発展が大いに期待されている。 

GANの学習の仕組み

 GANは、2つのニューラルネットワークで構成される。 

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 アーキテクチャを図表4に示す。1つはGeneratorであり、その名のとおりデータを生成する。Generatorは、生成データの特徴の種に相当するランダムノイズ(図表4ではz)を入力することで、このノイズを所望のデータに近づけるようにマッピングする。もう1つはDiscriminatorであり、Generatorが生成した偽物のデータと本物のデータが与えられ、その真偽を判定する。

 この2つのネットワークを交互に競合させ、学習を進めることで、Generatorは本物のデータに近い偽物データを生成できるようになる。この関係性は、しばしば紙幣の偽造に例えられる。偽造者(Generator)は本物に近い偽札を作ろうとし、警官(Discriminator)はそれが偽物であると見抜く。するとGeneratorは、より精巧な偽札を作り出すように技術を発展させる。こうした「いたちごっこ」が繰り返され、最終的には本物に近い偽札が生成されるようになる。

 また補足だが、2つのネットワークの競合関係は、ロス(コスト)関数を共有させることで表現される。すなわち片方のロスが小さくなれば、もう一方にとってはそのロスが大きくなる。Generatorはロス関数の値を小さくすることを目的に、Discriminatorはロス関数の値を大きくすることを目的に学習させる。

 ここが、CNNや再帰型ネットワーク(RNN)などロスの最小化を目指す他のアーキテクチャと異なる点であり、GANがぼやけにくい画像を生成するポイントである。ただし後述するように、これが学習を難しくさせている点でもある。

 また学習させたGANから類似データを生成する場合、Generatorにはランダムノイズを入力するが、ここにランダム性をもたせることで、生成されるデータにもランダム性が生まれる。すなわち、サンプルするたびに異なる類似データが生成されることになる。

 zが属する空間(潜在空間と呼ぶ)は、学習させた画像の特徴量が分布している空間とみなすことができ、空間上で近いzからは、類似の特徴をもったデータが生成されることを意味する。さらに、このzに演算を施すことで、画像に特徴量を付与・変換できる。たとえば人の顔を徐々に笑顔に変化させていく画像を生成できる(図表5)。

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・・・以下、省略・・・

機械学習]-4 ディープラーニング(深層学習)

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<参考>DL(ディープラーニングの実装では何をやっているのか?

・・・ディープラーニングの実装では何をやっているのか?」を概略的にイメージでも理解できる優れたサイトがあったので添付しておく。上の画像はごく一部の抽出なので、ご関心の向きは下記★をクリック乞う

ディープラーニングを実装から学ぶ~ (まとめ1)実装は、実は簡単@Nezura(20180623更新)https://qiita.com/Nezura/items/0a37e1746f2830e31ddc

・・・

・・・特意なことは、例えば翻訳などのように一定の規則のなかで正解がほぼ一意(事実上、多義は無視する)に決まる学習である。

・・・教師あり機械学習の作業のなかの「“各パーセプトロンにおける入力の強さ(二つの入力値の重み(結びつきの強さ/確率)+バイアス→出力、およびバックプロパゲーション)の調整(チューニング)”が自動計算に置き換わるイメージ」と考えれば理解し易い

<注>パーセプトロン ☞ https://qiita.com/yudsuzuk/items/a8e1eee92403f0921d92 バックプロパゲーション ☞ https://qiita.com/43x2/items/50b55623c890564f1893

・・・ディープラーニングの優れた点は、「外部からのヒントなしで内部表現、潜在表現、特徴量等の課題を解く精度の高さ」という点にある。

・・・そもそも機械学習教師なし学習教師あり学習強化学習の別を問わず)の前提として必要なのが「特徴量」をコンピュータへ与えることであるが、その特徴量を具体的に言えば「これから与えるデータの何処に注目して仕事(学習)をすべきか?」ということを示す“数値データのかたまり”であり、それはチャンク(chunk/原義は肉・木材などのぶつ切り、大きな塊り)とも呼ばれる。

・・・ところが、ディープラーニングではこのチャンク(特徴量)を与えなくても「高い精度で、良好な結果(特徴量など)を自動計算で取り出してくれる」という優れた能力を発揮する。無論、ドラえもんの“なんでもポケット”ではないのでw 土台となる必要最小限の「使用する関数などの作業アルゴリズム」は与えておかなければならない。

・・・従って、“非常なすぐれもの”のディープラーニングではあるが、例えばその膨大なデータ量の解析に最適な、又は必須の関数としてどれを使うべきか?などの判断が作業アルゴリズムの設定段階で必須となる。だから。その意味では、よほどディープラーニングの方が機械学習より職人技というか専門知識が必要となる。

・・・加えて、ディープラーニングには「その最も優れた処理能力が論理的に説明できないブラックボックスになっている」という課題がある。色々と研究の取り組みはあるが未解明である。具体的には、つぎのようなことだ(関連、後述)。

  • 人がデータを見ても判定が難しいのに、なぜか適切な推測モデルをディープラーニングが作ってくれたが、その理由は不明である
  • 又、結果があまり良くないので「隠れ層(中間層)」を増やして“より多層化”してみたら、理由は分からないが、なぜか精度が高まった

(深層計算(多層計算)“ブラックボックス”問題に関するエトセトラ)

 かなり乱暴なことになるが、上で述べたディープラーニング・システム(多層機械学習ニューラルネット)の進化系)の概要(+関連情報)を短く纏めると以下のとおりである。なお、一般的に4層以上の機械学習を特にディープラーニングと呼ぶことが多い。

・・・ディープラーニングの稼働原理を、ごく大雑把に言えばsoftmax関数(0~1の間で立体的に遷移する関数)、affine変換関数(平面で三角形の移動(写像)を与えることができる関数)、交差エントロピー関数(確率の確率を表す誤差関数)、微分関数、ReLU関数(中間層の活性化(ニューロン発火)関数)などで作った土台となるアルゴリズムを「特定用途向け集積回路ASIC」(特定のユーザーや用途に向けて開発されたLSI(大規模集積回路))で機械的に実装し、多層化させた中間層に「ニューロンの繋がり方」を模した「自動計算」を実行させる(“自然計算”のごく一部をデジタル技術で最も単純に模倣した機械計算システムを介して)ことである。

・・・その多層化した機械計算システムは自ら学習した結果を出力することになる。つまり、機械学習では最初に教師モデルを与えることで自動計算の訓練が可能だが、ディープラーニング(深層学習)では(無論、稼働の土台となるモデル・アルゴリズムは必要だが)、そもそも機械学習で必要であった基となる特徴量のモデルを与える必要がなくなり、稼働土台のアルゴリズムさえ決まれば後はコンピュータの自動計算に任せることができる訳だ。

・・・但し、何でもかんでも計算ができる訳ではなく、一定の数字の大きさなど諸条件の制約があるし、異常値の結果が出た時などは計算そのものが停止する。また、プログラムで一定限度の停止指示を与えることもできる。

・・・つまり、これらの制約条件は、ディープラーニングが脳神経ネットワークを模したものであるとしても、それがリアル生命体における自然計算のトータル(老化・衰弱に因る自然死、病死、あるいは事故死するまで生き抜くリアル生命活動)とは全く異質の計算プロセスだということを示している。

・・・また、それはこの技術的にニューロンのネットワークを模した自動計算が、ヒトの脳神経に限る自然計算の全容(トータル)とも異なっていることの証左でもある、とも考えられる

・・・繰り返しになるが、特に忘れるべきでないのは<一定のプログラムでニューロン・ネットワークの自然計算の一部を模して作動する“条件付きの自然計算のジャンル(脳神経の自然計算のごく一部のデジタル模倣による再現としての自動計算)”と見るべきであることに加えディープラーニング稼働の中核(最も肝心な中枢機能)となる「より多層のニューラルネットワーク計算から、なぜ良い(精度が高い)性能の結果が得られるか?」について、その理由が論理的に説明できていない>というブラックボックスの問題があることだ(参照/下記■1、■2)。

 ■1  最適化から見たディープラーニングの考え方: 得居誠也((株)Preferred Networkリサーチャー/東京大学情報理工学系研究科・博士課程在籍)[モデル圧縮]深層学習のもっとも興味深い点である,深さの効果を考える/深層学習の本質はその深さにあると信じられているが,深いニューラルネットが高い性 能を発揮する理由はまだよくわかっていないhttp://www.orsj.or.jp/archive2/or60-4/or60_4_191.pdf

■2 多層ニューラルネットワークによる深層表現の学習:麻生英樹(産業技術総合研究所・上級主席研究員)/深層学習では層の数が多いニューラルネットワークによって、膨大な観測データから本質的な情報を抽出した「内部表現、潜在表現、特徴量」を学習する深層学習が注目される最大の理由は、パターン認識タスクや予測タスクにおける性能の良さであるが、深層学習で得られる内部表現などがなぜ良い性能につながるのかは未だ十分に理解が進んでいるとは言えないhttps://scholar.google.co.jp/scholar?q=%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0+%E8%87%AA%E7%84%B6%E8%A8%88%E7%AE%97&hl=ja&as_sdt=0&as_vis=1&oi=scholart

“統計と機械学習(計算)”の根本的な違いを理解することが重要/“計算の想定(前提)条件、目的、戦略”が異なる)

  統計学は原則的に決定したパラメータ(アルゴリズム関数の未知数部分/例えば、平均などの母集団特性など)の操作はない(というか、厳禁だ!)が、機械学習では「稼働の土台となるモデル・アルゴリズム設定のための関数の選択や目的の推計値の抽出の必要などから場合によってはデータ数の追加や欠損値の補間(ゼロパディングや平均値の挿入)等をプログラマーがチューニングする)こと」が許される。

 結局、一定の母集団におけるモデルの妥当性、モデルのパラメータの正確な推定、モデルからの推論的な説明といったものが統計学者にとっての主な関心事であるが、機械学習の取扱者(プログラマーら)の大きな関心事は「ビッグデータの解析に因る、まだ見えていない事象に対する予測(特徴量、内部表現、潜在表現などの抽出)」である

 一方、統計学者にとって、ある特定の未だ見えていない事象の予測はあまり大きな関心事ではない。無論、統計学者は予測をする技術はもっているが、それはあくまでも一定の母集団における推論的な説明の仕事の中での特別なケース、ということになる。つまり、統計学機械学習ではパラメータの定義が異なることになる訳だ

 また、機械学習(計算)の場合は、「現実に利用できる未知の答え」(答えとされる“特徴量”など)が、そのディープ・ラーニングの予測値として正しいかどうか?(有意性が高いか低いか?)と、その“特徴量”が一般的に広く当てはまるか否か?(個々のリアル観測値との誤差が大きいか小さいか?)は、全く別問題である。

 つまり、この差異は「統計学者と違って、機械学習の取扱者が“その推測値は「一定の中立的な超ビッグ集団」から抽出するものと想定しており、そこからの抽出結果である推測値は利用する側の個々のリアル・サンプル(当然、その個々の統計のローカル母集団は異なったものとなる)とは独立なものであることを当然視しており、しかしながら毎回同じ確率分布でその推測値は超ビッグ集団から抽出できるから中立的に決定する”と見なし(仮定し)ている」ことに起因する訳だ

 例えば、ディープ・ラーニングによる「似合い度」判定システムを導入した最先端の眼鏡店で「判定度90%」の眼鏡フレームを“これが貴方にピッタリです!”と勧められたとしても全ての顧客がそれに満足するかどうか?と、そのこと(判定度90%の中立的な正しさ)とは全く別問題なのである。そして、それは「多層深層学習で繰り返されるフィルター掛け(圧縮プログラム)」の工程が、実は捨象(事物または表象から、ある要素・側面・性質を抽象するとき、他の要素・側面・性質を度外視)する工程であることに因る

 だから、ここで特に注意すべきことがある。それは、同じAIビッグデータのディープ・ラーニング計算の利用であっても、交通機関安全・保安、医療・医薬・医事、軍事、金融、司法、政治・政務・行政・教育・製造工程等のフィールドで、人命ないしは人権等に直接的に関わる仕事(例えば自動運転、裁判での司法判断、医療診断、教育現場での利用などがその典型になるだろうが)での「形式知(実測値・理論値等)データに因る予測値の利用」と「暗黙知(印象等の数値化)データに因る予測値の利用」(例えば、上の“最先端の眼鏡店における判定度90%の眼鏡フレームのケース”)では、そのデータ利用の意味合いが全く異なるということだ。前者の場合、そのデータが参考程度のものであること、あるいは誤差が大きいことなどが絶対に許されないし、その精度を上げるための特別な調教の工夫が絶対に必要となることは言うまでもない(関連参照⇒プロローグ/また、形式知暗黙知の委細については更に後述する)。

  ・・・以上は「結局、機械学習統計学は何が違うのか?*1」「統計学と機械学習の違いはどう論じたら良いのか*2」の論点を集約し、若干の私見形式知暗黙知の観点ほか)を修正的に加えたものである。(*1 https://exploratory.io/note/kanaugust/aNL1RkQ0gB*2https://tjo.hatenablog.com/entry/2015/09/17/190000)・・・

ディープラーニング(多層機械学習(計算)を導入するに当たっての留意点)

・・・これは、後述する「人がやるべき仕事の発見と創生/“AIで消滅の危機に瀕する?とされるヒトの仕事の復権”に関わる方向性」という、非常に重要な課題と深くクロスすると思われるので、ここでは二、三の注目すべき点の記述に止めておく。・・・

 実は、前節で取り上げた<「ディープ・ラーニングの判定結果による顧客への提案と個々の顧客がそれに十分満足するか否か」の問題>には<軽く見過ごすべきでない重要な問題点>が潜んでいる。当然のことだが、ヒトがつくるものやヒトのサービスに個々の顧客が十分満足することが続けばリアル経済の価値が高まり、ヒトの生産性が伸びることになる訳だが、これはヒトの意識作用の一環である抽象化がヒトの脳内(そして生命個体内)の活動であるため、それが刻々と変容する凡ゆる地球上のリアルな自然・社会のエルゴン(活動エネルギー)と共時的に繋がっていることに因ると思われる。言い換えれば、それは製造・販売・サービスを提供する側と顧客側とがビジネス現場でそのような暗黙知支配下にある「リアル経済」の可能性を共有していることに因ると考えられる。他方、ビッグデータ解析の結果である「AI機械計算またはディープラーニングの予測値」(解析フィルター仕掛けの圧縮化、つまり中立的と想定されるビッグ母集団の解析に因る機械的な抽象化に因る予測値はリアルな自然や社会と同期的(マッハ感覚論的素材性的)には繋がっていない。いわば高度デジタル抽象的な形式知の世界)>との間には、見逃すべきでない絶対的に大きな「壁」(断絶)があるということだ。そのため人的な意味でも省力化されたビジネス現場では、皮肉なことであるが、例えば高度な専門知とは全く無関係な人的サービスを顧客側から求められるケースも発生しているようだ(NHK/人間ってナンだ?超AI入門 シーズン3 第2回「感じる」https://tvpalog.blog.fc2.com/blog-entry-6921.html)。つまり、ヒトには高度デジタル抽象的なビジネス・サービスだけでは十分に満足できないというある意味で矛盾‘’する特性が宿命的に存在するのではないか?と思われる。そこで、仮に,これら両者の間にある壁を『人間の壁2』と呼んでおくことにする。

 <補足>『人間の壁2』と「選言説(ヒトの意識=第二の自然と定義し、第一義の自然と等置する考え方/但し、選言説に因る意味論ではその第二の自然たるヒトの意識はそもそも胎盤的な謂いの環境である第一義の自然の影響を当然のことととして受けているはずなので、たとえ固有名詞であっても初めから固有の価値を持つとは考えない)について

・・・『人間の壁2』は、準汎用AIの高度機械生産性の角度から見れば『人間の壁1の問題そのものAI抽象化デュナミス潜勢態(生命体のヒトにとっては、抽象化である限り、それはあくまでも可能性の次元に留まる/大黒岳彦/参照、プロローグおよび https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/03/05/153938)に重なる。

・・・しかし、上で述べた『人間の壁2』(“感じる”ヒトは高度デジタル抽象的なビジネス・サービスだけでは十分に満足できないという問題は、<知覚・感覚ひいては感情>こそがヒトの日常言語における固有名の一義的な「意義」と概念の形成に先行すると見る、言語哲学で言う「選言説」( https://www.jstage.jst.go.jp/article/jpssj/42/1/42_1_1_29/_pdf/-char/enとの関りが深いと考えられる

・・・他方、ケンブリッジ分析学派(ヴィトゲンシュタイン学派)は“非選言説”の立場を採る(関連参照⇒第5章ー2   [見えないことの発見2]  AIを活かした「ヒトがやるべき仕事」の発見)。また、「選言説」はマクダウエル「リアリズム倫理学(ヒトの意識=第二の自然と見て、それを第一義の自然と等置する)」のベースと見るべき問題でもある。更に、ここで言う「意義」はフレーゲ言語学での「実在の直接的な意味、意義(概念)、表象」の区分を意味するが、当記事ではこれ以上の踏み込みはできない。

・・・但し、ケンブリッジへ再び戻り、同大学教授となってから(1939~)のヴィトゲンシュタイン(後期のヴィトゲンシュタイン)は『論理哲学論考』での言語間「普遍論理」想定(記号論理学中心)の哲学の姿勢を変え、コミュニケーション行為を重視する方向へ向けて自らの哲学の再構築を図ったが、これは完成せず病死している。

・・・

 因みに、この『人間の壁』なる用語は、下記記事★で取り上げた『人間の壁』(厳密には『人間の壁1』と呼ぶべきだろう!)と奇しくもほぼ共鳴的に呼応している。

 また、具体的に言えばその『人間の壁1』は、<準汎用AI機械経済がもたらす高度生産性が、分配構造を抜本的に変革するマクロ経済の展相が国の政策として実行されない限り、リアル社会で生きる労働者と一般国民の幸せを保証するための、つまり彼らのリアルな血となり肉となる(彼らの生活と未来への希望ともなり得る)真に有益な生産性へそれを換算し直し、かつリアル経済マネーとして有効に活かすことができず、却って、益々「大格差が拡大」するばかりとなる恐れがある>ということであった。

★チェリーピンク・アベGDPの日本はAIロボ『人間の壁』(第4次産業・AI革命)経済に備え“社会の茎”、「新マクロ経済/Ex. BI型“社会的共通資本”」金融への展相が必須!https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/03/05/153938

 ともかくも、『人間の壁2』の問題は、「リアル経済」の可能性が地球の自然エトノス環境に対し開かれているの(開放系であること)に対し、ビッグデータに因る「AI機械計算またはディープラーニングの予測値」が閉じている(いわば電子的作動に因りリアルに生きているヒトとは異次元の形式知ワールドであるとの意味でマイペースの閉鎖的な抽象体系である)ことを意味するからだ。また、カルマンフィルターのリスク問題(自動運転等のファットテール・リスク)が排除できないのも同様のことに起因すると考えられる

 因みに、カルマンフィルターとは、そもそも誤差のある観測値を用いて、ある動的システムの状態を推定あるいは制御するための数理統計モデルだが、金融工学(自動運転車)で使われる正規分布曲線(その尻尾(テール)部分の異常・リスク事態は無視できるほど小さな確率であることが前提であった。ところが、そのテールが正規分布から微妙にズレた「無視できない大きな尻尾(実はファットテール曲線!)」であることを、賢明なエコノミストらが以前から指摘してきた。また、この視点は後述の「ディープラーニングの内生性」の問題とも関連すると考えられる?

 実は、このこと(ファットテール問題)が起動因となってリーマンショック(2008)やヘッジファンドLTCM破綻(1998)が起きており、自動運転車(あるいは米ボーイング737マックス・墜落など?又は、愈々、これから本格化しつつあるAI兵器(AI軍事機器)の暴走リスクらも同様の意味で甚だ大きな危険性を内包していると考えられる(参照資料:小林雅一『AIの衝撃』‐講談社現代新書‐)。

 

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 更に、このカルマンフィルター問題に加えて懸念されるのが、いま取りあげたばかりの「AIディープラーニングの計算原理に関わるブラックボックス」の問題である。20190506朝日が記事『(ブラックボックス問題が)説明できるAIへ進む研究』と報じているが、これは紛らわしい報じ方であるhttps://twitter.com/shinkaikaba/status/1125237671830278144

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 つまり、それは、<「AIディープラーニングニューラルネットワーク深層学習)の計算原理に関わるブラックボックス」の問題が解明されつつあるのではなくその<論理的に説明不能ディープラーニングの結果(予測値)>の意味をできる限り人間でも分かるように説明するための補助的な手段(そのブラックボックスから出た予測値に関して、更なる傍証、相関分析などを付加する手法)を採るという、多様な応用研究が進みつつある、そしてコレはあくまでもAIの未来予測値の精度を高める補助的な工夫である、と正直に報じるべきではなかったのか?>と思われるからだ。

 これで十分に満足!とするならば、それは個々のAIの解答(予測値)を具体的な仕事で使う立場の人々(交通機関、安全・保安、医療・医薬・医事、軍事、金融、司法、政治・政務・行政・教育・製造工程等に関わる担当者ないしは管理・監督責任者ら)に対し「責任逃れの口実」を与えるだけのことになるのではないか?

 しかも、問題はそれだけではない。実は、「暗黙知形式知」の差異厳密に言えば、“リアル暗黙知”と“リアルから遊離した不条理の成分が内生するDL形式知”の差異ということが、AI技術をビジネス・製造・軍事・医療・教育・司法等で具体的に利・活用する場面で生ずる深刻な問題がある

 すでに述べたことだAIが得意とする解答の正体はDLディープラーニングによる「抽象的な予測値」、つまりリアル世界の中で収集された、ビッグデータなる中立と想定する巨大母集団の中から殆どのアナログ(暗黙知)的な残余部分を捨象し機械計算的に抽象化されたもの(厳密に言えば、該当の“暗黙知”のブラックボックスを、論理的に説明できない状態のままで内生化した/説明変数値が、あるモデルの中の被説明変数の影響も受けるため、その説明変数と被説明変数どうしで互いに依存し合う共依存関係が生じ、夫々の値がモデルの内側で決まってくる(内生化する)ことを意味する!)にも拘わらず、かなりの程度まで‘’その期待値には高いものがある‘’ということは、矢張り、あくまでも仮想的に「形式知」化されたエッセンス・モデルなので、自然世界の自然計算とは異なり必ずや信頼できない部分も残るのでは>と考えるのが自然ではなかろうか?。しかし、それでも不可解なことにDLではかなり精度の高い予測値がアウトプットされる。だから‘’気持ちが悪い!”ということになる訳ではないのか?

<注>計量経済学の用語である「内生」の意味について/偶然と相関は別ではない、むしろその一部として存在するのだ:村上春樹・・内生性(あるモデル内での説明変数と被説明変数どうしに共依存関係)がないときは「誤差」(理論式の回帰モデルにおける“真値”との差)と「残差」(同じ回帰“モデルにおける現実データに因る真値”との差/それでもリアルでは残ると思われる“期待値”との差)の分布は基本的に重なると期待できる(信頼性がある)が内生性があるときは「誤差」(モデル)と「残差」(リア)は一般に重ならない(信頼性がない(以上、“注”の出典:ブログ『Take a Risk:林岳彦の研究メモ』http://takehiko-i-hayashi.hatenablog.com/entry/2017/09/27/105559)

・・・

 従って、上で見たとおり「AIディープラーニングについては、<数理論的に信頼性が得られないはずなのに、現実的にはかなり信頼性の高い結果が得られる>という意味で論理的に説明がついていない訳(その意味で気持ちが悪い状態)なので(この他に、既述のカルマン・フィルターのファットテール問題もある)このようなAI技術をリアル世界で応用する場合に留意すべきなのが、そのAI技術の応用・活用・利用対象となるフィールドがどの程度の深さまで、リアル世界において「生命・人権・倫理・哲学」の根幹となる部分(ヒューマン・ファクター)と致命的に切り結ぶような関りがあるのか?を絶えず深く考え、そのような側面から常在的に検証しつつAI技術を安全・有効に、かつ現実的に活用するため高度な調教の工夫を続行することが絶対条件になる!いう観点である。何でもかんでも兎にも角にも完全合理の観点でAI技術(内生を内部化している!)を応用すれば効率化が実現できる、ないしはそれを実現すれば全てのヒトがより幸せになり、経済効率も破格に改善できると割り切るのは非常に危険である(関連参照⇒前節『“統計と機械学習(計算)”の根本的な違いを理解することが重要/“計算の想定(前提)条件、目的、戦略”が異なる』およびプロローグ)

 加えて、それよりも大切なのは如何にすればAI技術(内生性のブラックボックスがある先端技術)をヒトの幸せのために、より賢く、かつヒューリステック(限定合理的)に活用できるかについて、ヒトの衆知(より大きなアナログ“環境”知、いわばヒトの“意味の全体論”に関わる理解の深化/ガダマーの章で後述!)を総動員して考え抜くことを大前提とすべきだ!ということであるのような視点も、上で取り上げた朝日の記事は完全に欠落している

 ところで、「ディープラーニング(多層機械学習(計算)を導入するに当たっての留意点」を考えるためのたたき台の意味で興味深いグラフがあるので、「人工知能技術のビジネス活用概況― 日米独の法人比較」(2017年04月25日/(株)MM総研、https://www.m2ri.jp/news/detail.html?id=238)の中から、その分析の一部と共に下に転載させて頂く。

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・・・MM総研の分析によれば<「機能特化型の人工知能技術のビジネス活用」について、法人企業への調査や企業へのインタビューをもとに日本、アメリカ、ドイツおよび世界それぞれの市場概況をまとめた。調査の結果、日本企業が人工知能技術をビジネスに導入している割合は1.8%。業種導入率では、金融業、情報通信業が高く、他業種より先行して導入していることが分かった。国内市場規模については2016年度が前年度比約2倍の2,220億円。今後、年平均20.4%で成長し、2021年には5,610億円に拡大する見込み。米独に対し、最も市場成長率が高い結果となった。今後、国内市場成長のカギは、「利用者側の人工知能の技術理解向上」と「環境整備」、「豊富なデータを生かせる人材と業界ノウハウ」の確保とだということが分かった。/日本の2016年度の人工知能ビジネス市場は2,220億円(ドイツ3千億円、米国4兆円)であり、今後、年率20.4%で成長し2021年度には5,610億円を見込む。>となっている。・・・

・・・

 米国とドイツに比べ日本のディープラーニングに対する消極性が浮き彫りとなっており、データマイニングhttps://www.albert2005.co.jp/knowledge/data_mining/data_mining_basics/about_data_mining)風の観点から見れば、それだけディープラーニングを手掛けるAI-IT系企業の関連市場開拓の潜在的な可能性(需要)が全般的に大きいことを窺わせるが、問題をそれだけに止めるべきではないだろう。

 先に述べたとおり、まず二つの『人間の壁』を取り除くこと、というかその壁による障害の緩和を図るのを大前提とすべきこと、は言うまでもないが、同時に、全天候型戦術で<薔薇色のディープラーニング>の普及を謳うだけではなく、先ず、「人命・人権・倫理」などにも十分に目を配りつつ、最もその活用のし甲斐があるターゲットを絞ることが肝心ではないかと思われる。例えば、「相互作用の科学」を専攻する鈴木泰博氏(名古屋大学情報文化学部・准教授)の論文『自然計算/人 工 知 能30 巻 3 号201505https://www.ai-gakkai.or.jp/my-bookmark_vol30-no3/に次のようなくだりがある。

 《 相互作用の科学:街を歩いていると黒を着ている人が多い気がするので何となく黒い服を選ぶ。そんな小さな気持ちの動き(相互作用)が集まると、やがてそこから流行(モード)が生まれます。モードはまるで生き物のように変化し進化しやがて消えていきます。私の研究のミッションはこうした小さな(局所的)相互作用から、モードのようなマクロなシステムがどのようにして出現し、発展するのかを解明することです。こうした局所的な相互作用から生まれる系はモードのみならず、生命系(生命の起源と進化など)や社会経済系(金融市場など)の複雑な系に広くみられます。

・・・

 今まで見てきたことだが、ディープラーニング活用とはビッグデータを想定的で中立的な母集団と見立てることによる特徴量などの「推測/予測」値、つまりその自動計算も結果(抽象化モデル)の活かし方(工夫の仕方)しだいということであるが、それが個々のミクロなニーズ、個々の人々の幸せに、リアルな世界で完全マッチングするかどうか?は別問題である

 ただし、「その意味でのミクロ(リアル)とマクロ(予測される抽象知)」の比較から、普段は殆ど気付かなかった両者の落差の余りの大きさを“伺い知る”ことができると同時に、これは逆になるが、いかにその地域(またはミクロな個々の人々やローカルな地方など)の個性的な魅力があるか!の新たな発見に繋がることもあるだろう無論、一方では科学計算的(が、その核心の論理は殆どブラックボックス)なAIの判定だからこそ、神の御託宣の如く「完全一致だ!」と短絡せぬことが肝要だと思われる

 まさか本物の神様が、そこまで人間を甘やかすことはあり得ない!?と思われるし、特に、何でもかんでも“大きな権威・権力”筋を過剰に丸ごと忖度し、それへ迎合・翼賛しがちな点が日本人の国民性であるらしい?だけに心配なところではある。苦w

 ともかくも、そうであるからこそリアル世界(アナログ・ワールド)の流れからこのように真逆に見れば、AIディープラーニングは、局所的な世界にこそ、いわば個々人の魅力や特性の発見と発揮に、あるいは地方や中小企業での今まで気付かなかった課題の発見等にこそ、つまりそのようなミクロな場面で何らかのヒントを得るツールとして利用するのに、特に適していると言えるのではないだろうか。しかし、それを偉大なる神様や神憑る権力者らご託宣の如く真に受けるばかりの態度を採ると、たちまちAIが、ヒトに対して『人間の壁1、2』に因る深刻な大被害(ハザード)をもたらす恐れがあることはシッカリ肝に銘じておくべきであるだろう

“自然計算と機械学習(計算)”の違いは冷静に見続けるべき問題)  

 今まで見てきた通りのこと(特に、第三章“自然計算の正体はアナログ(ウルトラ・デフォルトモード・フラッシュ)?orデジタル? ”で触れたとおり)だが、ヒト脳内のリアル・ニューロンネットワークとディープラーニングニューラルネットワーク)の間には大きな乖離(というか壁または断絶というべきか?)がある。それは、前者がヒトというアナログ生命体の自然計算であるのに対し、後者は<一定のプログラムでニューラルネットワークなる自然計算のごく一部を模しデジタル作動する“条件付き自動計算のジャンル(脳神経の自然計算のごく一部の模倣による機械的シミュレーション)”と見るべきであるからだ。

 従って、リアル自然計算(ウルトラ・デフォルトモード・フラッシュ?)は機械計算(デジタル計算)と同等であると言い切れるかどうかの点については、「深いニューラルネットが高い性 能を発揮する理由はまだよくわかっていない(まだ論理的に説明ができていない)」という現実(リアル・アナログ暗黙知のごく一部が丸ごと内生化(“寄生的”に内部化)しているという意味でのブラックボックスであることを考慮すれば、その結論は保留すべきであると思われる

 その意味でも、上で触れたばかりの20190506朝日の記事『(ディープラーニングニューラルネットワークブラックボックス問題が)説明できるAIへ進む研究』は、(これは朝日に限らぬことと思われるが)日本メディアの所謂「AI神話」への如何にも翼賛的で“まるで打ち出の小槌か三種の神器”の如くそれを取り扱う態度、つまりアベ神様と同程度の“なんでもポケット”式「AI原理主義」へ忖度しつつ誘導しようとするバカリの態度(おそらく?)に見えるのは、大いに懸念すべきことである

4 「ディープラーニングから準汎用AI」時代にこそ「人がやるべき仕事」の発見がある!

・・・ここでは“AIで消滅の危機に瀕するともされる?ヒトの仕事の復権”の方向性について考えるが「人がやるべき仕事」の具体的な内容等については、「第五章‐2:見えないことの発見2/ AIディープラーニングで見える未来の仕事の可能性」で触れる。・・・

4-1 AI「ヒトもどき意識」(意識なし差別)に抗すべき日本国憲法の役割/「人がやるべき仕事」のベースとしての憲法問題

・・・この観点はリアリズム倫理(マクダウエル)の問題に深く関わるが、リアリズム倫理の委細は別の記事で纏めることとする・・・

 プロローグ(“AIがヒトの感情を理解する日はやってくるか?”)でも述べたが、AI(特にDLディープラーニング)がやっているの(特徴量の予測という仕事)は、「ある事象の典型パターン」の予測的な抽出であり、それは一定の説明的な(個々の母集団の上でその特定の母集団に関わる性質等の説明を目的とする)統計とは異なり「仮想ビッグデータ空間」であるから中立的だと見る現象(事象)に関わる確率の大きさ(推測値)を意味する(DLではそう想定することが大前提となっている以外の何物でもない。だからこそ、安倍政権が手を染めた如き統計パラメータの操作・改竄などは絶対に許されない行為である!(これは統計とDLの正体を比べた上での逆説の視点でも理解できることである!苦w)

 従って、AI‐DLが弾き出した推測値(特徴量、内部表現、潜在表現は、決してそれ以外の残余の現実(時間に沿う無限の因果で全方向の空間へ繋がるリアル現象の全体、つまりマッハ感覚論的素材性が表象するヒトの世界のリアリズム(全アナログ世界)と全てのエルゴン(そこで未来へ持続する全ての活動)を示すものではなかった。

 なぜならビッグデータの仮想母集団に関わる膨大な計算処理プロセスで、その殆どが機械計算処理の過程でデジタル的に捨象されているからだ。しかも、そのデジタル的に捨象された“リアル・アナログ”ワールドは、<AI“ビックデータ”ディープラーニング>の“印象操作”が与える領域よりも、実は遥かに広大なリアル世界なのだ

 いわば、地球という生命環境の一部である我々の日常生活を取り巻く「自然・社会・精神・生命」現象のリアル・アナログワールドは、ある目的で抽出された「推測的な特徴量」らの如く、ビッグデータ故に中立的であると想定されたような意味の素材性(抽象的デュナミス潜在性の要素)からだけ成っているのではないということだ。

 ところで、特に日本のマスメディア、与党政治家、多数派財界人らがAI‐DL技術に対し過剰に忖度する、ある意味で醜悪な目先主義でそれを政治利用しようとする、その意味でドラえもんなんでもポケット》風のマイファースト・スタンスを採るようになった背景には、おそらく、このようなリアル(AI機械経済化に関わる目前の事実)についての無関心(ないしは統計とAI‐DLとのこのような意味での決定的な違いについての無知、あるいはその事実についての隠蔽のような作為的な意図ということがあるのかもしれない。

 そして、その先に透けるのは、あの<新自由主義の跋扈によるもの以上の更なる重篤化症状を伴Great Decoupling に因る超格差の拡大>、換言すれば『人間の壁1,2』が巨大化するマクロ経済的な意味で重篤な業病に冒された暗黒社会デストピア)が襲来する懸念である!そこで重要となるのが(先に、第三章‐『ディープラーニング(多層機械学習(計算)を導入するに当たっての留意点』で見てきたとおり)、AI技術をリアル世界で応用する場合に留意すべき基本的な観点ということだ

 つまりそれは「そのAI技術の応用・活用・利用対象となるフィールドがどの程度の深さまで、ヒトを含む多様な生命に満ちたリアル世界において「生命・人権・倫理・哲学・平和主義・多様性・教育など人類と一般の生物にとって最も重要な価値観の根幹と、どのような意味で致命的に深く切り結ぶ関りがりがあるか?を絶えず粘り強く考え、そのような側面から常在的に検証しながらAI技術を有効活用するという観点であった。

 ところで、これはプロローグでも述べたことだが、仮に、AIの内部で何らかの意識のようなものが生じるとしても、AI・アンドロイドらの原始的な“感情もどきはヒトと同様の意味での内外の地球型自然環境を必要とはしないが、その“感情もどき”は、いやしくもそれが<知能>であるからには、必ず自らが対象とするものを分類し、あるいは区別・区分して認識することが基本となると思われる。

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〈参考画像>日本のSkeletonics Incが開発した装着型ロボット:

http://externalstorageunit.blogspot.com/2017/04/より、右(軍事ロボ)はウイキより転載

 しかし、AIには歴史観も倫理観も不在なので、そのヒトの意識に相当するAIの認知機能にはヒトの場合で言う「区別」と「差別」が混然一体化して存在することになるだろう。そこで懸念されるのが「ヒトの場合の意図的な善悪の倫理観などとは全く異質(換言すれば人間的な感情とは無関係)な、ヒトから見れば“実に冷酷なマイペース”or“超異常な忖度”(感情を伴わない機械的な差別)が出現する可能性があることだ

 また、特異な価値観を持つ研究者やプログラマー差別的・排他的な、又は好戦的で憲法上の平和主義を否定するアルゴリズム・プログラムを作為で(あるいは彼らが異常な権力を忖度して)実装するリスクも生ずると見ておくべきだろう。AIロボ兵器や戦士らによるヒトの感情抜きの殺戮・戦争タスクが如何に恐るべきほど凄惨なものとなるかは想像に難くない。それは、AI兵器ロボ化する近未来の戦争がヒトを巻き込まぬ戦闘で終始するとは限らないからだ。

 また、関連筋からの伝聞によれば凡そ2000年あたりから始まった第3次人工知能ブームの中での日本は、残念ながら欧米・中国に比べ人材と財政の両面において、今や立ち遅れた位置にある。その背景となっているのが、AI技術にも関わるコンピュータ技術者やソフトウエア開発者らを特殊なアーティストのジャンルと見なす欧米と中国に比べ、日本では一部の研究者を除き、彼らの多くは低俗な職人のジャンルとして見下される風潮が伝統と化してきたことにあるようだ。

 しかし、今や彼らもディープラーニング・ブームの到来で急に脚光を浴び始めたことになる。このため、一部の研究者やAI技術関係者らの中には、研究費の獲得や目先の成功を焦るあまり過剰にこのブームの空気を煽り立てたり、極端な場合では「AIもどきの装備」で先端AIシステムを装ったり、それを騙ったりする悪徳ケースまでが現れている。しかも、驚くべきことに日本政府のお墨付きがある場合でさえ、この悪しきケースの事例が出現したのは未だ記憶に新しいはずだ。

 古いものではP2Pファイル共有ソフトWinny開発者・故金子勇氏の事件直近では理化学研究所(RIKEN)や大学共同利用機関法人高エネ加速器研究機構(KEK)ら大手研究機関が巻き込まれた、PEZY社齋藤元章氏/中国を日本の脅威と見る超保守系論者で2017経済財政諮問会議“2030年展望と改革タスクフォース委員メンバー”として安倍政権下で国家戦略にも関与の事件などがある。https://www.businessinsider.jp/post-108157

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  従って、「生命・人権・倫理・哲学・歴史」などとも深く通底する日本国憲法を見据え「AI社会の在り方にも憲法議論」が必要!との意思のもとに、憲法を守る立場の研究者らで作る「全国憲法研究会」が、2019年5月3日に開かれ、およそ1200人が集まったことの意義は大きい。(以下、20190503NHKニュースの転載)https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190503/k10011904711000.html

・・・憲法記念日の3日、AI=人工知能が普及する社会の在り方について憲法の視点から考えようという講演会が都内で開かれました。この講演会は、憲法を守る立場の研究者らで作る「全国憲法研究会」が開き、およそ1200人が集まりました。

・・・この中で、慶応大学の山本龍彦教授はAI=人工知能の普及によって、個人の好みや健康状態、信用力などが分析され、企業の採用活動などにまで利用されていることを紹介しました。
・・・そのうえで、山本教授はAIによる個人の分析は、プライバシーや自由を脅かすおそれがあるほか、個人の点数化で低い点数をつけられ、理由がわからないままはい上がれない新たな被差別集団が生まれかねないと指摘しました。
・・・山本教授は「欧米ではAIによって生じうる課題について憲法の視点を踏まえた制度面での対応が進んでいる。日本でも憲法の問題(特に、≪人権の“保全”≫と表裏一体と見るべき、≪AIの利・使用“責任”≫の視点が重要になる!/←補足、toxandoria)として人工知能とどう関わっていくかについて議論を進める必要がある」と訴えていました

4-2「形式知AI)Vs暗黙知ヒト)」の現状/「ディープラーニング~準汎用AI」時代こそ警戒すべき、『人間の壁』から『バベルの塔』構築への暴走

・・・その<暴走>の先駆けが、GAFA型「差別(選別)化による大格差」の発生ということ・・ 

GAFA型差別(選別)化の根源にある『人間の壁』

 今から約1015年後に汎用?or準汎用AIロボが完成した暁には、グローバル金融を完璧に組み敷きAIロボを所有・支配する数パーセントの人間が9割超の<AI‐IOTが理解できない!という意味で彼らより“形式≪知≫的”に劣る人間を一方的に支配するデストピアが出現するのでは?との悲観的な議論も、愈々、世界的に喧しくなりつつある。

 一方、特に日本においては、まるでAI‐IOT周辺の哲学・倫理の不在を嘲笑うかの如き体たらくであり、実に不埒なマイファースト・ネポティズム(お仲間)権力派が、つまり<“ドラえもん”なんでもポケットAI‐IOT派>が相変わらず優勢である。しかも、そのネポティズム派の元締めを自負する安倍政権は、先端AI‐IOTの政治利用でJPNバベルの塔』の建設に勤しむ日々を送っている。

 また、その関連基礎研究と技術力の劣化、果ては伝統的なAI‐IOT関係者の地位の低さ等の悪条件をまるで好餌とするかの如く、安倍政権を筆頭に<“政治利用”AIお神籤派(所謂、AI式“ドラえもん”なんでもポケット派)が相変わらず幅を利かせている。 

 それは、本格的な産業構造の改革に無頓着な安倍政権の本音が古典的な成長至上主義であると共に“福祉・厚生を敵視する新自由主義に因る格差”拡大政策でもあるため、準汎用AI時代に必須の真っ当な「転相マクロ経済政策構想」の絵(Ex.https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/03/05/153938)も描けず、専らネポティズム重厚長大)産業を基軸とする既得権益の構造にしがみつくばかりであり、念ながら日本は「真に先進的なAI‐IOT産業が基軸の先進国グループ」から着実に脱落しつつある。

 そのため、安倍首相ら「視野狭窄マイファースト派」からすれば<個々の高級官僚と個々の官僚組織は「AIディープラーニングにおける一定のハイパーアルゴリズム(指令型上位アルゴリズム)下でしか身動きが採れない下位パラメータ(一定チューニングが可能な部品アルゴリズム)>と化している様に見えるのかも知れない。

 しかし、このようにある意味で素朴な「AI‐IOTを巡る日本の後進的な社会・経済環境」を尻目に、グローバル世界は,AI『人間の壁』に因る格差拡大との闘いに関わる「新たな転相の局面」へと向かいつつあるようだ 

<注>AI『人間の壁』に因る格差拡大との闘いに関わる「新たな転相の局面」とは?・・・それは、今や世界が<『“AI‐Web機械経済”がベースであるデジタル社会構造を無条件に是認する立場』Vs『クワイン、ガダマー、マクダウエルらアナログの“意味の全体論”を重視する立場』>の激しい論争の場と化しつつあるということ。別に言えば、それは「世界が文化・経済・自然科学トータルのあり方(新たな倫理観念の創造)を巡る知的闘争の時代に入りつつあるということを意味する(委細後述)。

・・・

 ところで、これは既に「第三章(ディープラーニング(多層機械学習(計算)を導入するに当たっての留意点)」で見てきたことだが、厳密に言えば『人間の壁』には『人間の壁1』と『人間の壁2』の二つがある。

『人間の壁1』

・・・準汎用AIロボが本格化する(と思われる)10~15年後に実現すると予測される<機械生産性(デュナミス潜在生産性)vsヒトの生産性(リアル生産性)>の大きな壁(大格差)の発生を意味する。

・・・機械の生産力がヒトの生産力を遥かに凌駕するのは、そもそも第一次産業革命(蒸気機関の発明)以来のことなのでそれはIT(AI)革命の専売特許ではないが、そのAI機械の高度生産性が従来型の機械生産性を遥かに大きく桁違いに上回ることになる。

・・・従って、何らかのマクロ政策的な(例えばベーシックインカム(BI)のような)意味での相転換で、前者の高度機械生産性を後者(ヒトの生活に直接的に役立つリアル・マネー)へ適切に転換(再分配化)する工夫を怠れば、益々、貧富の格差は拡がる事態となり、遂には資本主義そのものが終焉する可能性すらある(Great Decouplingの病死/委細参照 ⇒https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/03/05/153938)。

『人間の壁2』

・・・これは、<「リアル経済」(ヒトの生活に直接的に役立つリアル・マネー)の可能性(伝統経済が定義する生産性の意味)が地球の自然・文化エトノス環境に対し開かれているの(開放系であること)に対し、ビッグデータに基づく「AI機械計算またはディープラーニングの予測値」が閉じている(電子的作動であるため、それは衣食住のリアル世界に生きるヒトとは異次元の形式知ワールドであるが、その意味でマイペースの閉鎖的な抽象体系である)こと>、という意味での大きな断絶が存在することを意味する。(委細参照⇒第三章『想定上の完全AIアンドロイドはなぜ胡散臭いのか?・・・』(仮説)

・・・誤解される可能性を恐れずに思い切り短くすれば、結局、それは「AI形式知ワールド」Vs「ヒト暗黙知ワールド」の“絶対的な断絶”ということである。しかも、これは言うまでもないことだが、『人間の壁1』がもたらす高度生産性の内側に( )書きの如くにそれは内包されていることになる。

・・・

 従って、その意味でも、この「AIディープラーニング(“形式知”抽出マシンワールド?)」がもたらす高度生産性も、結局は上で述べた≪何らかのマクロ政策的な(例えばBIのような)意味での相転換に加えて、その優れたAI高度機械生産性をヒトの生活に直接的に役立つリアル・マネーで適切に再分配するためには、暗黙知、つまり倫理・哲学・歴史などガダマー的な‘’全体の意味”の視点(委細後述)でそれを絶えず調教しつつ活用するのが絶対的な条件になる≫と考えられる。

 それどころか、核(原子力)エネルギーあるいはバイオテクノロジーの利用と同轍で、その使い方を一歩誤れば、未来のヒトの幸せを保証するどころか、それが人類滅亡の危機をすら招く『バベルの塔』と化す恐れがあることを、シッカリと我々自身が自覚すべき時代であるかも知れない。

 以上から、<『人間の壁1』=「AI技術高度生産性Vsマンパワー」の絶対断絶、『人間の壁2』=ガダマー的‘’全体の意味”に関わる「AI形式知Vsヒト暗黙知」の絶対隔絶>なので、共にヒトによる調教(前者ではマクロ経済の展相)が必須条件であることが理解できた。

(直近の欧州議会選挙からの教訓/本気で日本国民が学ぶべき、個人情報保護と情報銀行に関わる最も‘’根本“と見るべき問題点)

・・・別稿で書く予定のマクダウエル「リアリズム倫理」を些か先取りする形となるが、AI・IT関連で世界的な問題と化しつつある「GAFA型支配と人間の壁」とも深く関連すると思われことについて、つまり“個人情報保護と情報銀行に関わる最も‘’根本“と見るべき問題点”を取り上げておく。そして、その問題は、直近に行われた欧州議会選挙の結果とも深く絡み合っている。(20190530追記)・・・

 20190527に全容が判明した欧州議会選挙では「中核となる中道左右両派が過半数を失いつつも、リベラル・緑の党らが健闘したためEU欧州連合)支持派が約2/3を占める結果となり、大きく躍進はしたとはいえ極右派は約3割に止まった。また目立つこととしては、英Brexit党が大きく躍進したことであろう。このことから言えるのは、前と同じく指導層の中枢を担うであろう中道左右両派が、むしろ従来以上に、成長とバランスを取りつつ人権・環境そして移民らの問題により真剣に取り組むことが求められるということである。つまり、それはそもそもEU理念の中核にあるPotentz経済(↓★)の原点への回帰を強く促すことに等しいとも言えるはずだ。

 ★1 定常化を織り込むEU「Potenz経済学」廻廊に無知な日本は、“間違い&ウソ”だらけアベノミクス「男の花道必3選」などにかまけず<将来人口/年率0.6%減の現実>から再出発すべきhttp://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20180806

 ★1 チェリーピンク・アベGDPの日本はAIロボ『人間の壁』経済(第4次産業・AI革命)に備え“社会の茎”、「新マクロ経済/Ex. BI型“社会的共通資本”」金融への展相が必須!https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/03/05/153938

 (関連)

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  【極右を抑えたのは若者、親EU世代等で緑の党&リベラルが躍進!/EU議会選総評、今井佐 緒里:パリ在・編集者】オール日本(特に政界・メディア・経営者ら)がストーリーテラーの囚人であることに日本の若者も気づくべき!https://twitter.com/shinkaikaba/status/1134544688684326912

 ・・・

 大方の懸念?とは異なり、toxandoriaとしては「仮に、難産の挙句に英Brexitが実現したとしても、それほど深刻な事態を欧州トータルへ与えることにはならないだろう」と思っている。それは、特に日本では“極右”の枕詞で声高に呼ばれる欧州の極右派の殆どが、実は日本の極右とは異なり中道・左派らと同じく“人権”尊重を掲げているからだ。彼らが自らを支持する一般国民と共有するのは野放図な「市場原理の暴走と移民の急増」による自国民の人権上の問題と不利益の発生なので、そのことだけに限ればその内容がEU欧州連合)支持派と全く異質な訳ではない(この点が、欧州の極右と日本の安倍政権・維新らとの決定的な違いである!)。

 また、今回の欧州議会選挙の関連で英ブレグジット党の大躍進がスポットを浴びている訳だが、この種のワン・イッシュー政党にあまり大きな意味はないと思われる(例えば、直近に躍進したバカリの日本のワン・イッシュー政党の正体が実は過激ヘイト派(しかもアベ・シンパ!w)であることがバレた!と言う“事件”がある!苦w)。

 そして、いまワン・イッシュー政党が注目される背景には一般国民のリアリズム感覚の何らかの変調が隠れており、その動向は国民の主権を脅かす何らかの災忌が新たに出現する“予兆”ではないか?と思われる。しかも、権力側も含め政治に関わる(責任ある)人々が「科学技術に関わる時代の変化」に追いつけなくなっていることが原因ではないか?とも思われ、日本では特にその傾向が著しいように思われる。

 ところで、今までの関連フィールドの概観から十分に想像可能であるのが、当記事の大きなテーマとなっているAI「人間の壁」問題の核心が、いずれ<AI技術(量子コンピュータへ至るアプローチ・プロセス/機械計算・ディープラーニング等)、理論物理・数学・数理論系アプローチ・プロセス、そして特にDNA関連の発生学・生命科学・医学・脳研究・自然計算等のアプローチ・プロセス)らとが量子物理学フィールドで深く繋がることになるのではないか?という、従来とは全く異なるコンシリエンス(第四章‐(3)ガダマー『地平の融合』によるAI原理主義批判のポイント、で関連後述)の視点の誕生の可能性ということだ。

 比喩的な含意のつもりで、このことを表現するとそれは「ハイゼンベルグの不確定原理に因れば、量子力学的な粒子は波動(遍歴)と粒子(局在)の 2 つの「顔」を持っており、ポテンシャルエネルギーを得ようとするせめぎ合いの結果、両者の「顔」をほどほどに立てるところで折り合いをつけようとして零点振動が、すなわち「量子ゆらぎ」が生じる」ということである(関連/プロローグ、参照)。興味深いことに、この現象はディープラーニングにおけるブラックボックス問題(統計理論上の内生‘’共依存”とも関連?/関連参照:第三章‐ディープラーニング(多層機械学習(計算)を導入するに当たっての留意点)、参照)も連想させる。

f:id:toxandoria:20190530145610j:plainhttp://www.jimbunshoin.co.jp/book/b324658.html

 いずれにせよ、現代は特に科学研究の急速な進歩に対して「人文・社会科学系の知」の立ち遅れが目立ち始めており、それと連動・共鳴する形で、これは全世界的な傾向でもあるのだがリアル政治と国民意識の劣化が甚だしく目立ち始めている(しかも、特に日本はこれが著しい!!)ようだ。そのため、既述のコンシリエンスの流れの他にも、例えばわが国でも哲学者・篠原雅武氏(京都大学・准教授)らが「人文学の更新」を意識する概念として「人新世の哲学」(地質学上の新時代仮説からの借用)を提唱している。

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 そのような新しい流れのなかでも、マクダウエル「リアリズム倫理学」はそのユニークさが際立っているようだ(委細は、別稿で書く予定)。例えば、マクダウエルを特徴づける概念を一つ挙げれば、それは、著書『心と世界』(勁草書房)で主張する「第二の自然」である。つまり、マクダウエルは従来の自然に等置する形で「我々人間の概念能力=第二の自然」と位置付けている。そのため、人文・自然の両サイドから未だにマクダウエル倫理学(哲学)は異端視されることも多いようだが、AI「人間の壁」の先を見据えれば(又は量子力学の世界観を理解できれば)、AI「人間の壁」の時代であればこそ、益々、マクダウエル「リアリズム倫理学」は重要になるのではないか?と思われる

 ところで、その周辺を連想しつつ直近の欧州議会選挙の結果を改めて概観すると興味深いことが見えてくる。それは、欧州における左右派(というか全ての欧州市民ら)にとっての共通の関心事である「人権&格差」マターの根本にあるのが、具体的にみると「AIと融合しつつある市場原理主義支配下における個人情報保護(≒情報銀行の問題に深く繋がる/しかも、これこそがGAFA独占支配の強力な武器!)」であるという現実である。

 つまり、そのような観点から見れば、今までも欧州連合EU)は良くぞ!踏ん張ってきたと思われるからだ。それに比べて、日本は遥かに脆弱である。それどころか、このような観点から見ると、ある意味(例えば、個人情報規制GDPRの問題↓▲1、あるいはGMO規制に関する危機意識↓▲2)では欧州連合EU)の踏ん張りに日本も助けられている筈であるにもかかわらず、肝心のそのことに日本国民の殆どが気づいていないという恐るべき現実がある。このため、日本政府も当問題らについての危機感は希薄であり、それどころか率先して、更なる「日本国民の生命の物象化フェティシズム政策」(↓▲2、↓▼1/<注>当問題は言語哲学『選言説』(個人の存在の一回性、謂わば“”実在⇔意味⇔意義“”に関わる議論)とも関連あり重要!/Cf.第3章)に向かって大きく舵を切りつつある。

▲1   個人データの取扱いと関連する自然人の保護に関する、及び、そのデータの自由な移転に関する、 並びに、指令95/46/EC を廃止する欧州議会及び理事会の2016 年4 月27 日の規則(EU) 2016/679  https://www.ppc.go.jp/files/pdf/gdpr-provisions-ja.pdf

▲2 多様性否定のF1自家採種の禁止では、政財官の一強独占構造化とゲノム編集等との<裏>癒着こそ要警戒!EU型のGMO同等規制で多面的に対応すべき! ・・・なぜならば、更にゲノム編集は遺伝子組み換えより遥かにリスクが大きい!・・・https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2018/11/03/040020

(関連)

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▼1「情報銀行」データ仕様を統一 政府、年度内に具体案 528 日経https://twitter.com/shinkaikaba/status/1133843097991778304

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▼2グーグルも恐れる個人情報規制「GDPR」とは?日本企業も他人事ではないhttps://twitter.com/shinkaikaba/status/1133843097991778304

   (GAFA型「差別(選別)化による恐るべき大格差」発生の事例)

・・・アップル・アマゾンらの“守銭奴”化は、≪“食人格”カニバリズム≫と≪屋上屋的な『人間の壁』工法≫による新バベルの塔の構築!・・・

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 因みに、『ネット階級社会ーGAFAが牛耳る新世界のルールー』(早川書房カズオ・イシグロ推奨)の訳者(中島山華氏)の“(訳者)あとがき”によると、この本の著者アンドリュー・キーンは英国生まれのIT起業家(シリコンヴァレーのインサイダー)であるが、キーンは前著二冊の主張(ユーザー生成コンテンツ(日常言語主義)への依存によるネット・メディアの質の低下への大いなる懸念と、フェイスブックツイッターSNSが促す“超可視性/hyperbisibility”の危うさを指摘)を踏まえて、更にインターネットを万能の解決策のようにとらえる現代人のものの見方について警鐘を鳴らしている。・・・以下は、その“訳者あとがき”の部分転載・・・

・・・あらゆる人々を解放し、啓発し、それぞれの能力の発揮を助けてくれるテクノロジーであるはずのインターネット(AIと一体化した/←補足、toxandoria)が,巨大企業にによる独占、雇用喪失や、格差拡大や、音楽・映像・情報メディア産業の衰退(および精神環境の破壊/←補足、toxandoria)を招いている。また、自撮りに代表される自己愛文化を生み出している。インターネットの見過ごされがちな側面に目を向けたこの本は、ネットワーク社会に生きる現代人に警鐘をうながし、軌道修正を呼びかける一冊である。・・・途中、略・・・いまやなくてはならないものになっているインターネットおよび関連事業について、技術の進歩にあわせ、法律や倫理の整備をもっと速く進めなければならないことを改めて実感させてくれる。・・・

・・・以下は、「GAFAらの独占支配というネットワーク化社会における大格差拡大などの危機的な現状」の背景についての衝撃的な事実をレポートするくだりのごく一部の転載。・・・

 ・・・誰の目にも明らかなプラス面よりも、目に見えないマイナス面の方が、影響がずっと大きい。アメリカ国民の76%を占める、インターネットが社会に有益であることを信ずる人々は、全体像を見ていないのかもしれない。たとえば、ネット上のプライバシーの問題だ。それは、インターネトが創出している「ビッグデータ」の世界の、有害きわまりない一面である。・・・途中、略・・・その「地球村」はすでに、、息が詰まりそうに窮屈な村のパブになっている。そこはぞっとするほど透明性の高い(全ての人々のプライバシーが≪異常な食“人格”カニバリズム≫の≪好餌≫対象化の意味で!)コミュニティで、秘密もなければ匿名性もない。国家安安全保障局からシリコンヴァレーのデータサービス企業に至るまで、みんなが我々のすべてをお見通しであるように思える。・・・

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https://twitter.com/shinkaikaba/status/1126925098026278912 https://twitter.com/masafumi_yoshi/status/832597147979649024

・・・しかし、現実とは思えないほど素晴らしい状況にはよくあることだが、そこには落とし穴がある。問題は、我々がフェイスブックやグーグルのために無償で働き、これらの企業価値を高める個人情報のデータ作りに励んでいることだ。グーグルは、2014年半ばに時価総額が4000億ドル(40兆円強)を超えていたが、必要な従業員の数は4.6万人程度である。一方、時価総額が550億ドル(5.5兆円強)前後の大手自動車メーカーGMの場合、工場に20万人以上を雇用している。このGMと比較すれば、グーグルは規模が7倍であるのに対し、従業員数は四分の一にも満たない。・・・途中、略・・・この資本の不均衡のために世界経済の運命はアップルやグーグル(又は、フェイスブック、アマゾン/←補足、toxandoria)などの、現金を抱え込む一握りの企業の手に委ねられた。これらの企業は税金逃れのため海外(ケイマン、アイルランドなど/←補足、toxandoria)に蓄えている。・・・途中、略・・・フィナンシャル・タイムズ紙』のコラムニスト、ジョン・ブレンダーは「アップル・グーグル・フェイスブックは当世の守銭奴である」として、世界経済の成長を妨げる企業の吝嗇ぶりを懸念している。・・・

 

5 ガダマー『地平の融合』によるAI原理主義批判/「見えないこと」を見る基本的視座

 5-1 [見えないことの発見1] ガダマー『地平の融合』の概要(AI批判の視点を提供するガダマー哲学)

 (1)ガダマー哲学の概要

 これまで見てきたことから明らかなのは、もし高度なAI社会化がもたらす『人間の壁』が今のまま何も手を打たずに放置され続ければ、やがて、その<GAFA型「差別(選別)化による恐るべき大格差」>が更に深刻化するばかりとなるのが必定だ!ということである。そして、より厳密に見ればその内容は≪人間の壁1≫と≪人間の壁2≫から成るが、≪人間の壁1≫の中に≪人間の壁2≫が内包されている関係(別に言えば、両者は共依存関係/奇しくもコレはディープラーニング内での共依存関係と入れ子構造的に共鳴している!にあることが理解できた。

 そのため事態は更により深刻化すると考えられ、延いてはその<AI‐IOT機械経済化に起因するGAFA型「差別(選別)化による大格差」>が皮肉にも自らの生みの親である「資本主義社会」どころか人間社会(民主主義ベースの現代市民社会そのものの崩壊をもたらすことすら考えられる。

 が、今となってはランゲ・モデルの証明(https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/03/05/153938を引き合いに出すまでもなく、我われ人類が市場経済に頼らざるを得ないのであれば愈々、これからがAI‐IOT機械経済化の「デュナミス(潜在的)高度生産性」の時代を生き抜くため知恵を絞り、その<AIのデュナミス生産性https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/03/05/153938をリアル化(血肉化)してヒトの幸せのため活用できるようになる社会・経済・科学技術などのあり方の方向性について、<哲学的解釈学『真理と方法』の確立で“解釈学”自身の≪見えない部分≫に風穴を開けヒトの知(AIならぬ!)に衝撃的な新風を吹き込んだ>と見るべき「ガダマー“意味の全体論”の知」を真剣に生かすべき時ではないかと思われる。

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 そこで、今こそ必須と思われるのがガダマー哲学における『地平の融合』の意義の再確認ということだ。とはいえ、特に日本ではガダマー哲学そのものが未だあまり一般的に理解されているとは言えないようだ。しかし、(全くの個人的な見解だが)ガダマー哲学はAIが持て囃される今の時代であるからこそ、より重要な意味が再確認されつつあるのではないか?と思われる。・・・以下は、丸山高司著『ガダマー/地平の融合』(講談社)ほかを参照しつつ関連するポイントを纏めたものである。

・・・

 (1)第一フェーズ:ガダマー哲学の揺籃/哲学的解釈学の成立

  ハイデガーMartin Heidegger1889 - 1976ドイツの大哲学者)から強い影響を受けつつも独自の「哲学的解釈学」を創造し今も現代思想に大きな影響を与えるドイツの哲学者、ハンス・ゲオルク・ガダマー(Hans-Georg Gadamer/1900 - 2002)はマールブルク(ドイツの閑静な学都)で誕生した。やがて、ガダマーは父親の仕事の都合でブレスラウ(現在はポーランド東部のブロツラフ/冒頭の Cover Images を参照)ヘ移り、1918年にブレスラウ大学へ入学した(同年、革命でプロイセンドイツ帝国が崩壊)。

 ブロツラフ(ポーランド→ドイツ→ポーランドと変遷)が現代ポーランドの都市の中でも特に寛容な文化の伝統を持つことは“Cover Images”で触れたとおりだが、ガダマーはその寛容な揺籃期の土壌で若い時を過ごした経験があればこそ「“現代”を批判的に診断し、そもそも≪人間とは何か?≫を根底から考え、先験的に、つまり経験を重視しつつ理性に因る普遍性が持続できる冷静なスタンス(静観主義)で、科学技術(および“短絡的”な経済合理主義(Ex.新自由主義)ら)の未来をも視野に入れ現代の危機を克服しようとした」と言えるだろう。

 そして、このような特色を持つガダマー哲学が示した『地平の融合』(委細、後述)の視座は、今や≪量子論的世界像&AIデジタル“科学原理主義”≫の一色で染まったか?にさえ見えつつある今世紀から来世紀へかけても、絶えず近未来への大きな方向性を示し続けることになると思われる

 ところで、やがてブレスラウ大学からガダマーはマールブルク大学へ転入し、そこで学生時代と私講師時代を含め約20年(1919-1939)を過ごすことになる。そのマールブルクフッサール現象学に助手として触れていたハイデガーから決定的に大きな影響を受けたガダマーはハイデガー学派の一人となった。

 同じハイデガー学派の一人であったカール・レーヴィット(筆頭の門下とされる人物)は1934年にイタリアへ亡命後(1933年、ヒトラー首相が登場)、更にヒトラーの支配を忌避して1935年に来日し、1941年まで東北大学に在籍したが、やがて日本も安住の地で亡くなりアメリカへ亡命した。しかし、戦後になってからレーヴィットは、1952年にガダマーの呼びかけでハイデルベルクで教授に就任するためドイツへ帰国している。

 ガダマーはマールブルク大学で当時の主流であった新カント学派のニコライ・ハルトマンNicolai Hartmann/1882-1950/後にフッサールに影響を受け新カント派を脱するが、美的対象から表象観念を照射する方法で美の構造を解明した近代美学論が名高い)にも触れている。しかし、ガダマーにとり初めて知った頃のハルトマン哲学は“抽象的な只の頭脳遊戯”にしか見えなかったとされる。

<注>ニコライ・ハルトマン『美学(1953)/Ästhetik』について

・・・世界構造を「無機物・有機物・心的存在・精神的存在(相互主観性?)」の諸相と理解し、それらが知覚を介する「現象」として直接的に看取される作用構造(ギブソンアフォーダンス理論を連想させる?)から「前景」としての感覚的・実在的」な形象と、「後景」としての非実在的・理念的なものとしての観念的表象、という二層構造を導き出すハルトマンの美的構造を解明する手法(思考方法)は、<ジルベール シモンドン「個体の哲学」>および、<「“形式知”(デジタル)たるAIディープラーニング(DL)特徴量」Vs「暗黙知(ヒト/アナログのジャンル)」の決定的な断絶の問題(第四章ー2)>との何らかの関りを連想させ、非常に興味深い。

・・・

 因みに、日本で新カント学派の全盛期に触れ、その後ドイツへ留学していた三木 清がマールブルクハイデガーニコライ・ハルトマンの授業に出席しているが、この時期に三木もガダマーと同じくハイデガー学派に転向したとされる。この時代についての三木とガダマーの回想は一致していることが知られているが、彼らに共通するのが「人間存在の歴史性」ということであった。言い換えれば、それは「生の存在論、ヒトの存在のあり方/哲学的人間学(Philosophische Anthropologie)」とほぼ同義(ガダマーにとっては、これが地平の融合への布石となる)である

 第二次世界大戦後、1946年にライプチヒ大学の学長(東ドイツ)に選出されたガダマーは、そこで優れた“行政手腕とバランス感覚”を発揮したとされるが、翌、1947年にはフランクフルト大学へ移り2年間の在籍となる。そして、たまたまその間にハーバーマスアドルノらのフランクフルト学派ができている。やがて、ヤスパースの後任としてハイデルベルクに着任したガダマーは諸環境が安定したため、講演・論文などの学術活動に集中し、やがて約10年に及び研究成果を纏めるための沈黙期に入った。そして、1960年に主著『真理と方法』が出版される

 (2)第二フェーズ: ガダマー哲学の成立/哲学的解釈学『真理と方法』

 (解釈学の系譜)

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 『真理と方法』(Gesammelte Werke:1985–1995 (10 Bände).Band 1. Hermeneutik 1: Wahrheit und Methode: Grundzüge einer philosophischen Hermeneutik)は、1960年に発表されたガダマー(1900年~2002年)の主著であるが、丸山高司『ガダマー/地平の融合』(講談社)の“あとがき”によれば、その第二部の抄訳であるO.ペゲラー編、瀬島 豊・訳『解釈学の根本問題』(晃洋書房)が1977年に出版されたことで、漸く、ガダマー「地平の融合」説が日本の思想界でも広く知られることとなったようだ。

   そもそも、思想運動としての解釈学という言葉そのものの由来は古代ギリシャまで遡るが、それには凡そ以下三つの意味[(1)言葉で表現すること、(2)同じく説明・解釈すること、(3)翻訳・通訳すること]があるが、要するにこれは『意味の不明な言葉や事柄を、より広く理解できる言葉で表現(翻訳)し、それを他者へ伝える』ことだ。そして、その意味での解釈学は文献学・神学・法学らの分野でそれぞれに発展してきた。

 やがて、19世紀前半にシュライエルマッハー(F. D. E.Schleiermacher/1768 - 1834/ドイツの神学・哲学・文献学者)が新しく「一般解釈学」の構想(理解ないし解釈の作用そのものを普遍化し体系的に理論化するという考え方)を打ち出したことで、漸く解釈学は独立した学問の場としての地位を得る。そして、それを哲学の1ジャンルへ変貌させたのがディルタイW. C. L. Dilthey/1833 - 1911)とハイデガーであり、その意味でガダマーの仕事はこの二人にその多くを負っていることになる。

ディルタイハイデガーを肯定的に克服したガダマー)

 ここで結論を言ってしまえば、<ヒトの哲学的・存在論的な理解において、特に「精神科学」(自然科学の説明的・構成的方法(今で言えば形式知・デジタル知?⇔ベンサム“量的功利主義”と共鳴)ではなく、分析・記述的な方法(今で言えば暗黙知・アナログ知?)で表現する方法⇔J.S.ミル“質的功利主義”と共鳴)を重視するという意味で、ガダマーとディルタイが「生の哲学」を、ひとまずは共有するということだ。つまり、それは人間存在の歴史性、哲学的人間学(Philosophische Anthropologie)の重視という意味でもあるので、既述の三木 清にも繋がる。更に、この論点はマクダウエルのリアリズム倫理学にも重なると考えられる(が、その委細については又の機会とする)

 一方で、ガダマーはシュライエルマッハーの解釈学を正統に引き継ぐディルタイロマン主義の“神秘的”解釈学」(シュライエルマッハーのそれが過剰に主観を重視する解釈学であることから)と名付け批判していたが、「学」として更により精密な論理で批判する手法の発見に至るまでは些かの時間が必要であり、後にガダマーはハイデガーからそれを学ぶしかし、後述するとおり、ガダマーはそのハイデガーの「学」として更により精密な論理で批判する手法を、自らが創造した「適用」(Übernehmen)の概念で肯定的に乗り超えることになる。

 因みにディルタイによる「主観」偏重のロマン主義的な解釈の特徴は、客観的な「学 」を謳いつつもその解釈の結果が「文献等への自己移入による追体験で自己の主観と文献に潜む諸主観との間の“神秘的”(理解不能)な交わり」から生まれると考えている点にある奇しくもここからは、目下、持て囃されている<AIディープラーニング(深層学習)で「特徴量」等を抽出するニューラルネットワーク計算の内容が“論理検証不能”(ブラックボックス)である>という現実が連想させられるが、これは気のせい(それとも、何らかの良からぬリスク等への過剰な杞憂?)か?(苦w)

<注>J.S.ミル“質的功利主義”とベンサム“量的功利主義”の違い・・・“質的功利主義”(精神的快楽)は、“量的功利主義”(身体的快楽)よりも永続性・安定性・低費用性などの点で優れているので、J.S.ミル“質的功利主義”はベンサム“量的功利主義”よりも、ヒトのためのリアルな質(適度で中庸な快楽)を重視することによって、ヒトにとって、より優れた価値の高い快楽であると考えられる(https://information-station.xyz/5434.html。また、それ故に此の問題は、現下、AI化時代の『人間の壁1,2』(主に、当記事の『第三章』と関連する)の問題とも非常に意味深く重なることになる

ハイデガー解釈学の前提条件/ガダマーに与えた『存在と時間』の衝撃)

 これは一つの見方にすぎないが、「マッハ感覚論的素材性(http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20180701がその切り口であると理解できる自己自身をふくむ現存在(Dasein/いま目前にあるリアルな事実としての生)を重視するガダマーは、ハイデガーが「先入見」と「解釈学的状況」によって、自ら(ガダマー自身)が,ただ「被解釈性」のなかを動いていたにすぎぬということを深く思い知らされたはずである。

 つまり、<ガダマーが、自らは「被解釈性」のなかを動いていたにすぎなかった!と、深く思い知らされた>ということは、「特にガダマーは主体的かつ客観的に自分が解釈していると思い込んできたはずであるにもかかわらず、実は、歴史・自然を含む内外の諸環境から、ガダマーのみならず、我われ自身も含む広く一般の人々が、その意味での解釈を常に受動的に強いられているものだ」という厳然たる現実について、ガダマー自身も、ハイデガーの「先入見」と「解釈学的状況」の思想に出会って、大きな衝撃を伴いつつ覚醒させられた、と考えられるのである。

  そこで、ハイデガーの<「先入見」と「解釈学的状況」>が意味する三つのポイントを列挙すると以下のとおりである。

[前提条件となること]=理解の先行構造(Ver‐Struktur)は下の三つから成る。

(a)先把持(センハジ/Verhabe)・・・視野が開かれ、解釈されるべきもの(対象)が、その中に取り込まれること。 

(b)先視(センシ/Vorsicht)・・・その対象へ照準が合わせてあること(視線のベクトル)。

(c)先把握(センハアク/Vorgrift)・・・が、それは予め概念的に規定されているということ(この論点は、“もし、プラトン的な観念が不在であれば数学の概念を我々は理解できない”と見るR.ペンローズ(英国出身の天才的な数学者・理論物理学者/1931-)の主張と重なるものがあり興味深い!(関連参照:当記事、第三章:自然計算はアナログ暗黙知ワールド?/超デフォルトモード・フラッシュ?)/←補足、toxandoria)。

 そして、ハイデガーはこれら(a)~(c)の全体を「先入見」(Vorschau)が隠蔽していると見る。そこで、現存在(Dasein)の解釈学を成立させるために「先入見」を破壊するか、ないしは「その状況」を変容しなければならないとハイデガーは主張する。別に言えば、それがハイデガーの「事実性の解釈学=先入見を取り払ったテキストの解釈で漸く自己理解が変容し得ることとなり、その状況に対して根源的な問いを出せるようになる」ということである

<補足>先把握(センハアク/Vorgrift)と「選言説」の関係について

・・・直接的には無関係なことだが、このハイデガーの「先把握」からは、「第3章ーディープラーニング(多層機械学習(計算)を導入するに当たっての留意点」の<補足>でも触れた「選言説」(知覚・感覚ひいては感情こそがヒトの日常言語における固有名の「意義」と「概念の形成」に先行すると見る、言語哲学の考え方)が連想される。

(ガダマーによるハイデガー解釈学の肯定的な超克)

  ところで『ガダマー/地平の融合』(講談社)の著者・丸山高司氏は<たとえば、我われは日常的に出会うものを「家として」あるいは「道路として」とらえているが(つまり、視点の“ミクロ⇔マクロ”移動の変化に応じ、これら“家”や“道路”という対象は“赤い屋根の家、大きな窓、そこの住人、美しい庭・・・”あるいは“舗装道路、車道、歩道、夥しい車列・・・”らに代わることができる/←補足、toxandoria)、「~として」とらえるということは、一定の「世界理解」を基盤にして、その理解内容を分節化すること、つまりそれが「根源的に解釈」することである。これと同じことが哲学的認識にもあてはまる。(と、ハイデガーは現存在の構造契機を認識していた)>と述べており、この部分がガダマーの「ハイデガー解釈学の肯定的な超克」のターゲットになったと考えられる。

 ただし、ガダマーはハイデガーの<「現存在の存在の仕方そのもの」としての理解は、主体(ないしは主観)がなんらかの対象に対してとる態度といったものではなく、一つの認識様式でもなければ、一つの行動様式でもなく、ある時には理解し、他の時にはそうではない、といったものでもない。人間が生きている限り、いつもすでに「理解する」という仕方で生きている。「現存在の根源的な遂行形式(根源的な運動)」とは、そのような意味である。>という部分は、そのまま継承している。 

 興味深いことに、そこでガダマーは「ロマン主義の“神秘的”解釈学」として批判したディルタイの「精神科学」へ再接近する。というか、より明確に言えば<ハイデガーの「現存在の根源的な遂行形式(根源的な運動)/事実性の解釈学」とディルタイの「精神科学」への架橋を試みた>というべきかもしれない。そして、その「架橋」となるのが「ディルタイ“精神科学”の根底にある、ヒトをふくむ凡ゆる諸生命の運動が絡み合いつつ進行するダイナミズム(エルゴン運動)そのものの歴史性」ということである

 つまり、このことによってガダマーの解釈学は「一般的な意味での固定した学説のフェーズ(別に言えば、ハイデガーがミクロに精密化したため、ある意味で強固な実存哲学として限定的に定義された現存在の視座)」を脱し(無論、ハイデガーが理論の精密化のため、敢えてそのようにしたということも言える訳だが・・・)、恰も現象学エルンスト・マッハの“マッハ感覚論的素材論ら”がそうであるような意味でのダイナミズムに満ちた、人文・社会・自然科学の垣根を超える広大な「生の思想運動」へ変容したことになると、言えるだろう

 そして、それこそガダマーが創造した「適用」ではなかったか、と思われる 

(現代における知の解釈学の基底と適用)

 ガダマー『真理と方法』の核心として絶対に押さえるべきことについて、丸山高司氏は著書『ガダマー/地平の融合』の中で以下のように語っている

・・・「知識」だけでなく「規範」(おそらく倫理も含む/補足、toxandoria)についても、現代思想の特徴となっているT.クーン(T.S. Kuhn/1922 - 1996/米国の哲学者、科学哲学者)の「パラダイム」論(米国で『科学革命の構造』(1962)が出版され、『パラダイムの転換』の意識が広く共有されるようになったことを意味する/補足、toxandoria)という新たな視座を、「解釈学」の「先行理解」(既述のとおりハイデガーが始祖/補足、toxandoria)のなかにシッカリと取り込むべきことが理解されるようになったが、当然、ガダマーは当初からそうした“人文・社会と自然科学の垣根”を超える、より広い意味での現代思想に関わる「知識」の問題へスポットを当てることが必須であるとの理解を自らの解釈学の基底に取り込んでいた。・・・

 このようにして、ガダマーの解釈学は(既述のとおり)恰も現象学エルンスト・マッハの“マッハ感覚論的素材性(論)”がそうであるような意味でダイナミズムに満ちた、人文・社会・自然科学の垣根を超える広大な「生の思想運動」へ変容したのである。つまりガダマーの深い理解は「解釈」と「適用」(理解していることを、只の知識として抱えているのではなく人々がそれを自己の状況へ解釈的に関係づけつつ自ら何らかの新たな意味(それぞれ固有な人間存在の歴史性の意識)を個々に発見すること)の契機を含む統一的で全体的な運動となったのである

 (3)ガダマー『地平の融合』によるAI原理主義批判のポイント

(ガダマー『地平の融合』は“意味の全体論”への希望)

 『地平の融合』の説明に入る前段で『ガダマー/地平の融合』(講談社)の著者・丸山高司氏は以下のように述べる。

・・・ガダマーは「すべての独断論を批判的思考の訓練で克服する」という、先ず非常に地味な立場を主張しつつ、一方でラディカルな問いかけが哲学にとり絶対的に不可欠であることを認めている。しかし、ラディカルな問いからラディカルな帰結を引き出したとしても、それを「最後の言葉」とすることを断固と拒否しており、あらゆる幻想や狂信に対して常に覚醒し続けるのがガダマー哲学の心髄である(だから、歴史主義(ランケ)にせよ、啓蒙主義にせよ、近代美学にせよ、新自由主義(量的完全合理主義)にせよ、AIディープラーニングにせよ、それぞれが自らを「最後の言葉」(喩えればトランプや安倍晋三らの如きマイファーストの絶叫の如く!)とする限り、それらは幻想や狂信のジャンル(自閉的で固定した地平)に堕ちることになる!/補足、toxandoria)。・・・

 そこで、『地平の融合』の最も重要なキーワードと見るべきものが「適用」(既述)と「作用史(Wirkungsgeschihite)」である。

 先ず「適用」についてだが、これは「理解していることを、只の知識として抱えているのではなく人々がそれを自己の状況(夫々の生き様など)へ解釈的に関係づけつつ自らが何らかの新たな意味(それぞれ固有な人間存在の歴史性の意識)を個々に発見すること」を意味するのであった。

 ガダマーによれば、過去の理解とは「単純に過去を現在に引き寄せ同化すること、あるいは現在を過去に同化すること」(等時性/例えば、懐古趣味(アナクロニズム)に溺れる極右らがこの罠に落ちることが多い)ではなく、「過去を現在に媒介すること」(同時性)である、ということになる。

<注>「等(共)時性、同時性」について

・・・等(共)時性:意識空間において美的・歴史的対象などが恰も万華鏡の如くバラバラに散らばっている状態。この場合は、逆説的に見えるが、そうであればこそ特定の恣意的な力が隙間に闖入し、それによって周辺が強圧的に支配され易いという弱点が生まれることになる。

・・・同時性:例えば、仮にそれが古い芸術作品であるとしても、その作品に価値があるのは、それを享受(鑑賞)する側(鑑賞者・解釈者ら)が、その古い作品の意味を個々に摂取し、それと同化するという作用プロセスで自己(個々人)の変容がもたらされ、結果的に、新たな自己同一性が絶えず創生されるような状況を意味する。

 そこで「作用史」の概念を注視すべきということになる。上の「同時性」の説明から明らかであるが、つまるところ作用史(作用プロセス)は「伝統の働き」と置き換えることができる。そして、この「作用史(伝統の働き)」によって「歴史あるいは伝統」の動性(エルゴン/生命的な活動力)が絶えず蘇生し、創生し続ける可能性が拓けてくることが重要である

 つまり、「過去は現在へ働きかけ、現在が過去へ働きかけ続ける」という意味で、我われ人間社会を含む全ての地球上の自然・文化・社会エトノス環境のトータルが、リアルに生命あるものとして生き続けること(解釈学的循環)になる。これこそディルタイハイデガーらの生の哲学』の延長上にガダマーが発見した『理性の生命論』の核心というべきであろう。

 言い換えれば、ガダマーにおける解釈学上の理解とは、開放的な問いのプロセスにおける「伝承の運動と解釈者の運動とが互いの“見えない内側”(アクセル・.ホネット)において働きあうIneinanderspiel)こと」である(関連参照⇒第一章‐重要なのは“アナログ領域”の縮小(仕事の消滅)への怯え、又はAIスゴイ!一辺倒ではなく“ヒトの幸せのためAIを活かす”視点』)。

 このような働きによって、過去の地平と現在の地平とが絶えず融合されて“意味の全体”が確認されることになるが、それだけではない。ガダマーの『理性の生命論』の視座から俯瞰すれば、これら二つの地平の延長には、絶えず未来の地平への希望が見えてくるのであり、これこそ『地平の融合』ということである

(『地平の融合』によるAI原理主義批判のポイント) 

 無論、ガダマーが直接的にAIを批判した訳ではない(苦w)しかし、前にも書いたことであるが『ディルタイハイデガーらの生の哲学 → 理性の生命論』へと深化して創生されたガダマーの「適用」『意味の全体論』『地平の融合』らの概念は、準汎用AI社会化でコンシリエンス(人文・科学知の融和的統合/consilience)が必須であるという問題意識とAI型『人間の壁』なる超リスクの空気が拡がる現代であるからこそ、その役割が益々重要になると思われる。

 因みに、丸山高司氏は『ガダマー/地平の融合』(講談社)のなかで次のように書いている。

・・・ガダマーの主著『真理と方法』は、ドイツの伝統的なアカデミズムの方法で生み出された、哲学の専門書である。しかし、その著書は、現実から隔離された「書斎の人」の作品ではない。「科学の時代」という現代的状況において、またそうした状況に対して書かれた作品である。もとより、『真理と方法』では、そういうことは、あまり前面には出てこない。しかし、そのことをはっきり語っているテクストもある。・・・

<注>「科学の時代」

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https://twitter.com/shinkaikaba/status/1131106792002297856

・・・ここでは‘’良い意味でも、悪い意味でも科学の時代である‘’ことを意味する。特に原子力生命科学において、その典型が見られる訳だが先端科学技術が政治権力と癒着し易いこと(特に軍事利用面で)は、K.ポラニーの警鐘どおりに歴史が進みつつあるという現実からも明らかなことだ。AIについては、今やその技術が凡ゆる先端科学の研究・開発のため必須の基盤ツールとなっていることからも、そのような視点で科学技術の研究・開発を理解しておくことが、より重要と思われる。因みに、科学・科学技術とファシズム的な権力の親和性について補足しておくが、それは根本的に「科学知に潜在する完全合理的な意味合いで‘’傲慢‘’な自然破壊力と政治的万能感(例えば、現下の安倍政権はこれにあたる!)の野合」の問題と言える。そして、311フクシマが象徴する日本の原子村(原子力技術コンソーシアム)の<『暴走インフラ→構造災(戦前・軍国型‘’構造災‘’の取戻し)』化>の問題(今やこれは進退不能デッドロックに嵌っている!)は、その典型である(関連参照↓▼)。

近づく本格的な「第4次産業革命」の時代に潜む超リスク/一般に欧米では“科学技術が政治権力と結びつき易いことが理解されている https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/03/05/153938

 そこで、この丸山氏の『ガダマー/地平の融合』(講談社)を参照しつつ、AI型『人間の壁』なる超リスクの空気が拡がる現代~未来のために、AIを冷静に利用するための参考になると思しき論点を読み解きつつ、その主旨を以下に纏めておく。(煩瑣になるので、ピックアップする論点は数か所に絞った)

・・・

  • 人間存在の歴史性、生の哲学に透けるシンギュラリティのナンセンス]

・・・そもそも、ガダマーに大きな影響を与えたディルタイの「生の哲学」やハイデガーの「現存在の解釈学」において、「人間存在の歴史性」ということがハッキリ浮き彫りにされている。つまり、「生の哲学」が生命を持つ「ヒトの生の歴史」を視野に入れていることから、その延長にあるガダマーの「生の哲学」(人間存在の歴史性)のなかにも生命と深く切り結ぶ科学技術(当然、AIも入る)が‘’内包”されているの(いわばAIと雖もヒトの生に内包(寄生)する存在であること)が当然であろう。従って、シンギュラリティ論が指摘する如く、もしAIの知が一方的にヒトの知を組み敷く(又は飲み込む)ような人間社会となれば、それは双方にとっての不幸であり、双方がナンセンス化する。むしろ、警戒すべきは「シンギュラリティを騙る政治権力」の出現である。←(関連参照)下の*「AIアルゴリズム世界支配論」

  • AIの意識・感情がヒト並みのアンドロイド出現への期待はナンセンス]

・・・そもそも、ヒトに似たAIの意識・感情が実現する可能性は殆どないだろう(関連参照⇒プロローグ、第二章)が、ガダマーによればヒトの意識の上では過去は現在に働きかけるとともに、現在は過去に働きかける。その過去・現在・未来の地平は、夫々がそれ自体で存在しているのではなく、ましてや、それらの地平は自閉(機械・AI)的で閉じた地平といったものではない。ヒトの現在は過去に規定されつつ、新たに未来を形成していく。ヒトの歴史とは。このような生命活動的で内発的な運動(エルゴン)に他ならない。他方、DL「強化学習」のバックプロパゲーションと雖も所詮は機械的に実行されるデータの積み上げである(関連参照⇒第三章(2)‘’広義の機械学習‘’の種類と概要)。従って、意識・感情の両面でヒト並みのアンドロイドが出現することへの期待はナンセンスである。

   ●  [*「AIアルゴリズム世界支配論」まで跋扈する昨今だからこそ、ガダマーが肯定的に超克したディルタイ生の哲学」の再考による“AI原理主義”批判(改めて倫理の意義を再発見すること)が必須と考えられる]

 

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https://twitter.com/shinkaikaba/status/1129219958771109888

・・・ガダマーは、ディルタイ生の哲学」に因る解釈が「文献等への自己移入による追体験で自己の主観と文献に潜む諸主観との間の“神秘的”(理解不能)な交わりから生まれると考えている点を、いわばそのロマン主義の非論理的な部分(しかし、実は、これとそっくりの“コノ後は武運長久を祈る!”型の内生(共依存データ)知的な?深層構造をAIディープラーニングが内包しているらしい?!/苦w)を批判してディルタイ哲学を超克した訳だが(生の哲学そのものをを丸ごと否定したのではなく、逆にその重要性を再発見した!)、実はこのディルタイ生の哲学」には、今や“AI派に非ずんば人に非ず”の如き昨今の空気であるからこそ、再び注視すべき重要な要素(論点)があることに気づくべきなのかも知れない。

・・・ディルタイ生の哲学は「精神科学」の基礎づけが目的であり、このディルタイの精神科学には心理学(現代的に言えば、いわゆる心理学だけでなく自然科学以外の全分野についてのヒトの理解が入ると見るべき!)を解釈学的に説明するという目的があった訳だが、やがて精神科学は自然科学に対峙する人文・社会系の学問領域が全て含まれることを明確にすることになる。

・・・しかし、おそらくそれだけでなく「ディルタイの精神科学」(生の哲学)には、あの古代ギリシャ・ローマにまで遡る「リベラル・アーツ」的な観念があったのではないか?と思われる。しかも、それはガダマーへも「生の哲学」の成分(特に倫理的な要素)として引き継がれたのは間違いがないだろう。だからこそ、ガダマー哲学は科学に対する批判力も強く帯びており、それは後になって「科学(当然、AI(人工知能)も含む)」に対する厳しい批判力を示すマクダウエル(ガダマーの影響を受けた?)の「リアリズム倫理学」(別記事で取り上げる予定)へ影響を与えたのではないか、と思われる

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<注>リベラル・アーツ https://www.liberalarts.org.uk/liberal-arts/

・・・そもそも、リベラル・アーツ(自由七科)は論理的に物事を考えるための基本素養として古代ギリシャ・ローマ時代に理念的な源流を持つが、哲学倫理学を含む)はこの自由七科の上位に位置し、自由七科を統治すると考えられた (イメージ画像はウイキより)。

  5-2 [見えないことの発見2]  AIを活かした「ヒトがやるべき仕事」の発見

 f:id:toxandoria:20190518015944j:plain「AIに因る失業」の“預言”(扇動)だけなら、それは只の無責任!サヴォナローラ(15世紀フィレンツェドミニコ会修道士)風「説教」のマネごと同然の「AIに因る失業」の“預言”で人々を脅かすのではなく、いま重要なのは「AIに因る未来への希望」(ガダマー『地平の融合』への方向性)を示してみせることだ。そのためのヒントが“暗黙知”(アナログ知)に満ちた地球自然環境で生きる全生物の生命モデルに因って、ヒトがその自然環境のなかで育んできた歴史と相互主観性のなかに潜む「見えないこと」を発見し続けることである。

 その意味では「AIに因る失業」の“預言”で恐れおののくよりも、例えば下(▼)のような。実に恐るべき「地球環境トータルの危機」を大いに懸念し、その対策に「AI知を如何に活用できるか?」を真剣に考えることの方がよほど重要である。

f:id:toxandoria:20190518014756j:plainf:id:toxandoria:20190514061344j:プレーン

▼世界中に存在すると推定される800万種の動植物のうち、少なくとも100万種が数十年以内に絶滅する恐れがあるという。そのペースは過去1千万年の平均の10~100倍にあたる。(その結果)人が生きていく基盤である農林水産業などが早晩たちゆかなくなる。20190513朝日社説『生態系の保全/地球の悲鳴が聞こえる』」https://twitter.com/shinkaikaba/status/1127694899594186752 

・・・あらゆる意味で「みえないこと」(A.ホネット)の胎盤である<土壌、海、河川>らを失う恐ろしさは想像を絶する!AIディープラーニングら先端科学・同技術が自ら最高「知」であることを“勝ち誇る”としても、この終末的な地球環境の惨状を救うため全く役立たなければ何ら存在意義がないことに等しい!https://twitter.com/tanutinn/status/1127689720081801217

・・・

 因みに、「AIに因る失業」の“預言”(扇動)の嚆矢となったのは「2013年に出されたオックスフォード大学のフレイ&オズボーンの研究レポート」であるようだ。フレイ&オズボーンの両氏がともにAI関連の研究者であったので、世界中に衝撃が走ったとされ、その後に日本でも2015年に野村総研同様の調査を行い、「今後15年程度で現状の労働人口で見た場合に49%分の仕事がなくなる」と発表した(以上の情報源は、イメージ画像ともに下記▲)。

f:id:toxandoria:20190518025443j:プレーン

▲「AIが仕事を奪う」はウソかもしれない/雇用ジャーナリスト海老原 嗣生

・・・フレイ&オズボーンの研究や、野村総研のそれは、どこが間違っていたのか。たとえば前者は、発表時点で査読付き論文ではなく、単なるディスカッションペーパーだった、というような些末な問題をあげつらって、揚げ足取りをするのはやめておきたい。私が問題視しているのは、両研究とも「雇用実務・現場(つまり、“みえないこと”の部分/補足、toxandoriaを全く調べていない」ということなのだ。(部分転載)

・・・

 そして、もう一つ忘れてならないのは、今は下火になったとされるものの、「ユーザー生成コンテンツへ過剰に依存するネット・メディアインターネット中心と化したメディア環境トータルを意味する)」に関する分析哲学的な世界観の上で強い味方と見なすべき「日常言語主義(派)の牙城(1950~1960年代)がオックスフォード大学であったということである。

 彼らは“深い意味”(“見えないこと”の過剰な重視)を印象操作だと見て批判する。分析哲学の世界における日常言語主義(派)は、インターネットの普及ぶりとは真逆に「少数派」化したとはいえ、今もその伝統は根強く残っており法哲学の分野などでは影響力が大きい(おそらく、ケルゼン法解釈と関連?)。そして、この日常言語主義(派)に対峙するのが、クワイン、ガダマー、マクダウエルらの“意味の全体論”的な立場の分析哲学の世界観である。

f:id:toxandoria:20190506053105j:プレーン<注>現代~近未来の“AI‐Web機械経済”がベースである社会構造を無条件に是認する立場とは、換言すれば《日常的言語学派 or 人工言語(コンピュータ言語らの)学派》(1950~60年代の英オックスフォード大学は前者の牙城であった)をベースとする完全合理主義 or 還元主義のモデルでヒトを含む全ての世界が説明できるとする立場。他方、コレと対峙するのがクワインマクダウエルorガダマーら“意味の全体論”派の立場であり、今も欧米ではこの両派によって哲学・倫理・科学思想全般の基本的スタンスを巡り論争が続けられている(ジョン・マクダウエル著、神崎 繁ほか訳『心と世界』(勁草書房)を参照しつつ、所見を加えた)。

(1)「見えないこと」の中にある未来の可能性の発見

・・・それはガダマー「地平の融合」(意味の全体論)の視座による、目前の「見えないこと」の中からの未来の可能性を発見するということ。・・

(アルフレッド・シュッツの“見えないこと”)

 f:id:toxandoria:20190518065927j:プレーンf:id:toxandoria:20190518070305j:プレーン

 いま、ガダマー『地平の融合』(意味の全体論)の立場とも共鳴すると見なすべき「20世紀前半に米国で活躍した現象学的社会学の始祖」、アルフレッド・シュッツ(Alfred Schütz/1899–1959/ウイーン出身)の「他者への想像力に基づく日常生活世界の意味」(相互主観性の中核と見るべきことの重要性)に関わる考察が注目されているが、おそらくその背景には、愈々、これから本格化するAI化社会への“ある種の不安と危機感が、そして何らかの期待感のようなもの”が潜在するのではないかと考えられる。

 また、それは前節でも見たとおり「分析哲学上の一つの立場である日常言語派が、AI‐Web社会化トレンドでユーザー生成コンテンツへ過剰に依存するネット・メディア(インターネット中心と化しつつある、昨今のメディア・情報環境を意味する)と共鳴しながら、再び、優勢となってきている」ため、ガダマー『地平の融合』(意味の全体論)的な価値を持つ社会的に“見えないこと(自然および人間社会の中で暗黙知(アナログ知)の要素が占める部分)”の重要な意味が忘れ去られるのではないか?という、一種のリスク意識が高まっているからでもあると思われる。

 しかし、「エピローグ」および「第三章」で触れたとおり自然および現実の人間社会では暗黙知(アナログ知)の要素が、実は相当の部分を占有していると考えられるようになっているため、もっぱらAIデジタル知(形式知)だけに頼り切る方向へ社会構造を深化させることの現実的なリスクが再認識されており、その意味でもルフレッド・シュッツの“日常生活“を巡る議論が重要だということになる。

 そこで、シュッツ“日常生活の現象学的社会学“における「サインとシンボルの役割の違い」に関わる説明を、下記論文★より抽出転載しておく。如何に多様で豊かな空間(相互主観性の拡がり)が直接的には目に“見えないこと”として、つまり我々の内外の環境世界にリアルなものとして“存在”しているか、が理解できるはずだ。しかも、これこそが「前節で雇用ジャーナリスト・海老原 嗣生氏が指摘した“雇用実務と現場(つまり、“みえないこと”の部分)」の重要な意味であり、かつ「AIならぬヒトこそがやるべき仕事」の可能性が無限に拓ける新世界ともなり得るのである。

★「シュッツの“日常生活におけるサインとシンボルの役割の違い”についての説明」‐出典:p.5~6/白石哲郎『アルフレッド・シュッツの記号概念─シュッツ社会学における他者理解論の射程─(佛大社会学、第43号(2018))、https://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/BS/0043/BS00430L001.pdf

・・・シュッツにとって日常生活世界は、「人びと の間で行為する十分に目覚めた成人」を主体とする世界、外的な 行為環境および他者の存続についての自明な認識、いわばそれらの存在が、これからも安定してそこにあり続けることへの漠然とした確信である「存在論的安心」にもとづく自然的態度によって支えられた世界、自己と他者が「社会共同体:シュッツの記号概念における仲間」として動機づけあ い、そうすることを通じて共通のコミュニケー ション環境を成立させている間主観的な世界を指している。また、シュッツによれば、日常生活の現実から他の諸現実への移行、およびそれら「固有の認知様式と、明らかにされるべき固有の問題群及び地平群をもつ限定された意味領域」の間での移行は、日常生活の現実内で関わる他者や諸々の出来事に対する 自然的態度が放棄される「特定のショック」を経験したときに生じるという。「夢の世界」への飛躍としての入眠、幕があがり「演劇の世界」へ移行する際に感じる内的な変化、S. A. キル ケゴールが「瞬間」と呼んだ「宗教的領域」へ移行する際の様々な宗教的経験、「科学的思考の世界」への移行に際して、生活者としての情緒的な態度を停止し、科学者としての「私心のない観照の態度」に徹しようと決心することなど、日常生活をいとなむなかで経験する種々の ショックのたびに、人びとは諸現実の境界を突破して、みずからの「現実性のアクセント」を別の限定的意味領域へと置きなおすのである。日常生活世界の只中において、その他の有意味的な世界への飛躍が経験されるということは、「シンボル」の場合,間接呈示する項のみが至高の現実に属しているということを示唆してい る(「サイン」の場合,間接呈示する項と間接呈示される項いずれもが至高の現実の一要素をなしている)。それゆえ、絵画、ファンタジー小説、子供の玩具、共同的な礼拝、科学的理論として客体化されている「シンボル」は、「特定のショック」そのものの「物質的基盤ないし誘因」としての役割を果たしている。・・・

・・・

 別に言うならば、シュッツの「見えないこと」の発見はサプライサイド生産性論の呪縛からの解放と、既成の科学技術型イノベーション生産性論を乗り越える新たな生産性の定義を提供することになるのではないか、という意味でもある。

 因みに、吉川 洋氏は著書『人口と日本経済』(中公新書)のなかで“日本の人口が急速に減り続けるとして、高度情報化が必至のこれからの時代においては、適切な移民受け入れ政策やハードな技術開発とともに、特にソフト(AI)技術イノベーションビジネス・コンセプト開発型のイノベーションがあれば、旧来型GDPの成長を持続させることは可能だ”と論じている。

 f:id:toxandoria:20180803102606j:画像:w300:左その意味でも、ここで言うシュッツの「日常性(生活)」の拡がりに期待されるヒトの「新しい生産性」創出の問題は、吉川氏が言うところの“あくまでも技術レベルの研究・開発をベースとするソフトパワーイノベーション”を更に大きくネットワーク的に補強する可能性が高いので、より重要と考えられる。

そして、このことを分かり易く説明してくれるのが、生命現象(自然界における個々の生命維持現象の内外の大きな繋がり)をモデルとしつつ、ケイト・ラワースが「クズネッツ曲線の誤り」国が豊かになるにつれて不平等は拡大するが、やがて最終的には、必ずそれが自然に収縮へ転じるとの見方が誤りで、格差拡大のピークを過ぎても格差が拡大するばかりとなっていること/T.ピケティが指摘したの発見から着想した「自然界の繁栄を支えるネットワーク」である(添付画像、https://www.weforum.org/agenda/2017/04/the-new-economic-model-that-could-end-inequality-doughnut/より)。

f:id:toxandoria:20180803142930p:image:w360:rightケイト・ラワースは「自然界の繁栄を支えるネットワーク」について次のように述べている。   ・・・前、略・・・自然界のネットワークの構造は枝分かれするフラクタルの繋がりでできている。・・・途中、略・・・川の支流も、樹木の枝も、人体に張り巡らされた血管も、植物の葉の葉脈も、そのようなネットワーク構造だ。・・・途中、略・・・システムが目標を実現しようとして資源の流れを単純にするとき、効率性(従来型の生産性)は高まる。言い換えるなら、大きな結節点から大きな結節点に直接資源が届くようになった状態だ。しかし、回復力(地球温暖化対策のためのデカップリング→準汎用AI機械経済化への流れを必然と見るマクロ的な転相経済を視野に入れたPotenz経済学の廻廊上の新しい生産性)はネットワーク内の多様性と余剰から生まれる。従って、ショックや変化が起こったときには、沢山の代替の繋がりや選択肢が求められる。効率性が高まり過ぎれば(その“廻廊”への目配りがなく、ひたすら従来型の生産性だけが高まり過ぎれば/←補足、toxandoria)システムは脆弱になる。・・・以下、略・・・

なお、シュッツの「日常性(生活)の凝視」に関する説明で、最も重要と思われるくだりのサンプル(研究者による説明文)を参考まで以下()に部分転載しておく(出典:追手門学院大学人間学部紀要 1997年12月30日、第5号、61-78 生活世界の社会学/矢谷慈國 http://www.i-repository.net/contents/outemon/ir/401/401971208.pdf)。

・・・前、略・・・この論文においては,まず「自然的態度の構成現象学」、つまり乱暴に見立てればハイデガーDasein(生命持続の活動エルゴンなる自然計算のトータル)のリアル記述という立場から独自の生活世界の社会学を展開した(このハイデガーDaseinとしての見立てはtoxandoriaの補足)、 シュッツの生活世界論の大要を提示する。生きられた時間空間の構造の分析から出発して,生活世界の社会的構造と常識的知識の特性、多元的リアリティ論の創発的意味とその問題点についてまとめている。・・・途中、略・・・以上のような社会的関係の中で作り出される類型は個人独自のものもありうるが、大部分は相互主観的な類型として日常言語(<注>選言論の意味で感覚・感情的なものと繋がり多義性を帯びた日常言語/補、toxandoria)の体系の中に定着されている。このことは人間についての類型だけに言えるのではない。・・・途中、略・・・上に述べた諸点はシュッツ自身によって充分に展開されないまま彼の死によって中断された。まことに魅力に富む彼の多元的リアリティ論を単なる静態的な類型学に終らせずに、より具体的経験的な社会学的研究に生かすことができるダイナミックなものに改造することが筆者の課題となった。筆者が考え出した方策は、個人主観の意識レヴェルで主として問題が取り扱われたシュッツの理論に対して、以下の諸点を付加することであった (このシュッツの日常言語の体系の背後には、その代表格であるサインorシンボル等が契機となり、そこから初めて“見えること(見えるように)”になる“全体の意味”の深層世界が拓けていると理解すべきである。/補足、toxandorisa)。

現象学的な身体論を導入すること、

・・・つまり複数のリアリティ間の媒介メカニズムを「……しながら(地)……する(図)」という,ながら行為の現象を図地分節の理論と錯図構造の理論(というか、ミクロ・マクロ両世界への想像力の活性化!と見るべきかも?/補足、toxandoria)に結びつけて解明すること。

●多元的リアリティの相互主観的社会的次元を解明すること。

・・・相互主観的な多元的リアリティの分化と統合のあり方を社会進化の観点と結合して考察すること。

●リアリティ経験の深さの次元を考察すること。

・・・他のリアリティから日常生活の現実にもどった時の異化体験をともなう「本来的で深いリアリティの体験」と「異化体験をともなわない表層的ルーティン化的な経験を区別すること。

●他のリアリティと日常的リアリティの間の媒介,移行メカニズムを,身体レヴェル(ながら行為),日常言語レヴェル,時間のスケジュール的区分の三つの観点から考えること。・・・転載、終わり・・・

些か視点を変え総じて言えば、それは近・現代社会の機能的分業における多元的リアリティは専門家の販売する商品となっていることが大前提となっていること(市場経済を経由すること)から,貨幣によって,それらを自由に買ったり消費したりできるという,貨幣の媒介メカニズムの働きを、再度、多面的に理解し直し、それを再定義することでもある。

言い換えれば、近代社会以降の機能的分業の下では,多元的リアリティは,専門家の販売する商品となっており,貨幣によって,それらを自由に売ったり買ったり消費したりできるという,貨幣の媒介メカニズムが働いていることを再び問題とすることでもある。

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f:id:toxandoria:20190524043724j:プレーンf:id:toxandoria:20190526071737j:プレーン

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https://twitter.com/shinkaikaba/status/1132404136308117504

https://twitter.com/shinkaikaba/status/1132433620100997121

この視点はAI時代における貨幣の役割の再確認(特に“生命を繋ぐ新しい通貨の役割=通貨エネルギー”としてのBI(ベーシックインカム)関連で!)の意味で重要!この種のヒトの社会の帰納的分業に関わる新たな活動の創造や発見をPotenz経済学の廻廊の上で新しい生産性の付加の可能性をさぐる問題と見ること、即ち、ヒトの意識に関わる小脳の機能の探求、あるいは98%を占める非コードDNAなど殆ど未解明の“生の戦略”の謎との関りの問題でもある!と見ることができるならば、必ずしもその代価は従来の通貨である必要はなく、例えば地域通貨、仮想通貨、ないしはマイクロファイナンスなど様々な方法があると思われる。

 

(アクセル・ホネットの“見えないこと”)

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 第一章でも書いたことだが、フランクフルト学派・第3世代でドイツ出身の哲学者、アクセル・ホネットは著書『見えないこと』(叢書ウニベルシタス)の中で、「想像を超える、自己内部の多様性」についての気付き(を内心で見えるようになること)があってこそ、客体として広く外部世界(社会と自然環境のなか)に存在する人々の姿が真に開放(個々のドグマ観念から解放)され双方の眼差しでリアルに見えるようになる。」と言っている。

 つまり、それは「そのような意味で、普通は殆ど見えて(自覚して)いないが、実は自己の内部に潜んでいる“想像を超える規模の意識の多様性”が先ず見えるようになること」が、社会における人々の相互主体性の第一の入り口(第一の必須条件)だということになる

 実は、このような視座でヒトの精神活動を理解しようとするアクセル・ホネットが見ているのは、更により深い次元の深層までシュッツの「他者への想像力に基づく日常生活世界の意味」を掘り下げる作業であるとも言えるだろう。

 とするならば、矢張り、アクセル・ホネットの“見えないこと”の理解もAI社会化の時代であるからこそ「AIならぬヒトこそがやるべき仕事」の可能性を無限に拓くための重要な条件づくりであると考えられる

 ところで、AIディープラーニング(多層機械“深層”学習=ブラックボックス)の核心部である高速ハードウエア構造(自然計算のごく一部であるヒトの脳内ニューロンの結合を模したニューラルネットワーク)は、「CPU内の並列高速演算ユニット(数千個)の高速作動の繰り返しで疑似的に数十万~数億の細胞・神経線維の超並列状態(自動計算)」を実現している。

 一方、ヒトの脳内ニューロンの数は、「意識の在り処と見るべき“視床‐皮質系”(大脳皮質と視床)/200億個」、「小脳&基底核/800億個」で、両者の合計・約1000億個は実に宇宙で想定される銀河のmin.数に匹敵しており、それらが一個の細胞あたり平均で約2個が繋がる形で完全な3次元立体配線を実現している(関連⇒第二章)。

 従って、いくら脳内ニューロンの結合を模したニューラルネットワークが、これだけの大きなネットワーク規模を実現しても(しかも、それだけで論理的に説明不能ブラックボックスと化している!苦w)、ほぼ宇宙の銀河数に匹敵する数のニューロンを3次元ネットワークで総動員するヒトの脳内ニューロン活動がもたらす「ヒトの意識」活動に到底及ばないのは当然だとも考えられる

 ともかくも、このような驚くべき「ヒトの意識」活動の巨大な複雑さ、ある意味でその宇宙規模の大きさこそが、ヒトの意識の奥深さを実現すると共に、それがアルフレッド・シュッツ、更にはアクセル・ホネットの‘’見えないこと‘’の世界を創造し、延いてはそれこそが「ヒトがやるべき仕事」の発見を保証し、更に新たな仕事の創造を支援するためのエルゴン(活動源)と新世界開拓の保証人になっていると思われる

 因みに、アクセル・ホネットの上掲署は「想像を超える、自己内部の多様性」の各論という位置づけで、主に以下の内容を詳述しているので概要的に箇条書きで纏めておく。

●社会的に(相手が)「みえないこと」が軽視(差別・蔑視することと同義)であるのは、その相手を叡智的人格として扱う気がないことの表明である。

●相互主体性(間主観性交流)の超越論的必然性(フィヒテ自然法論文における第二定理の分析)について:フィヒテは、そもそも自己意識が相手からの呼びかけという基礎諸条件(前提)で成立するという理解を導いている。(これも、おそらく“選言説”と関係する?/補、toxandoria/ともかくもこれがハーバーマスへ影響を与えた)

●第三者の破壊的な力について:ガダマーの相互主体的関係の限界を指摘し、第三者パースペクティブ(一般化された他者)の役割(の重要性)を提言。

●認識と承認について(サルトルのまなざし):否定性の契機こそがサルトルの相互主体性の理論の核心であり、その否定性の契機を帯びた相互主体性が自己の本源的自由を取り戻すための実存的闘争の圏域である。

●解釈学とヘーゲリアニズム(マクダウエル“道徳的実在論”の批判):マクダウエルがガダマーの作用史的伝統媒介を形成と捉えるため、そこに限界があることを指摘してヘーゲル実践理性の連続性の取り入れを提言。

●対象関係論とポストモダンアイデンティティ精神分析の現代的意義の考察):従来の対象関係論から、多数の「内なる声」(想像を超える、自己内部の多様性)とのコミュニケーション・ネットワークの展開ヘという視座の拡張を提言。

・・・

   そもそも当記事は AIを多角的な視座から批判的に理解することに努めてきたが、AIを否定するつもりは毛頭ない。むしろ、AIにはこれまで見てきたとおり欠点が多々あることを十分に踏まえたうえ(最大のアポリアは、ディープラーニングブラックボックス、と『人間の壁』の問題)、特に倫理的な側面に十分な注意を払いつつ、むしろAIを積極的に有効活用べきだとする立場である。いわば、一歩引いた観点から、もう少し冷静にAIを観察しヒトの幸せや福利厚生と日本国民の日常生活を豊かにする経済のため上手くそれを活用するという視点が必要ではないか?との思いから、この記事を書き始めたのであった。

 そこで、「AI関連で新たに生まれる仕事の未来」の予想については書かないつもりであったが、多少はそのような意味で‘’今は見えないが、近未来において特にAIの活用が期待できる仕事の分野‘’を大雑把に概観しておくと、以下のようになるだろう。なお、ここには具体的に書かなかったが、「歴史、文化、芸術および特に地域文化などでの発掘・保存・修復・創造・創作」のフィールド(いわば文化経済学の分野)では、ほとんど無尽蔵にAIの活躍(つまり、AI活用による地域発展)の未来が広がっていると思われる

  • 知識処理応用サービス業(医療・研究・学術・教育分野など)・・・研究等の基礎となるデータアナリシス、データベース構築などだが、著作権問題のクリアが課題になる。
  • 凡ゆる一般分野での既存サービスの改善・支援・効率化etcに関わるオペレーティング・サービス業(業務診断・画像診断・物流・警備など)
  • 製造業・農業・行政あるいは金融・医療・医薬・福祉・マスメディア等へのAI活用支援サービス(Ⅹ‐tech(クロステック)、スマート農業、FinTech、MedhiaTechなど)
  • 地域開発・都市再開発らへのコンシリエンス(consilience)の視点による支援業務、ほか

  (参考/ディープラーニング・AI技術関連の情報源、最新技術情報など)

・・・これからは、益々、AI関連の最新動向への目配りが重要になると思われるが、これまで取り上げた『人間の壁』(そのAI技術が本当にヒトの幸せな生活の役に立つのか?というベーシックな疑問点)とのバランスを専門研究者と一般国民が、共に、絶えず自覚し続けることが肝心であろう。以下に、最新動向を集めるため役立つサイトと、特に目についた最新情報の事例を纏めておく。・・・

理研AIPセンター@RIKEN_AIP https://twitter.com/RIKEN_AIP

人工知能機械学習関係ニュース研究所、https://twitter.com/AI_m_lab

人工知能ニュース、https://monoist.atmarkit.co.jp/mn/series/4185/

●[公式]人工知能機械学習関係ニュースhttps://twitter.com/A_I_News

富士通研、正解が少ないデータで高精度に学習する機械学習技術20180919https://iotnews.jp/archives/107438

●【日本政府はコトバ遊びに終わらせるな!】GAFA・BATなき日欧連合 AI戦略「人間中心」で連携/6月のG20首脳会議に向け個人情報保護などを掲げ国際ルールづくりに関与する狙い。実は欧州もAIを巡る戦略でまったく同じフレーズを使う。419日経https://www.nikkei.com/article/DGXMZO43891340Y9A410C1EAC000/

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 (補足)

◆核戦術での地球破壊も辞さぬトランプ&米軍産複合体の<AI軍事型万能感>に飲み込まれたアベ様“へのド<忖度>で目が真っ赤に血走り、常態「御用放送」の尖兵化したNHK国際部・政治部らの超異常!https://twitter.com/shinkaikaba/status/1134636523331002368

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 @yurikalinさん/山本太郎にまず立ち塞がる大きな壁は、連合に逆らえない立憲民主や国民民主が、野党一体となって「消費税減税」を打ち立てないことだ。つまり、労働者の味方であるはずの連合が、実は労働者の敵であることを暴露しているも同じ。https://twitter.com/yurikalin/status/1134647260266938368

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@只のオッサン/同感乍ら更に踏み込んで日本資本主義の病巣(消費税マターに潜む陥穽/AI型市場原理主義の暴走、金融・財政&貨幣機能らの原義)を抉る視点が必須!と思う。例えば、目下「仮想通貨暗号資産化→貨紙幣完全廃止」の検討開始?らしいが、超消費税の難問化が予想される。∴展相マクロ経済&BI論議が先決?https://twitter.com/shinkaikaba/status/1134946356743757825

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補足/それにしても安倍晋三・総理がかくも愚昧なネトウヨ派↓★1(ストーリーテラー/しかも米国の同ジャンルの下請けw)だからこそ、冷静な「消費税マターに潜む陥穽と展相AIマクロ経済&BI」に関わる健全な論議↓★2など毛頭も期待できぬ!のが日本の真の危機だ!故に、第5次産業革命のツールAI‐IOTも日本では只の「ブタに真珠」状態という体たらく!https://twitter.com/shinkaikaba/status/1134946356743757825

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★1 @但馬問屋さん/‏ 安倍首相がケント・ギルバートと対談! 百田尚樹の『日本国紀』とケントのヘイト本を賞賛しネトウヨ心性全開|601リテラ/安倍首相、なんと、ケント氏の著書や百田尚樹氏の『日本国紀』を堂々と宣伝した!一国の総理がネトウヨビジネスにここまで肩入れするとは…https://twitter.com/wanpakutenshi/status/1134818297814274049

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★2 チェリーピンク・アベGDPの日本はAIロボ『人間の壁』経済(第4次産業・AI革命)に備え“社会の茎”、「新マクロ経済/Ex. BI型“社会的共通資本”」金融への展相が必須! https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/03/05/153938

 

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 (完)