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toxandoria:フレーム&フリンジの謎

W.Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「数多の境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

日常を凝視するスウェーデンモデルへの宇沢弘文の貢献とFiduciary(リアリズム倫理)に無知なスガ「Kook権力」の玩具と化し不幸のどん底に嵌る日本国民!

 

日常を凝視するスウェーデンモデルへの宇沢弘文の貢献とFiduciary(リアリズム倫理)に無知なスガ「Kook権力」の玩具と化し不幸のどん底に嵌る日本国民!

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◆日常凝視の「Fiduciary資本主義」の不在が露出!自助が最重視!の菅首相は「宇沢弘文の均等福祉社会」と「施し福祉国家」を混同するアナクロ!しかも新自由主義へ全て丸投げで国民は底なしどん底へ! →菅首相「最終的には生活保護ある」コロナでの困窮問われ128朝日

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https://twitter.com/tadanoossan2/status/1354857485056659457

 

<補足0>Kookは“奇人、変人”を表す米国の俗語

・・・従って、Kook権力とは「トランピズム、あるいは日本のアベ・サクラ政権、スガ・ガースーピー政権らが代表する「圧倒的に支持された“奇人、変人=夢現胡乱(ゆめうつつうろん/@D.ディヴィドソン)”タイプの権力者が力を奮う暴政のことになる。因みに、暴政の定義に関する詳しい議論は、将基面貴巳氏(政治思想史学者・西洋史学者)が、20200806日経(文化欄)で取り上げている(関連後述)。

 

◆「仮定=真」を保証しないabduction 効果で多様性と潜性イノヴェーションの宝庫だが、リアリズム倫理(fiduciary)が不在であれば只の“Kook暴政”のタネと化すリスクあり! →文化の扉:見直されるアナキズム 分断の社会批判、「一丸でバラバラに生きろ」201朝日 https://www.asahi.com/articles/DA3S14783809.html

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 https://www.asahi.com/articles/DA3S14783809.html

 ◆仮にトラ陰謀論Kook化した共和党が崩壊?でも民主党内から正統保守派が再生する可はあるが、先ず伝統保守たる共和党復活をめざすには此の方向しかない筈!弾劾成立の可否とは無関係! →米共和党上院トップ、トランプ氏弾劾支持の下院議員を擁護202CNN https://twitter.com/tadanoossan2/status/1356717644934651905

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 https://twitter.com/tadanoossan2/status/1356717644934651905

 

<補足1>均等な「福祉社会」と19世紀の施し型「福祉国家」の違いについて

・・・ごく大雑把に言えば17世紀英国、エリザベス1世時代の貧民救済法の延長と見るべきものが19世紀の施し型「福祉国家」のイメージである。つまり、そこでは資本主義経済の発展と福祉は基本的に断絶している。一方、スウェーデン・モデルが代表する均等な「福祉社会」は、貧民(貧困)も資本主義経済システムの一環と見る点において、両者の関係は分断されていない。現代の先進諸国では多かれ少なかれ、この均等な「福祉社会」を志向するはずであったが、1970年代以降の新自由主義(勤労者層の夢現暗愚化、つまりルンペン・プロレタリア―ト化を当然視する!)の本格的な登場で、再び、資本主義は19世紀の施し型「福祉国家」を志向し始めたかに見える。

 

 ・・・しかし、スウェーデン・モデルは、貧困化する(した)人々だけでなく中間層~富裕層も含む全ての国民にとって有意で均等な福祉社会の実現を目標としている。従って、同モデルには、そのことによって顕性・潜性両イノヴェーションが高まり、結果的に国家スウェーデンも持続的に発展できると考える点に大きな特徴がある。まさに宇沢弘文『不均衡動学』の実践に他ならない。然るに、残念ながら我が日本では、肝心の方向性に全く気づかぬのかどうか?は知らぬが、責任ある菅首相らの為政者も、大方のメディアも、国民自身も、その悉くが惰眠を貪っているように見える。

 

◆同感!問題はゴロツキ権力者らによる旧式の穴クロ「福祉国家」とリアリズム倫理「福祉社会」の混同!  →あるべき安全網=困窮対応は平時から/公共料等の支払不能は日常的!泥縄コロナ支援は非条理!生活保護への意識改革が必須!阿部彩・都立大教授201日経  https://www.nikkei.com/article/DGXKZO68640430Z20C21A1KE8000/

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 https://www.nikkei.com/article/DGXKZO68640430Z20C21A1KE8000/ 

 

<補足2>宇沢弘文スウェーデン王立科学アカデミーでの研鑽時代の世界的な影響の大きさについて

 

宇沢弘文のメッセージ-電子書籍・・・大塚信一氏(元、岩波書店編集長・同社長/宇沢弘文・著書の90%以上の出版に携わった)が著した『宇沢弘文のメッセージ』(集英社新書)によれば、・・・

 

宇沢弘文の『最適経済成長の理論(不均衡動学、および地球温暖化問題、炭素税の発想などの諸テーマと絡む)に関わる一環の研究)』が、宇沢のスウェーデン王立科学アカデミーにおける研鑽時代(1991~ )の成果を介し、特に1970年代以降のスウェーデンの経済・環境関連政策(ネオ・スウェーデンモデル)、ひいては国連・EU(欧州連合)らの地球温暖化問題等のベースとなる考え方へ大きな影響を与え続けている。

 

<補足3>Fiduciary Duty とは?(生命論的な視座に因る“より広い概念”であるが、此処ではひとまずの意味)

 

・・・米国の法律では非常に頻繁に出てくる用語で、一般的には米国憲法上の概念とされる概念である。しかし、Fiduciaryに は日本語の統一的な訳語が存在しない。そして、そもそもFiduciaryは「Duty of Care」と「Duty of Loyalty」という2つの意味が併存する(法的な概念)である。Duty of Careは「同様のポジションにある場合に、委任された人の職業・専門家としての能力・社会的地位などから考えて、通常期待される善良な義務を負うべき立場の方の人が、より選択すべき可能性がある方法で奉仕すべき義務」ということなので、これは既成の「善管注意義務」(善良な管理者の注意義務)の訳語が対応する(日本では民法644条にある)。「Duty of Loyalty」は、「自分の利益を後回しにしてでも忠実に、当然あるべき義務を果たす」(言い換えれば、大きな自然環境の下で、たまたま希少な生命あるヒトの親という立場に置かれた自分として、当然果すべき役割と考えられる親としての義務を果たす、ということ)である。例えばFamily Lawの世界では、親は未成年の子にFiduciary Dutyを負っているので、自分の身の危険をかえりみず子の安全を守るべきだ、ということになる(参照:山本法律事務所HP)。 https://yamamotolaw.pro/fiduciary-duty/

 

 [プロローグ]  

 .デイヴィドソン『非法則的一元論』によれば、唯一『リアリズム倫理/fiduciary』だけが生来のウソ吐き人間(夢現胡乱/ゆめうつつうろん、いわばヒトの生命論的な意味では平等(対等)な生地(キジ)をムキ出しに露出させた〖Kook型“露出症”タイプ〗の人間=“ヒト・人間社会”以前に止まりつつ、ヒトはおろか其の肝心の〖獣〗にも成り切れない、いわば未熟なケダモノとも見える存在!)の天敵であることになる!

 

(ポスト・トランピズムの米国における『リアリズム倫理/fiduciary』Vs『QAnon‐Kook/ゆめうつつうろん抗争の風景、アラカルト)

 

◆【むしろ、これは旧アベ & 今の菅政権のことでは?(w)/∵日本はfiduciaryが皆無に等しい!】共和党のトランプ汚染が寛解不能なら↓民主党から正統保守が再生する鴨?(苦w)∵民主党(右派)の価値観は歴史的に共和党の正統保守と同値!  →【日英全文】バイデン大統領就任演説/<事実「捏造」の文化>は拒絶すべきだが(fiduciaryで!)互いの声を傾聴できれば邪魔を破壊せずに政治はできる!0121 ELLE  https://twitter.com/tadanoossan2/status/1352484263350820864

・・・トランプロスの共和党重鎮(リンゼー・グラム上院議員)、「彼には共和党の指導者であり続けてほしい」0121ニューズウィーク

https://news.yahoo.co.jp/articles/55d7af72259050528a8ab98b12a8df8adcf4e511

・・・(追記)共和党、Qアノン支持の新人議員を下院教育委員にペロシ議長抗議0129Bloomberg

https://news.yahoo.co.jp/articles/181b996ed8bbfca5b2d0e4d6a7f21009090f621c

・・・【共和党全体も窮地化の恐れ?当米国製ISのトリセツ公表が必須鴨神社!w】∵"ヒトの生地の意識"は"夢現胡乱"なので(@ D.ディビドソン)救いはFiduciary以外にあり得ない!↓♨  →Qアノン信奉者の共和党新人議員マージョリー・テイラー・グリーン(Marjorie Taylor Greene)がペロシ殺害支持するSNS投稿で窮地0129AFPhttps://twitter.com/tadanoossan2/status/1355281276027039746

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・・・Vs・・・

 

◆【旧アベ&菅政権のこと?w共和党の「トランプKook」汚染が寛解不能であるなら、そもそも正統保守の価値観をも包摂してきた歴史を持つ民主党から正統保守が再生する鴨?  →【日英全文】バイデン大統領就任演説/事実「捏造」の文化は拒絶すべきだが互いの声を傾聴できれば邪魔を破壊せずに政治はできる!0121 ELLE  https://twitter.com/tadanoossan2/status/1352484263350820864

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(『リアリズム倫理/fiduciary』が不在のため、『JPN夢現胡乱(ゆめうつつうろん)=司法&政財官学界が丸ごとKookまみれの?暴政』が跋扈するバカりのKookyな日本の風景、アラカルト)

 

・・・残念なことだが欧米諸国と異なり、特に日本の司法・政治・行政(社会的選択)フィールド”および市民社会一般においては『リアリズム倫理(fiduciary)』を重視する文化(文化観念)が非常に希薄である。逆に言えば、「机上の空論」的な道徳論に終始している。そのため、肝心の米国よりもトランピズムの残滓(Qアノン陰謀論・カルト信仰など)のマイナーな悪影響を日本社会が米国より長く受け続ける可能性が高いと思われる。・・・

 

◆【知事らの要求を口実に強制導入が謀られた新コロナ関連の懲役刑等の<罰則>ありき特措法改正”等は、「リアリズム倫理」不在による日本政府の不作為をカムフラージュするための菅内閣の目晦まし戦術!】・・・「知事等自治体の消極性、中医協の形骸化、悪平等の半年診療報酬一律引上のドタバタ、急性期病院問題et労使間調整」を放置したのは安倍・菅歴代政権、厚労省&医師会の不作為。その根源は日本におけるリアリズム倫理"文化"Fiduciary)の完全不在!Cf.

https://twitter.com/tadanoossan2/status/1353809190548979714

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https://twitter.com/tadanoossan2/status/1353809190548979714

 ♨1大格差、温暖化、新コロナ、トランプ残像で煩悶する世界!が、今こそオミクスと不均衡動学(宇沢弘文新自由主義の天敵)の『自由の知』、フィデューシャリーヘ果敢に挑戦する時!(前編)

https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2021/01/10/050440

♨2 大格差、温暖化、新コロナ、トランプ残像で煩悶する世界!が、今こそオミクスと不均衡動学(宇沢弘文新自由主義の天敵)の『自由の知』、フィデューシャリーヘ果敢に挑戦する時!(後編)

https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2021/01/10/070801

 

◆【大臣ビジルート新規開拓?】「大臣室・巨額現金授受=司法取引案件化」なる実績作りの糸を強引に引いた三白眼の?権力者は誰か?という異常な側面こそが問題では?  →吉川元農相、司法取引?:鶏卵・贈収賄疑惑、特捜部案件なのに「逮捕者ゼロ」の怪123biz.J. https://twitter.com/tadanoossan2/status/1353239226326818817

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・・・Intermission!・・・

 

🔲〖Kook(夢現胡乱/ゆめうつつうろん)暴政権力〗から〖ゴヤ芸術の傑作:我が子を喰らうサテュルヌス〗への連想!

 

ゴヤ『我が子を喰らうサテュルヌス』/Saturn Devouring One of His Chidren.

f:id:toxandoria:20210131101917j:plain・・・Francisco José de Goya y Lucientes,Saturn Devouring One of His Chidren.」c. 1820-23. Oil on cavas, 146 x 83 cm. Museo del Prado, Madrid, Spain.

 ・・・もし、この絵の初めての鑑賞者が真っ先に非常にグロテスクな感情を覚えるならば、それは彼がれっきとした普通の人間であることの証拠だと言えよう。それは彼が紛れもなく「人間社会の普遍的な繋がりの中で、いわば「何らかの連帯感を共有する世界」で生きていることに他ならないからである。そして、その「何らかのfiduciary的な連帯感を共有する世界」こそが「Kook(無限胡乱/ゆめうつつうろん)暴政権力」なる、非常に面妖で有害な「生地の意識」の天敵であることになる

・・・しかも、直ぐに彼は『我が子を喰らうサテュルヌス』でゴヤが描いたのは「生命論的、特にオミクス生命論的な意味でのヒトに関わる厳しい真理(同生命論の核心の一部となるDNA・細胞レベルのアポトーシスなど)」であることを、いわば「無限に拡がる大自然の摂理に照らせば非常に矮小なヒト(人間)は何らかの意味で他者ないしは他の生命の犠牲の上でなければ生き続けられない存在だ!」という、厳然たる、しかし何故か悲しむべき真理を見事に描き切ったということを理解し、深い感動を覚えるはずだ。しかも、それこそが<触知型崇高美を重視する英国バーク流『正統保守』イデオローグ>の原点なのである。

 

<注>「オミクス生命論」と「触知型崇高美を重視する英国バーク流『正統保守』イデオローグ」については、下記★を参照乞う。

★大格差、温暖化、新コロナ、トランプ残像で煩悶する世界!が、今こそオミクスと不均衡動学(宇沢弘文新自由主義の天敵)の『自由の知』、フィデューシャリーヘ果敢に挑戦する時!(後編)

https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2021/01/10/070801

 

[ネオ・スウェーデンモデルについての素描]

 

◆より具体的に見れば【(その時に英国から)輸入しなかったのは「リアル国民の日常」を凝視しつつ中立性を死守する「リアリズム倫理(Fiduciary)」の仕組み!】 →インタビュー/官僚の忖度、いつから?/平成の政治改革、英国モデルで輸入されなかった中立性守る仕組み:京都大教授・嶋田博子氏127朝日 https://www.asahi.com/articles/DA3S14778299.html

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https://twitter.com/tadanoossan2/status/1354329262581444608

・・・関連/Goofy Smile @goofy_smile4 返信先: @tadanoossan2

さん (英国では)「官僚は専門家として誠実に、時の権力には耳の痛い事実も直言せよ、それが中立だとの合意もあります。しかし日本では、法律上の定義(憲法および諸法制上での明確な担保措置)も国民的な合意もありません」...日本の制度は、仏造って魂入れず、ですね。(笑)

午後7:18 · 2021127日·Twitter for iPhone 

https://twitter.com/goofy_smile4/status/1354373317394751489

・・・関連/水のイマージュ2 @tadanoossan2 返信先: @goofy_smile4

さん >(英国では)「官僚は専門家として誠実に、時の権力には耳の痛い事実も直言せよ、それが中立だとの合意もあります・・・ 日本は、あらゆる意味で全く仰るとおりの名ばかり(羊頭狗肉?)だと思います。伝統・自由・市場・自律・社会福祉等の諸価値観についても同様!と思われます。

午後9:59 · 2021127日·Twitter Web App 

https://twitter.com/tadanoossan2/status/1354413677701591044

 ・・・

 上の【◆・・・(その時に英国から)輸入しなかったのは「リアル国民の日常」を凝視しつつ中立性を死守する「リアリズム倫理(Fiduciary)」の仕組み!】ということを北欧諸国の現況に合わせ、別に表現するならば次のようになるだろう。

 

スウェーデンデンマークなど特に北欧諸国で深化した「リアリズム倫理(Fiduciary)」の意味について、より具体的素描を試みるならば、それは<福祉社会型「ソーシャル・ポリシー」が“個別的な衡平性(Individual Equity)”(配分的正義/人々がそれぞれの能力に応じて地位や財産を手に入れる平等/アリストテレス)、“社会的十分性(Social Adequency)」”(矯正的正義/社会全体における罪と罰との均等や取引・交換における平等のように、絶えず置かれた場の全体を視野に入れつつその全体との調和を図る算術的比例に基づく平等/同じくアリストテレス)、“集団的衡平性(Group Equity/衡平性を支える集団的な責任/リアリズム倫理のベース)”の三要素をバランスさせる意識がより深まったため、その北欧諸国の国家体制そのものが「社会に調和する経済学(資本&市場の原理)」(ドイツ風に言えば『オルド市場原理主義(ドイツで生まれた社会的市場経済)からヒトのための“生命論的な謂いで本物の社会的市場経済”への展相(Potenz)』)を採用する方向へ進化(深化)したものだと看做すことができる>ということになる。つまり、1970年以降においてネオ・スウェーデンモデル(当時の社会民主党政権)が“市場原理主義(小さな政府)”への丸投げに舵を切ったという一般的な理解は決定的な誤りor誤解である!/それよりも重要なのは、例えば宇沢弘文の『不均衡動学』理論などがネオ・スウェーデンモデル(ひいては欧州全体)へ大きな影響を与えた可能性が高いと考えられることだ。/委細は、[本論]以降を参照乞う!https://note.com/toxandoria2/n/n0c5a866911bc

 

また、それは「1970年以降においてネオ・スウェーデンモデル(当時の社会民主党政権)が“市場原理主義(小さな政府)”への丸投げに舵を切ったという一般的な理解は決定的な誤りor誤解である!」こと、より具体的に言えば「それは“産業政策面での市場原理の活用”と“国民の日常を凝視し続けるリアリズム倫理の一層の深化”という二つの方向性をオミクス生命論(地球環境保全の視座における)と不均衡動学(宇沢弘文新自由主義の天敵)の『自由の知』で調整し続けるという、実に斬新で壮大なネオ・スウェーデンモデルへの挑戦、ということであったとも言えるだろう(関連参照→新スウェーデンモデルに見る協同組合と政府「転換X」にのっとる政策その3 / 松尾匡:連載、

https://synodos.jp/economy/9541)。

 

更に、ここで参考まで示しておくべき「協同組合の組合員数に関する興味深い数字」がある。ごく大雑把に概数で示しておくと、それは「スウェーデンの消費協同組合の組合員数は約300万人(組合数は44/国民の約30%を占める)で、日本の同数(生活協同組合員数)は約6000万人(国民の約半数を占める)」ということになる(出典、

https://www.komu-rokyo.jp/arc/etc/201202rep_sweden.pdf)。

 

組合員の占有率の大きさだけからみれば、あの“協同組合の国”とさえ呼ばれるスウェーデンのイメージとは大きく異なっているが、それも只の誤解に過ぎないようだ。委細は省くが、スウェーデンの“消費協同組合の役割”は、歴史的に見ても、そのベースはまさに「リアリズム倫理」そのものである。しかもそれはスウェーデンの国家観のベースとも一致しているので、国民の間でシッカリ共有されている。従って、現状に関する限り只の廉価な食材等の調達先か、あるいは主婦のへそくりの比較的有利な投資or運用先の程度の認識に留まる日本の生協とスウェーデンのそれとでは比較にならない。

 

ともかくも、上で触れた<1970年以降の「新(ネオ)スウェーデンモデルに見る協同組合と政府「転換X」・・・>の「産業政策面での日常における矛盾や過剰の調整」を担うという最も重要な役割が“スウェーデンの消費協同組合”にはスウェーデン政府から託されているしかも、そこでは「ルールが明確で、それ自体に政権や行政権者の胸先三寸の判断の余地がないこと」というリアリズム倫理の原則が常に意識され、当事者・関係者らによってそれが共有され続けている。

 

f:id:toxandoria:20210129122731p:plainそのため「市場原理の過剰による何らかの歪みや矛盾が起こるのは当然視されており、だからこそ透明なルールと法制に基づいて喧々諤々の議論が行われる訳であり、それが調整され続けることはあって陶然のこと!」と広く理解されている。まさに、宇沢弘文あるいはジョーン・ロビンソンのベーシックな「動学経済の意義=不均衡動学」が持続的に理解され。日々に作動しており、国民の日常が適格に日々担保されているのである。

 

 f:id:toxandoria:20210129124728p:plain更に、このことを「マクロ経済・財政運営・税制・労働市場・教育など経済・社会システム全般に通じるキーコンセプト」をベースにしつつ、特にスウエーデンモデル(厳密に言えば、1970年代以降のネオ・スウエーデンモデル)の特質を抽出すると、以下のとおりとなる(湯本健治・佐藤吉宗著『スウエーデンパラドックス―高福祉・高競争力経済の真実―/日本経済新聞社P14より部分転載/プラス若干の加筆)。

 

(1)オープン・エコノミーと健全なマクロ経済・財政運営

 

(2)ITインフラの整備とイノヴェーションを生み出す戦略的研究開発(当然、潜性イノヴェーションも視野に入っている!/補記、toxandoria

 

(3)高い女性の労働参加率と子育て支援の仕組み

 

(4)包括的かつ大胆な環境政策と環境に対する高い国民意識(当然、その視界はオミクス生命論へも繋がっている!/補記、toxandoria)

 

(5)連帯賃金制度と呼ばれる労使協調型の賃金決定の仕組み

 

(6)人間を重視する積極的労働市場政策と実学志向の強い教育制度(一般教養的・コンシリエンス的な視座も併せて重視する!/補記、toxandoria

 

(7)労働インセンティブと企業活力に配慮した税・社会保障制度(日本の如き“馴れ合い&女性蔑視”の対極にあるfiduciary(リアリズム倫理)がベースとなっている!/補記、toxandoria)

 

 [本論]

 

  『非法則的一元論』に因るヒトの正体(意識の基本は嘘吐き、夢現胡乱!=ゆめうつつうろん)に照らせば、日常の基盤となるべきFiduciary(リアリズム倫理の観念)が皆無の日本は米国よりも危うい!

 

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「特効薬なし!」は、D.デイヴィドソン『非法則的一元論』によればそもそもヒトの正体は嘘吐きであるから!故にFiduciary皆無の日本は米国より危ない! →陰謀論の猛威 検閲は逆効果、特効薬なし!参考!EU報告書:"透明性"他https://ec.europa.eu/digital-single-market/en/news/final-report-high-level-expert-group-fake-news-and-online-disinformation

ジャーナリスト津田大介128朝日

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https://www.asahi.com/articles/DA3S14779614.html

https://twitter.com/tadanoossan2/status/1354671997578473475

 

論文「心的出来事」(1970)で「トークン同一説」(非法則的一元論)を主張したD.デイヴィッドソン(Donald H. Davidson/1917 – 2003/米国、W. van O.クワインに師事したネオプラグマティズムの哲学者)は、心的出来事のトークン(心的イメージあるいは何らかの表象)は物理的出来事のトークン(個々の物象的イメージまたはそれに関わる表象)と全く対等・同一であるとする「トークン同一説」(非法則的一元論)を主張している。https://oxford.universitypressscholarship.com/view/10.1093/0199246270.001.0001/acprof-9780199246274

 

<注>関連論文/行為とその合理化――共感・共同行為への問いの根底にあるもの―川瀬和也(宮崎公立大学・准教授)

https://actiontheories.files.wordpress.com/2014/05/studies_on_action_theory_3_kawase.pdf 

 

・・・

 

そのD.トークン同一説』によれば非常に残念なことだが(苦w)、<"ヒトがどんな有害な嘘を吐こうとも、それは原理(心理・生理・分析哲学)的に自由・平等"であり、そこにはなんら不思議はない!>ということになる。つまり、具体的に見れば安倍晋三菅義偉あるいはトランプらの如き「生来の悪質な大ウソ吐きの政治権力者」が、昨今の如く恰もウジ虫の如く湧き出しても何ら不思議はないことになる。

 

◆リアル・虚構、両トークン混同なる重篤な異常オミクス&幼少期ラカン鏡像型の政治的<猟奇犯罪>の病理! →「桜・前夜祭問題」一層巧妙化する安倍前首相のウソ/説明の通りであれば「森友学園問題と共通する『虚構の構図』」1226郷原信郎 Y!N
https://twitter.com/tadanoossan2/status/1342933899496673281

 

・・・これぞ我が日本が全世界に誇る「夢現胡乱/ゆめうつつうろん」(@D.ディヴィドソン)のKookで卦体(けたい)な表情!・・・

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つまり、そもそも「性善説ないしは性悪説の何れかへ大きく傾斜するものではなく、その両者の成分が同等に混然一体化していて当然である!」と、デイヴィッドソンはヒトの正体について、それを「非常にリアルに見ている」ことになる。言い換えれば、これはネオプラグマティズム哲学の特徴でもある、生命論・感情論(先端的な医学用語で言えばオミクス生命論)に立脚した視点でもあり、さらにそれは必然的に自然環境を重視する視界へと拡がる、と考えられる。

 

更に言い換えれば、D.デイヴィドソンの『非法則的一元論』が意味するのは、唯一『リアリズム倫理(fiduciary)』だけが『生来のウソ吐き人間』(又は、それを真実であると信じ切っているカルト観念ら)の天敵になり得るが、それ以外の只の抽象論あるいは観念論的な倫理だけでは、とても生来の悪質な大ウソ吐きの政治権力者、あるいはカルト観念らと癒着した強大な権力等には、到底、勝ち目がない!ということであるなお、この意味での『リアリズム倫理(fiduciary)』は、言語哲学の重要概念である「選言論(説)」を培地として、マクダウエルのリアリズム倫理と共鳴する(マクダウエルの委細は、↓★1.2を参照乞う)。

 

<注>D.デイヴィッドソン「トークン同一説」(非法則的一元論)の委細については、下記★1、又は★2を参照乞う。

 

★1 大格差、温暖化、新コロナ、トランプ残像で煩悶する世界!が、今こそオミクスと不均衡動学(宇沢弘文新自由主義の天敵)の『自由の知』、フィデューシャリーヘ果敢に挑戦する時!(5/6) https://note.com/toxandoria2/n/n99ff3ac04a42

 

★2 大格差、温暖化、新コロナ、トランプ残像で煩悶する世界!が、今こそオミクスと不均衡動学(宇沢弘文新自由主義の天敵)の『自由の知』、フィデューシャリーヘ果敢に挑戦する時!(後編) https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2021/01/10/070801

 

2  欧米トップ知と日本の決定的な落差、その核心と見るべきものは何か?

 

・・・以下は、[大格差、温暖化、新コロナ、トランプ残像で煩悶する世界!が、今こそオミクスと不均衡動学(宇沢弘文新自由主義の天敵)の『自由の知』、フィデューシャリーヘ果敢に挑戦する時!(前編)、(後編)]の(後編)6-「宇沢弘文の不均衡動学」と通底する「スウェーデン・モデル」の再発見、そしてネオ資本主義の時代へ】、および【(後編)6-結論】の部分転載。・・・

 

(前編)https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2021/01/10/050440

(後編)https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2021/01/10/050440

 

2-1「宇沢弘文の不均衡動学」と通底する「スウェーデン・モデル」の再発見、そしてネオ資本主義の時代へ

 

・・・それは、「スウェーデンモデル」(厳密に言えば、1970年頃~のネオ・スウェーデンモデル)から[ネオ資本主義、真のフィデューシャリー(fiduciary)の時代」へ進む道程である!・・・

                                                        

2-1-1 市場原理主義ミルトン・フリードマンら)の天敵!宇沢弘文「不均衡動学」の理論

 

  (宇沢弘文『不均衡動学』の鍵となる言葉)

 

宇沢弘文によれば、「不均衡動学」の新たな可能性の核心とは「それが❝社会主義の弊害(市場原理への過剰な抑圧)と資本主義の幻想(ネオリベラリズム市場原理主義への過剰な誘惑)❞という両極端への暴走を克服するための動学理論」であるということだ。言い換えれば、それは「ヒトの生命(いのち)と自然環境の持続に役立つものであるべく数理経済理論で裏付けられた動学である」ということだ。

 

だから、2020米大統領選挙でトランピズム、つまりトランプ大統領のマイファースト&アナザーファクト幻想論(ディープ・ステート陰謀論など)の是非が問われた結果としてバイデンが勝利したことの真の意味は、次のような点にある。つまり、それは渦中の「経済(学)の第三の危機=市場原理主義の暴走」に対する有意な処方箋を、確実にヒトと自然環境の持続を目指すものへと改編するためバイデン政権が書き替える、そしてそれを必ず実行すると約束したということだ。だから、今後はバイデン民主党は、愈々、そのために重大な責務を負う(fiduciaryの深化が試される)ことになったと理解するのが肝心である。

 

そして、その鍵となるのが「社会的共通資本」なるインフラストラクチャ―の充実と、その管理・運営のために必須となる「フィデューシャリー(fiduciary)の理念/換言すればリアリズム倫理」の二つということになる。つまり、この二つは❝非常に人間的でオミクス生命論的な価値観であるため、そもそもその揺籃の場でもあった自然環境を必然的に重視せざるを得ないことになる。なかんずく、その二本柱の土台と見るべき「社会的共通資本」がハイエクミルトン・フリードマンネオリベラリズム新自由主義)の、即ち市場原理主義へのリアル実在の天敵となるのは明らかである。

 

ところで、「フィデューシャリー(fiduciary)」の日本語訳は【受託者・信用上の倫理義務、又は福祉国家(又はそれをを志向する政府・行政府)の負託義務型倫理】であるが、duciaryの類語である「デューティー(duty)」は【必然の義務・務め】である。つまり、受託者として一般国民の生命を保守する義務、あるいはそのための信用上の務め、ということになる。従って、英米法上では「他者の信頼を得て行動する義務」、「他者からの信頼を受け止め、その人のための利益を念頭に置いて行動・活動するか、あるいはそのため助言をする義務」との意味になる。・・・以上の主な出典:大塚信一(元、岩波書店編集長・同社長)『宇沢弘文のメッセージ』(集英社新書)p204~ ほか・・・

 

<注>社会的共通資本 (Social Common Capital)とは?・・・宇沢弘文は、次のように説明している。

出典:https://www.af-info.or.jp/blueplanet/assets/pdf/list/2009slide-uzawa.pdf

 

概念的には、以下の三つに纏めることができる。

 

  • ゆたかな経済生活を営み,すぐれた文化を展開し,人間的に魅力ある社会を持続的,安定的に維持することを可能にするような自然環境や社会的装置.

 

  • 社会全体にとっての共通の財産であり,それぞれの社会的共通資本にかかわる職業的専門化集団により,専門的知見と職業的倫理観にもとづき管理,運営される.

 

  • 一人一人の人間的尊厳を守り,魂の自立を保ち,市民的自由を最大限に確保できるような社会を志向し,真の意味におけるリベラリズムの理念を具現化する.

 

具体的には、以下のように類型化できる。

 

(1) 自然環境 : 山,森林,川,湖沼,湿地帯,海洋,水,土壌,大気

 

(2) 社会的インフラストラクチャー : 道路,橋,鉄道,上・下水道,電力・ガス

 

(3) 制度資本 : 教育,医療,金融,司法,文化

 

* この分類は必ずしも網羅的ではなく排他的でもないあくまで社会的共通資本の意味を明確にするための類型化である

 

・ それぞれの社会的共通資本にかかわる職業的専門化集団により、専門的知見と職業的倫理観(フィデューシャリー(fiduciary))にもとづき管理,運営される。

 

・・・ 

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同じく宇沢弘文によると現代資本主義が直面する重要な課題を二つ挙げるとすれば、以下の二つになるが、これらは相互に密接な関りを持ち、お互いに因果関係を形成しているが、基本的にはそれぞれが異なる性質を持つため、異なる分析方法が求められる(宇沢弘文著作集Ⅴ経済動学の理論‐岩波書店‐)。

 

(イ)物価・賃金水準の不安定な上昇と失業との執拗な共存(そもそも、これは市場・金融・政治・行政(公共選択)らが責任を負うべき分野←補記、toxandoria)

 

・・・失業とインフレーションの共存は1970年代になってから世界の資本主義諸国で最も重要な政策課題となったものであるが、これはそもそも、我われのリアルな日常(オミクス生命論で生き続ける/←補記、toxandoria)における不均衡状態についての説明可能な分析理論を持たない新古典派経済学の必然の帰結でもある。この問題はジョーン・ロビンソンが指摘したとおりベトナム戦争のマイナスの余波がもたらしたもの(それが第二の経済学の危機の直接的な原因となったこと/Cf. →第4章-2-(1))であるとしても、更にその隙を突いて経済理論の上で覇権を握ってしまったのが新自由主義ネオリベラリズム)に基づく市場原理主義である。そして、それが「第三の経済学の危機」の肩を現在も押し続けていることになる(補記、toxandoria)。

 

(ロ)環境破壊・公害などの現象に代表される「社会的共通資本」の質的悪化と、それに伴う人々の実質的な生活水準の低下

 

・・・地域・国民・国際経済のエルゴン(±の両義的な潜性可能性の在り処)供給体制、およびその活動機能の劣化に起因する(←補記、toxandoria)社会的共通資本が、国民経済のなかでどのような役割を果たし、また価格、賃金、雇用水準、経済成長率、実質的生活水準などというマクロ経済的な指標にどのような影響を及ぼすかという基本的な設問に関しても、従来の新古派典理論は我々になんの洞察も与えていない。・・・

 

・・・

 

ところで、宇沢弘文によれば、経済学の対象となるべきものには(A)「専ら市場活動を介し変化すべき(宿命的に、そうせざるを得ない)領域」と、(B)「極力、市場活動を排しつつ保守(保全)すべき領域」の二つの基本的に異質な領域がある(この部分は、オミクス生命論における個体の"持続性に関わる見立て"の部分に相当すると思われる。/補記、toxandoria)

 

(A)の専ら市場活動を介し変化すべき(せざるを得ない)領域に該当するのが、(イ)のなかの<市場(および市場周辺)・金融・政治・行政(公共選択)らが、それらの外部環境の整備について責任を負うべき分野>であり、一方で(B)に該当するのは、上で取り上げた(ロ)のなかの<社会的共通資本、および❝既にひとたび投資され❞ており企業・家計・個人らの内部で蓄積され、いわば個体・個性の持続のため血肉化し希少化した資源(オミクス生命論の個体・個性部分の内部環境に当たると考えられる/補記、toxandoria)ということになる。

 

従って、新自由主義ネオリベラリズム)による市場原理主義が。(A)「専ら市場活動を介し変化すべき(せざるを得ない)領域」と、(B)「極力、市場活動を排しつつ保守(保全)すべき領域」の二つを諸共にゴッソリと、その名のとおり"原理主義(厳密にいえば超抽象的な市場原理主義/@ツベタン・トドロフ)"的に、あるいは狭義の❝概念飽和(Conceptual Saturation/@アンドリュー・セイヤー)"的に、その一切を市場へ丸投げするのは、いかに当論を哲学的(例えばハイエクのカタラクシー(Catalaxy))に、又は数理経済論的(例えばミルトン・フリードマンの重力理論の援用)に、果ては“預言“詐欺師風(例えば竹中平蔵!w)に喧しく主張するとしても、特に、オミクス生命論の視点(ヒトを含め凡ゆる生命は薄皮一枚の均衡でゼロサムを克服しつつ永続性・持続性を維持している!)で見れば、明かな誤りであろう(関連参照→

https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2020/03/25/042759 

https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2020/06/04/155449 

 

 

<注>「概念飽和(Conceptual Saturation/アンドリュー・セイヤー)」および「超抽象的な市場原理主義/ツベタン・トドロフ」の委細については、下記★を参照乞う。

 

★新コロナの警告/ファシズム2.0に抗い持続できる新たなイノヴェーションはエトノス&生命の一回性を「共有する自由」で繋ぐ『日常』にある(1/2)https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2020/03/25/082423

 

宇沢弘文『不均衡動学』の重要な意義)

 

◆いまだに約4割の国民?(『20210106トランプ支持派(Qアノン、ネオナチ、白人至上主義者ら)連邦議会"乱入"、死者5名』の悲劇で、トランピズム洗脳が解けたか否かを注視する必要はあるものの・・・)が選挙は不正だったと叫ぶ(共和支持層の8割が、そうであることから推測すれば)からこそ、<大格差を生む真の敵=市場原理主義の暴走>であることについて、より平易に分かり易く説きつつトランピズム陰謀論の妄想(≒カルト洗脳の病理)を解く具体策を果敢に打ち出すのがバイデン民主党の仕事!  →バイデン、過半数の選挙人を獲得「民主主義の勝利」/しかし、試練の次期政権1215

https://twitter.com/tadanoossan2/status/1338962997964800001 

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・・・宇沢弘文によるジョーン・ロビンソンへの高い評価・・・

 

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・・・画像は、https://www.azquotes.com/author/32076-Joan_Robinson より・・・

 

宇沢弘文『経済学の考え方』(岩波新書)によると、ジョーン・ロビンソン(Joan Violet Robinson/1903 - 1983/英国の経済学者mケインズサーカスのメンバー)は、その生涯を通じ弱いものや虐げられたものに対し深い人間的愛情を注ぎ、傲岸なものや卑劣なものに対しては激しい憤りをもって闘った人物である。また、彼女が経済学の研究で最も重視したのは「すべての人間の活動は歴史的な意味でのリアル時間のなかで行われるものであり、それは単なる抽象的論理が繋がる体系ではない!」ということ(これは、まさに言語哲学の選言論(説)ないしはオミクス生命論を連想させる!/補記、toxandoria)であった(↑の画像は、https://www.azquotes.com/author/32076-Joan_Robinsonより)。

 

ところで、

 

この「歴史的なリアル時間のなかで行われる人間活動のための経済学」について、そもそもの<不均衡動学>の着想の創始者でもあるジョーン・ロビンソンの紹介を兼ねて、宇沢は以下のように説明する。

 

・・・現在は変えることのできない過去と、まだ知られざる将来(未来)との間に存在する断層(ヒトを始めとする生身の生命が生きるリアル"日常"空間の謂い!/補記、toxandoria)であり、その中での関係性は絶えず動いて止まらないものである。だから、人間の行動はこの<歴史的瞬間である現在/D.デヴィドソンの"原因の空間"と"理由の空間"を想起すべき!?>という時点で行われるという観点から<不均衡動学>という新しい構造で語られなければばらない。(出典:ジョーン・ロビンソン、ジョン・イートウエル共著/宇沢弘文訳『現代経済学』-岩波書店-)・・・

 

・・・宇沢弘文の『不均衡動学』はジョーン・ロビンソンの着想を更に推し進め、深化させた成果/ et それはオミクス生命論(特に、これは労働雇用の視点の重視と関連する)とも共鳴!・・・

 

<注>宇沢弘文『不均衡動学』における<労働雇用の視点>の重視が、オミクス生命論の考え方に接近しており、それは宇沢がヴィクセルより後の時代のジョーン・ロビンソンのそれを引き継ぐためである、という理解については、当節の末尾に記した[関連資料2]を併せて参照乞う。

 

・・・

 

つまり、宇沢弘文の『不均衡動学』はジョーン・ロビンソンの着想を更に推し進めて深化させた(言い換えれば、そのリアルの断層をより科学的に観察し数理論的にそれを描写・説明した)ものである。そして、その不均衡動学の研究対象となる領域は、前節で取り上げた「(イ)物価・賃金水準の不安定な上昇と失業との執拗な共存(そもそも、これは市場(および市場周辺の外部環境)・金融・政治・行政(公共選択)らが責任を負うべき分野)」と、「(ロ)環境・公害・福祉・厚生などに関わる諸現象(血肉化し希少化した資源)の調整に関わる『社会的共通資本』」の二つになる訳だ。

 

(イ)は市場的不均衡過程の枠組みについての数学を駆使した、文字どおり動学的な数理分析アプローチが主流となる分野であるが、(ロ)の社会的共通資本については、そもそも❝それは既にひとたび投資され❞たものなので、これは繰り返しになるが、その殆どは企業・家計・個人らの内部で蓄積され、いわば個体・個性の持続のため血肉化し希少化した資源である。言い換えればそれはオミクス生命論の個体・個性部分に相当すると考えられるため、基本的には保守すべき対象としての性質が強いものである

 

とはいえ、(ロ)といえども、それはリアル社会での経済活動の繋がりとしては(イ)の分野とも何らかの目に見えにくい部分で連鎖しており、特に計測不能な潜性イノヴェーションとも深く共鳴しつつ通底している関係にあり、殆ど気付かぬ形で相互に影響し合う可能性も十分にあり得ると考えられる。但し、

 

だからといって、いわゆる市場原理主義の如く「(イ)と(ロ)を十把一絡げにして"市場原理主義論"(例えば、M.フリードマン"重力物理学(修正重力理論)"援用の動学理論、又はハイエクの"カタラクシー論"など、『fiduciaryなどリアリズム倫理の視点』を一切捨象した、只の抽象論理(or 天然キャラ的とさえ言える、両者の抽象論理"原理主義"!w)へリアル経済を丸投げする」のは、そもそも真の「ヒトのための生命論的な動学理論」であるべきとする宇沢弘文の立場から見れば明らかな誤りである。

 

(ロ)については過去の投資の歴史的な変量の一定の集積と捉えることで、これも動学的な数理分析アプローチの対象となり得る訳である。ここでは(比喩的な表現となるが)、オミクス又はエピジェネティクスという超マクロないしは超ミクロな生命環境における高分子化学の"メチル化あるいはアセチル化などの"修飾"作用が、同時に、より高次のオミクス環境の影響をも受けざるを得ないという内部環境で行われることでもあることから、これら両者が非常に広範に連鎖・共鳴しつつエコーチェンバーするという意味が比喩的に連想できさえすればよいだろう(宇沢弘文は、実はこの様なことを数理論を使いつつ的確に説明している!/宇沢弘文著作集Ⅴ経済動学の理論‐岩波書店‐)

 

つまり、オミクス生命論的な視点で動学のリアル経済環境が想像できれば、そこでは個々人の生命を出来得る限り平等(対等)に保全するため、又それと同時に「赤の女王」の誘惑に抗いつつ、毅然としてリアル生命環境トータルの持続性を保守し続けるためには、フィデューシャリー(fiduciary)の倫理観(別に言えば、リアリズム倫理)と『社会的共通資本の理念』という二本の柱が必ず求められることになる。

 

・・・シュンペーター「静態・動態」と宇沢弘文『不均衡動学』の関連性、およびミルトンフリードマン市場原理主義」との決定的な差異・・・

 

更に、ここで想起すべきは「第4章-2-(2)」で書いた<シュンペーターの静態と動態の関係についての、その相互補完的な循環構造という理解の仕方は(それはオミクス生命論的な視座を想像させる!)、後述する<宇沢弘文A『不均衡動学』(B『社会的共通資本論』(フィデューシャリーで保守されるべき!)と一体と見るべき経済理論であるということだ。

 

それは、「AとBは、前者A=動学、後者B=静学と見立てるとすれば、この両者は明らかに相互補完的な関係にあると見えるからだ。つまり、この両者は、現代のグローバル世界で、事実上、今や我が世の春とばかり恐ろしく専横な態度で跋扈する<市場原理主義(又は、❝大格差❞を倒すマイファースト英雄を騙る“トランピズム“、あるいは❝JPN追憶のカルト❞など凡ゆる陰謀論ないしは暴政のジャンル!)>に対する強力な天敵となり得る、非常に重要な経済理論として再認識すべきではないか?と思われる。>ということだ。

 

そして、そのことについては、ほぼ30年にわたり宇沢弘文の著書の9割以上を編集者として手掛けた元岩波書店・社長の大塚新一氏が、以下のような趣旨のことを大塚氏自身の著書のなかで語っている(大塚信一『宇沢弘文のメッセージ』-集英社新書-)。

 

「その経験をとおし知ることができたのは、❝不均衡動学❞という一つの大きな成果に結実したその数理経済学は、宇沢弘文の学問と人柄が一体化したもであることに因ると思われる。その点が、元祖・市場原理主義の巨人の一人と目される同じ数理経済学者のミルトン・フリードマン宇沢弘文の決定的な違いである。」

 

関連資料1

宇沢弘文の「社会的共通資本」が今、響く理由/コロナ禍で社会に本当に必要なものがわかった:占部 まり(宇沢弘文氏の長女/ 内科医)20201030東洋経済https://toyokeizai.net/articles/-/384561 

 

関連資料2

:岩井 克人 (著)不均衡動学の理論 (岩波モダン・エコノミックス 20) ・・・ヴィクセルの不均衡累積過程の理論を再構築し、新たな立場からケインズ的経済理論を展開。伝統的な「経済学的思考」への理論的挑戦であり、ケインズ主義者対古典派復活論者の論争の地平を超える。←<注>同じ不均衡動学であるが、ヴィクセルより後の時代のジョーン・ロビンソンのそれをも引き継ぐ宇沢弘文の不均衡動学」は、新古典派ケインズの両派を、特に「労働雇用の視点/オミクス生命論に近い!」において超克していると考えられる(ネオ・スウェーデンモデル型の福祉社会のベースを確保したという意味で新自由主義の天敵となり得る強固な確信を得た?)。その意味で、当然ながらヴィクセル(その最適人口論の視点)も取り込んでいる宇沢弘文数理経済学は、特に「社会的共通資本」の役割と地球環境を重視するという点において、この岩井克人氏のケインズについての読み直しとしての不均衡動学とは全く異なる位置に立つと見るべきであろう(補記、toxandoria/@『宇沢弘文著作集Ⅴ-経済動学の理論』-岩波書店-)

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 2-1-2 宇沢弘文『不均衡動学』と、古澤満「不均衡進化が解明したDNA増幅の基本』の共鳴

 

(1)宇沢弘文『不均衡動学』と、古澤満「不均衡進化(Disparity Evolution)」』が解明した『DNA増幅の仕組み(論理&実証)』の共鳴

 

<注>既述のとおりだが、<宇沢弘文A『不均衡動学』(B『社会的共通資本論』と一体と見るべき経済理論/∵AとBは、前者A=動学、後者Bとして、相互補完的な関係にあると見える!から>であり、この両者は現代のグローバル世界で一強覇権的に跋扈する<市場原理主義>に対する強力な天敵となり得る、非常に重要な経済理論として再認識すべきではないか?(オミクス生命論の視座から見える資本主義経済理論の新たな希望の方向では?)と考えられる!

 

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◆【この視座の更なる理解に役立つ二つの知見!/↓★1,2】「一神教Vs多神教」なる<分断と決めつけ>から、例えば多様性を保証する<オミクス環境・生命論 ~ Fiduciary Ⅾutyの深化>への覚醒の契機として伝統神道を理解し直すぐらいの発想転換が必須である!ということ。Cf. https://note.com/toxandoria2/n/nba47ae28eff6   https://toxandoria.hatenablog.com/entry/20180503/p1

★1 トマス・カスーリス『神道』:伝統日本文化の意義・・・その特質は、十分に水平的なプロトモダニティ(日本型リベラル共和意識)が歴史的に存在してきたということ・・・https://toxandoria.hatenablog.com/entry/20180503/p1

 

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 美と礼節の絆 日本における交際文化の政治的起源 | 池上 英子 |本 | 通販 | Amazonf:id:toxandoria:20210130115833p:plain

★2 ルイ・メナンド『メタフィジカル・クラブ』:プラグマティズムの現代的意義・・・日本でも必須と思われるネオ・プラグマティズム(“米国型リベラル共和”志向)の視点・・・https://toxandoria.hatenablog.com/entry/20180503/p1

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 ・・・ 

<注>古澤満『不均衡進化(Disparity Evolution) 』の論理は、プライマー(DNA複製時の起点となる短鎖RNAまたはDNA)を利用する「PCR(ポリメラーゼ連鎖反応/polymerase chain reactionを使う)検査」におけるDNA増幅の論理と、それを実証するための根拠ともなっている。(出典:やっと日の目を「見た不均衡進化理論」20180912 古澤満コラム、)

https://journal.chitose-bio.com/furusawa_column37/ 

 

<参考>PCR検査について・・・

[新型コロナ検査、どれくらい正確?感度と特異度の意味:酒井健司2020年3月23日・朝日、より転載]新型コロナウイルスRNAウイルスですので、最初にRNAをDNAに変換する作業がありますが、増幅の仕組みは同じです。・・・日本プライマリ・ケア連合学会の診療の手引きによれば、PCR検査はウイルスゲノムを検出するという原理から、一般論として感度(感染者を正しく把握できる割合)は低く(そこでこぼれたのが偽陰性)、特異度が高い(偽陽性と判定される割合は低い)と考えられます。初期のPCR検査で陰性だが後日陽性となった患者等の検討により、感度は30~70%程度、特異度は99%以上と推定されています」とあります。ほかの専門家のコメントでもだいたい同じぐらいです。・・・感度が70%だとすると、感染者100人に検査して陽性が70人、陰性が30人になります。この30人は偽陰性です。原理的には微量のDNAでも増幅できるはずのPCR法でも、検体にウイルスが含まれていなければ正確な結果が出ません。・・・特異度は、感染していない人に検査をして、正確に陰性という結果が得られる割合です。推定では特異度99%以上と高いです。つまり、偽陽性(感染していないのに誤って陽性に判定されること)は少ないのです。・・・https://www.asahi.com/articles/ASN3M7G1XN3MULBJ01C.html

・・・

 

まず、ここで取り上げるのは「Covid19」に関わるPCR検査そのものの性能に関わる評価」のことではない。それは二本のDNAがほつれて複製されるときに生ずる「二本の鎖」についてのことである

 

【参考動画】DNA replication - 3D



 

一般に、生物が進化する途上での変異の大部分は、DNA複製の過程で生じる。そして、一本のヒストン(DNA を核内に収納する役割を担う塩基性蛋白質)に巻きついた二本のDNAがほつれて複製されるとき、「二本の鎖」のうち一方は連続して複製される「連続鎖」となるが、もう一方は複製酵素の特異性で連続鎖と同じ方向へ鎖を伸ばすことができないので、敢えて断片状に複製されたもの(岡崎フラグメント)が結合され一本になり複製が完成する。これは「不連続鎖」と呼ばれる。

 

そして、岡崎フラグメント(DNA複製の時によって形成される比較的短いDNA断片、https://sato-ayumi.com/2019/05/06/%E3%83%A9%E3%82%AE%E3%83%B3%E3%82%B0%E9%8E%96%E3%81%A7%E5%B2%A1%E5%B4%8E%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%B0%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%8C%E5%BD%A2%E6%88%90%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E4%BB%95%E7%B5%84/)がある「不連続鎖」では、遺伝子と形態の関係が不明確であるので分子レベルでは中立説(木村資生:中立進化説/https://goo.gl/Xa5vs6)、形態レベルでは総合説として棲み分けが行われるが、形態に影響する総合説の作用と細胞レベルへ影響を与える多様な環境(ミクロ or エトノス、別に言えばエピジェネティクスまたはオミクス)との共鳴・協調・競合が窺われる(http://goo.gl/tQGcAY +補記@toxandoria )。

 

ともかくも、このうち「連続鎖」は変異の発生が極めて小さく、つまり保守的である(進化心理学上での伝達される文化、を連想させる!)。一方、「不連続鎖」は「連続鎖」合成に比べてDNA複製プロセスがかなり複雑になるため作用する酵素の種類数も多くなり、それだけ変異の発生可能性が大きく、つまり革新的・学習的であるということになる(進化心理学上での誘発される文化、を連想させる!)。

 

そして、「連続鎖」での変異の発生が比較的大きいときでも(とはいえ、それは相対的に小さいものであるので)、諸環境の変動がない場合には、やはり変異発生の比較的小さい「連続鎖」側により現状がほぼ維持(保守)・継承される。

 

 他方、もし大きな環境変動が発生した場合には、変異発生が大きい「不連続鎖」側で変動に合わせる形で<変異の閾値>を作用させて問題の解決を図る(本源部分も保守しつつ変異に併せた全体の進化プロセスを次世代へ繋ぐ)ということになる。「変異の閾値」とは遺伝情報が存在し得る一定数値の範囲のことで(それには限界があるということ!)、変異がこの「変異の閾値」を超すと遺伝情報は融解し<カオスの海>に沈むことになる。

 

恐ろしいことだが、これはアダムスミス(そもそも、それは誤解されたアダムスミスと言うべきだが!)、あるいはネオリベラリズム新自由主義)に因る、市場原理主義への十把一絡げの愚かな丸投げ行為の如き自然選択、つまり神の手に委ねられることとなる。言い換えれば、この状況はブラックエレフアントの発生による、一種のシャッフルに委ねられるため制御不能で大きなダメージを受けるか、我われ生命個体の死を意味することが連想させられる!

 

しかし、古澤満氏(発生学の進展に大きな貢献をしている研究者/元・第一製薬、(現第一三共)・分子生物研究室長)は、そう簡単に遺伝情報が<カオスの海>に沈む訳ではなく、自然選択(神の手)の役割とともに、木村資生氏の「中立的な意味での自由原理」(中立進化説)、あるいは「不連続鎖」側での<変異の閾値>の粘り強い作用の可能性が重要だとする。そして、古澤満氏は、この「不連続鎖」側での<変異の閾値>の粘り強い作用を『不均衡進化(Disparity Evolution) 』仮説(細胞エトノス環境内でのネオ・ラマルキズム?)と名付けた訳だ。

 

<注>ラマルキズム( Lamarckism)とは?

 

・・・J.ラマルク(ブルボン朝~王政復古期のフランスで活躍した博物学者)の考えを修正した進化学説。ダーウィンの進化学説が提出されたのちもラマルク思想が復活した。その説の中で「獲得形質の遺伝を主張する立場」が代表的であるが、より根本的には「生物にみられる前進的発達の生命力(一種の潜性イノヴェーション的な、又はエトノス・オミクス環境論的な、あるいは選言論(説)的な生命論理のジャンル?)を進化の推進力と考えようとする思想」を意味する。

https://kotobank.jp/word/%E3%83%8D%E3%82%AA%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AD%E3%82%BA%E3%83%A0-111150 )。

 

このDNA次元での『不均衡進化(Disparity Evolution) 』仮説を正確に理解するには、古澤満氏が種の進化過程における遺伝情報の流れ方について想定した二つのモデル、「均衡変異モデル(従来型ダ―ウイニズムのセントラルドグマ/近年までの分子遺伝学では、専ら遺伝における情報の流れはDNAを翻訳して形質が発現する一方通行であるとされていたことを指す)」と「不均衡変異モデル(Disparity Evolutionの根幹)」の違いを知る必要があるが、余りにも煩瑣になるので、ここでは説明を省かざるを得ない。

 

ところで、古澤満氏は『不均衡進化(Disparity Evolution) 』のことを「元本保証された多様性の創出」とも称していることに注目すべきだろう。これを平たく表現すれば、「保守すべき価値(価値観)および人間としての最低限の権利、歴史・文化、自然・生態・生命環境、モノ、情報などは確実に守りつつ、大きな環境変化にも耐え得る革新性を何時でも発動できるように常時スタンバイすべきであり、又そのようなスタンバイを可能ならしめる知恵をメンバー間で共有し、かつ子供・若者・子孫等へ確実にそれを継承する教育こそが肝要」だということになる。

 

また、DNA周辺の「細胞」環境を含む全ての体内環境を体内エトノス、あるいはオミクス環境と見立てることも可能であり、そのように考えれば、いずれ人間の内外エトノス環境を統一的・統合的に説明し得る「ネクスト・ステージの文化進化論、あるいはネオ資本主義論」などの可能性が、AI研究らの進化・深化と相俟って実現することになるだろう(否、そうならねばならない!)。

 

(2)グローバル市場原理主義のドグマを超え、オミクス生命論的な『Fiduciary Ⅾuty深化』への道を探る

 

・・・それは不均衡変異モデルにおける❝変異の閾値❞での<ゼロサムの赤の女王に抗う鬩ぎ合い>こそが生命持続の正体だという気付き!・・・

 

<注>"ゼロサムの赤の女王"については、「第1章‐(8)」を参照乞う。 https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2021/01/10/050440

 

◆核禁条約に参加せずの日本は真の「生命&環境」論に関わる意識が不在!オミクス生命論の視点で見れば、政治リアリズムと道徳観念(リアリズム倫理)は一向に矛盾しない!→(核といのちを考える 核禁条約、発効へ)地球に見合った科学進歩を 日本が不参加は残念!ガンダムの生みの親・富野由悠季さん1213朝日 https://twitter.com/tadanoossan2/status/1338405560073420800

 

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 https://twitter.com/tadanoossan2/status/1338405560073420800

 ・・・関連/望月衣塑子@ISOKO_MOCHIZUKI・・・唯一の被爆国でありながら #核兵器禁止条約 に批准さえできない日本政府。人類の未来に何のメッセージも残せない。恥ずかしいことだ。 核兵器禁止条約が発効へ 批准数「50」に到達、不参加日本の姿勢問われる #東京新聞 1面

 望月衣塑子さんはTwitterを使っています 「唯一の被爆国でありながら #核兵器禁画像10

・・・関連/3K独自情報!?fiduciary観念が全不在のカルト菅日本!新コロナ諸共に核の政治利用も謀るガースー! →「核の傘」日米共同声明に明記を新政権へ要求へ!首脳会談に向け新コロ感染拡大等で国際情勢が不安定化!を口実として米「核の傘」提供の明確化を狙う103産経

https://news.yahoo.co.jp/articles/9648c27e7e01b7317f6fa00f561fb5411e0458c9

・・・関連/女川ボロ原発(40年未満)も然りだが議論は尽された!と叫ぶ高浜町議会と原発推進派は傲慢&愚鈍の極み!「当」原則の原点たるフクシマ(過酷臨界事故&311大震災)を思い出せ!同意を焚付ける菅らは言語道断! →老朽原発 「40年」原則を思い出せ1126朝日社説 https://twitter.com/tadanoossan2/status/1331884678136008704 

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 ・・・関連/肝心のポイントから逃避する日本司法の根幹にはリアリズム倫理(fiduciary)が微塵も根付いていない!→福島第1原発事故、国の責任否定 津波予見できず 控訴審判断分かれる・賠償額は上積み 東京高裁121時事 https://twitter.com/tadanoossan2/status/1356726491434770432

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・・・委細の更なる検討に割くスペースがなくなってきたので、以下に[要検討課題]の項目だけを箇条書で集約することを中心に、簡単なメモ程度に整理しておく。・・・

 

(1)新たな成長理論の可能性を秘める、計測不能な「潜性イノヴェーション」の問題

 

・・・これは、経済学とオミクス生命論に通底する重要なテーマだが"そもそも市民権が未だし!"なので、一般へのその理解の普及が課題となる。・・・

 

・・・シュンペーターの「静態と動態の問題」(第4章ー2-(2))で触れたとおり、ごく平凡な多数派の人々こそが「潜性イノヴェーション/エルゴン(死勢態・潜性態)=プレ・デュナミス(プレ可動潜性態・プレ可動潜在性)」の大きな宝庫ではないかと考えられる。・・・

 

・・・なお、当記事内で見れば「潜性イノヴェーション」の問題は、特に下記の部分(第5章-2、第5章-3)との関連性が大きい。・・・

 

5-2 原因の空間、理由の空間、エトノス環境、オミクス生命論について(fiduciary duty深化のためのベースとなる考察) 

5-3 「科学知("人文・自然"両科学)および科学技術」の中庸性の問題

 

・・・

 

市場原理主義では見えないがfiduciaryで見えるものとは?言い換えれば、それが即ち潜性イノヴェーション(持続するオミクス生命の論理)! →(異論のススメ スペシャル)コロナ禍、見えたものは、不要不急と必要の間… 佐伯啓思1226朝日 https://twitter.com/tadanoossan2/status/1344400985020485634

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https://twitter.com/tadanoossan2/status/1344400985020485634

 

・・・近年の生(命)化学、量子物理学ら先端科学研究フィールドにおける生命エネルギー論では、たとえばATP(アデノシン酸三燐酸)あるいは生体中の微小管(microtubule)などヒトの意識とプレ生命エネルギーたるエルゴンの(おそらく量子論的な?)関係性が注目されつつある(Ex.@R.ペンローズ、Cf.↓★)。

 

★コンシリエンス的“想像力”に因るリアリズムの復権と自覚が必須!/バシュラール「形式的想像力・物質環境的想像力」と深く共鳴するマクダウエル「リアリズム倫理学」の核心(第二の自然)https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/09/01/165255

 

<注>潜性イノヴェーションの更なる委細は下記★を参照乞う。

 

★新コロナの警告/ファシズム2.0に抗い持続を保障する潜在イノヴェーションはエトノス&生命の一回性を「共有する自由」で繋ぐ『日常』にある(1/2)https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2020/03/25/042759

★新コロナの警告/ファシズム2.0に抗い持続を保障する潜性イノヴェーションはエトノス&生命の一回性を「共有する自由」で繋ぐ『日常』にある(2/2)https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2020/06/04/155449

 

(2)具体的な二つの展相(Potenz)の方向(事例)

 

■米国で第一ゲームチェンジャーが登場!・・・米国より日本の行動単独主義が突出したことが公共選択上の大問題!】資本主義のリーダーたる米国では公正資本主義の歴史が生きている!「20世紀初頭のニュー・リベラリズム」に学ぶ若きゲームチェンジャーたちが登場 https://note.com/toxandoria2/n/n3508558b3083

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・・・(関連)バイデンで株主第一が変わる鴨!株主第一・市場原理主義の見直しと女性重視の根源は、おそらく❝草創期❞米国史における自由を巡る民主・共和系両派の苛烈な葛藤への学びがある点も押さえるべき!正統歴史観を毛嫌う穴クロ菅❝君側の奸❞政権は他山の石とせよ! https://twitter.com/SamejimaH/status/1335340713739894787

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https://twitter.com/SamejimaH/status/1335340713739894787

 

◆米国で第二ゲームチェンジャーが登場!・・・資本主義を創る協同プラットフォーム/中世コモンズ: GAFAに問う革新的伝統で[ No time!→ We have Time! ]の逆転が可!その心はAI「情報」と「協同組合」(スウェーデンモデルの土台になっている!)の結合 et 外界の思考!/付:リアリズム法学、米最高裁オリジナリズム判事、他 https://note.com/toxandoria2/n/nf511803822cd

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(3)EUの展相(Potenz)経済学のルーツと見るべき『スウェーデン学派の北欧型人口論』が意味すること/ヴィクセル『最適人口論』から宇沢弘文『不均衡動学』へのステップ

 

<要参照資料>

◆【定常(不均衡動学)化】を織り込むEU「Potenz経済学」廻廊に無知な日本は、“間違い&ウソ”だらけアベノミクス「男の花道必3選」などにかまけず<将来人口/年率0.6%減の現実>から再出発すべき

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toxandoria.hatenablog.com

https://toxandoria.hatenablog.com/entry/20180806/p1

https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/03/05/153938

 ・・・

忘れてならないのは『スウェーデン学派、クヌート・ヴィクセルの生活水準欧型人口論(最適人口論)』が意味する(人口問題に関わる生命論的な理解とも考えられる!)ことである。 社会的共通資本とヴィクセルの北欧型人口論(最適人口論)を直接的に結び付けて論じてはいないが、宇沢弘文は「社会的共通資本」が19世紀の終り頃にソースティン・ヴェブレン(19世紀・20世紀初頭期の米国の経済学者/マルクスと異なる視点で現代産業社会を分析した、制度経済学派の創始者)が唱えた制度主義の考え方を具体的なかたちで表現したものだと書いている。

 

つまり、[社会的共通資本(宇沢弘文)、北欧型「社会福祉国家」の基盤となったヴィクセルの北欧型人口論(最適人口論)、制度経済学(ヴェブレンら米国の公正資本主義の伝統/参照、↓<補足>)]は、その土壌(一種の生命論的な経済学思想?)が共通していることになる。

 

<補足>制度経済学派または制度派経済学(Institutional School)

 

 ・・・アダム・スミスデヴィッド・リカードマルサスジョン・スチュアート・ミルなど英国の経済学者に代表される労働価値説を基礎とする古典派経済学を批判し、社会的な行動様式や集団的活動形態などの切り口から市場経済のあり方などを理解する経済学研究の一手法。ドイツ歴史学派の影響を受けつつ、ダ―ウイニズム(進化論)とプラグマティズムPragmatism/具体的な事象に即した有効性・有益性を重視する学派でアメリカを代表する哲学)の知見も取り込んでいる。

 

・・・19~20世紀初頭のアメリカ経済思想の黎明期は、レオン・ワルラス(Marie E.L. Walras/1834- 1910/スイス、新古典経済学派の祖)が活躍した時代にほぼ重なる。一方、その時代のアメリカは「プラグマティズム」と絡みつつ「制度経済学派」が台頭した時でもあり、その中心的存在がソースティン・ヴェブレン、ジョン・ロジャーズ・コモンズらであった。

 

・・・「制度経済学派」の創始者と呼ばれるソースティン・ヴェブレン(Thorstein Veblen/1857- 1929)の特徴は、「私的所有」よりも「社会資本」の充実を重視する立場であり、一部の階層が“金ぴか生活”をするための“単なる金儲けの手段”としての営利企業は“一国の産業体制そのものを管理し消費者に消費財を公正に分配する任務”(国民に一定の生活水準を保証する“社会的十分性”を担う役割)には適していないと考えた。

 

・・・一方、ジョン・ロジャーズ・コモンズ(John Rogers Commons/1862- 1945)も「制度経済学派」の代表者の一人とされるが、彼の社会改良主義的な経済思想の特徴は“アメリカ伝統の自由主義的フレームを重視しつつ、強力な労働組合運動・独占的巨大企業・公益企業などに関する諸改革の実行について、その時代の州と連邦レベルの立法・行政(Law Makers)へ大きな影響を与えた”という点にある。そして、ロジャーズの到達点は「集団民主主義」(集団内での“個別的衡平性”の実現)で社会改良を促進する「公正資本主義」 (Reasonable Capitalism)ということ(=非マルクス主義的な経済発展段階説)であった。

 

・・・いわば、これら19~20世紀初頭のアメリカ経済思想の黎明期に一世を風靡した“現代アメリカ経済思想の源流”とも見なすべき「制度経済学派」に属する経済学者に共通するのは、「社会に公正をもたらす資本主義」を実現しつつ、アメリカ建国いらいの伝統である“個人の自由原理に基づく個人の行動領域を最大限に解放し、それをより一層拡大する”ということであった。

 

(4)オミクス生命論から見える「あるべきベーシック・インカム」の問題

 

・・・それは、特に宇沢弘文『社会的共通資本』(不均衡動学と補完関係にある)を社会選択論(政策論)に具体化し、かつ補完する主柱の役割を担う・・・

 

・・・まず「ベーシック・インカムの意義は、それがそもそも不均衡動学における社会的共通資本の一環でもある」という点を理解することが肝心である。・・・

 

★参考資料/「エネルギー通貨」モデルこそ「新しいマクロ金融」のエルゴン/その一例がべーシックインカム、https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2019/09/02/124628

 

【結論】 トップ知に関する欧米と日本の決定的な落差・・・、結局は「日本のFiduciary(リアリズム倫理)不在」に尽きる!

 

・・・それによる「マネー&希少資源」浪費の象徴と見るべき病巣がゴロツキ御大尽の如き世襲議員らと眷属・郎党だらけ」の<暴政権力>支配型の国会!・・・

 

・・・つまり、それは「フィデュ―シャリー(Fiduciary Duty)/リアリズム倫理」の不在が、日本の「社会経済政策(公共選択/民主主義社会の基盤)」の決定的欠陥!をもたらしてきた、ということ。・・・

 

・・・それにもかかわらず、我われが見逃すべきでないのは、ネオ・スウェーデンモデルへの宇沢弘文「不均衡動学理論ほか」の影響の大きさ!・・・

 

<注>『暴政』に関わる諸問題について・・・

・・・「将基面貴巳氏(政治思想史研究者/ニュージーランド、オタゴ大学人文学部歴史学教授)の論考」を参照しつつ、<暴政権力>について纏めた記事(↓★)があるので参照乞う!・・・

 

★《暴政の愛国/政治的インポテンツ》から《連帯パトリオティズム》なる展相(Potenz)の「リベラル共和」へ脱出が成るかニッポン!?/「愛国の疑似宗教性」と「暴政の条件」に関わる論考(Cf.将基面貴巳806日経:文化欄)

https://note.com/toxandoria2/n/n71729a662785

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(1)フィデュ―シャリー(Fiduciary Duty観念)の重要性

 

・・・欧州(北欧:特にスウェーデン)、米国最高裁、合衆国憲法解釈、および米国プラグマティズムの限定合理主義を手本とすべき、・・・

 

・・・米欧の両者が共有するFiduciary概念のルーツは、(a)「メンガーオーストリアン(生命論的な農業経済学の伝統、更に遡ればケネーらフランス農業経済学)の影響を受けたヴィクセル(最適人口論スウェーデン)→ヴェブレン、J.R.コモンズらの制度経済学派(北米)の繋がり」、および(b)「リアリズム法学(法哲学イデオローグ)の伝統/20世紀初頭のほぼ同時期に北欧と北米で別々に起こった)」という大きな二つの流れ、と見ることができる。

 

◆国会議員が半ボランティア(対日比で約半分の待遇)のスウェーデン↓♨らfiduciaryの北欧諸国を見倣え!日本は世襲ゴロツキ議員らが傾国の存在!w →優秀な官僚が消耗!すぐ国会議員の意識改革を! 国民に犠牲を強いる前に自らを改めよ0131野口悠紀雄氏:現代ビジ https://gendai.ismedia.jp/articles/-/79725https://tatsumarutimes.com/archives/368 

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スウェーデンでは国会議員の流動性が確保されており、国民の監視下で問題対応型の政治が実現している!だから、議員が世襲や一生の仕事であってはならない!しかも国会議員には若い女性が多い!etc. ・・・

https://tatsumarutimes.com/archives/368

 

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https://blog.hatena.ne.jp/toxandoria/toxandoria.hatenablog.com/edit?entry=26006613684362346

 

・・・

・・・しかし、我が国では、本来であれば、この種のフィデュ―シャリーやソーシャル・ポリシーの根本を左右する経済史の重要な流れに関心を持つべき、主に与党の国会議員(Lawmakers)の過半数が大変な“遊び好きバカリで、しかも彼らの殆どがヤクザ同然化しており、あるいはLawmakersとして、そもそもあるべき志を喪失した、まるでゴロツキ御大尽の如き世襲議員”だらけの惨状!という水準まで、日本の国会が堕落しているのは実に悲しむべき事態である。それとも、トランピズム陰謀論「Qアノン」の信奉者が3名(上院1、下院2)も連邦議会に加わった米国よりはマシだと胸を張るべきなのだろうか?w

 

・・・それはともかく、もう手遅れかもしれぬが、これからでも致し方がないので、そのような意味でゴロツキないしは只の徒党集団化してしまった、そして「そもそもの民主主義政治と公共選択のあり方の基本」等について全く無知な(あるいは無関心な!)日本の国会議員(特に保守系を自認する)たちは、スウェーデンらの欧米諸国からフィデュ―シャリー(fiduciary)の意義について真剣に学ぶべきである。

 

(2)現在のスウェーデン・モデル周辺への宇沢弘文の影響について

 

既に見てきたとおり、重要な公共選択に関わるオミクス生命論的とも言えるフィデュ―シャリーを基盤とする二つの「経済史周辺」の流れ(a、b)は、【20世紀初頭以降の<シュンペーター、ハロッド、ジョーン・ロビンソン(ケインズ理論の本格的な”ヒトのための経済の動学化”の努力、非常に先見的でfiduciary的な観念の人物である宇沢弘文の『不均衡動学』>らによる「新古典派の静学型市場均衡→動学化→不均衡動学化」】という、新古典派の伝統経済学へ、レベルアップするための血がにじむような努力の積み重ねへ、と重なっていることが理解できる

 

なお、くりかえすが、大塚信一(元、岩波書店編集長・同社長)著『宇沢弘文のメッセージ』(集英社新書)によれば、宇沢弘文の『最適経済成長の理論(不均衡動学および地球環境(温暖化)問題に関わる研究の一環)』が、宇沢のスウェーデン王立科学アカデミーにおける研究時代(1991~)の成果を介し、その後のスウェーデンの環境関連政策、ひいてはEU欧州連合)と国連の地球温暖化問題等でベースとなる考え方へ大きな影響を与え続けている。

 

(3)スウェーデンモデル(厳密に言えば、1970年頃~のネオ・スウェーデンモデル)の新たな可能性

 

フィデュ―シャリー(Fiduciary Duty)は、日本でも嘗て流行った?モラル・ハイグラウンド(非常に観念的な道徳的卓越性の理論)と似て非なるものと考えられる。例えば小泉・安倍両政権は此のモラル・ハイグラウンドの権威?とされる高名な学者(猪口邦子)らを小泉政権以降の政治権力側が「机上の空論」なる檻の中で見事に政治利用してきた。

 

そして、その典型的な弊害の表れが、唯一の核兵器被爆国である日本の<「核兵器の開発から使用までを全面禁止する核兵器禁止条約の批准」非署名>の問題である。それは例えば↓★を参照すれば、つまり「fiduciary(リアリズム倫理)の不在が、人間社会にとっていかに異常なことであるか!」ということが理解できれば誰でもがスッキリ納得できるはずなのだが・・・(なお、既述の[ 2-1-2‐(2)]も併せて参照乞う。

 

★(再録)行為とその合理化―共感・共同行為への問いの根底にあるもの―川瀬和也(宮崎公立大学・准教授)・・・D.ディヴィドソン「"心的&物的"両トークン同一(対等)説」でリアリズムが認識できれば、fiduciary(≒マルクス・ガブリエルの外界の思考、オミクス生命論理のジャンル)の重要性がわかる!?

https://actiontheories.files.wordpress.com/2014/05/studies_on_action_theory_3_kawase.pdf

 

・・・

(関連情報)

 

◆ 自然を通底する重力とプランク定数ℎから超ミクロのドブロイ波長・円運動・粒子質量と超マクロ暗黒物質の連結は面白い。が、更に言えば超人類史のオミクス生命論(≒リアリズム倫理、fiduciary)へ誘導するヒントも欲しい!∵只管、物理科学知の実利的な利用の方向へ流されると、M.フリードマンの自由原理主義の経済理論(重力方程式の援用)と同轍(科学の政治利用&同・中立性の崩壊!)となり得る! →クエスチョン/ミクロ世界と宇宙の関係を考える 暗黒物質に挑む 人類史の視点から 東大入試問題から120朝日

https://www.asahi.com/articles/DA3S14769616.html

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https://twitter.com/tadanoossan2/status/1356121022580224000

 

【この種の"先端科学技術"等の政治利用の悪弊は「机上の空論」なる檻に囲い込まれたモラル・ハイグラウンドの敵ではない!オミクス生命論でもあるfiduciaryで対峙すべき!】関連/この❝腐食❞は日本政府のアナクロ化して歪んだエネルギー・原子力政策自体の陳腐化と超腐食で、日本国民&<原発立地>住民の<感情と経済観念>が根底で腐食中!という深刻な病巣の現れ! →建設中の核燃料工場 一部の鉄筋が腐食か 青森 六ヶ所村 | 1111NHK

 

https://twitter.com/tadanoossan2/status/1326276991184613376

 

・・・

特に日本では本物の「生のリアリズム」(オミクス生命論的な謂い!)についての理解が不十分であると思われる。菅内閣(半知性主義w or 反知性主義? つまりアナクロ・カルト政治権力)の日本学術会議マターの「病因」も、おそらく此の辺りにあるとの理解が得られる。なお、日本学術会議マターに関する論考は下★の部分に纏めてあるので参照乞う。

★ 第5章-3「科学知("人文・自然"両科学)および科学技術」の中庸性の問題大格差、温暖化、新コロナ、トランプ残像で煩悶する世界!が、今こそオミクスと不均衡動学(宇沢弘文新自由主義の天敵)の『自由の知』、フィデューシャリーヘ果敢に挑戦する時!(後編)]https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2021/01/10/070801

 

 

<補足>参考資料 

 

◆「人新世→ネオ人新世」・・・人新世は、人類の活動が地球環境を変えるまでになった現代のこと。ノーベル化学賞受賞者のドイツ人化学者P・クルッツェンが考案した新しい時代区分。新コロナパンデミックは、そのことへの自然の逆襲とも言える。更に言えば、新コロナパンデミックは自然の永続性の原理による自然自身のリカバリー活動とも見える。が、そのことから派生する犠牲を最小限に抑制するための知恵も人類は持っているので、それが発揮できるネオ新人世の到来が、まさに、今、問われている。

https://twitter.com/tadanoossan2/status/1248383067883888642

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人新世の「資本論」 (集英社新書) | 斎藤 幸平 |本 | 通販 | Amazon

●斎藤幸平:経済思想史、へーゲル哲学、ドイツ観念論マルクス主義哲学、マルクス経済学、『人新世の本論/集英社新書

 

・・・

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https://twitter.com/Tama_Goldheart/status/1005094081725255680

●川瀬和也:研究キーワード /プラグマティズム 、ヘーゲル哲学 、心身問題 、分析哲学 .ドイツ観念論 、心の哲学、行為の哲学 、『ヘーゲル現代思想/寄川条路編著、晃洋書房

・・・

  

無論、現在のスウェーデン・モデル(公共選択またはソーシャル・ポリシー)を完成形と見るのは誤りであろう。例えば、渦中の新コロナ対策では個人の自由と責任を重視するという原則に則ったものであるが、それが裏目となり特に高齢者の死者数が大きく目立つことが世界的に批判されたという現実がある。但し、それも見方しだいのようではあるが・・・(Cf.↓画像)。

 

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 https://twitter.com/AyakoMiyakawa/status/1343831932203905024

 

しかしながら、スウェーデンにはモラル・ハイグラウンドの如く只の言葉遊び(あるいは将来の見通しも深い考えも一切ない与党政治の小手先の小道具)として弄ぶのではなく、国民の日常における幸せな生活の持続ということを確実に視野に入れた、いわば"外界の思考"的な、あるいはマクダウエル『リアリズム倫理』と同じく、全く新しい倫理観とも言える、『新しい自由の知』たるフィデュ―シャリーが存在する。

 

なお、その意味でのfiduciary(Fiduciary Duty)は、既述のリアリズム法学(法哲学イデオローグ)の伝統を介し、北米(特に、党派を越えた司法観念の世界において!)とスウェーデン北欧との間で共有されている。

 

・・・そして、スウェーデンにはフィデュ―シャリー(Fiduciary Duty)の実現を目指す公共選択の階梯を一貫して着実に歩み続けてきた実績の積み重ねがある。無論、それを支えるアカデミズムには、軽佻浮薄な日本とは異なり、経済思想的な視点から有意な成果を求めて真摯に探究し、それを内外へ発信し続けるスウェーデン学派の経済学が存在する。

 

因みに、折に触れ引用してきたマクダウエルの『リアリズム倫理』とは、「道徳的実在論」とも呼ばれるが、それは「自然と対比的にリアリズム倫理を、言わば第二の本性たる実在(自然)」と見て対等に位置付けるものである。これは、マクダウエルの選言論、および「外界の思考」(@マルクス・ガブリエル)とも関係する非常に重要な概念なので、下記の部分(既述/★)も併せて理解する必要がある

 

『第5章‐2 原因の空間、理由の空間…』-(ドナルド・デイヴィドソンがマクダウエルの選言論を支持する背景)、および(<補足>ジョン・マクダウエルの『リアリズム倫理』について・・・

 

・・・ところで、フィデュ―シャリー(Fiduciary Duty)的な考え方が、欧州においては良い意味で他の国々へも波及している。例えば、目立つのはドイツの「社会的市場経済(Soziale Marktwirtschaft)」の伝統である。これは、ドイツの経済学者で、文化社会学者でもあるミュラーアルマック(Alfred Müller-Armack/1901- 1978)が構想した市場経済についての考え方である。

 

・・・ミュラーアルマックは、キリスト教的な社会論(社会倫理)とヴィクセルに影響を受けており、市場経済の結果に対する国家の影響力行使の可能性について(従って国家はその結果にも何らかの責任を負うべきする)の理念を明確に表明した。しかし、ドイツの社会的市場経済においても、その名の下に集まる経済学者は、新古典派から新自由主義までの幅があり、特に1970年代以降は「オㇽド自由主義(Ordoliberalismus)」の経済学者たちが主流派となってきた。

 

・・・因みに、オㇽド自由主義はドイツで生まれた社会・経済思想だが、端的に言えばそれはケインズ主義に反対するドイツ源流の新自由主義市場原理主義である。一方、若い世代の経済学者たちは主に米国への留学経験者が多い。そのため、英米流の新自由主義(+マネタリズム)と共に過酷な格差(勤労者のルンペンプロレタリアート化)問題への反省から、今や急速に復権しつつある?米国ニューケインジアン(価格と賃金の硬直性の背景に市場以外のファクター(おそらく潜性イノヴェーションの視点も?)を見る立場)も学んでいるはずだ。

 

・・・そのため、「20200616日経・エコノミスト/「(コロナ禍に因る)独、財政規律緩和の真相:・・・オーラフ・ショルツ氏(財務大臣)はありきたりな財政の議論から思い切って一歩踏み込み、ドイツの投資不足や依然として低賃金労働の仕事が雇用の大きな割合を占めている問題、EUにおけるドイツの役割といった幅広い議論を展開すると思われる。大きく変わらぬとしてもドイツでの議論は少なくとも変わるだろう。 https://twitter.com/tadanoossan2/status/1272947913082064896・・・」 によれば、

 

・・・許されている「記事の容量」をオーバーしたため、この後の部分は(もう少しで終わりです!)下のコメント欄に書いておきます。・・・

 

■大格差、温暖化、新コロナ、トランプ残像で煩悶する世界!が、今こそオミクスと不均衡動学(宇沢弘文/新自由主義の天敵)の『自由の知』、フィデューシャリーヘ果敢に挑戦する時!(後編)

 

 ■大格差、温暖化、新コロナ、トランプ残像で煩悶する世界!が、今こそオミクスと不均衡動学(宇沢弘文新自由主義の天敵)の『自由の知』、フィデューシャリーヘ果敢に挑戦する時!(後編)

 

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(冒頭のイメージ画像 は、https://www.pinterest.jp/marekassti/wallpaper-japan/ より転載)

 

<注>Fiduciary Duty とは?(ひとまずの意味・・・米国の法律では非常に頻繁に出てくる用語で、一般的には米国憲法上の概念とされる概念である。しかし、Fiduciaryに は日本語の統一的な訳語が存在しない。そして、そもそもFiduciaryは「Duty of Care」と「Duty of Loyalty」という2つの意味が併存する(法的な概念)である。Duty of Careは「同様のポジションにある場合に、委任された人の職業・専門家としての能力・社会的地位などから考えて、通常期待される善良な義務を負うべき立場の方の人が、より選択すべき可能性がある方法で奉仕すべき義務」ということなので、これは既成の「善管注意義務」(善良な管理者の注意義務)の訳語が対応する(日本では民法644条にある)。「Duty of Loyalty」は、「自分の利益を後回しにしてでも忠実に、当然あるべき義務を果たす」(言い換えれば、大きな自然環境の下で、たまたま希少な生命あるヒトの親という立場に置かれた自分として、当然果すべき役割と考えられる親としての義務を果たす、ということ)である。例えばFamily Lawの世界では、親は未成年の子にFiduciary Dutyを負っているので、自分の身の危険をかえりみず子の安全を守るべきだ、ということになる(参照:山本法律事務所HP)。Dutyhttps://yamamotolaw.pro/fiduciary-duty/

 

[当記事の目的]

Fiduciary (Fiduciary Duty)が「オミクス生命論の『自由の知』」へと、ある意味で必然的に深化しつつある欧米の流れ(歴史・現況・展望)の概観が、当記事の主な目的である。 特にフィデュ―シャリー(Fiduciary)に関連する部分については、随時、記事の中で詳述する。なお、「オミクス生命論の『自由の知』」(宇沢弘文の『社会的共通資本と不均衡動学』)については[6-2 宇沢弘文『不均衡動学』と、古澤満「不均衡進化が解明したDNA増幅の基本』の共鳴]で詳述する。

 

4 「第一~第三の経済学の危機」について

4-1 第一~第三の経済学の危機の概要

 (歴史的な❝経済学の危機❞の繰り返しが示唆する現行『資本主義』の限界)

 

具体的に言えば、ジョーン・ロビンソン(Joan Violet Robinson/1903-1983/ケインズ・サーカス(ケインズが一般理論の準備段階で、それを統率した5人の学者集団)の一員であるが、特にケインズ理論の動学化を率先研究した非常に先験的な英国の学者の用語である「第一の経済学の危機」は1930年代にそのピークが現れた「大恐慌」前後の時期に起こった新古典派経済理論の機能不全(正確に言えば、静態均衡に偏重し動学均衡に殆ど無知同然であった新古典派経済学に因るリアル資本主義経済の機能不全)のことを指す

周知のとおりその第一の経済学の理論はアダム・スミス以来の古典的な自由市場の経済論(特に、それは❝すべての財とサービスについて殆んど静学的な均衡しか想定できなかった新古典派経済理論の当然の帰結であり、この「第一の経済学の危機」を救済する処方箋となったのが「ケインズ革命」(静学的均衡を超えたリアルで流動的な視座の導入、つまり本格的な動学"経済学"への契機となる理論)であった。

「動学と静学」は経済理論の手法についての二分法であるが、これによって純粋理論のうえでの革命的な経済学体系を最初に樹立したのはシュンペーター(Joseph Alois Schumpeter/1883 - 1950)の「静態と動態」https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2020/06/04/155449である。また、より現実的な分析のための二分法を提起したのはポスト・ケインジアンの一人ハロッド(Roy Forbes Harrod/1900 - 1978)である。彼は、「経済成長率が一定の均衡経済を分析する手法を静学」、「成長率が変動する経済を分析する手法を動学」と定義した。

 

(現在もブレーク・スルーのヒントを与える、シュンペーターの『静態』と『動態』)

・・・シュンペーターの静態と動態の関係についての、その相互補完的な循環構造という理解の仕方は、後述する<宇沢弘文A『不均衡動学』(B『社会的共通資本論と一体と見るべき経済理論/∵AとBは、前者A=動学、後者Bとして、相互補完的な関係にあると見える!から>であり、この両者は現代のグローバル世界で一強覇権的に跋扈する<市場原理主義>に対する強力な天敵となり得る、非常に重要な経済理論として再認識すべきではないか?(資本主義経済理論の新たな希望の方向では)と考えられる!

・・・つまり、プロンフェンブレンナーのクロノシステム(Cf.第1章-(7))ではないがシュンペーターの静態と動態の相互補完関係に対し、更にヒューマンスケールの生態学的システム論(オミクス生命論へ接近?)の視点を付加することで、新たな価値創造の可能性として潜性イノヴェーションの要素も取り込んだ全く新しい資本主義の方向が考えられるのではないか?と思われるからだ。・・・

(1)『静態』

シュンペーターの『静態』の意義は先ず「静学」理論で決まる全ての経済数量を『日常』の時間の流れからいったん切り離し(より正確に言えば、仮に切り離し)、それが年々、歳々に同じく繰り返され続けるという意味での「静態」を構想(思考実験)したことにある。だから、ヒトを含む生命個体または各企業等に関わるミクロなリアル時間は仮に捨象されている。そして、その「静態」を破壊(革新)し、リアル時間での「動態」を始動するのが、企業家のイノヴェーション(革新、新結合)の遂行である。

このことについて、根井雅弘は「シュンペーターが描いた「動態」イノヴェーションでの英雄的な企業家像に心酔し舞い上がる経済人は多いのだが、「動態」の前に、先ず「静態」の基礎がなければ、そもそも「動態」での「発展理論」を体系的に指示することができないから、その基礎には、シュンペーターがオーストリアン(農業経済論的な)から学んだ理論の一部が使われていることに注目したい。」と述べている(@根井雅弘『資本主義はいかに衰退するか』- NHKブックス-)

だから、モデル概念(思考実験)とはいっても「静態」(恰も、ワンショット日常の言い換えとも見える)が全くの抽象概念であると理解するのは間違いだと思われる。老婆心で付け加えればハイエクミルトン・フリードマンらの市場原理主義は此の点を決定的に誤解していると考えられる。

更に言えば、いわゆる<市場原理主義>は、「現実=リアルな日常("原因の空間""理由の空間"のミックス」フッサール用語で言えばノエシス意識/考える作用そのもので、考える対象となるそれを意識しているか、あるいは意識していないかの別は問わないと「抽象論理="原因の空間"(同じく言えばノエマ意識/考える作用の対象となる概念)」を混同していることになるだろう(関連参照↓★)。だから市場原理主義>とは、我われのリアルの日常を凝視しているのではなく、喩えれば「夢を見ているように空しい理論」と言えるのではないか?だから、いくら大格差が顕在化して、それが助長するバカリでも平然としている訳である。

★D.ディヴィドソン「"心的&物的"両トークン同一(対等)説」(非法則的一元論) → 第5章‐2‐(ドナルド・デイヴィドソンがマクダウエルの選言論を支持する背景)

・・・

それは、例えば医学における「人体解剖の意義」を考えれば良く分かるのではないだろうか。というか、そもそも資本主義の理論が成立するよりも遥か前から、資本主義的な経済活動は、れっきとした生命体であるヒトの「衣食住」等の歴史と共に存在してきたわけだからでもある

例えば、死体となった解剖の対象は紛れもなく「静態」(死体の一部分)であるが、だからといってそれが単なる思考実験の抽象概念ではない。それどころか、確固として、その死の直前まで生命個体の一部であったものであり、その多角的(ミクロ・マクロの)な検証から、その死体(静態化した個体)の生前における生命活動の有り様がリアルに検証できる。

しかも、それに止まらず、場合によっては、その静態から今後のヒトの生命活動一般に関わる新たな発見や新たな知見(可能性、新たな知見のヒント)までもが得られるはずだ。

シュンペーターの「動態」における「最終需要財」と、「静態」(≒『日常』)における「生産」には深い関りがある。この様に入れ子的に“ミクロ⇔マクロ”で循環する考え方は、シュンペーターに限らず例えばミーゼスの均等循環経済など、メンガー以降のオーストリアンが特徴とする迂回生産論(ヒト・道具・機械らの生産手段を媒介させた消費財の生産波及効果を強調する立場)に加えて、彼らが共有する❝ある種の生命論的な空気❞の基調となっている

つまり、『日常』の片側で(生命個体内の『日常』ではミクロな生命活動に支えられることによって)人々は生産財ストック(需要側から見れば消費財)の生産活動に携わっているというリアルな現実を見据えているからこそ、シュンペーターの「静態」モデルには重要な思考実験の意義があることになる。

すなわち、シュンペーターの静態と動態の関係についての、この循環構造という理解の仕方は、資本主義(生産・市場経済)の出発点であるシュンペーターの「静態」が、只の「抽象的・観念的」なものではなく生身の人間(個々の生命体)が生活する「日常」を第一義的に重視しつつ想定したものであると理解すべきであろう

それ故、「静態」における生産要素は「労働」(生命個体であるヒト)と「土地」(エトノス自然環境)の所有(分有)者である「労働者」と「地主」しか存在しないとされ(18世紀ケネーの重農主義に近い考え方)、企業家(経営者)、資本家(金融業)、投資家(投資)は「動態」において初めて現れることになる

だから、モデル概念ではあってもシュンペーターの「静態」(ワンショット日常の言い換えとも見える)が全くの抽象概念であると理解するのは間違いであることになる。

例えば、人間を含む個々の生命(その定義については、ひとまずマクロ・ミクロの別を問わぬ夫々が接触する諸環境との間の関係性としておく)では、動・植物の別を問わず「エネルギー通貨であるATP(アデノシン酸三燐酸)」(委細/下記★参照)を介した、生命活動(個体の成長を持続させるための新陳代謝/metabolism)が活発に行われており、同時にそこには外部経済(当事者以外に±の影響がおよぶエコロジー、エントロピーなど)の問題が必ず併存する

★細胞内におけるオルガネラ(organelle/ミトコンドリアら微小器官)のATPに関わる機能分担“再配置”の如く動物と植物ではATP(アデノシン酸三燐酸/IUPAC命名法ではアデノシン5-三リン酸)の役割分担は異なる。・・・しかし、必ず個々の生命体の内部での『エネルギー通貨』(生命活動のためのエネルゲイア)の役目は共通しており、先ず、そのATPがひたすらリアル(日常の生命活動)を維持する仕事に専念しているように見える。

(参考)個体生命(真核生物)内における「エネルギー通貨(ATP)」の基本的な働きhttps://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/03/05/153938

1 ATP(高エネルギーリン酸結合/酸無水物による酸無水結合)には2つの高エネルギーリン酸結合があるが、生体内のエネルギーとしては末端の1つが主に利用されている。ATPATPaseという酵素加水分解されADP(アデノシン二リン酸)とリン酸になり、この時にATP1モル(グラム分子)当り7.3kcalの高エネルギーが放出される。 http://y-arisa.sakura.ne.jp/link/yamadaka/animal-cell/gene/ATP-1.htm 

2 ATPに蓄えられたエネルギーが放出され、生物の緒活動、例えば蛋白質等の合成、輸送、運動、発光、発電、発熱、発音などに利用される。一度ATPがADPとリン酸に分解・消費されると直ちに呼吸代謝系(光合成、呼吸・食物/+酵素(触媒))からエネルギー供給を受け、逆反応でATPが生成される。そのためATPは生体内での通貨に喩えられ、余分が生ずるとクレアチンリン酸などで貯金される。但し、この貯金(エネルギー物質)の割合は非常に小さいので、絶えず食糧(酸素、糖質、脂肪など)の形で外部からエネルギー源が供給される。http://y-arisa.sakura.ne.jp/link/yamadaka/animal-cell/gene/ATP-1.htm

3 ATP合成酵素については未知の領域が多く、無論、ATPアーゼ(アデノシン三リン酸分解酵素)」を人工的に作ることはできないが、特に複雑極まりないF型ATPアーゼ(分子量50万以上)はほぼ全生物に共通してATP合成に用いられる普遍的な酵素であることが知られており、そこには進化の痕跡が垣間見られない。https://numon.pdbj.org/mom/72

・・・

因みに、ケネー(Francois Quesnay/1694 -1774)に始まる「重農主義」(通商・交易(市場経済)の利潤ストックを重視する重商主義の対語)は、日本語で無理に「重農主義」と訳さず、そもそもの用語である「physeos kratesis(physiocracy/ギリシア語由来で、自然の秩序により統治する経済の意味)」で表記した方が、より正しくその意味が理解できる(できた!)のではないか?それを現代的に表現すれば「エトノス自然環境を重視する経済学」(内外の“潜性イノヴェーション”の世界をも視野に入れた経済学)ということに他ならないからだ。

(2)『動態』

『動態』についても簡単に要点を纏めておく。ケインズと同じくシュンペーターも、資本主義の本質を追求する目的で、絶えず「社会主義計算論争」(↓▼)を参照しつつ『静態』と『動態』の両側面への目配りをしていたと思われる。

社会主義計算論争とは?https://cruel.org/econthought/essays/paretian/socialcalc.html

シュンペーターは、先ず<誰よりも素早く新しい可能性を優れた眼で発見した者が「企業家」となり資金的な援助を「銀行家」から受けながらイノヴェーション(新結合)を実現することで「静態」の世界がは破壊され、そこで「動態」の世界が出現する>と述べるまた、<そもそも『静態』には企業家がいなかったのだが、イノヴェーションのまさにその瞬間に銀行家とともに企業家がリアル経済である『動態』のステージに出現し、その役割を終えればステージから企業家は消える>とも説明している

つまり、シュンペーターの「企業家」を何時までも存在する<経済主体>と理解するのは誤りで、その「企業家」は機能面から理解すべきだということになる。そして、更に一歩踏み込んで考えると、実は、その「動態」の舞台における<経済主体>は、『日常』で生活する多くの人々、つまりそこで圧倒的な多数派である、ごく平凡な一般の人々(市場における持続的な経済活動を支持しつつ保証する、ある意味で"一定"保全された固定的な多数派の日常生活の存在)こそが「動態」の<経済主体>なのだということになる

4-2 ジョーン・ロビンソンが指摘した第二~第三の経済学の危機

(1)ジョーン・ロビンソンの先見性

 宇沢弘文によれば「ベトナム戦争の時にほぼ重なる1960年代から1970年代にかけて「第二の経済学の危機」が世界を襲った」と、非常に先験的な経済学者であったジョーン・ロビンソンは説いた(@宇沢弘文『経済学の考え方』‐岩波新書)。

つまり、第一の危機から約40年を経た世界の資本主義経済は、再び、不安定と極度の不均衡による大混乱に襲われた。この時、第一の危機に対し有意であったケインズ主義(本格的な動学均衡の理論への序章)は殆ど有効性が失われたと見なされ、このようなベトナム戦争の大きなマイナスの余波を受ける最中にケインズ主義に変わり1970年代から本格的に台頭したのが新自由主義に由来する「市場原理主義」(錯誤の!あるいは、"ひたすら夢を見続ける"が如き<エセ動学均衡理論>とでも見るべき代物!)である。

そして、1980年代以降から現在に至る約40年間は新自由主義(非生命論的な超抽象論理に支配された市場原理主義)が資本主義のリーダーとして我が世の春を謳い続けてきたかに見えるが、その深層(実は、只の夢想ならずオミクス生命論理で持続するリアル経済社会、市民経済の『日常』)では「深刻な大格差」(極度な不均衡の現われ)が益々拡大しており、愈々、本格的なAI‐Web時代の到来が喧伝される昨今では、漸くのこと!新自由主義(市場原理主義)そのものの有効性を根本から疑わざるを得ない事態、つまり今や我われ人類が、「グローバル市場原理主義に呑み込まれた「AI機械高度生産性Vsヒト(ヒューマンパワー)生産性」がもたらす<本源的(根本的)ないしは本態的(原因不明)とも見える大格差>を更に過激に助長するという異常な状況に追い込まれている

まさに、これは資本主義の経済成長理論(economic growth theory/持続的な経済成長の要因に関わる分析と説明を試みるマクロ経済学の一分野)の根幹に関わる、実に深刻な「第三の経済学の危機」の時代である。それは、いわば肝心のオミクス生命論に見合う真の不均衡動学が無視され続けている時代とでも言うべきであろう。しかも、そのタイミングで2021年の世界経済は新型コロナウイルスという「ブラックエレファント(黒い象)」襲われ深く傷ついている

(2)[シュンペーター、『静態』と『動態』]の再発見による資本主義の新たな可能性

シュンペーターの静態と動態の関係についての、その「相互補完的な循環構造」という理解の仕方は、後述する[宇沢弘文A『不均衡動学』、B『社会的共通資本論』]とも通底すると見るべき重要な経済理論である。

それは、仮にAとBについて「前者A=動学、後者B=静学」と見立てるとすれば、この両者は明らかに相互補完的な関係にあると見えるからだ。言い換えれば、この両者は、現代のグローバル世界で、事実上、今や我が世の春とばかり、恐ろしく専横かつ傲慢な態度で君臨する<市場原理主義>に対する強力な天敵となり得る、非常に重要な経済理論体系として再認識すべきではないかと思われるからである。

つまり、既に述べたプロンフェンブレンナーのクロノシステム(Cf.第1章-(7))で見たとおりシュンペーターの静態と動態の相互補完的な関係に対し「リアル・ヒューマンスケールの生態学的システム論」の視点を付加することで、更にその上に新たな価値創造の可能性として殆ど計測不能な「潜性イノヴェーション」の要素も取り込むことで、従来の発想とは全く異なる、例えば<オミクス生命論的な新しい資本主義の方向性>が考えられるのではないか?ということになる。・・・

・・・その具体的な内容は、以下の[第6章-「宇沢弘文の不均衡動学」と通底する「スウェーデン・モデル」の再発見]そして[ネオ資本主義、真のフィデューシャリー(fiduciary)の時代]へ続く・・・

【参考】『コロナと資本主義 再生への道:「黒い象」 向き合う株主/感染症や気候変動 リスク直視20201130日経』より部分転載

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO66775510Y0A121C2MM8000%E3%80%80
・・・株主第一主義への自省となれば本物だが!(toxandoria) ・・・

・・・新型コロナウイルスの感染拡大で世界は深く傷ついた。死者数は140万人を超え(20201201現在)、経済は大恐慌以来で最悪の状態に陥った。感染症対策の貧弱さも露呈した。そうしたなかでも苦難を乗り越えようとする動きが始まっている。資本主義を強く、しなやかに進化させることが再生への力となる。・・・<注>世界の死者数は、(20210106午後8時時点)で186.9万人に達している!https://www.afpbb.com/articles/-/3322610

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・・・

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因みに、黒い象(ブラック・エレファント)は、いつか起きるのが明白であるにもかかわらず、見逃しようがないほど大きな、しかし放置されてきたリスク問題を指すが、そもそもは米国のジャーナリスト、トーマス・フリードマンが著書『遅刻してくれて、ありがとう/日経出版』の中で地球温暖化などに関わる用語として造語したもので、それは想定外の危機を意味するブラック・スワン(黒い白鳥)から連想された(きょうのことば20201130日経  https://www.nikkei.com/article/DGXKZO66789230Q0A131C2NN1000)。

[所見/toxandoria]

敢えて関連性を持たせて併記した此の二つの日経記事(↑)は、新型コロナウイルスの感染拡大が、期せずして<非常に深刻な「第三の経済学の危機」の時代>をクローズアップさせたことを的確に捉えていと思われる。しかし、そこには<だからこそ、決して。今こそ見逃すべきでない!>と思われる重要な問題意識が二つ欠落している。

それは、(1)「市場原理主義(株主資本主義)の有意性の限界」と(2)「エトノス環境論(又はオミクス生命(環境)論)」という二つの新しい観点(切り口)である。これらの問題意識の委細は後述することになるので、ここでは箇条書(イ)~(ニ)での整理に止めておくなお(1)「株主第一主義の限界」については、宇沢弘文が「経済動学の理論」で先験的にかつ詳しく触れている(『宇沢弘文著作集Ⅴ-経済動学の理論』-岩波書店-)。

市場原理主義(株主資本主義、株主第一主義)の限界-

(イ)【株主資本主義の問題1/❝株主資本主義の有意性の限界❞】株主至上主義からステークホルダー資本主義へ見直しの機運高まる・・・[参考資料]質的変化を迫られる資本主義̶ステークホルダー資本主義への転換は進むか̶:三井物産戦略研究所、https://www.mitsui.com/mgssi/ja/report/detail/__icsFiles/afieldfile/2020/04/14/2004d_shimada.pdf

(ロ)バイデンで株主第一が変わる鴨!株主第一・市場原理主義の見直しと女性重視の根源は、おそらく❝草創期❞米国史における自由を巡る民主・共和系両派の苛烈な葛藤への学びがある点も押さえるべき!正統歴史観を毛嫌う穴クロ❝君側の奸❞政権は他山の石とせよ! https://twitter.com/SamejimaH/status/1335340713739894787

<注>およそ❝草創期❞米国史の後半に当たる西部開拓・南北戦争ごろのアメリカは「制度学派(宇沢弘文が重視するS.ヴェブレンら厚生経済学)Vs限界学派(ジョン・ベイツ・クラークら新古典派経済学)」による経済論争の時代でもあった(Cf. https://www.princeton.edu/~tleonard/papers/Clark.pdf ほか)

画像12

https://twitter.com/SamejimaH/status/1335340713739894787

(ハ)【株主資本主義の問題2/=新自由主義(市場原理主義)が敢えて(?)無視し、または見落としてきた等閑視されてきた「計測不能な潜性イノヴェーション」の問題・・・[参考資料/再録]新コロナの警告/ファシズム2.0に抗い持続を保障する潜性イノヴェーションはエトノス&生命の一回性を「共有する自由」で繋ぐ『日常』にある(2/2)https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2020/06/04/155449

-エトノス環境論(又はオミクス環境論)-

(ニ)ブラック・エレファント(黒い象)とブラック・スワン(黒い白鳥)を対比する観点」の重要性・・・前者は主に「自然エトノス(オミクス生命(環境)論1)」、後者は主に「文化エトノス(オミクス環境(生命)論2)」と関係が深いと考えられる!

[参考]市場原理主義の❝限界❞」から「水素エネルギー万能論なるモノポリー・リスク(結局、運次第となり得る独占の陥穽)を連想する(想像力を働かせる)ことの勧め

・・・【水素の色の問題】それは自然環境の多様性とエネルギー多様性(エトノス・オミクス、および潜性イノヴェーション)、水素の安全性確保(ブラック・エレファント)などの問題・・・[参考資料]↓★・・・

★2050年 水素の「色」とは? 1129朝日社説・余滴https://www.asahi.com/articles/DA3S14712972.html

【水素の色】ドイツ政府は生成方法により水素を以下の4つの「色」に分類し、区別している。グリーン水素で世界の水素利用牽引役を目指すドイツ | 地域・分析レポート - 海外ビジネス情報 - ジェトロhttps://www.jetro.go.jp/biz/areareports/2020/e8e7735fb91b5047.html

ターコイズブルートルコ石のブルー):明るい青緑職- Bing https://www.bing.com/search?q=%e3%82%bf%e3%83%bc%e3%82%b3%e3%82%a4%e3%82%ba%e3%83%96%e3%83%ab%e3%83%bc&qs=AS&pq=%e3%82%bf%e3%83%bc%e3%82%b3%e3%82%a4%e3%82%ba&sk=HS1&sc=8-5&cvid=BB69CA2DF2A7418FBE2DD9CA2BCE6B83&FORM=QBRE&sp=2

一方、「酒は百薬の長」の喩えもあるので脱炭素の主役たる水素に4種類の色分類があることにも似て、要はたしなみのプロセスに多様性を持たせるという、一種の心のゆとりをも意識すべきではないか?そして興味深いことに此のような着想は脱「市場原理(主義)」にも応用が可能では?https://twitter.com/tadanoossan2/status/1333040729396920321

水素エネルギーとは?メリットや課題、将来性、企業の事例を解説! https://taiyoko-ch.com/knowledge/hydrogen-energy.html

★~特集~ 水素社会は本当に実現するのか?https://www.smfg.co.jp/responsibility/report/topics/detail108.html

水素社会を意識するのであれば、グリーン水素の生成↓♨にこそ傾斜すべき! それは、例えば「天然ガス由来のアンモニア燃料❝加工❞の過程でCO2が発生するうえ、その再利用CO2残油田地下へ注入する(原油増産が目的)のでは、同時に❝減速&加速❞するという只の逆噴射となるから! →エネ企業、脱炭素の条件/水素社会担う決意を1129日経 https://twitter.com/tadanoossan2/status/1333620626104279040

5  触知型崇高美を重視するバーク流「正統保守」が新たな希望への出発点

5-1 バーク流❝正統保守の原点/そもそも触知型崇高美を重視する「正統保守」とは?

・・・「触知型崇高美」(バーク流❝正統保守)への無理解で「擬装右翼の暴政」に凌辱される日本国民の不幸・・・https://toxandoria.hatenablog.com/entry/20080813/p1

 

(触知型崇高美と仰視型崇高美の差異について)

・・・ここでは、バーク流❝正統保守の原点としての触知型崇高美の問題を考える。・・・

保守思想の父とも呼ばれるエドマンド・バーク(1729 -1797/イギリスの政治思想家/ダブリン生まれのアイルランド人、英国の下院議員となり、後にホイッグ党の幹部まで上り詰めた人物)が、弱冠28歳のときの著書『崇高と美の観念の起源(1757)』で主張したのは、18世紀にアンシャン・レジーム下のフランスで大きく開花した啓蒙思想の「理知的な明晰さこそが芸術に必須の本質だ」という超観念的、超抽象的な主張に対する反論と考えることができる。

なお、そもそも啓蒙思想は17世紀の英国で芽生えたといえるが(トマス・ホッブズジョン・ロック)、それは17~18世紀の英仏における諸思想の交流史のなかで誕生し、熟成されていったと理解すべきであるhttps://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/11/30/184331 ↓

つまり、視点を変えると仏大革命前夜からその勃発の頃に当たるバークが生きた時代は、17世紀後半~18世紀にかけての欧州「啓蒙思想」期の前半(初期啓蒙思想期)とほぼ重なっている。そして、この時代の主な思想家としては英国のホッブス、J.ロック、スコットランドのD.ヒューム、フランスのヴォルテールディドロモンテスキュー、J.=J.ルソーらが先ず想起される。

それは「聖書・教会、神学、王権」ら諸権威のドグマ(固定観念)から脱出し、理性によって人間の意思(意識)と権利の「普遍性」を定義し、その保全のための政治体制(民主主義社会)を創造する思想活動であった。そして、ほぼ同時にその流れを補強したのが、17世紀の「科学革命の時代」と呼ばれる時代である

また、その命名の契機となった出来ごとは英国の歴史学者ハーバート・バターフィールド(Herbert Butterfield/1900 - 1979)が、1949年の著書『近代科学の誕生』㋨なかで17世紀を「科学革命の時代」と名付けたことにある。具体的に見れば、それはN.コペルニクス、J.ケプラー、G.ガリレイ、A.ニュートンらによる科学研究上の大きな変革のことを指すが、その影響を受けた哲学上の変化も含め、この時代は「17世紀科学革命の時代」呼ばれることもある(厳密に見れば、それは18世紀前半ごろまで入る)。

また、啓蒙思想の歴史を顧みると、その一部分では宗教とも重なる「感情の問題」に関わる一定の冷静な理解の確保は、カントによる“情念統制理念、論理構成理念”の考え方の登場を待たなければならなかった。そして、最もテンポラリーなテーマとして、それはオミクス生命論とも共鳴しつつfiduciaryの問題に重なることになるのだが、それについては、また後で触れることになる。

なお、ここで言う「感情の問題」とは、善と悪のように両義的な性質が共存するコヒーレントで不分明な混沌たる感情・情念の世界のエルゴンの問題を指しており、その底流に潜むのがかのダス・エスの問題であった!(関連参照/→第3章-("二つのエス"の問題))

因みに、カントによる“情念統制理念、論理構成理念”の考え方とは、下記a、bの意味であるが、委細は下記↓★を参照乞う。

a:情念統制理念:たとえ実現の可能性から離れているとしても、持続的に目指すべき“方向性”(一定の統制された情念に基づく ↞後づけ的に見れば"二つのエス"の問題のバランス統制と言うべきかも? )

b:論理構成理念:論理と実践によって徐々に実現されるべき内容

★カント「情念統制、論理構成」の峻別、それは「普遍」観念を培地とするリベラル共和主義の理解と深化に必須の条件、https://toxandoria.hatenablog.com/entry/20180307/p1

かくして、触知型崇高美と仰視型崇高美」の問題を考える背景が出揃ったことになる。それは、"崇高美に憧れる"という感情の作用としては殆ど同じもののように思われるが、これら両者の何れを重視するかという、当初における其のわずかの角度の違いが後々になり致命的な違いとなって表れる。そこにこそ"触知型崇高美の重要な意義"が隠されているのである。

桑島秀樹著『崇高の美学』(講談社選書メチエによると、西欧における崇高という用語の最も古い事例は、3世紀・アテナイの修辞学者ロンギノス(Kassios Longinos)の著書と信じられてきた文体論(修辞学の書/実際は1世紀頃に書かれた作者不明の偽ロンギノス文書)である『崇高論/ Peri Hypsus』に見られるようだ

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ともかくも、このロンギノスの「崇高」を修辞学から解放し、美的概念として再定義したのが18世紀英国のエドマンド・バーク(Edmund Burke/1729-1797)である。又、そもそも崇高(英sublime)の原義は「山岳の高さ、高み」のことであったとされる

バークは美学論でデビューした哲学者・文章家・演説家でもあり、名著『フランス革命の省察』(みすず書房)でフランス大革命を批判したため「保守主義の父」として名高い訳だが、上の『崇高の美学』の著者である桑島秀樹氏(広島大学・大学院人間社会科学研究科教授)などもその立場だと思われるが、単純にバークを「保守主義の教祖」に祀り上げるのは誤りのようだ

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一方、ほぼ同時期に同じく大動乱の時代のドイツ(オーストリア継承戦争・七年戦争・ポーランド分割などの時代の)で生きた哲学者カント(Immanuel Kant/1724−1804)は、ある意味でバークの美学を継承・発展させつつ「美の批判の学」(通称、カント美学)を完成させたとも言える

初めは啓蒙主義による理性への期待をもたせた大革命後のフランス社会が過激な暴力装置と化すのを目の当たりにしたカントは、おそらくバークと同じく、人間が持つ底知れぬ 悪徳と自己矛盾、理性と軍事・科学技術そして資本主義社会(産業革命)が犯す誤りを観察することになったようだ

そして、カントは先ず何よりも人間社会に“不安と混乱”をもたらす「悪」の存在を著書『宗教論/第1編・根源悪』で凝視することになる。このような視点からすれば、おそらくバークとカントのフランス大革命についての見方には、それほどの大きな違いはなかったのではないかと思われる。つまり、彼らは「過剰に抽象的な合理性に傾斜しすぎた理性主義=デカルトが代表する近代主観主義」が犯す誤りについての危惧を共有していたのではないかということである。

バークによれば“偉大な芸術は世界の無限(≒根源的な自然)を志向するもので、その無限には果てがないのだから芸術は明晰でも明瞭でも(明晰な仰視型の抽象性、いわば仰視型崇高美への憧れだけで実現できるものではあり得ないのである。

つまり、これこそが偉大な芸術を小さな範囲に囲い込むことができない理由であり、それは、我われが視覚的あるいは抽象論理的に明快さだけに傾斜した表現よりもより暗示的で暗黙知的な、もっと言えば皮膚感覚的な表現に優れた芸術(いわば触知型崇高美)の方に強い感動を覚える理由なのだ”ということになる

そして、このバーク流美学のパラダイムこそが英国の正統保守の基礎となってきたと考えられるのである。結局、英国政治の「正統保守的」な伝統は、その悠久の歴史プロセスにおける保守と革新(改革)の絶妙なバランスによって有機的(現代風に言えばオミクス生命論的)に再生・再組織されてきた秩序の伝統だということになる

因みに、Brexitについても此のような角度から分析を試みれば、また新たな視点が拓けるのではないかとも思われる。その伏線となるリベラル共和主義とバーク流正統保守の接近の道程としてのfiduciary の問題]については次節および第6章で少し触れることになるが、その意味でのBrexitについての論考は、また別の機会としたい

◆【BREXIT進展か?】英・EUがFTA締結で合意、関税ゼロ継続へ…土壇場で経済の混乱回避1225読売、https://news.yahoo.co.jp/articles/6035539e28669c17408ec93df864de43531fb5c0

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https://twitter.com/YahooNewsTopics/status/1342125971571294208

(ミメーシス(mimesis)の美学と正統保守の問題)

・・・アンドレア・デル・サルト『ミメーシス美学』が暗示する、政治的自己免疫“暴走”への特効薬たる正統保守(偽装極右の天敵)の役割)・・・

正統保守が掲げるべき究極の理想(エンテレケイア)はリベラル共和! より厳密に言えば、それはリベラル共和なる永遠に未達のエンテレケイアの下で、そこへ至る道程"充実"の責務(fiduciaryのリアリズム倫理)を絶えず自覚し、謙虚に、かつ積極的にその推進への取り組みを持続する」ということhttps://note.com/toxandoria2/n/n5f6592ea88e5

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Andrea del Sarto(1486-1531)『アルピーエの聖母』「Madonna of the Harpies」1517 Oil on wood  208 x 178 cm Galleria degli Uffizi 、 Florence

一般にミメーシス(mimesis)は「模倣」と訳されるが、そう単純なことではない。「近代主観主義」の特徴は「自然を制御可能なものと見做す科学還元主義的な考え方」に立つことである。この発想からすれば、人間主観の権化たる大天才の出現によって科学的視点が革新(新しい理論の発見、科学技術の創造、イノベーション)され(あるいは。計測不能な潜性イノヴェーションの契機となり)、レオナルドやミケランジェロのような天才芸術家によって人間のための偉大な芸術が創造されることになる。ところが、古代ギリシアのミメーシスは、このような考え方と正反対の立場であることが分かってきている。

つまり、古代ギリシアの概念であるミメーシスが意味するのは、端的に言ってしまえば、それは「自然世界の本質的なものについての部分的な発見や気付きを強化的に再現し、再提示する」ということである(出典:青山昌文著『美と芸術の理論』(日本放送出版協会)、p18-19)。

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つまり、これは「近代主観主義」(近代主義の呪縛)への反証であり、これによって芸術についての実在論が反転することになる。結局、絵画に限らず凡ゆる芸術作品は人間の主観が構成するのではなく、この自然世界に際限なく広がる本質的なるものを「ミメーシスの努力」によってその奥深くからすくい上げ、それを「鑑賞者の目前で強化的に出現させる」ものだということになる。

・・・繰り返しになるが、バーク「崇高と美の観念の起源」(みすず書房)によれば、偉大な芸術は世界(自然)エトノス(委細後述)の無限を絶えず志向するものであり、無限には果てがないから芸術は“矮小な人間の尺度に過ぎない明晰さでも明瞭さでも”あり得ない。だから逆説になるが、それこそが「偉大な芸術を小さな範囲に囲い込むこと」ができない理由なの

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また、それこそ我われが明快に表現されたものより暗示的・暗黙知的な芸術(触知型崇高美を感じさせる芸術作品/例えば、アンドレア・デル・サルト、レンブラント、フェルメールなど)の方により一層大きく強い感動や魅力をおぼえる理由なのだ。なお、この論点は計測不能な「潜性イノヴェーションの問題」にも関連することになる(関連参照↓◆)。
◆新コロナの警告/ファシズム2.0に抗い持続を保障する潜性イノヴェーションはエトノス&生命の一回性を「共有する自由」で繋ぐ『日常』にある(2/2)https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2020/06/0

このバーク流の美学こそが「英国の正統保守政治」を基礎づけたと考えられる。保守を騙りつつ「内向的で傲慢極まりない元安倍政権と菅政権、そして日本会議ら」との何たる違いか!このような観点からすれば、渦中の安倍晋三・菅義偉ら異常なウソ憑き(吐きw)政治権力者どもの悪しき行状の山が非常に深刻な政治的自己免疫の“暴走”以外の何物でもないことが分かり愕然とする。

永遠にアベの堂々巡りパラドクスに呪われる美しい日本!オレは安倍と同じ嘘吐き穴クロ仲間ダ!それが何だヨ!と菅も堂々宣った!こ奴らは完璧に国民を舐めている! →開き直る菅首相:桜は「他の政治家の活動だ」事態には一切説明せず名簿再調査も否定!1224朝日 https://twitter.com/tadanoossan2/status/1342200347717033986

開き直りスガ2

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結局、英国保守政治の伝統は、その悠久の歴史における保守と革新(改革)の絶妙なバランスによって、エトノス環境である大自然との交流・交感のプロセスで有機的に組織されてきた、着実に未来へつながる秩序であるということになる。

バークが言う「悠久の歴史における保守と革新の絶妙なバランスにより有機的に組織された秩序」とは、古代ギリシア・ローマ〜古代末期〜中世〜ルネサンス〜初期近代〜近代〜現代という悠久の時間の流れのプロセスで「英々と積み上げられてきたミメーシスの努力の繰り返し」と見做すこともできるだろう。

このように真摯な努力の積み重ねによる漸進的な改革を重視するという古典主義(バーク流の保守主義)のコアとなっているのは、無限の世界(広大無限の自然)への「怖れ」の感情と、その恐るべき世界に対する「不安」であると考えられる。また、このような「不安」があればこそ、人間は自然と世界に対し謙虚になるべきだという「英知を伴う心性」(限定合理主義を尊重する、真の科学主義の精神)が生まれる訳だ。(関連参照↓◆)

◆AIの正体を知れば哲学が分かる!上っ面のAI崇拝は豚に真珠/AI批判「知」の “活用”で「ヒトがやるべき仕事」の発見と「壁《AI Vs ヒト》」の切り崩しができる https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/05/19/040514

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・・・所有者からの寄託を受け、2015年3月から『聖プラクセディス』を展示している国立西洋美術館は、研究者の間で意見が一致していないことを理由に、作者名に関して「フェルメールに帰属」と表記して展示している(画像・文ともウイキより転載)。

5-2 原因の空間、理由の空間、エトノス環境、オミクス生命論について

 

・・・fiduciary duty深化のためのベースとなる考察・・・

・・・ここでは心の哲学のフィールドで重視される「原因の空間、理由の空間」の切り口から、人間社会のエンテレケイア(究極の理想)と見るべきフィデューシャリー(fiducuary)の充足へ至る道程で特に重要なキーワードを取り上げておく。・・・

 

(原因の空間と理由の空間)

先ず、「原因の空間(エトノス環境1/厳然たる客観としての環境(自己を含む諸個体の集合とも言える)=おもに自然科学の対象となる分野/論理性」と「理由の空間(エトノス環境2/因果的な関係性)=おもに人文科学の対象となる分野」という、異相の二つのエトノス環境(時間の流れに沿った両者の交点がリアル日常)についての気付きが非常に重要となる。なお、後で直ぐに、その委細を取り上げるオミクスとエトノスについては、とりあえず「オミクス=ヒトの内外に拡がる生命環境」、「エトノス=ヒトの内外に拡がる自然・文化両環境」としておく。

<注>エトノスとの関連で、当記事の冒頭に記した[当記事の目的]も併せて参照乞う。

原因(因果性)の空間・・・量子ワールドを含む自然、外形的な生命個体など、いわば偶然の組み合わせによって無限に創成される多様な物理的・物象的世界の集合的な写像イメージ。(パースのトークンにほぼ対応する)

理由(関係性)の空間・・・無限の多様性に満ちたリアル生命の個体内環境、言語、文化、科学知、司法・行政、公共選択(社会制度)、社会的共通資本、企業、その他の社会構造など、いわば関係性と論理が無限に創成する多様性の世界の集合的な写像イメージパースのタイプにほぼ対応する)

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<注>パースのタイプとトークン・・・パース(Charles Sanders Peirce/1839 – 1914/米国の哲学者、論理学者、数学者、科学者/プラグマティズム創始者)が提唱したタイプ(脳内で自由に変容する可能性がある概念そのもの)トークン(その概念と対応関係にある、確固たる実在としての因果の連鎖に縛られる特定・個別の対象)の区別(Type-token distinction)という考え方がある。

<参考>「選言説Vs概念説」の緊張関係がヒントとなる「AI時代の民主主義の新たな可能性」についてhttps://toxandoria.hatenablog.com/entry/2019/09/02/125305

 

ドナルド・デイヴィドソンがマクダウエルの選言論(説)を支持する背景)

・・・結局、デイヴィドソンもマクダウエルと同じく「選言論(説)」を採っていることになる。・・・

 

・・・以下は、下記の【参考情報に倣いつつ、所見を纏めたものである。・・・<注>[第3章 -(ポストトゥルース Vs ファクトチェックの問題)]も併せて参照乞う。

 

D.ディヴィドソン「"心的&物的"両トークン同一(対等)説」に照らして見ると・・・この鬼滅の刃」が驚くべき社会現象であるとしても、もし市場原理主義が喜ぶガス抜き効果という只それだけのこと!」で終わるならば、三匹のリアル鬼(Covid‐19、安倍晋三菅義偉)は絶対に死滅しない! →映画「鬼滅の刃興行収入歴代1位に 「千と千尋」抜く | 1228NHK https://twitter.com/tadanoossan2/status/1343645435362086913

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(D.デイヴィドソン『非法則的一元論』が意味するのは、唯一『リアリズム倫理(fiduciary』だけが『生来のウソ吐き人間』の天敵になり得る!という現実

・・・下記【参考情報】の解釈的な紹介による・・・

 

【参考情報】行為とその合理化――共感・共同行為への問いの根底にあるもの―川瀬和也(宮崎公立大学・准教授)https://actiontheories.files.wordpress.com/2014/05/studies_on_action_theory_3_kawase.pdf 

・・・

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ドナルド・デイヴィドソン(Donald Herbert Davidson/1917- 2003/米国の哲学者/最も著名な論文は『行為、理由、原因(1963)』)によれば、現実的には、個々人の心理面におけるこの両者の対応関係は一筋縄では行かない(デイヴィドソンの画像は、https://www.s9.com/Biography/davidson-donald-herbert/ より。

そこで、例えばある固有名詞(特定タイプの言語表象)ら多様な言語表象の組み合わせに因る一定の言語表現(厳密に言えば、それによる或る人の心的理由の説明)は、必ずしも因果論的ないしは論理的に首尾一貫性を確保するとは限らないことになる。いわば、個々人の内心それ自身は常に多様性に満ちていることになる。)。

別に言えば、如何に客観合理性を謳うとしても、安定的に、それが中立性・公平性を担保するのは非常に困難であることが理解できるはずだ。ましてや、何か絶対的に梃子でも動かぬソリッドな固定観念か何かが自己の中核的で、個性的な生命力の正体だと理解することはできないといえる。逆に言えば、個々の個性的な一回性は個々の関係性にこそあることになる。

実は、このような点にこそ、マクダウエルが「選言説」(intentionalism/必然的に脳内外の諸環境の干渉の影響下にある感情こそがヒトの日常言語における固有名の一義的な意義と概念の形成に先行すると見る立場/その極致が、いわば“恰も感情と表象が一体化”しているが如き純粋経験としてのアプリオリで居丈高なプラトニズム)と「概念説」(表象説、概念相対主義/relativism/その極致が、いわば露骨な自然主義)に関わり、これら二つの視座の融和・和解に因る真のリアリズムの自覚を取り戻すこと(それによって真のリアリズムを復権させること)が、愈々、必須である!と警鐘を鳴らす根本的な理由がある。しかも、この論点は現実的に現下の国際政治の局面(言い換えれば、世界の民主主義と世界経済の行き方を占う!?)にも絡んでいることが理解できるはずだ。

 

・・・宇沢弘文「fiduciary」(委細後述)と通底する「選言論」(およびマクダウエル『リアリズム倫理』)の重要な意義 ・・・

 

つまり、今まで有意であった筈の民主主義そのものが今後も存続ために必須と見るべき第一条件は何か?ということ、言い換えれば、このパース、ディヴィドソンらに由来する<根本的な人間理解(人間社会・人間文化などをより深く理解するため)のベースとして選言説を採るか、概念説(表象説、概念相対主義)を採るかこそが非常に重要であることが、益々、悪化するばかりの格差拡大や地球温暖化、あまりにも悲惨な移民問題などを目の当たりとして、漸く、世界の人々によって理解されつつあると思われるからだ。

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・・・ジョン・マクダウエルの『リアリズム倫理』について/マクダウエルのイメージはウイキより・・・

John McDowell(1942‐ )は、ピッツバーグ大学教授. オックスフォード大学講師を経て 1986年より現職/研究分野は多岐にわたりプラトンアリストテレスに代表される古代ギリシア哲学, 倫理学, 言語哲学, 認識論, 心の哲学,ヴィトゲンシュタイン研究などで大きな影響力のある論考を発表している。.

カント, ヘーゲル研究でも知られるが、日米および欧州などで跋扈するマイファースト・自己責任論・多様性否定主義あるいは表層的なAI万能論が囃される昨今(関連参照↓ブログ記事★)であるからこそ、そのユニークな「リアリズム倫理」(道徳的実在論/自然と対比的に、それを第二の本性(自然)と位置付ける)が注目されている。

つまり、ジョン・マクダウエルは、かつてヒト(人類)が理解していた筈の【根源的かつコンシリエンス的な“想像力”(人文・科学知の融和・和解的統合)に因るリアリズム/コンシリエンス・リアリズムとでも呼ぶべきか?】の自覚(復権)こそが、愈々、必須になると警鐘を鳴らしていることになる)。

・・・D.デイヴィドソン『非法則的一元論』について・・・

ところで、心の哲学は、ある意味で<行為の「因果説」対「反因果説」>という対立軸のもとで理解され、発展してきたとも言えるが、デイヴィドソンの著書「行為・理由・原因」(1963)が刊行された頃は、丁度、ウィトゲンシュタインに代表される「行為の反因果説」(理由の空間からの抽象論理的な説明を優先させる考え方、言い換えれば科学・論理的決定論の立場からの抽象的な一般法則と化した暴力的とも言える水平化・法則化の力)が広く受け入れられていた。

しかし、デイヴィドソンはこのような考え方に因る「行為の反因果説」そのものに対してそのように行為の理由を先ず与えること(先ず、何らかの「ヒトの意志を大前提」とする抽象的な合理化の理論)は、<結局、それも単純な因果的説明の一種であるに過ぎない>と反論した因みに、行為の因果説とは"我われわれの精神的な働き、つまり何らかの意志が原因で、身体的な運動が結果としてひきおこされるという考え"である

さて、デイヴィドソンによれば、ある行為の「主たる理由」とは、その行為に関する広い意味での欲求(賛成的態度)と関連する信念である。「雨の日に傘を持って外へ出かける」というある人の行為の「主たる理由」は、例えば、その人が濡れずにいたいと考えること(賛成的態度)、そして傘を持っていけば今日雨で濡れることはないだろうと考えること(信念)である

常識的な素朴心理学と広く一致しているこのデイヴィドソンの見解は、

「因果の法則は厳密(ある意味、物理的)で決定論的に見えるが、

実は、それと正反対の"ヒトの理由による説明は必ずしもそうであるとは限らない(つまり、それは可成り曖昧なものだ!)"という主張を基盤としている

言い換えれば、それ(一応、決定論的に見える、そのように表面的な意味での因果の法則)には個人的な嗜好や偏向した倫理観などの入り込む余地があるので、

"より広い意味での良否、善悪"の判断とはそもそも無関係なものであり、必ずしも両者が一致するとは限らないということになる

つまり、デイヴィドソンによれば、理由の表明が厳密な意味で"より普遍的なものであり得るという現実がある"一方で、

特定のヒトが何らかの特別な異なる理由を持つことも、当然あり得るので、ウィトゲンシュタインに代表される「行為の反因果説」が、一般的な意味での「因果説」を否定することにはならない、ということになる

ところで、デイヴィドソンは、何故にこのように複雑な議論の方法を採ったのだろうか?

そこで、デイヴィドソンの「心的出来事」の理解が重要になる。デイヴィッドソンは論文「心的出来事」(1970)で、心的出来事のトークン(厳密な意味でパースに従えば、これは心的印象のタイプということになる)は物理的出来事のトークンと同一であるという「トークン同一説」を主張している。

例えば、"あるヒトが、これはターコイズブルーの青い空だ"と思ったような感覚の質的な判断に関わる心的状態と、脳におけるニューロンの一般的な活動パターンという物理的あるいは生理的状態との間で、「何らかの普遍的な法則性」を発見するようなことは殆どあり得ないと思われる(当然、感性・感覚には生命個体としての個別性があり得るから!)

従って、一見では、この種の説(そこで『何らかの普遍的な法則性』を発見するようなこと)はおかしいように思われる。

しかし、ディヴィドソンによれば、「個々人の心的状態とニューロンの一般的な活動パターンとの間において何らかの法則的な還元を発見すること(何らかの普遍的で完璧な法則性を発見すること)の不可能性」と「トークン同一説」とは全く無関係なことなのである。

それは、確かに心的出来事の「タイプ」(形象イメージ)を物理的出来事の「タイプ」に対応させる法則は存在しないかもしれないが(誰でもが全く同じターコイズブルーの青を感じるという法則は存在しないかもしれないが)、

個々の心的出来事の「トークン」厳密な意味でパースに従えば、これは心的印象のタイプになるがそれと対応する物理的出来事の「トークン」と同一であること(両者が、心的イメージの世界の中において完全に対等・平等であること)は可能だからだ。

これは、夢の世界の場面を想像すれば理解が容易いのではないか?見方によっては、殆どのヒトの意識は覚醒しているときでも夢の中と大差はないものだと言えることになり、

これが覚醒時の意識(心的イメージ世界での約束事を最重視するという倫理観に拘束される意識)からすれば"特定のヒトの"虚言又は妄想"ということになり得る。つまり基本的には"ヒトがどんなに有害嘘を吐こうが、基本的には自由・平等"なのである。悔しいことだが!

例えば、甚だ残念なことであるが"非常に有害"な権力者と化した「両トークン混同型(自らの心のなかで、これら両トークンは全く対等だと思い込んでいる!?)の根っからの嘘吐き人間」(Ex.↓◆)がヒトの社会にはごまんと存在し、しかもそれが現実社会や国民の生活に大きなマイナスの被害をもたらすこともあるという、現代日本における恐るべき現実を想起してみればよい!

【人類の未来のためにもアベは絶対に許せぬ!】いつ日本は安倍・菅らが好む詐欺師&強盗国家へ相転換したのか?又、歴然たる政治的な猟奇犯罪者たる此奴らの如き小物権力者達の面前で異様に怯え小便をチビる検察は如何なるエンテレケイア下で日々を生きているのか?https://twitter.com/tadanoossan2/status/1342592817898536960

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https://twitter.com/tadanoossan2/status/1342592817898536960

リアル・虚構、両トークン混同なる重篤な異常オミクス&幼少期ラカン鏡像型の政治的<猟奇犯罪>の病理! →「桜・前夜祭問題」一層巧妙化する安倍前首相のウソ/説明の通りであれば「森友学園問題と共通する『虚構の構図』」1226郷原信郎 Y!N
https://twitter.com/tadanoossan2/status/1342933899496673281

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https://twitter.com/tadanoossan2/status/1342933899496673281

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つまり、デイヴィドソンの見解では、存在するのは「出来事」のみであり、その出来事が「物理的に」記述されたり(a物理的出来事)、「心的に」記述されたり(b心的出来事)するだけなのだ。従って、ある一つの出来事トークンが同時に「物理的出来事」でもあり「心的出来事」であることも可能なのである。

しかし、決してこれは(a物理的出来事)が(b心的出来事)に優越するとか、あるいは唯物論(物的還元論)を主張している訳わけではない。それどころか、このような見解は「マクダウエルのリアリズム倫学」を想起させる(Cf.↓★記事)。そして、

★コンシリエンス的“想像力”に因るリアリズムの復権と自覚が必須!/ バシュラール「形式的想像力・物質環境的想像力」と深く共鳴するマクダウエル「リアリズム倫理学」の核心(第二の自然)、https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/09/01/165255

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別に言えば、心のなかで、両者の区別はつけ難いともいえる。例えば、旅先で体験(見分)した自然景観等とテレビで見たほぼ同じような光景が混然一体化してしまうようなことは時々起こるのではないだろか?そして、このような経験が一種の心的な根深い習性となり身に付いたのが生来の病的な、又は幼少期ラカン鏡像型のナルシズムに耽溺する根っからの噓吐き!(Ex.安倍晋三)ということではないのか?

ここでデイヴィドソン「非法則的一元論」を提唱する「一元論」 というのは、心的出来事と物理的出来事は同一の出来事であると主張するからであり、「非法則的」というのは<心的出来事と物理的出来事の「タイプ」は、厳密な法則によって結合しているのではない>と主張するからである。

従ってデイヴィドソンによれば

「心的なものと物的なものの因果関係は出来事のトークンの間に存在するだけであり、心的出来事はタイプとしてみれば非法則的である(純粋な意識の世界では心的と物的の間に区別はない!)」という見解が帰結する。

そして、このデイヴィドソンの「非法則的一元論」は心の領域の自立性を一応は尊重しているが、同時に基本的には「トークン物理主義」でもある。しかし、他方では<心的なものと物的なものとの間に「選言論」的なスーパーヴィーニエンス(supervenience)関係>を確保していることになる。

<注>スーパーヴィーニエンス(supervenience)は付随性」と訳されているが、哲学のなかで特に心の哲学で使われる用語であり、異次元の特性の間で定義される強力な相互依存関係を指すhttps://plato.stanford.edu/entries/supervenience/

驚くべきは「↑◆/安倍晋三の如き生来の噓吐き人間」が日本の『偉大なレガシー付き?の総理大臣』となっているという現実が、この難解なデイヴィドソンの「非法則的一元論」の証の典型となっていることである(苦w)。

結局、デイヴィドソンもマクダウエルと同じく「選言論(説)」を採っていることになる

 

そして、このことは近年における「a知覚に基づく判断b予めの意志の決定に因る行動、cその他の要因(環境?)」の三者で何れがヒトの内心において最も先行するか?という脳科学の実験で検証されている(↓♨その実験の結果では、cが最先行していた!)。

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♨[BSプレミアム] ヒューマニエンス 〜40億年のたくらみ〜「“自由な意志” それは幻想なのか?」20201126NHK https://www.facebook.com/NHKonline/videos/1118801535239829/

・・・人間という不確かで不思議な存在とは何か? 科学と未知の領域を行き来しながら、その真の姿に迫っていくシリーズ! 私たちは「意志を持って自由に決断をしている」と信じて疑わない。その「自由な意志」が今回のテーマ。最新の脳科学は、「自由な意志」は脳がつくっている錯覚、幻想かもしれないという。無数の電気信号が飛び交う脳の神経細胞の活動は、意志が関与する前に勝手に動き出し、それによって後付けのように生まれるのが意志だというのだ。では、いったい脳は誰のものなのか。驚きの実験で明らかになる、私という存在の根源を妄想する。
https://www.nhk.jp/p/ts/X4VK5R2LR1/https://www.facebook.com/NHKonline/videos/1118801535239829/

・・・

【参考情報/再録】行為とその合理化――共感・共同行為への問いの根底にあるもの―川瀬和也(宮崎公立大学・准教授)https://actiontheories.files.wordpress.com/2014/05/studies_on_action_theory_3_kawase.pdf  

ところで、↑の【参考情報】については、ほぼ同感ながら、

だからこそ<脱「完全合理主義=例えば市場原理主義」>の視点からヒトとリアル環境の双方のための"限定合理主義(行為の合理化)"の条件を問いつつ、そのため有意な「共感・共同行為に必須の条件(逆に聞こえるかもしれぬが、一応の判断を超えた全面的判断(限定合理を前提とする)のための条件)」に関わる気付きを一人でも多くの人々(世界中の)と共有する途をリアルに探り続けるべきではないか?と思われるのだ。

そして、やはりその問題を解くカギは「理由の空間」の<一回性(選言論に因るリアル関係性)=心的・物理的両トークンのスーパーヴィーニエンスの強化についての、絶えざるより高度な倫理観(fiduciary ≒ リアリズム倫理)の探求による、多くの人々(それは確固たる物的な生命個体環境でもある)の間での信頼性の係留を如何にして持続させるべきか>の問題ではないか?と考えられる。 

<注>「共感・共同行為に必須の条件((完全合理を前提とする)一応の判断を超えた全面的判断のための条件)」とは?・・・特に、当「川瀬和也・論文」中の【 ↓★の視座】から見れば、あきらかに「fiduciaryの二つの条件」(Cf. 当記事の冒頭、<注>:米国憲法上の概念でFiduciary には「Duty of Care」と「Duty of Loyalty」と2つの意味があるに、ほぼ重なることが理解できる。

【★「純粋意図」(それが善意に因るか?悪意に因るか?こそが問題?)と実践的推論(何れにとって利益となるか?こそが問題?)の関係が重要となる。・・・本稿では、実践的推論の本性への問いが、行為論の全体を貫く、因果説と反因果説の対立と独立に考慮されるべき問いであることを示した。共感を含む感情の問題や、ブラットマンの計画理論の問題(Ex.https://staff.aist.go.jp/y-ichisugi/brain-archi/20140701Nide.pdf合理性と不合理性にまつわる諸問題も、この実践的推論の本性への問いという視座の中にあってこそ意味を持つものであるように思われる。このことを強調して論を終えることにする。】

 

(エトノス環境

(1)そもそもエトノス(ethnos)とは何か?

「第2章-『クーラ寓話』」で触れた「ハイデガーの大きな自然に包まれている人間存在の奇跡ハイデガーのゾルゲ(Sorge=世界への配慮、気遣い)の問題)という含意は、<AIは意識を持てるのか?/Cf.↓★>という悩ましい問題とも絡みつつ、近年において再び注目されるようになった。

★ AIの正体を知れば哲学が分かる!/AI批判「知」の “活用”で「ヒトがやるべき仕事」の発見と「壁《AI Vs ヒト》」の切り崩しができる https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2019/09/02/125003

また、それは「エトノス環境」の観念にも近いのではないかと思われる。なお、エトノスの定義は既定のものがないので仮にtoxandoriaが纏めた内容を自身のブログ記事から以下に一部分を修正し転載する。

・・・エトノスとは『半永久的に絶対的・持続的な生の持続の流れの中で受肉した個人の身体(有限な個々人の“生”)を含む内外の自然・人工環境に加え、ヒトの生命とその社会生活の維持に必須のローカルな一定地域の自然・歴史・文化・記憶環境と深く共鳴しつつ<いま現在のリアルな生命>と人間性を未生(未来)へ繋ぐ揺り籠”とし得る開放系の間(相互)主観性・共有観念、または過去〜現在〜未来におよぶ生存環境の拡張または微小馴化を受け入れつつ絶対的「生」の“持続性”との間の往還的な歴史的関係性、および多元的で寛容な個人・集合・社会・共同体を重視しつつ、それらの関係性をを気遣う意識の総体』である。・・・

 

(2)歴史的に見たエトノス

古代ギリシア語で、村や都市に集住する「民衆」(デモス/demos)の周辺に住み、その「民衆」以外の部族集団を指したエトノスは、相対的に立場が変われば志向アフェクト(意識)のベクトルが反転するので、自ずと真逆の意味になる(善・悪の立場の入れ替わりがあり得る)のも当然である。従って、そもそもエトノスは胡桃の殻の如く固陋な評価を伴う概念ではない。

それ故、これは歴史・政治・科学・倫理などの諸条件しだいで、その意味が変容する非常に柔軟な用語である。だからこそ、歴史・政治・科学・倫理の背骨となる「絶対的な“生”」の意味を探求する倫理・哲学あるいは宗教の役割が益々重要になるとも言える。

加えて、<生命・意識・文化の持続に必須であるローカルな自然、歴史、風土、文化との対話、そしてそれに因るエトノス自身の射程の一定の変容も必須!>の条件が付くので、エトノスは固定観念化したイデオローグではあり得ない。

 

(3)AI型『人間の壁』解消のヒントとなるエトノス環境の視点

AI型『人間の壁』(AI時代の人間の壁)と呼ばれるものには『人間の壁』1と『人間の壁』2の二種類がある。そして、『人間の壁』1とは、分配構造を抜本的に変革するマクロ経済政策(例えば、fiduciaryを十分に見据えた宇沢弘文の"不均衡動学"理論による"社会的共通資本"の整備や、その整備の一環としてのベーシックインカムなどの)が先行的に確実に実行されぬ限り、準汎用AI機械とヒトの間では必ずや生産性の大きな格差が発生し、それが持続的に拡大し続けることを意味する。

他方、『人間の壁』2とは、従来型のヒトが中心の「"暗黙知"活用型の多様性と敗者復活型の"潜性イノヴェーション"」というポテンツを秘めた「リアル経済」の可能性が地球の自然エトノスに対し開かれている(開放系である)ことに比べ、準汎用AI機械がヒトとは異次元の「ビッグデータディープラーニングなる"形式知"活用型の画一的な生産・経済活動である、あるいはカルマン・フィルターなどの殆ど予期不能なリスクを内包する高度技術でもある/https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2019/09/02/125003」ため、ヒトと準汎用AI機械のあいだに立ちはだかる宿命的な断絶のことである。

そのため、地球の全エトノス環境とエコーし続けるべき生身のヒトである全顧客が必然的に不満と不安を募らせることとなり、更にそれが社会全体で助長するため悪循環の形で新たな社会不安を呼び込み続ける可能性がある。

このような状況を予感していたのかどうか?は定かでないが、かつて"非エトノス論"とも言える“非選言論(説)”の立場を採っていたケンブリッジ分析学派の代表ウィトゲンシュタイン(1939年からケンブリッジの教授となっている)も、主著『論理哲学論考』(初版は1921)の改編のプロセスで<言語間「普遍論理」想定(抽象的な記号論理学中心)>という哲学の基本姿勢を変えようとし、コミュニケーション行為(いわば"エトノス論"的な方向への軌道修正)に向け自らの哲学の再構築を図ったが、これは完成せず病死している(関連参照⇒第5章ー2 [見えないことの発見2] AIを活かした「ヒトがやるべき仕事」の発見)。

ともかくも、具体的に見れば『人間の壁』(1と2)は、<準汎用AI機械経済がもたらす高度生産性が、上で述べたようなfiduciaryの方向付けの下で、分配構造を抜本的に変革するマクロ経済の展相が国の政策として断行されない限り、準汎用AI機械の高度生産性は宝の持ち腐れになるだけだということになる。

だから、リアル社会で生きる労働者と一般国民の幸せを保証するために、彼らのリアルな血となり肉となる(彼らの生活と未来への希望ともなり得る)真に有益な生産性へ、その準汎用AI機械の高度生産性を適切に換算し直し(fiduciaryに沿った福祉政策などで十分に保証しつつ)、かつ地球エトノス環境に見合う人間らしい経済社会でのリアル・マネーとして有効に活かすことができるよう真剣に取り組むのが、愈々、これからの国家指導層の重要なfiduciaryの責務であることになる。

 

(オミクス生命論)

◆「オミクス生命論」的なfiduciaryの視座、即ちエトノス環境の一環たる公益(社会的共通資本やBI(ベーシックインカム等)との先行「理解」が不在の儘の消費喚起ねらいBI論(代わりに生活保護等は廃止?)竹中平蔵らの"水漏れバケツ市場経済論(只の市場原理主義)"と同轍! ➾BI、必要論争に火 最低限の生活資金配布 究極の安全網1230朝日 https://www.asahi.com/articles/DA3S14749109.html

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https://www.asahi.com/articles/DA3S14749109.html

 

(1)エピジェネティクスとは?

エピジェネティクスとは、下記の出典(★)によれば、<DNAの配列変化によらない遺伝子発現を制御・伝達するシステムおよびその学術分野のことである。すなわち、細胞分裂を通して娘細胞に受け継がれるという遺伝的な特徴を持ちながらも、DNA塩基配列の変化(突然変異)とは独立した機構である。このような制御は、化学的に安定した修飾である一方、食事、大気汚染、喫煙、酸化ストレスへの暴露などの環境要因によって動的に変化する。言い換えると、エピジェネティクスは、遺伝子と環境要因の架け橋となる機構であると言える。主なメカニズムとして、DNAメチル化とヒストン修飾などがある。>ということになる。・・・★出典:脳科学辞典、https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E3%82%A8%E3%83%94%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%8D%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%82%B9 

<注>ヒストンはDNA を核内に収納する役割を担う塩基性蛋白質。ヒストン修飾は様々な蛋白質の結びつき方の翻訳修飾で環境等の影響を受けることを意味するが、例えばヒストンメチル化(これによりクロマチンの構造が変化することで遺伝子の発現が促進する)も多様な翻訳の一つのタイプである。なお、化学的な修飾とは「たんぱく質、DNAなど生体高分子に含まれる特定の官能基、つまり一分の分子が化学的に置換する(又は、させた場合に)、活性度・反応性等の機能が変化すること」である。

・・・

上の<注>でも少しふれたが、要は「DNAの配列の変化ではなく、DNAのメチル化によるクロマチン構造の変化(いわばクロマチンの記憶の変化)、あるいはアセチル化などで遺伝子に対する制御の変化が次世代の発現(次世代DNAに因る次世代細胞の発現)へ伝わってゆくDNAワールドでの現象」をエピジェネティクス(epigenetics)と呼ぶ訳である。

そして、これを一般的に表現すれば「DNA塩基配列の変化を伴わないで細胞分裂後も継承される遺伝子発現、又は細胞表現型の変化、およびそのことを研究する学問領域」ということになるが、特に注目すべきは、その後半部分の「DNA塩基配列の変化を伴わない細胞表現型(厳密に言えば、その次世代DNAに因る細胞表現型の)の変化のこと(および、その研究)」ということになるだろう。https://epigeneticsandchromatin.biomedcentral.com/articles/10.1186/s13072-019-0319-0

ここで想起されるのが、地球上の多くの生物において遺伝情報の継承と発現を担う高分子生体物質であるDNA(デオキシリボ核酸)の「二本の鎖」のことである。「第6章ー2/宇沢弘文『不均衡動学』と、古澤満「不均衡進化(Disparity Evolution)」』が解明した『DNA増幅の仕組み(論理&実証)』の共鳴」でも再びふれるが、一本のヒストンに巻きついた二本のDNAがほつれて複製されるとき、「二本の鎖」のうち一方は連続して複製される「連続鎖」(いわば保守的な鎖)となるが、もう一方は複製酵素の特異性で連続鎖と同じ方向へ鎖を伸ばすことができないので、敢えて断片状に複製されたものが結合され一本になり複製が完成する。そして、後者は「不連続鎖」と呼ばれる(@古沢 満『不均衡進化(Disparity Evolution) 』仮説)。

委細は第6章で後述するが、この「不連続鎖」が「連続鎖」合成に比べてDNA複製プロセスがかなり複雑になるため作用する酵素の種類数も多くなり、変異の発生可能性が大きく(内外ワールドからの、言い換えれミクロ・マクロ両環境から±の影響を受け易く、それだけ革新的・学習的な要素になり得るということだ。しかし、同時にそれは此の「不連続鎖」が大きく「環境面でのマイナスの影響」を受ければ(強力な放射線や電磁波、あるいは何らかの生活習慣、又は職場・住・生活環境などの)、それらに因る何らかの病変(広義ではDNAらに起因する遺伝性のエピゲノム疾患も含むが、狭義では後者の新世代ゲノム発現性のエピゲノム疾患)を発症する可能性もあり得ることになる。

 

(エピゲノム疾患について)

◆サイトカインストーム抑制!の対関節リウマチ薬が効いたらしい?のでエピゲノム疾患(↓★)系の先端研究が新コロナ対応の一つの活路となるかも? →コロナ重篤患者に日本で開発の薬投与で死亡率減 英で研究成果 111 NHK 
https://twitter.com/tadanoossan2/status/1348382507289378817

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【参考資料】実験医学 2020年8月号 Vol.38 No.13:RAN翻訳と相分離で紐解く リピート病 (3塩基の)くり返し配列の“長さ”が発症の原因となる謎に挑む 永井義隆(企画) https://twitter.com/tadanoossan2/status/1287852750684827648

エピジェネティクス」という言葉自体は1950年代からあったが、エピジェネティクスの異常と疾患の関係が意識されるようになったのは、ここ約20年来のことである。例えば、突然変異や染色体の欠損・欠失で癌抑制遺伝子が機能しなくなり癌が発症する訳だが、癌抑制遺伝子(遺伝情報)自体に変化がなくてもDNAの異常メチル化で癌抑制遺伝子が不活化すると癌になることが分かってきた。

エピジェネティックな調節は主にゲノムの化学的な修飾(化学修飾)や構造変換によって行われる。DNAのメチル化は同じゲノム情報をもとにしつつ使う遺伝子または使わない遺伝子を制御することで、皮膚、肝臓・・・と、それぞれの個性化する細胞に固有のエピゲノム環境を確立することになる。

そのようなことから一部のエピゲノム疾患は投薬や生活習慣の調整などで正常化できる可能性もあり、ある種の白血病や癌に対してはDNAの脱メチル化剤など(酵素を阻害もしくは活性化する薬)で効果が実証されつつある。

ただ、治療標的となる酵素が作用する遺伝子は1つ(又は1環境)と限らず、同時に何十、何百の他の遺伝子( or 全DNAの98%を占める非コードDNAも含む遺伝子・ゲノム環境全体)に影響を及ぼすことも考えられるので副作用のリスクも十分に考慮すべきである。冒頭に掲げた「リピート病」の他にも、エピゲノム疾患には「先天性の免疫不全症候群(ICF)、各種の精神・神経疾患、多様なアレルギー疾患、自己免疫疾患、ある種の白血病ほかの血液系疾患」など様々なものがある。

 

(2)オミクス生命論とは?

エピジェネティクスとオミクスの関連性)

・・・エピジェネティクスとオミクスの関連性について考察する目的で、以下に、◆1の一部を引用・転載する。・・・

◆1[エピジェネティクスと細胞記憶と疾患、(佐々木 裕之/九州大学生体防御医学研究所エピゲノム制御学分野)https://hama-med.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=2939&item_no=1&attribute_id=31&file_no=1

・・・エピジェネティクス細胞核内の染色質の化学修飾(メチル化、アセチル化など)により遺伝子発現や表現型の多様性を生み出し、それを安定に維持・継承する機構をいう。また、生体を構成する個々の細胞のもつエピジェネティック修飾の総体をエピゲノムとよぶ。
受精卵から個体が発生する過程でエピゲノムはダイナミックに変化するが、一旦確立された各細胞系譜のもつエピゲノムは、遺伝子発現を安定に維持する記憶として継承される。
よって、エピゲノムの制御は細胞の分化制御と恒常性維持の両方に重要である。一方、エピゲノムの後天的な破綻が生活習慣病などの原因となることが分かってきた。
また、エピゲノムの変異(epimutation)が、生殖細胞や初期胚におけるリプログラミング過程をすり抜け、あたかもゲノム配列の変異のように次世代へ伝達される例も報告されている。我々はマウスをモデルとして、生殖細胞で確立されるDNAメチル化状態が子に伝達されるゲノムインプリンティング現象について研究してきた。ここではその成果の一端を紹介し、エピゲノム変異伝達についても考察を試みる。
さらに、様々な疾患におけるエピゲノム制御の役割を明らかにするため、まずヒトの千種類の細胞の標準エピゲノムマップを作成しようという国際プロジェクトが国際ヒトエピゲノムコンソーシアムにより進行中である。標準エピゲノムデータを疾患サンプルのエピゲノムと比較することにより、様々な病気の原因の解明や治療法の開発が可能になるのではないかと期待される。最終的には、エピゲノムを含む多階層のオミクス情報を横断的に活用する統合オミクス研究あるいはトランスオミクス研究が、生命科学を変えるであろう・・・ここで転載おわり・・・・・・

 

(オミクス生命論の核心)

上で見たとおり、エピジェネティクスとの関連で新たにオミクスと呼ぶべき医学研究の領域が新登場したことになる。つまり、オミクス(omics)とは生体中に存在する分子・原子オーダーなどの全体DNA・細胞などのオートポイエーシス

http://www.prings.com/opendoor/auto.htmも含む) 

を網羅的・階層的に取り込みつつ、量子物理学や統計力学・数理解析などの科学&数理論的知見、又は"エトノス環境"論などコンシリエンスな人文・社会系の視座までを総動員し研究する学問である、ということになるだろう。

エピジェネティクスは「DNAワールド(全DNAオーダーで"2%を占有するDNAと同98%占有の非DNA"」なる生体分子環境内の生命・生理・病理現象についての研究分野であるここへ「生の連続性」という更に広角な視点(既出のジルベール・シモンドン的なマクロ・ミクロの次元も取り込む視点)を加え、オミクス環境という先端的な生命科学研究の分野が意識されるようになってきた。それがオミクス生命論である。当然、そのような方向が必須となることはエピゲノム疾患が発見された時点で疾うに気づかれていたことではあろうが。

ところで、エピジェネティクス(エピジェネティクス環境)は、端的に言えば、DNAオーダーの研究領域であったが、一方のオミクスはマクロ・ミクロの両面で、それを遥かに越えた広大な環境での生体分子世界における<「情報分子トランスオミクス(多階層オミクス情報)研究」である>ということになる。

更に興味深いのは、このオミクス生命論という新たな視座が、ヒトの経済社会(資本主義社会、特に新自由主義・市場原理主義)における<『人間の壁1』を超えた『人間の壁2』という新たな(というか、むしろ"致命的な!"と言うべき)格差リスクの拡大>の解決のためにアナロジカルなヒントを与える可能性が高いということだ。

なお、既に見てきたとおりであるが『人間の壁1』とは旧来型の「汎用AI機械高度生産性 Vs ヒト(労働生産性)」で発生するリアル経済格差のことであり、『人間の壁2』は、<「リアル経済」(生活に直接役立つリアル・マネー)の可能性(これは伝統経済が素朴に定義する生産性)が地球の自然・文化エトノス環境に対し開かれている(開放系である)のに対し、ビッグデータ型「AIディープラーニングの予測値」が閉じているため必然的に両者の間には非常に大きな断絶が生ずる>ことになるということであった。

別に言うと、それは「ヒト(労働)による生産性」と「非人間的なAI超高度生産性(閉鎖的な抽象体系アウトプット)」の間において、何らかの従来とは全く異なる斬新な公共(社会経済)選択に因る政策を介在させる新たな政治的な決断、つまり<オミクス生命論的な視座(又はそれをも取り込んだfiduciaryの視座)に因る全く新しい"翻訳または修飾"的な政策の介在による、人々の生の持続のための調整が必須であるということになる。

その意味で、今や市場原理主義(新自由主義/小さな政府)への丸投げ政治なるもの(現在の日本で言えば、あの強欲な竹中平蔵が指南する?菅内閣の穴クロ経済政策)、あるいはトランピズム方式とかいうポピュリズムを煽るだけの只の大きな政府への回帰政策ら、が如何に無責任であるかは明らかとなっている。

<注>「ヒト(労働生産性)Vs 非人間的な高度生産性(閉鎖的な抽象体系アウトプット)」は、「AI形式知ワールド/その終着駅がシンギュラリティ妄想?!」Vs「ヒト暗黙知ワールド」の“絶対的な断絶”とも表現できる(関連参照/Cf.↓◆)

◆『想定上の完全AIアンドロイドはなぜ胡散臭いのか?』https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/05/19/040514htps://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2020/06/04/155449

[参考」・・・以下はオミクス(オミクス生命論)の理解を更に深めるために・・・/↓◆2より部分転載・・・

◆2[オミクス(オミックス、オーミックス)について/バイオコラム:オミックス https://www.gene-lab.com/column/17omics.html ]

オミックス(Omics)は、オーミクスと呼ばれることもありますが、その語源を調べると、「ギリシャ語の「すべて・完全」などを意味する接尾辞(ome)に「学問」を意味する接尾辞(ics)を合成した言葉」とあります。

医療分野では、「研究対象+omics」という名称は、その生物学の研究分野を扱う学問を意味する呼称として使用されており、これは、最初に遺伝子(gene)の研究分野において、ゲノミクス(遺伝子を扱う学問:genomics=gene+omics)という言葉が提唱された事に始まります。その後これに倣うように、トランスクリプトミクス(トランスクリプトーム(全mRNA)を扱う学問:transcriptomics=transcript+omics)、 プロテオミクス (タンパク質を扱う学問:proteomics=protein+omics)、メタボロミクス (代謝物質を扱う学問:metabolomics=metabolite+omics) など様々なオミックスが提唱され、盛んに使用されるようになりました。それぞれ、遺伝子の発現(トランスクリプトーム)、タンパク質の解析(プロテオーム)、代謝物質の解析(メタボローム)等、異なる分野の網羅的な測定や解析における研究から得られる知見をそれぞれの学問として総合的に体系化し、医療などに役立てようとしています。さらに分析手法の技術革新が進み、個人一人ひとりがどのような遺伝子を有しているか、その発現に強弱があるか、変異はないか、また、どのようなタンパク質が発現していて、どのようなシグナルが働いているかなどのオミックス(Omics)情報が得られるようになってきており、これらの情報は近い将来、がんの早期診断、効果的な薬剤の選択、術後の再発予測など、患者一人ひとりに対して行う「個別化医療(Personalized medicine)」(or プレシジョン・メディシン(Precision Medicine;精密医療),https://www.medience.co.jp/forum/pdf/2018_05.pdf ↞補記、toxandoria))の実現に活用されるようになると予想されます。 これは、言い換えれば「オミックス医療」の可能性を示しており、日本ではすでに学会も立ち上げられています( http://omics.jp/ )。

一方で、IT(Information Technology)技術の進歩が、網羅的な分析・解析から得られる膨大なオミックス情報を、個々の病気の発症との関連性や予後の予測などに結びつけることを可能とし、オミックス情報を活用するブレークスルーとなったことは間違いありません。さらに将来を考えると、ネットワークを含めたIoT(Internet of Things)の活用が進むことが予想されます。具体的には、スマホバイスなどの個人端末の急速な普及拡大がもたらす効果として、従来得られた個人の検査結果を端末で確認できるようになり、その情報を用いて医療機関や医師との連携が進むことで、健康状態をより正確に把握することが可能となり、疾病の発症や予後の予測に役立つことが大いに期待されるのです。

このような世界が現実になろうとしている中、製薬企業や診断薬企業もこの流れに同調せざるを得なくなっています。今までよりも個々の患者の実態を知ることが求められ、個人のオミックス情報の利用が将来の事業の鍵になることは間違いありません。すでにサービスとして世間に登場していますが、病気のなりやすさ等を判定する遺伝子DTC(Direct-to-Consumer)検査やウェアラブルバイスの発展は、自らヘルスケアに関わる情報を積極的に求め、健康を維持・管理し、疾病の発症予防にも努めたいという、消費者個人の潜在的な意思のあらわれでもあります。このような時代の到来を感じながら、当社は、各種のサービスを通じて診断に役立つ情報を提供してまいります。

 

(オミクス生命論の更なる展望)

 

【参考資料】研究領域名 代謝アダプテーションのトランスオミクス解析
東京大学・大学院理学系研究科・教授 黒田真也、https://www.jsps.go.jp/j-grantsinaid/30_front/data/h29/h29_j11.pdf

・・・オミクス生命論の更なる展望のため。表記の資料より[オミクス生命論(表記の前半)]と[代謝アダプテーション(表記の前半)]の内容を以下に転載しておく。・・・

 

(オミクス生命論の新たな方向性)

生命は環境に応じてダイナミックに代謝を調整し、恒常性を維持している。糖尿病を含むメタボリックシンドローム、がん、炎症性疾患などの疾患や薬剤耐性などの病理的現象で見られる特有の代謝状態は、それぞれの環境変化に対して、生体が代謝を調整してアダプテーションした結果(代謝アダプテーション)である(図 1)。例えば、ヒトなどでは空腹時の血糖値は一定に維持されているが、糖尿病では血糖の恒常性が失われ持続的に高血糖となる。がん細胞では糖をエネルギーに変換する異化反応よりも、増殖に必要な材料を作り出す同化反応が亢進して高速増殖を可能にしている。これらの代謝アダプテーションは、1000 種類以上の代謝物が織りなす複雑なネットワーク構造の適応であり、正常な基底状態から時間に伴って細胞の置かれた環境に対してアダプテーションして適応状態へと遷移する動的な現象であ

 

(有限から"物理的"無限への架け橋?/代謝アダプテーションについて)

代謝アダプテーションは、直接的な代謝物(メタボローム)の変化だけで制御されるわけではない。メタボロームの上位に位置するゲノム・エピゲノム・トランスクリプトーム・プロテオームなど、複数のオミクス階層が密接に連動したトランスオミクスネットワークにより制御されている。つまり、
状況に応じてトランスオミクスネットワークを動的に切り替えることにより代謝アダプテーションを実現している(図 1)。代謝アダプテーションは複数のオミクス階層が密接に動的に連動して機能するため、従来の個別の代謝物や分子をターゲットとした解析をパッチワークのようにつなげるのではなく、各オミクスデータを同時に計測して、多階層のオミクスデータを階層をまたいで統合する技術(=トランスオミクス解析)が必要である。本領域では、これまで別々の分野の個別研究として扱われてきた現象を、トランスオミクスの観点から代謝アダプテーションとして統一して理解し、現象横断的な新領域を創生することを目指す。

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5-3 「科学知("人文・自然"両科学)および科学技術」の中庸性の問題

「第5章-1(ミメーシスの問題)」で触れたが、真摯な努力の積み重ねによる漸進的な改革を重視するというバーク流の保守主義のコアとなっているのは、無限の世界(広大無限の自然)への「怖れ」の感情と、その恐るべき世界に対する「不安」であると考えられる。また、このような「不安」があればこそ、人間は自然と世界に対し謙虚になるべきだという「英知を伴う心性」(限定合理主義を尊重する、真の科学主義の精神)が生まれる。>ということが言える。

そして、このような考え方は建国以来の歴史プロセスにおいてリベラル共和主義なるエンテレケイアへの道程を歩む米国(学界および最高裁等の司法関係者ら)、あるいはその他先進諸国(スウェーデンらEU加盟諸国等)においても、多くの国民あるいは学界・司法・行政関係者らによって次第により重要視されつつあるただ、米国においては肝心の共和党がトランピズムに毒されて只の反知性主義的なポピュリズム選挙の道具化したか?に見えることが懸念材料であるが・・・

 

(今は当然視されている『科学&科学技術の中庸性』について/その歴史と現代的な課題)

・・・ここでは<「宗教’&イデオロギーの頸木」Vs「科学の中立性」>という、決定的な対決の歴史的エポックの観察から『科学&科学技術の中庸性』の現代的な意味を再確認する。併せて「米国最高裁におけるフィデュ―シャリー(fiduciary)の中立的な観念(ケルゼン純粋法学に関わる)」の意義も再認識すべきである(関連参照/冒頭<注>Fiduciary Dutyとは?、第6章- 宇沢弘文『不均衡動学』の鍵となる言葉

<注>ここで言う「科学技術の中庸性(中立性)」は、ミクロ経済学における各生産要素(労働力・資本・技術)の限界生産性の「定義」の前提となる「技術(力)の中立性」とは無関係である。ここでは、あくまでも「科学の中立性のジャンル」の延長としての中立性(中庸性)のことである。但し、「技術・科学技術」は、生産性の質(その生産性を発揮する、その技術特有の場所と空間を含めた能力)という意味では、明らかに生物のジャンルであるヒトを凌駕しており、そもそもオミクス生命論的にみればヒトと技術が対等な関係ではあり得ない。例えば、当記事で取り上げてきた汎用AI機械生産の時代における『人間の壁1』の問題がその典型事例に当たるだろう。だから、ここで発生する大格差の問題については、科学者・科学技術者あるいは政治家・経済学者らが、それとは全く異なる自らの「リアリズム倫理観とイデオロギー」(fiduciary)の問題として、より広範なオミクス生命論的な視座から考えるべき問題である

・・・

 

(1)17世紀(初期啓蒙思想期)は「科学革命の時代」であると同時に「仏モラリスト」の時代に重なる

<注>モラリスト(moraliste)は、現実の人間を洞察し、人間の生き方を探求して、それを断章形式や箴言のような独特の非連続的な文章で綴り続けたモンテーニュ、ブレーズ・パスカル、ラ・ロシュフコーなどの人々。別に言えば、彼らは「ひたすら感情と論理の泥試合的な綱引きの場と化した、当時の宗教支配の空気への言論による、中立的で人間的な批判者たち」の嚆矢であった。

 

・・・

 

17世紀(初期啓蒙思想期)は「モラリスト、“脱ドグマ”啓蒙市民社会、“オランダの光”(レンブラントの時代(@ホイジンガ)とも呼ばれる史上初の近代市民社会の出現)が象徴する“日常のエルゴン”(プレ生産デュナミス潜在性)と“機械”生産デュナミス潜在性の発見」が鼎立する、いわば今のAI時代のコンシリエンス(人文&科学両知の融合)の先取りともいえる時代であっ

<注>デュナミス(潜性態・潜在性/dynamis))は現勢態(エネルゲイア/energeia)に先行的に対応(いわばプレエネルゲイアの謂いで)するアリストテレスの用語。エルゴン(ergon/死静態)が、普段は休眠状態にある「±」または「善・悪」など、そもそも両義的な性質をもつ情念or表象のことを意味するのに対し、それがリアル活性化すると両者の何れかを表現する言語的な意識活動となる。つまり、ヒトの『日常』(日々のリアル生命活動)は「エルゴン⇒デュナミス⇒プレ・エネルゲイアエネルゲイア(現勢態)⇒エンテレケイア(entelecheia)」のプロセスに支えられていることになる。

 

・・・

 

従って(+)のデュナミスが何らかの機械処理ないしは消費活動等で言語(経済活動)的に表現され、それが形式化され(例えば契約などの形で)「現実」化するとそれが新たに創造される経済価値(付加価値)のデュナミス(潜在性・潜性態)というリアル可能性の創造物となり、その貨幣化による分配と蓄積がヒト・企業・国家に必須の富の形成力(エネルゲイア/現勢態)となる。

従って、オミクス生命論などとは全く無縁であった17世紀(初期啓蒙思想期)においても、ルネサンス期を経た欧州諸国のアカデミズム関係者やモラリストらの知識人たちの多くは、人間社会の発展にとり「一定の偏向したイデオローグや宗教観によって過剰に修飾(影響)されることの弊害」については十分に気付いていたことになる。このため、啓蒙思想の発展に大きく貢献したと見るべきモラリストの活躍(16~18世紀)を理解することが、科学のそもそもの意義を深く理解するためにも先ず重要なことだ。

 

(2)17~18世紀「科学革命の時代」とい苦悶の時を経て、漸く『科学と技術の中庸性』は必須!の観念が人々に広く共有されることになった

 

英国の歴史学者ハーバート・バターフィールド(Herbert Butterfield/1900 - 1979)は、1949年の著書『近代科学の誕生』の中で近代の画期として、17世紀を「科学革命の時代」と名付けている。具体的に見ると、それはN.コペルニクス、J.ケプラー、G.ガリレイ、A.ニュートンらによる科学研究上の大きな変革のことを指すが、その影響を受けた哲学上の変化も含め、この時代は「17世紀科学革命の時代」呼ばれることもある。

しかし、この時期の科学者が宗教の頸木から完全に解き放たれていたと見るのは大きな誤解を生むことになる。例えば、フランスの思想家で「宗教的自由主義」を主張したピエール、ベール(Pierre Bayle/1647 - 1706/フランスの哲学者、思想家/神学的な歴史観を懐疑的に分析し啓蒙思想の先駆けとなった人物)は、デカルトの物理学に関する執筆の内容には“神によって保証された法則”との注釈が付いていたことを明かしている(@平井俊彦/論文『マンデヴィルの人間像(1)/京都大学・経済論叢:第89巻‐第2号』https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/132869/1/eca0892_081.pdf)。

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この時期の科学者が宗教の頸木、または羅針盤から完全に解き放たれていたと見るのは大きな誤解を生むことになる。例えば、フランスの思想家で「宗教的自由主義」を主張したピエール・ベールは、デカルト(René Descartes/1956 - 1650/数学者、合理主義哲学と、近世哲学の祖)の物理学に従って、処女作『1680年の彗星に関する随想』を書いたが、そのデカルトの物理学には“神によって保証された法則”との注釈が付いていたとされる(@平井俊彦/論文『マンデヴィルの人間像(1)/京都大学・経済論叢:第89巻‐第2号』https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/132869/1/eca0892_081.pdf)。

 

それは17世紀後半~18世紀にかけての欧州「啓蒙思想」期の前半(初期啓蒙思想期)にほぼ重なり、この時代の主な思想家では英国のホッブス、J.ロック、スコットランドのD.ヒューム、フランスのヴォルテールディドロモンテスキュー、J.=J.ルソーらが先ず想起される。しかし、同時にれは又「聖書・教会、神学、王権」ら諸権威のドグマ(固定観念イデオローグ)から脱し、理性により人間の意思(意識)と権利の「普遍性」を定義し、その保全のための政治体制(我われの現在にも繋がる民主主義社会)を創造する思想活動でもあったのである。

我われは、「歴史も含めた人文知と科学知の両側面について、リアルな事実に基づき評価できる人間としての最低限の統合意識」を敢えて捨てぬ限り、かくも過酷な啓蒙思想初期の時代における<「宗教&イデオローグ権威の暴走」 Vs 「客観知・科学知」>なる過酷な闘争史の一コマを垣間見るだけでも、今の我々が当然視する「中庸な客観知・科学知」という権利を捨てることが(例えば、現代日本の前・安倍晋三政権や現・菅義偉政権、あるい米トランプ大統領の如く)民主主義そのものにとって如何に危険な蛮行であるか!ということが簡単に理解できる。

【他山の石!】ほぼ同感!日本も「菅政権・安倍元政権らの超アナ黒ニズム」&そのカルト原発性マジックの正体を再認識すべき時!新コロナ対策の非合理マネジメントの淵源でもある鴨神社? →選挙不正を言い募るトランプ支持の「カルト性」に警戒を108江川紹子 - Y!N https://twitter.com/tadanoossan2/status/1347657561630076929

トラの免職

https://twitter.com/tadanoossan2/status/1347657561630076929

 

・・・

なぜなら、それこそ「ホッブス"リバイアサン"の時代へ向かって歴史を逆行させようとする恐るべき悪魔的事態の出現」への警告であるからだ。

だからこそ、これら科学「知」や客観「知」は必ず「オミクス生命論の世界で一回性の生ある人間」として生きる我われ普通の人々の健全な<謙虚さ>をベースとして成り立っており(アナクロ・イデオローグ信者やAIシンギュラリティ信者、又はマッド・サイエンティスト、あるいはトランピズム信者らは別物!w)、異次元の現実解たるリアル・オルタナティブ正解が必ず存在すると確信する(or 偏向した特定のイデオロギーが仕掛けるフェイク、すなわちオルタナティブ・ファクトを安易に受け入れてしまう)ような精神のあり方(精神環境)とは一線を画する必要があることになる

・・・以下は、関連情報アラカルト・・・

◆【これは、「202101106トランプ支持派の連邦議会への乱入」事件で、見事に失敗してしまったが!苦w】トランピズムトなるオルタナティブファクトのカルト病理に罹患!の共和党が自らリカバリ能力を試される異常事態?情けないことではある!w →米下院共和党、140人が1月6日の選挙人投票の集計に反対へ 同党の2議員明かす0101CNN https://news.yahoo.co.jp/articles/e2701ed51e5b5bffecc8b163b937f99bd8bf0172

海外も懸念”の通り科学の中庸性の意義、真の"理念の役割=fiduciary"が理解不能な菅の社会的知能の低さが問題!アベに倣うムダ金バラマキしか能がない!新コロナ対策でも然り!Ex.↓♨  →目玉政策、高いハードル 脱炭素化・デジタル化 21年度当初予算案 閣議決定1222朝日 https://twitter.com/tadanoossan2/status/134187939789722828

◆【科学「客観知」と闇サイト「詐欺」(『日本会議』麾下、アナ黒カルト政治(アベ・スガ)orトランプ現象)の根本的な違い!一定の母集団におけるランダム分布データで客観的な推測値を求めるのが統計、それらデータ(処理)を個々の人間的「洞察」の補助に活用するのがデータサイエンス、一定仮想空間におけるビッグデータ等であく迄も限定的な「推測"参考"値」を求めるのがAIディープラーニング。https://note.com/toxandoria2/n/ndc24a525744c

海外も懸念”の通り科学の中庸性の意義、真の"理念の役割=fiduciary"が理解不能な菅の社会的知能の低さが問題!アベに倣うムダ金バラマキしか能がない!新コロナ対策でも然り!Ex.↓♨  →目玉政策、高いハードル 脱炭素化・デジタル化 21年度当初予算案 閣議決定1222朝日 https://twitter.com/tadanoossan2/status/134187939789722828

◆【科学「客観知」と闇サイト「詐欺」(『日本会議』麾下、アナ黒カルト政治(アベ・スガ)orトランプ現象)の根本的な違い!一定の母集団におけるランダム分布データで客観的な推測値を求めるのが統計、それらデータ(処理)を個々の人間的「洞察」の補助に活用するのがデータサイエンス、一定仮想空間におけるビッグデータ等であく迄も限定的な「推測"参考"値」を求めるのがAIディープラーニング。https://note.com/toxandoria2/n/ndc24a525744c

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https://note.com/toxandoria2/n/ndc24a525744c

◆【いわゆる拡張現実(AR)の1ジャンル、ゲーミフィケーョンと思われるが、それは潜性イノヴェーションの刺激として有意であるが"技術としての中庸性"を失わぬ工夫が肝心!】興味深いが「エトノス&オミクスの生命の論理、科学、および技術」の中庸性、つまりリアリティは必ずしも正しい意味での実在(一回生の!)とは限らぬ!の視点こそが肝心!?Cf.↓♨  →「他人と体をシェア36歳早大准教授の凄い研究 沖縄でスキー、シベリアでビーチを楽しむ未来1130東洋経済オンライン https://twitter.com/tadanoossan2/status/1333861931338194949

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♨【ゲーミフィケーションと拡張現実(AR)の問題新コロナの警告/ファシズム2.0に抗い持続を保障する潜性イノヴェーションはエトノス&生命の一回性を「共有する自由」で繋ぐ『日常』にある(2/2)https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2020/06/04/155449

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◆科学の価値中立性について/菅野礼司 http://jsa.gr.jp/04pub/jjs-opinions/value_neutrality/No08_5007_sugano.pdf

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6「宇沢弘文の不均衡動学」と通底する「スウェーデン・モデル」の再発見、そしてネオ資本主義の時代へ

・・・それは、「スウェーデン・モデル」から[ネオ資本主義、真のフィデューシャリー(fiduciary)の時代」へ進む道程である!・・・

 

6-1 市場原理主義ミルトン・フリードマンら)の天敵!宇沢弘文不均衡動学」の理論

 

  (宇沢弘文不均衡動学の鍵となる言葉)

宇沢弘文によれば、「不均衡動学」の新たな可能性の核心とは「それが❝社会主義の弊害(市場原理への過剰な抑圧)と資本主義の幻想(ネオリベラリズム、市場原理主義への過剰な誘惑)❞という両極端への暴走を克服するための動学理論」であるということだ。言い換えれば、それは「ヒトの生命(いのち)と自然環境の持続に役立つものであるべく数理経済理論で裏付けられた動学である」ということだ。

だから、2020米大統領選挙でトランピズム、つまりトランプ大統領のマイファースト&アナザーファクト幻想論(ディープ・ステート陰謀論など)の是非が問われた結果としてバイデンが勝利したことの真の意味は、次のような点にある。つまり、それは渦中の「経済(学)の第三の危機=市場原理主義の暴走」に対する有意な処方箋を、確実にヒトと自然環境の持続を目指すものへと改編するためバイデン政権が書き替える、そしてそれを必ず実行すると約束したということだ。だから、今後はバイデン民主党は、愈々、そのために重大な責務を負う(fiduciaryの深化が試される)ことになったと理解するのが肝心である

そして、その鍵となるのが「社会的共通資本」なるインフラストラクチャ―の充実と、その管理・運営のやめに必須となる「フィデューシャリー(fiduciary)の理念/換言すればリアリズム倫理」の二つということになる。つまり、この二つは❝非常に人間的でオミクス生命論的な価値観であるため、そもそもその揺籃の場でもあった自然環境を必然的に重視せざるを得ないことになる。なかんずく、その二本柱の土台と見るべき「社会的共通資本」がハイエクとミルトン・フリードマンのネオリベラリズム(新自由主義)の、即ち市場原理主義へのリアル実在の天敵となるのは明らかである

ところで、「フィデューシャリー(fiduciary)」の日本語訳は【受託者・信用上の倫理義務、又は福祉国家(又はそれをを志向する政府・行政府)の負託義務型倫理】であるが、duciaryの類語である「デューティー(duty)」は【必然の義務・務め】である。つまり、受託者として一般国民の生命を保守する義務、あるいはそのための信用上の務め、ということになる。従って、英米法上では「他者の信頼を得て行動する義務」、「他者からの信頼を受け止め、その人のための利益を念頭に置いて行動・活動するか、あるいはそのため助言をする義務」との意味になる。・・・以上の主な出典:大塚信一(元、岩波書店編集長・同社長)『宇沢弘文のメッセージ』(集英社新書)p204~ ほか・・・

<注>社会的共通資本 (Social Common Capital)とは?・・・宇沢弘文は。次のように説明している。出典:https://www.af-info.or.jp/blueplanet/assets/pdf/list/2009slide-uzawa.pdf

 

概念的には、以下の三つに纏めることができる。

ゆたかな経済生活を営み,すぐれた文化を展開し,人間的に魅力ある社会を持続的,安定的に維持することを可能にするような自然環境や社会的装置.fiduciary

社会全体にとっての共通の財産であり,それぞれの社会的共通資本にかかわる職業的専門化集団により,専門的知見と職業的倫理観にもとづき管理,運営される

一人一人の人間的尊厳を守り,魂の自立を保ち,市民的自由を最大限に確保できるような社会を志向し,真の意味におけるリベラリズムの理念を具現化する

 

具体的には、以下のように類型化できる。

(1) 自然環境 : 山,森林,川,湖沼,湿地帯,海洋,水,土壌,大気

(2) 社会的インフラストラクチャー : 道路,橋,鉄道,上・下水道,電力・ガス

(3) 制度資本 : 教育,医療,金融,司法,文化

* この分類は必ずしも網羅的ではなく排他的でもないあくまで社会的共通資本の意味を明確にするための類型化である
それぞれの社会的共通資本にかかわる職業的専門化集団により,専門的知見と職業的倫理観(フィデューシャリー(fiduciary))にもとづき管理,運営される

 

・・・

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同じく宇沢弘文によると現代資本主義が直面する重要な課題を二つ挙げるとすれば、以下の二つになるが、これらは相互に密接な関りを持ち、お互いに因果関係を形成しているが、基本的にはそれぞれが異なる性質を持つため、異なる分析方法が求められる宇沢弘文著作集Ⅴ経済動学の理論‐岩波書店‐)。

 

(イ)物価・賃金水準の不安定な上昇と失業との執拗な共存(そもそも、これは市場・金融・政治・行政(公共選択)らが責任を負うべき分野←補記、toxandoria

 

・・・失業とインフレーションの共存は1970年代になってから世界の資本主義諸国で最も重要な政策課題となったものであるが、これはそもそも、我われのリアルな日常(オミクス生命論で生き続ける/←補記、toxandoria)における不均衡状態についての説明可能な分析理論を持たない新古典派経済学の必然の帰結でもある。この問題はジョーン・ロビンソンが指摘したとおりベトナム戦争のマイナスの余波がもたらしたもの(それが第二の経済学の危機の直接的な原因となったこと/Cf. →第4章-2-(1))であるとしても、更にその隙を突いて経済理論の上で覇権を握ってしまったのが新自由主義(ネオリベラリズム)に基づく市場原理主義である。そして、それ「第三の経済の危機」の肩を現在押し続けていることになる(補記、toxandoria)。

 

(ロ)環境破壊・公害などの現象に代表される「社会的共通資本」の質的悪化と、それに伴う人々の実質的な生活水準の低下

 

・・・地域・国民・国際経済のエルゴン(±の両義的な潜性可能性の在り処給体制、およびその活動機能の劣化に起因する(←補記、toxandoria社会的共通資本が、国民経済のなかでどのような役割を果たしまた価格、賃金、雇用水準、経済成長率、実質的生活水準などというマクロ経済的な指標にどのような影響を及ぼすかという基本的な設問に関しても、従来の新古派典理論は我々になんの洞察も与えていない

・・・

 

ところで、宇沢弘文によれば、経済学の対象となるべきものには(A)「専ら市場活動を介し変化すべき(宿命的に、そうせざるを得ない)領域」と、(B)「極力、市場活動を排しつつ保守(保全)すべき領域」の二つの基本的に異質な領域がある(この部分は、オミクス生命論における個体の"持続性に関わる見立て"の部分に相当すると思われる。/補記、toxandoria

 

(A)の専ら市場活動を介し変化すべき(せざるを得ない)領域に該当するのが、(イ)のなかの<市場(および市場周辺・金融・政治・行政(公共選択)らが、それらの外部環境の整備について責任を負うべき分野>であり、一方で(B)に該当するのは、上で取り上げた(ロ)のなかの<社会的共通資本、および❝既にひとたび投資され❞ており企業・家計・個人らの内部で蓄積され、いわば個体・個性の持続のため血肉化し希少化した資源(オミクス生命論の個体・個性部分の内部環境に当たると考えられる/補記、toxandoriaということになる。

 

従って、新自由主義ネオリベラリズム)による市場原理主義が。(A)「専ら市場活動を介し変化すべき(せざるを得ない)領域」と、(B)「極力、市場活動を排しつつ保守(保全)すべき領域」の二つを諸共にゴッソリと、その名のとおり❝原理主義(厳密にいえば超抽象的な市場原理主義/@ツベタン・トドロフ)❞的に、あるいは狭義の❝概念飽和(Conceptual Saturation/@アンドリュー・セイヤー)❞的に、その一切を市場へ丸投げするのは、いかに当論を哲学的(例えばハイエクのカタラクシー(Catalaxy))に、又は数理経済論的(例えばミルトン・フリードマンの重力理論の援用)に、果ては❝預言❞詐欺師風(例えば竹中平蔵!w)に喧しく主張するとしても特に、オミクス生命論の視点(ヒトを含め凡ゆる生命は薄皮一枚の均衡でゼロサムを克服しつつ永続性・持続性を維持している!)で見れば、明かな誤りであろう(関連参照 →https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2020/03/25/042759 https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2020/06/04/155449

 

<注>「❝概念飽和(Conceptual Saturation/アンドリュー・セイヤー」および「超抽象的な市場原理主義/ツベタン・トドロフ」の委細については、下記★を参照乞う。

 

★新コロナの警告/ファシズム2.0に抗い持続できる新たなイノヴェーションはエトノス&生命の一回性を「共有する自由」で繋ぐ『日常』にある(1/2)https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2020/03/25/082423

 

宇沢弘文不均衡動学の重要な意義)

◆いまだに約4割の国民?(『20210106トランプ支持派(Qアノン、ネオナチ、白人至上主義者ら)連邦議会"乱入"、死者5名の悲劇で、トランピズム洗脳が解けたか否かを注視する必要はあるものの・・・)が選挙は不正だったと叫ぶ(共和支持層の8が、そうであることから推測すれば)からこそ<大格差を生む真の敵=市場原理主義の暴走>であることについて、より平易に分かり易く説きつつトランピズム陰謀論の妄想(≒カルト洗脳の病理)を解く具体策を果敢に打ち出すのがバイデン民主党の仕事!  →バイデン、過半数の選挙人を獲得「民主主義の勝利」/しかし、試練の次期政権1215朝日 https://twitter.com/tadanoossan2/status/1338962997964800001

バイデン勝利が確定2_R

 

・・・宇沢弘文によるジョーン・ロビンソンへの高い評価・・・

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・・・画像は、https://www.azquotes.com/author/32076-Joan_Robinson より・・・

 

宇沢弘文『経済学の考え方』(岩波新書)によると、ジョーン・ロビンソンJoan Violet Robinson/1903 - 1983/英国の経済学者mケインズサーカスのメンバーは、その生涯を通じ弱いものや虐げられたものに対し深い人間的愛情を注ぎ、傲岸なものや卑劣なものに対しては激しい憤りをもって闘った人物である。また、彼女が経済学の研究で最も重視したのは「すべての人間の活動は歴史的な意味でのリアル時間のなかで行われるものであり、それは単なる抽象的論理が繋がる体系ではない!」ということ(これは、まさに言語哲学の選言論(説)ないしはオミクス生命論を連想させる!/補記、toxandoria)であった(↑の画像は、https://www.azquotes.com/author/32076-Joan_Robinsonより)。

 

ところで、この「歴史的なリアル時間のなかで行われる人間活動のための経済学」について、そもそもの<不均衡動学>の着想の創始者でもあるジョーン・ロビンソンの紹介を兼ねて、宇沢は以下のように説明する

・・・現在は変えることのできない過去と、まだ知られざる将来(未来)との間に存在する断層(ヒトを始めとする生身の生命が生きるリアル"日常"空間の謂い!/補記、toxandoria)であり、その中での関係性は絶えず動いて止まらないものである。だから、人間の行動はこの<歴史的瞬間である現在/D.デヴィドソンの"原因の空間"と"理由の空間"を想起すべき!?>という時点で行われるという観点から<不均衡動学>という新しい構造で語られなければばらない。(出典:ジョーン・ロビンソン、ジョン・イートウエル共著/宇沢弘文訳『現代経済学』-岩波書店-)・・・

・・・宇沢弘文の『不均衡動学』はジョーン・ロビンソンの着想を更に推し進め、深化させた成果/ et それはオミクス生命論(特に、これは労働雇用の視点の重視と関連する)とも共鳴!・・・

<注>宇沢弘文『不均衡動学』における<労働雇用の視点>の重視が、オミクス生命論の考え方に接近しておりそれは宇沢がヴィクセルより後の時代のジョーン・ロビンソンのそれを引き継ぐためである、という理解については、当節の末尾に記した[関連資料2]を併せて参照乞う

 

・・・

つまり、宇沢弘文の『不均衡動学』はジョーン・ロビンソンの着想を更に推し進めて深化させた(言い換えれば、そのリアルの断層をより科学的に観察し数理論的にそれを描写・説明した)ものである。そして、その不均衡動学の研究対象となる領域は、前節で取り上げた「(イ)物価・賃金水準の不安定な上昇と失業との執拗な共存(そもそも、これは市場(および市場周辺の外部環境・金融・政治・行政(公共選択)らが責任を負うべき分野)」と、「(ロ)環境・公害・福祉・厚生などに関わる諸現象(血肉化し希少化した資源)の調整に関わる『社会的共通資本」の二つになる訳だ。

 

(イ)は市場的不均衡過程の枠組みについての数学を駆使した、文字どおり動学的な数理分析アプローチが主流となる分野であるが、(ロ)の社会的共通資本については、そもそも❝それは既にひとたび投資され❞たものなので、これは繰り返しになるが、その殆どは企業・家計・個人らの内部で蓄積され、いわば個体・個性の持続のため血肉化し希少化した資源である。言い換えればそれはオミクス生命論の個体・個性部分に相当すると考えられるため、基本的には保守すべき対象としての性質が強いものである

とはいえ、(ロ)といえども、それはリアル社会での経済活動の繋がりとしては(イ)の分野とも何らかの目に見えにくい部分で連鎖しており、特に計測不能な潜性イノヴェーションとも深く共鳴しつつ通底している関係にあり、殆ど気付かぬ形で相互に影響し合う可能性も十分にあり得ると考えられる。但し、

だからといって、いわゆる市場原理主義の如く(イ)と(ロ)を十把一絡げにして"市場原理主義"(例えば、M.フリードマン"重力物理学(修正重力理論)"援用の動学理論、又はハイエクの"カタラクシー論"など、『fiduciaryなどリアリズム倫理の視点を一切捨象した、只の抽象論理(or 天然キャラ的とさえ言える、両者の抽象論理"原理主義"!w)へリアル経済を丸投げするのは、そもそも真の「ヒトのための生命論的な動学理論」であるべきとする宇沢弘文の立場から見れば明らかな誤りである。

つまり、(ロ)については過去の投資の歴史的な変量の一定の集積と捉えることで、これも動学的な数理分析アプローチの対象となり得る訳である。ここでは(比喩的な表現となるが)、オミクス又はエピジェネティクスという超マクロないしは超ミクロな生命環境における高分子化学の"メチル化あるいはアセチル化などの"修飾"作用が、同時に、より高次のオミクス環境の影響をも受けざるを得ないという内部環境で行われることでもあることから、これら両者が非常に広範に連鎖・共鳴しつつエコーチェンバーするという意味が比喩的に連想できさえすればよいだろう(宇沢弘文は、実はこの様なことを数理論を使いつつ的確に説明している!宇沢弘文著作集Ⅴ経済動学の理論‐岩波書店‐

つまり、オミクス生命論的な視点で動学のリアル経済環境が想像できれば、そこでは個々人の生命を出来得る限り平等(対等)に保全するため、又それと同時に「赤の女王」の誘惑に抗いつつ、毅然としてリアル生命環境トータルの持続性を保守し続けるためには、フィデューシャリー(fiduciary)の倫理観(別に言えば、リアリズム倫理)と『社会的共通資本の理念』という日本の柱が必ず求められることになる。

 

・・・シュンペーター「静態・動態」と宇沢弘文『不均衡動学』の関連性、およびミルトンフリードマン市場原理主義」との決定的な差異・・・

 

更に、ここで想起すべきは「第4章-2-(2)」で書いた<シュンペーターの静態と動態の関係についての、その相互補完的な循環構造という理解の仕方は(それはオミクス生命論的な視座を想像させる!)、後述する<宇沢弘文A『不均衡動学』(B『社会的共通資本論』(フィデューシャリーで保守されるべき!と一体と見るべき経済理論であるということだ。

それは、「AとBは、前者A=動学、後者B=静学と見立てるとすれば、この両者は明らかに相互補完的な関係にあると見えるからだ。つまり、この両者は、現代のグローバル世界で、事実上、今や我が世の春とばかり恐ろしく専横な態度で跋扈する<市場原理主義(又は、❝大格差❞を倒すマイファースト英雄を騙る❝トランピズム❞、あるいは❝JPN追憶のカルト❞など凡ゆる陰謀論ないしは暴政のジャンル!)>に対する強力な天敵となり得る、非常に重要な経済理論として再認識すべきではないかと思われる。>ということだ。

そして、そのことについては、ほぼ30年にわたり宇沢弘文の著書の9割以上を編集者として手掛けた元岩波書店・社長の大塚新一氏が、以下のような趣旨のことを大塚氏自身の著書のなかで語っている(大塚信一『宇沢弘文のメッセージ』-集英社新書-)。

「その経験をとおし知ることができたのは、不均衡動学❞という一つの大きな成果に結実したその数理経済学は、宇沢弘文の学問と人柄が一体化したもであることに因ると思われる。その点が、元祖・市場原理主義の巨人の一人と目される同じ数理経済学者のミルトン・フリードマンと宇沢弘文の決定的な違いである。」

関連資料1:宇沢弘文の「社会的共通資本」が今、響く理由/コロナ禍で社会に本当に必要なものがわかった:占部 まり(宇沢弘文氏の長女/ 内科医)20201030東洋経済https://toyokeizai.net/articles/-/384561 

関連資料2:岩井 克人 (著)不均衡動学の理論 (岩波モダン・エコノミックス 20) ・・・ヴィクセルの不均衡累積過程の理論を再構築し、新たな立場からケインズ的経済理論を展開。伝統的な「経済学的思考」への理論的挑戦であり、ケインズ主義者対古典派復活論者の論争の地平を超える。←<注>同じ不均衡動学であるが、ヴィクセルより後の時代のジョーン・ロビンソンのそれをも引き継ぐ「宇沢弘文の不均衡動学」は、新古典派とケインズの両派を、特に「労働雇用の視点/オミクス生命論に近い!」において超克していると考えられる。その意味で、当然ながらヴィクセル(その最適人口論の視点)も取り込んでいる宇沢弘文の数理経済学は、特に「社会的共通資本」の役割りを重視するという点において、この岩井 克人 氏のケインズについての読み直しとしての不均衡動学とは全く異なる位置に立つと見るべきであろう。(補記、toxandoria/@『宇沢弘文著作集Ⅴ-経済動学の理論』-岩波書店-)

 

6-2 宇沢弘文『不均衡動学』と、古澤満「不均衡進化が解明したDNA増幅の基本の共鳴

 

(1)宇沢弘文『不均衡動学』と、古澤満「不均衡進化(Disparity Evolution)」』が解明した『DNA増幅の仕組み(論理&実証)の共鳴

 

<注>既述のとおりだが、<宇沢弘文A『不均衡動学』(B『社会的共通資本論』と一体と見るべき経済理論/∵AとBは、前者A=動学、後者Bとして、相互補完的な関係にあると見える!から>であり、この両者は現代のグローバル世界で一強覇権的に跋扈する<市場原理主義>に対する強力な天敵となり得る、非常に重要な経済理論として再認識すべきではないか?(資本主義経済理論の新たな希望の方向では?)と考えられる!

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◆【この視座の更なる理解に役立つ二つの知見!/↓★1,2】「一神教Vs多神教」なる<分断と決めつけ>から、例えば多様性を保証する<オミクス環境・生命論 ~ Fiduciary Ⅾutyの深化>への覚醒の契機として伝統神道を理解し直すぐらいの発想転換が必須である!ということ。Cf. https://note.com/toxandoria2/n/nba47ae28eff6   https://toxandoria.hatenablog.com/entry/20180503/p1

★1 トマス・カスーリス『神道』:伝統日本文化の意義・・・その特質は、十分に水平的なプロトモダニティ(日本型リベラル共和意識)が歴史的に存在してきたということ・・・https://toxandoria.hatenablog.com/entry/20180503/p1

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 ★2 ルイ・メナンド『メタフィジカル・クラブ』:プラグマティズムの現代的意義・・・日本でも必須と思われるネオ・プラグマティズム(“米国型リベラル共和”志向)の視点・・・ https://toxandoria.hatenablog.com/entry/20180503/p1

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・・・

<注>古澤満『不均衡進化(Disparity Evolution) 』の論理は、プライマー(DNA複製時の起点となる短鎖RNAまたはDNA)を利用する「PCR(ポリメラーゼ連鎖反応/polymerase chain reactionを使う)検査」におけるDNA増幅の論理と、それを実証すつための根拠ともなっている。(出典:やっと日の目を「見た不均衡進化理論」20180912 古澤満コラム、)https://journal.chitose-bio.com/furusawa_column37/ 

 

<参考>PCR検査について

・・・[新型コロナ検査、どれくらい正確?感度と特異度の意味:酒井健司2020年3月23日・朝日、より転載]新型コロナウイルスはRNAウイルスですので、最初にRNAをDNAに変換する作業がありますが、増幅の仕組みは同じです。・・・日本プライマリ・ケア連合学会の診療の手引きによれば、PCR検査はウイルスゲノムを検出するという原理から、一般論として感度(感染者を正しく把握できる割合)は低く(そこでこぼれたのが偽陰性)、特異度が高い偽陽性と判定される割合は低い)と考えられます。初期のPCR検査で陰性だが後日陽性となった患者等の検討により、感度は30~70%程度、特異度は99%以上と推定されています」とあります。ほかの専門家のコメントでもだいたい同じぐらいです。・・・感度が70%だとすると、感染者100人に検査して陽性が70人、陰性が30人になります。この30人は偽陰性です。原理的には微量のDNAでも増幅できるはずのPCR法でも、検体にウイルスが含まれていなければ正確な結果が出ません。・・・特異度は、感染していない人に検査をして、正確に陰性という結果が得られる割合です。推定では特異度99%以上と高いです。つまり、偽陽性(感染していないのに誤って陽性に判定されること)は少ないのです。・・・https://www.asahi.com/articles/ASN3M7G1XN3MULBJ01C.html

 

・・・

まず、ここで取り上げるのは「Covid19」に関わるPCR検査そのものの性能に関わる評価」のことではない。それは二本のDNAがほつれて複製されるときに生ずる「二本の鎖」についてのことである

一般に、生物が進化する途上での変異の大部分は、DNA複製の過程で生じる。そして、一本のヒストン(DNA を核内に収納する役割を担う塩基性蛋白質)に巻きついた二本のDNAがほつれて複製されるとき、「二本の鎖」のうち一方は連続して複製される「連続鎖」となるがもう一方は複製酵素の特異性で連続鎖と同じ方向へ鎖を伸ばすことができないので、敢えて断片状に複製されたもの(岡崎フラグメント)が結合され一本になり複製が完成する。これは「不連続鎖」と呼ばれる

そして、岡崎フラグメント(DNA複製の時によって形成される比較的短いDNA断片、https://sato-ayumi.com/2019/05/06/%E3%83%A9%E3%82%AE%E3%83%B3%E3%82%B0%E9%8E%96%E3%81%A7%E5%B2%A1%E5%B4%8E%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%B0%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%8C%E5%BD%A2%E6%88%90%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E4%BB%95%E7%B5%84/)がある「不連続鎖」では、遺伝子と形態の関係が不明確であるので分子レベルでは中立説(木村資生:中立進化説/https://goo.gl/Xa5vs6)、形態レベルでは総合説として棲み分けが行われるが、形態に影響する総合説の作用と細胞レベルへ影響を与える多様な環境(ミクロ or エトノス、別に言えばエピジェネティクスまたはオミクス)との共鳴・協調・競合が窺われるhttp://goo.gl/tQGcAY +補記@toxandoria )。

ともかくも、このうち「連続鎖」は変異の発生が極めて小さく、つまり保守的である(進化心理学上での伝達される文化、を連想させる!)。一方、「不連続鎖」は「連続鎖」合成に比べてDNA複製プロセスがかなり複雑になるため作用する酵素の種類数も多くなり、それだけ変異の発生可能性が大きく、つまり革新的・学習的であるということになる(進化心理学上での誘発される文化、を連想させる!)

そして、「連続鎖」での変異の発生が比較的大きいときでも(とはいえ、それは相対的に小さいものであるので)、諸環境の変動がない場合には、やはり変異発生の比較的小さい「連続鎖」側により現状がほぼ維持(保守)・継承される


他方、もし大きな環境変動が発生した場合には、変異発生が大きい「不連続鎖」側で変動に合わせる形で<変異の閾値>を作用させて問題の解決を図る(本源部分も保守しつつ変異に併せた全体の進化プロセスを次世代へ繋ぐ)ということになる「変異の閾値」とは遺伝情報が存在し得る一定数値の範囲のことで(それには限界があるということ!)、変異がこの「変異の閾値」を超すと遺伝情報は融解し<カオスの海>に沈むことになる。

恐ろしいことだが、これはアダムスミス(そもそも、それは誤解されたアダムスミスと言うべきだが!)、あるいはネオリベラリズム(新自由主義)に因る、市場原理主義への十把一絡げの愚かな丸投げ行為の如き自然選択、つまり神の手に委ねられることとなる。言い換えれば、この状況はブラックエレフアンとの発生による、一種のシャッフルに委ねられるため制御不能で大きなダメージを受けるか、我われ生命個体の死を意味することが連想させられる!

しかし、古澤満氏(発生学の進展に大きな貢献をしている研究者/元・第一製薬、(現第一三共)・分子生物研究室長)は、そう簡単に遺伝情報が<カオスの海>に沈む訳ではなく、自然選択(神の手)の役割とともに、木村資生氏の「中立的な意味での自由原理」(中立進化説)、あるいは「不連続鎖」側での<変異の閾値>の粘り強い作用の可能性が重要だとするそして、古澤満氏は、この「不連続鎖」側での<変異の閾値>の粘り強い作用を『不均衡進化(Disparity Evolution) 』仮説(細胞エトノス環境内でのネオ・ラマルキズム?)と名付けた訳だ。

<注>ラマルキズム( Lamarckism)とは?・・・J.ラマルクの考えを修正した進化学説。ダーウィンの進化学説が提出されたのちもラマルク思想が復活した。その説の中で「獲得形質の遺伝を主張する立場」が代表的であるがより根本的には「生物にみられる前進的発達の生命力(一種の潜性イノヴェーション的な、又はエトノス・オミクス環境論的な、あるいは選言論(説)的な生命論理のジャンル?)を進化の推進力と考えようとする思想」を意味する。https://kotobank.jp/word/%E3%83%8D%E3%82%AA%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AD%E3%82%BA%E3%83%A0-111150)。

このDNA次元での『不均衡進化(Disparity Evolution) 』仮説を正確に理解するには、古澤満氏が種の進化過程における遺伝情報の流れ方について想定した二つのモデル、「均衡変異モデル(従来型ダ―ウイニズムのセントラルドグマ/近年までの分子遺伝学では、専ら遺伝における情報の流れはDNAを翻訳して形質が発現する一方通行であるとされていたことを指す)」と「不均衡変異モデル(Disparity Evolutionの根幹)」の違いを知る必要があるが、余りにも煩瑣になるので、ここでは説明を省かざるを得ない。

ところで、古澤満氏は『不均衡進化(Disparity Evolution) 』のことを「元本保証された多様性の創出」とも称していることに注目すべきだろう。これを平たく表現すれば、「保守すべき価値(価値観)および人間としての最低限の権利、歴史・文化、自然・生態・生命環境、モノ、情報などは確実に守りつつ、大きな環境変化にも耐え得る革新性を何時でも発動できるように常時スタンバイすべきであり、又そのようなスタンバイを可能ならしめる知恵をメンバー間で共有し、かつ子供・若者・子孫等へ確実にそれを継承する教育こそが肝要」だということになる

また、DNA周辺の「細胞」環境を含む全ての体内環境を体内エトノス、あるいはオミクス環境と見立てることも可能であり、そのように考えれば、いずれ人間の内外エトノス環境を統一的・統合的に説明し得る「ネクスト・ステージの文化進化論、あるいはネオ資本主義論」などの可能性が、AI研究らの進化・深化と相俟って実現することになるだろう

 

(2)グローバル市場原理主義のドグマを超え、オミクス生命論的な『Fiduciary Ⅾuty深化の道を探る

・・・それは不均衡変異モデルにおける❝変異の閾値❞での<ゼロサムの赤の女王に抗う鬩ぎ合い>こそが生命持続の正体だという気付き!・・・

<注>"ゼロサムの赤の女王"については、「第1章‐(8)」を参照乞う。

 

核禁条約に参加せずの日本は真の「生命&環境」論に関わる意識が不在!オミクス生命論の視点で見れば、政治リアリズムと道徳観念は一向に矛盾しない!→(核といのちを考える 核禁条約、発効へ)地球に見合った科学進歩を 日本が不参加は残念!ガンダムの生みの親・富野由悠季さん1213朝日 https://twitter.com/tadanoossan2/status/1338405560073420800

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関連/望月衣塑子@ISOKO_MOCHIZUKI・・・唯一の被爆国でありながら #核兵器禁止条約 に批准さえできない日本政府。人類の未来に何のメッセージも残せない。恥ずかしいことだ。 核兵器禁止条約が発効へ 批准数「50」に到達、不参加日本の姿勢問われる #東京新聞 1面

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関連/3K独自情報!?fiduciary観念が全不在のカルト菅日本!新コロナ諸共に核の政治利用も謀るガースー! →「核の傘」日米共同声明に明記を新政権へ要求へ!首脳会談に向け新コロ感染拡大等で国際情勢が不安定化!を口実として米「核の傘」提供の明確化を狙う103産経 https://news.yahoo.co.jp/articles/9648c27e7e01b7317f6fa00f561fb5411e0458c9

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関連/女川ボロ原発(40年未満)も然りだが議論は尽された!と叫ぶ高浜町議会と原発推進派は傲慢&愚鈍の極み!「当」原則の原点たるフクシマ(過酷臨界事故&311大震災)を思い出せ!同意を焚付ける菅らは言語道断! →老朽原発 「40年」原則を思い出せ1126朝日社説 https://twitter.com/tadanoossan2/status/1331884678136008704 

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https://twitter.com/tadanoossan2/status/1331884678136008704

・・・委細の更なる検討に割くスペースがなくなってきたので、以下に[要検討課題の項目だけを箇条書で集約することを中心に、簡単なメモ程度に整理しておく。・・・

(1)新たな成長理論の可能性を秘める、計測不能な「潜性イノヴェーション」の問題

・・・これは、経済学とオミクス生命論に通底する重要なテーマだが"そもそも市民権が未だし!"なので、一般へのその理解の普及が課題となる。・・・

 ・・・シュンペーターの「静態と動態の問題」(第4章ー2-(2))で触れたとおり、ごく平凡な多数派の人々こそが「潜性イノヴェーション/エルゴン(死勢態・潜性態)=プレ・デュナミス(プレ可動潜性態・プレ可動潜在性)」の大きな宝庫ではないかと考えられる。・・・

 

・・・なお、当記事内で見れば「潜性イノヴェーション」の問題は、特に下記の部分(第5章-2、第5章-3)との関連性が大きい。・・・

 

5-2 原因の空間、理由の空間、エトノス環境、オミクス生命論について(fiduciary duty深化のためのベースとなる考察)

 

5-3 「科学知("人文・自然"両科学)および科学技術」の中庸性の問題

 

・・・

 

市場原理主義では見えないがfiduciaryで見えるものとは?言い換えれば、それが即ち潜性イノヴェーション(持続するオミクス生命の論理)! →(異論のススメ スペシャル)コロナ禍、見えたものは、不要不急と必要の間… 佐伯啓思1226朝日 https://twitter.com/tadanoossan2/status/1344400985020485634

潜性イノヴェーション1

潜性イノヴェーション2

https://twitter.com/tadanoossan2/status/1344400985020485634

・・・近年の生(命)化学、量子物理学ら先端科学研究フィールドにおける生命エネルギー論では、たとえばATP(アデノシン酸三燐酸)あるいは生体中の微小管(microtubule)などヒトの意識とプレ生命エネルギーたるエルゴンの(おそらく量子論的な?)関係性が注目されつつある(Ex.@R.ペンローズ、Cf.↓★)。

★コンシリエンス的“想像力”に因るリアリズムの復権と自覚が必須!/ バシュラール「形式的想像力・物質環境的想像力」と深く共鳴するマクダウエル「リアリズム倫理学」の核心(第二の自然)https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/09/01/165255

<注>潜性イノヴェーションの更なる委細は下記★を参照乞う。

★新コロナの警告/ファシズム2.0に抗い持続を保障する潜在イノヴェーションはエトノス&生命の一回性を「共有する自由」で繋ぐ『日常』にある(1/2)https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2020/03/25/042759

★新コロナの警告/ファシズム2.0に抗い持続を保障する潜性イノヴェーションはエトノス&生命の一回性を「共有する自由」で繋ぐ『日常』にある(2/2)https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2020/06/04/155449

 

(2)具体的な二つの展相(Potenz)の方向(事例)

 

米国で第一ゲームチェンジャーが登場・・・米国より日本の行動単独主義が突出したことが公共選択上の大問題!】資本主義のリーダーたる米国では公正資本主義の歴史が生きている!「20世紀初頭のニュー・リベラリズム」に学ぶ若きゲームチェンジャーたちが登場 https://note.com/toxandoria2/n/n3508558b3083

 

バイデンで株主第一が変わる鴨!株主第一・市場原理主義の見直しと女性重視の根源は、おそらく❝草創期❞米国史における自由を巡る民主・共和系両派の苛烈な葛藤への学びがある点も押さえるべき!正統歴史観を毛嫌う穴クロ菅❝君側の奸❞政権は他山の石とせよ! https://twitter.com/SamejimaH/status/1335340713739894787

株主第一2

https://twitter.com/SamejimaH/status/1335340713739894787

米国で第二ゲームチェンジャーが登場!・・・資本主義を創る協同プラットフォーム/中世コモンズ: GAFAに問う革新的伝統で[ No time!→ We have Time! ]の逆転が可!その心はAI「情報」と「協同組合」の結合 et 外界の思考!/付:リアリズム法学、米最高裁オリジナリズム判事、他 https://note.com/toxandoria2/n/nf511803822cd

 

(3)EUの展相(Potenz)経済学のルーツと見るべき『スウェーデン学派の北欧型人口論』が意味すること/ヴィクセル『最適人口論から宇沢弘文『不均衡動学へのステップ 

https://toxandoria.hatenablog.com/entry/20180806/p1 https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/03/05/153938

・・・忘れてならないのは『スウェーデン学派、クヌート・ヴィクセルの生活水準欧型人口論(最適人口論)』が意味する(人口問題に関わる生命論的な理解とも考えられる!)ことである。 社会的共通資本とヴィクセルの北欧型人口論(最適人口論)を直接的に結び付けて論じてはいないが、宇沢弘文は「社会的共通資本」が19世紀の終り頃にソースティン・ヴェブレン(19世紀・20世紀初頭期の米国の経済学者/マルクスと異なる視点で現代産業社会を分析した、制度経済学派の創始者)が唱えた制度主義の考え方を具体的なかたちで表現したものだと書いている。

・・・つまり、[社会的共通資本(宇沢弘文)、北欧型「社会福祉国家」の基盤となったヴィクセルの北欧型人口論(最適人口論)、制度経済学(ヴェブレンら米国の公正資本主義の伝統/参照、↓<補足>)]は、その土壌(一種の生命論的な経済学思想?)が共通していることになる。

 

<補足>制度経済学派または制度派経済学(Institutional School)

・・・アダム・スミスデヴィッド・リカードマルサスジョン・スチュアート・ミルなど英国の経済学者に代表される労働価値説を基礎とする古典派経済学を批判し、社会的な行動様式や集団的活動形態などの切り口から市場経済のあり方などを理解する経済学研究の一手法。ドイツ歴史学派の影響を受けつつ、ダ―ウイニズム(進化論)とプラグマティズムPragmatism/具体的な事象に即した有効性・有益性を重視する学派でアメリカを代表する哲学)の知見も取り込んでいる。

・・・19~20世紀初頭のアメリカ経済思想の黎明期は、レオン・ワルラス(Marie E.L. Walras/1834- 1910/スイス、新古典経済学派の祖)が活躍した時代にほぼ重なる。一方、その時代のアメリカは「プラグマティズム」と絡みつつ「制度経済学派」が台頭した時でもあり、その中心的存在がソースティン・ヴェブレン、ジョン・ロジャーズ・コモンズらであった。

・・・「制度経済学派」の創始者と呼ばれるソースティン・ヴェブレン(Thorstein Veblen/1857- 1929)の特徴は、「私的所有」よりも「社会資本」の充実を重視する立場であり、一部の階層が“金ぴか生活”をするための“単なる金儲けの手段”としての営利企業は“一国の産業体制そのものを管理し消費者に消費財を公正に分配する任務”(国民に一定の生活水準を保証する“社会的十分性”を担う役割)には適していないと考えた

・・・一方、ジョン・ロジャーズ・コモンズ(John Rogers Commons/1862- 1945)も「制度経済学派」の代表者の一人とされるが、彼の社会改良主義的な経済思想の特徴は“アメリカ伝統の自由主義的フレームを重視しつつ、強力な労働組合運動・独占的巨大企業・公益企業などに関する諸改革の実行について、その時代の州と連邦レベルの立法・行政(Law Makers)へ大きな影響を与えた”という点にある。そして、ロジャーズの到達点は「集団民主主義」(集団内での“個別的衡平性”の実現)で社会改良を促進する「公正資本主義」 (Reasonable Capitalism)ということ(=非マルクス主義的な経済発展段階説)であった

・・・いわば、これら19~20世紀初頭のアメリカ経済思想の黎明期に一世を風靡した“現代アメリカ経済思想の源流”とも見なすべき「制度経済学派」に属する経済学者に共通するのは、「社会に公正をもたらす資本主義」を実現しつつ、アメリカ建国いらいの伝統である“個人の自由原理に基づく個人の行動領域を最大限に解放し、それをより一層拡大する”ということであった

 

(4)オミクス生命論から見える「あるべきベーシック・インカム」(宇沢弘文『社会的共通資本』を具体化し、かつ補完する役割を担うの問題

・・・まず「ベーシック・インカムの意義は、それがそもそも不均衡動学における社会的共通資本の一環である」という点にあることをシッカリ理解することが肝心である。・・・

 

★参考資料/「エネルギー通貨」モデルこそ「新しいマクロ金融」のエルゴン/その一例がべーシックインカム、https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2019/09/02/124628

 

6-3 欧米トップ知と日本の決定的落差、その核心と見るべきこと

 

(1)フィデュ―シャリー(Fiduciary Duty観念)の有無:欧州(北欧:特にスウェーデン、米国最高裁・合衆国憲法解釈(+米伝統のプラグマティズム))

・・・米欧の両者が共有すFiduciary概念のルーツは、(a)「メンガー(オーストリアン(生命論的な農業経済学の伝統、更に遡ればケネーらフランス農業経済学)の影響を受けたヴィクセル(最適人口論/スウェーデン)→ヴェブレン、J.R.コモンズらの制度経済学派(北米)の繋がり」、およ(b)「リアリズム法学(法哲学イデオローグ)の伝統20世紀初頭のほぼ同時期に北欧と北米で別々に起こった)」という大きな二つの流れ、と見ることができる

・・・しかし、我が国では、本来であれば、この種のフィデュ―シャリーやソーシャル・ポリシーの根本を左右する経済史の重要な流れに関心を持つべき国会議員ら(Lawmakers)の過半数が大変な“遊び好きバカリで、しかも彼らの殆どはヤクザ同然と化しており、あるいはLawmakersとして、そもそもあるべき志を喪失した、まるでかの旗本・御家人の如き世襲議員”だらけ!というのは実に悲しむべき事態である。

・・・もう手遅れかもしれぬが、これからでも致し方がないので、そのような意味でゴロツキないしは只の徒党集団化してしまった、そして「そもそもの民主主義政治と公共選択のあり方の基本」等について全く無知な(あるいは無関心な!)日本の国会議員(特に保守系を自認する)たちは、スウェーデンなど欧米諸国からフィデュ―シャリーの意義について真剣に学ぶべきである

 

(2)現在のスウェーデン・モデル周辺への宇沢弘文の影響について

・・・上の(1)で見たとおり重要な公共選択に関わる、オミクス生命論的とも言えるフィデュ―シャリーを基盤とする二つ「経済史周辺」の流れ(a、b)は【20世紀初頭以降の<シュンペーター、ハロッド、ジョーン・ロビンソン(ケインズ理論の本格的な”ヒトのための経済の動学化”の努力、非常に先見的でfiduciary的な観念の人物である宇沢弘文『不均衡動学』>らによる「新古典派の静学型市場均衡動学化→不均衡動学化」】という、新古典派の伝統経済学(総じて言えば静学の視点)をヒトのための生きた経済学へ(いわば"生き続けるヒト"のための本格的な動学の視点)へ、レベルアップするための血がにじむような努力の積み重ねへ、と重なっていることが理解できる。

・・・なお委細は省くが、大塚信一(元、岩波書店編集長・同社長)著『宇沢弘文のメッセージ』(集英社新書)によれば、

「宇沢弘文の『最適経済成長の理論(不均衡動学および地球環境(温暖化)問題に関わる研究の一環)』が、宇沢のスウェーデン王立科学アカデミーにおける研究時代(1991~)の成果を介し、その後のスウェーデンの環境関連政策、ひいては国連の地球温暖化問題等でベースとなる考え方などへ大きな影響を与え続けている。

 

(3)スウェーデン・モデルの新たな可能性

フィデュ―シャリー(Fiduciary Duty)は、日本でも嘗て流行った?モラル・ハイグラウンド(非常に観念的な道徳的卓越性の理論)と似て非なるものと考えられる。例えば小泉・安倍両政権は此のモラル・ハイグラウンドの権威?とされる高名な学者(猪口邦子)らを見事に政治利用してきた。そして、その典型的な弊害の表れが、唯一の核兵器被爆国である日本の<「核兵器の開発から使用までを全面禁止する核兵器禁止条約の批准」非署名>の問題である。それは例えば↓◆を参照すればスッキリと分るはずだが・・・、特に日本では本物の「生のリアリズム」(オミクス生命論的な謂い!)についての理解が不十分であると思われる。菅内閣(半知性主義 or 反知性主義?w、つまりアナクロ・カルト政治権力)の日本学術会議マターの「病因」も、おそらく此の辺りにあるとの理解が得られる。

◆(再録)行為とその合理化―共感・共同行為への問いの根底にあるもの―川瀬和也(宮崎公立大学・准教授)・・・D.ディヴィドソン「"心的&物的"両トークン同一(対等)説」でリアリズムが認識できれば、fiduciary(≒マルクス・ガブリエルの外界の思考、オミクス生命論理のジャンル)の重要性がわかる!?
https://actiontheories.files.wordpress.com/2014/05/studies_on_action_theory_3_kawase.pdf

 

(関連/参考資料)

 

●斎藤幸平:経済思想史、へーゲル哲学、ドイツ観念論マルクス主義哲学、マルクス経済学、『人新世の本論/集英社新書
●川瀬和也:研究キーワード /プラグマティズムヘーゲル哲学 、心身問題 、分析哲学 .ドイツ観念論心の哲学、行為の哲学 、『ヘーゲル現代思想/寄川条路編著、晃洋書房

・・・無論、現在のスウェーデン・モデル(公共選択またはソーシャル・ポリシー)を完成形と見るのは誤りであろう。例えば、渦中の新コロナ対策では個人の自由と責任を重視するという原則に則ったものであるが、それが裏目となり特に高齢者の死者数が大きく目立つことが世界的に批判されたという現実がある。但し、それも見方しだいのようではあるが・・・(Cf.↓画像)。更に、協同組合方式を重視する高度な社会福祉国(政府に対する国民からの信認も篤いとされる)とされるスウェーデンだが、一方では金融・軍事等の側面では新自由主義的な資本主義の激烈な競争(特に、金融市場原理主義)へ傾斜しているという側面もある。

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https://twitter.com/AyakoMiyakawa/status/1343831932203905024

・・・しかしながら、スウェーデンにはモラル・ハイグラウンドの如く只の言葉遊び(あるいは将来の見通しも深い考えも一切ない与党政治の小手先の小道具)として弄ぶのではなく、国民の日常における幸せな生活の持続ということを確実に視野に入れた、いわば後述する"外界の思考"的な、あるいはマクダウエル『リアリズム倫理』と同じく、全く新しい倫理観とも言える、『新しい自由の知』たるフィデュ―シャリが存在する。

・・・そして、スウェーデンにはフィデュ―シャリー(Fiduciary Duty)の実現を目指す公共選択の階梯を一貫して着実に歩み続けてきた実績の積み重ねがある。無論、それを支えるアカデミズムには、軽佻浮薄な日本とは異なり、経済思想的な視点から有意な成果を求めて真摯に探究し、それを内外へ発信し続けるスウェーデン学派の経済学が存在する。

因みに、マクダウエルの『リアリズム倫理』とは、「道徳的実在論」とも呼ばれるが、それは「自然と対比的にリアリズム倫理を、言わば第二の本性(自然)」と位置付けるものである。これは、マクダウエルの選言論、および後述する「外界の思考」(@マルクス・ガブリエル)とも関係する非常に重要な概念なので、下記の部分(既述/★)も併せて理解する必要がある。

★『第5章‐2 原因の空間、理由の空間…』-(ドナルド・デイヴィドソンがマクダウエルの選言論を支持する背景)、および(<補足>ジョン・マクダウエルの『リアリズム倫理』について・・・

・・・ところで、フィデュ―シャリー(Fiduciary Duty)的な考え方が、欧州においては良い意味で他の国々へも波及している。例えば、目立つのはドイツの「社会的市場経済(Soziale Marktwirtschaft)」の伝統である。これは、ドイツの経済学者で、文化社会学者でもあるミュラー・アルマック(Alfred Müller-Armack/1901- 1978)が構想し市場経済についての考え方である

・・・ミュラーアルマックは、キリスト教的な社会論(社会倫理)とヴィクセルに影響を受けており、市場経済の結果に対する国家の影響力行使の可能性について(従って国家はその結果にも何らかの責任を負うべきする)の理念を明確に表明した。しかし、ドイツの社会的市場経済においても、その名の下に集まる経済学者は、新古典派から新自由主義までの幅があり、特に1970年代以降は「オㇽド自由主義(Ordoliberalismus)」の経済学者たちが主流派となってきた

・・・因みに、オㇽド自由主義はドイツで生まれた社会・経済思想だが、端的に言えばそれはケインズ主義に反対するドイツ源流の新自由主義(市場原理主義)である。一方、若い世代の経済学者たちは主に米国への留学経験者が多い。そのため、英米流の新自由主義(+マネタリズム)と共に過酷な格差(勤労者のルンペンプロレタリアート化)問題への反省から、今や急速に復権しつつある?米国ニューケインジアン(価格と賃金の硬直性の背景に市場以外のファクター(おそらく潜性イノヴェーションの視点も?)を見る立場)も学んでいるはずだ。

・・・そのため、「20200616日経・エコノミスト/「(コロナ禍に因る)独、財政規律緩和の真相:・・・オーラフ・ショルツ氏(財務大臣)はありきたりな財政の議論から思い切って一歩踏み込み、ドイツの投資不足や依然として低賃金労働の仕事が雇用の大きな割合を占めている問題、EUにおけるドイツの役割といった幅広い議論を展開すると思われる。大きく変わらぬとしてもドイツでの議論は少なくとも変わるだろう。 https://twitter.com/tadanoossan2/status/1272947913082064896」 によれば、ドイツ政界の重鎮たち(例えば、オーラフ・シュルツ財務大臣のほか、シュルツ氏の主任エコノミストであるヤコブ・フォン・ヴァイツゼッカ―氏、シュミット財務副大臣、ヨルグ・クーキース副大臣ら)と若い世代の経済学者たちとの間では、目下、盛んに議論と意見交換が電子ツールなどを介して行われ続けており、ここから"ミュラー・アルマックのそもそものSoziale Marktwirtschaftのフィデュ―シャリー的な外界の思考(@マルクス・ガブリエル)に沿った全く新しい方向性"が芽生える可能性が見込まれている。

・・・ともかくも、このようなドイツに限らず、今も"市場原理主義"一本槍ではない欧州全体には、つまりこれまで述べてきたヴィクセル(最適人口論スウェーデン)、ヴェブレン(制度経済学派/北米)、そして宇沢弘文(不均衡動学)らの経済思想の根底には、メンガーオーストリアン:生命論的な農業経済学の伝統が、更にその祖先を遡ればケネーらフランス農業経済学)由来の、言って見れば「オミクス生命論」的な空気が色濃く連綿と流れている。

19世紀に活躍したヴィクセルと19世紀末~20世紀前半のヴェブレンに直接的な関係はなく、宇沢弘文も「ヴィクセルの最適人口論」をソックリ踏襲している訳ではないと思われる。おそらく宇沢弘文は"最適"の意味を"エトノス環境と見合った生命活動(オミクス生命活動)圏"と読み替えつつ、得意の「科学的数理論の知」を駆使して「社会的共通資本(おそらくその意味でのベーシック・インカムも含む)」を主柱とする動学経済理論("ヒトの幸せを持続させるための不均衡動学"を創出したと考えられる

・・・結局、宇沢弘文はシュンペーターの静態と動態の相互補完的な関係に対し「ヒューマンスケールの生態学的システム論」の視点を付加することで、更に価値創造の可能性として「計測不能な潜性イノヴェーション」の要素(エトノス環境の内部に包摂されているからこそ生き続けられるヒト故の潜在可能性)をも暗に取り込むことで、従来の「欲望の経済学」とは異なる、例えば<オミクス生命論的な新しい資本主義の方向性>を実現するための理論の柱として「不均衡動学」を創造像したと考えられることになる

・・・つまり、その視座からすれば「個々人の要望を放任する自由主義の市場経済ではなく、一国の政府と国民が理解し合い協力しつつ自覚的・自律的・抑制的かつ限定合理主義的に広義の地球環境トータルをコントロールする」ことが非常に重要であることになる。従って、そのような意味で「資本主義経済は、社会的にコントロールする市場経済であるべき」だということになると考えられる

・・・従って、我われ人類が「フィデュ―シャリー(Fiduciary Duty)の深化に永続的に務めるべき」とする倫理観は、決して只の机上の空論であることは許されず、それは必然的に「リアリズム倫理」(外界の思考)であるべきだということになる

 

(エピローグ)再考すべきM.アンリの美学

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・・・市場原理主義を超えた、新しい展相(Potenz)の経済学に必須と見える「触知型崇高美の更なる理解」のために・・・

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・・・それは、感覚と親和する感性(生命個体のフリンジ)、抽象観念と親和する感情(ヒト故の抽象観念への飛翔)のフェーズ、権力化した感覚・感性・感情の社会的浸透がリアル化し物象(経済社会)化する問題!・・・その結果として、階級(層)・差別・ヘイト・分断が生ずる!/ピエール・ブリュデュー『 La distinction』とも共鳴?https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-02-9782707302755を探求する注目すべき美学!・・・

 

(M.アンリの美学の前提となる『感情の海』の概要

 

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Joseph Mallord William Turner Norham Castle, Sunrise c.1845

M.アンリ『実質的現象学』(叢書ウニベルシタス/法政大学出版会)によれば、M.アンリ(Michel Henry/1922 - 2002)は、次のような原点となる視座から論考を深めて行ったと思われる。<自分一人が、あるいは自らを含む一定数の人々が、仮に、いま突然に此処で命絶えることがあるとしても、自らの周辺を含み此の世界に生きるその他大勢の人々は、何事もなかったかのように、今までどおりの日々を生き続けてゆくだろう。

しかし、このように絶えず流れ去る世界の中で、個々人の「絶対的主観性」を保障する<現象学的実在性(真理)>とは何であるのか?> そして、同じ現象学と呼ばれるものであっても、M.アンリは、<現象学(委細/参照、https://toxandoria.hatenablog.com/entries/2017/09/01)における「形相(エイドス)、質料(ヒュレー)」の作用因(アリストテレスによる)=抽象的認知>と、<自ら(M.アンリ)の現象学における「絶対的主観性」に内在する作用因=実存的認知(‐意識)>を全く異なるものとして峻別した。

従って、M.アンリの<実質的・志向的現象学/普通の意識では見えず、かつ理解不能な個々人の内奥にある真理の中核たる意識作用(コギタチオ)の探求プロセス>におけるエイドス(形相)とヒュレー(質量)の両者に相当する概念は、フッサール現象学とは異なり、外部世界の現象学的な形相的「与件/現出」以外の実在とも共鳴し得る多様な志向性(様々なベクトルを帯びた意識)を獲得することになった。

言い換えれば、M.アンリの現象学では、作用因としてヒュレー(質量)が最も重視されていることになる。もっと分かり易く言ってしまえば、M.アンリは、個々人の絶対的主観性の意識作用(コギタチオ)の実在性として視覚と結びつき易い形相(エイドス)よりも触覚・痛覚らとの親和性を十分に想像させる質料(ヒュレー)を採用していることになる。

そして、M.アンリは絶対的主観性の実在性(その中核に内在する真理)の現象学的な「与件(現れ)」として「感情」の表出を措定する。その絶対的主観性の核心(自己性の湧出源)となる「与件」の背後、個々の絶対的主観性の中核には、その与件(現れ)を含む広大な「感情の海」(超越論的情感性/affectivite)が存在すると見るのがM・アンリの特徴である。

つまり、「視覚」以外の知覚(内感の窓口としての触覚なども含む)を重視しているという点が、「視覚」という個々の形相的な与件(現れ)と結びつき易いエイドス(形相たる意識内容(コギタートゥム/cogitatum))を重視するフッサール現象学(やや設計主義的な理性の現象学)と、片や触覚を重視するM.アンリの現象学(“感情の海”の拡がりを想定する情感性の現象学)の根本的な差異であると思われる。

なお、[神谷英二:情感性と記憶―アンリ現象学による試論(1)/福岡県立大学人間社会学部紀要2005,vol.14,No.1,21―36 http://u0u1.net/GN7E]によれば、<情感性(affectivite)とは何か?の問い>によれば、M.アンリ以前のヨーロッパ哲学は必ずしも十分な答えを提示してきたとは言えないようだ。

 

(M.アンリの美学の本質は生命の持続のための❝外界の思考❞/セザンヌとモネの事例)

 

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『私(セザンヌ)があなたに翻訳してみせようとしているものは、もっと神秘的であり、存在の根そのもの、感覚の感知しがたい源泉(自然・伝統・文化エトノス、オミクス/補、toxandoria)と絡みあっているのです。』という、セザンヌの友人であったガスケの言葉(@ガスケ『セザンヌ』‐岩波文庫‐)は、そのままモネにも当てはまるといえよう。

ただ、セザンヌとモネでは夫々の美的表現「技巧」のアプローチが異なっていた、ということである。すなわち、セザンヌは、自らに固有な気質・情感の実存と共に、物質の本質に対する強い探求心によって自然に対し科学的な視覚で肉薄する努力を積み重ねており、それがセザンヌ絵画の重厚なリアリティの秘密(情感と自然、二つの実在の融合としての実存)となっている、と言えるかもしれない。

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Impression: Sunrise. 1873. 48 x 63 cm Oil on canvas. Musée Marmottan, Paris, France. Claude Monet 

一方、モネにとってモチーフと物質的な本質への探究は、もはや、あまり重要ではなくなっており、モネの関心はもっぱら「視覚的に思考するということ」であった。言い換えると、それは「そこにある光と時間の印象(美的印象)を捉えて表現する」ことである。

だから、特に、30作品にもおよぶ連作『ルーアン大聖堂』では刻々と流れる時間に伴いながら多様に変化し続ける“光と色彩の印象”だけが表現されている。しかし、実はその“光と色彩と時間の流れの印象”は、外界の気象など自然エトノス環境との間で建造物(ルーアン大聖堂)自身が目まぐるしく取り交わす“交流”の現われと見ることもできる。

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The Rouen Cathedral. 1893-1894. Oil on canvas. Louvre, Paris, France.Claude Monet

ところで、「外界の思考」(fiduciaryないしはリアリズム倫理の住処?とさえ感じられる動的で生き生きした精神環境)という哲学的でユニークな考え方がある。これは、新実存主義を提起する新進気鋭の哲学者マルクス・ガブリエルの言葉であり、それは内外のエトノス自然・社会環境との深い関係性を維持する❝感性に優れ、感情豊かなヒトの意識❞のことを意味するが、その先鞭を付けたのは他ならぬM.アンリの美学ではないか?と考えられる。

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そして、これは「龍安寺・石庭」が我われ(の内心に拡がる広大な感情の海)に永遠の静寂なる感動を与える秘密を解明するヒントをも与えてくれているようだ。つまり、それは開放系の意識のホライゾン、すなわち外界の思考を心地よく刺激する生命論的な❝光の系譜❞(❝閉鎖系の闇❞ならぬ!)の無意識とでも呼ぶべきものかもしれない。

いずれにせよ、それぞれアプローチの手法は異なってはいても、モネとセザンヌは「外界の思考」、いわばオミクス生命論の美学を実践した芸術家であるといって間違いではなさそうだ。見方を変えると、「色彩を強調したモネの一瞬一瞬の違いの表現」は“感動を伴う生きた感覚と感性”の表現であり、一方で「その変化しながらも変わらないものについてのセザンヌの表現」は<形象認知的な“象徴性”と共鳴した生の一瞬の表現>といえるかもしれない。

(完)・・・(前編のULRはコチラ↓です)https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2021/01/10/052301

https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2021/01/10/050440?_ga=2.225084762.1169094882.1610196175-1679186380.1582187463 (別ヴァージョン・・・内容は同じです)

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■大格差、温暖化、新コロナ、トランプ残像で煩悶する世界!が、今こそオミクスと不均衡動学(宇沢弘文/新自由主義の天敵)の『自由の知』、フィデューシャリーヘ果敢に挑戦する時!(前編)

 

■大格差、温暖化、新コロナ、トランプ残像で煩悶する世界!が、今こそオミクスと不均衡動学(宇沢弘文新自由主義の天敵)の『自由の知』、フィデューシャリーヘ果敢に挑戦する時!(前編)

(冒頭のイメージ画像 は、https://www.pinterest.jp/marekassti/wallpaper-japan/ より転載)

 

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[当記事の目的]

Fiduciary (Fiduciary Dutyが「オミクス生命論の『自由の知』」へと、ある意味で必然的に深化しつつある欧米の流れ(歴史・現況・展望)の概観が、当記事の主な目的である。 特にフィデュ―シャリー(Fiduciary)に関連する部分については、随時、記事の中で詳述する。なお、「オミクス生命論の『自由の知』」(宇沢弘文の『社会的共通資本と不均衡動学』)については[6-2 宇沢弘文『不均衡動学』と、古澤満「不均衡進化が解明したDNA増幅の基本の共鳴]で詳述する。

<注>Fiduciary Duty とは?(ひとまずの意味)

・・・米国の法律では非常に頻繁に出てくる用語で、一般的には米国憲法上の概念とされる概念である。しかし、Fiduciaryに は日本語の統一的な訳語が存在しない。そして、そもそもFiduciaryは「Duty of Care」と「Duty of Loyalty」という2つの意味が併存する(法的な概念)である。Duty of Careは「同様のポジションにある場合に、委任された人の職業・専門家としての能力・社会的地位などから考えて、通常期待される善良な義務を負うべき立場の方の人が、より選択すべき可能性がある方法で奉仕すべき義務」ということなので、これは既成の「善管注意義務」(善良な管理者の注意義務)の訳語が対応する(日本では民法644条にある)。「Duty of Loyalty」は、「自分の利益を後回しにしてでも忠実に、当然あるべき義務を果たす」(言い換えれば、大きな自然環境の下で、たまたま希少な生命あるヒトの親という立場に置かれた自分として、当然果すべき役割と考えられる親としての義務を果たす、ということ)である。例えばFamily Lawの世界では、親は未成年の子にFiduciary Dutyを負っているので、自分の身の危険をかえりみず子の安全を守るべきだ、ということになる(参照:山本法律事務所HP)。Dutyhttps://yamamotolaw.pro/fiduciary-duty/

(プロローグ)

(1)宇沢弘文を読み解く連続セミナーが、一昨年いらい開催中!(↓★)

ハイエクのカタラクシーら市場原理主義の対極が社会的共通資本!Ex.不要不急の藝術には潜性イノヴェーションがある!@アートディレクター・北川フラムさん、他 → 宇沢弘文の経済教室「社会の幸福」、再考の時!20210104日本経済新聞twitter.com/tadanoossan2/status/1346304907612020737

宇沢弘文を読む―社会的共通資本から現代の課題を考える/第1回「資本主義と闘った男―いまなぜ<宇沢弘文>か」、・・・主催 クラブヒルサイド、宇沢国際学館 問合せ:クラブヒルサイド事務局 TEL: 03-5489-1267 (11:00-21:00 月曜休)FAX: 03-5489-1269 E-MAIL : info@clubhillside.jp
取り上げる本 宇沢弘文著『社会的共通資本』(岩波文庫
佐々木実『資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界』(講談社http://hillsideterrace.com/events/9366/

宇沢、再考の時!

twitter.com/tadanoossan2/status/1346304907612020737

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・・・宇沢弘文に師事し、ノーベル賞を受賞したジョセフ・ステグリッツの追悼の辞によれば・・・「宇沢先生は私に、特定の利害から離れ、社会の幸福に関心を寄せることが大切だ」と語った。【写真↑】宇沢愛用のデスクがある部屋で思い出を語る長女の占部まりさん(内科医)【補足訂正】↑の 「潜性イノヴェーション」→ しくは「計測不能な潜性イノヴェーション」

(2)「クズネッツ曲線の誤り」と展相」の必然性について(展相=Potenz)

<注>Potenz(展相)とは?

・・・すぐ後に再び委しくふれるが。そもそもドイツ語の原義は掛け算された結果の数のことだが、持続しつつ内在する力が徐々に高まることも意味する。此処(政治・経済・哲学用語)では、特に政治的な意味での「健全な共同体のパワー」が徐々に潜在する生命力を高めつつ、絶えず自然界を超然支配しようとするゼロサム「赤の女王」の誘惑(委細後述)に抗いながらオミクス生命の論理を有効なツールとして持続的に発展することを意味している。

・・・クズネッツ曲線の誤り・・・

トマ・ピケティの著書『21世紀の資本』は、1%(または0.1%)問題を論じており、結果的に新自由主義(特にそのトリクルダウン)の論拠の一つであるクズネッツ曲線の誤りを指摘した。つまり、ピケティによれば、2015年の時点で世界富裕層トップ1%のシェアは残り99%の人々の富(ストックを上回ってしまったhttps://www.econ.hokudai.ac.jp/~hasimoto/resume-piketty-capital-in-the-21st-century.pdf)。ケイト・ラワース(Kate Raworth/a renegade economist focused on exploring the economic mindset needed to address the 21st century’s social and ecological challenges, and is the creator of the Doughnut of social and planetary boundaries.https://www.kateraworth.com/about/)の著書『ドーナツ経済学が世界を救う』の第五章「分配を設計する/ふたたび成長率は上向く、から設計に因る分配へ」の中でこのことを詳しく論じている。

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クズネッツ曲線は、米国の経済学者サイモン・クズネッツが提唱した曲線であり、国が豊かになるにつれて不平等は必ず拡大するが、やがて最終的には、必ずそれが自然に収縮するとしている(画像はhttps://www.youtube.com/watch?v=_OgQkzk7gQEより)。同じことを、開発経済学創始者であるW・アーサー・ルイス(英国出身で米国で活躍した)は「開発は非平等主義でなくては進まない」と断言しており、クズネッツとルイスの二人は成長と不平等に関する理論が評価され、それぞれノーベル経済学賞を受賞している。その後、経済学者たちはこの「ジェットコースター」(ケイト・ラワースがクズネッツ曲線に付けた仇名)の上昇と下降の例を探し続けることになった

しかし、2013年にトマ・ピケティが資本主義下の長期的な分配のダイナミズムを突き止めたことで、この「ジェットコースター」(クズネッツ曲線)の誤りが明白となった(トリクルダウンの効果があるとしても、それは初期段階の一時期に止まる)。つまり、ピケティは金融資産を所有する家計と、労働所得のみに頼る家計に分けたうえ、米国と欧州の古い税の記録を遡りつつ、これら二つの異なる収入源の成長を比べて<クズネッツ曲線とは全く異なり、西欧と、それに準ずる経済が非常に危険なレベルの不平等へ向かっている>という現実を明らかにしたのである。

そして、ピケティは次のように結論付けている。・・・『このような資本主義の下では横暴で持続不能な不平等が一人で生まれる。その不平等によって、民主的な社会の基盤である能力主義的な価値観は根底から崩れる。』・・・

・・・展相(Potenz)の必然性・・・

展相(Potenz)は哲学用語(原義は上で述べたとおり)であるが、ひとまずは「自然、物質、情報、観念ら異相の境界を越えて順次に共鳴しながら一定の系を保持しつつ相転換しつつ強まっていく力(必ずしも計測可能とは限らない)」と理解しておけば大きな間違いではないと思われる。その典型事例として量子物理学におけるコペンハーゲン解釈を挙げておく(参照↓補足)。また、ジルベール・シモンドン『個体化の哲学/法政大出版』を一読すれば、<存在の特定の相(情報、形相、特異点)>なる概念で一定の系が連続する多層構造(~量子物理学“スケール”~物理・化学“同”~生命“同”~宇宙論“同”~)のリアリティを理解することができるが、それは近未来の<オミクス論的な生命観と倫理観>の新たな可能性を予感させる。そして、このジルベール・シモンドン『個体化の哲学学』の重要な鍵概念と考えられるのが「展相(Potenz)」である。

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<補足>コペンハーゲン解釈について・・・量子力学の哲学におけるテーマの一つに解釈問題がある。解釈問題とは,その名の通り,量子力学の理論をどのように解釈するべきかという問題である(補記、toxandoria/堀田昌寛氏( 東北大学, 理学研究科, 助教)が指摘するとおり、それは実在論的解釈(ontological intepretation)ではなく、認識論的解釈(epistemological interpretation)の問題!愈々、この領域は理系・人文系の垣根を超えたコンシリエンスの視座が必須であると、特に若い研究者の間で共通理解されつつある!)。https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/09/01/165255

因みに、「無限」についての解釈も、数学的無限・物理的無限・形而上学(認識論)的無限の三つのカテゴリーに分けて考えるべきである。(足立恒雄著『無限のパラドクス/講談社ブルーバックス』)

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・・・以下は、堀田昌寛氏のコペンハーゲン解釈に関わる論文↑[波動関数の収縮(崩壊)はパラドクスではない!20140405堀田昌寛/2019年度: 東北大学, 理学研究科, 助教]より部分転載・・・

量子力学の解釈としては,van Fraassen の様相解釈や,DeWitt の多世界解釈,Bohm の隠れた変数理論などが挙げられる。中でも,最も有名であり標準的な解釈とされているのが,コペンハーゲン解釈である。一般に解釈問題を扱う際には,標準解釈とコペンハーゲン解釈は区別して用いられるが,量子力学を波束の崩壊を認めるか否かで二つに分けるとすると同じグループに属すと言える。波束の崩壊を認める立場では,量子力学における状態の時間発展に射影公準(射影仮説)を認め非連続的な変化を認める。コペンハーゲン解釈はこの波束の崩壊を認める立場であり,多世界解釈などはそれを認めない立場である。https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/09/01/165255

1 トランピズム(歪んだ正義)の『原因の空間』と見るべきはネオリベに呑み込まれたAI=Web‐SNS技術の誤用が創出し『社会的分断構造の助長』ということ

・・・トランピズムの残滓(フェイクで歪んだ正義)からの脱出、そして「新自由主義」と「GAFA支配下のAI=Web(SNS等)技術」の融合による「技術の中庸性」の破壊こそが、新たな「レント経済(超過利潤/economic rent)」(止めどなき超格差拡大の原因)の核心!それは<ネオリベに呑み込まれた先端技術が格差拡大を一層“助長”するという、実に悲劇的な倒錯の出現!・・・

 

◆ドナルドウインhttp://thedonald.win?、パーラー等は、❝明らかに猫を被った【SNSの誤or悪用】❞であり危険!Cf.↓★ →Parlerとは?トランプ支持者に人気のSNS言論の自由」をうたっているが…109huff.P. https://twitter.com/tadanoossan2/status/1348330188728201217
・・・★トランプ派「再襲撃」を警戒 SNSに予告投稿相次ぐ 米首都110時事 https://news.yahoo.co.jp/articles/652390541cd6759dce2055b917ae9e8e7de38f37

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◆衆国憲法修正25条の顧問団結成で錯乱トランプ罷免!は弾劾より現実味、緊急対処の実効性あり!それだけペンス自身が何らかのリアル危機(or危険性)?を感じているから?何事も起こらぬことを祈る!→米議会乱入受け ペンス氏が大統領罷免同意の可能性111Tv朝系

https://news.yahoo.c