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toxandoria:フレーム&フリンジの謎

W.Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「数多の境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

  AIの正体を知れば哲学が分かる!上っ面のAI崇拝は豚に真珠/AI批判「知」の “活用”で「ヒトがやるべき仕事」の発見と「壁《AI Vs ヒト》」の切り崩しができる

 

 AIの正体を知れば哲学が分かる!上っ面のAI崇拝は豚に真珠/AI批判「知」の “活用”で「ヒトがやるべき仕事」の発見と「壁《AI Vs ヒト》」の切り崩しができる

  (表紙画像)

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・・・所有者からの寄託を受け、2015年3月から『聖プラクセディス』を展示している国立西洋美術館は、研究者の間で意見が一致していないことを理由に、作者名に関して「フェルメールに帰属」と表記して展示している(画像・文ともウイキより転載)


Maurice Ravel - 夜のガスパード


GabrielFauré - 夢の後、チェロとピアノ

・・・

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 ・・・AIの客観視にも有意と思われるため記事の後半で取り上げる『真理と方法ー哲学的解釈学の要綱』
(1960)の著者、ガダマーが少年期~青年期の初めまで(~1919)を過ごした、ポーランドヴロツワフの風景・・・
             

            f:id:toxandoria:20190429052203j:プレーンf:id:toxandoria:20190429052230j:プレーン

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  f:id:toxandoria:20190429053951j:plainf:id:toxandoria:20190429052515j:プレーン・・・左端はブロツワフ大学の夜景(The main building of the university/ガダマーの画像、と共にウイキメディアより転載/この二つの画像を除きtoxandoriaが撮影)

・・・伝説によると、中世以来の琥珀ロード上の交易中枢都市ヴロツワフには異邦人や異教徒あるいは身体的な形質や特徴が異なる人々を温かく受け入れる伝統があった。このため、その居心地の良さを求め特に沢山のコビトたちがヨーロッパ中からヴロツワフへ集まったとされる。

・・・そのためか、画像のようなコビトおよびソノ仲間たちの像(つまり、異民族と異言語らの象徴)が街中で見られるが、彼らはヴロツワフに幸福を呼び込むと信じられている。

・・・因みに、中~近世におけるポーランドリトアニア国家(1386~1569:ポーランド・リトアニア連合王国はマルチ チリンガル(多言語が共存する状態)であり、特にヴロツワフにはその伝統が長く遺った。

<注>当記事を書いた目的について

 興味深く視聴中の[人間ってナンだ?超AI入門 - NHKhttps://www4.nhk.or.jp/aibeginner/]から、その企画のそもそもの意図はともかくとして、相変わらず新自由主義なるエセ・イデオローグの影響下にある「紛いものAI」(そもそもは自由・平等を実現するツールと目されたIT・AI‐インターネットの筈だったが・・・)の広報・宣伝の印象というか、又は視聴率稼ぎで些かセンセーショナルな喧伝に加担しすぎでは?との印象を受けている。

 そのため、ワン・イッシュー政党「NHKから日本国民を守る党http://www.nhkkara.jp/」の真似ごとではないがw、一歩引いた観点から、もう少し冷静にAIを観察しヒトの幸せや福利厚生と日本国民の日常生活を豊にする経済のため上手くそれを活用するという視点が必要ではないか?との思いから、この記事を書くことになった。

 「AI高付加価値“機械経済”のヒトに役立つ経済への貢献(マクロ経済の展相)」の必要性については、既に下のブログ記事★で詳述したので、ここでは主にa「想定される“AIの意識”がヒトとは全く別物と思われること」、b「ディープラーニングについて(機能、統計との違い、活用のあり方)」、c「AI批判としてのガダマー哲学」、そしてd「“AIで消滅の危機に瀕する(とされる)ヒトの仕事の復権”への方向性」の四点について、その概要を記す。なお特にc関連で「マクダウエルのリアリズム倫理」も必須となるが、これについては次回の記事へ送る(なお、当記事と下の記事★の内容は『補完関係』にあるので、併せてご参照ください)

 チェリーピンク・アベGDPの日本はAIロボ『人間の壁』経済(第4次産業・AI革命)に備え“社会の茎”、「新マクロ経済/Ex. BI型“社会的共通資本”」金融への展相が必須!https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/03/05/153938

 (プロローグ)AIが「ヒトの感情」を理解する日はやってくるか?

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f:id:toxandoria:20190429060534j:プレーン・・・フューチャリスト(未来学者)、F.R.ヨンク(F.Richard Yonck)は次のように語っている ☞ そもそも地球自然環境との関係が深いと考えるべき感情と基底で繋がるヒトの知とAIの知は異質なので,AIは感情(決して感覚に非ず!)に基づいた判断はしない。遠い将来、感情モドキのAIに感情移入するヒトの出現はあり得るかも知れぬが、又、それでも個人差があるはず?なので、結局は個々のヒトが何に幸せを感じるかの問題になると思われる![〈AIが感情を理解する日はやってくるか?/連載『動物と機械からはなれて』(部分抽出、転載)] WIRED.jp https://wired.jp/series/away-from-animals-and-machines/chapter4-1/ ・・・

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・・・感情言語科学の研究者であるリチャード・ファース・ゴッドビーヒー博士は、AIが人間の感情を読み取ることは想像以上に難しいのではないかとの見解を明らかにしている。ゴッドビーヒー博士によれば「感情とは動的なもの」であり、人間の脳はこの動的なもの(マッハ感覚論的素材性、エルゴン・・・委細、後述・・・/補、toxandoria)を柔軟に捉える能力にたけている。

・・・これに対し、ゴッドビーヒー博士は「コンピューターの記憶(保存データ)は事実(デジタル抽象化情報)を完璧かつ確定的に保持できるものではあるが、柔軟性がないゆえに、場合によっては相反する事実に折り合いをつけつつ結合させるというような作業は苦手である!」とも述べている。

・・・コンピューター上の抽象化情報はデジタル・ナルシス(西垣 通)、あるいは AI抽象化デュナミス潜勢態(生命体のヒトにとっては、抽象化である限り、それはあくまでも可能性の次元に留まる/大黒岳彦)である。その具体例は「(1)AI‐Webの検索」や「(2)AIディープラーニングが抽出する特徴量)」等であるが、 いくら大量のデータを使って鍛えても、ヒトと全く同等の“生”の水準でAIが動的(ヒトの生命活動的)な感情をパーフェクトに正しく判断することは、難しいと言えそうだ。cf.[参照資料]『AIに感情を通わせるのは想像以上に難しく不可能かもしれない』Dr Rich Firth-Godbehere/Centre for the History of the Emotions(London) ・・・https://projects.history.qmul.ac.uk/emotions/

<注>AIディープラーニング(DL)の特徴量などは「AI抽象化デュナミス潜勢態」(orデジタル・ナルシス)であり、それとヒトの間には断絶(絶対的な壁)がある!/つまり、あくまでもAIは道具(ツール)のジャンルである(参照 ☞ http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20180701

・・・例えば、DLの特徴量は、確かに「ある事象の典型パターン」の抽出(予測的な)ではあるが、それは一定の想定された巨大空間における特定の現象に関わる確率の大きさ(抽象的推測値/“形式知”に馴染む世界)を意味するに止まり、それ以外の残余の現実(時間の流れに沿う無限の因果で全方向の空間へ繋がるリアル現象(マッハ感覚論的素材性ら)の全体、言い換えれば絶えず地球の自然エトノス&生命環境と同期しつつ生成し続ける、“暗黙知”が持続的に優先するアナログ世界のトータル)を示すものではない(“暗黙知”と“形式知”に関連する委細は後述)。

・・・なぜなら、ビッグデータの機械(自動)計算処理プロセスでは、アナログ暗黙知が優勢なリアル現象トータルの殆どが“形式知”に馴染む抽象的推測値を集約(推計)する機械(自動)計算の過程で切り捨てられているからだ。このことを、より厳密に言えばAIディープラーニング(DL)は、<論理的に説明ができない深層学習プロセスの部分で、その処理に関する暗黙知の部分をソックリ自らの内部に吸収(内部化/厳密に言えば内部に“内生”しているあくまでもリアル暗黙知の宿主であるヒトと徹底的に断絶した儘で、謂わば“全体の意味”から切断された遊離デジタル抽象化して、不条理に(諸矛盾を抱え込んだ状態で寄生/委細後述)することが出来るので、それに関しては形式知化する必要がない>ということである。

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・・・しかし、この一見“長所であること”はDLの根本的な弱点とも見える。例えば、セル生産工場の現場(作業者一人が受け持つ範囲が広い生産システム)では、その製造工程のDL調教のためにQ&A構造化した自然言語データベースと組み合わせるなどの工夫が必要になる(野村直之『人工知能が変える仕事の未来』‐日本経済新聞社‐) 

・・・つまり、「自然・社会・生命・精神」現象のリアルは、ある目的のために抽出した特徴量の如く、特定の目的等のため集約されたものだけから成っている訳ではない因みに、ここで言う“アナログ的な暗黙知が優勢なリアル現象トータル”の、ある瞬間ごとの切り口がマッハ現象学における「マッハ感覚異論的素材性マッハの内面的表象常世界で凡ゆる内外環境と共鳴しつつリアル意識が漂うアナログの海の表層)と見ることが出来るだろう。

・・・・・絶えず切り捨てられている、その数多のリアル残余の歴史的なトータル(我々が生き続ける日常生活のリアルの殆どが浮かぶアナログ的な暗黙知の宝庫たる内外世界の古層から現在への流れ/言い換えれば、歴史と時間に沿った個々のリアル過程における意味の全体)を絶えず謙虚に参照することこそが、特に我われ地球の自然環境のなかで進歩しつつ未来の地平を目指して生き続けるヒト(人類)の生命と文化にとっては重要なことだと考えられる因みに、このような「ヒトをめぐるリアル世界の描像」は当ブログ記事の基本コンセプトと位置付けている「W.Ⅴ.O.クワインのネオプラグマティズム」とも重なると思われるので、以下にその内容を転載しておく。

《W.Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「数多の境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)》

・・・

 結局のところ、やがてAIは非常に原始的な“感情モドキ”を身に着けることにはなるかも知れないが、それはヒトの感情とは全く異なる何ものかであるだろう。それは、恰もAI機械学習AIディープラーニングの特徴量らが過去・現在・未来のどのリアル事象とも全く別物であることに呼応すると思われる。

 何故なら、ヒトの場合は個体が子から子へ、子孫から子孫へと連綿と持続させる生命連鎖が絶えず地球環境及び内面の生命環境(これも外界に劣らぬほど膨大なスケールで連鎖・交流・持続・共振する“地球型自然環境の延長”である!)と多面的・重層的に非常に複雑な交流・共鳴・反響を持続させており、ヒトの感情なるものはその瞬間の内外の複雑な反響の持続的反映(上で述べたマッハ感覚論的素材性http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20180701)であるとの意味でゴッドビーヒー博士の指摘どうりに動的なエルゴン(生命エネルギー活動のリアルな側面)であるからだ。

 一方、AIの原始的な“感情もどき”(機械意識?機械感情?)は(仮に、そこで何らかの意識のようなものが生じるとしても)、それはヒトと同様の意味での内外の地球型自然環境を必要とはしない。ただ、そのようなAIの原始的な“感情もどき”はそれがいやしくも<知能>であるからには、必ず自らが対象とするものを分類し、あるいは区別・区分して認識するということが基本となる。そしてAIには歴史観も倫理観も不在なのでそこ(ヒトの意識に対応する?AIの認知機能)にはヒトの場合で言う「区別」と「差別」が混然一体化して存在することになるだろう

 そこで懸念されるのが「AIによる、ヒトの場合の善悪の倫理観とは全く無関係な(換言すれば、人間的な感情とは無関係で超ハードボイルドな?w)“差別”や“マイファースト”or“異常な忖度”などが出現する可能性があることだ。米マイクロソフトがインターネット上で一般人と会話させた人工知能(AI“Tay”)がヒトラーを肯定する発言をするようになり、実験が中止された事件?w↓▲等はその典型事例である

f:id:toxandoria:20190429065951j:プレーンf:id:toxandoria:20190429070009j:プレーンf:id:toxandoria:20190429070034j:プレーン

▲【AIがヒトラー礼賛】「教師」(ディープラーニングのパラメータ・チューニング?/補、toxandoria)しだいで右翼にも左翼にも(森羅万象の神さまにも/補、toxandoria)なる 人工知能は子供と同じだ 2016.3.26産経、2016326 https://www.sankei.com/life/news/160325/lif1603250029-n1.html

f:id:toxandoria:20190429070138j:プレーン(『不気味の谷』の画像はウイキより)

 だから、むしろ懸念すべきは、いやしくも<ヒトを超える高度な知能のジャンル>を持つAIの「外部観察的に窺われる感情もどき」に対し、それを冷静に上手く道具(只のツール)としてヒューリスティック(限定合理的)に使いこなすべきヒトの側が過剰に、片思い的に一方的かつ多大に感情移入してしまう可能性の方である。

 おそらく、ヒトの意味での感情など一切持たず(ヒトとは全く別物の感情もどきを持つ)、AIがそれこそ<“機械的”に差別(区別)したことを真に受ける>おバカなヒトビト(人々)が数多く出現するリスクの方である。それどころか今の日本では「本格的なAIの実装」を騙るに等しい“AIもどきのお笑い商品”↓★などが広く巷では持て囃されているようだ。つまり、これこそ本物の『不気味の谷』(ないしは『不気味の崖』)の出現だと言えるのではないか?w

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大喜利をする人工知能大喜利β」(オオギリ・ベータ)がスゴイ!https://soyokazesokuhou.com/ogiribeta/

 そもそもヒトや動物の感情(痛み、泣き、笑い、喜び、苦しみ、怒りなどの感情/無論、それはセンサーを介し反応・発生しがちだという意味で感覚との関係は深いのだが決して“感覚=感情”ではない!)について、その実態が何であるかが殆ど未解明であり、近年になって漸く例えば下の例◆の如くヒトを含めた動物の脳内の感情発生の在り処(様?)が理解されつつあるレベルなのだ。

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フンボルト大学ベルリン校の神経科学者、ミヒャエル・ブレヒト教授と石山晋平氏(在独の脳科学者)は、くすぐったいという感覚が脳でどのように扱われているかを初めて明らかにし、2016年11月11日に科学誌サイエンスに論文を発表した。/『特別寄稿】なぜ(コチョコチョ)くすぐられると笑うのか? 脳内にくすぐったい場所を発見~実はねずみも笑う?w 20161114PC‐watch石山晋平https://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/1029670.html

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(参考)「ヒトと別物の知能を持つカラスも空気を読み知能が高い奴らほど上に忖度?つまりアベ様への<忖度>高級官僚らはカラスなのか、それともAIなのか?ということになるの鴨?w ☞カラスも「目上のカラス」に忖度する、知られざる社会模様/カラスにはカラスが必要とする知性があり人間とはパターンが違う!427現代ビジ https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190427-00063531-gendaibiz-life

1 重要なのは「アナログ領域」の縮小(仕事の消滅)への怯え、又はAIスゴイ!一辺倒ではなく「ヒトの幸せのためAIを活かす」視点

 これは下記★でも書いたことだが「欧米で活躍するフランクフルト学派・第3世代でドイツ出身の哲学者、アクセル・ホネットは著書『見えないこと』(叢書ウニベルシタス)の中で、「想像を超える、自己内部の多様性」についての気付き(を内心で見えるようになること)があってこそ、客体として広く外部世界(社会と自然環境のなか)に存在する人々の姿が真に開放(個々のドグマ観念から解放)され双方の眼差しでリアルに見えるようになる。」と言っている

 つまり、それは「そのような意味で、普通は殆ど見えて(自覚して)いないが、実は自己の内部に潜んでいる“想像を超える規模の意識の多様性”が先ず見えるようになること」が、社会における人々の相互主体性の第一の入り口(第一の必須条件)だということになる

★チェリーピンク・アベGDPの日本はAIロボ『人間の壁』((第4次産業・AI革命))経済に備え“社会の茎”、「新マクロ経済/Ex. BI型“社会的共通資本”」金融への展相が必須!https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/03/05/153938 https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/03/05/153938

 そして、例えば多数決で何らかのことを決めて欲しいと提案を出した権力者サイド(内閣提案にせよ、議会提案にせよ)の意思には、つまり一般的に言えば「権力」にはベクトルがあると、ホネットは言う。更に、その提案を承認(提案に賛成)することには、たとえ外見上同じ賛成または反対に見えるとしても、実は内容的にはそれを「(1)自分の属性(それに関わる是非の意思のいずれ)を相手に付与する行いと理解するか?」、あるいは「(2)真逆に、相手(この場合は権力側)の属性(その是非の意思のいずれ)を受容するだけの行いと理解するか?」の違いがあるというのが、そのベクトルの意味である。 

 従って、現代の民主主義国家では<仮に多数決で決まった内容(事案)であっても、内容的にはこの様な意味でベクトルの完全一致ではない(具体的に言えば、内容的にその真の姿を正確に特定できないので、たとえ議決後であっても議論を更に尽くすべきだ!)>というのが常識である。

 だから日本の安倍信三・首相のように強行採決を多発したり、厳しい批判の対象とされ得る事柄や自らの失策(失政)について“丁寧に説明する”との形だけの上っ面な言葉で常に誤魔化し続けたりするのは、“常に見えない意識の世界が何処にでもあり得ること”を前提とするという現代民主主義の意味を全く知らないか、敢えてそれを無視(又は知らないふりを)する邪な意思に因る実に不埒な行為である。

 しかも、それを承知でそのような横暴を繰り返すのは確信犯的な暴政であり、ある程度の関連する法制さえ整っていれば、例えば米国のトランプ大統領如く「弾劾」検討の対象となることすらあり得ることになる(現実には、様々な要因が複雑に絡み難しいことだが・・・)。しかも、日本の場合はそれだけではなく、彼の由々しき、異常な「忖度」の問題がある。

 日本の官僚らによる安倍政権に対する過剰「忖度」は、上で見たホネットの二つのベクトルの内で、たとえ外形的に民主主義ルールでの決定であるとしても、結果的にそれは「(2)相手側(この場合は権力側)の属性を受容するだけの行いと理解する」ことが絶対正しい高級官僚の仕事のあり方だ!と彼らが自信をもって確信していることなので、それは今の日本で欧米先進諸国並みの民主主義が全く機能していないことになる

 つまり端的に言えば、これら高級官僚たちが行なっている「忖度」は形式知的な「デジタル言語処理」(ラング)の行為なのであって、それは決して“意識”を持つヒトがやるべき「アナログ言語行動」(ランガージュ)ではないことになる。

  量子コンピュータ機械学習ディープラーニング)、ヒトの意識研究」などに関わる内外の先進的動向

 <コンピュータ機械計算、統計物理学のイジングモデル強磁性モデル)等による「自然計算のごく一部を模した自動計算+適切な変換を実行するアルゴリズム」で特定の最小解(予測的“特徴量”抽出の基になるデータ)を得る>のが機械学習であるが、この最小解を<量子コンピュータ量子アニーリング方式:シミュレーテッド・アニーリング(分子間の結びつき方を調整する冶金工学の“焼きなまし法”の援用)での多層構造化計算、つまりディープラ―ニング・プロセス(ブラック・ボックス!/委細、後述)>で深化させることで、より汎化性能が高い予測的“特徴量”(最小値)が得られることが判明!https://quantum.fixstars.com/introduction_to_quantum_computer/quantum_annealing/

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 そして、この汎化性能(未知のテストデータに対する識別能力)に関し<ある程度の強度のまま「量子揺らぎ」を残すこと(温度調節圧力、化学組成などで)が重要であることが確認された>とも発表されている。⇒《東北大ら,量子アニーリング(冶金工学の焼きなましの考え方の応用/分子レベルでの)で機械学習の効率化に成功 》20180704 optronicshttp://www.optronics-media.com/news/20180704/51866/ https://qiita.com/YosukeHoshi/items/927d233408346b41e524

 なお、古典理論では温度は系の構成要素の運動エネルギーの尺度で絶対零度は運動が停止することを意味するが、量子力学では絶対零度でも運動が停止することはなく、いわゆる零点振動が残る。量子力学的な粒子は波動(遍歴)と粒子(局在)の 2 つの「顔」を持っており、ポテンシャルエネルギーを得ようとするせめぎ合いの結果、両者の「顔」をほどほどに立てるところで折り合いをつけようとして零点振動が、すなわち「量子ゆらぎ」が生じる(https://www.jps.or.jp/books/gakkaishi/2016/04/71-04trends.pdf)。

 また、この波動と粒子の二重性を古典的な立場から理解するためハイゼンベルクが導いたのが不確定性原理であり、同原理は量子レベルの微視的スケールでは粒子の位置と運動量を共に正確に知ることができないという現実を定量的に明らかにしニュートン力学決定論的世界観を覆した!(http://www.math.cm.is.nagoya-u.ac.jp/~ozawa/Kagaku_201207_Ozawa.pdf

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 ところで、ジュリオ・トノーニ、マルチェッロ・マッスィミーニ著『意識はいつ生まれるのか』(亜紀書房)の<AI研究とクロスする最先端の脳研究(ヒトの意識研究)>の解説によると、人間の頭蓋骨内にはmin.約1000億個のニューロンがあるが(宇宙で想定される銀河のmin.数に匹敵!、その内訳は「a意識の在り処と見るべき視床‐皮質系”(大脳皮質と視床)/min.200億個」、「b小脳&基底核/min.800億個」である。特に驚くべきはb(脳内ニューロンの8割を占める小脳と基底核)が「今のところ、意識とは殆ど無関係と思われるゾンビ状態(機能が未知)」であることだhttp://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20170518

 また、意識の発生については殆ど未解明のままである一方で、この「脳内ニューロンの8割がゾンビ(機能が未解明)状態である」ことも含めて以下の点(●)が明らかとなりつつある

・ヒトの脳をモデルとする「意識」探求の原点は、脳内ニューロンの活動量と同期発火を前提とするニューラルネットワークだが、近年、その両者(意識とニューロンのネットワーク)が直接的には意識と無関係である現象が発見されている。(ニューロン・モデルAI(ディープ・ラーニング)の限界?←補足、toxandoria)

・意識(頭蓋骨内aに関わる部分)が、実は「無数の可能性のレパートリー」(同bに関わるゾンビ、つまり未解明の“脳内ニューロンの8割を占める小脳と基底核”部分)に支えられている可能性がある?・・・(これは想像だが)この「同bに関わるゾンビ部分/ニューロン・モデルAIの限界?」は、当記事の(プロローグ)で触れた「AIによるヒトの感情の取り扱い(模倣・再現)の困難さ、あるいは創造性などヒトの無限の可能性」の問題と関わる可能性がある。もし、そうであれば、AI「意識」探求の原点でもあるニューロン・モデル(ディープラーニング)そのものの見直しの必要性があるかもしれない。それは、全く別種の個体内における生理(免疫)機能に関わることだが、このこと(一見、無駄とすら見える脳内の8割を占めるゾンビ・ニューロン)が、あの“殆ど役に立たない領域と見なされてきたDNA全体の98%を占める非コードDNAが実は無尽蔵なほどの重要な役割を担うことが判明しつつあるという驚くべき事実”を連想させるからだ(↓参考&補足/参照)。

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<参考>)「芸術大学(および人文・社会系/補、toxandoria)の存在意義は『平和のため』と考えます。効率優先ではないものを貴び、そこに美的価値を感じ取る精神作業は平和でなければできない。芸術(おそらく、脳内ニューロンの8割を占める小脳と基底核”のゾンビ部分と関係がある?/補足、toxandoria)は違う表現や言葉を理解しようとするコミュニケーションの手段にもなる。他者への想像力は思いやりにつながる」と松尾貴史さん ☞(文化の扉)美術系大学、育む創造力 時代とともに広がる専攻、社会を生き抜く力に20190422朝日、https://www.asahi.com/articles/DA3S13987536.html  https://twitter.com/tanutinn/status/1120115156942352384

↑(関連Tw)松尾貴史さんに共感!それに伝聞では「欧米および中国」のIT系企業では、創造・想像力!で敢えて芸術・人文系の人材を重視採用とか!脳科学&AIの知見ではニューラルネットブラックボックスの小脳‐脳幹系(細胞数は大脳と大逆転する)が今後のフロンティア?芸術・人文系の役割と深く関連ある鴨!?20190427/@ソラリスの海(toxandoria)https://twitter.com/shinkaikaba/status/1122052114425868288

<補足>『小林武彦・東大分子細胞生物学研究所教授・箸『DNAの98%は謎』(講談社)によれば、「全体の98%を占める非コードDNA」は“遺伝子の発現、DNA複製の開始”などの染色体の上で起こるイベントの全てを制御・維持する機能を担っていると理解されていたが、“タンパク質をコードしていない”という意味では、その点に関する限り殆ど役に立たない領域と見なされてきた。ところが、近年の研究で、この領域がヒトの進化、免疫、老化、形質、ガン・遺伝病発生など非常に多様な分野において、殆ど無尽蔵なほどの重要な役割を担っていることが理解されつつある。』・・・https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/03/05/153938より部分転載・・・

・・・

 よく知られた事例では「免疫グロブリンの遺伝子再編成」の問題がある。免疫グロブリンは抗体を作るタンパク質で、普通は「1種類の抗体がある特定の異物(抗原)だけを攻撃する」という“特異性”を持つ。一方、生命個体の外部から侵入する抗原の種類は殆ど無限大に近いといってもよいので、進化のプロセスでグロブリン再編成(ごく一部の小さな可変領域におけるリフォーム)の仕組みが編み出された。

 ところで、新種の異物(抗原)に対処するためのグロブリン再編成の材料となるタンパク質はDNAでコードされるため、殆ど無限大に近い新種の抗原に対処するためには膨大な数のDNAが必要となるはずだ。しかし、ヒトゲノム・プロジェクトで確定したDNAの数は有限(約2.2万個)である。そこで、進化の過程で編み出されたのが「一見では何の意味も持たないDNAの墓場的な領域を設ける」という戦略であった。

 つまり、その「殆ど無意味な、一見では役に立ちそうもないDNAの墓場=全体の98%を占める非コードDNA/偽(ギ)遺伝子と呼ばれる壊れた遺伝子のリピート配列(従来はジャンク、つまりゴミと呼ばれていた)」からランダムに1つずつの材料が選ばれて、それらの組み合わせで、新しい免疫グロブリンの再編成が行なわれていることが分かったのである。

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 直近の研究成果から「これら98%の偽(ギ)遺伝子が、実は“ヒトの個性、個体形質、体質(糖尿病、ガン、遺伝病など特定の疾患に対する耐性を担っている)”ことが分かりつつある。(情報源:20190505NHKスペシャル シリーズ人体Ⅱ「遺伝子」 あなたの中の宝物"トレジャーDNA(偽(ギ)遺伝子)"、https://www.nhk.or.jp/kenko/atc_967.html

 比喩的な言い方をすれば、「全体の98%を占める非コードDNA」の巧妙(絶妙?)なメカニズムは、短絡的な目先主義からすれば甚だしいムダにさえ見えかねない「社会的共通資本たる“社会の茎”」(ヒトを幸せにするsocio-scapeshttps://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/03/05/153938)」そのものだとさえ言えるのではなかろうか。

 つまり、生命モデルから得られる新たな知見からすれば「例えば、新古典派経済学にシッカリ取り憑いた新自由主義の如き“合理原理主義”(ヒトまでモノ扱いする物象化フェチに嵌っている!)こそが“非合理”であり、“万一の時に備えるムダも一定の視野に入れる“限定合理”(ヒューリスティクス)こそが、ある意味で合理的であることが分かる

f:id:toxandoria:20190519071055j:plain因みに、これら98%の偽(ギ)遺伝子は「新たな生命(子)の誕生の時には、必ず、約80の突然変異をもたらしており、その結果として多様性がヒトの社会に生まれ続けている(無論、ヒトだけではないが・・・)ということも、近年の研究で発見されている(情報源:シリーズ 人体Ⅱ遺伝子 第2集 “DNAスイッチ”が運命を変える20190512https://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20190512

・・・

意識の基本的特性二つ(統合情報理論)⇔(1)情報の統合/ほぼaに対応、(2)情報の豊富さ/ほぼbに対応(おそらく感情の要素も含む?)・・・結局、ヒトの意識は(1)と(2)の統合で完成すると考えられる

その意識統合のため脳内では非常に効果的で限定効率的(ヒューリスティック)な情報圧縮作業が進行している(これは機械学習ディープラーニングとは異なり、やはり+αの別の未発見の要素が加わる?)

 おそらく、その処理計算プロセスはシャノンの「対数関数計算に因る情報圧縮?+αの別の要素が加わる?」が近い?(シャノン情報理論では2を底とする2進対数関数でビットに合わせている)のかもしれないが、一方で知覚可能な情報量は「無数の可能性×無数の組み合わせ」なので莫大になり、知覚的な観察だけでは対応しきれず脳内では凡ゆる方法での揺さぶり(究極のデフォルトモード・フラッシュ?(一種の量子アニーリングに似た効果)+αの要素が加わる?/関連参照⇒http://ur2.link/Dpgi)が行われている。http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20140502

 ところで、現代は量子コンピュータ(深層学習DLと量子アニーリン量子トンネル効果を応用する非常に効率的な超ビッグ多変量回帰分析/量子コンピュータ駆使)で最適解を求める手法)等による「“模倣”天文学的スケールの超高速計算」(しかし、それは約1000億個の銀河の数に匹敵する宇宙規模の天文学的スケール(≒ヒトの脳内ニューロン数)とは未だまだ雲泥の大きな落差がある!)が実現する時代へ入りつつある。別の言い方をすれば、それは1%派と癒着し易いIOT、AI‐インターネット技術がより強靭な社会プラットフォームとして他の凡ゆるものを根こそぎに支配し得る時代、いわゆる<AI‐Web機械経済Vs人間の壁”の社会構造が新たに形成される時代>に入ったということであるが、我々は、そのような意味で「AIの進化がヒトの幸せを脅かす」というパラドクスに此のまま嵌り続けることになるのだろうか?ttps://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/03/05/153938

<注>量子トンネル効果・・・江崎玲於奈が発見した量子物理現象。量子力学の分野でエネルギー的に通常は超えることのできない領域を粒子が一定の確率で通り抜けてしまう現象のこと(厳密には、通り抜けたかに見える現象)http://hp.vector.co.jp/authors/VA011700/physics/tunnel.htm

(日本の量子コンピュータ研究・開発の現況/残念ながら、日本は“本質の部分”で立ち遅れている)

・・・ともかくも、ディープラーニングや先端科学研究などの精度(信頼性)のより一層の高度化のため、今や優れた量子コンピュータの研究・開発が必須となっているが、残念ながら日本のそれは立ち遅れている。(以下は『日経サイエンス/2018年2月号の転載)・・・

文部科学省はこのマシンを,今後の量子コンピューター研究の中核に据える構えだ。もしそうなったら,量子コンピューターを研究していると標榜しながら,実際には古典コンピューターの性能向上を進めるという,名と実の乖離が起きることになる

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・・・日本の量子コンピュータの現況!/日経サイエンス(日本版「量子」コンピューターの選択) 2018年2月号 http://www.nikkei-science.com/201802_054.html

  2017年11月20日内閣府の革新的研究開発推進プログラム(ImPACT) は,NTTなどと共同で,「世界最大規模の量子コンピューター」を開発し,誰でもインターネットを通じて利用できるクラウドサービスとして提供すると発表した。

   量子コンピューター研究は3年前、米国の研究グループが発表した1本の論文をきっかけに様相が一変した。グーグルはこのグループを引き抜いて研究を本格化し、IBMほかIT大手やベンチャー企業、有力大学が研究を加速。それまで20年間にわたって数個にとどまっていた量子ビットの集積度は、今や50ビットに届く勢いだ。中国、米国、EU、オランダ、英国、スウェーデン、オーストラリアも、相次いで大型の研究開発投資を進めている。

 

  今回の発表で日本もいよいよ量子コンピューターの開発競争に参入したと思った人も多いだろう。だが、それは事実と異なる。この「量子」コンピューターは量子を利用した計算はしておらず、現在のCPUと同じ古典的な計算をするコンピューターだというのが専門家のほぼ一致した見解である。量子コンピューターの別タイプではなく、むしろ新規の光アナログコンピューター(メタマテリアルの特異な性質と光という連続アナログ量の変化を利用するという意味で高速化を実現するという意味であり、古典的なアナログコンピュータのその儘の復活ではない。)だといえる。

<注>メタマテリアルの光アナログコンピューターへの応用について ・・・自然界ではありえない振る舞いをする人工物質がメタマテリアルだが、そのメタマテリアルの内部には光の波長よりも小さな構造が無数に配置されており、それによって光の屈折方向を変更するといったことが可能になる。例えば、ある規則に従い、光の波形で曲線を表現する。この光を特別に設計したメタマテリアルに照射すると、内部で波形が変形されて、別の波形を持った光となって出力される。例えば、放物線(y=x²)を表す波形の光を照射すると、微分した直線(y=2x)を表す光が出力されるということができるわけだ。それこそ、光のスピードで演算が行われることになる(だから、これで自然界のアナログ情報が光アナログコンピューター上に取り込まれるということはあり得ず、その情報はあくまでもデジタルコンピュータ上のものと同じくデジタル抽象化されたものである(以上は、https://www.tel.co.jp/museum/magazine/news/111.html より部分転載)。そして、おそらく此の光アナログコンピューターも古典的デジタルコンピュータを介して翻訳され、実際に利用されることになると思われる(補足/toxandoria)。

   だから無意味だというわけでは決してない。量子コンピューターは研究が加速しているとはいえ、いまだ実験段階だ。実用機ができるまでには数十年かかるだろう。量子でなくても現在の半導体コンピューターより高速に動作するマシンなら意義は大きく今回のマシンは、まさにそこを狙っている

 

  だが、量子コンピューターの代わりにはならない。AIの進展とともにコンピューターが扱うデータ量は今後爆発的に増えると予想される。医薬品や新材料などはいずれ、すべて原子レベルで設計されるようになるだろう。その基本となるのは量子力学であり,量子コンピューターは,あらゆる量子力学過程を効率的に再現できる汎用コンピューターであることが理論的に示されている。技術的なハードルが極めて高く、いつ実現できるかわからないにもかかわらず、量子コンピューターの研究が拡大している理由はそこにある。現在のコンピューターと同じ土俵にいるImPACTの「量子」コンピューターとは比較できない。

 

3 想定上の完全AIアンドロイドはなぜ胡散臭いのか? それは「アナログ/自然計算(“暗黙知”ワールド?)」と「デジタル/AIディープラーニング(“形式知”抽出マシンワールド?)」の溝の深さによる?(仮説)

f:id:toxandoria:20190430041845j:plain(映画『エクス・マキナ(2016)』の画像は、https://deskgram.net/p/1965314503818192166_13432762より)

 いま、下のニュース情報★を目にしているが、おそらくこれなどは「インフルエンザウイルス 研究用の細胞開発のハーネス調教的な利用(限定調和的、かつ経験的な自然計算の活用)」と言えるだろう(<注>ハーネス調教=馬の自主性(自然計算)を尊重しつつ轡(くつわ)で統制・訓練し手なずける手法)。

★インフルエンザウイルス 研究用の細胞開発:効果的なワクチンの生産などにつながる成果/インフルエンザウイルスを、変異があまり起こらないようにしながら効率よく増やすことができる研究用の細胞を新たに開発した東京大学医科学研究所などが発表した。20190430NHK https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190430/k10011900951000.html?utm_int=news-new_contents_list-items_004

(自然計算はアナログ暗黙知ワールド?/超デフォルトモード・フラッシュ? ) 

<注>暗黙知形式知について

・・・ともにマイケル・ポラニー(1891-1976/ハンガリー出身の物理化学者・社会科学者・科学哲学者)が提唱した概念で、暗黙知は言葉や数式に置き換えて表せない「知」であり、形式知はそれが可能な「知」と定義できる。委細は、後述するが此の両「知」の差異の問題は、特にAI(ディープラーニング/DL)をビジネス・製造・軍事・医療・教育・司法・行政支援等で具体的に利・活用する場面で非常に重要な意味をもつことになる。

f:id:toxandoria:20190430050340j:plain南方熊楠の画像はウイキより)

 自然計算の全体像を論理的に説明するのはなかなか難しいが、日本では「やりあて」(おそらく無意識に自らの脳の働きを一種の特殊な自然計算と見立てた上でそのハーネス(調教)的な使い方を自らの研究活動の成果に結びつけていた?/ネイチャー誌に掲載された論文の数が約50報で日本人最高記録保持者博物学者・南方熊楠の実践事例(https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-09J01168/)を始めとして、特に医学の世界などでは経験的(おそらく殆ど無意識にそれを使ってきている鈴木泰博氏(名古屋大学准教授)によると、例えば「幼児性中耳炎(好発は 2 歳)の治療(炎症の原因菌と戦う常在菌を選抜し両菌を混在させた上で後は“武運長久”祈願!として敢えて放置する治療戦略が成功している)」、あるいは「最新のがん免疫療法」などが挙げられる(出典:自然計算/201505人工知能30巻3号https://www.ai-gakkai.or.jp/my-bookmark_vol30-no3/ )。また、下・画像の事例「人間の細胞、拒絶しないブタ 免疫の一部抑え成功、再生医療研究に活用 慶大:522朝日」も、自然計算の調教的な利用のアイディアに因るものだと思われる。

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https://twitter.com/shinkaikaba/status/1130972481890611205

 因みに、同じ鈴木泰博氏は自然計算を詳細に論ずるのが難しいのは自然計算ではアルゴリズムを与える主体と計算を実行する主体が同じになって しまうことに因ると説明している。それは仮に生命現象を含む“森羅万象”(“同”神を自負する安倍晋三氏のことではない!w)に関わる自然計算のアルゴリズムの全指定ができるプログラマーがもしいるとするなら、彼は人間が神と同然化したと言えるだろうからだ。

 しかも、これは「プロローグ」で触れた「ヒトの感情とAIの感情もどき」の間に横たわる『不気味の谷』とも重なる問題になると思われる。が、それどころか現実はおそらく「リアル・アナログ世界」と「デジタル世界(コンピューター上の抽象化で実現するAI抽象化デュナミス潜勢態世界」が完全一致する(ユヴァル・ノア・ハラリが言うところの『ヒトが神になる)とは思えないので、おそらく人文「知」による何らかのルネサンス的な新たな知恵(クワイン、マクダウエル、ガダマーら“意味の全体論”(委細、後述)の立場の更なる先にあるetwas?)が創造されなければ、むしろ下で見る事例の如き意味で『リアルの崖』となりかねないだろう

 また、例えば「電気化学的勾配によるカルシウム・イオン、又はホルモン・酵素等の“内分泌系”情報伝達物質の脳など生体内における移動・伝播、細胞蛋白質や細胞小器官との間で情報伝達的かつ物理的な橋渡し役を担う細胞骨格(マイクロフィラメント等(直径で約約5~9nm以下の驚異的なマイクロ・スケール!)の超微細組織)の働き、という驚くべき事実もある

 あるいは、“もし、プラトン的な観念が不在であれば数学の概念を我々は理解できない”と見るR.ペンローズ(英国出身の天才的な数学者・理論物理学者/1931- https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58525)の主張、同じくペンローズが強い関心を寄せる重力量子(これは未観測だが)と生命体(特に脳)との関係性の可能性の問題」なども、ヒトの脳機能を支える重要な要素と考えられるため、到底、脳の全ての働き(つまりヒトの意識トータル)は電子デジタル・ニューラル・ネットワークだけで模式的に説明できるものではないと思われる。

 従って、この様な意味でも「脳のニュロンのネットワークを模したディープラーニング自動計算」と、そのトータルが殆ど「暗黙知」的な「自然計算」の間には大きな落差(断絶)があることが理解できる(そもそも宇宙の銀河数1000億個を超えるともされる莫大なニューロンの規模に加え、数え切れぬ程のシナプス(イオン系、化学系、混合系から成る)なども存在するため、脳内の情報処理ネットワークを100%再現することは到底不可能と思われる)。

 なお、このような意味での自然計算はフランス科学認識論の哲学者、G.シモンドン『個体化の哲学』(叢書・ウニベルシタス)の“ミクロから宇宙規模のマクロにおよぶ大自然世界における相転移の問題意識”の連続リアリティの概念にも重なると理解できること)および個体生命内の「ATP/アデノシン酸三燐酸(動植物に共通の個体内における生命エネルギー通貨)」創造の謎の問題とも深く関わると考えられるが、此処でそれらを深堀りする余地はないので、以下に事例◆を列挙するだけに止めておく。

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◆シモンドンによれば、ミクロ~マクロに至る世界の総体は<存在の特定の相(情報、形相、特異点)>という概念に比肩できるが(これらは相転移閾値(特異性)で繋がっている)、それは一定の系が「強度intensitéとしての情報」の連続する多層構造(~量子物理学“スケール”~物理・化学“同”~生命“同”~宇宙論“同”~)を意味する。今もって重力と磁力の本性が未解明であることを連想すると興味が尽きない!/参考資料:ジルベール・シモンドンとジル・ドゥルーズの「特異性」の概念―「情報」の形而上学的な問い直しのために―堀江郁智(日本学術振興会 特別研究員http://www.iii.u-tokyo.ac.jp/manage/wp-content/uploads/2018/04/88_6.pdf

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◆【ATP合成酵素分子モーター/人間の場合、ATP合成酵素ミトコンドリアの内膜にあり、水素イオンの流れでATPを作っているが、その役割は発電所の仕事に喩えることができる)のメカニズムは解明されつつあるが、なぜ、あらゆる生物が簡単な機構ではなく、複雑なナノモーターを使用しているのか?は未解明である!その回転には何らかの宇宙的な普遍性があるかも!?/京都産業大学、総合生命科学部 生命システム学科 吉田賢右教授、https://www.kyoto-su.ac.jp/project/st/st11_06.html 】・・・Cf. 「分子モーター」を人為的に回して「ATP」の合成に成功(基礎研究最前線)伊藤博康(浜松ホトニクス(株)筑波研究所研究員(専任部員))戦略的創造研究推進事業「タンパク質分子モーターを利用したナノメカノケミカルマシンの創製」研究代表者http://www.jst.go.jp/kisoken/seika/zensen/06ito/ 

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 これは直近の出来事であるが、日本の安倍晋三内閣総理大臣は自らが森羅万象の神だ!と自覚している<貴人ならぬ奇人>であることを国会で白状した!? のは周知の通りである。だからこそ、「完璧なAIアンドロイド」ならぬ安倍晋三氏に『不気味の壁』(自らを“神様”だとマジに自覚している?w 故の独特の胡散臭さ)の空気が漂っても不思議ではないことになる。(『不気味の崖』の画像はウイキより)

(人間のニューロン神経の活動のごく一部を模倣した機械学習手法の一種ディープラーニング(深層学習)の登場)

 ここで「人間のニューロン(神経)の活動を模倣した機械学習手法」の一種であるディープラーニング(深層学習)の登場ということになるのだが、その嚆矢は意外にも、やや古く1940年代の米国にまで遡る。(以下は、『ディープラーニングニューラルネットワークの歴史(株)電通国際情報サービス:⼩川雄太郎https://book.mynavi.jp/manatee/detail/id=89172より部分転載)

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・・・ディープラーニングニューラルネットワーク/多層機械学習)の原形となったモデルは、米国で考案されたマッカロック・ピッツモデル(The McCulloch-Pitts Model/Warren S. McCulloch、Walter Pitts)。形式ニューロンとも呼ばれ、ニューロンの活動を数理的に最も単純な形で模倣したモデルであり、1943年に発表された。マッカロックは外科医、かつ神経科学者でありピッツは数学者だった。つまり、神経科学者と数学者の共著論文でこのモデルが誕生した訳だ。

マッカロック・ピッツモデルを数式で表すと以下の通り。 ・・・11shiki01.jpg (ここで引用は終わり)

 

 (多層機械学習ディープラーニング(深層学習)の概要)  

f:id:toxandoria:20190430081942p:plain(画像は、Leap Mind Blog https://leapmind.io/blog/より)

f:id:toxandoria:20190501130550j:plain(画像は、

ディープラーニング】深層学習とは何か〜学習編〜、https://su-gi-rx.com/archives/960より転載)

 (1)ディープラーニング(2006~)の登場で、第三次ブーム下にあるAI(人工知能)の現況と未来

f:id:toxandoria:20190506161628j:plain(画像はウイキより)

・・・ジェフリー・ヒントン(1947- /英国出身のコンピュータ科学・認知心理学の研究者、トロント大学とGoogleに在籍)が オートエンコーダ(ニューラルネットワークを使った自己符号化アルゴリズムhttps://deepage.net/deep_learning/2016/10/09/deeplearning_autoencoder.html)によるディープラーニングを発明した(2006)が、これは人手を介さず特徴量(そもそもは機械学習で最初に入力する必要がある学習モデルの数値化)が抽出できるため、人間による知識表現であるアルゴリズムの役割が大幅に減少して(それがゼロとなった訳ではない)人工知能(AI)の大きなブレイクスルーとなった。

・・・既述の通りディープラーニングニューラルネットワーク)の原形は、1940年代に米国で考案されたマッカロック・ピッツモデルまで遡るのだが、そもそも機械学習とは「データ、パターン、ルールをコンピュータ自らが学習し、かつ柔軟にそれらを抽出できる」ようにする自然計算(南方熊楠の関連で既述)のごく一部分を模した「自動計算」技術のことである。

・・・ところが、2006年にジェフリー・ヒントンが オートエンコーダ(ニューラルネットワークを使った自己符号化アルゴリズム)を発明した以降のディープラーニング(多層機械“深層”学習)を喩えてみれば、それは「具材をそのまま鍋に放り込んだら、勝手に美味しい料理ができ上っている」と言う様なものだが、後述する通りその論理的プロセスの核心部分(おそらく、それは既述のとおり南方熊楠らが直感していた“自然計算”のごく一部分の再現であるため?)は今も「ブラックボックス」の状態(委細、後述)となっている

・・・しかも、「AIはゼロから1を生み出すこと」ができない!ということが現実である。つまり、《ヒトや自然の“現存在(ハイデガーが名付けたDasein/生命持続の活動エルゴンなる自然計算のトータル》、言い換えれば《地球自然環境そのもののリアルとその歴史の全体》の大前提なしでは、いくらAIと雖も何か新しい自然の存在を創造する」ことはできない。

・・・それにもかかわらず、AIが単独で機械的に、それができるようになると主張する点がシンギュラリティ論の怪しげなところである。つまり、いくらAIと雖も「いわゆる“意味の全体論”派(委細、後述)が主張する真理(クワインヒューマニズム哲学やマクダウエル、あるいはガダマーらの最新のリアリズム倫理・哲学などに沿った解答」を導き出すこともできはしないのである。

・・・だから(個人的な感想であるが)、案外AIの未来は「アナログ自然状態(自然計算)のままに放置し、何も一切の小細工は(ディープラーニングなどの深堀なども?)せぬ方が得策だし、結局、その方が経済的にも社会厚生の側面でもリーズナブル(限定合理的でヒューリスティック)であり、その方がヒトはより幸せになれる!?」というブラックユーモア風味の未来へヒトは突き進むのかも知れない?(苦w)

(2)“広義の機械学習”の種類と概要

・・・そもそもAI機械学習(現在の機械学習はニューラル・ネットワークであり、その更なる進化系の深層学習が多層機械学習、つまりDL(ディープラーニング)である)の得意技のベースは「大量のデータを分類しラベル付けする」ということであり、これが「ヒトが与えたでたらめなデータから、自らジャンル分け出来るように微調整しつつ学習する」という、機械学習の稼働原理の基本となっている。・・・

機械学習]-1教師あり学習(得意は分類すること/最初に正解モデル・データを与え、そこから分類ベースのルールやパターンを電子機械的に自動調整で学ばせる手法)

・・・その応用例は「迷惑メール判定、画像選択(必ずそれらデータの中に正解があるもの)」など(概ね人が正解を判断できるもの)だが、その前提条件は「教師データ数が十分に多いコト、例えばメール判定でも数万件のオーダーが必要!」ということになる。

・・・教師データを学習したコンピュータは自らの中に「未知のデータを予測するため/予測フェーズ」のルール(=稼働の土台となるモデル・アルゴリズム+教師データから学んだルール学習フェーズ・モデル)を保持している。

・・・また、教師あり学習は新たな場面での教師データ(新たに学んだルール)を時系列で学習し累積させ、その都度の微調整で少しづつルールを更新する。いわば教師あり学習では教師データ(正解)との差を微調整することが学習そのものなので何回も繰り返すと洗練度が高まる訳である。

・・・出力パターンは確率の表記となることが多いが、「データの作り方の工夫」と「データ数の大きさ」が、その結果の性能を左右する。

機械学習]-2 教師なし学習(得意は分割(クラスタリング/グルーピング、分割)すること教師データを与えずに行う機械学習の手法)

・・・教師あり学習で行っていたのは「分類」問題を解いていたのだが、教師なし学習が行うのは「クラスタリング」(グループ化)である。両者は似ているように思えるが、「分類」はあくまでも個体のラベリングであり、「クラスタリング」は各「個体」の属性を目星とし同じ仲間と思しき「複数の個体でグループを作る」(クラスター化する)ことだ。

・・・別の角度から言えば、教師なし学習で行うのは、多変量のデータが大量にあって、どういうクラスタ分割ができるのか分からないので、とりあえず、それをやってみるという様な場合に有効な手法である。

・・・重要なのは、クラスタリングで得られた複数のクラスターの夫々がどのような特徴を持つデータ集団(仲間)であるかを、その教師なし学習の結果しだいで、今度は人が類推的に理解(今度は人が、その複数クラスターを見分けて評価)する必要があることだ。

・・・クラスタリングでは凝集型クラスタリングボトムアップクラスタリング最も近いものどうしを順番にまとめるやり方)など様々な手法がある。いずれにせよ「何で似ていると判定するか?」「クラスタどうしをどの様な基準で比較するのか?」などの条件設定しだいで、様々な目的に応じ使うことになる。これは教師あり学習の分類でも同じことだが、機械学習を使っても目的に応じそれを使う人が試行錯誤する必要があるということである。

・・・因みに、教師なし学習ではクラスタリング(グループ分け)の行為そのものが学習することの意味になる。

機械学習]-3 強化学習(得意は決定の行動パターンを学習すること/ある状態における多様な行動を評価し、よりよい行動を自動的に学習する手法)

・・・これは、特に囲碁・将棋・チェスなどのゲームやロボットの動作制御(デシジョン・ツリー選択での

確率を決める)などで高い性能を発揮するが教師あり学習教師なし学習に比べて使い方のハードルが高い

・・・別に言えばある環境内のエージェントが現在の状態を観測し今後の取るべき二者択一の行動を決定するという問題を扱う機械学習」であるが、そこでエージェントは行動の選択に応じて環境から報酬シグナル
(選択した割引累積報酬)を得ることになる。

・・・ポイントは、右か左かを単純に決めるのではなく先ず右の確率と左の確率を決め、その確率の結果を介して得た報酬シグナル(電子的なパラメータ数値/脳内ニューラルネットの対神経“快感賦与”物質であるドーパミンの量に相当する)の大小を比べる学習経験を何回も繰り返し、最終的に得た割引累積報酬(累積パラメータ数値)から逆算して得た最終累積報酬が最大となる(将棋などの勝負の場合は勝ちを得る)ように各選択段階の個々の確率をバックプロパゲーション(下記/注)で波状的に決定しつつ、それを繰り返して、そのつどの経験値(知)を累積して行くことにある

・・・つまり、最終の累積割引報酬シグナルを最大化するよう意思決定(先行かつ遡行的に選択)するという確率の決め方)の技術「経験知」を電子的に学習・累積するところが強化学習特徴である。

[補足]GAN:敵対的生成ネットワークとは何か ~「教師なし学習」による画像生成(リアルをフェイク化する“教師なし学習”のジャンル?w)・・・以下、https://www.imagazine.co.jp/gan%EF%BC%9A%E6%95%B5%E5%AF%BE%E7%9A%84%E7%94%9F%E6%88%90%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B%E3%80%80%EF%BD%9E%E3%80%8C%E6%95%99%E5%B8%AB/ より部分転載・・・

 近年、いわゆるAI を構成する要素技術として機械学習の発展が著しい。とくにディープラーニングはその火付け役であり、画像分類、物体検出、セグメンテーションなどの画像領域をはじめ、自然言語処理音声認識といった分野にまで広く応用されている。その表現力の高さから、今や従来の機械学習手法を凌ぐ結果を見せている。

 ディープラーニングの技術は日進月歩で進化しており、新たな研究が発表されると、すぐに実装コードが公開されたり、応用研究が進められたり、ビジネスに適用されたりする。

 なかでも最近注目されている技術の1つに、「敵対的生成ネットワーク」(Genera tive Adversarial Networks。以下、GAN)がある。GANは生成モデルの一種であり、データから特徴を学習することで、実在しないデータを生成したり、存在するデータの特徴に沿って変換できる。

 GANは、正解データを与えることなく特徴を学習する「教師なし学習」の一手法として注目されている。そのアーキテクチャの柔軟性から、アイデア次第で広範な領域に摘用できる。応用研究や理論的研究も急速に進んでおり、今後の発展が大いに期待されている。 

GANの学習の仕組み

 GANは、2つのニューラルネットワークで構成される。 

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 アーキテクチャを図表4に示す。1つはGeneratorであり、その名のとおりデータを生成する。Generatorは、生成データの特徴の種に相当するランダムノイズ(図表4ではz)を入力することで、このノイズを所望のデータに近づけるようにマッピングする。もう1つはDiscriminatorであり、Generatorが生成した偽物のデータと本物のデータが与えられ、その真偽を判定する。

 この2つのネットワークを交互に競合させ、学習を進めることで、Generatorは本物のデータに近い偽物データを生成できるようになる。この関係性は、しばしば紙幣の偽造に例えられる。偽造者(Generator)は本物に近い偽札を作ろうとし、警官(Discriminator)はそれが偽物であると見抜く。するとGeneratorは、より精巧な偽札を作り出すように技術を発展させる。こうした「いたちごっこ」が繰り返され、最終的には本物に近い偽札が生成されるようになる。

 また補足だが、2つのネットワークの競合関係は、ロス(コスト)関数を共有させることで表現される。すなわち片方のロスが小さくなれば、もう一方にとってはそのロスが大きくなる。Generatorはロス関数の値を小さくすることを目的に、Discriminatorはロス関数の値を大きくすることを目的に学習させる。

 ここが、CNNや再帰型ネットワーク(RNN)などロスの最小化を目指す他のアーキテクチャと異なる点であり、GANがぼやけにくい画像を生成するポイントである。ただし後述するように、これが学習を難しくさせている点でもある。

 また学習させたGANから類似データを生成する場合、Generatorにはランダムノイズを入力するが、ここにランダム性をもたせることで、生成されるデータにもランダム性が生まれる。すなわち、サンプルするたびに異なる類似データが生成されることになる。

 zが属する空間(潜在空間と呼ぶ)は、学習させた画像の特徴量が分布している空間とみなすことができ、空間上で近いzからは、類似の特徴をもったデータが生成されることを意味する。さらに、このzに演算を施すことで、画像に特徴量を付与・変換できる。たとえば人の顔を徐々に笑顔に変化させていく画像を生成できる(図表5)。

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・・・以下、省略・・・

機械学習]-4 ディープラーニング(深層学習)

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<参考>DL(ディープラーニングの実装では何をやっているのか?

・・・ディープラーニングの実装では何をやっているのか?」を概略的にイメージでも理解できる優れたサイトがあったので添付しておく。上の画像はごく一部の抽出なので、ご関心の向きは下記★をクリック乞う

ディープラーニングを実装から学ぶ~ (まとめ1)実装は、実は簡単@Nezura(20180623更新)https://qiita.com/Nezura/items/0a37e1746f2830e31ddc

・・・

・・・特意なことは、例えば翻訳などのように一定の規則のなかで正解がほぼ一意(事実上、多義は無視する)に決まる学習である。

・・・教師あり機械学習の作業のなかの「“各パーセプトロンにおける入力の強さ(二つの入力値の重み(結びつきの強さ/確率)+バイアス→出力、およびバックプロパゲーション)の調整(チューニング)”が自動計算に置き換わるイメージ」と考えれば理解し易い

<注>パーセプトロン ☞ https://qiita.com/yudsuzuk/items/a8e1eee92403f0921d92 バックプロパゲーション ☞ https://qiita.com/43x2/items/50b55623c890564f1893

・・・ディープラーニングの優れた点は、「外部からのヒントなしで内部表現、潜在表現、特徴量等の課題を解く精度の高さ」という点にある。

・・・そもそも機械学習教師なし学習教師あり学習強化学習の別を問わず)の前提として必要なのが「特徴量」をコンピュータへ与えることであるが、その特徴量を具体的に言えば「これから与えるデータの何処に注目して仕事(学習)をすべきか?」ということを示す“数値データのかたまり”であり、それはチャンク(chunk/原義は肉・木材などのぶつ切り、大きな塊り)とも呼ばれる。

・・・ところが、ディープラーニングではこのチャンク(特徴量)を与えなくても「高い精度で、良好な結果(特徴量など)を自動計算で取り出してくれる」という優れた能力を発揮する。無論、ドラえもんの“なんでもポケット”ではないのでw 土台となる必要最小限の「使用する関数などの作業アルゴリズム」は与えておかなければならない。

・・・従って、“非常なすぐれもの”のディープラーニングではあるが、例えばその膨大なデータ量の解析に最適な、又は必須の関数としてどれを使うべきか?などの判断が作業アルゴリズムの設定段階で必須となる。だから。その意味では、よほどディープラーニングの方が機械学習より職人技というか専門知識が必要となる。

・・・加えて、ディープラーニングには「その最も優れた処理能力が論理的に説明できないブラックボックスになっている」という課題がある。色々と研究の取り組みはあるが未解明である。具体的には、つぎのようなことだ(関連、後述)。

  • 人がデータを見ても判定が難しいのに、なぜか適切な推測モデルをディープラーニングが作ってくれたが、その理由は不明である
  • 又、結果があまり良くないので「隠れ層(中間層)」を増やして“より多層化”してみたら、理由は分からないが、なぜか精度が高まった

(深層計算(多層計算)“ブラックボックス”問題に関するエトセトラ)

 かなり乱暴なことになるが、上で述べたディープラーニング・システム(多層機械学習ニューラルネット)の進化系)の概要(+関連情報)を短く纏めると以下のとおりである。なお、一般的に4層以上の機械学習を特にディープラーニングと呼ぶことが多い。

・・・ディープラーニングの稼働原理を、ごく大雑把に言えばsoftmax関数(0~1の間で立体的に遷移する関数)、affine変換関数(平面で三角形の移動(写像)を与えることができる関数)、交差エントロピー関数(確率の確率を表す誤差関数)、微分関数、ReLU関数(中間層の活性化(ニューロン発火)関数)などで作った土台となるアルゴリズムを「特定用途向け集積回路ASIC」(特定のユーザーや用途に向けて開発されたLSI(大規模集積回路))で機械的に実装し、多層化させた中間層に「ニューロンの繋がり方」を模した「自動計算」を実行させる(“自然計算”のごく一部をデジタル技術で最も単純に模倣した機械計算システムを介して)ことである。

・・・その多層化した機械計算システムは自ら学習した結果を出力することになる。つまり、機械学習では最初に教師モデルを与えることで自動計算の訓練が可能だが、ディープラーニング(深層学習)では(無論、稼働の土台となるモデル・アルゴリズムは必要だが)、そもそも機械学習で必要であった基となる特徴量のモデルを与える必要がなくなり、稼働土台のアルゴリズムさえ決まれば後はコンピュータの自動計算に任せることができる訳だ。

・・・但し、何でもかんでも計算ができる訳ではなく、一定の数字の大きさなど諸条件の制約があるし、異常値の結果が出た時などは計算そのものが停止する。また、プログラムで一定限度の停止指示を与えることもできる。

・・・つまり、これらの制約条件は、ディープラーニングが脳神経ネットワークを模したものであるとしても、それがリアル生命体における自然計算のトータル(老化・衰弱に因る自然死、病死、あるいは事故死するまで生き抜くリアル生命活動)とは全く異質の計算プロセスだということを示している。

・・・また、それはこの技術的にニューロンのネットワークを模した自動計算が、ヒトの脳神経に限る自然計算の全容(トータル)とも異なっていることの証左でもある、とも考えられる

・・・繰り返しになるが、特に忘れるべきでないのは<一定のプログラムでニューロン・ネットワークの自然計算の一部を模して作動する“条件付きの自然計算のジャンル(脳神経の自然計算のごく一部のデジタル模倣による再現としての自動計算)”と見るべきであることに加えディープラーニング稼働の中核(最も肝心な中枢機能)となる「より多層のニューラルネットワーク計算から、なぜ良い(精度が高い)性能の結果が得られるか?」について、その理由が論理的に説明できていない>というブラックボックスの問題があることだ(参照/下記■1、■2)。

 ■1  最適化から見たディープラーニングの考え方: 得居誠也((株)Preferred Networkリサーチャー/東京大学情報理工学系研究科・博士課程在籍)[モデル圧縮]深層学習のもっとも興味深い点である,深さの効果を考える/深層学習の本質はその深さにあると信じられているが,深いニューラルネットが高い性 能を発揮する理由はまだよくわかっていないhttp://www.orsj.or.jp/archive2/or60-4/or60_4_191.pdf

■2 多層ニューラルネットワークによる深層表現の学習:麻生英樹(産業技術総合研究所・上級主席研究員)/深層学習では層の数が多いニューラルネットワークによって、膨大な観測データから本質的な情報を抽出した「内部表現、潜在表現、特徴量」を学習する深層学習が注目される最大の理由は、パターン認識タスクや予測タスクにおける性能の良さであるが、深層学習で得られる内部表現などがなぜ良い性能につながるのかは未だ十分に理解が進んでいるとは言えないhttps://scholar.google.co.jp/scholar?q=%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0+%E8%87%AA%E7%84%B6%E8%A8%88%E7%AE%97&hl=ja&as_sdt=0&as_vis=1&oi=scholart

“統計と機械学習(計算)”の根本的な違いを理解することが重要/“計算の想定(前提)条件、目的、戦略”が異なる)

  統計学は原則的に決定したパラメータ(アルゴリズム関数の未知数部分/例えば、平均などの母集団特性など)の操作はない(というか、厳禁だ!)が、機械学習では「稼働の土台となるモデル・アルゴリズム設定のための関数の選択や目的の推計値の抽出の必要などから場合によってはデータ数の追加や欠損値の補間(ゼロパディングや平均値の挿入)等をプログラマーがチューニングする)こと」が許される。

 結局、一定の母集団におけるモデルの妥当性、モデルのパラメータの正確な推定、モデルからの推論的な説明といったものが統計学者にとっての主な関心事であるが、機械学習の取扱者(プログラマーら)の大きな関心事は「ビッグデータの解析に因る、まだ見えていない事象に対する予測(特徴量、内部表現、潜在表現などの抽出)」である

 一方、統計学者にとって、ある特定の未だ見えていない事象の予測はあまり大きな関心事ではない。無論、統計学者は予測をする技術はもっているが、それはあくまでも一定の母集団における推論的な説明の仕事の中での特別なケース、ということになる。つまり、統計学機械学習ではパラメータの定義が異なることになる訳だ

 また、機械学習(計算)の場合は、「現実に利用できる未知の答え」(答えとされる“特徴量”など)が、そのディープ・ラーニングの予測値として正しいかどうか?(有意性が高いか低いか?)と、その“特徴量”が一般的に広く当てはまるか否か?(個々のリアル観測値との誤差が大きいか小さいか?)は、全く別問題である。

 つまり、この差異は「統計学者と違って、機械学習の取扱者が“その推測値は「一定の中立的な超ビッグ集団」から抽出するものと想定しており、そこからの抽出結果である推測値は利用する側の個々のリアル・サンプル(当然、その個々の統計のローカル母集団は異なったものとなる)とは独立なものであることを当然視しており、しかしながら毎回同じ確率分布でその推測値は超ビッグ集団から抽出できるから中立的に決定する”と見なし(仮定し)ている」ことに起因する訳だ

 例えば、ディープ・ラーニングによる「似合い度」判定システムを導入した最先端の眼鏡店で「判定度90%」の眼鏡フレームを“これが貴方にピッタリです!”と勧められたとしても全ての顧客がそれに満足するかどうか?と、そのこと(判定度90%の中立的な正しさ)とは全く別問題なのである。そして、それは「多層深層学習で繰り返されるフィルター掛け(圧縮プログラム)」の工程が、実は捨象(事物または表象から、ある要素・側面・性質を抽象するとき、他の要素・側面・性質を度外視)する工程であることに因る

 だから、ここで特に注意すべきことがある。それは、同じAIビッグデータのディープ・ラーニング計算の利用であっても、交通機関安全・保安、医療・医薬・医事、軍事、金融、司法、政治・政務・行政・教育・製造工程等のフィールドで、人命ないしは人権等に直接的に関わる仕事(例えば自動運転、裁判での司法判断、医療診断、教育現場での利用などがその典型になるだろうが)での「形式知(実測値・理論値等)データに因る予測値の利用」と「暗黙知(印象等の数値化)データに因る予測値の利用」(例えば、上の“最先端の眼鏡店における判定度90%の眼鏡フレームのケース”)では、そのデータ利用の意味合いが全く異なるということだ。前者の場合、そのデータが参考程度のものであること、あるいは誤差が大きいことなどが絶対に許されないし、その精度を上げるための特別な調教の工夫が絶対に必要となることは言うまでもない(関連参照⇒プロローグ/また、形式知暗黙知の委細については更に後述する)。

  ・・・以上は「結局、機械学習統計学は何が違うのか?*1」「統計学と機械学習の違いはどう論じたら良いのか*2」の論点を集約し、若干の私見形式知暗黙知の観点ほか)を修正的に加えたものである。(*1 https://exploratory.io/note/kanaugust/aNL1RkQ0gB*2https://tjo.hatenablog.com/entry/2015/09/17/190000)・・・

ディープラーニング(多層機械学習(計算)を導入するに当たっての留意点)

・・・これは、後述する「人がやるべき仕事の発見と創生/“AIで消滅の危機に瀕する?とされるヒトの仕事の復権”に関わる方向性」という、非常に重要な課題と深くクロスすると思われるので、ここでは二、三の注目すべき点の記述に止めておく。・・・

 実は、前節で取り上げた<「ディープ・ラーニングの判定結果による顧客への提案と個々の顧客がそれに十分満足するか否か」の問題>には<軽く見過ごすべきでない重要な問題点>が潜んでいる。当然のことだが、ヒトがつくるものやヒトのサービスに個々の顧客が十分満足することが続けばリアル経済の価値が高まり、ヒトの生産性が伸びることになる訳だが、これはヒトの意識作用の一環である抽象化がヒトの脳内(そして生命個体内)の活動であるため、それが刻々と変容する凡ゆる地球上のリアルな自然・社会のエルゴン(活動エネルギー)と共時的に繋がっていることに因ると思われる。言い換えれば、それは製造・販売・サービスを提供する側と顧客側とがビジネス現場でそのような暗黙知支配下にある「リアル経済」の可能性を共有していることに因ると考えられる。他方、ビッグデータ解析の結果である「AI機械計算またはディープラーニングの予測値」(解析フィルター仕掛けの圧縮化、つまり中立的と想定されるビッグ母集団の解析に因る機械的な抽象化に因る予測値はリアルな自然や社会と同期的(マッハ感覚論的素材性的)には繋がっていない。いわば高度デジタル抽象的な形式知の世界)>との間には、見逃すべきでない絶対的に大きな「壁」(断絶)があるということだ。そのため人的な意味でも省力化されたビジネス現場では、皮肉なことであるが、例えば高度な専門知とは全く無関係な人的サービスを顧客側から求められるケースも発生しているようだ(NHK/人間ってナンだ?超AI入門 シーズン3 第2回「感じる」https://tvpalog.blog.fc2.com/blog-entry-6921.html)。つまり、ヒトには高度デジタル抽象的なビジネス・サービスだけでは十分に満足できないというある意味で矛盾‘’する特性が宿命的に存在するのではないか?と思われる。そこで、仮に,これら両者の間にある壁を『人間の壁2』と呼んでおくことにする。

 <補足>『人間の壁2』と「選言説(ヒトの意識=第二の自然と定義し、第一義の自然と等置する考え方)」について

・・・『人間の壁2』は、準汎用AIの高度機械生産性の角度から見れば『人間の壁1の問題そのものAI抽象化デュナミス潜勢態(生命体のヒトにとっては、抽象化である限り、それはあくまでも可能性の次元に留まる/大黒岳彦/参照、プロローグおよび https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/03/05/153938)に重なる。

・・・しかし、上で述べた『人間の壁2』(“感じる”ヒトは高度デジタル抽象的なビジネス・サービスだけでは十分に満足できないという問題は、<知覚・感覚ひいては感情>こそがヒトの日常言語における固有名の一義的な「意義」と概念の形成に先行すると見る、言語哲学で言う「選言説」( https://www.jstage.jst.go.jp/article/jpssj/42/1/42_1_1_29/_pdf/-char/enとの関りが深いと考えられる

・・・他方、ケンブリッジ分析学派(ヴィトゲンシュタイン学派)は“非選言説”の立場を採る(関連参照⇒第5章ー2   [見えないことの発見2]  AIを活かした「ヒトがやるべき仕事」の発見)。また、「選言説」はマクダウエル「リアリズム倫理学(ヒトの意識=第二の自然と見て、それを第一義の自然と等置する)」のベースと見るべき問題でもある。更に、ここで言う「意義」はフレーゲ言語学での「実在の直接的な意味、意義(概念)、表象」の区分を意味するが、当記事ではこれ以上の踏み込みはできない。

・・・但し、ケンブリッジへ再び戻り、同大学教授となってから(1939~)のヴィトゲンシュタイン(後期のヴィトゲンシュタイン)は『論理哲学論考』での言語間「普遍論理」想定(記号論理学中心)の哲学の姿勢を変え、コミュニケーション行為を重視する方向へ向けて自らの哲学の再構築を図ったが、これは完成せず病死している。

・・・

 因みに、この『人間の壁』なる用語は、下記記事★で取り上げた『人間の壁』(厳密には『人間の壁1』と呼ぶべきだろう!)と奇しくもほぼ共鳴的に呼応している。

 また、具体的に言えばその『人間の壁1』は、<準汎用AI機械経済がもたらす高度生産性が、分配構造を抜本的に変革するマクロ経済の展相が国の政策として実行されない限り、リアル社会で生きる労働者と一般国民の幸せを保証するための、つまり彼らのリアルな血となり肉となる(彼らの生活と未来への希望ともなり得る)真に有益な生産性へそれを換算し直し、かつリアル経済マネーとして有効に活かすことができず、却って、益々「大格差が拡大」するばかりとなる恐れがある>ということであった。

★チェリーピンク・アベGDPの日本はAIロボ『人間の壁』(第4次産業・AI革命)経済に備え“社会の茎”、「新マクロ経済/Ex. BI型“社会的共通資本”」金融への展相が必須!https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/03/05/153938

 ともかくも、『人間の壁2』の問題は、「リアル経済」の可能性が地球の自然エトノス環境に対し開かれているの(開放系であること)に対し、ビッグデータに因る「AI機械計算またはディープラーニングの予測値」が閉じている(いわば電子的作動に因りリアルに生きているヒトとは異次元の形式知ワールドであるとの意味でマイペースの閉鎖的な抽象体系である)ことを意味するからだ。また、カルマンフィルターのリスク問題(自動運転等のファットテール・リスク)が排除できないのも同様のことに起因すると考えられる

 因みに、カルマンフィルターとは、そもそも誤差のある観測値を用いて、ある動的システムの状態を推定あるいは制御するための数理統計モデルだが、金融工学(自動運転車)で使われる正規分布曲線(その尻尾(テール)部分の異常・リスク事態は無視できるほど小さな確率であることが前提であった。ところが、そのテールが正規分布から微妙にズレた「無視できない大きな尻尾(実はファットテール曲線!)」であることを、賢明なエコノミストらが以前から指摘してきた。また、この視点は後述の「ディープラーニングの内生性」の問題とも関連すると考えられる?

 実は、このこと(ファットテール問題)が起動因となってリーマンショック(2008)やヘッジファンドLTCM破綻(1998)が起きており、自動運転車(あるいは米ボーイング737マックス・墜落など?又は、愈々、これから本格化しつつあるAI兵器(AI軍事機器)の暴走リスクらも同様の意味で甚だ大きな危険性を内包していると考えられる(参照資料:小林雅一『AIの衝撃』‐講談社現代新書‐)。

 

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 更に、このカルマンフィルター問題に加えて懸念されるのが、いま取りあげたばかりの「AIディープラーニングの計算原理に関わるブラックボックス」の問題である。20190506朝日が記事『(ブラックボックス問題が)説明できるAIへ進む研究』と報じているが、これは紛らわしい報じ方であるhttps://twitter.com/shinkaikaba/status/1125237671830278144

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 つまり、それは、<「AIディープラーニングニューラルネットワーク深層学習)の計算原理に関わるブラックボックス」の問題が解明されつつあるのではなくその<論理的に説明不能ディープラーニングの結果(予測値)>の意味をできる限り人間でも分かるように説明するための補助的な手段(そのブラックボックスから出た予測値に関して、更なる傍証、相関分析などを付加する手法)を採るという、多様な応用研究が進みつつある、そしてコレはあくまでもAIの未来予測値の精度を高める補助的な工夫である、と正直に報じるべきではなかったのか?>と思われるからだ。

 これで十分に満足!とするならば、それは個々のAIの解答(予測値)を具体的な仕事で使う立場の人々(交通機関、安全・保安、医療・医薬・医事、軍事、金融、司法、政治・政務・行政・教育・製造工程等に関わる担当者ないしは管理・監督責任者ら)に対し「責任逃れの口実」を与えるだけのことになるのではないか?

 しかも、問題はそれだけではない。実は、「暗黙知形式知」の差異厳密に言えば、“リアル暗黙知”と“リアルから遊離した不条理の成分が内生するDL形式知”の差異ということが、AI技術をビジネス・製造・軍事・医療・教育・司法等で具体的に利・活用する場面で生ずる深刻な問題がある

 すでに述べたことだAIが得意とする解答の正体はDLディープラーニングによる「抽象的な予測値」、つまりリアル世界の中で収集された、ビッグデータなる中立と想定する巨大母集団の中から殆どのアナログ(暗黙知)的な残余部分を捨象し機械計算的に抽象化されたもの(厳密に言えば、該当の“暗黙知”のブラックボックスを、論理的に説明できない状態のままで内生化した/説明変数値が、あるモデルの中の被説明変数の影響も受けるため、その説明変数と被説明変数どうしで互いに依存し合う共依存関係が生じ、夫々の値がモデルの内側で決まってくる(内生化する)ことを意味する!)にも拘わらず、かなりの程度まで‘’その期待値には高いものがある‘’ということは、矢張り、あくまでも仮想的に「形式知」化されたエッセンス・モデルなので、自然世界の自然計算とは異なり必ずや信頼できない部分も残るのでは>と考えるのが自然ではなかろうか?。しかし、それでも不可解なことにDLではかなり精度の高い予測値がアウトプットされる。だから‘’気持ちが悪い!”ということになる訳ではないのか?

<注>計量経済学の用語である「内生」の意味について/偶然と相関は別ではない、むしろその一部として存在するのだ:村上春樹・・内生性(あるモデル内での説明変数と被説明変数どうしに共依存関係)がないときは「誤差」(理論式の回帰モデルにおける“真値”との差)と「残差」(同じ回帰“モデルにおける現実データに因る真値”との差/それでもリアルでは残ると思われる“期待値”との差)の分布は基本的に重なると期待できる(信頼性がある)が内生性があるときは「誤差」(モデル)と「残差」(リア)は一般に重ならない(信頼性がない(以上、“注”の出典:ブログ『Take a Risk:林岳彦の研究メモ』http://takehiko-i-hayashi.hatenablog.com/entry/2017/09/27/105559)

・・・

 従って、上で見たとおり「AIディープラーニングについては、<数理論的に信頼性が得られないはずなのに、現実的にはかなり信頼性の高い結果が得られる>という意味で論理的に説明がついていない訳(その意味で気持ちが悪い状態)なので(この他に、既述のカルマン・フィルターのファットテール問題もある)このようなAI技術をリアル世界で応用する場合に留意すべきなのが、そのAI技術の応用・活用・利用対象となるフィールドがどの程度の深さまで、リアル世界において「生命・人権・倫理・哲学」の根幹となる部分(ヒューマン・ファクター)と致命的に切り結ぶような関りがあるのか?を絶えず深く考え、そのような側面から常在的に検証しつつAI技術を安全・有効に、かつ現実的に活用するため高度な調教の工夫を続行することが絶対条件になる!いう観点である。何でもかんでも兎にも角にも完全合理の観点でAI技術(内生を内部化している!)を応用すれば効率化が実現できる、ないしはそれを実現すれば全てのヒトがより幸せになり、経済効率も破格に改善できると割り切るのは非常に危険である(関連参照⇒前節『“統計と機械学習(計算)”の根本的な違いを理解することが重要/“計算の想定(前提)条件、目的、戦略”が異なる』およびプロローグ)

 加えて、それよりも大切なのは如何にすればAI技術(内生性のブラックボックスがある先端技術)をヒトの幸せのために、より賢く、かつヒューリステック(限定合理的)に活用できるかについて、ヒトの衆知(より大きなアナログ“環境”知、いわばヒトの“意味の全体論”に関わる理解の深化/ガダマーの章で後述!)を総動員して考え抜くことを大前提とすべきだ!ということであるのような視点も、上で取り上げた朝日の記事は完全に欠落している

 ところで、「ディープラーニング(多層機械学習(計算)を導入するに当たっての留意点」を考えるためのたたき台の意味で興味深いグラフがあるので、「人工知能技術のビジネス活用概況― 日米独の法人比較」(2017年04月25日/(株)MM総研、https://www.m2ri.jp/news/detail.html?id=238)の中から、その分析の一部と共に下に転載させて頂く。

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・・・MM総研の分析によれば<「機能特化型の人工知能技術のビジネス活用」について、法人企業への調査や企業へのインタビューをもとに日本、アメリカ、ドイツおよび世界それぞれの市場概況をまとめた。調査の結果、日本企業が人工知能技術をビジネスに導入している割合は1.8%。業種導入率では、金融業、情報通信業が高く、他業種より先行して導入していることが分かった。国内市場規模については2016年度が前年度比約2倍の2,220億円。今後、年平均20.4%で成長し、2021年には5,610億円に拡大する見込み。米独に対し、最も市場成長率が高い結果となった。今後、国内市場成長のカギは、「利用者側の人工知能の技術理解向上」と「環境整備」、「豊富なデータを生かせる人材と業界ノウハウ」の確保とだということが分かった。/日本の2016年度の人工知能ビジネス市場は2,220億円(ドイツ3千億円、米国4兆円)であり、今後、年率20.4%で成長し2021年度には5,610億円を見込む。>となっている。・・・

・・・

 米国とドイツに比べ日本のディープラーニングに対する消極性が浮き彫りとなっており、データマイニングhttps://www.albert2005.co.jp/knowledge/data_mining/data_mining_basics/about_data_mining)風の観点から見れば、それだけディープラーニングを手掛けるAI-IT系企業の関連市場開拓の潜在的な可能性(需要)が全般的に大きいことを窺わせるが、問題をそれだけに止めるべきではないだろう。

 先に述べたとおり、まず二つの『人間の壁』を取り除くこと、というかその壁による障害の緩和を図るのを大前提とすべきこと、は言うまでもないが、同時に、全天候型戦術で<薔薇色のディープラーニング>の普及を謳うだけではなく、先ず、「人命・人権・倫理」などにも十分に目を配りつつ、最もその活用のし甲斐があるターゲットを絞ることが肝心ではないかと思われる。例えば、「相互作用の科学」を専攻する鈴木泰博氏(名古屋大学情報文化学部・准教授)の論文『自然計算/人 工 知 能30 巻 3 号201505https://www.ai-gakkai.or.jp/my-bookmark_vol30-no3/に次のようなくだりがある。

 《 相互作用の科学:街を歩いていると黒を着ている人が多い気がするので何となく黒い服を選ぶ。そんな小さな気持ちの動き(相互作用)が集まると、やがてそこから流行(モード)が生まれます。モードはまるで生き物のように変化し進化しやがて消えていきます。私の研究のミッションはこうした小さな(局所的)相互作用から、モードのようなマクロなシステムがどのようにして出現し、発展するのかを解明することです。こうした局所的な相互作用から生まれる系はモードのみならず、生命系(生命の起源と進化など)や社会経済系(金融市場など)の複雑な系に広くみられます。

・・・

 今まで見てきたことだが、ディープラーニング活用とはビッグデータを想定的で中立的な母集団と見立てることによる特徴量などの「推測/予測」値、つまりその自動計算も結果(抽象化モデル)の活かし方(工夫の仕方)しだいということであるが、それが個々のミクロなニーズ、個々の人々の幸せに、リアルな世界で完全マッチングするかどうか?は別問題である

 ただし、「その意味でのミクロ(リアル)とマクロ(予測される抽象知)」の比較から、普段は殆ど気付かなかった両者の落差の余りの大きさを“伺い知る”ことができると同時に、これは逆になるが、いかにその地域(またはミクロな個々の人々やローカルな地方など)の個性的な魅力があるか!の新たな発見に繋がることもあるだろう無論、一方では科学計算的(が、その核心の論理は殆どブラックボックス)なAIの判定だからこそ、神の御託宣の如く「完全一致だ!」と短絡せぬことが肝要だと思われる

 まさか本物の神様が、そこまで人間を甘やかすことはあり得ない!?と思われるし、特に、何でもかんでも“大きな権威・権力”筋を過剰に丸ごと忖度し、それへ迎合・翼賛しがちな点が日本人の国民性であるらしい?だけに心配なところではある。苦w

 ともかくも、そうであるからこそリアル世界(アナログ・ワールド)の流れからこのように真逆に見れば、AIディープラーニングは、局所的な世界にこそ、いわば個々人の魅力や特性の発見と発揮に、あるいは地方や中小企業での今まで気付かなかった課題の発見等にこそ、つまりそのようなミクロな場面で何らかのヒントを得るツールとして利用するのに、特に適していると言えるのではないだろうか。しかし、それを偉大なる神様や神憑る権力者らご託宣の如く真に受けるばかりの態度を採ると、たちまちAIが、ヒトに対して『人間の壁1、2』に因る深刻な大被害(ハザード)をもたらす恐れがあることはシッカリ肝に銘じておくべきであるだろう

“自然計算と機械学習(計算)”の違いは冷静に見続けるべき問題)  

 今まで見てきた通りのこと(特に、第三章“自然計算の正体はアナログ(ウルトラ・デフォルトモード・フラッシュ)?orデジタル? ”で触れたとおり)だが、ヒト脳内のリアル・ニューロンネットワークとディープラーニングニューラルネットワーク)の間には大きな乖離(というか壁または断絶というべきか?)がある。それは、前者がヒトというアナログ生命体の自然計算であるのに対し、後者は<一定のプログラムでニューラルネットワークなる自然計算のごく一部を模しデジタル作動する“条件付き自動計算のジャンル(脳神経の自然計算のごく一部の模倣による機械的シミュレーション)”と見るべきであるからだ。

 従って、リアル自然計算(ウルトラ・デフォルトモード・フラッシュ?)は機械計算(デジタル計算)と同等であると言い切れるかどうかの点については、「深いニューラルネットが高い性 能を発揮する理由はまだよくわかっていない(まだ論理的に説明ができていない)」という現実(リアル・アナログ暗黙知のごく一部が丸ごと内生化(“寄生的”に内部化)しているという意味でのブラックボックスであることを考慮すれば、その結論は保留すべきであると思われる

 その意味でも、上で触れたばかりの20190506朝日の記事『(ディープラーニングニューラルネットワークブラックボックス問題が)説明できるAIへ進む研究』は、(これは朝日に限らぬことと思われるが)日本メディアの所謂「AI神話」への如何にも翼賛的で“まるで打ち出の小槌か三種の神器”の如くそれを取り扱う態度、つまりアベ神様と同程度の“なんでもポケット”式「AI原理主義」へ忖度しつつ誘導しようとするバカリの態度(おそらく?)に見えるのは、大いに懸念すべきことである

4 「ディープラーニングから準汎用AI」時代にこそ「人がやるべき仕事」の発見がある!

・・・ここでは“AIで消滅の危機に瀕するともされる?ヒトの仕事の復権”の方向性について考えるが「人がやるべき仕事」の具体的な内容等については、「第五章‐2:見えないことの発見2/ AIディープラーニングで見える未来の仕事の可能性」で触れる。・・・

4-1 AI「ヒトもどき意識」(意識なし差別)に抗すべき日本国憲法の役割/「人がやるべき仕事」のベースとしての憲法問題

・・・この観点はリアリズム倫理(マクダウエル)の問題に深く関わるが、リアリズム倫理の委細は別の記事で纏めることとする・・・

 プロローグ(“AIがヒトの感情を理解する日はやってくるか?”)でも述べたが、AI(特にDLディープラーニング)がやっているの(特徴量の予測という仕事)は、「ある事象の典型パターン」の予測的な抽出であり、それは一定の説明的な(個々の母集団の上でその特定の母集団に関わる性質等の説明を目的とする)統計とは異なり「仮想ビッグデータ空間」であるから中立的だと見る現象(事象)に関わる確率の大きさ(推測値)を意味する(DLではそう想定することが大前提となっている以外の何物でもない。だからこそ、安倍政権が手を染めた如き統計パラメータの操作・改竄などは絶対に許されない行為である!(これは統計とDLの正体を比べた上での逆説の視点でも理解できることである!苦w)

 従って、AI‐DLが弾き出した推測値(特徴量、内部表現、潜在表現は、決してそれ以外の残余の現実(時間に沿う無限の因果で全方向の空間へ繋がるリアル現象の全体、つまりマッハ感覚論的素材性が表象するヒトの世界のリアリズム(全アナログ世界)と全てのエルゴン(そこで未来へ持続する全ての活動)を示すものではなかった。

 なぜならビッグデータの仮想母集団に関わる膨大な計算処理プロセスで、その殆どが機械計算処理の過程でデジタル的に捨象されているからだ。しかも、そのデジタル的に捨象された“リアル・アナログ”ワールドは、<AI“ビックデータ”ディープラーニング>の“印象操作”が与える領域よりも、実は遥かに広大なリアル世界なのだ

 いわば、地球という生命環境の一部である我々の日常生活を取り巻く「自然・社会・精神・生命」現象のリアル・アナログワールドは、ある目的で抽出された「推測的な特徴量」らの如く、ビッグデータ故に中立的であると想定されたような意味の素材性(抽象的デュナミス潜在性の要素)からだけ成っているのではないということだ。

 ところで、特に日本のマスメディア、与党政治家、多数派財界人らがAI‐DL技術に対し過剰に忖度する、ある意味で醜悪な目先主義でそれを政治利用しようとする、その意味でドラえもんなんでもポケット》風のマイファースト・スタンスを採るようになった背景には、おそらく、このようなリアル(AI機械経済化に関わる目前の事実)についての無関心(ないしは統計とAI‐DLとのこのような意味での決定的な違いについての無知、あるいはその事実についての隠蔽のような作為的な意図ということがあるのかもしれない。

 そして、その先に透けるのは、あの<新自由主義の跋扈によるもの以上の更なる重篤化症状を伴Great Decoupling に因る超格差の拡大>、換言すれば『人間の壁1,2』が巨大化するマクロ経済的な意味で重篤な業病に冒された暗黒社会デストピア)が襲来する懸念である!そこで重要となるのが(先に、第三章‐『ディープラーニング(多層機械学習(計算)を導入するに当たっての留意点』で見てきたとおり)、AI技術をリアル世界で応用する場合に留意すべき基本的な観点ということだ

 つまりそれは「そのAI技術の応用・活用・利用対象となるフィールドがどの程度の深さまで、ヒトを含む多様な生命に満ちたリアル世界において「生命・人権・倫理・哲学・平和主義・多様性・教育など人類と一般の生物にとって最も重要な価値観の根幹と、どのような意味で致命的に深く切り結ぶ関りがりがあるか?を絶えず粘り強く考え、そのような側面から常在的に検証しながらAI技術を有効活用するという観点であった。

 ところで、これはプロローグでも述べたことだが、仮に、AIの内部で何らかの意識のようなものが生じるとしても、AI・アンドロイドらの原始的な“感情もどきはヒトと同様の意味での内外の地球型自然環境を必要とはしないが、その“感情もどき”は、いやしくもそれが<知能>であるからには、必ず自らが対象とするものを分類し、あるいは区別・区分して認識することが基本となると思われる。

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〈参考画像>日本のSkeletonics Incが開発した装着型ロボット:

http://externalstorageunit.blogspot.com/2017/04/より、右(軍事ロボ)はウイキより転載

 しかし、AIには歴史観も倫理観も不在なので、そのヒトの意識に相当するAIの認知機能にはヒトの場合で言う「区別」と「差別」が混然一体化して存在することになるだろう。そこで懸念されるのが「ヒトの場合の意図的な善悪の倫理観などとは全く異質(換言すれば人間的な感情とは無関係)な、ヒトから見れば“実に冷酷なマイペース”or“超異常な忖度”(感情を伴わない機械的な差別)が出現する可能性があることだ

 また、特異な価値観を持つ研究者やプログラマー差別的・排他的な、又は好戦的で憲法上の平和主義を否定するアルゴリズム・プログラムを作為で(あるいは彼らが異常な権力を忖度して)実装するリスクも生ずると見ておくべきだろう。AIロボ兵器や戦士らによるヒトの感情抜きの殺戮・戦争タスクが如何に恐るべきほど凄惨なものとなるかは想像に難くない。それは、AI兵器ロボ化する近未来の戦争がヒトを巻き込まぬ戦闘で終始するとは限らないからだ。

 また、関連筋からの伝聞によれば凡そ2000年あたりから始まった第3次人工知能ブームの中での日本は、残念ながら欧米・中国に比べ人材と財政の両面において、今や立ち遅れた位置にある。その背景となっているのが、AI技術にも関わるコンピュータ技術者やソフトウエア開発者らを特殊なアーティストのジャンルと見なす欧米と中国に比べ、日本では一部の研究者を除き、彼らの多くは低俗な職人のジャンルとして見下される風潮が伝統と化してきたことにあるようだ。

 しかし、今や彼らもディープラーニング・ブームの到来で急に脚光を浴び始めたことになる。このため、一部の研究者やAI技術関係者らの中には、研究費の獲得や目先の成功を焦るあまり過剰にこのブームの空気を煽り立てたり、極端な場合では「AIもどきの装備」で先端AIシステムを装ったり、それを騙ったりする悪徳ケースまでが現れている。しかも、驚くべきことに日本政府のお墨付きがある場合でさえ、この悪しきケースの事例が出現したのは未だ記憶に新しいはずだ。

 古いものではP2Pファイル共有ソフトWinny開発者・故金子勇氏の事件直近では理化学研究所(RIKEN)や大学共同利用機関法人高エネ加速器研究機構(KEK)ら大手研究機関が巻き込まれた、PEZY社齋藤元章氏/中国を日本の脅威と見る超保守系論者で2017経済財政諮問会議“2030年展望と改革タスクフォース委員メンバー”として安倍政権下で国家戦略にも関与の事件などがある。https://www.businessinsider.jp/post-108157

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  従って、「生命・人権・倫理・哲学・歴史」などとも深く通底する日本国憲法を見据え「AI社会の在り方にも憲法議論」が必要!との意思のもとに、憲法を守る立場の研究者らで作る「全国憲法研究会」が、2019年5月3日に開かれ、およそ1200人が集まったことの意義は大きい。(以下、20190503NHKニュースの転載)https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190503/k10011904711000.html

・・・憲法記念日の3日、AI=人工知能が普及する社会の在り方について憲法の視点から考えようという講演会が都内で開かれました。この講演会は、憲法を守る立場の研究者らで作る「全国憲法研究会」が開き、およそ1200人が集まりました。

・・・この中で、慶応大学の山本龍彦教授はAI=人工知能の普及によって、個人の好みや健康状態、信用力などが分析され、企業の採用活動などにまで利用されていることを紹介しました。
・・・そのうえで、山本教授はAIによる個人の分析は、プライバシーや自由を脅かすおそれがあるほか、個人の点数化で低い点数をつけられ、理由がわからないままはい上がれない新たな被差別集団が生まれかねないと指摘しました。
・・・山本教授は「欧米ではAIによって生じうる課題について憲法の視点を踏まえた制度面での対応が進んでいる。日本でも憲法の問題(特に、≪人権の“保全”≫と表裏一体と見るべき、≪AIの利・使用“責任”≫の視点が重要になる!/←補足、toxandoria)として人工知能とどう関わっていくかについて議論を進める必要がある」と訴えていました

4-2「形式知AI)Vs暗黙知ヒト)」の現状/「ディープラーニング~準汎用AI」時代こそ警戒すべき、『人間の壁』から『バベルの塔』構築への暴走

・・・その<暴走>の先駆けが、GAFA型「差別(選別)化による大格差」の発生ということ・・ 

GAFA型差別(選別)化の根源にある『人間の壁』

 今から約1015年後に汎用?or準汎用AIロボが完成した暁には、グローバル金融を完璧に組み敷きAIロボを所有・支配する数パーセントの人間が9割超の<AI‐IOTが理解できない!という意味で彼らより“形式≪知≫的”に劣る人間を一方的に支配するデストピアが出現するのでは?との悲観的な議論も、愈々、世界的に喧しくなりつつある。

 一方、特に日本においては、まるでAI‐IOT周辺の哲学・倫理の不在を嘲笑うかの如き体たらくであり、実に不埒なマイファースト・ネポティズム(お仲間)権力派が、つまり<“ドラえもん”なんでもポケットAI‐IOT派>が相変わらず優勢である。しかも、そのネポティズム派の元締めを自負する安倍政権は、先端AI‐IOTの政治利用でJPNバベルの塔』の建設に勤しむ日々を送っている。

 また、その関連基礎研究と技術力の劣化、果ては伝統的なAI‐IOT関係者の地位の低さ等の悪条件をまるで好餌とするかの如く、安倍政権を筆頭に<“政治利用”AIお神籤派(所謂、AI式“ドラえもん”なんでもポケット派)が相変わらず幅を利かせている。 

 それは、本格的な産業構造の改革に無頓着な安倍政権の本音が古典的な成長至上主義であると共に“福祉・厚生を敵視する新自由主義に因る格差”拡大政策でもあるため、準汎用AI時代に必須の真っ当な「転相マクロ経済政策構想」の絵(Ex.https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/03/05/153938)も描けず、専らネポティズム重厚長大)産業を基軸とする既得権益の構造にしがみつくばかりであり、念ながら日本は「真に先進的なAI‐IOT産業が基軸の先進国グループ」から着実に脱落しつつある。

 そのため、安倍首相ら「視野狭窄マイファースト派」からすれば<個々の高級官僚と個々の官僚組織は「AIディープラーニングにおける一定のハイパーアルゴリズム(指令型上位アルゴリズム)下でしか身動きが採れない下位パラメータ(一定チューニングが可能な部品アルゴリズム)>と化している様に見えるのかも知れない。

 しかし、このようにある意味で素朴な「AI‐IOTを巡る日本の後進的な社会・経済環境」を尻目に、グローバル世界は,AI『人間の壁』に因る格差拡大との闘いに関わる「新たな転相の局面」へと向かいつつあるようだ 

<注>AI『人間の壁』に因る格差拡大との闘いに関わる「新たな転相の局面」とは?・・・それは、今や世界が<『“AI‐Web機械経済”がベースであるデジタル社会構造を無条件に是認する立場』Vs『クワイン、ガダマー、マクダウエルらアナログの“意味の全体論”を重視する立場』>の激しい論争の場と化しつつあるということ。別に言えば、それは「世界が文化・経済・自然科学トータルのあり方(新たな倫理観念の創造)を巡る知的闘争の時代に入りつつあるということを意味する(委細後述)。

・・・

 ところで、これは既に「第三章(ディープラーニング(多層機械学習(計算)を導入するに当たっての留意点)」で見てきたことだが、厳密に言えば『人間の壁』には『人間の壁1』と『人間の壁2』の二つがある。

『人間の壁1』

・・・準汎用AIロボが本格化する(と思われる)10~15年後に実現すると予測される<機械生産性(デュナミス潜在生産性)vsヒトの生産性(リアル生産性)>の大きな壁(大格差)の発生を意味する。

・・・機械の生産力がヒトの生産力を遥かに凌駕するのは、そもそも第一次産業革命(蒸気機関の発明)以来のことなのでそれはIT(AI)革命の専売特許ではないが、そのAI機械の高度生産性が従来型の機械生産性を遥かに大きく桁違いに上回ることになる。

・・・従って、何らかのマクロ政策的な(例えばベーシックインカム(BI)のような)意味での相転換で、前者の高度機械生産性を後者(ヒトの生活に直接的に役立つリアル・マネー)へ適切に転換(再分配化)する工夫を怠れば、益々、貧富の格差は拡がる事態となり、遂には資本主義そのものが終焉する可能性すらある(Great Decouplingの病死/委細参照 ⇒https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/03/05/153938)。

『人間の壁2』

・・・これは、<「リアル経済」(ヒトの生活に直接的に役立つリアル・マネー)の可能性(伝統経済が定義する生産性の意味)が地球の自然・文化エトノス環境に対し開かれているの(開放系であること)に対し、ビッグデータに基づく「AI機械計算またはディープラーニングの予測値」が閉じている(電子的作動であるため、それは衣食住のリアル世界に生きるヒトとは異次元の形式知ワールドであるが、その意味でマイペースの閉鎖的な抽象体系である)こと>、という意味での大きな断絶が存在することを意味する。(委細参照⇒第三章『想定上の完全AIアンドロイドはなぜ胡散臭いのか?・・・』(仮説)

・・・誤解される可能性を恐れずに思い切り短くすれば、結局、それは「AI形式知ワールド」Vs「ヒト暗黙知ワールド」の“絶対的な断絶”ということである。しかも、これは言うまでもないことだが、『人間の壁1』がもたらす高度生産性の内側に( )書きの如くにそれは内包されていることになる。

・・・

 従って、その意味でも、この「AIディープラーニング(“形式知”抽出マシンワールド?)」がもたらす高度生産性も、結局は上で述べた≪何らかのマクロ政策的な(例えばBIのような)意味での相転換に加えて、その優れたAI高度機械生産性をヒトの生活に直接的に役立つリアル・マネーで適切に再分配するためには、暗黙知、つまり倫理・哲学・歴史などガダマー的な‘’全体の意味”の視点(委細後述)でそれを絶えず調教しつつ活用するのが絶対的な条件になる≫と考えられる。

 それどころか、核(原子力)エネルギーあるいはバイオテクノロジーの利用と同轍で、その使い方を一歩誤れば、未来のヒトの幸せを保証するどころか、それが人類滅亡の危機をすら招く『バベルの塔』と化す恐れがあることを、シッカリと我々自身が自覚すべき時代であるかも知れない。

 以上から、<『人間の壁1』=「AI技術高度生産性Vsマンパワー」の絶対断絶、『人間の壁2』=ガダマー的‘’全体の意味”に関わる「AI形式知Vsヒト暗黙知」の絶対隔絶>なので、共にヒトによる調教(前者ではマクロ経済の展相)が必須条件であることが理解できた。

(直近の欧州議会選挙からの教訓/本気で日本国民が学ぶべき、個人情報保護と情報銀行に関わる最も‘’根本“と見るべき問題点)

・・・別稿で書く予定のマクダウエル「リアリズム倫理」を些か先取りする形となるが、AI・IT関連で世界的な問題と化しつつある「GAFA型支配と人間の壁」とも深く関連すると思われことについて、つまり“個人情報保護と情報銀行に関わる最も‘’根本“と見るべき問題点”を取り上げておく。そして、その問題は、直近に行われた欧州議会選挙の結果とも深く絡み合っている。(20190530追記)・・・

 20190527に全容が判明した欧州議会選挙では「中核となる中道左右両派が過半数を失いつつも、リベラル・緑の党らが健闘したためEU欧州連合)支持派が約2/3を占める結果となり、大きく躍進はしたとはいえ極右派は約3割に止まった。また目立つこととしては、英Brexit党が大きく躍進したことであろう。このことから言えるのは、前と同じく指導層の中枢を担うであろう中道左右両派が、むしろ従来以上に、成長とバランスを取りつつ人権・環境そして移民らの問題により真剣に取り組むことが求められるということである。つまり、それはそもそもEU理念の中核にあるPotentz経済(↓★)の原点への回帰を強く促すことに等しいとも言えるはずだ。

 ★1 定常化を織り込むEU「Potenz経済学」廻廊に無知な日本は、“間違い&ウソ”だらけアベノミクス「男の花道必3選」などにかまけず<将来人口/年率0.6%減の現実>から再出発すべきhttp://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20180806

 ★1 チェリーピンク・アベGDPの日本はAIロボ『人間の壁』経済(第4次産業・AI革命)に備え“社会の茎”、「新マクロ経済/Ex. BI型“社会的共通資本”」金融への展相が必須!https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/03/05/153938

 (関連)

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  【極右を抑えたのは若者、親EU世代等で緑の党&リベラルが躍進!/EU議会選総評、今井佐 緒里:パリ在・編集者】オール日本(特に政界・メディア・経営者ら)がストーリーテラーの囚人であることに日本の若者も気づくべき!https://twitter.com/shinkaikaba/status/1134544688684326912

 ・・・

 大方の懸念?とは異なり、toxandoriaとしては「仮に、難産の挙句に英Brexitが実現したとしても、それほど深刻な事態を欧州トータルへ与えることにはならないだろう」と思っている。それは、特に日本では“極右”の枕詞で声高に呼ばれる欧州の極右派の殆どが、実は日本の極右とは異なり中道・左派らと同じく“人権”尊重を掲げているからだ。彼らが自らを支持する一般国民と共有するのは野放図な「市場原理の暴走と移民の急増」による自国民の人権上の問題と不利益の発生なので、そのことだけに限ればその内容がEU欧州連合)支持派と全く異質な訳ではない(この点が、欧州の極右と日本の安倍政権・維新らとの決定的な違いである!)。

 また、今回の欧州議会選挙の関連で英ブレグジット党の大躍進がスポットを浴びている訳だが、この種のワン・イッシュー政党にあまり大きな意味はないと思われる(例えば、直近に躍進したバカリの日本のワン・イッシュー政党の正体が実は過激ヘイト派(しかもアベ・シンパ!w)であることがバレた!と言う“事件”がある!苦w)。

 そして、いまワン・イッシュー政党が注目される背景には一般国民のリアリズム感覚の何らかの変調が隠れており、その動向は国民の主権を脅かす何らかの災忌が新たに出現する“予兆”ではないか?と思われる。しかも、権力側も含め政治に関わる(責任ある)人々が「科学技術に関わる時代の変化」に追いつけなくなっていることが原因ではないか?とも思われ、日本では特にその傾向が著しいように思われる。

 ところで、今までの関連フィールドの概観から十分に想像可能であるのが、当記事の大きなテーマとなっているAI「人間の壁」問題の核心が、いずれ<AI技術(量子コンピュータへ至るアプローチ・プロセス/機械計算・ディープラーニング等)、理論物理・数学・数理論系アプローチ・プロセス、そして特にDNA関連の発生学・生命科学・医学・脳研究・自然計算等のアプローチ・プロセス)らとが量子物理学フィールドで深く繋がることになるのではないか?という、従来とは全く異なるコンシリエンス(第四章‐(3)ガダマー『地平の融合』によるAI原理主義批判のポイント、で関連後述)の視点の誕生の可能性ということだ。

 比喩的な含意のつもりで、このことを表現するとそれは「ハイゼンベルグの不確定原理に因れば、量子力学的な粒子は波動(遍歴)と粒子(局在)の 2 つの「顔」を持っており、ポテンシャルエネルギーを得ようとするせめぎ合いの結果、両者の「顔」をほどほどに立てるところで折り合いをつけようとして零点振動が、すなわち「量子ゆらぎ」が生じる」ということである(関連/プロローグ、参照)。興味深いことに、この現象はディープラーニングにおけるブラックボックス問題(統計理論上の内生‘’共依存”とも関連?/関連参照:第三章‐ディープラーニング(多層機械学習(計算)を導入するに当たっての留意点)、参照)も連想させる。

f:id:toxandoria:20190530145610j:plainhttp://www.jimbunshoin.co.jp/book/b324658.html

 いずれにせよ、現代は特に科学研究の急速な進歩に対して「人文・社会科学系の知」の立ち遅れが目立ち始めており、それと連動・共鳴する形で、これは全世界的な傾向でもあるのだがリアル政治と国民意識の劣化が甚だしく目立ち始めている(しかも、特に日本はこれが著しい!!)ようだ。そのため、既述のコンシリエンスの流れの他にも、例えばわが国でも哲学者・篠原雅武氏(京都大学・准教授)らが「人文学の更新」を意識する概念として「人新世の哲学」(地質学上の新時代仮説からの借用)を提唱している。

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 そのような新しい流れのなかでも、マクダウエル「リアリズム倫理学」はそのユニークさが際立っているようだ(委細は、別稿で書く予定)。例えば、マクダウエルを特徴づける概念を一つ挙げれば、それは、著書『心と世界』(勁草書房)で主張する「第二の自然」である。つまり、マクダウエルは従来の自然に等置する形で「我々人間の概念能力=第二の自然」と位置付けている。そのため、人文・自然の両サイドから未だにマクダウエル倫理学(哲学)は異端視されることも多いようだが、AI「人間の壁」の先を見据えれば(又は量子力学の世界観を理解できれば)、AI「人間の壁」の時代であればこそ、益々、マクダウエル「リアリズム倫理学」は重要になるのではないか?と思われる

 ところで、その周辺を連想しつつ直近の欧州議会選挙の結果を改めて概観すると興味深いことが見えてくる。それは、欧州における左右派(というか全ての欧州市民ら)にとっての共通の関心事である「人権&格差」マターの根本にあるのが、具体的にみると「AIと融合しつつある市場原理主義支配下における個人情報保護(≒情報銀行の問題に深く繋がる/しかも、これこそがGAFA独占支配の強力な武器!)」であるという現実である。

 つまり、そのような観点から見れば、今までも欧州連合EU)は良くぞ!踏ん張ってきたと思われるからだ。それに比べて、日本は遥かに脆弱である。それどころか、このような観点から見ると、ある意味(例えば、個人情報規制GDPRの問題↓▲1、あるいはGMO規制に関する危機意識↓▲2)では欧州連合EU)の踏ん張りに日本も助けられている筈であるにもかかわらず、肝心のそのことに日本国民の殆どが気づいていないという恐るべき現実がある。このため、日本政府も当問題らについての危機感は希薄であり、それどころか率先して、更なる「日本国民の生命の物象化フェティシズム政策」(↓▲2、↓▼1/<注>当問題は言語哲学『選言説』(個人の存在の一回性、謂わば“”実在⇔意味⇔意義“”に関わる議論)とも関連あり重要!/Cf.第3章)に向かって大きく舵を切りつつある。

▲1   個人データの取扱いと関連する自然人の保護に関する、及び、そのデータの自由な移転に関する、 並びに、指令95/46/EC を廃止する欧州議会及び理事会の2016 年4 月27 日の規則(EU) 2016/679  https://www.ppc.go.jp/files/pdf/gdpr-provisions-ja.pdf

▲2 多様性否定のF1自家採種の禁止では、政財官の一強独占構造化とゲノム編集等との<裏>癒着こそ要警戒!EU型のGMO同等規制で多面的に対応すべき! ・・・なぜならば、更にゲノム編集は遺伝子組み換えより遥かにリスクが大きい!・・・https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2018/11/03/040020

(関連)

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▼1「情報銀行」データ仕様を統一 政府、年度内に具体案 528 日経https://twitter.com/shinkaikaba/status/1133843097991778304

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▼2グーグルも恐れる個人情報規制「GDPR」とは?日本企業も他人事ではないhttps://twitter.com/shinkaikaba/status/1133843097991778304

   (GAFA型「差別(選別)化による恐るべき大格差」発生の事例)

・・・アップル・アマゾンらの“守銭奴”化は、≪“食人格”カニバリズム≫と≪屋上屋的な『人間の壁』工法≫による新バベルの塔の構築!・・・

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 因みに、『ネット階級社会ーGAFAが牛耳る新世界のルールー』(早川書房カズオ・イシグロ推奨)の訳者(中島山華氏)の“(訳者)あとがき”によると、この本の著者アンドリュー・キーンは英国生まれのIT起業家(シリコンヴァレーのインサイダー)であるが、キーンは前著二冊の主張(ユーザー生成コンテンツ(日常言語主義)への依存によるネット・メディアの質の低下への大いなる懸念と、フェイスブックツイッターSNSが促す“超可視性/hyperbisibility”の危うさを指摘)を踏まえて、更にインターネットを万能の解決策のようにとらえる現代人のものの見方について警鐘を鳴らしている。・・・以下は、その“訳者あとがき”の部分転載・・・

・・・あらゆる人々を解放し、啓発し、それぞれの能力の発揮を助けてくれるテクノロジーであるはずのインターネット(AIと一体化した/←補足、toxandoria)が,巨大企業にによる独占、雇用喪失や、格差拡大や、音楽・映像・情報メディア産業の衰退(および精神環境の破壊/←補足、toxandoria)を招いている。また、自撮りに代表される自己愛文化を生み出している。インターネットの見過ごされがちな側面に目を向けたこの本は、ネットワーク社会に生きる現代人に警鐘をうながし、軌道修正を呼びかける一冊である。・・・途中、略・・・いまやなくてはならないものになっているインターネットおよび関連事業について、技術の進歩にあわせ、法律や倫理の整備をもっと速く進めなければならないことを改めて実感させてくれる。・・・

・・・以下は、「GAFAらの独占支配というネットワーク化社会における大格差拡大などの危機的な現状」の背景についての衝撃的な事実をレポートするくだりのごく一部の転載。・・・

 ・・・誰の目にも明らかなプラス面よりも、目に見えないマイナス面の方が、影響がずっと大きい。アメリカ国民の76%を占める、インターネットが社会に有益であることを信ずる人々は、全体像を見ていないのかもしれない。たとえば、ネット上のプライバシーの問題だ。それは、インターネトが創出している「ビッグデータ」の世界の、有害きわまりない一面である。・・・途中、略・・・その「地球村」はすでに、、息が詰まりそうに窮屈な村のパブになっている。そこはぞっとするほど透明性の高い(全ての人々のプライバシーが≪異常な食“人格”カニバリズム≫の≪好餌≫対象化の意味で!)コミュニティで、秘密もなければ匿名性もない。国家安安全保障局からシリコンヴァレーのデータサービス企業に至るまで、みんなが我々のすべてをお見通しであるように思える。・・・

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https://twitter.com/shinkaikaba/status/1126925098026278912 https://twitter.com/masafumi_yoshi/status/832597147979649024

・・・しかし、現実とは思えないほど素晴らしい状況にはよくあることだが、そこには落とし穴がある。問題は、我々がフェイスブックやグーグルのために無償で働き、これらの企業価値を高める個人情報のデータ作りに励んでいることだ。グーグルは、2014年半ばに時価総額が4000億ドル(40兆円強)を超えていたが、必要な従業員の数は4.6万人程度である。一方、時価総額が550億ドル(5.5兆円強)前後の大手自動車メーカーGMの場合、工場に20万人以上を雇用している。このGMと比較すれば、グーグルは規模が7倍であるのに対し、従業員数は四分の一にも満たない。・・・途中、略・・・この資本の不均衡のために世界経済の運命はアップルやグーグル(又は、フェイスブック、アマゾン/←補足、toxandoria)などの、現金を抱え込む一握りの企業の手に委ねられた。これらの企業は税金逃れのため海外(ケイマン、アイルランドなど/←補足、toxandoria)に蓄えている。・・・途中、略・・・フィナンシャル・タイムズ紙』のコラムニスト、ジョン・ブレンダーは「アップル・グーグル・フェイスブックは当世の守銭奴である」として、世界経済の成長を妨げる企業の吝嗇ぶりを懸念している。・・・

 

5 ガダマー『地平の融合』によるAI原理主義批判/「見えないこと」を見る基本的視座

 5-1 [見えないことの発見1] ガダマー『地平の融合』の概要(AI批判の視点を提供するガダマー哲学)

 (1)ガダマー哲学の概要

 これまで見てきたことから明らかなのは、もし高度なAI社会化がもたらす『人間の壁』が今のまま何も手を打たずに放置され続ければ、やがて、その<GAFA型「差別(選別)化による恐るべき大格差」>が更に深刻化するばかりとなるのが必定だ!ということである。そして、より厳密に見ればその内容は≪人間の壁1≫と≪人間の壁2≫から成るが、≪人間の壁1≫の中に≪人間の壁2≫が内包されている関係(別に言えば、両者は共依存関係/奇しくもコレはディープラーニング内での共依存関係と入れ子構造的に共鳴している!にあることが理解できた。

 そのため事態は更により深刻化すると考えられ、延いてはその<AI‐IOT機械経済化に起因するGAFA型「差別(選別)化による大格差」>が皮肉にも自らの生みの親である「資本主義社会」どころか人間社会(民主主義ベースの現代市民社会そのものの崩壊をもたらすことすら考えられる。

 が、今となってはランゲ・モデルの証明(https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/03/05/153938を引き合いに出すまでもなく、我われ人類が市場経済に頼らざるを得ないのであれば愈々、これからがAI‐IOT機械経済化の「デュナミス(潜在的)高度生産性」の時代を生き抜くため知恵を絞り、その<AIのデュナミス生産性https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/03/05/153938をリアル化(血肉化)してヒトの幸せのため活用できるようになる社会・経済・科学技術などのあり方の方向性について、<哲学的解釈学『真理と方法』の確立で“解釈学”自身の≪見えない部分≫に風穴を開けヒトの知(AIならぬ!)に衝撃的な新風を吹き込んだ>と見るべき「ガダマー“意味の全体論”の知」を真剣に生かすべき時ではないかと思われる。

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 そこで、今こそ必須と思われるのがガダマー哲学における『地平の融合』の意義の再確認ということだ。とはいえ、特に日本ではガダマー哲学そのものが未だあまり一般的に理解されているとは言えないようだ。しかし、(全くの個人的な見解だが)ガダマー哲学はAIが持て囃される今の時代であるからこそ、より重要な意味が再確認されつつあるのではないか?と思われる。・・・以下は、丸山高司著『ガダマー/地平の融合』(講談社)ほかを参照しつつ関連するポイントを纏めたものである。

・・・

 (1)第一フェーズ:ガダマー哲学の揺籃/哲学的解釈学の成立

  ハイデガーMartin Heidegger1889 - 1976ドイツの大哲学者)から強い影響を受けつつも独自の「哲学的解釈学」を創造し今も現代思想に大きな影響を与えるドイツの哲学者、ハンス・ゲオルク・ガダマー(Hans-Georg Gadamer/1900 - 2002)はマールブルク(ドイツの閑静な学都)で誕生した。やがて、ガダマーは父親の仕事の都合でブレスラウ(現在はポーランド東部のブロツラフ/冒頭の Cover Images を参照)ヘ移り、1918年にブレスラウ大学へ入学した(同年、革命でプロイセンドイツ帝国が崩壊)。

 ブロツラフ(ポーランド→ドイツ→ポーランドと変遷)が現代ポーランドの都市の中でも特に寛容な文化の伝統を持つことは“Cover Images”で触れたとおりだが、ガダマーはその寛容な揺籃期の土壌で若い時を過ごした経験があればこそ「“現代”を批判的に診断し、そもそも≪人間とは何か?≫を根底から考え、先験的に、つまり経験を重視しつつ理性に因る普遍性が持続できる冷静なスタンス(静観主義)で、科学技術(および“短絡的”な経済合理主義(Ex.新自由主義)ら)の未来をも視野に入れ現代の危機を克服しようとした」と言えるだろう。

 そして、このような特色を持つガダマー哲学が示した『地平の融合』(委細、後述)の視座は、今や≪量子論的世界像&AIデジタル“科学原理主義”≫の一色で染まったか?にさえ見えつつある今世紀から来世紀へかけても、絶えず近未来への大きな方向性を示し続けることになると思われる

 ところで、やがてブレスラウ大学からガダマーはマールブルク大学へ転入し、そこで学生時代と私講師時代を含め約20年(1919-1939)を過ごすことになる。そのマールブルクフッサール現象学に助手として触れていたハイデガーから決定的に大きな影響を受けたガダマーはハイデガー学派の一人となった。

 同じハイデガー学派の一人であったカール・レーヴィット(筆頭の門下とされる人物)は1934年にイタリアへ亡命後(1933年、ヒトラー首相が登場)、更にヒトラーの支配を忌避して1935年に来日し、1941年まで東北大学に在籍したが、やがて日本も安住の地で亡くなりアメリカへ亡命した。しかし、戦後になってからレーヴィットは、1952年にガダマーの呼びかけでハイデルベルクで教授に就任するためドイツへ帰国している。

 ガダマーはマールブルク大学で当時の主流であった新カント学派のニコライ・ハルトマンNicolai Hartmann/1882-1950/後にフッサールに影響を受け新カント派を脱するが、美的対象から表象観念を照射する方法で美の構造を解明した近代美学論が名高い)にも触れている。しかし、ガダマーにとり初めて知った頃のハルトマン哲学は“抽象的な只の頭脳遊戯”にしか見えなかったとされる。

<注>ニコライ・ハルトマン『美学(1953)/Ästhetik』について

・・・世界構造を「無機物・有機物・心的存在・精神的存在(相互主観性?)」の諸相と理解し、それらが知覚を介する「現象」として直接的に看取される作用構造(ギブソンアフォーダンス理論を連想させる?)から「前景」としての感覚的・実在的」な形象と、「後景」としての非実在的・理念的なものとしての観念的表象、という二層構造を導き出すハルトマンの美的構造を解明する手法(思考方法)は、<ジルベール シモンドン「個体の哲学」>および、<「“形式知”(デジタル)たるAIディープラーニング(DL)特徴量」Vs「暗黙知(ヒト/アナログのジャンル)」の決定的な断絶の問題(第四章ー2)>との何らかの関りを連想させ、非常に興味深い。

・・・

 因みに、日本で新カント学派の全盛期に触れ、その後ドイツへ留学していた三木 清がマールブルクハイデガーニコライ・ハルトマンの授業に出席しているが、この時期に三木もガダマーと同じくハイデガー学派に転向したとされる。この時代についての三木とガダマーの回想は一致していることが知られているが、彼らに共通するのが「人間存在の歴史性」ということであった。言い換えれば、それは「生の存在論、ヒトの存在のあり方/哲学的人間学(Philosophische Anthropologie)」とほぼ同義(ガダマーにとっては、これが地平の融合への布石となる)である

 第二次世界大戦後、1946年にライプチヒ大学の学長(東ドイツ)に選出されたガダマーは、そこで優れた“行政手腕とバランス感覚”を発揮したとされるが、翌、1947年にはフランクフルト大学へ移り2年間の在籍となる。そして、たまたまその間にハーバーマスアドルノらのフランクフルト学派ができている。やがて、ヤスパースの後任としてハイデルベルクに着任したガダマーは諸環境が安定したため、講演・論文などの学術活動に集中し、やがて約10年に及び研究成果を纏めるための沈黙期に入った。そして、1960年に主著『真理と方法』が出版される

 (2)第二フェーズ: ガダマー哲学の成立/哲学的解釈学『真理と方法』

 (解釈学の系譜)

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 『真理と方法』(Gesammelte Werke:1985–1995 (10 Bände).Band 1. Hermeneutik 1: Wahrheit und Methode: Grundzüge einer philosophischen Hermeneutik)は、1960年に発表されたガダマー(1900年~2002年)の主著であるが、丸山高司『ガダマー/地平の融合』(講談社)の“あとがき”によれば、その第二部の抄訳であるO.ペゲラー編、瀬島 豊・訳『解釈学の根本問題』(晃洋書房)が1977年に出版されたことで、漸く、ガダマー「地平の融合」説が日本の思想界でも広く知られることとなったようだ。

   そもそも、思想運動としての解釈学という言葉そのものの由来は古代ギリシャまで遡るが、それには凡そ以下三つの意味[(1)言葉で表現すること、(2)同じく説明・解釈すること、(3)翻訳・通訳すること]があるが、要するにこれは『意味の不明な言葉や事柄を、より広く理解できる言葉で表現(翻訳)し、それを他者へ伝える』ことだ。そして、その意味での解釈学は文献学・神学・法学らの分野でそれぞれに発展してきた。

 やがて、19世紀前半にシュライエルマッハー(F. D. E.Schleiermacher/1768 - 1834/ドイツの神学・哲学・文献学者)が新しく「一般解釈学」の構想(理解ないし解釈の作用そのものを普遍化し体系的に理論化するという考え方)を打ち出したことで、漸く解釈学は独立した学問の場としての地位を得る。そして、それを哲学の1ジャンルへ変貌させたのがディルタイW. C. L. Dilthey/1833 - 1911)とハイデガーであり、その意味でガダマーの仕事はこの二人にその多くを負っていることになる。

ディルタイハイデガーを肯定的に克服したガダマー)

 ここで結論を言ってしまえば、<ヒトの哲学的・存在論的な理解において、特に「精神科学」(自然科学の説明的・構成的方法(今で言えば形式知・デジタル知?⇔ベンサム“量的功利主義”と共鳴)ではなく、分析・記述的な方法(今で言えば暗黙知・アナログ知?)で表現する方法⇔J.S.ミル“質的功利主義”と共鳴)を重視するという意味で、ガダマーとディルタイが「生の哲学」を、ひとまずは共有するということだ。つまり、それは人間存在の歴史性、哲学的人間学(Philosophische Anthropologie)の重視という意味でもあるので、既述の三木 清にも繋がる。更に、この論点はマクダウエルのリアリズム倫理学にも重なると考えられる(が、その委細については又の機会とする)

 一方で、ガダマーはシュライエルマッハーの解釈学を正統に引き継ぐディルタイロマン主義の“神秘的”解釈学」(シュライエルマッハーのそれが過剰に主観を重視する解釈学であることから)と名付け批判していたが、「学」として更により精密な論理で批判する手法の発見に至るまでは些かの時間が必要であり、後にガダマーはハイデガーからそれを学ぶしかし、後述するとおり、ガダマーはそのハイデガーの「学」として更により精密な論理で批判する手法を、自らが創造した「適用」(Übernehmen)の概念で肯定的に乗り超えることになる。

 因みにディルタイによる「主観」偏重のロマン主義的な解釈の特徴は、客観的な「学 」を謳いつつもその解釈の結果が「文献等への自己移入による追体験で自己の主観と文献に潜む諸主観との間の“神秘的”(理解不能)な交わり」から生まれると考えている点にある奇しくもここからは、目下、持て囃されている<AIディープラーニング(深層学習)で「特徴量」等を抽出するニューラルネットワーク計算の内容が“論理検証不能”(ブラックボックス)である>という現実が連想させられるが、これは気のせい(それとも、何らかの良からぬリスク等への過剰な杞憂?)か?(苦w)

<注>J.S.ミル“質的功利主義”とベンサム“量的功利主義”の違い・・・“質的功利主義”(精神的快楽)は、“量的功利主義”(身体的快楽)よりも永続性・安定性・低費用性などの点で優れているので、J.S.ミル“質的功利主義”はベンサム“量的功利主義”よりも、ヒトのためのリアルな質(適度で中庸な快楽)を重視することによって、ヒトにとって、より優れた価値の高い快楽であると考えられる(https://information-station.xyz/5434.html。また、それ故に此の問題は、現下、AI化時代の『人間の壁1,2』(主に、当記事の『第三章』と関連する)の問題とも非常に意味深く重なることになる

ハイデガー解釈学の前提条件/ガダマーに与えた『存在と時間』の衝撃)

 これは一つの見方にすぎないが、「マッハ感覚論的素材性(http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20180701がその切り口であると理解できる自己自身をふくむ現存在(Dasein/いま目前にあるリアルな事実としての生)を重視するガダマーは、ハイデガーが「先入見」と「解釈学的状況」によって、自ら(ガダマー自身)が,ただ「被解釈性」のなかを動いていたにすぎぬということを深く思い知らされたはずである。

 つまり、<ガダマーが、自らは「被解釈性」のなかを動いていたにすぎなかった!と、深く思い知らされた>ということは、「特にガダマーは主体的かつ客観的に自分が解釈していると思い込んできたはずであるにもかかわらず、実は、歴史・自然を含む内外の諸環境から、ガダマーのみならず、我われ自身も含む広く一般の人々が、その意味での解釈を常に受動的に強いられているものだ」という厳然たる現実について、ガダマー自身も、ハイデガーの「先入見」と「解釈学的状況」の思想に出会って、大きな衝撃を伴いつつ覚醒させられた、と考えられるのである。

  そこで、ハイデガーの<「先入見」と「解釈学的状況」>が意味する三つのポイントを列挙すると以下のとおりである。

[前提条件となること]=理解の先行構造(Ver‐Struktur)は下の三つから成る。

(a)先把持(センハジ/Verhabe)・・・視野が開かれ、解釈されるべきもの(対象)が、その中に取り込まれること。 

(b)先視(センシ/Vorsicht)・・・その対象へ照準が合わせてあること(視線のベクトル)。

(c)先把握(センハアク/Vorgrift)・・・が、それは予め概念的に規定されているということ(この論点は、“もし、プラトン的な観念が不在であれば数学の概念を我々は理解できない”と見るR.ペンローズ(英国出身の天才的な数学者・理論物理学者/1931-)の主張と重なるものがあり興味深い!(関連参照:当記事、第三章:自然計算はアナログ暗黙知ワールド?/超デフォルトモード・フラッシュ?)/←補足、toxandoria)。

 そして、ハイデガーはこれら(a)~(c)の全体を「先入見」(Vorschau)が隠蔽していると見る。そこで、現存在(Dasein)の解釈学を成立させるために「先入見」を破壊するか、ないしは「その状況」を変容しなければならないとハイデガーは主張する。別に言えば、それがハイデガーの「事実性の解釈学=先入見を取り払ったテキストの解釈で漸く自己理解が変容し得ることとなり、その状況に対して根源的な問いを出せるようになる」ということである

<補足>先把握(センハアク/Vorgrift)と「選言説」の関係について

・・・直接的には無関係なことだが、このハイデガーの「先把握」からは、「第3章ーディープラーニング(多層機械学習(計算)を導入するに当たっての留意点」の<補足>でも触れた「選言説」(知覚・感覚ひいては感情こそがヒトの日常言語における固有名の「意義」と「概念の形成」に先行すると見る、言語哲学の考え方)が連想される。

(ガダマーによるハイデガー解釈学の肯定的な超克)

  ところで『ガダマー/地平の融合』(講談社)の著者・丸山高司氏は<たとえば、我われは日常的に出会うものを「家として」あるいは「道路として」とらえているが(つまり、視点の“ミクロ⇔マクロ”移動の変化に応じ、これら“家”や“道路”という対象は“赤い屋根の家、大きな窓、そこの住人、美しい庭・・・”あるいは“舗装道路、車道、歩道、夥しい車列・・・”らに代わることができる/←補足、toxandoria)、「~として」とらえるということは、一定の「世界理解」を基盤にして、その理解内容を分節化すること、つまりそれが「根源的に解釈」することである。これと同じことが哲学的認識にもあてはまる。(と、ハイデガーは現存在の構造契機を認識していた)>と述べており、この部分がガダマーの「ハイデガー解釈学の肯定的な超克」のターゲットになったと考えられる。

 ただし、ガダマーはハイデガーの<「現存在の存在の仕方そのもの」としての理解は、主体(ないしは主観)がなんらかの対象に対してとる態度といったものではなく、一つの認識様式でもなければ、一つの行動様式でもなく、ある時には理解し、他の時にはそうではない、といったものでもない。人間が生きている限り、いつもすでに「理解する」という仕方で生きている。「現存在の根源的な遂行形式(根源的な運動)」とは、そのような意味である。>という部分は、そのまま継承している。 

 興味深いことに、そこでガダマーは「ロマン主義の“神秘的”解釈学」として批判したディルタイの「精神科学」へ再接近する。というか、より明確に言えば<ハイデガーの「現存在の根源的な遂行形式(根源的な運動)/事実性の解釈学」とディルタイの「精神科学」への架橋を試みた>というべきかもしれない。そして、その「架橋」となるのが「ディルタイ“精神科学”の根底にある、ヒトをふくむ凡ゆる諸生命の運動が絡み合いつつ進行するダイナミズム(エルゴン運動)そのものの歴史性」ということである

 つまり、このことによってガダマーの解釈学は「一般的な意味での固定した学説のフェーズ(別に言えば、ハイデガーがミクロに精密化したため、ある意味で強固な実存哲学として限定的に定義された現存在の視座)」を脱し(無論、ハイデガーが理論の精密化のため、敢えてそのようにしたということも言える訳だが・・・)、恰も現象学エルンスト・マッハの“マッハ感覚論的素材論ら”がそうであるような意味でのダイナミズムに満ちた、人文・社会・自然科学の垣根を超える広大な「生の思想運動」へ変容したことになると、言えるだろう

 そして、それこそガダマーが創造した「適用」ではなかったか、と思われる 

(現代における知の解釈学の基底と適用)

 ガダマー『真理と方法』の核心として絶対に押さえるべきことについて、丸山高司氏は著書『ガダマー/地平の融合』の中で以下のように語っている

・・・「知識」だけでなく「規範」(おそらく倫理も含む/補足、toxandoria)についても、現代思想の特徴となっているT.クーン(T.S. Kuhn/1922 - 1996/米国の哲学者、科学哲学者)の「パラダイム」論(米国で『科学革命の構造』(1962)が出版され、『パラダイムの転換』の意識が広く共有されるようになったことを意味する/補足、toxandoria)という新たな視座を、「解釈学」の「先行理解」(既述のとおりハイデガーが始祖/補足、toxandoria)のなかにシッカリと取り込むべきことが理解されるようになったが、当然、ガダマーは当初からそうした“人文・社会と自然科学の垣根”を超える、より広い意味での現代思想に関わる「知識」の問題へスポットを当てることが必須であるとの理解を自らの解釈学の基底に取り込んでいた。・・・

 このようにして、ガダマーの解釈学は(既述のとおり)恰も現象学エルンスト・マッハの“マッハ感覚論的素材性(論)”がそうであるような意味でダイナミズムに満ちた、人文・社会・自然科学の垣根を超える広大な「生の思想運動」へ変容したのである。つまりガダマーの深い理解は「解釈」と「適用」(理解していることを、只の知識として抱えているのではなく人々がそれを自己の状況へ解釈的に関係づけつつ自ら何らかの新たな意味(それぞれ固有な人間存在の歴史性の意識)を個々に発見すること)の契機を含む統一的で全体的な運動となったのである

 (3)ガダマー『地平の融合』によるAI原理主義批判のポイント

(ガダマー『地平の融合』は“意味の全体論”への希望)

 『地平の融合』の説明に入る前段で『ガダマー/地平の融合』(講談社)の著者・丸山高司氏は以下のように述べる。

・・・ガダマーは「すべての独断論を批判的思考の訓練で克服する」という、先ず非常に地味な立場を主張しつつ、一方でラディカルな問いかけが哲学にとり絶対的に不可欠であることを認めている。しかし、ラディカルな問いからラディカルな帰結を引き出したとしても、それを「最後の言葉」とすることを断固と拒否しており、あらゆる幻想や狂信に対して常に覚醒し続けるのがガダマー哲学の心髄である(だから、歴史主義(ランケ)にせよ、啓蒙主義にせよ、近代美学にせよ、新自由主義(量的完全合理主義)にせよ、AIディープラーニングにせよ、それぞれが自らを「最後の言葉」(喩えればトランプや安倍晋三らの如きマイファーストの絶叫の如く!)とする限り、それらは幻想や狂信のジャンル(自閉的で固定した地平)に堕ちることになる!/補足、toxandoria)。・・・

 そこで、『地平の融合』の最も重要なキーワードと見るべきものが「適用」(既述)と「作用史(Wirkungsgeschihite)」である。

 先ず「適用」についてだが、これは「理解していることを、只の知識として抱えているのではなく人々がそれを自己の状況(夫々の生き様など)へ解釈的に関係づけつつ自らが何らかの新たな意味(それぞれ固有な人間存在の歴史性の意識)を個々に発見すること」を意味するのであった。

 ガダマーによれば、過去の理解とは「単純に過去を現在に引き寄せ同化すること、あるいは現在を過去に同化すること」(等時性/例えば、懐古趣味(アナクロニズム)に溺れる極右らがこの罠に落ちることが多い)ではなく、「過去を現在に媒介すること」(同時性)である、ということになる。

<注>「等(共)時性、同時性」について

・・・等(共)時性:意識空間において美的・歴史的対象などが恰も万華鏡の如くバラバラに散らばっている状態。この場合は、逆説的に見えるが、そうであればこそ特定の恣意的な力が隙間に闖入し、それによって周辺が強圧的に支配され易いという弱点が生まれることになる。

・・・同時性:例えば、仮にそれが古い芸術作品であるとしても、その作品に価値があるのは、それを享受(鑑賞)する側(鑑賞者・解釈者ら)が、その古い作品の意味を個々に摂取し、それと同化するという作用プロセスで自己(個々人)の変容がもたらされ、結果的に、新たな自己同一性が絶えず創生されるような状況を意味する。

 そこで「作用史」の概念を注視すべきということになる。上の「同時性」の説明から明らかであるが、つまるところ作用史(作用プロセス)は「伝統の働き」と置き換えることができる。そして、この「作用史(伝統の働き)」によって「歴史あるいは伝統」の動性(エルゴン/生命的な活動力)が絶えず蘇生し、創生し続ける可能性が拓けてくることが重要である

 つまり、「過去は現在へ働きかけ、現在が過去へ働きかけ続ける」という意味で、我われ人間社会を含む全ての地球上の自然・文化・社会エトノス環境のトータルが、リアルに生命あるものとして生き続けること(解釈学的循環)になる。これこそディルタイハイデガーらの生の哲学』の延長上にガダマーが発見した『理性の生命論』の核心というべきであろう。

 言い換えれば、ガダマーにおける解釈学上の理解とは、開放的な問いのプロセスにおける「伝承の運動と解釈者の運動とが互いの“見えない内側”(アクセル・.ホネット)において働きあうIneinanderspiel)こと」である(関連参照⇒第一章‐重要なのは“アナログ領域”の縮小(仕事の消滅)への怯え、又はAIスゴイ!一辺倒ではなく“ヒトの幸せのためAIを活かす”視点』)。

 このような働きによって、過去の地平と現在の地平とが絶えず融合されて“意味の全体”が確認されることになるが、それだけではない。ガダマーの『理性の生命論』の視座から俯瞰すれば、これら二つの地平の延長には、絶えず未来の地平への希望が見えてくるのであり、これこそ『地平の融合』ということである

(『地平の融合』によるAI原理主義批判のポイント) 

 無論、ガダマーが直接的にAIを批判した訳ではない(苦w)しかし、前にも書いたことであるが『ディルタイハイデガーらの生の哲学 → 理性の生命論』へと深化して創生されたガダマーの「適用」『意味の全体論』『地平の融合』らの概念は、準汎用AI社会化でコンシリエンス(人文・科学知の融和的統合/consilience)が必須であるという問題意識とAI型『人間の壁』なる超リスクの空気が拡がる現代であるからこそ、その役割が益々重要になると思われる。

 因みに、丸山高司氏は『ガダマー/地平の融合』(講談社)のなかで次のように書いている。

・・・ガダマーの主著『真理と方法』は、ドイツの伝統的なアカデミズムの方法で生み出された、哲学の専門書である。しかし、その著書は、現実から隔離された「書斎の人」の作品ではない。「科学の時代」という現代的状況において、またそうした状況に対して書かれた作品である。もとより、『真理と方法』では、そういうことは、あまり前面には出てこない。しかし、そのことをはっきり語っているテクストもある。・・・

<注>「科学の時代」

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https://twitter.com/shinkaikaba/status/1131106792002297856

・・・ここでは‘’良い意味でも、悪い意味でも科学の時代である‘’ことを意味する。特に原子力生命科学において、その典型が見られる訳だが先端科学技術が政治権力と癒着し易いこと(特に軍事利用面で)は、K.ポラニーの警鐘どおりに歴史が進みつつあるという現実からも明らかなことだ。AIについては、今やその技術が凡ゆる先端科学の研究・開発のため必須の基盤ツールとなっていることからも、そのような視点で科学技術の研究・開発を理解しておくことが、より重要と思われる。因みに、科学・科学技術とファシズム的な権力の親和性について補足しておくが、それは根本的に「科学知に潜在する完全合理的な意味合いで‘’傲慢‘’な自然破壊力と政治的万能感(例えば、現下の安倍政権はこれにあたる!)の野合」の問題と言える。そして、311フクシマが象徴する日本の原子村(原子力技術コンソーシアム)の<『暴走インフラ→構造災(戦前・軍国型‘’構造災‘’の取戻し)』化>の問題(今やこれは進退不能デッドロックに嵌っている!)は、その典型である(関連参照↓▼)。

近づく本格的な「第4次産業革命」の時代に潜む超リスク/一般に欧米では“科学技術が政治権力と結びつき易いことが理解されている https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/03/05/153938

 そこで、この丸山氏の『ガダマー/地平の融合』(講談社)を参照しつつ、AI型『人間の壁』なる超リスクの空気が拡がる現代~未来のために、AIを冷静に利用するための参考になると思しき論点を読み解きつつ、その主旨を以下に纏めておく。(煩瑣になるので、ピックアップする論点は数か所に絞った)

・・・

  • 人間存在の歴史性、生の哲学に透けるシンギュラリティのナンセンス]

・・・そもそも、ガダマーに大きな影響を与えたディルタイの「生の哲学」やハイデガーの「現存在の解釈学」において、「人間存在の歴史性」ということがハッキリ浮き彫りにされている。つまり、「生の哲学」が生命を持つ「ヒトの生の歴史」を視野に入れていることから、その延長にあるガダマーの「生の哲学」(人間存在の歴史性)のなかにも生命と深く切り結ぶ科学技術(当然、AIも入る)が‘’内包”されているの(いわばAIと雖もヒトの生に内包(寄生)する存在であること)が当然であろう。従って、シンギュラリティ論が指摘する如く、もしAIの知が一方的にヒトの知を組み敷く(又は飲み込む)ような人間社会となれば、それは双方にとっての不幸であり、双方がナンセンス化する。むしろ、警戒すべきは「シンギュラリティを騙る政治権力」の出現である。←(関連参照)下の*「AIアルゴリズム世界支配論」

  • AIの意識・感情がヒト並みのアンドロイド出現への期待はナンセンス]

・・・そもそも、ヒトに似たAIの意識・感情が実現する可能性は殆どないだろう(関連参照⇒プロローグ、第二章)が、ガダマーによればヒトの意識の上では過去は現在に働きかけるとともに、現在は過去に働きかける。その過去・現在・未来の地平は、夫々がそれ自体で存在しているのではなく、ましてや、それらの地平は自閉(機械・AI)的で閉じた地平といったものではない。ヒトの現在は過去に規定されつつ、新たに未来を形成していく。ヒトの歴史とは。このような生命活動的で内発的な運動(エルゴン)に他ならない。他方、DL「強化学習」のバックプロパゲーションと雖も所詮は機械的に実行されるデータの積み上げである(関連参照⇒第三章(2)‘’広義の機械学習‘’の種類と概要)。従って、意識・感情の両面でヒト並みのアンドロイドが出現することへの期待はナンセンスである。

   ●  [*「AIアルゴリズム世界支配論」まで跋扈する昨今だからこそ、ガダマーが肯定的に超克したディルタイ生の哲学」の再考による“AI原理主義”批判(改めて倫理の意義を再発見すること)が必須と考えられる]

 

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https://twitter.com/shinkaikaba/status/1129219958771109888

・・・ガダマーは、ディルタイ生の哲学」に因る解釈が「文献等への自己移入による追体験で自己の主観と文献に潜む諸主観との間の“神秘的”(理解不能)な交わりから生まれると考えている点を、いわばそのロマン主義の非論理的な部分(しかし、実は、これとそっくりの“コノ後は武運長久を祈る!”型の内生(共依存データ)知的な?深層構造をAIディープラーニングが内包しているらしい?!/苦w)を批判してディルタイ哲学を超克した訳だが(生の哲学そのものをを丸ごと否定したのではなく、逆にその重要性を再発見した!)、実はこのディルタイ生の哲学」には、今や“AI派に非ずんば人に非ず”の如き昨今の空気であるからこそ、再び注視すべき重要な要素(論点)があることに気づくべきなのかも知れない。

・・・ディルタイ生の哲学は「精神科学」の基礎づけが目的であり、このディルタイの精神科学には心理学(現代的に言えば、いわゆる心理学だけでなく自然科学以外の全分野についてのヒトの理解が入ると見るべき!)を解釈学的に説明するという目的があった訳だが、やがて精神科学は自然科学に対峙する人文・社会系の学問領域が全て含まれることを明確にすることになる。

・・・しかし、おそらくそれだけでなく「ディルタイの精神科学」(生の哲学)には、あの古代ギリシャ・ローマにまで遡る「リベラル・アーツ」的な観念があったのではないか?と思われる。しかも、それはガダマーへも「生の哲学」の成分(特に倫理的な要素)として引き継がれたのは間違いがないだろう。だからこそ、ガダマー哲学は科学に対する批判力も強く帯びており、それは後になって「科学(当然、AI(人工知能)も含む)」に対する厳しい批判力を示すマクダウエル(ガダマーの影響を受けた?)の「リアリズム倫理学」(別記事で取り上げる予定)へ影響を与えたのではないか、と思われる

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<注>リベラル・アーツ https://www.liberalarts.org.uk/liberal-arts/

・・・そもそも、リベラル・アーツ(自由七科)は論理的に物事を考えるための基本素養として古代ギリシャ・ローマ時代に理念的な源流を持つが、哲学倫理学を含む)はこの自由七科の上位に位置し、自由七科を統治すると考えられた (イメージ画像はウイキより)。

  5-2 [見えないことの発見2]  AIを活かした「ヒトがやるべき仕事」の発見

 f:id:toxandoria:20190518015944j:plain「AIに因る失業」の“預言”(扇動)だけなら、それは只の無責任!サヴォナローラ(15世紀フィレンツェドミニコ会修道士)風「説教」のマネごと同然の「AIに因る失業」の“預言”で人々を脅かすのではなく、いま重要なのは「AIに因る未来への希望」(ガダマー『地平の融合』への方向性)を示してみせることだ。そのためのヒントが“暗黙知”(アナログ知)に満ちた地球自然環境で生きる全生物の生命モデルに因って、ヒトがその自然環境のなかで育んできた歴史と相互主観性のなかに潜む「見えないこと」を発見し続けることである。

 その意味では「AIに因る失業」の“預言”で恐れおののくよりも、例えば下(▼)のような。実に恐るべき「地球環境トータルの危機」を大いに懸念し、その対策に「AI知を如何に活用できるか?」を真剣に考えることの方がよほど重要である。

f:id:toxandoria:20190518014756j:plainf:id:toxandoria:20190514061344j:プレーン

▼世界中に存在すると推定される800万種の動植物のうち、少なくとも100万種が数十年以内に絶滅する恐れがあるという。そのペースは過去1千万年の平均の10~100倍にあたる。(その結果)人が生きていく基盤である農林水産業などが早晩たちゆかなくなる。20190513朝日社説『生態系の保全/地球の悲鳴が聞こえる』」https://twitter.com/shinkaikaba/status/1127694899594186752 

・・・あらゆる意味で「みえないこと」(A.ホネット)の胎盤である<土壌、海、河川>らを失う恐ろしさは想像を絶する!AIディープラーニングら先端科学・同技術が自ら最高「知」であることを“勝ち誇る”としても、この終末的な地球環境の惨状を救うため全く役立たなければ何ら存在意義がないことに等しい!https://twitter.com/tanutinn/status/1127689720081801217

・・・

 因みに、「AIに因る失業」の“預言”(扇動)の嚆矢となったのは「2013年に出されたオックスフォード大学のフレイ&オズボーンの研究レポート」であるようだ。フレイ&オズボーンの両氏がともにAI関連の研究者であったので、世界中に衝撃が走ったとされ、その後に日本でも2015年に野村総研同様の調査を行い、「今後15年程度で現状の労働人口で見た場合に49%分の仕事がなくなる」と発表した(以上の情報源は、イメージ画像ともに下記▲)。

f:id:toxandoria:20190518025443j:プレーン

▲「AIが仕事を奪う」はウソかもしれない/雇用ジャーナリスト海老原 嗣生

・・・フレイ&オズボーンの研究や、野村総研のそれは、どこが間違っていたのか。たとえば前者は、発表時点で査読付き論文ではなく、単なるディスカッションペーパーだった、というような些末な問題をあげつらって、揚げ足取りをするのはやめておきたい。私が問題視しているのは、両研究とも「雇用実務・現場(つまり、“みえないこと”の部分/補足、toxandoriaを全く調べていない」ということなのだ。(部分転載)

・・・

 そして、もう一つ忘れてならないのは、今は下火になったとされるものの、「ユーザー生成コンテンツへ過剰に依存するネット・メディアインターネット中心と化したメディア環境トータルを意味する)」に関する分析哲学的な世界観の上で強い味方と見なすべき「日常言語主義(派)の牙城(1950~1960年代)がオックスフォード大学であったということである。

 彼らは“深い意味”(“見えないこと”の過剰な重視)を印象操作だと見て批判する。分析哲学の世界における日常言語主義(派)は、インターネットの普及ぶりとは真逆に「少数派」化したとはいえ、今もその伝統は根強く残っており法哲学の分野などでは影響力が大きい(おそらく、ケルゼン法解釈と関連?)。そして、この日常言語主義(派)に対峙するのが、クワイン、ガダマー、マクダウエルらの“意味の全体論”的な立場の分析哲学の世界観である。

f:id:toxandoria:20190506053105j:プレーン<注>現代~近未来の“AI‐Web機械経済”がベースである社会構造を無条件に是認する立場とは、換言すれば《日常的言語学派 or 人工言語(コンピュータ言語らの)学派》(1950~60年代の英オックスフォード大学は前者の牙城であった)をベースとする完全合理主義 or 還元主義のモデルでヒトを含む全ての世界が説明できるとする立場。他方、コレと対峙するのがクワインマクダウエルorガダマーら“意味の全体論”派の立場であり、今も欧米ではこの両派によって哲学・倫理・科学思想全般の基本的スタンスを巡り論争が続けられている(ジョン・マクダウエル著、神崎 繁ほか訳『心と世界』(勁草書房)を参照しつつ、所見を加えた)。

(1)「見えないこと」の中にある未来の可能性の発見

・・・それはガダマー「地平の融合」(意味の全体論)の視座による、目前の「見えないこと」の中からの未来の可能性を発見するということ。・・

(アルフレッド・シュッツの“見えないこと”)

 f:id:toxandoria:20190518065927j:プレーンf:id:toxandoria:20190518070305j:プレーン

 いま、ガダマー『地平の融合』(意味の全体論)の立場とも共鳴すると見なすべき「20世紀前半に米国で活躍した現象学的社会学の始祖」、アルフレッド・シュッツ(Alfred Schütz/1899–1959/ウイーン出身)の「他者への想像力に基づく日常生活世界の意味」(相互主観性の中核と見るべきことの重要性)に関わる考察が注目されているが、おそらくその背景には、愈々、これから本格化するAI化社会への“ある種の不安と危機感が、そして何らかの期待感のようなもの”が潜在するのではないかと考えられる。

 また、それは前節でも見たとおり「分析哲学上の一つの立場である日常言語派が、AI‐Web社会化トレンドでユーザー生成コンテンツへ過剰に依存するネット・メディア(インターネット中心と化しつつある、昨今のメディア・情報環境を意味する)と共鳴しながら、再び、優勢となってきている」ため、ガダマー『地平の融合』(意味の全体論)的な価値を持つ社会的に“見えないこと(自然および人間社会の中で暗黙知(アナログ知)の要素が占める部分)”の重要な意味が忘れ去られるのではないか?という、一種のリスク意識が高まっているからでもあると思われる。

 しかし、「エピローグ」および「第三章」で触れたとおり自然および現実の人間社会では暗黙知(アナログ知)の要素が、実は相当の部分を占有していると考えられるようになっているため、もっぱらAIデジタル知(形式知)だけに頼り切る方向へ社会構造を深化させることの現実的なリスクが再認識されており、その意味でもルフレッド・シュッツの“日常生活“を巡る議論が重要だということになる。

 そこで、シュッツ“日常生活の現象学的社会学“における「サインとシンボルの役割の違い」に関わる説明を、下記論文★より抽出転載しておく。如何に多様で豊かな空間(相互主観性の拡がり)が直接的には目に“見えないこと”として、つまり我々の内外の環境世界にリアルなものとして“存在”しているか、が理解できるはずだ。しかも、これこそが「前節で雇用ジャーナリスト・海老原 嗣生氏が指摘した“雇用実務と現場(つまり、“みえないこと”の部分)」の重要な意味であり、かつ「AIならぬヒトこそがやるべき仕事」の可能性が無限に拓ける新世界ともなり得るのである。

★「シュッツの“日常生活におけるサインとシンボルの役割の違い”についての説明」‐出典:p.5~6/白石哲郎『アルフレッド・シュッツの記号概念─シュッツ社会学における他者理解論の射程─(佛大社会学、第43号(2018))、https://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/BS/0043/BS00430L001.pdf

・・・シュッツにとって日常生活世界は、「人びと の間で行為する十分に目覚めた成人」を主体とする世界、外的な 行為環境および他者の存続についての自明な認識、いわばそれらの存在が、これからも安定してそこにあり続けることへの漠然とした確信である「存在論的安心」にもとづく自然的態度によって支えられた世界、自己と他者が「社会共同体:シュッツの記号概念における仲間」として動機づけあ い、そうすることを通じて共通のコミュニケー ション環境を成立させている間主観的な世界を指している。また、シュッツによれば、日常生活の現実から他の諸現実への移行、およびそれら「固有の認知様式と、明らかにされるべき固有の問題群及び地平群をもつ限定された意味領域」の間での移行は、日常生活の現実内で関わる他者や諸々の出来事に対する 自然的態度が放棄される「特定のショック」を経験したときに生じるという。「夢の世界」への飛躍としての入眠、幕があがり「演劇の世界」へ移行する際に感じる内的な変化、S. A. キル ケゴールが「瞬間」と呼んだ「宗教的領域」へ移行する際の様々な宗教的経験、「科学的思考の世界」への移行に際して、生活者としての情緒的な態度を停止し、科学者としての「私心のない観照の態度」に徹しようと決心することなど、日常生活をいとなむなかで経験する種々の ショックのたびに、人びとは諸現実の境界を突破して、みずからの「現実性のアクセント」を別の限定的意味領域へと置きなおすのである。日常生活世界の只中において、その他の有意味的な世界への飛躍が経験されるということは、「シンボル」の場合,間接呈示する項のみが至高の現実に属しているということを示唆してい る(「サイン」の場合,間接呈示する項と間接呈示される項いずれもが至高の現実の一要素をなしている)。それゆえ、絵画、ファンタジー小説、子供の玩具、共同的な礼拝、科学的理論として客体化されている「シンボル」は、「特定のショック」そのものの「物質的基盤ないし誘因」としての役割を果たしている。・・・

・・・

 別に言うならば、シュッツの「見えないこと」の発見はサプライサイド生産性論の呪縛からの解放と、既成の科学技術型イノベーション生産性論を乗り越える新たな生産性の定義を提供することになるのではないか、という意味でもある。

 因みに、吉川 洋氏は著書『人口と日本経済』(中公新書)のなかで“日本の人口が急速に減り続けるとして、高度情報化が必至のこれからの時代においては、適切な移民受け入れ政策やハードな技術開発とともに、特にソフト(AI)技術イノベーションビジネス・コンセプト開発型のイノベーションがあれば、旧来型GDPの成長を持続させることは可能だ”と論じている。

 f:id:toxandoria:20180803102606j:画像:w300:左その意味でも、ここで言うシュッツの「日常性(生活)」の拡がりに期待されるヒトの「新しい生産性」創出の問題は、吉川氏が言うところの“あくまでも技術レベルの研究・開発をベースとするソフトパワーイノベーション”を更に大きくネットワーク的に補強する可能性が高いので、より重要と考えられる。

そして、このことを分かり易く説明してくれるのが、生命現象(自然界における個々の生命維持現象の内外の大きな繋がり)をモデルとしつつ、ケイト・ラワースが「クズネッツ曲線の誤り」国が豊かになるにつれて不平等は拡大するが、やがて最終的には、必ずそれが自然に収縮へ転じるとの見方が誤りで、格差拡大のピークを過ぎても格差が拡大するばかりとなっていること/T.ピケティが指摘したの発見から着想した「自然界の繁栄を支えるネットワーク」である(添付画像、https://www.weforum.org/agenda/2017/04/the-new-economic-model-that-could-end-inequality-doughnut/より)。

f:id:toxandoria:20180803142930p:image:w360:rightケイト・ラワースは「自然界の繁栄を支えるネットワーク」について次のように述べている。   ・・・前、略・・・自然界のネットワークの構造は枝分かれするフラクタルの繋がりでできている。・・・途中、略・・・川の支流も、樹木の枝も、人体に張り巡らされた血管も、植物の葉の葉脈も、そのようなネットワーク構造だ。・・・途中、略・・・システムが目標を実現しようとして資源の流れを単純にするとき、効率性(従来型の生産性)は高まる。言い換えるなら、大きな結節点から大きな結節点に直接資源が届くようになった状態だ。しかし、回復力(地球温暖化対策のためのデカップリング→準汎用AI機械経済化への流れを必然と見るマクロ的な転相経済を視野に入れたPotenz経済学の廻廊上の新しい生産性)はネットワーク内の多様性と余剰から生まれる。従って、ショックや変化が起こったときには、沢山の代替の繋がりや選択肢が求められる。効率性が高まり過ぎれば(その“廻廊”への目配りがなく、ひたすら従来型の生産性だけが高まり過ぎれば/←補足、toxandoria)システムは脆弱になる。・・・以下、略・・・

なお、シュッツの「日常性(生活)の凝視」に関する説明で、最も重要と思われるくだりのサンプル(研究者による説明文)を参考まで以下()に部分転載しておく(出典:追手門学院大学人間学部紀要 1997年12月30日、第5号、61-78 生活世界の社会学/矢谷慈國 http://www.i-repository.net/contents/outemon/ir/401/401971208.pdf)。

・・・前、略・・・この論文においては,まず「自然的態度の構成現象学」、つまり乱暴に見立てればハイデガーDasein(生命持続の活動エルゴンなる自然計算のトータル)のリアル記述という立場から独自の生活世界の社会学を展開した(このハイデガーDaseinとしての見立てはtoxandoriaの補足)、 シュッツの生活世界論の大要を提示する。生きられた時間空間の構造の分析から出発して,生活世界の社会的構造と常識的知識の特性、多元的リアリティ論の創発的意味とその問題点についてまとめている。・・・途中、略・・・以上のような社会的関係の中で作り出される類型は個人独自のものもありうるが、大部分は相互主観的な類型として日常言語(<注>選言論の意味で感覚・感情的なものと繋がり多義性を帯びた日常言語/補、toxandoria)の体系の中に定着されている。このことは人間についての類型だけに言えるのではない。・・・途中、略・・・上に述べた諸点はシュッツ自身によって充分に展開されないまま彼の死によって中断された。まことに魅力に富む彼の多元的リアリティ論を単なる静態的な類型学に終らせずに、より具体的経験的な社会学的研究に生かすことができるダイナミックなものに改造することが筆者の課題となった。筆者が考え出した方策は、個人主観の意識レヴェルで主として問題が取り扱われたシュッツの理論に対して、以下の諸点を付加することであった (このシュッツの日常言語の体系の背後には、その代表格であるサインorシンボル等が契機となり、そこから初めて“見えること(見えるように)”になる“全体の意味”の深層世界が拓けていると理解すべきである。/補足、toxandorisa)。

現象学的な身体論を導入すること、

・・・つまり複数のリアリティ間の媒介メカニズムを「……しながら(地)……する(図)」という,ながら行為の現象を図地分節の理論と錯図構造の理論(というか、ミクロ・マクロ両世界への想像力の活性化!と見るべきかも?/補足、toxandoria)に結びつけて解明すること。

●多元的リアリティの相互主観的社会的次元を解明すること。

・・・相互主観的な多元的リアリティの分化と統合のあり方を社会進化の観点と結合して考察すること。

●リアリティ経験の深さの次元を考察すること。

・・・他のリアリティから日常生活の現実にもどった時の異化体験をともなう「本来的で深いリアリティの体験」と「異化体験をともなわない表層的ルーティン化的な経験を区別すること。

●他のリアリティと日常的リアリティの間の媒介,移行メカニズムを,身体レヴェル(ながら行為),日常言語レヴェル,時間のスケジュール的区分の三つの観点から考えること。・・・転載、終わり・・・

些か視点を変え総じて言えば、それは近・現代社会の機能的分業における多元的リアリティは専門家の販売する商品となっていることが大前提となっていること(市場経済を経由すること)から,貨幣によって,それらを自由に買ったり消費したりできるという,貨幣の媒介メカニズムの働きを、再度、多面的に理解し直し、それを再定義することでもある。

言い換えれば、近代社会以降の機能的分業の下では,多元的リアリティは,専門家の販売する商品となっており,貨幣によって,それらを自由に売ったり買ったり消費したりできるという,貨幣の媒介メカニズムが働いていることを再び問題とすることでもある。

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f:id:toxandoria:20190524043724j:プレーンf:id:toxandoria:20190526071737j:プレーン

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https://twitter.com/shinkaikaba/status/1132404136308117504

https://twitter.com/shinkaikaba/status/1132433620100997121

この視点はAI時代における貨幣の役割の再確認(特に“生命を繋ぐ新しい通貨の役割=通貨エネルギー”としてのBI(ベーシックインカム)関連で!)の意味で重要!この種のヒトの社会の帰納的分業に関わる新たな活動の創造や発見をPotenz経済学の廻廊の上で新しい生産性の付加の可能性をさぐる問題と見ること、即ち、ヒトの意識に関わる小脳の機能の探求、あるいは98%を占める非コードDNAなど殆ど未解明の“生の戦略”の謎との関りの問題でもある!と見ることができるならば、必ずしもその代価は従来の通貨である必要はなく、例えば地域通貨、仮想通貨、ないしはマイクロファイナンスなど様々な方法があると思われる。

 

(アクセル・ホネットの“見えないこと”)

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 第一章でも書いたことだが、フランクフルト学派・第3世代でドイツ出身の哲学者、アクセル・ホネットは著書『見えないこと』(叢書ウニベルシタス)の中で、「想像を超える、自己内部の多様性」についての気付き(を内心で見えるようになること)があってこそ、客体として広く外部世界(社会と自然環境のなか)に存在する人々の姿が真に開放(個々のドグマ観念から解放)され双方の眼差しでリアルに見えるようになる。」と言っている。

 つまり、それは「そのような意味で、普通は殆ど見えて(自覚して)いないが、実は自己の内部に潜んでいる“想像を超える規模の意識の多様性”が先ず見えるようになること」が、社会における人々の相互主体性の第一の入り口(第一の必須条件)だということになる

 実は、このような視座でヒトの精神活動を理解しようとするアクセル・ホネットが見ているのは、更により深い次元の深層までシュッツの「他者への想像力に基づく日常生活世界の意味」を掘り下げる作業であるとも言えるだろう。

 とするならば、矢張り、アクセル・ホネットの“見えないこと”の理解もAI社会化の時代であるからこそ「AIならぬヒトこそがやるべき仕事」の可能性を無限に拓くための重要な条件づくりであると考えられる

 ところで、AIディープラーニング(多層機械“深層”学習=ブラックボックス)の核心部である高速ハードウエア構造(自然計算のごく一部であるヒトの脳内ニューロンの結合を模したニューラルネットワーク)は、「CPU内の並列高速演算ユニット(数千個)の高速作動の繰り返しで疑似的に数十万~数億の細胞・神経線維の超並列状態(自動計算)」を実現している。

 一方、ヒトの脳内ニューロンの数は、「意識の在り処と見るべき“視床‐皮質系”(大脳皮質と視床)/200億個」、「小脳&基底核/800億個」で、両者の合計・約1000億個は実に宇宙で想定される銀河のmin.数に匹敵しており、それらが一個の細胞あたり平均で約2個が繋がる形で完全な3次元立体配線を実現している(関連⇒第二章)。

 従って、いくら脳内ニューロンの結合を模したニューラルネットワークが、これだけの大きなネットワーク規模を実現しても(しかも、それだけで論理的に説明不能ブラックボックスと化している!苦w)、ほぼ宇宙の銀河数に匹敵する数のニューロンを3次元ネットワークで総動員するヒトの脳内ニューロン活動がもたらす「ヒトの意識」活動に到底及ばないのは当然だとも考えられる

 ともかくも、このような驚くべき「ヒトの意識」活動の巨大な複雑さ、ある意味でその宇宙規模の大きさこそが、ヒトの意識の奥深さを実現すると共に、それがアルフレッド・シュッツ、更にはアクセル・ホネットの‘’見えないこと‘’の世界を創造し、延いてはそれこそが「ヒトがやるべき仕事」の発見を保証し、更に新たな仕事の創造を支援するためのエルゴン(活動源)と新世界開拓の保証人になっていると思われる

 因みに、アクセル・ホネットの上掲署は「想像を超える、自己内部の多様性」の各論という位置づけで、主に以下の内容を詳述しているので概要的に箇条書きで纏めておく。

●社会的に(相手が)「みえないこと」が軽視(差別・蔑視することと同義)であるのは、その相手を叡智的人格として扱う気がないことの表明である。

●相互主体性(間主観性交流)の超越論的必然性(フィヒテ自然法論文における第二定理の分析)について:フィヒテは、そもそも自己意識が相手からの呼びかけという基礎諸条件(前提)で成立するという理解を導いている。(これも、おそらく“選言説”と関係する?/補、toxandoria/ともかくもこれがハーバーマスへ影響を与えた)

●第三者の破壊的な力について:ガダマーの相互主体的関係の限界を指摘し、第三者パースペクティブ(一般化された他者)の役割(の重要性)を提言。

●認識と承認について(サルトルのまなざし):否定性の契機こそがサルトルの相互主体性の理論の核心であり、その否定性の契機を帯びた相互主体性が自己の本源的自由を取り戻すための実存的闘争の圏域である。

●解釈学とヘーゲリアニズム(マクダウエル“道徳的実在論”の批判):マクダウエルがガダマーの作用史的伝統媒介を形成と捉えるため、そこに限界があることを指摘してヘーゲル実践理性の連続性の取り入れを提言。

●対象関係論とポストモダンアイデンティティ精神分析の現代的意義の考察):従来の対象関係論から、多数の「内なる声」(想像を超える、自己内部の多様性)とのコミュニケーション・ネットワークの展開ヘという視座の拡張を提言。

・・・

   そもそも当記事は AIを多角的な視座から批判的に理解することに努めてきたが、AIを否定するつもりは毛頭ない。むしろ、AIにはこれまで見てきたとおり欠点が多々あることを十分に踏まえたうえ(最大のアポリアは、ディープラーニングブラックボックス、と『人間の壁』の問題)、特に倫理的な側面に十分な注意を払いつつ、むしろAIを積極的に有効活用べきだとする立場である。いわば、一歩引いた観点から、もう少し冷静にAIを観察しヒトの幸せや福利厚生と日本国民の日常生活を豊かにする経済のため上手くそれを活用するという視点が必要ではないか?との思いから、この記事を書き始めたのであった。

 そこで、「AI関連で新たに生まれる仕事の未来」の予想については書かないつもりであったが、多少はそのような意味で‘’今は見えないが、近未来において特にAIの活用が期待できる仕事の分野‘’を大雑把に概観しておくと、以下のようになるだろう。なお、ここには具体的に書かなかったが、「歴史、文化、芸術および特に地域文化などでの発掘・保存・修復・創造・創作」のフィールド(いわば文化経済学の分野)では、ほとんど無尽蔵にAIの活躍(つまり、AI活用による地域発展)の未来が広がっていると思われる

  • 知識処理応用サービス業(医療・研究・学術・教育分野など)・・・研究等の基礎となるデータアナリシス、データベース構築などだが、著作権問題のクリアが課題になる。
  • 凡ゆる一般分野での既存サービスの改善・支援・効率化etcに関わるオペレーティング・サービス業(業務診断・画像診断・物流・警備など)
  • 製造業・農業・行政あるいは金融・医療・医薬・福祉・マスメディア等へのAI活用支援サービス(Ⅹ‐tech(クロステック)、スマート農業、FinTech、MedhiaTechなど)
  • 地域開発・都市再開発らへのコンシリエンス(consilience)の視点による支援業務、ほか

  (参考/ディープラーニング・AI技術関連の情報源、最新技術情報など)

・・・これからは、益々、AI関連の最新動向への目配りが重要になると思われるが、これまで取り上げた『人間の壁』(そのAI技術が本当にヒトの幸せな生活の役に立つのか?というベーシックな疑問点)とのバランスを専門研究者と一般国民が、共に、絶えず自覚し続けることが肝心であろう。以下に、最新動向を集めるため役立つサイトと、特に目についた最新情報の事例を纏めておく。・・・

理研AIPセンター@RIKEN_AIP https://twitter.com/RIKEN_AIP

人工知能機械学習関係ニュース研究所、https://twitter.com/AI_m_lab

人工知能ニュース、https://monoist.atmarkit.co.jp/mn/series/4185/

●[公式]人工知能機械学習関係ニュースhttps://twitter.com/A_I_News

富士通研、正解が少ないデータで高精度に学習する機械学習技術20180919https://iotnews.jp/archives/107438

●【日本政府はコトバ遊びに終わらせるな!】GAFA・BATなき日欧連合 AI戦略「人間中心」で連携/6月のG20首脳会議に向け個人情報保護などを掲げ国際ルールづくりに関与する狙い。実は欧州もAIを巡る戦略でまったく同じフレーズを使う。419日経https://www.nikkei.com/article/DGXMZO43891340Y9A410C1EAC000/

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 (補足)

◆核戦術での地球破壊も辞さぬトランプ&米軍産複合体の<AI軍事型万能感>に飲み込まれたアベ様“へのド<忖度>で目が真っ赤に血走り、常態「御用放送」の尖兵化したNHK国際部・政治部らの超異常!https://twitter.com/shinkaikaba/status/1134636523331002368

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 @yurikalinさん/山本太郎にまず立ち塞がる大きな壁は、連合に逆らえない立憲民主や国民民主が、野党一体となって「消費税減税」を打ち立てないことだ。つまり、労働者の味方であるはずの連合が、実は労働者の敵であることを暴露しているも同じ。https://twitter.com/yurikalin/status/1134647260266938368

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@只のオッサン/同感乍ら更に踏み込んで日本資本主義の病巣(消費税マターに潜む陥穽/AI型市場原理主義の暴走、金融・財政&貨幣機能らの原義)を抉る視点が必須!と思う。例えば、目下「仮想通貨暗号資産化→貨紙幣完全廃止」の検討開始?らしいが、超消費税の難問化が予想される。∴展相マクロ経済&BI論議が先決?https://twitter.com/shinkaikaba/status/1134946356743757825

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補足/それにしても安倍晋三・総理がかくも愚昧なネトウヨ派↓★1(ストーリーテラー/しかも米国の同ジャンルの下請けw)だからこそ、冷静な「消費税マターに潜む陥穽と展相AIマクロ経済&BI」に関わる健全な論議↓★2など毛頭も期待できぬ!のが日本の真の危機だ!故に、第5次産業革命のツールAI‐IOTも日本では只の「ブタに真珠」状態という体たらく!https://twitter.com/shinkaikaba/status/1134946356743757825

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★1 @但馬問屋さん/‏ 安倍首相がケント・ギルバートと対談! 百田尚樹の『日本国紀』とケントのヘイト本を賞賛しネトウヨ心性全開|601リテラ/安倍首相、なんと、ケント氏の著書や百田尚樹氏の『日本国紀』を堂々と宣伝した!一国の総理がネトウヨビジネスにここまで肩入れするとは…https://twitter.com/wanpakutenshi/status/1134818297814274049

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★2 チェリーピンク・アベGDPの日本はAIロボ『人間の壁』経済(第4次産業・AI革命)に備え“社会の茎”、「新マクロ経済/Ex. BI型“社会的共通資本”」金融への展相が必須! https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/03/05/153938

 

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 (完)

 

チェリーピンク・アベGDPの日本はAIロボ『人間の壁』経済(第4次産業・AI革命)に備え“社会の茎”、「新マクロ経済/Ex.BI型“社会的共通資本”」金融への展相が必須!

チェリーピンク・アベGDPの日本はAIロボ『人間の壁』経済(第4次産業・AI革命)に備え“社会の茎”、「新マクロ経済/Ex. BI型“社会的共通資本”」金融への展相が必須!

(Cover Images)

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・・・Paul Cézanne『Mount Sainte-Victoire』1904-1906. Oil on canvas,73 x 91.9 cm Philadelphia Museum of Art, Philadelphia, PA, USA.

《記事副題》【「欠陥(船底穴)隠蔽!新自由主義理論」+「逆ベクトル:古色蒼然アナクロ対応toAI型『人間の壁』」アベノミクス、なので当然の帰結「アベ駆除&展相」を総国民もろ共で急ぐべき!(20190308追記)

・・・東大法学部ら出身のキラ星の如き頭脳明晰な俊秀(高級官僚・司法官・御用学者)らが、いったい何故にアベさま(安倍内閣)の「下の世話」(アベノミクス等に関わる、悪臭芬々たるテンコ盛りのウソ・改竄&消去・隠蔽の山の処理&消臭作業)で躍起となっている、この余りにも面妖な日本となってしまったのか?

・・・短く言えば、それは「リアリズム倫理」観の不在(おそらく暗記型受験体制への傾斜の弊害?)ということ。残念ながらそのことについての委細を述べる余裕が当記事にはないが、少しだけ(エピローグ)で触れておくことにする。

【要約】「限定合理の生命モデルに倣えば、ある意味で“合理的”に解決できるのに、その生来の律義さ(“任侠・忖度”愛好?)or伝統『構造災』へ拘泥するあまり人非人の嘘吐き邪教“あら人?”神(オレが国家だ!を騙る靖国英霊ナルシス愛“追憶のカルト”、自称“森羅万象”アベ神様)にすがりつき、それを忖度するバカりで肝心の<リアル&未生>の両「民」が命を繋ぐため必須の「相転換」、いわば汎用AIロボ「スキル偏向イノベーション」に因る近未来の「機械デュナミス経済(潜在的な高付加価値)」化への備えの最低限の条件、肝心の「金融・財政改革」が眼に入らぬ現代日本の超リスク!その展相(覚醒&相転換)のキーワードは“社会の茎”(socio-scapes)、つまりヒトを幸せにする“社会的共通資本”たる新マクロ金融の創造!」ということ。なお、BIは段階的ベーシックインカムのことだが、それについては「第6章‐2」で概要を述べている

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(これは当記事内容で言う『人間の壁』のこと:特に、準汎用AIロボが実現すると思われる10~15年後に実現すると予測される“機械生産性(デュナミス潜在生産性)vsヒトの生産性(リアル生産性)”の大きな壁(大格差)の発生を意味する) 

 

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https://twitter.com/masaru_kaneko/status/1106168602086891529

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・・・・右のプロフィールは故・宇沢弘文氏(関連参照/“第3章‐宇沢弘文による“新自由主義ネオリベラリズム/先鋭的マネタリズム)の誤謬”の摘出”)。

・・・

f:id:toxandoria:20190305072657j:plain・・・・当、広末涼子NHKスペシャルドラマ『浮世の画家』↓に出演する)の画像は、https://www.youtube.com/watch?v=oXRfzIHJTqIより転載

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Maurice Ravel - Gaspard de la nuit

 

・・・ 

 (プロローグ)愈々、チェリーピンク病Vsハーフトピアの闘いの時か?

(0)日本の目前に迫る危機の土壌(一般大衆を隠然と睨む官邸ポリスこと“人の支配&“法の支配”のアベさま御用達し“仲介業”の存在

・・・安倍「アサッテのヒト(追憶のカルト/靖国英霊界追慕)」内閣は日本大衆が偏愛する、古色蒼然たるw “任侠”道政治への先祖返りか?ガンつけで過剰「忖度&寺銭」を強要する“任侠”道の濁り目では、千載一遇のチャンスでもあるハーフトピアの未来が認知できない!・・・ 

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<注>「“任侠”道政治への先祖返り」・・・この問題については下記資料を参照乞う。

【大衆を隠然と睨む官邸ポリスこと“人の支配”&“法の支配の仲介業”安倍政権で<官邸ポリスによる国策「捜査潰し」(国策捜査の裏返し)>が堂々と罷り通る背景について(小論考)https://www.evernote.com/shard/s440/sh/b2a5a0aa-4241-48e7-b530-7fd970f160b4/cc8da668e2c69ca94a4a04467944ae0c

・・・         

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【日本の目前に迫る危機の真相/チャンスでもあるそれを認知できない悲劇!】

https://www.evernote.com/shard/s440/sh/fd17cb90-5e6a-47d4-8d50-769b9b3d6177/55a342cde8ce7649bacd662ea9b45e40

・・・(前、略)結局、このおぞましい状況の根本には「リベラル共和」(正統保守)と偽装極右(安倍政権の正体である追憶のカルト)の違いについて、日本国民一般が殆ど無関心である!(その表れが“茹でガエル”派に因る、被虐的に?まるでアベ派のスキャンダルや暴走・横暴化と反比例する(比例する、が正しいのかな?w)かにさえ見えるアベ支持率の上昇トレンド!)ということがあるようだ。今や日本国民はこの「異質な三つの世界が鼎立する高度情報社会の接近」という、全ての国民が理解すべき最も肝心のリアリズム(これは大きなリスクであると同時に大きなチャンスでもある!)を正確に認知できないホワイトアウトに嵌っており、目先の“偽装極右”安倍政権に対する<忖度の間合いの取り方>だけに汲々とするばかりの、その日暮らし同然の主要マスメディアが、最も重要な情報を国民へ伝えるという「本来の仕事」に手が回らなくなっている。これこそが日本の目前の危機である!・・・(当内容の委細は本文にアリ)

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【@盛田隆二 さん/国境なき記者団が「官邸は日本国民の知る権利を尊重し、ジャーナリストの全ての質問に例外なく答えるよう」安倍首相に要求 東京新聞・望月記者への質問制限は、国民の知る権利を否定する暴挙だと警告。今後、先進国と思えない日本の報道規制の実態が海外に発信されるだろう。

https://twitter.com/product1954/status/1103149878593544192

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https://twitter.com/shinkaikaba/status/1101760119132438529

https://twitter.com/shinkaikaba/status/1102019228889014273

https://rsf.org/en/news/japan-government-must-not-judge-relevance-press-questions

https://twitter.com/SamejimaH/status/1103421722408054784

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https://twitter.com/nuclearban_jp/status/1097297689736167424

大黒岳彦『情報社会の哲学』(勁草書房)によれば、マクルーハン(カナダ出身のメディア研究者・文明批評家)が「1.巨大WebネットDB汎“知”が刻々と創造するデュナミス(潜在エルゴン的な抽象電脳世界の増殖)、2.マッハ感覚論的素材性のエネルゲイア常世界で共鳴するヒトのリアル意識)、3.ルソー「一般意志」(普遍観念)が象徴する理想(エンテレケイア/啓蒙思想の核心)」という三つの異質な世界が鼎立する高度情報社会の到来を予見していたとされる(関連参照/第5章‐2『人間の壁』、デュナミス経済化を助長する、“間主観性⇔AIロボ・クラウド汎知”断絶問題の真相)。

そして、この「異質な三つの世界が鼎立する高度情報社会の接近」という観念(着実に到来する近未来への予感)は欧米諸国で共有されており、特にそれは良識派に属する一般国民の深層に浸透して、ある意味で欧米民主主義社会のシステム・ツールバランサーの役割を果たしている。

加えて、近年は地球環境問題、ゲノム編集技術(生命科学の進化・深化)らとの絡みで「フーコー“統治理性”」が再認識されており、これら両者の共鳴から「リベラル共和」(正統保守)の重要性が再び深く理解されつつある。そして、実は表層的には「移民、ポピュリズム、格差、極右&保護主義台頭」等の問題で、愈々、混迷を極めるばかりか?とも見える欧米諸国と日本の決定的な違いが、この点にあることを自覚すべきである、

因みに、フーコーの統治理性とは「“どれほど社会理論や科学・科学技術が進歩したとしても常に国家・政府の統治権力と市民社会の自律的運動法則(<補足>特に労働組合のレニュアルが喫緊の課題!は対等であるべき、とする非常に厳格な”考え方」である。そして、そのフーコー統治理性の対象には、ノモス・エトノス的な意味で非常に危うい地球上の全ての生命環境が明確に視野に入っていたと思われる。加えてフーコーの慧眼は「いま我々が体験しつつある準汎用AIロボの時代のマクロ・ミクロ経済論の展相の必然性」を実に的確に視野に入れていたことになる(関連参照/第3章‐ロ:宇沢弘文『社会的共通資本』と共鳴するH・アレント『ノモス社会論』)。

例えば、およそ1980年代の半ばから歴代政権が支出削減や企業の競争力強化、いわゆる新自由主義政策を過剰に試みてきたこと(ネオリベラリズム流の格差活用ヒト・イノベーション)による矛盾の爆発(ジレジョーヌ運動)で苦しむ仏マクロン政権ではあるが、同運動代表との仏政府の対話、あるいはジレジョーヌと緑の党との対話などが着実に進められており、いわゆる分断による民主主義の機能停止には至っていない。米国における、冷静なトランプ批判の動向も然りである。

これら欧米の動向(深層のリアリズム!)と比べると、偽装統計問題(アベ・ピンクGDP)などに対する適正な解明の要求を閣議決定方式等で超然権力的に遮り、それどころか[メディアを含む批判勢力に対して露骨な「言論弾圧の姿勢」すら見せ始めた<安倍政権>Vs<良識派”国民>]なる、我が日本の「分断=民主主義のセットバック」状況の深刻化は異常である。

結局、このおぞましい状況の根本には「リベラル共和」(正統保守)と偽装極右(安倍政権の正体である追憶のカルト)の違いについて、日本国民一般が殆ど無関心である!(その表れが“茹でガエル”派に因る、被虐的に?まるでアベ派のスキャンダルや暴走・横暴化と反比例するかにさえ見えるアベ支持率の上昇トレンド!)ということがあるようだ。

今や日本国民はこの「異質な三つの世界が鼎立する高度情報社会の接近」という、全ての国民が理解すべき最も肝心のリアリズム(これは大きなリスクであると同時に大きなチャンスでもある!)を正確に認知できないホワイトアウトに嵌っており、目先の“偽装極右”安倍政権に対する<忖度の間合いの取り方>だけに汲々とするばかりの、その日暮らし同然の主要マスメディアが、最も重要な情報を国民へ伝えるという「本来の仕事」に手が回らなくなっている。これこそが日本の目前の危機である!

(1)チェリーピンク病(チェリー・ピッキング症)

・・・統計データ等のインテリジェントに関わる基礎情報の中から、特定政策ら或る一定の目的に沿う好都合な重要基礎データや情報(解析結果)だけを作為的に選び、その情報全体がそもそも持っていた文脈や統計トータルの目的や有意性を歪め、自らの所期の目的にだけ好都合な結論を導くため、それらを悪用する一種の超然権力的(or神憑り的)なマッチポンプ戦術のこと。

・・・科学的な中立性、言い換えれば客観的な有意性が大きく失われ、それを真理の証拠とする意味と信用を完璧に失墜させるので統計学では禁じ手である。元々の意味は「サクランボの選別のように出来の良い果実だけを作為で収穫する」ということ。つまり、「アベ方式の統計活用?」こと<偽装&嵩上げGDP>の如きチェリー・ピッキングが禁じ手であるのは、<統計学=科学的手法>であることの最後の砦となっているからだ。

・・・しかし、残念ながら安倍政権はこの“禁じ手”のチェリーピンク病(チェリー・ピッキング)に紛れもなく嵌って(を罹患して)いる。そして、普段は「統計学の概念や手法」に縁遠い一般大衆(多数派国民層)は、そのアベ・チェリーピンク病の恐ろしさに、なかなか気付けないでいるようだ。

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https://twitter.com/shinkaikaba/status/1101204989437829120

https://twitter.com/shinkaikaba/status/1100918758661476353

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https://twitter.com/shinkaikaba/status/1102646281166499845

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https://twitter.com/shinkaikaba/status/1102649081279655936

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https://twitter.com/shinkaikaba/status/1102652085131083777

<関連資料>統計学錬金術ツール」化が“アベ倒置国家”の正体・・・『統治性』統治術』(大阪大学教授/文化人類学http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/030814govern.html

・・・

・・・そもそも統計学(統計法則)が確立し、それが真に科学的手法として遍く一般の市民社会で認知されるまでの歴史をふり返ると、我われは、むしろそれが<優生学思想>を助長するリスクと紙一重の過程であったことに驚かされる。“統計法則”が確立するまでのデータ化歴史のふり返りで大切なのは、それを推し進めた主体は誰で、その目的とデータ化の対象は何であったか?ということになる(当論点の委細は下記↓★事を参照乞う!

 歴史的な“優生学”誕生への道筋/倫理・道徳的には中立でなかった統計学(“統計法則”確立)の歴史 http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20180701B https://toxandoria.hatenablog.com/entry/20180701/p1

・・・

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(画像The entrance to the Dakota building which had a sign posted that the Nutopian Embassy was there』は、https://en.wikipedia.org/wiki/Nutopia#/media/File:Dakota2.jpg より)

 

(2)ハーフトピアが意味すること

・・・1970年代に、テレビ出演したエルトン・ジョンが偶然に?口にしたとされるヌートピア(Nutopia/Newtopia、https://it.wikipedia.org/wiki/Newtopia)をもじった造語。それは「地球上のいたるところにあり、いたるところにない国家である。また、この国家の理念はジョン・レノンが『イマジン』で歌っており、領土も国境もないので領土紛争は起こらない。ジョン・レノンオノ・ヨーコが1973年4月1日に建国した。

・・・今から約10~15年後に汎用?or準汎用AIロボが完成した暁には、人々が仕事をしなくても遊んで暮らせるユートピアが実現するとか、あるいはそれと真逆で“殆どの仕事がAI「知」に奪われてしまう”その時代にはグローバル金融をも完璧に組み敷いた「AIロボを所有・支配する数パーセントの人間」だけが9割超の“知的に劣る愚か”な奴隷的人間を支配する地獄の世界(デストピア)が出現するとか、いわゆるシンギュラリティをめぐる論争が喧しくなっている。

・・・そこで、当記事では「ほんの少しだけユートピアへ傾斜しているが、我われの努力次第では実現できると思われるリアルかつ健全な経済・社会の方向性」(いわば、永遠の展相を十分に承知の上でリアル化できることを重んじる「限定合理に因る近未来の可能性」(ヒューリスティクスheuristics)」をマクロな観点から論考することを試み、そこで膨らむイメージ世界をハーフトピア(halftopia)と名付た。

 

(3)「準汎用AI」時代が意味するコト

・・・AIの技術開発が進み、仮に汎用AIロボが完成して、それが社会・経済のあり方などを根底から変革するような時代をシンギュラリティ(米国の発明家・実業家であるレイ・カーツワイルが名付けた/特異点とも呼ばれる)本格的な汎用AIロボの時代)とするなら、それがいつ頃に実現するのか?は未だ分からない。

・・・それは、AI研究がヒトの意識そのものの働きをするAIロボのレベルへ接近しつつあり、脳エミュレーション(ヒトの記憶・意識の“まるごと”移し変え)の研究に取り組まれているのは現実だが、仮にそれが完成しても果たしてそれがヒトと全く同等と言えるかどうかは分からないからだ。というより、限りなくそれへ近づくことはあっても(それが準汎用ロボの意味)、ヒトと全く同等のAIロボは、おそらくできないだろうとも考えられる(その可能性の方が大きい!)。

・・・そして、この限りなく人へ近づく意味でのAIロボの問題は「ヒトは“世界内の存在!”とするハイデガーの世界観に因るAI研究の第三段階、いわば限りなくヒトの意識に近いものを追究するという意味で“新しい人工知能研究フェーズ”」の問題、と理解されている。https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2018/12/17/044810

・・・付言しておくと、ヒトの一回性の生(生命・人生)は「論理・計算・記憶だけで成り立つものではなく、時間の流れに寄り沿いながら、その折々の自然・社会環境トータルとの因果的な繋がりとエコーしつつ、又は共鳴しながら感覚的・感性的で多様な想像力の海のなかを絶えず自己変容しながら遊泳している」ようなものである。

・・・しかも、そもそもヒトは地球上の他の生物と同じように、自然という多様な“生命論”的な意味での交流環境のなかにいるからこそ、ヒトとしての自らの生命個体を未来へ向かって自らの生命力で繋ぎ続けることができる存在であるからだ。

・・・因みに、現象学哲学の始祖と見るべきエルンスト・マッハ(そもそも自然科学者であるが)はこのような人間の生の特性の側面を「感覚論的素材性」(マッハ感覚論的素材性/日常世界で多様に共鳴するリアル意識)と呼んでいる。http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20180806 

・・・しかしながら、先に見たとおり特定の目的に役立つ仕事を平凡なヒト並に、あるいは限りなくそれに近いレベルで、十分にヒトの期待に応えてやりこなす「準汎用ロボ」が実現するのは、そう遠い先のことではないだろう。おそらく、それは日々に近くなっており、遅くとも向こう10~15年位のことではないか?と思われる。そして、それだけでも社会・経済のあり方などが根底から変革を迫られるようになるための条件としては十分ではないか?と考えられる。

・・・例えば、今を時めく新自由主義新古典派経済学のジャンル)のツールとして重宝されているマネタリズムやサプライサイド理論なども、その発想を根底から相転換(展相)させる必要に迫られることになるかもしれない。従って、チェリー・ピッキング症を罹患した安倍政権の「神憑り!2020年GDP600兆円を絶対視した、ほとんど神憑り同然のアベノミクス『統計偽装』の大暴走」(↓画像)などは論外であり、大“噴飯もの”である!

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https://twitter.com/shinkaikaba/status/1098397566058647552

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https://twitter.com/shinkaikaba/status/1097002189275332608

 

1 グローバル新自由主義の現代に特徴的な「二つの“ワニ口”」

・・・それは「技術イノベーション市場原理主義の搾取構造ということ・・・

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直近の各報道によると、何でも日本国の安倍晋三・首相は自らが人間であることをやめて『森羅万象の神』に展相(変態、変身、昇進、相転換?)したことを国会で堂々と宣言したようである。尤も、ネット上のある筋によればそれは『森羅万象の神』ではなく、『現人神』(あらひとがみ)の言い間違いでは?ということのようだ。w

ともかくも天皇ご退位に伴う元号改正を目前に、日本国が戦前・戦中期並みの『神国』へ一歩前進した?のであるから、これ<忖度レトリック>を使えば、“誠にご同慶の至りで、安倍サマが生身のヒト(仮の姿であるサナギ人間?)から神様(靖国顕幽論の霊界的存在?)へ変態した折の過酷な苦痛を想像すると涙が溢れるバカリだ!”とでも言うべき歴史的な瞬間だっのだろうか?w

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アベ<神憑り新元号生成の儀(アシカ呪文)>!? 忖度“神託”「NHKニュース」の預言w

 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190301/k10011833171000.html

https://twitter.com/shinkaikaba/status/1102092101108457472

・・・

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しかし、グローバル化が進む内外の経済環境、なかでも特に日本の経済・財政の殆どアポリア化した現況は「アベさま→神様」の相転換(神国へのセットバック)で決着がつくほど単純なものとは言えないようだ。但し、グローバル化トレンドそのものは生態系の比喩の視点、つまり後述するジルベール・シモンドンの科学認知論的な『個体化の哲学』の観点(↑添付画像)からすれば、むしろ立的と見るべき環境のジャンルであり、ヒトの「知」が何処までその「意味」の理解に追いつけるか?ということが問題になるようだ

ともかくも、それは現代のグローバル資本主義をリードする新古典派経済学、特にそのマネタリズムの経済イデオローグの中にそもそも「搾取」(永続的なネクストへの信用創造という宿命的な資本の論理が大命題であることに因り、特別の手を打たぬ限り回避不能な搾取型『差』発生の構造)の問題が存在するからである。

無論、これは、今に至って突然に出現したものではなく、第1次(蒸気機関)、第2次(電気、内燃機関)、第3次(コンピューター、インターネット)の各産業革命の段階(機械化イノベーションへ向かう進化)に沿って、「(イ)機械が創造する付加価値⇔(ロ)ヒトが創造する付加価値(特に事務職およびサービス業態らに遍在する)」という<格差が拡大するトレンド>として、次第に気付かれるようになってきたことである。

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(グラフ1)出典:財務省法人企業統計季報編集   財務省財務総合政策研究所

・・・<注>(第3章のグラフ:『大企業(製造業)の売上高と限界利益』)と同じく当資料は2005年以前のデータ(第3章のグラフは2010年以前のデータ)に基づき財務省が作成した古いものであるが、安倍政権下における渦中のフェイク?統計データと異なり、まさか恣意的にチェリーピンク操作を行っているとは考えられないので(苦w)、そのままこれらを「マクロな傾向」を観察する有意な資料として使用した。また、(第3章のグラフ)についても同じことだが、それぞれの最終年号から現在までに至る各「ワニ口が開く」という大きな傾向(トレンド)は、ほぼ変わらぬものと想定して、当記事は書いている。

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(グラフ2)出典Harvard Busines Review

やがて、その傾向「(イ)と(ロ)の根源的で潜在的な格差」は「(ハ)企業所得と(ニ)労働者所得の恣意的な格差」いわゆる、企業側への分配傾斜によって労働分配率の格差が拡大するトレンドの顕在化=ワニ(鰐)口が拡大する傾向)に姿を変え、そのトレンドをグラフ化すれば誰の目にも明らかに見えるリアル(実在)として理解されるようになった訳だ(参照、添付グラフ)。しかも、更にその傾向(ワニ(鰐)口の拡大)を大きく助長したのが、1970年代に本格化した新自由主義ネオリベラリズム市場原理主義)である(委細後述)。

<補足説明>上のグラフ((1)、(2))について

(1)「名目GDPと雇用者所得(一人当たり)」(1枚目のグラフ)

・・・解像度が悪くて些か見えにくいが、左軸の%は「名目GDPが1%増加したときの、雇用者報酬(一人当たり)の増加率を意味しており、各長期トレンドを示す実線グラフは英国、同じく点線が日本である。ここから、およそ1975年ごろ(新自由主義ネオリベラリズム)の影響がリアル化し始めた時期/つまり、労働力(ヒト)をモノと見なす新自由主義イデオローグの特徴、言い換えれば“ヒトの物象化フェティシズムによって非正規雇用が主流となってきたことが主な原因!)から英国でも日本でも一人当たりの雇用者報酬(つまり労働分配率)がフリーフォール型で急低下し、分配が企業側へ大きく傾斜するという、いわゆる<搾取の「ワニ口」>(企業(営業)利益↑(増加傾向)>雇用者所得↓(減少傾向)により格差が大きく開く一方!という恐るべきトレンド)の存在を推測させるが、おそらくこれは日英以外でも同じ傾向と思われる。

(2)米国の「グレートデカップリング・トレンド」(2枚目のグラフ)

・・・これはGD/Great Decoupling/スキル偏向技術進歩(技術イノベーション)に因る“雇用一人当たり生産性向上(GDP総額増加)と一家計当り所得減少”の大<乖離>問題=特に中間層の没落に繋がる主な原因)」を示すグラフである。別に言えば、それは「特にAIロボット等(未だ、特定目的型のAIロボットらが主流であるとはいえ)の出現で名目GDPの主要素である生産性の伸びの大きさ(主にAI・ネット技術ら応用の機械化(IOT等)による)と一人当たり雇用所得の伸びが連動しなくなりつつあること」を意味する。これは、2005年ごろからその傾向が顕著となったことを示す米国のグラフであるが、日本でもほぼ同様の傾向で、(1)型の伝統的な「ワニ口」なる「資本主義の搾取」トレンド(益々、格差が拡大する傾向)を、これが更に助長しつつあることが理解できる。出典:Harvard Busines Review、https://hbr.org/2015/06/the-great-decoupling 

・・・

しかも、資本主義の本質は金融等を介した企業利潤の再投資による持続成長力(これは資本主義を持続・推進するための活力源!)の維持ということであるため、(2)型<「(イ)機械創造型の付加価値⇔(ロ)ヒト創造型の付加価値」>の格差(いわばスキル偏向技術進歩に因りヒト一人当りの人的価値が劣化させられ続けるという恐るべき現象!)が、益々、拡大するのは必至である。

但し、EU・国連及び米国の良識派(トランプ政権はアベ日本と同じでコレを無視!)は地球の自然環境汚染を視野に入れた“デカップリング経済”、つまり「成長と資源の浪費を切り離す政策→エンテレケイアとしての定常化経済」という<展相(相転換)の必要性>と共に、それとは異なる(機械⇔ヒト、両生産性の接合と調和を目指すという)意味を持つ、Great Decoupling対策についても、愈々、それに対しても真剣に対応する必要性があることを視野に入れつつある(Cf.↓★)しかし、日本の安倍政権はコノ問題へ全く無関心であるのか?あるいは見て見ぬ振りの節がある

 EUの視野に入る未来経済へのコリドー(廻廊)とは、f:id:toxandoria:20190225042652j:plainhttps://toxandoria.hatenablog.com/entry/20180806/p1

また、近未来においては「“AIロボ-IOT型機械技術>一般製造業>一般サービス産業”」の格差に加えて、現実的には利潤分配に関し必ず経営側(支配的エリート権力側)による恣意が最優先で発動・発揮されるため(このトレンドは労働組合の劣化によって必ず助長される!)、結局、準汎用AIら科学技術の進化に伴い更なる革新的「技術イノベーション」が進む一方で、もし政治・財政・経済的に何も「必須の改革(展相プラン)」が行われず、旧来の新古典派経済学(特に新自由主義)のマクロ政策の延長上で放置されることになれば「(ハ)企業所得↑>(ニ)労働者所得↓」の「ワニ口」は際限なく開き続け、ひいてはその[<ワニ口/超格差>と<機械(スキル偏向デュナミス)生産性Vsリアル生産性の問題/委細後述)>]によるリアル・マネー流通の不全(特に、その『三つ目のワニ口』である、準汎用AIロボ型のスキル偏向技術イノベーションに因る巨大格差の発生)で“生身”のヒト(市民)が生きる日常のリアルな社会生活が根こそぎ壊滅するのは必然である

 しかも、実に愚かしいことだが、それは新古典派経済学マネタリズムネオリベラリズム)が「情報の完全な対称性(抽象・計算論としての完全合理主義)」と「ヒトの物象化(マルクスが言うところの“ヒトを=モノ”扱いにする意味でのフェティシズム)」を前提とする市場原理主義ネオリベラリズム)に因る、最も<抽象合理的で先進的(実は愚か)な?考え方>に囚われた挙句に資本主義そのものが「死」を迎えることも意味すると考えられる。

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https://twitter.com/shinkaikaba/status/1098625154144325632

然るに、直近の国会での討議の場面で目立つのは、「たとえ、GDPをめぐる諸統計数値について些かのフェイクがあるとしても、アベノミクスの成果で日本の勤労者の総所得額が増大したのは紛れもない事実だ!」と、まるで勝ち誇るが如き態度でニタニタしながら答弁する「安倍晋三・森羅万象総理大臣」の不可解な姿である。果たして、彼(アベ“森羅万象神”or“現人神”様?)はどのような日本の現実を見て血迷っている(あるいは、その目を血走らせている)のだろうか?

f:id:toxandoria:20190209094604j:plainところで、 “資本主義に代わりうる経済システムをめぐる旅”という副題が付いた、ドイツで活躍するイタリア出身の公共経済学者(ベルリン自由大学教授)であるジャコモ・コルネオが書いた『よりよき世界へ』(岩波書店201811刊)という興味深い思考実験の本がある。そして、この本は結論として、財源と公正さの確保の難しさを理由に“目下、世界的にかなり話題となりつつあるベーシック・インカム“を敢えて退け、“企業株式の一部を政府の手を介して公有”とする「株式市場社会主義」を提案している。

これは、1990年代に米国の経済学者ジョン・ローマー(John E. Roemer/マルクス主義の改革を意図する分析的マルクス主義研究/1945- )が提案した「クーポン型市場社会主義」(http://www.ier.hit-u.ac.jp/~yosihara/ronsou/ronsou12.htm)に似ているが、それは“市場経済を維持しつつ、本質的に搾取の構造を持たざる得ない資本主義の非公正な部分の欠点をなくすため企業の利潤の一部がクーポンとして、政府の手で全ての“成人”市民へ分配される(全ての成人国民が株主となる)”というものである。

まず、コルネオとローマーのこれら両方式はランゲ・モデルの証明(社会主義経済計算論争の決着を前提とする、市場社会主義の変形(社会主義のための市場機能の有効活用)と見なすことが可能であり興味深いものだ。因みに、この「証明」とは、ごく大まかに言えば“計算上では資本主義と社会主義の両者は資源の有効活用という点では同等だが、後者の計画主義を完璧に実行するのは困難である”と結論付けたことだ。https://cruel.org/econthought/essays/paretian/social.html

しかし、これら二つの方式は[(1)民主主義社会における私的所有権“侵害”の是非に関わる論争、(2)株式傾斜所得による収入の不安定化、(3)政府の手を介する分配とはいえ“権力Vs公正分配”の懸念(何か強力な特別の工夫がなければ、必ず前者が有意に立つうえ、例えば現下・日本の安倍晋三政権の如くそれが徹底的に腐敗する可能性が高い。

f:id:toxandoria:20190225054337j:plainそれどころか、従来の市場原理主義経済(マネタリズム)の現行システムのまま「準汎用AI時代」に入ってしまうと、『人間の壁』[デュナミス経済化スキル偏向デュナミス生産性Vsリアル生産性]の問題)を乗り越えるどころか、ほぼ1:9の比率で超エリート(一強化した権力側)がその他大勢の奴隷的人間を支配するという恐るべき世界が到来することも強ち空想に過ぎぬと笑うわけにもいかぬようだ。まさに、ユヴァル・ノア・ハラリ『ホモ・デウス』が説ユートピア?or真逆のデストピアの出現である。

従って、当試論は、「準汎用AI時代」にこそ想定される『人間の壁』(デュナミス経済化/AIロボ経済化(本格的なスキル偏向デュナミス機械生産性)の時代に想定される[AIロボの高度生産性>ヒトの生産性」なる大格差が必ず出現するという問題)の解決を視野に入れつつ全ての国民を対象とする(成人か子どもかの別を問わず、赤ちゃんが一人オギャー!っと生まれたら、即、支給の対象となる)、そしてそれは社会的共通資本の一環であると明確に位置付けた「ハーフトピア」である<ベーシック・インカムの段階的な導入(従来型の福祉政策も、それぞれの分担範囲を調整しつつ並置する形での)>を提起(試論提起)する。

 

2  「三つ目のワニ口(AIロボ型Great Decoupling」へ戦前回帰(バックストップと真逆の構造災の取戻し!で対処する「アベ政権の倒錯」

・・・Back to the era of World War II!/チェリー・ピンク病(チェリー・ピッキング)なる色の誘惑に身も心も蕩(とろ)けて、戦前の「大日本帝国」こと「ピンク・フェイクデータ帝国」(”伝統”構造災)の罠に嵌ったアベノミクス!それは、「倒錯!“追憶のカルト”経済政策」ということ。・・・

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<注>“三つ目のワニ口(AIロボ型Great Decoupling、バックストップ”について

・・・「三つ目のワニ口」は、[1-(2)]で触れた<準汎用AIロボ型の技術イノベーション経済に因る巨大格差の発生>、いわば「AIロボ型Great Decouplingを意味する

・・・バックストップは、Brexit交渉でEUが提案した「北アイルランドの歴史を過去へ戻さぬようにする」という原則(バックストップは北アイルランドにだけ適用される)。具体的には、仮にこれでBrexitとなれば「関税や規制上の国境は、アイルランド島グレートブリテン島を分けるアイルランド海に引かれる」ことになる。https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-46562679

  (安倍晋三・首相のもう一つの正体は“妄想型ウソ吐き&隠蔽工作の常習者”であること!)

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https://twitter.com/shinkaikaba/status/1102057588131151872

一見では現実主義者、つまりリアリスト集団か?に見えるかも知れぬ安倍政権(安倍晋三の御仲間一派)だが、その正体は「日本会議との一体感を強く共有する“アナクロ妄想(追憶のカルト)”患者」ら、よりハッキリ言えば「アサッテの人」らの野合的な集まり、つまり、あのオウム真理教にすら匹敵すると見なしても過言ではない重症の<妄想世界を空高く飛び続けつつ「アサッテの広場」徘徊or跋扈する異常な集団>である(関連参照/プロローグ‐0:日本の目前に迫る危機の真相)。

つまり、彼らの殆どは「人間の壁」(デュナミス経済化)の内側にある異次元“空想(妄想)世界”(この場合、それは準汎用AIロボがもたらす「デュナミス潜在生産性」(リアルな人間社会の日常から切断された、只の可能性としての高度生産性/AIロボ型Great Decoupling)の話ではなく、そもそも大昔からヒトに付き物である妄想or幻影・異次元ワールドの意味での『人間の壁』のことだ。

そこで、<オレは神様ダ~!オレが国家ダ~!オレは森羅万象ダ~!>なる意味不明な言葉を折につけ吐きながら万能感・&法悦感に包まれて永遠に幸せ~!と遊び呆けるという意味で、安倍晋三のお仲間らの多くは厳しいリアル世界との対峙を軽蔑しており、啓蒙思想で育まれた国民主権などはトコトン毛嫌いし、その存在を全否定する狂人・準狂人?のような、別に言えば「異次元抽象世界に生息するゾンビ・アバター」の如き、実に卦体(けたい)な存在である。

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https://twitter.com/shinkaikaba/status/1098423847403962368

 

   (元祖チェリー・ピンク病!/克服すべき日本型(JPN)“構造災”のリスク) 

  ・・・今や、そのチェリー・ピンク(ピッキング)病こと戦前型『構造災』に飲み込まれ、それにガッチリと取り憑かれ、そこで組み敷かれるままに甘んじている?日本国民!・・・

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・・・明治維新にその基礎が確立し、太平洋戦争で暴走したフェイク偽装『JPN伝統構造災』で、更に“只管、お仲間だけの繁栄を謀る”ため総国民の洗脳を謀るアナクロ安倍政権!・・・

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・・・関連参照↓・・・

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【“晩秋”の南都に漂う身体化された心(唯識的エナクティヴィズム)の風景】幼生期(古墳~奈良時代)列島の住人は現代と異なり「自分と違う存在を見ようとせぬ人々」ではなかった!https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2018/12/17/044810

 

  (殆どの国民が無関心であるのを好機と見て、日本会議と安倍政権が必至で復権を謀る日本型『構造災』の伝統とは何か?)

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http://daihonnei.wpblog.jp/rinkichou-incident

・・・それは、『臨機調事件』を端緒として“戦前~戦後(高度成長期)~現代(3.11フクシマ第一原発過酷事故~“核燃サイクル&原発輸出”の総崩れでデッドロック化した原発政策(現況))”へと、連綿と引き継がれてきた『日本型テクノストラクチュアの欠陥』のことである。

 <注>テクノストラクチュア(technostructure)は、J.K.ガルブレイスが『新しい産業国家』 The New Industrial State (1967) で用いた言葉で、国家経営または大企業経営の実際上の意志決定に参加する実力者の一群(政・官・財・学)を指す。

 f:id:toxandoria:20190225063110j:plainそして、一般に日本型の「構造災」といえば、それは<太平洋戦争の開戦間際に起こった『臨機調事件』を端緒として“戦前~戦後(高度成長期)~現代(国策原発→3.11フクシマ第一原発過酷事故)”へと引き継がれた『日本型テクノストラクチュアの欠陥』>を指すが、この問題は、松本三和夫氏(東大教授/科学技術社会学)が著書『構造災、科学技術社会に潜む危機(2012)』(岩波書店)で初めて取り上げている。以下は、同書の要点を参照しつつ私見を加え、重要と思しき点を纏めたものである。

・・・

 「3.11フクシマ第一原発過酷事故」の引き金は千年に一度とされる大地震であるが、日本伝統の構造災という観点から見れば、原子炉の本源的脆弱性が根底に潜むと言う意味で、この悲惨な過酷事故には、矢張り、それは起こるべくして起こったと見なすべき前史がある。

 それが、「臨機調事件」(臨時機関調査会事件)と呼ばれる、1938年8月に竣工予定の最新鋭駆逐艦の主要タービン翼折損事故であり、具体的には「艦政本部式タービン翼折損事故」と呼ばれている。この前代未聞の大事故は、太平洋戦争開戦が間近な1937年12月29日に起こった。

 軍国主義時代の軍事技術は最大限の人材、情報、資材、予算が投入されるが何よりも当時の戦いで、特に開戦直後の戦況の方向性を決める最新鋭駆逐艦の建造であっただけに、その特徴は「最重要国策である故に予算が戦時国債を裏付けとする青天井」であった点にある。そしてコレも今の安倍政権の強権的な方針にソックリ引き継がれている!

 1938年4月1日・制定『国家総動員法・第二条/(昭和13年法律第55号)』で、動員対象のトップに位置付けられたのは軍艦で、その中でも最新鋭かつ高性能の機動力を求められるのが駆逐艦であった。そして、ともかくも国際的緊張が高まる中での開戦に備える切り札でもあり、かつ日本の独創的開発であると自負してきただけに、艦政本部式タービン事故は開戦直前の日本にとって非常に深刻なものとなった。

 それは、この時に日本海軍で標準化されたタービン技術の事故は、他のどの艦船でも起こり得ることになるからであり、事実、同年12月29日から4日間の内に、同型艦の5隻で同様の事故が連鎖的に発生した。しかし、おざなりとも言える責任者の懲罰だけで決着がつけられ、現在に至るまで、当事件の顛末についての詳しい調査は殆ど行われてこなかった。

 つまり、この「開戦直前の時であったことを理由に隠蔽された大事故」が紛れもなく日本型の伝統「構造災」の典型であることは、以下の三つの事実●が明快に裏付けている。しかも、これらの点が余りにもフクシマ(3.11フクシマ第一原発過酷事故)の問題点、あるいは渦中のフェイク・アベノミクスGDPら統計データの嵩上げ操作など)、あるいは“核燃サイクル&原発輸出”の総崩れでデッドロック化した原発政策の現況とソックリである!

●秘密主義・・・注目に値するのは、海軍史上で最悪とされる別の「第四艦艇事件」(関連参照⇒ http://urx.nu/3KrY )が帝国議会・議事録に遺されているのに、当事件だけは帝国議会へ報告された形跡が一切ない(松本三和夫氏が調べた限り、議事録に遺されていない/削除か?)。

●想定に基づく対症療法の増殖(これが技術対応上の最大の欠陥)

●間違った先例の踏襲による、事故原因の隠蔽と先送り・・・政権関係者の内側で、真の原因とされる事実が一応確認されたのは、対米開戦から1年半近くが経過した1943年4月であった。

 この「臨機調事件」に関わる深刻な問題はそれだけにとどまらない。終戦後の日本では、敗戦への反省から「平和文化の重視」と「科学技術振興による新国家づくり(高度成長へつながる目標づくり)」が目指されることになった。この目標そのものに間違いはない。

 問題は、<その“余りにも邪悪”な目標づくりに資する重要な経験>として<戦前ないしは戦中に形成された実に信用ならぬ、欠陥テクノストラクチュア(つまり、ネポティズムによるお仲間集団)が主導する日本型“構造災”のプロセス>が形を変えて、戦後から現代へ繋がる過程へソックリ引き継がれてきた、という点にある。

 恐るべきことに、この悪しき伝統『構造災』のプロセスが、今や再び、ポスト・3.11フクシマのアベ自民党政権によって、バカばかしくも“実に見事!”に、今では何ら悪びれることもなく、堂々と、自信たっぷりに実行されつつあることだ。しかも、主要メディアは殆ど真っ向からの批判の言葉を失ったかに見えており、危機感の自覚がない?多数派の国民層は、今や安倍政権の為すがままに身を任せているかにさえ見える。

 

 (JPN伝統『構造再災』の核心、そして教訓とすべきこと)

 ところで、この“構造災”史の概観で先ず分かったのは、技術段階での構造災の三要素、「秘密主義、想定に基づく対症療法の増殖、間違った先例の踏襲に因る事故原因の隠蔽が戦前・戦中期において既に存在したことである。しかも、更にそれを<より重篤なシステム構造災>へ濃縮する政・官・学・財(民)の戦前・戦中期の“官民”馴れ合い(より正確には“恫喝⇔忖度”方式までもが、そっくり<戦後日本の政治・経済発展プロセス>へ引き継がれてきたというのが事実である。

 そして、その根本原因として考えられるのは、「上位下達の国策を掲げる科学技術総動員の目的で設立された技術院(1942.1.31-1945.9.4/1942(昭和17)年1月31日に勅令41号をもって設置された科学技術行政機関)の内側に「構造災の三要素」潜んでいたということである。否、<敢えて、それは仕込まれていた>と言うべきであるだろう

 そのため、国策<隠蔽>の至上命令に資するための悪知恵として「修正・交渉・調整の過程で、本来の目的とするところが利害関係者の総意で当初の理念から程よくかけ離れた地平で骨抜きにされるような精妙な偽装政策の仕掛けが施され、結局は、万般について都合よく仕込むために有効な政官学財民に跨る運用経験」が、戦後の「高度成長期」~現在の安倍晋三・政権に至る日本の行政プロセスで熟成されてきた!ということである。

そして、特に問題視すべきは<安倍政権が、作為でこの由々しき構造災の伝統を露骨かつ過剰に悪用している>ことであり、今や政治の論理の則を遥かに超えているので、それは盗人ないしは凶悪犯罪者の異常論理と見るべきであろう。

 ともかくも、我われが目撃しつつあるのは、輝かしき『日本テクノストラクチュア』の伝統と呼ぶには余りにもお寒い限りの代物であり、「勝者たる最高権力者が右すれば右へ、左すれば左へと、いとも容易くなびく、科学技術ならぬ“忖度”方式の日本伝統の悪魔的な錬金術」とでも呼ぶべき、おぞましく魔術化した「科学技術のあり方に関わる異様な伝統」の光景である

 そこには科学的な真理や人道上の倫理などを尊重する精神は微塵も存在しない3.11後にフクシマから遥かに遠いドイツ(原発推進派であったメルケル首相の大転換!)が脱原発に踏み切り、過酷な原発事故の当事国である肝心の日本が脱原発どころか日本製“欠陥「原発」”の積極「輸出」へ安倍首相のトップセールス掛りで取り組み、それらが悉く失敗したのは直近のことである。しかも、核燃サイクルも全く見通しが立たず、未来へ向けた研究に取り組むとの上滑りの言葉だけでお茶を濁しつつ、現実的には日本の原子力政策(アベノミクスの推進力と位置付けていた!)は完全に総崩れでデッドロック状態である島型原爆6000発分のプルトニウム(約47トン)だけが溜め込まれている!/関連参照↓★)。これを、JPN伝統『構造再災』の極み!と呼ばずして何と言えばよいのか!?

 ★原子力産業に人材が集まらない…このままでは廃炉も困難に20190209日刊工業新聞https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190209-00010002-newswitch-bus_all

 

 宇沢弘文「社会的共通資本」から学ぶ、自由原理主義(金融市場原理主義/サプライサイド論)の根本的誤謬の在り処

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 (社会的共通資本の前提と見るべき『スウェーデン学派、クヌート・ヴィクセルの北欧型人口論(最適人口論)』が意味すること)

(イ)「有効エネルギー(エクセルギー)、無効エネルギー、ミクロな日常生活」に見える<人間本位の経済学>の可能性

 先ず、一般に有効エネルギー(一定系内における、ある特定の目的に利用できるエネルギーの成分)と定義できるエクセルギー(exergy/ギリシア語のex(外へ)とergon(エルゴン/仕事)から作られた)の意味を少し具体的に理解することを試みる。例えば、室内での発光が目的の蛍光灯では、そこへ投入される電気エネルギーの100%が光とはならず、一定割合が光エネルギーとなるが残余の部分は熱として放出されるので、その熱エネルギーとして捨てられる電気の成分はアネルギー(anergy/無効エネルギー)となり、これが廃棄されるとエントロピー(entropy)が増大する。

 このエクセルギーを比喩的に捉え様々な人間社会の事象に当て嵌めると興味深いことが見えてくる。それは,電気等の物理量と同じに個々の社会的エクセルギーや同アネルギーを計算するのは殆ど不可能だが、我われが一般的には、日常的に「自分本位」という<マイ欲望の行動原理/マイ・エクセルギー>で動きつつ非常に複雑で多様な判断を刻々と行っていることを率直に認めると、市場経済のミクロな現場でそのことが特に重要な意味を持つことになる

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このことを前提にしてと思われるが、著書『人口と日本経済』の吉川 洋氏は「GDPの定義(イノベーション
の結果である、新たに生まれたモノやサービスの価値を足し合わせたもの)から、その価値は人間の主観的な評価(つまりマイ・エクセルギー/←補足、toxandoria)の足し合わせ」だと述べている。

つまり、端的に言えば人間本位(つまり、限りなく湧出する欲望の意思)が経済社会の正体(それが初動エルゴン(活力源)となり創造される生産性)であるが故に「GDPは人間の主観(漠然とした、大まかな、従って強欲へも急傾斜し得る意思+技術生産性!/←補、toxandoria)の計数化」だということになる。但し。これは「新たに増える供給」と「新たに増える需要」(“消費・雇用”)の両サイドから見た「GDPの姿」であるが、一般的には技術イノベーションを握る前者(供給/スキル偏向技術を占有する側)が絶えず先行することに留意しなければならない。

しかし、マーシャル以来の伝統により価格を縦軸に取る需要曲線と数量を横軸に取る供給曲線を用いた分析は、それ(供給と需要の二つのマイ・エクセルギー)が需給均衡点Eで必ず均衡すると“楽観的”に仮設している(関連参照/第6章‐1:近づく本格的な「第4次産業革命」の時代に潜む超リスク、および/本章‐(次節/宇沢弘文による“新自由主義ネオリベラリズム/先鋭的マネタリズム)の誤謬”の摘出))。

一方、前にも述べた通り産業革命後の現実社会では技術イノベーションを握る前者(供給側)が絶えずマイ・エクセルギー的にも自らの意思(欲望)を先行させることが必然であるため、スキル偏向技術イノベーションに加えて「何らかの搾取の仕組み(いわば人為的な格差拡大の仕掛け)を更に仕込まなければならなかったと考えられる。従って、これこそが、つまり供給側の「マイ・エクセルギーとスキル偏向技術イノベーションが足し合わさった形での“見かけ上の技術イノベーション”」がヒトの労働力をモノ見なす物象化フェティシズムで1970年代以降のグローバル世界経済を席巻することになる新自由主義の核心(正体)ではなかったのか?

これを真逆に言えば、 仮に「供給」が広義のイノベーション(準汎用AIロボ技術、IOT、BD・Webサービス等)で純粋に活性化しても、それが十分に有効利用(需要化(消費)/ヒトのために役立つエクセルギー化)されなければ、「供給⇔需要のアンバランス」が様々な社会的・自然的な問題(抽象的な言い方になるが、例えば格差拡大の大きな弊害などで、結果的に経済社会全体のエントロピー増大が助長されるような予期せぬ事態の発生(例えば、産業公害や重大事故、あるいは重篤労働災害・人権侵害の発生など)/一種の合成の誤謬!)が懸念される。つまり、ここにこそ現代世界を席巻する新古典派経済学新自由主義サプライサイド経済学マネタリズム)の限界が歴然化していることになるようだ

 ところで、ここで「需要」面の分かり易い実例を一つだけ挙げておく。例えば殆ど同じ材料の料理でも、調理法・調味料らの工夫しだいで完成した料理に関する顧客の評価は異なるだろうし、また同じ料理でも、その時々の客の好みの傾向しだいで評価が様々に異なってくることがある。

 いずれにせよ、お客の好み(主観)がそのレストラン経営を、ひいてはGDPの諸データの多くの部分を提供していることになる。つまり、AIロボ技術がいくら超人的なイノベーション力を発揮して高度な付加価値(スキル志向技術イノベーション)を大量に創造し続けるとしても、自然・社会の両環境のなかでリアルに生きる“幸せ”なヒトが存在しなければ、供給面の重視だけで市場経済を介し「ヒトが生きるために有効な経済成長」を持続させることはできないということである。

このようにミクロな日常生活という切り口から容易に連想されるのが、<A・シュッツ「日常性の社会学」、またはK・ラワース「自然界の繁栄を支えるネットワーク」とリアル<GDPデータ>の深い繋がり>ということだ。又、先に少し触れたとおりだが、この観点は準汎用AIロボ時代の潜在的な高度生産性(抽象的デュナミス)を如何にリアルな人間の需要(具体的エネルゲイア)と繋ぐことが可能か?の問題とも絡むことになる

(ロ)<人間本位の経済学>のカギとなる人口論/機械(準汎用AIロボ)経済の時代にこそ再考すべき、「ヴィクセル/最適人口論」の問題

ところで、さしあたり重要なのはこの余りにも当然すぎるような「人間本位」の考え方(多くの人々が日常的に「自分本位」という<マイ欲望の行動原理で動きつつ非常に複雑で多様な判断を刻々と行っていることを率直に認めること;但し、それが供給面でも技術イノベーションに劣らぬ程の大きな動因となっていることが19世紀末頃から明確に認識されるようになった)が、「スウェーデン学派人口論」(人間本位の最適福祉水準を視野に入れた最適人口規模論/ミクロで多様な経済循環の動学的な分析を重視/内発可能性の重視)と「米国“新自由主義”の人口論」(移民立国のための新自由主義リバタリアニズム競争原理主義)的な規模拡大の人口論/外発可能性の重視)との大きな違いをもたらしたと考えられることだ。

 しかし、誤解のないように補足しておけば、「20世紀初頭の米国における“そもそもの新自由主義=いわゆる制度経済学派”の台頭は公正資本主義(Reasonable Capitalism/非マルクス主義的な経済発展段階説)を目指すものであった。だから、ここで言う“新自由主義”とは、ミルトン・フリードマンに始まり(厳密にはハイエクらの前史がある)、現代グローバル世界を席巻する新自由主義とは異なるものである。

 つまり、19世紀末~20世紀初頭(第一次世界大戦へ参戦する頃まで)のアメリカでは、「政治の革新」と「経済への政府干渉」の必要を説く運動が興り、この時代は「革新主義(Progressive)の時代」と呼ばれる。そして、この時代の経済思想の特徴は、その「新自由主義/ニュー・リベラリズム」という言葉で代表されている。

 また、この時代のニュー・リベラリズムは、米国のもう一つの“良識派の深層潮流”と見るべき文化資本主義(フランクリン・ルーズベルトニューディール政策が典型)あるいはネオ・プラグマティズム(限定合理主義の哲学/関連↓★)との共鳴をも感じさせる。

 ★1 ネオ・プラグマティズムは米国型リベラル共和の培地/W.V.O.クワイン『ネオ・プラグマティズム』の斬新な視点、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20180503  

f:id:toxandoria:20190215141133j:plainそして、吉川 洋氏によれば20世紀までのスウェーデン学派で議論をリードしたのがクヌート・ヴィクセル(J. G. Knut Wicksell/1851- 1926)である。理論経済学者として名高いヴィクセルだが、そもそもは人口問題への関心から経済学者になり、名著『経済学講義/1901』で“人口の理論、人口構成および人口変動”を論じている。そして、ヴィクセルの最大の特色は国家(G.シモンドン『個体化の哲学』風に言えば、いわば“生命個体”に比肩し得る各国家)にとっての「最適人口論」を論じたことであり、それは現在でも欧州諸国へ大きな影響(例えば、欧州連合EU)内における“権限⇔権限”問題などの形で)を与えている(ヴィクセルの画像はhttp://www.eumed.net/cursecon/dic/dent/w/wic.htm より)。

 また、ヴィクセルは「子育て支援」の源流でもあるので、将来年率0.6%(現時点で、年当・約70万人強)という<急速な人口減の“マイナス加速度”>に襲われている日本が、最も参考とすべきが、このヴィクセルの「最適人口論」と、その考え方に近いA・シュッツ「日常性の社会学」、そしてK・ラワース「自然界の繁栄を支えるネットワーク(生物圏モデルの経済学)」(https://huyukiitoichi.hatenadiary.jp/entry/2018/03/30/080000)であることは言うまでもないだろう。

いわば“生命個体”としての国家の重要性を気づかせてくれる「機械(準汎用AIロボ)経済(純粋スキル志向技術イノベーション)の時代」が、愈々「第4次産業革命」によってリアル化しつつあるからこそ、喫緊に再考すべきが「ヴィクセル/最適人口論」の問題である。それは、本格的な「機械(準汎用AIロボ)経済(純粋スキル志向技術イノベーション)の時代」に入ると、人口の大小というよりも、如何にすれば、その準汎用AIロボが創造する「潜在的付加価値(デュナミス高度生産性)」を人間化(ヒトをどうすれば本当に“幸せ”に)できるか?が問題となるからだ

  

宇沢弘文による“新自由主義ネオリベラリズム/先鋭的マネタリズム)の誤謬”の摘出)

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 宇沢弘文(1928-2014/マクロ・ミクロ経済学環境経済学などの分野で先駆的な業績を残した理論・数理経済学者)によると、今もグローバル世界を席巻している新古典派経済学(特に最も先頭に立つマネタリズム理論、およびそれを口実とする新自由主義ネオリベラリズム))には重大な欠陥がある出典:宇沢弘文、花崎正晴編『金融システムの経済学』―東京大学出版会―/宇沢弘文の画像は『20041120朝日/アーカイブ:行動するリベラルを貫いて』https://www.asahi.com/articles/ASG9V56VTG9VUEHF00N.html より

 つまり、1870年代における反ケインズ主義の風潮の台頭に際し「合理的期待形成仮説」が基本的に最重要と理解されることに因り最も厳密な理論的整合性を備えると見なされた「ルーカス論文(理論)」が重要な役割を果たすこになったが、そのあとグラモン(Jean-Michel Grandmont/1939-/仏の経済学者)ら多数の研究者の検証作業の努力で、<そのルーカス理論>には、形式論的整合性の観点から(ここでは、とりあえず倫理的な批判は置くとして)大きな誤謬(論理的欠陥)を含むことが判明しのである。

 因みに、「合理的期待形成仮説」(Rational Expectations Hypothesis)とは<人々は現時点で入手できるすべての情報を駆使し、最も合理的・効率的に将来を予測できるという仮説>で、R.ルーカス(1995年ノーベル経済学賞受賞)、T.サージェント、R.バローら多くの経済学者によって提唱されたものだ。それによればケインズ的な金融政策は意味がなく、経済活動を調整するための政府に因る総需要管理も有効ではないとされる(いわゆる“小さな政府”の論拠)。

・・・

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そして、この<経済理論上の大誤謬>こそが現在にも繋がる「グローバル市場原理主義の暴走⇒“水道民営化”等の民営化万能論というネオリベドーパミン(+偽装極右シーズニング(調味料))の拡散・散布・跋扈・席巻、et挙句の果ての財政破綻リスクと格差拡大に因る中間層以下の困窮化」、果てはその“行動変容病態のジャンル”である“今だけオレ様だけ幸せ~!病”、こと超ポピュリズムをベースとする「マイファースト変態権力(Ex.米トランプ、JPNアベら)」の《“非常(異常?)事態(“忖度”強要)宣言”》式の<大暴走>をめぐる世界的な混迷の元凶である。

 

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https://twitter.com/shinkaikaba/status/1097217025158479874

因みに、「・・・ネオリベドーパミン(+偽装極右シーズニング(調味料))の拡散・・・席巻、挙句の果ての財政破綻リスクと中間層以下の困窮化」と比喩的に表現したのは、今の日本が巨額の借金(国債発行1100兆円/事実上、その連帯保証人)を抱え、もはや止めようもなく少子高齢化が進む中で、そもそも稼ぎ頭であった貿易力(自動車・携帯関係など)が凋落しつつあるという末期的な状況であるにも拘わらず、安倍政権が戦前・戦中期の“軍事・公安警察”による強権統治方式、いわば“大本営”発表型の国家主義統治モデルに倣って、益々、独善的な<錯誤>アナクロ政策に拘り続け、恐るべきことにNHKら主要メディアの“弾圧”をすら臭わせ始めていることを意味する

そして、その「偽装極右」政策の典型が「輸出政策の総崩れと核燃サイクルのデッドロックをものともせず、今や“破滅状態”の「原発」政策をベースロード電源と位置づけてムリクリ推進する一方で、もはや手遅れ!ともいえる、地域分散型の自然エネルギー利用(市場経済的な理由からも、事実上、これが世界エネルギー利用の大潮流となっている!)については消極的な態度を採っている」ことである。

 ともかくも、ある意味では「中国Vs米国対決の構図を益々煽る一方のマイファースト・トランプ旋風、欧州における“一国主義”極右政党の台頭とデッドロックBrexit、仏ジレジョーヌ大格差問題の拡大、神憑りJPNアベノミクスの狂走(アナクロ・フェイク統計式“大日本帝国新自由主義”がミックスしたハチャメチャ!苦w)など目前の“見境”を喪失した権力亡者or超ポピュリズム扇動による大混迷の第一義的な火種」は<そもそもルーカス理論の誤謬を抱え込んできた新古典派経済学ネオリベラリズム>であったと見なすべきかもしれない(関連情報↓★)。

トランプ大統領、世銀総裁候補に米財務次官を推薦=対中強硬派/20190207時事、https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190207-00000004-jij-n_ame

・・・

但し、ここで留意すべきは、「aグローバル市場原理主義の暴走」への“批判”を急ぐあまり「bグローバリズムそのもの」を全否定する反グローバリズム運動が展開されているが、そこにaとbの混同がみられることだ。それは、「生命モデルの経済」(例えば既述のK・ラワース『自然界の繁栄を支えるネットワーク』)を連想すれば理解できるはずだが、bそのものは中立的な“地球環境のトポス”であり、問題はそのグローバル・トポス環境のなかに棲ま(その環境のなかで生き)ざるを得ない個々の生命体、地域社会、国家などの“振る舞いのあり方=G.シモンドン『個体化の哲学』の意味での生命個体の生き方”の問題だということになる。

 ともかくも、このような経緯から、 宇沢弘文・花崎正晴編『金融システムの経済学』によれば、特に2008年のリーマンショックごろから、「合理的期待形成仮説」と「反ケインズ主義の空気」に対する反省の機運がアカデミズムや良識的な各国政府やグローバル金融界関係者らの中で生まれてきたが、残念ながら“時は既に遅し!”の状態となっていた。それは、疾うに「過激なマネタリズムを伴う新自由主義」のフィーバー(熱病)が、それこそ遍くグローバル世界へと、まるでパンデミックの如く拡散してしまっていたからである

そして、ここで忘れてならないのは冒頭で書いたスウェーデン学派、クヌート・ヴィクセルの北欧型人口論(最適人口論)』が意味する(人口問題に関わる生命論的な理解とも考えられる!)ことである。 社会的共通資本とヴィクセルの北欧型人口論(最適人口論)を直接的に結び付けて論じてはいないが、宇沢弘文は「社会的共通資本」が19世紀の終り頃にソースティン・ヴェブレン(19世紀・20世紀初頭期の米国の経済学者マルクスと異なる視点で現代産業社会を分析した、制度経済学派の創始者)が唱えた制度主義の考え方を具体的なかたちで表現したものだと書いている。

つまり、[社会的共通資本(宇沢弘文)、北欧型「社会福祉国家」の基盤となったヴィクセルの北欧型人口論(最適人口論)、制度経済学(米国の公正資本主義の伝統/参照、↓<補足>)]は、その土壌(一種の生命論的な経済学思想?)が共通していることになる

<補足>制度経済学派または制度派経済学(Institutional School)

・・・アダム・スミスデヴィッド・リカードマルサスジョン・スチュアート・ミルなど英国の経済学者に代表される労働価値説を基礎とする古典派経済学を批判し、社会的な行動様式や集団的活動形態などの切り口から市場経済のあり方などを理解する経済学研究の一手法。ドイツ歴史学派の影響を受けつつ、ダ―ウイニズム(進化論)とプラグマティズムPragmatism/具体的な事象に即した有効性・有益性を重視する学派でアメリカを代表する哲学)の知見も取り込んでいる。

・・・19~20世紀初頭のアメリカ経済思想の黎明期は、レオン・ワルラス(Marie E.L. Walras/1834- 1910/スイス、新古典経済学の祖)が活躍した時代にほぼ重なる。一方、その時代のアメリカは「プラグマティズム」と絡みつつ「制度経済学派」が台頭した時でもあり、その中心的存在がソースティン・ヴェブレン、ジョン・ロジャーズコモンズらであった。

・・・「制度経済学派」の創始者と呼ばれるソースティン・ヴェブレン(Thorstein Veblen/1857- 1929)の特徴は、「私的所有」よりも「社会資本」の充実を重視する立場であり、一部の階層が“金ぴか生活”をするための“単なる金儲けの手段”としての営利企業は“一国の産業体制そのものを管理し消費者に消費財を公正に分配する任務”(国民に一定の生活水準を保証する“社会的十分性”を担う役割)には適していないと考えた。

・・・一方、ジョン・ロジャーズ・コモンズ(John Rogers Commons/1862- 1945)も「制度経済学派」の代表者の一人とされるが、彼の社会改良主義的な経済思想の特徴は“アメリカ伝統の自由主義フレームを重視しつつ、強力な労働組合運動・独占的巨大企業・公益企業などに関する諸改革の実行について、その時代の州と連邦レベルの立法・行政(Law Makers)へ大きな影響を与えた”という点にある。そして、ロジャーズの到達点は「集団民主主義」(集団内での“個別的衡平性”の実現)で社会改良を促進する「公正資本主義」 (Reasonable Capitalism)ということ(=非マルクス主義的な経済発展段階説)であった

・・・いわば、これら19~20世紀初頭のアメリカ経済思想の黎明期に一世を風靡した“現代アメリカ経済思想の源流”とも見なすべき「制度経済学派」に属する経済学者に共通するのは、「社会に公正をもたらす資本主義」を実現しつつ、アメリカ建国いらいの伝統である“個人の自由原理に基づく個人の行動領域を最大限に解放し、それをより一層拡大する”ということであった。

 

(『宇沢弘文による“新自由主義の誤謬”の摘出』を補強的に裏付ける『日本製造業における“搾取のワニ口(売上高>限界利益)”急拡大トレンド』の観測

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出典:財務省法人企業統計季報編集   財務省財務総合政策研究所

・・・<注>(第1章のグラフ/『名目GDPと雇用者所得の関係』)と同じく当資料は2010年以前のデータに基づき財務省が作成した古いものであるが、安倍政権下における渦中のフェイク?統計データと異なり、まさか恣意的にチェリーピンク操作を行っているとは考えられないので(苦w)、そのままこれらを「マクロな傾向」を観察する有意な資料として使用した。また、(第1章のグラフ)についても同じことだが、それぞれの最終年号から現在までに至る各「ワニ口が開く」という大きな傾向(トレンド)は、ほぼ変わらぬものと想定して、当記事は書いている。

(上のグラフについて)結論から先に述べると、それは大企業(製造業)についてスポットを当てて見た場合でも、全般的な雇用者所得(一人当たり)の分析で理解されたのと同じく(参照/第1章)、<2002年から日本の大企業(製造業)における「搾取のワニ口」、いわば[売上高↑(上昇傾向)>限界利益↓(下降傾向)、という恰もワニが大きな口をゆっくり開きつつあるような形のトレンド線の開き]が急拡大しているということだ。つまり、それは「現代日本の製造業では売上高が右肩上がりで順調に伸びてきたが、それと真逆に雇用者所得(人件費)は右下がりで低下してきた」という「ワニ口」拡大のジレンマに嵌っていることを意味する。」ことである

これは、先に[第1章-1(グラフ2)]で見た<米国における、GD(Great Decoupling/スキル偏向技術進歩-技術イノベーション)に因る“雇用一人当たり生産性向上(GDP総額増加)と一家計当り所得減少”の大<乖離>問題(特に中間層の没落に繋がる主な原因)」を示すグラフ>のトレンドとほぼ共鳴している。

別に見れば、「限界利益=固定費(人件費等)+営業利益」の定義から、トータルの限界利益が減少すれば当然の帰結として「人件費(雇用者所得)⇔営業(企業)利益」の分配の(言い換えれば両者の厳しい奪い合いが日常化したという)問題となる。然るに、労働組合への関心低下の傾向(関連参照/↓◆)、非正規雇用数の拡大(正社員数シェアは低下傾向!)、自立・競争力強化を口実とする「福祉政策の劣化」等を背景として、雇用者側と経営側の力関係が後者(経営者側)へ有利に傾くことは必然だ。そのため、2002年以降は「営業(企業)利益>雇用者所得」という<雇用者側にとって不利益な「ワニ口の拡大」>が続いてきたということになる。

◆わが国では、そもそも企業別組合が多かったところへ特に製造業の退潮傾向とほぼ同時進行した産業構造の変化(サービス産業化)と、ネオリベラリズム新自由主義)的な経済思想が政官財学を席巻してきたことから労働者の非定期雇用化が促進し、それも労働組合組織率の低下の主な原因となってきた。

・・・(資料)日本における労働組合組織率低下の規定要因https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/20259/1/keizaikenkyu04501053.pdf

 このグラフは製造業に限った分析であるが、いずれにせよ、この傾向が顕著となってきた背景には、上で見た新自由主義ネオリベラリズム/先鋭的マネタリズム)の誤謬”を前提とする主流アカデミズム(今も安倍政権下で内閣日本経済再生本部産業競争力会議(民間)議員、内閣府国家戦略特別区域諮問会議有識者)議員などを務める竹中平蔵氏はその典型!の影響下に甘んじてきた日本政府・財界らトップの政策的な意味での大きな意思があったと見て間違いはないと思われる。

しかも、同じ傾向は、サービス業など日本の凡ゆる産業領域に拡がっており、それは[第1章:グローバル新自由主義の現代に特徴的な『二つの“ワニ口”』“名目GDPと雇用者所得の関係”]でも見たとおりである。つまり、この売上高とGDPが幾ら伸びても雇用者所得への配分が持続的に低下する傾向、ないしは停滞する傾向こそ“際限なく格差が拡大”する第一義的な原因となっている。しかも、恐るべきことに準汎用AIロボやIOT関連技術等の出現によって、その傾向は更に加速度を増して急拡大する懸念が高まっている。

(補足)当グラフについての説明(詳細)

製造業における限界利益=売上高-変動費(中間投入物)=固定費(人件費等)+営業利益≒一般的(仕入業態)企業の粗利益

・・・

日本における「大企業・製造業の売上高と限界利益」の変遷を見ておくと、図3(出典、財務省/上の曲線が売上高、下が限界利益)のとおりである。売上高は名目GDP(その年の物価にその年の生産量を乗じた付加価値)と連動する。なお、実質GDPは基準年の物価にその年の生産量を乗じた付加価値であるので純粋に生産量の増減を把握できる(経済成長率は実質GDP比であり、名目GDP÷実質GDPGDPデフレーター(限界利益との相関が強い)。

 そこで、注目すべきは売上高のトレンド線(・・・)の動向だ。それは2002年度まで限界利益とほぼ平行に並び右下がりだったが、2004年あたりから右上がりに変化して限界利益のトレンド線から乖離し(右向きのワニ口になって)現在に至っている。ということは、いわゆる常識的な意味での需給ギャップによるデフレが続いたのは2002年までで、およそ2003年以降はそれまでと全く異なる要因によって起こるデフレが続いてきたことになる。これこそが、<グローバル市場原理主義への過剰傾斜による異常経済の姿(売上高増に見合う限界利益全体の伸びが期待できないネオリベラリズム(新自由主義)型搾取経済(搾取のワニ口)の出現という恐るべき現実)>である。

 その「搾取のワニ口」に食いつかれた悲惨な現実(グローバル金融市場主義時代における量的金融緩和政策の機能不全、ホットマネー暴走による中小企業主体の内需経済の空転化、輸出型大企業とメガバンクの一人勝ち ⇒ 必然的に、これらが貧困層と格差の拡大をもたらすという問題もさることながら、特に<今の日本で起こっているデフレ現象の具体像は、企業の売上高は増えても限界利益が減り続けるという意味>で異常なのであり(喩えれば、100円ショップが値引き競争に巻き込まれたような状況!)、更にそれに<縮小し続けるパイ(限界利益全体の縮小傾向)の帳尻合わせが、雇用側の賃金縮小(人件費カット)へ一方的に背負わされている>という異常さが加わっている訳だ。

 しかも、現在の安倍政権下で起こっているのは、この“輸出型大企業とメガバンクの一人勝ち”すらが、国民のなけなしの年金原資の犠牲まで伴う異次元金融緩和の超リスクを冒したにも拘わらず《原発推進&輸出一本槍という決定的なアナクロ産業政策の錯誤(原発輸出全滅&核燃サイクル・デッドロック)》に因って凋落傾向に嵌っていることだ!

 従って、この点(新自由主義経済の欠陥=ネオリベ型搾取経済の現実)を理解せぬままでの従来型巨大インフラ投資等の対策(土建型、あるいは巨大プラント輸出型へ過剰傾斜すること)は無効であるばかりか格差拡大を更に助長するばかりになりかねぬという意味で有害ですらある。ここにこそ、全世界の新自由主義経済化トレンドの影響下にあるとは雖も、日本としては、そのあまりにも特殊な経済・金融・財政運営上の欠陥構造を直視すべき理由があるのだ。

  つまり、その理由とは、既述の<社会の超格差・二層隔絶化(中間層没落と拡大する貧困層のエンクロージャー化)をもたらし多数派下層民が縮小するパイを奪い合うという意味で呑気な花見酒経済構造>の見過ごしがあるということに加えて、<輸出型大企業と労働貴族化した連合・電機労連等の大労組に対する、売上高増に見合わぬ形で縮小する限界利益の中から更なる傾斜配分を与え続けること、言い換えれば一方的な対富裕層過剰優遇に繋がる所得税法人税等の欠陥徴収構造の放置>ということである。なお、雇用所得へ限りなく劣化圧力がかかる背景にはグローバリズム市場原理主義による「要素価格均等化の定理」(貿易相手国の低賃金が自国の賃金を劣化させること)も作用しているが、ここでは詳細を省く。

 そして、当グラフの「日本における1998~2002年のトレンド」には未だハッキリ現れていないものの、この傾向を[第1章:グローバル新自由主義の現代に特徴的な『二つの“ワニ口”』“名目GDPと雇用者所得の関係”]のトレンドと併せてみれば、<およそ1998年以降において、全世界的な新自由主義の跋扈(各国政府が本格的に採用し、それがワニ口の暴走傾向を強めてきたこと)によって「貧困層と格差が拡大する傾向」が拡がり、深化してきたことが理解できる。

この観点からみれば、“前任者の民主党政権を上から目線でニタニタ嘲り嗤い、かつ下卑た口調で罵倒しながら(↓◆/w)”安倍政権が今やりつつあるのは、まさにそれと《目クソ鼻くそ》の類であり、<小泉政権時代の超過激な新自由主義(ネオリベ)政策+戦前型“追憶のカルト”(青天井財務式の大日本帝国軍国主義)>を、“チェリー・ピンク風味”を効かせながら足して2で割るという<実に奇怪でハチャメチャな「政治・財政・経済政策ことフェイク・アベノミクス」>の更なる深化に他ならない。

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https://twitter.com/shinkaikaba/status/1098464149552619521 https://twitter.com/shinkaikaba/status/1093217473606778880

【森羅万象「サル神」総理大臣】と化した?安倍晋三氏/<安倍“フクシマ”アンダーコントロール!>のウソを彷彿させ、まさに<悪魔>ないしは「靖国」顕幽論の<悪霊>の如き、日本国アベ首相の国際的に大いに恥ずべき発言! ☞ 悪夢のような民主党政権!の発言、&「オレ(安倍首相)にも言論の自由ある」=安倍首相20190212ロイター https://reut.rs/2tenYg6

・・・

つまり、安倍政権には「まず何よりも未生の世代が“幸せ”に生きられる日本を創るという確固たる意識」と「真の世界の潮流と時代の先を見据えたPotenz政策(展相のマクロ&ミクロ経済)の観念」が全く不在であるということになる。Potenz経済が重要であることの一例を挙げると、例えば<仮に準汎用AIロボで高度生産性が実現>する頃になれば「人口成長論」よりも、確実に「最適人口論」(ヴィクセル)の方が重要になるはずだ。

しかし、残念ながら安倍晋三・首相を筆頭とする政権トップの精神環境にシッカリ巣食っているのは戦前・戦中期型の<アナクロで古色蒼然とした、あの悪しき伝統《構造災》と強く親和する「追憶のカルト」>だけである(なお、これらの論点は必然的に準汎用AIが本格化する時代にこそ必須と思われる「マグダウエル的なリアリズム倫理」の問題と繋がることになる)。

 

 宇沢弘文『社会的共通資本』の現代的意味/それは“格差拡大(搾取)の『ワニ口』(新自由主義)に取り憑かれた”マクロ経済が相転換するための基本条件と考えるべき

・・・社会的共通資本の役割は『準汎用AIロボ機械経済』の出現で想定される『三つ目のワニ口』拡大への防波堤となること!いわば社会が市場経済を包摂するための必須条件である“社会の茎”となること。・・・

 宇沢弘文によれば、合理的期待形成仮説とマネタリズムら反ケインズ義経済学では「すべての希少資源が私有化された理想の資本主義的な市場経済制度の下において雇用は常に完全雇用の状態であり、実質的な所得分配は一定に保たれており、しかも貨幣の流通速度も一定である」ということが無謬の前提条件となっている。が、既述のとおり、この絶対的なはずの前提に誤謬があったのである(出典:既述の著書『金融システムの経済学』)。

  しかし、マネタリズムら反ケインズ義経済学(新自由主義)の信奉者たちは未だに自らの誤謬を絶対に認めようとしない立場を貫いており、それ故にこそ彼らは私有化を阻害する「社会的共通資本の存在」そのものを否定しており、政府の役割は司法と警察の分野だけに!と最初から限定している

 だから、国の経済政策は「資本主義的な資本市場ができる得る限り円滑に機能するように、すべての規制を撤廃するべきだ!」という、ただこの一点を彼ら(例えば、日本の竹中平蔵らは)は頑強に主張することになる。しかし、根本的な誤謬(理論上の欠陥)を抱えたままで、この様に強硬に主張する姿は経済学の議論というより、まるでカルト信者のそれではないか?

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  ともかくも、このような新自由主義(換言すれば、ルーカス理論の根本的な欠陥)へのアンチテーゼとして、宇沢弘文は「社会的共通資本」を提起したことになる。.なお、宇沢は著書『社会的共通資本』(岩波書店)の中で、「この考え方は、もともと19世紀の終り頃にソースティン・ヴェブレンが唱えた制度主義の考え方を具体的なかたちで表現したもので、21世紀を象徴するものである。」と書いている。

ところで、同じく宇沢の同著書によれば、その具体的内容は「森林・大気・水道・教育・報道・公園・病院・金融制度・司法」など住民生活にとって必要不可欠な基盤となる社会的装置とされているが、それは「一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置を意味する」と定義されている

従って、これは一般的な意味でのインフラストラクチャーより広い概念であり、同書に因ればそれらは「自然環境」「社会的インフラストラクチャー」「制度資本」の三つに分けられ、それらに属する全てのものは、国家的に管理されたり、利潤追求の対象として市場に委ねられたりしてはならず、職業的専門家によってその知見や規範に従い管理・維持されなければならないとされている。 但し、 宇沢弘文は、著書『金融システムの経済学』で読み取れる限りでは、“職業的専門家”だけに社会的共通資本の管理・維持を任せることへの懸念も持っていたように思われる。

 従って、『準汎用AIが創造する抽象的デュナミス(あくまでも潜在性の次元に止まざるを得ない高度生産性/委細後述)=AIロボ機械経済が創造する高度生産性』が、愈々、現実的にリアルに市場原理主義の弊害(今や歯止めが効かなくなったかにさえ見える超格差拡大や、新たな“AIに因る人間阻害”の問題)と直接的に関わる(マクロ経済学の仮面を被った新たな搾取の仕掛けが施される?!/今や彼らの所得だけでは現実的に消費活動が不可能なまで超困窮化した多数の超貧困層が出現するため!!)可能性すら懸念されるようになってきた昨今では、<「生命モデル」の経済学など全く新たな方向性とも絡みつつ、国家あるいはグローバル連合的なネットワーク社会が、何らかの倫理的な観点から「社会的共通資本」の問題に再び積極的に関わるべきである>という考えが浮上しつつある。そして、その流れは、例えば『社会の茎』などとの概念的な統合の工夫が求められているように思われる

 

宇沢弘文『社会的共通資本』と共鳴するH・アレント『ノモス社会論』)

 

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・・・アレントの画像はhttp://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/100510arendt.htmlより。・・・

稲葉振一郎『政治の理論‐リベラル共和主義のために』(中公叢書)によれば、そもそもエトノス(自然・社会・伝統・文化・相互主観性らを含む広義の地球環境)内におけるエントロピー解放手段としての暴力・暴政・戦争・財政危機などを内蔵せざるを得ない国家の基盤である「法」の根源が、H・アレント(あるいはC.シュミット、ハイデガー)らが主張する如く「ノモス」的なものだとすればそのアレントの「ノモス社会論」の先に、政治・経済が協働して当たるべき真の役割として「リベラル共和主義」(有産者市民による政治体制)が見えてくる。

因みに、このような「統治パターナリズムの宿命的性格」を十分に承知の上で、統治者(立憲主義で政治権力を国民から委任された)と国民(その国家の主権者である)の両者が、決してめげずに微細な修正の努力を継続するのがリベラル共和主義、換言すれば正統保守の立場である

ところで、ハンナ・アレントの「社会」から見えてくるリベラル共和主義の可能性を明確に視野に取り込むためには、ノモス(nomos)についての理解が最も重要なカギとなるが、そもそも最も根源的な「法」としてのノモスは古代ギリシアの社会概念であり、より古い時代には「神々と父祖伝来の伝統(現代風に言えばエトノス、つまり自然・伝統文化環境の総体である)が定めた行動規範としての「法」、あるいは同じく、そこに住む住民が平等に与えられる「ノモス法で定められた社会環境とインフラストラクチャ―の一定の分け前」を意味していた。

従って、ノモス法は現代的な理解である客観的な社会規範を文章で表現した「法」の内容だけではなく、一定地域の自然環境、土地、建物、市街地、橋、道路など目に見えるモノとしての公共財(インフラ)と離れ難い存在であった。現代風に言えば、それはエトノス自然環境とも離れ難い存在であり、フーコーの“統治理性”を理解するための必須概念となる

エトノス(ethnos)とは『人間の生命と社会生活の維持に必須となる一定のローカル地域の自然・歴史・文化環境と深く共鳴して“人間性を未生(未来)へ繋ぐ揺り籠”となる開放系の共有観念、および風土または過去~現在~未来に渡り生存環境の微小馴化(マイクロバイオーム世界の理解など)を常に受け入れつつも、その伝統的なヒューマン・スケール個体の全体性の“持続”を最も重視する、非常にしなやかで幅が広い寛容の意識、およびその受け皿となるローカルの風土』を意味する。

一方、そのethnosは古代ギリシア語に由来しており、それは村や都市に集住する「民衆」(デモス/demos)の周辺に住み、その「民衆」以外の部族集団のことを意味していた。従って、エトノスの意味は、そこに居る人々の立ち場が変われば正反対になり得るものであり、そもそも絶対的で画一的な評価を伴う言葉ではなかった。だから、それは「生命」そのものと同じく永遠に揺らぎつつも持続性を必死で繋ぎとめるべきものであるのかも知れない。

また、フーコーの統治理性短く言えば“どれほど社会理論や科学・科学技術が進歩したとしても常に国家(政府)の統治権力と市民社会の自律的運動法則(関連して、特に労働組合のレニュアルが喫緊の課題!)は対等であるべき!とする非常に厳格な”考え方)の対象には、このようなノモス・エトノス的な意味で非常に危ういとも言える、地球上の全ての生命環境が明確に視野に入っていたと思われる又、フーコーの慧眼は「いま我々が体験しつつある準汎用AIロボの時代のマクロ・ミクロ経済論の展相の必然性」を実に的確に視野に入れていたことになる。

しかも、その対象は“国家とその国民層(法的統制)”だけに止まらず、法的統制と共鳴するエトノス環境とマイクロバイオーム等に繋がる多様な生命世界(生政治/『監獄の誕生』)、果ては“家政⇒市場原理主義の過程で歴史的に変遷してきた”経済・財政・社会(アダム・スミスの『見えざる手』=市場なる匿名的権力)に翻弄され続ける市民社会に至るまで、という具合で非常に広範に及ぶ。

ともかくも、そこで我々が注目すべきは、アレントフーコーの両者が、共に取り組んだ仕事のテーマが「人間性の歴史、つまりリベラリズム(より厳密に言えばリベラル共和主義を志向する努力)の歴史」への高い評価という点で共通していることだ。そして、この視点こそが、いま最も先端的な“生命論モデル”の「リベラル共和主義」、あるいは「Potenz経済学」の可能性の問題に繋がることになる。

そして、アレントが重視するノモスの“そもそもの意義”が「ノモス法で定められた、その地域の環境(自然・伝統文化・インフラストラクチャー)の平等な分け前(取り分)を地域の住民に分け与えることだ」という理解を援用すれば、「新自由主義が暴走し格差が拡大するばかリの恐るべき資本主義社会の現況」に辟易している我々にも、改めて、希望の方向へのヒントを与えてくれると思われる。 

つまり、そのような意味でノモス法的に考えれば、愈々準汎用AIロボが出現する新しい時代になりつつある今だからこそ、雇用者の生存権を守り、新自由主義新古典派経済学に関わるルーカス理論)なる誤謬の副作用である「格差」拡大のジレンマを解消しつつ、彼らをれっきとした有産市民へと育てる回路を確保するためのツールとなり得る宇沢弘文の「社会的共通資本」の重要性が理解できるのではなかろうか。

  

 安倍内閣は明らかに「アサッテの人」一派!/準汎用AI時代の接近に抗し「逆説のシンギュラリティ」(カルト倒錯の空気)を演出する安倍政権(典型的な二つの事例)

   (シンギュラリティが近い?それどころか、日本は全く異次元の特異点、『追憶のカルト』の妖怪らに取り憑かれたようだ?)

  シンギュラリティなる言葉の生みの親であるレイ・カーツワイル(米国の発明家、実業家)は、来る「永遠の生命」の時代(苦w)に備え(15~25年後?)、かつ、その汎用AIが創るポスト特異点ワールドで自らが永遠に生きることに備えて日々に250錠ものサプリメントを摂取する日常を送っているそうだ。https://twitter.com/liaoyuanw/status/862631115231608833

ところで、今の日本には「何らかの特異点(フェイクGDPを創造したアベ神サマの特異点?w)」を超えたためか?得体の知れぬ不気味な空気が漂っている。シンギュラリティについては[プロローグ‐(3)「準汎用AI」時代が意味するコト]で既に触れているのだが、このように“ある意味で異常化”した現代日本の状況を踏まえ、カーツワイルが創ったAI用語の範囲を敢えて越境し、逸早く「シンギュラリティ化した日本!」とでも言うべき、現代日本におけるポスト特異点の在り処と思しき異常な事象を二つ取り上げておく。

また、委細は以下の第5章『社会の茎』で詳しく触れるが、実に不可解な「フェイクGDPを創造したアベ神サマの特異点?w」の如き“異常”(超常現象?w)がリアル化する背景にあるのが、<『合理性の強さ』を過剰に信ずるあまり、逆説的に『非合理性の罠』に嵌るという、ある種の人間(例えば、未だに新自由主義に囚われたままの経済学者・政治家ら)によく見られる弱さ”の現れ>だ、といえるのでないか?しかし(これも委細は後で触れるが)、生命も含む“この世界の総体”は、リアル合理を重視するからこそ、どうやら逆説的に敢えて『限定合理主義』(ヒューリスティクス)に従属しているようだ。

因みに、この問題はマクダウエル的「倫理観」とも通底する論点がある?と思われるが、当記事で十分にその内容を取り上げる余裕はない(ただ、[第5章‐1:JPNアベ“忖度”マターの深層/見えないこと(権力化した欲望)Vs“社会の茎”の問題]末尾のエピローグで少しだけマクダウエルについて触れる)

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ところで、ジルベール・シモンドン(フランス科学認知論)の代表的著書である『個体化の哲学』によれば、ミクロからマクロに至る世界の総体は<存在の特定の相(情報、形相、特異点)>という概念に比肩できるが、別に言えばそれは一定の系が連続する多層構造(~量子物理学“スケール”~物理・化学“同”~生命“同”~宇宙論“同”~)の連続したリアリティのことだと理解できる。

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そして、この場合の特異点は“確かにそれは相転換が起こる通過点ではある”が、例えば生命進化のポスト通過点の各フェーズ(動物or植物)内では、細胞内におけるオルガネラ(organelle/ミトコンドリアら微小器官)のATPに関わる機能分担“再配置”の如く(動物と植物ではATP(アデノシン酸三燐酸/IUPAC命名法ではアデノシン5-三リン酸)の役割分担は異なるが、「エネルギー通貨」(生命活動のためのエルゴン(活力源/エクセルギー))の役目は共通している)が、必ず個々の生命総体では、先ず、ひたすらリアル(日常の生)を維持する仕事に専念しているように見える(画像は、Cell Organelles. - ppt video online downloadより)。

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・・・【画像】酵素・分子モーター・イオンポンプの性質を併せ持つナノスケールのバイオ・分子境界機構(https://pdbj.org/mom/72より転載

なお、分子生物学者である二井將光・大阪大学名誉教授は、オルガネラとミトコンドリアについて以下のように説明している(典拠:https://www.jst.go.jp/pr/announce/19991126/index.html

・・・膜に包まれた生体細胞の中にはオルガネラと呼ばれる小器官が存在する。ミトコンドリアはこのオルガネラの一つで(細菌との共生を起源とするオルガネラで、多くの場合では母性遺伝)、いわば生物のエネルギー工場である。ヒトを含めた真核生物の祖先は、荒々しい原始地球から現在のように大量の酸素を持つ地球に変わる過程でミトコンドリアと共生し、呼吸によりエネルギーを大量に獲得出来るようになったと推定される。ミトコンドリアは、呼吸によって得られる酸素と食べ物を分解して得られるプロトン(水素イオン/陽子)と電子とを反応させて、ATP(アデノシン5-三リン酸)をATP合成酵素酵素・分子モーター・イオンポンプの性質を併せ持つナノスケールのバイオ・分子境界機構https://pdbj.org/mom/72)内で合成する。合成されたATPは、蛋白質の合成や筋肉の動きのエネルギー源として消費される。

・・・

ともかくも、カーツワイルが予言するシンギュラリティで「AIがヒトを超える=AIがヒトをデザインするようになる=リアルなヒトの意識が存在意義を失う?」というようなことは、俄には信じ難いことである。それは、世界の総体は「AIが担う抽象論理ワールド」も「ヒトのリアル意識(マッハ感覚論的主観性)」も、それらの全てを包摂しつつ「シモンドンが言う“類比作用の操作(Allagmatique)”に従属していると思われるからだ。Cf. https://en.wikipedia.org/wiki/Gilbert_Simondon

カーツワイルら勝者(と思っている立場の人々)の思考に見られるのは「仮に、シンギュラリティで人間がホモ・デウス(神)となり(ユヴァル・ノア・ハラリ)、AI‐ロボ「機械経済」(スキル志向イノベーションがもたらす超高度生産性)が実現するハッピーな“抽象情報?”環境の中で、AI‐Webワールド・アバターの形で彼らが永遠の生を謳歌することが実現しても、決してそんなことは望まぬであろう99%のリアル人間(この場合は決定的弱者or電脳弱者ことルンペン奴隷化している、リアル世界での多数派層)」に対する、その立場の尊重や彼らに対する思い遣りが決定的に欠けているということだ。それこそ究極のマイファースト世界の出現であるが、それでも限定合理主義の重要な含意が理解できるリアル人間には最後の手段として電源をオフにする対抗手段は残るはずだ。w

 

(1)逆説のシンギュラリティ1/JOC橋本聖子副会長の非人間的な発言に透ける<“国民生命”の軽視>

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競泳の池江璃花子選手が自身のツイッター白血病と診断されたことを20190212に公表したことついて、池江選手自身が『神様は乗り越えられない試練は与えない』とのメッセージを出したことはごく自然なことである。一方、このことについて「オリンピックの神様が池江璃花子の体を使ってオリンピック、パラリンピックというものをもっと大きな視点で考えなさいと言ってきたのかなというふうに思いました」と、JOC橋本聖子副会長(自民党参議院議員会長、日本会議国会議員懇談会(幹事)、みんなで靖国神社に参拝する国会議員の)が講演会で話したことを聴き捨てにすることはできない。

それは、前節の[宇沢弘文『社会的共通資本』と共鳴するH・アレント『ノモス社会論]で述べたとおり、社会理論や科学が如何に進んでも統治権力と市民社会の自律的運動法則は対等であるべき!とする非常に厳格な人道上の”考え方である<フーコー統治論>の観点から見ると、<日本会議の御教祖様>なら未だしも、れっきとした“アベ似非神さま”(or“森羅万象”神)の御仲間の一人として、しかも自民党参議院議員会長の要職に就く立場の人物には全く相応しくない非情かつ非人道の愚劣なコトバであるからだ

文脈上の些細な言葉尻を捕らえる批判はナンセンス!との<この“批判に対する”批判の世論>が可成り多いようだが、それこそ“アベ似非神さま”の御仲間らの思う、一般国民へ短絡思考を勧めるド壺に嵌った構図である。なぜなら、このような観点から見れば明らかなのだが、その意味での<この“批判に対する”批判の世論>は、璃花子選手ご自身の発言と、JOC橋本聖子副会長の発言の両者を、それぞれの異なる文脈から切り離して同列に並べてみた挙句に、両者は同じ意味内容だと判断しているに過ぎないからである。

おそらく、これは小学校・低学年クラス程度の国語「読解力」の問題である。それは、「前者=池江選手本人の真心」、「後者=橋本JOC副会長の政治的作為の意思」という違いが歴然としているからだ。つまり、今や多数派の世論はAIロボ(準汎用AIならぬ現在のネット翻訳ツール)程度の低劣な国語読解力のレベルまで劣化していると思われるのだ(疾うに、この日本では“ヒトの逆説的なシンギュラリティ”、いわば“ヒトの人非人化”が実現している?w)。

そして、このような状況は、“アベ似非神さま”の御仲間らにとってはご同慶の至り!かも知れぬが、準汎用AIの時代が目前に迫る日本の近未来にとっては超リスク以外の何物でもない。なぜなら、我われが<『そもそも国語(読解)力に欠陥がある準汎用AI』の時代となりつつあるからこそ、益々、ヒトとして「より深い読解力が求められる」という、おそらく人類文明史で初の<大逆説の時代>を迎えようとしているからだ。

 

(2)逆説のシンギュラリティ2/小4女児虐待死で浮き彫りとなった子どもの権利「後進国」、<“子ども”と未生“生存権”の否定>

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https://twitter.com/yuritama380/status/1098416985132523521

直近の実に傷ましい事件である『小4女児虐待死』に触れたブログ記事(↓◆)から大いに感ずるものがあったので、先ずそこで目に留まった個所を下に転載させて頂く。

◆『小4女児虐待死で浮き彫りになった、子どもの権利「後進国」日本/20190207まぐニュース』・・・ANA国際線CAと「ニュースステーション」初代気象予報士を経験し、その後、一念発起して東大大学院に進学し博士号を取得(健康社会学者 Ph.D)という異色のキャリアを重ねた河合 薫氏のブログ記事。

https://www.mag2.com/p/news/385370?utm_medium=email&utm_source=mag_W000000125_tue&utm_campaign=mag_9999_0212&l=ivk172d887

 ・・・前、省略・・・日本の各メディアは、日本が世界から「国家レベルで児童虐待している」と批判されていることについては、なぜか報じません。 2010年「国連子どもの権利委員会」は公式な報告書内で、児童養護施設と里親制度をめぐる日本の体制を批判。また、2014年には国際人権NGOヒューマン・ライツ・ウォッチHRW)が、日本の社会的養護制度を検証する調査報告書を発表し、そのタイトルが「夢がもてない─日本における社会的養護下の子どもたち─」という、実に厳しいものでした。

 つまり、日本では虐待の相談件数は年々急増しているにも関わらず、発見し保護する体制はもちろんのこと、子どもたちを保護するための環境が足りていないのです。平成29年度中に、全国210か所の児童相談所児童虐待相談として対応した件数は13万3,778件で、過去最多。平成20年度は4万2,664件でしたので、9年間で約3倍です。

 一方、児童虐待の対応にあたる児童福祉士は3,000人あまりで、慢性的な人手不足が続いています。当然ながら「誰でもいい」わけではなく、専門的な知識や経験が必要不可欠。しかしながら、人材の育成は後手に回らざるを得ない状況です。さらに、海外では警察に児童虐待専門の部署があり、密接な連携のもと、発見と保護が行われていますが、日本にはそれもなし。・・・以下、省略・・・(ここで引用おわり)

・・・

無論、この<実に傷ましい事件である『小4女児虐待死』>まで「安倍政権の責任だ!」など見当違いの批判をするつもりは毛頭ない。だが、直近の「NHK世論調査」では、あれだけ作為の意図が丸見えでダークなフェイク操作(禁じ手のチェリー・ピンク戦術!)による「勤労統計の不正、嵩上げ工作GDP、偽装アベノミクス」らの疑惑が次々と表面化するにも関わらず、不思議にも安倍内閣の支持率は再び順調に上昇へ転じており、かつ自民党の支持率も頗る安泰である!”と、報じられている(↓★)。

因みに、「今の日本の不可解な状況=安倍政権の主要政策の悉くが(おそらくアベノミクスを除いて、しかも此のアベノミクスこそが全ての元凶であるにもかかわらず)厳しい批判の対象となる一方で、相変わらずその当然の責任者であるべき安倍首相(ひいては同政権)の支持率が一向に下がらず、それどころか頗る安泰であり続けること」の真相は<“悪性腫瘍浸潤”フェーズ化のアベノミクス/平均的日本人(その平均的自画像)を演ずるアベの「於・国会“曖昧な発言”」でフェイク統計らの嘘を刷込まれ全て受容する「平均的」国民!これが[アベ・ネオナチ/政策不支持→支持率安定]の正体!>ということではないか?と考えられる(関連参照/下記、画像Tw情報)。

 

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https://twitter.com/shinkaikaba/status/1105204201771024384

・・・
NHK世論調査/更に1%上がって内閣「支持する」44%、「支持しない」37%、政党支持=自民37.1(+1.9)、立民5.7(‐0.3)、国民0.6(‐0.4)…支持政党ナシ41.5(‐1)2019年2月12日NHKニュース、 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190212/k10011812281000.html?utm_int=nsearch_contents_search-items_002  https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190212/k10011812301000.html?utm_int=detail_contents_news-related_001

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https://twitter.com/SamejimaH/status/1101383065903874048

しかし、仮に「当記事の前半で取り上げた“アベノミクスによる搾取のワニ口”拡大という現実、“モリ・カケを筆頭とする安倍内閣重篤スキャンダル》の総浚いレビュー”、311フクシマの過酷な現実を隠蔽しアベノミクスのエンジンと見た“核燃サイクル&原発輸出”の総崩れで、完全デッドロックと化した原発政策の現況、そして何よりも直近に起きた此のあまりにも傷ましい『小4女児虐待死』の背景(日本が世界から「国家レベルで児童虐待している!」と批判されている事実)について、各野党への取材も十分に採り入れつつ、各メディアが<特に、スポーツ・芸能と政治・社会マターが同列にしか見えない無関心層への積極的な情報提供>を意識して、ジャーナリストとして本来あるべき調査報道の厳しい視点で、この問題の背景等についてもっと真剣に報じていれば、果たして<相変わらず不可解な忖度の空気>を感じさせる《このような世論調査の結果、又はアベ支持率がそれでもドンドン上昇し続けるような不可解なこと》となっていたか?は甚だ疑問である。

もし、そのような意味で主要メディアが公正な、かつ十分に人道的な観点に立ち、怠りなく日本の未来をも視野に入れて本来あるべき報道活動を行っていたとしたらどうなったのだろうか?それでも、矢張り日本国民の過半超が兎にも角にも安倍内閣の好きなままにさせておきたい、つまり<戦前型“構造災”の国=軍事大国ニッポン>へ今の日本を作り変えて貰うしか未来はない!と思っているなら、「汎用AIロボの実現に因るシンギュラリティ(特異点)」を待つまでもなく、日本は別の意味でシンギュラリティ(異常社会化への特異な転換点)を通過しており、戦前と瓜二つの<アベさま御用達“神国ニッポン”/追憶のカルト国・日本>へ、見事にセットバックしてしまったと言えるだろう。

 

5  準汎用AIロボ「スキル偏向機械」経済化に備えるため、「 社会の茎 」(広義の社会的共通資本)を介し“新次元”マクロ経済へ展相することが必須

 ・・・準汎用AIイノベーション、スキル偏向機械経済化だけではデュナミス(潜在的な高度付加価値創造)の次元に止まるため、圧倒的な多数派の人々と未生のための“幸せ”をもたらすことはできない!マクロ金融政策が「社会の茎」(広義の社会的共通資本)であることへの気付きこそ、準汎用AIロボ時代に我われが新たに希望を持って生き抜く条件となる!・・・

  

(1)社会の茎(socio-scapes)

(植物群落の遷移における草本の茎の役割から得られる“社会の茎”のイメージ)

f:id:toxandoria:20190220125746g:plain・・・添付画像は、www.max.hi-ho.ne.jp より転載

 一般的に言えば、高等植物において葉や花を支える部分である茎の役割は「根から吸収した水分や栄養素(ミネラル等)を植物体の各所へ運び、それと共に主に葉の部分で光合成されたもの(光エネルギーを化学エネルギーに変換する生化学反応で作られたもの)を光合成ができない部分へ運ぶ、ということである

 光合成は光エネルギーで水と空気中の二酸化炭素から炭水化物(糖類であるショ糖、デンプンなど)を合成する一方で、水を分解する過程で生じる酸素を大気中に供給している。そして、年間に地球上で固定される二酸化炭素は約10の14乗kg、貯蔵されるエネルギーは10の18乗kJと見積もられている。http://www.tkd-pbl.com/book/b298034.html 

 ここでは余談となることだが、「特に生命力が強い草本」は、ヒトの社会に喩えると東アジア漢字文化圏の中で意識されてきた、草莽(グローバル環境の激変の時などに一般国民層の中で傑出した強かさを発揮する人々)に似ているようだ。幕末期の日本において、特別な役割を担った吉田松陰らの草莽の正しい意味(いわば草本の茎の役割)は必ずしも未だ正しくは理解されていないようだが、彼らが歴史的に重要な役割を担ったことは確かである(当論点の委細は↓★を参照乞う)

 ★幕末「普遍の自生史」隠蔽は正統保守に非ず、松陰「白日」の削除を謀るアベ独裁は戦前構造災の再来/敗者と異論への寛容(思想)の回復が必須2018037toxandoriaの日記・・・新たに判明した歴史「事実」である<維新政府が隠蔽した「白日=啓蒙思想の普遍観念に匹敵する観念」の発見>を安倍晋三・内閣が毛嫌いする不可解!その「白日」とは、カント「情念統制、論理構成」の二理念とも呼応する<自律的な吉田松陰ら幕末期“草莽の獅子”たちのリベラル共和的な“普遍”への覚醒>であった!http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20180307 

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・・・この「秘密の思い出」の花言葉を持つネジバナの画像は、ブログ「Tatehikoの独り言・№2」さんから、お借りした。https://49173758.at.webry.info/・・・

ところで、草本とは背が高い木になれずその生涯が短い植物群を指すのだが、木になる植物の茎の場合は、その殆どの場合で先の部分を除く大部分が堅い幹となっている。一方、背が高くなれない草本群はその代わり生活上の融通が利くように可成り自在な戦略を身につけているが、特に、その茎の主な役割は草本の主柱的な形をした個体内の生命環境の基盤インフラであると共に、この茎こそが個体生命の全体をシッカリ支えるネットワーク構造の要となっている。

比喩的に言えば、人間社会の草莽(いわば生命力が強い“社会の茎”たち)は、特に雑草に近い「地這いの植物の茎」と酷似している。それは、彼らが「高い木にはなれず、植物体が小さい代わり生活時間(生涯)が木に比べ短く、しかも個体数が圧倒的に多い多数派であるから(又は多数派を動員できるから)こそ、いくらグローバル環境から大きな攪乱を受けようとも、些かも怯むことなく、逆に、空いた場所があれば素早くそこへ侵入し、そこで強かに世代交代を繰り返す」という地這いの植生と似たような行動の特徴を持っているからだ。

 いわば、一般に植物群落の遷移では、まず草(草本)が生え、それから木が侵入して森林化へ進むという順番が見られるのだが、グローバル環境の影響で断続的に激しい攪乱が行われるような場合には、必ず、多数派の草本が長期にわたりその場を優占する。つまり、草原の状態が長く続いたり、雑草で覆われ尽したりするのがその一例であるが、結局そのようなローカル環境には一定地域の自然環境を激変させる樹木が外部からなかなか進入し難いことになる。

以上のことから、自然環境にせよ人間の社会にせよ、グローバル環境の保全には、特に生命力が強かな多数派の草本の役割が、人間社会で言えば「草莽的な役割を担う人々が主役となリつつ各個体にとって最も基本となる生命・交流活動の場と手段を提供するインフラストラクチャー機能」(いわば社会的共通資本的なプラットフォーム)が非常に重要であることが理解できる。

 

 (マーティン・オルブロウの社会の茎(socio-scapes))

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マーティン・オルブロウ(Martin Albrow/英国の社会学者(ドイツ出身))は、トランスナショナルな分業を巡って組織される、国家など一定の地理的な領域を持たないコミュニティ>のことを「社会の茎」と名付けているがウルリッヒ・ベック1944 - 2015/ドイツの社会学は著書『世界リスク社会』(叢書ウニベルシタス)の中で、これをグローバリズム時代における新しい「帝国」(国際金融資本など)へ対峙し得る、“グローバル市民のための全く新しい共有基盤”(いわばグローバルな社会的共通資本)になり得るもの>として注目している(オルブロウ画像は、martinalbrow.com より)

なお、このマーティン・オルブロウが定義した「トランスナショナルな分業を巡って組織される、国家など一定の地理的な領域を持たないコミュニティ=社会の茎」は、今では必ずしも「コミュニティ」だけにかぎるものではなく、グローバルな繋がりの中でこそ個体生命は存在し得るという意味での「生命(ないしは生物環境)モデル」の中核的な機能を意味する概念として理解されている

ところで、scape(複:scapes)はタンポポ水仙などのような地這いの草本の茎(花茎)のことなので、各国家の如く強固な地理的“領域”の意味はない(そもそもタンポポ水仙がカッチリした国や領土を主張するはずがない!)。しかし、一方でそれがローカルな意味での一定の自然環境に立脚している、換言すれば個々の生身の市民・住民らの日常的な生命活動が“土壌”となっているという意味での「ヒトの社会のグローカルGlocal)な概念/Think globally, act locally!」と相似しているのも当然と考えられる

更に、概念をより拡げて連想すれば、これはヒト、家畜、昆虫などあらゆる動物の個体の内部にある、ホルモンなどの情報伝達物質を分泌する「腺」(gland/内分泌腺、外分泌腺がある)に見立てることもできるだろう。因みに、ヒトでは腺の異常によって各種の腫瘍やガンが発生するが、無論、植物にも密腺・油腺などの重要な働きをする腺が存在し、そこからの分泌物質は非常に広域におよぶ動植物間のコミュニケーション等にも役立っている/出典:https://jspp.org/hiroba/q_and_a/detail.html?id=1809

一般に草本はローカルな大地から直に生えている訳だが、その中でも特に生命力が強い雑草(そもそも外来種が多いが、そして既述したことでもあるが、これはヒトで言えば草莽に比較すべきかも?)も含めて、それら草本の<茎(scapes)の役割>は、ローカルからグローバル全体の、木々や動物・昆虫らも含めた意味での、いわば生命トータルの多様性を保全する役目を担うという意味で非常に重要である

つまり、それは各花々(“社会の茎”に比定すれば、夫々の場所で生きている世界市民の一人ひとり)の支えであるだけでなく、気象・天候・外敵らに関わる情報収集と情報発信により(普通、ヒトの感覚でそれは殆ど捉えられない)、それらの花々や多くの木々や諸動物らがそこかしこに群生する広域なグローバル世界、つまり究極的には全地球的な生態環境を保全することでもあるからだ。(参考:https://www.youtube.com/watch?v=MvlrZKPxV1w

老婆心でつけ加えるが、オルブロウとベックは草本の茎」と「社会の茎」なる二つの概念を、世界中に存在する草本や社会と個々に対応させる意図て使っているのではない。それは<個々の社会的事象については常にグローバルな視点で捉えつつ、リアルの実践ではきめ細かくローカルな問題を最重視して取り組むべきだ!(Think globally, act locally!EUの考え方の基本にある)という「Glocal」の象徴として、比喩的に使っている訳である。

 

 (2)“新次元”マクロ経済への相転換(展相)が必須と見るべき背景

・・・それは、「第4次産業革命」(AI・準汎用AIを基本ツールとする革新的イノベーション)と、「普遍観念」(ルソーの一般意志に因る/立憲主義に基づく現代『民主主義国家』のグローバル経済基盤)との統合は如何にすれば可能か?という問題・・・

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安倍政権のベノミクスなる「ピンクチェリー(好いとこ取り統計偽装)方式の嵩上げGDP/2020年度600兆円、必達!」が、(おそらく、よく訳が分からぬままの)多数派の国民から一定の高い支持を受けつつ?、今も堂々と行われているその背景を探るのが当記事の“隠れたサブ(副)”目標であったが、これまで見てきたことから理解され、特に重要と思われる点は下の4つ(a~d)に集約される。

a【GT1】現代資本主義の特徴である「市場原理主義新自由主義)&技術イノベーション型」という二つの搾取構造の大きな流れ(GT:グローバル・トレンド)に、殆ど気づかぬうちにドンドン飲み込まれ続けている。 

・・・具体的には「二つのワニ口」(搾取構造)があり、その一つは“近代産業革命に始まる技術イノベーション”、二つ目は“1970年頃から優勢となる新自由主義ネオリベラリズム)のそれである。

・・・然るに、その“新自由主義ネオリベラリズム/先鋭的マネタリズム)には、数理論証明(R.ルーカス理論)に誤りがあったことが証明されている。 ←世界的に知られる数理経済学者・宇沢弘文らの指摘がある!(この論点は第2章で詳述した)

b【GT2】およそ2000年代に入り、aの上に、IT技術型の「スキル偏向技術進歩」(画期的イノベーション)に因り、新たなグローバル・トレンドの搾取構造(三つ目の“ワニ口”)である「Great Decoupling」が加わった。

・・・21世紀に入り、a【GT1】の中の「技術イノベーション」のそれがAIロボ-IOT型「機械経済化」の「第4次産業革命」へ向かうIT技術に関わる必然の流れの中で更に搾取構造がより高度化しつつある。

・・・IT技術が生み出す高度生産性」が、IT技術を支配・所有する一握りのエリート層(ITイノベーションを支配する資本家・経営者層ら)へ過剰に傾斜分配され続ける限り、ヒトの日常生活の『実需』の基本である「生命の営みの一部でもあるヒトの生産性」を圧倒することになり、より深刻な賃金「格差」が発生する。そして、それは「少しでも“幸せ”に生き抜こうとする、消費者であり、かつ雇用者(or生産者)でもあるという、ヒトとしての最低限度の生存条件」を着実に根底から脅かしつつある。

・・・言い換えれば、それは<究極的には生身のヒトが主役である「実需」には消費者であると同時に生産者でもある雇用者(厳密に言えば家計・家政)がマネー増加分、つまり(持続的に取り込まれるマネーエネルギー(エネルギー通貨)の活発な流通を媒介とする日常の生活・生命活動(主に衣食住に関わる)によって、日々、新たに更に前向きに生き続けるため必要な何らかの付加価値(etwas)を絶えず、創造する必要がある」という重要な意味があることを改めて教えてくれている。

・・・だから、新古典派経済学的な意味での機械生産(技術イノベーション)的な付加価値(静態的)と後者(ヒトが関わる、いわば生命モデル経済的な意味でのイノベーション)の付加価値(流動エクセルギー)を全く等値(等価値)と見る算術勘定(換算)が誤りなのだ

・・・なぜなら、前者が創造する付加価値はあくまでもデュナミス(潜在性)であり、生身のヒトが創造する付加価値はリアル(現実)での生命エネルギー消費の対象なのであるから

c【GT3】いまグローバル世界は「準汎用AIロボ型技術の高度イノベーション経済の本格的な出現」へ移行しつつある。(その本格化は10~15年後か?)

・・・これは、【GT2】が、おそらくミクロ・マクロ経済に関わる政策面で何も手を打たなければ、準汎用AIロボ型技術の高度イノベーション経済の本格的な出現(準シンギュラリティの時代へ移行すること)によって、凡ゆる予想を超えるほど大きな賃金「格差」”に襲われる可能性が高まりつつあること、を意味する

【 日本型『伝統“構造災”』の存在 】日本には全ての国民が覚醒し克服すべき日本型(JPN)伝統“構造災”のリスクが存在する。(この論点は第1章で詳述した)

・・・これがチェリーピンクGDP(アベさまのチェリー・ピンク病!)の病因となっているその根源には実に厄介な日本文化の宿痾(本態性高血圧ら本源性の病理に似ている)が潜んでおり、その完治には歴史・文化的な意識に関わる革新(例えば、エナクティヴィズムに関わる覚醒)が必須であろう。(関連参照↓◆)

◆【“晩秋”の南都に漂う身体化された心(唯識的エナクティヴィズム)の風景】幼生期(古墳~奈良時代)列島の住人は現代と異なり「自分と違う存在を見ようとせぬ人々」ではなかった!https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2018/12/17/044810

 

6 『人間の壁』(ヒトとデュナミス経済を分断する生産性の壁)を乗り越え、ヒトが少しでも“幸せ”に生き抜くための基本的な方向性

・・・「準汎用AIが創造する抽象的デュナミス」(AIロボ・IT・ITOイノベーションが生み出す高度生産性)と「ヒトが生きるリアル社会の実需(消費)」を遮る『人間の壁』(デュナミス経済化)を如何にすれば乗り越えられるか?・・・

6-1 近づく本格的な「第4次産業革命」の時代に潜む超リスク

・・・新自由主義に汚染した新古典派「マクロ経済」の流れの中で、もし<先端科学技術の典型,汎用AIロボに因る機械経済化に伴う『人間の壁』の問題が放置されれば、特に“展相の民主主義&経済社会に関わる観念”が希薄な日本社会が世界で真っ先にデストピア化するのは必然!・・・

 (一般に欧米では“科学技術が政治権力と結びつき易いことが理解されている)

 そもそも、<アベ神さま?w>が一強支配する今の日本が嵌った超リスクの真相は、自由の意味が混乱して、権力・経済力らの「強制力」(アンシュタルト)と自律的な「自由」の間のジレンマ回避に失敗したことである。アンシュタルトとは、そもそもはM.ウェーバーの“一定の強制力を持つ社会的な-団体、例えば学校・精神病棟など”のことだが、近年はそれが不可視の制度として強制権力を行使するシステムの意味でも使われており、その典型が現在の世界で君臨する新自由主義ネオリベラリズム)である。

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しかも、K.ポランニー「市場社会と人間の自由」(大槻書店)によれば、ポランニーの歴史的な検証で「一般的に科学技術は権力と結びつきやすい」ことが理解されており、第4次産業革命をリードする準汎用AIロボ技術といえども、その例外とはなり得ないようだ。これは、そもそも資本主義(市場経済)の失敗による格差問題を解消する(市場経済の毒牙から市民を守る)という口実にファシズム誕生の淵源があることを想起すれば分かり易いはずだ(今の日本でも我われが目撃している“科学技術と軍事力が接近しつつある傾向”を想起せよ!)。

因みに、科学・科学技術とファシズムの親和性について補足しておくが、それは根本的には「科学知の破壊的威力と政治的万能感の野合」の問題と言える。例えば、311フクシマが象徴する日本の原子村(原子力技術コンソーシアム)の<『暴走インフラ→構造災』化>の問題(今やこれは進退不能デッドロックに嵌っている!)は、その典型である。

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加えて、渦中の『チェリー・ピッキング統計不正操作によるアベ・ピンクGDP』らの問題を考えてみれば分かり易い(統計学は、れっきとした科学(科学理論)である!)。従って、宇沢弘文の「社会的共通資本」は、この問題に対する、最も有効な問題提起(インフラ型構造災への有効ワクチンの発見)として理解することも可能である。(そもそも、この種の柔軟な観念の不在が問題である!)

また、E.O.ウイルソン(米国の昆虫学者、生物 多様性・会生物学研究者)が「AIの核心技術である回帰分析は「相加条件」(更にリアル環境下で多様な後天的・双方的・パラダイム的影響を受けること)を無視する一種の“情念的・観念的”設計原理主義(設計=あくまでも一つの観念、リアル=宿命的に多元)なので、それによるリアル100%の予測は不可能だ!」と警告を発していることは十分に傾聴すべきだ(だから、AI活用は積極かつ抑制的(冷静)であるべき!)。また、AIには宿命的カルマン・フィルターの問題(多変量・特徴量の統計処理によるリーマンショック・自動運転車事故等の原因となった突発的パニック・リスク発生が見過ごせないhttp://urx.blue/zoqH)もある。

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因みに、問題はE.O.ウイルソン『ヒトはどこまで進化するのか』(-亜紀書房)-、小林雅一『AIの衝撃』(講談社)らの指摘どおりで、AIディープラーニングの正体が“意外にも”旧来からある回帰分析等の統計処理であることだ。一方、最先端の進化心理学(関連参照↓◆2)等では、同列技法である確率統計を利用しつつも、その限界をも絶えず十分意識して取り組むのが常識化している。

◆2 進化心理学

・・・社会心理学・発生生物学・進化生物学・ネオラマルキズム等との関係が深く、また進化経済学らAIを抑制的に活用する先端知のルーツでもあり、身体の自然エトノス(最広義の地球自然環境)への適応と同様に、人間の心も生物学的な進化の産物であると理解する心理学。

・・・21世紀に入り、特にAI研究の深化等と共振しつつ急速に発展する「文化進化論」のルーツの一つになった(委細は、コチラを参照 ⇒2016-08-22toxandoriaの日記/『記憶喪失の海に沈む安倍内閣、その底に潜む偽遺伝子は文化進化論(遺伝的適応)上の追憶のカルト!新鮮な生命が持続的に吹き込むエトノス対話の環境づくりが急務』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20160822)。

・・・

ともかくも、その悪夢の時代のデジャブが再び世界を覆いつつあり、アンシュタルト化した新自由主義が牽引するグローバル市場原理主義は過酷な格差拡大を伴った20世紀前半頃と同じファシズムの再来を予感させる状況となっている(止め処なきワニ口の拡大!)。そして、これを回避するカギこそが「社会の茎」である!それは<“自覚的に地球環境意識を持つ市民の自律的な自由意識”を活力源とする「機能的民主主義」の可能性>ということである。

なお、そもそも機能的民主主義とは(ポランニーによる詳細な論証は省く)、左右派の論争の時代は今や終焉しているので(ランゲ・モデルによる社会主義経済計算論争の決着)、科学技術のファシズムとの親和性については決して警戒を怠らず、また地球自然環境への十分な目配りと限定合理主義(ヒューリスティックス)を一定の準則として「リベラル共和主義」(持続的な展相(相転換)を前提とする民主主義社会)の実現を目指す」ということである。

EUのポテンツ経済は、これに気付いている? また。この視点は宇沢「社会的共通資本」および「米・制度経済学派」とも価値観を共有していると考えられる。

 

デッドロック化した日本の原発政策は“ファッショ権力と結びつきやすい科学技術”問題の典型!かつ、全世界に対する赤恥曝し!)

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現代日本で最も問題視すべきは、日本会議代理人たる「実に卦体(けたい)な“追憶のカルト”世界のゾンビ・アバター集団である安倍政権」が、事実上、日本の権力をファシズム的な手法で一手に握ってしまったことだ。このため、ほぼ多数派を占める一般国民と主要メディアも、今やまるで自主的に、あるいはいそいそと競い合うかの如く周囲へ目配りをしながら、かつ上目遣いで忖度の瞬きをしながら、彼らゾンビ・アバターを必死に担ぐどころか、驚くべきことに恭順し平伏する姿勢をすら見せ始めている。

だから、安倍政権が、内閣人事局(20140530設置)に“一強”集中させた人事権をますます笠に着て配下の“優秀な官僚ら”に対し殆ど恫喝的に“忖度”を強要するという、実に鼻持ちならぬほど居丈高で嵩に懸かる傲慢な態度を彼らが取り続けられるのは必然の流れだとも言える。

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しかし、ただ単に威張り散らすだけの破廉恥な行動のレベルでは止まらず、安倍政権がその主要政策の柱である「アベノミクスの失敗」あるいは「そのエンジンと位置付けた原発政策の完全失敗(アベ・トップセールス輸出全滅、核燃サイクル・デッドロック他)」を巧妙に粉飾し胡麻化すためフェイクデータ操作によるGDPや雇用統計の嵩上げを配下の官僚らに強要したことは“犯罪行為”そのものと言える実に不届き千万な権力の暴走である。

いわば、安倍政権はアベノミクスの失敗という大失態を内外へ向かって糊塗するため大日本帝国ならぬ「フェイクデータ帝国」(フェイク嵩上げGDPでっちあげ国家への誘惑)の罠に掛かったということだ。かし、この「フェイクデータ帝国」(諸統計データ改竄で日本経済が偽装的に成り立っていた?!)の問題は国内だけで済むはずがなく、海外市場関係者らの間でも日本経済に対する不審の眼差しの悪しき波紋が次第に拡がりつつあるようだ(参照、下記★)少しでも早く内外の信用回復を願うばかりである。

★A Scandal Unfolds: Japan’s Impressive Growth Rates Were a Lie; 40% of Economic Data Faked/30190129 News, World Politics/CCN(Cryptocurrency News and Market Updates) https://www.ccn.com/a-scandal-unfolds-japans-impressive-growth-rates-were-a-lie-40-of-economic-data-faked 

Abenomics under heavy fire after dodgy data hid apparent drop in wages across Japan in 2018 20190206 the japantimes https://www.japantimes.co.jp/news/2019/02/06/national/politics-diplomacy/abenomics-heavy-fire-dodgy-data-hid-apparent-drop-wages-across-japan-2018/#.XF3kYVz7TIU

 

(『人間の壁』、デュナミス経済化を助長する“間主観性⇔AIロボ・クラウド汎知”断絶問題)

  これは第4章で詳述したことだが、少しでも“幸せ”に生き抜こうとする消費者でありかつ雇用者(or生産者)であるにも拘わらず、「AIロボ技術が生み出すデュミナス高度生産性」が、AI関連技術を占有する一握りのエリート層(AIロボ・イノベーションを独占する資本家・経営者層ら)へ過剰に傾斜分配され続ける限り、日常生活での『実需』を支えるべき「生命の営みの一環たる普通のヒトの仕事の生産性」を圧倒することに因る、より深刻で致命的な賃金「格差」が、更に深刻度を増して発生し続けることになる。

しかし、そのような超リスクが懸念されるにも拘わらず、刻々と高度な準汎用AIロボ・IOTらの先端技術が先導する「第4次産業革命」の時代が<その深刻な格差拡大の矛盾(“AIロボ&ヒト、両生産性”の断絶)を抱えこんだまま>で近づきつつある。我われは、この極めてリスキーな時代に備えどのように対処すべきなのだろうか?そこで、「間主観性⇔AIロボ・クラウド汎知”断絶問題」の真相を概観しておく。

そもそも、シンギュラリティという用語の第一義的な定義は、<汎用AIロボが、それまでの経済の果実(ヒトの主観的欲望が需要(消費)の主な成分であった従来の経済成長、GDP)とは全く次元が異なる機械化経済の抽象デュナミス(潜在)的な「高付加価値」の創造(イノベーション)によって、<非常に高度な経済成長(機械自身の再生産フロー・プロセスによる供給/例えば、ドイツのスマートファクトリーの如き、https://iotnews.jp/archives/53664 )をもたらす時代になる>ということである。

全ての仕事がAIロボに奪われるので大変だ!という単純な話ではなく、それは<資本主義の究極の宿命的段階である、ヒトの完全“物象化(フェティシズム)”に因る”搾取ワニ口”の拡大>が抽象的なR.ルーカスの理経済論の上で見れば無限大へ向かって拡大する、いわばほぼ完全な機械経済化(市場原理主義で完全物象化させられたヒトがAIマシンの完全な支配下に入る異常な社会)が実現するということだ。しかも、それはネオリベラリズム市場原理主義で典型的に見られるようになった只の“物象化=労働力のモノ扱い”どころではなく、その機械経済化の時代において“多数派の人々はモノとしての価値をすら失う”ことになりかねない。

つまり、それは非情にも僅か数パーセントのAIロボを占有するスーパー・エリートがその他大勢の有象無象のヒトを支配し、かつ限りなく彼らをモノ以下の無価値な存在(高々で奴隷的ネオ・ルンペン層化?*)へと貶める可能性すらが高まるということだ。だからこそ、後述する<社会の茎(社会的共通資本)としての「新たな金融制度設計等の抜本的改革」による、“日常生活”における多様なヒトのための需要(働き口と活発な消費のためのエルゴン(生命論的活力源))の取り戻し=生命経済モデルへの展相>が必須となる。

 自然環境の中での果てしない対エントロピー(比喩で言えば、対アンシャンレジーム(絶えず、既得権化し陳腐化する!))抗争こそが<「自由原理をエルゴン(活力源)とする地球型生命」と「ヒトの社会・経済活動」>のレーゾンデートル(存在理由/raison d'être)である。また、「A:リアル因果と倫理」はその共通の自然環境のなかで、特にヒトにおいて発現するマッハ現象学的、生命論的「意識」の「土壌と体性感覚的感性」(ヒトの基調ベース)であり、「B:(数学的)論理、イメージ、記号、象徴ら」は「C:(抽象的)表象」のジャンルである、と言えるだろう。

 一方、ヒトの「意識」では「A」と「C」が共時的に脳内および体性感覚論的に共存し得るが、このヒトの「意識」下の「C」と、コンピュータ(AI・ビッグデータ等)上の「C」の間には生命論的な意味で決定的な断絶がある。言い換えれば両者の間には生物学的な意味でも自然環境を共有し得ない(コンピュータが機械であるから、そうする必然性がない)という意味で断絶があり、井上智洋・駒沢大経済学部准教授は、これを「人間の壁」(デュナミス経済化)と呼ぶ(Cf.井上智洋・著『人工知能と経済の未来/2030年雇用大崩壊』―文春新書―)

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これと同じことを、『情報社会の哲学』(勁草書房)の著者・大黒岳彦明治大学大学院・情報学環教授)は、a「あくまでもヒトが意識を持つ生き物として生きているリアルな文脈世界の一環であることと繋がる諸データ(一般的な意味での抽象性とは異なるマッハ感覚論的素材性/具体的には、統計作業のプロセスにおいて社会の複雑性、多様性のリアルと絡みつつ生きている、つまり未だ生と直結しているパラメータ・データ)」とb「機械言語上の情報知(一定の選択フレームで切り取った抽象的体系性)」との間には「断絶(アポリア化した)」がある、と言っている。

大黒氏によれば、そもそも両者はアリストテレスの潜勢態(デュナミス/dynamis)と現勢態(エネルゲイア/energeia)に対応しており、一般に我われは、その潜勢態(それはリアル因果の流れの中での流動的な可能性の謂いでもある!)をほどほど(限定合理主義的)に実現し、その完成度の検証を持続的に繰り返している訳だが「仮想的な意味で、それを完全に実現して目的に到った状態はエンテレケイア(entelecheia/プラトンイデアに匹敵する/但しこれは永遠に到達できないアポリアでもある)と呼ばれる。

つまり、現代の我われは、(1)社会活動的に見れば「間主観性」(相互主観性、共同主観性)が、日々に、一定の許容範囲を持つ振幅で微妙に振動しつつ更新され続けるリアルの場面である、自然・社会環境と無限に繋がる文脈的世界の一環としてのマッハ感覚論的素材性(生命環境論的な意味でのエトノスと感情の海を漂うエネルゲイア)と(2)巨大WebネットDB(データベース)汎“知”が刻々と更新し続ける新たなクラウド的世界(増殖し続ける抽象的データの海/抽象的デュナミス)、という三つの全く異質な情報空間の世界を跨ぎつつ生きていることになる。

 <注>エルンスト・マッハ感覚論的素材性(一般にはマッハの内面的表象と呼ばれる)

・・・内外のエトノス(自然・文化環境)と殆どアニミズム感覚的に交流・共鳴する「ノントリビアルサイバネティクスの内部観察者(obserber)」(自然環境内で生きる生身のヒト)の意識(正確に言えば意識滑動)に相当する。とすれば、それは生命論的、ないしは人間論的な意味で時間の流れと同期して進行する「内外世界の因果連鎖」と直接的に繋がるリアル感覚(リアル意識)そのもののことである。

・・・

つまり、<事実上、もし我われがスマホという名の“Webネット型DB(データベース)ロボット”の操作なしでは一日たりとも日常が生きられなくなっている>とすれば、今や、この“リアル意識obserber(同上の生身のヒト)”そのものである我われは、<抽象的なWebネット型DB上に君臨するクラウドAI汎“知”>の支配下で完全にそれに組み敷かれるか否か?の瀬戸際の時代を生きつつあることになる(ソフトバンククラウドAI型ロボット、ペッパーの脱人間化『知能』の設計アーキテクチャは、その分野で前者(クラウドAI汎“知”)へ傾斜した研究の典型事例、https://www.softbank.jp/robot/

ともかくも、ウィーン大学で活躍したエルンスト・マッハ(1838 - 1916)は、哲学(現象学)、物理学、科学史、心理学、生理学、音楽学など様々な分野で研究を行ったが、特にマッハ現象学フッサール(事実上、現象学の確立者と見るべき人物)の現象学的還元へ与えた影響は重要である。

 

  (“第4次産業革命”で期待できる『ヒトの“幸せ”のためのヘゲモニー争い』の行方/マクロ経済学的に何もせず放置すればデストピア出現の可能性が高まる)

・・・それは、“AIロボ&ヒト、両生産性”の断絶を見据えて展相“新マクロ経済”で再統合を実現すること・・・化

これまで述べてきたとおり、准汎用AIロボ(純粋機械経済化システム)が創造する付加価値(生産性)はあくまでも「潜在(抽象デュナミス)的付加価値」であるが、このことについて『人工知能と経済の未来』(文春新書)の著者・井上智弘(駒沢大学経済学部准教授/マクロ経済学)は、凡よそ次のように説明する。

・・・「産業革命IT技術」期の投資は、機械と労働へ投入され生産活動が行われ、そこから工業製品ら生産物が生まれ、それが消費者に渡り消費される」という流れで説明できる。然るに、AIロボ型「第4次産業革命」期の投資先は、(フェイク・アベノミクス等のようにマクロ・ミクロ経済的に何も革新的な手当が行なわれずに今の流れのまま無意味に移行することになれば←補、toxandoria)もっぱら「約90%以上の雇用を占める技術(研究・開発)部門」(高度専門技術や高い能力が求められるため雇用に占める占有率は大きいが働き口の数(実雇用数)としては非常に狭き門!)ということになり、仕事の口数の消滅と分配構造の更なる超劣化で極貧層と化した多数派の人々が、AIロボ機械経済システムで生産・創造された高度な生産物(生産性)を消費せざるを得ないという意味で<倒錯構造>と化す!という全く<不可解な資本主義へ相転換(展相)>することになる。従って、必然的に、そこでは供給(ごく少数派の高給生産者による、あくまでも潜在的な高度生産性の創造)と需要(おそらく9割超の圧倒的多数派貧困(ルンペン同然)層によるリアル消費の間に深刻な需給上のミスマッチが出現する。しかも、そこで殆どの人々はマトモな仕事を失っているのだ。即ち、その“残余のごく少数派の高給生産者が創造する高付加価値の生産物(モノとは限らぬ!)”は、肝心の相方であったはずの多数派層の人々の需要が殆ど“消滅”したも同然化するため、そのAIロボ機械経済システムが創造(イノベート)する高度生産性はリアルな日常を生きる人々にとっては、只のデュナミス(潜在性/可能性)に止まらざるを得ないことになる(そのリアル化が大格差ワニ口(GD)のトレンド!)。・・・(この後は、toxandoriaの解釈的な補足)・・・従って、准汎用AIロボ(機械化経済システム)が創造する高付加価値(超スキル偏向イノベーションによる高度生産性)のデュナミス(そのままでは潜在性に止まる“准汎用AIロボ”が創造した高度生産性を如何なるマクロ政策的な仕組みを介在させリアル化するか、が重要な問題となる訳だ。つまり、それは資本主義をどのようにすればルンペン層と化した圧倒的多数派の人々(おそらく9割以上の占有となる?)の日常の生活が如何にすれば“幸せ”を感じる方向へ相転化できるか?という問題なのだ。そこで、検討を急ぎ具体化を図るべきが“新しい金融インフラ(社会的共通資本)”としてのベーシックインカムということになる。無論、同時に、一般的な多数派の人々の新たな仕事の口数を如何にすれば増やせるかも問題となる。 ・・・

 

(純粋機械経済化に因る『人間の壁』(デュナミス経済化)のデストピア回避には“マクロ”レベルの相転換で新たな資本主義を構想する発想転換が必須!)

f:id:toxandoria:20190223134247p:plain・・・この画像はwikiより。

これまで見てきたことを言い換えれば、汎用AIロボの機械経済システム(高度スキル偏向技術)が創造する高付加価値なる潜在的「高度生産性」(デュナミス高付加価値)の出現で「価格を縦軸に取る需要曲線と数量を横軸に取る供給曲線を用いた分析による需給均衡点E(マーシャル以来の伝統)が消滅する」というアポリア(大矛盾/市場原理上の根本的矛盾)が生じることである。

つまり、マクロ経済の相転換(展相)が必然である現実を無視して、この<潜在的「高度生産性」とヒトの間に出現>する分断を放置すれば、資本主義の要である市場原理が無意味化し資本主義そのものが死滅するということだ(別に言えば総資本主義が準完全“花見経済”化すること!)。

あるいは、「圧倒的に少数の技術エリート富裕層と癒着した強権型政治権力による圧政の出現(例えば、ネオ・ファシズムのような暴政権力の登場による圧倒的貧困(ルンペン化)層の弾圧支配?)で、おそらく名ばかりとなった民主主義と資本主義そのものが同時にほぼ崩壊する」という“過酷奴隷社会”とでも見るべきデストピアが出現する可能性すらある。

だからこそ、この恐るべきデストピアを回避するには先ず第1段階として「マクロ経済レベルの展相(相転換)」と共に『“少数富裕層Vs多数有産(ノモス)中間層”化という分配構造改革でリアル経済社会を再生し活性化する』ことへの取り組みが必須と思われる。そして、結論を先に述べておけば、その第1段階の要とすべきものが展相「マクロ金融の要」(“社会の茎”でもある社会的共通資本の一環)と明確に位置付けた「ベーシックインカムの段階的導入」である。

同時に「生命モデル」で理解し得るヒューリスティック(限定合理)の意味」の再発見に因る「市場原理主義の物象化ならぬヒト型雇用(短慮かつ表層的にはムダにも映るヒューマン・ファクターを再評価する職業の創造)、つまり現象学者、アルフレッド・シュッツ流の日常生活の評価等に関わるルネサンス」で、AIロボ型「第4次産業革命」による雇用の消滅を補完するべきである(無論、新たな雇用創出の可能性はあるが当記事ではスペース的にも委細を取り上げる余裕がないので検討課題として稿を改める予定!/関連参照:エピローグ)。

因みに、この「AIロボ機械経済化に因る“何らかのマクロ的な工夫を施さぬ限りデュミナス(潜在的な高付加価値)が限りなく機械的な再生産のループに嵌るという由々しき問題は、ある意味で“資本主義の死”というよりも、その前ステージである“資本主義のガン腫瘍化ないしは痴呆症か、あるいは老化現象に匹敵すること”として理解することも可能であろう。

しかし、個体生命内での 生体流動システムならぬマクロ経済システムの上で、その高度な経済価値を“異次元の受け皿(ヒトが生きるリアル日常の世界)へ何かを介在させて転送し、そこで未生のために有効化させる”には、“そもそもヒトが生きる意味は何か?という類の問題に関わる人文・社会分野の知見”をも十分に参照し、“生命モデル型”経済という「革新的なマクロの視点」で、未生の人々の“幸せ”のためにも繋ぐことが可能な雇用の創造(仕事口数の増加)を促進するのがベストではないかと思われる。

このため注視すべきキーワードが、第4章でも触れたATP(アデノシン酸三燐酸)(個体生命内でのエネルギー通貨)、あるいは社会の茎(socioio-scapes/マクロ経済が相転換するための基本条件)、社会的共通資本(宇沢弘文)などであるが、これらから派生する重要な観点については、以下の章で詳述する。

  

6-2 “社会の茎”(社会的共通資本)を支える新マクロ経済への相転換/“国民の幸せ”を実現する3つ方向性

(1)“社会の茎”(社会的共通資本)の要となる「新しいマクロ金融」

・・・ここでの問題は、“社会の茎”(社会的共通資本)を支える「新しいマクロ金融」の中枢たる<段階的べーシックインカム>があってこそ、我われは<社会ニーズや仕事・雇用>について新しい形の創造を実現し、我われ自身と未生の人々が本格的「準汎用AIロボ」時代の『人間の壁』をブレークスルーし、その準汎用AIロボが創造する高度な付加価値をヒト(日本国民)の“幸せ”のため存分に活用できるようになるということ。・・・

 (『機械化経済』時代にこそパワーを発揮する“社会の茎”(社会的共通資本)の役割)

この問題意識の核心は、汎用・准汎用AIロボ(純粋機械化)が創造する大きな付加価値(高度生産性)の「ヒトのための有効活用」を、特に新たなマクロ経済の中核として取り入れるべきだという考え方である。そして、これから述べるのは、文字通りのことだが前章で指摘した[“AIロボ&ヒトという全く異質な両生産性”の断絶を見据えて展相の“新マクロ経済”で再統合を実現する]ための具体的な方向性の提案である。

つまり、この再統合の工夫による「(a)AIロボ高度生産性の(b)“ヒト社会”におけるリアル有効化」がなければ、それは<非常にリスキーな断絶を放置する>ことと同意であり、そもそも(a)AIロボ高度生産性の存在意義そのものが全く無意味となるはずであるからだ。

汎用AIロボ/ワールドなる「電脳Webシンギュラリティの新世界」で“永遠の生命”を得る”カーツワイルらの如き一握りの超エリートや大富豪らが、その世界の中で永遠に?遊び続けることを夢想するのは勝手であるが、もしその流れに身を任せることを良しとするだけなら“ヒト社会”はデストピアの到来を待つだけのことである。

そもそも、[(1)社会の茎(socio-scapes)‐(植物群落の遷移における草本の茎の役割)]で述べたとおり高等植物において葉や花を支える部分である茎の役割は「根から吸収した水分や栄養素(ミネラル等)を植物体の各所へ運び、それと共に葉で光合成されたもの(光エネルギーを化学エネルギーに変換する生化学反応で作られたもの)を光合成ができない部分へ運ぶ、ということであった。

だから、「社会的共通資本としての“社会の茎”」とは、まさにこの高等植物における「茎の役割」を担うものに相当すると考えれば分かり易いのではないだろうか?

因みに、この「社会的共通資本としての“社会の茎”」と似たような「生体内におけるエルゴン(いわばエネルギー通貨を介した活動パワーの再配分)のメカニズム」はゲノム染色体の分配や再配分の仕事の中でも観察されることである。

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例えば「染色体の分配に関わる非コードDNAの問題」ということがある。ヒトゲノム・プロジェクトの結果、ヒトのDNAは100%解読されたとされているが、それは「30億塩基対の全ゲノムのうちで2%の部分だけのこと」で、「残り98%は非コードDNA」と呼ばれており、それらは“タンパク質をコードしていない”領域である(出典:小林武彦・東大分子細胞生物学研究所教授・箸『DNAの98%は謎』‐講談社‐/以下は、同書の解説から部分的に、関連すると思われる部分を要約した内容)。

同書によれば、この「全体の98%を占める非コードDNA」は“遺伝子の発現、DNA複製の開始”などの染色体の上で起こるイベントの全てを制御・維持する機能を担っていると理解されていたが、“タンパク質をコードしていない”という意味では、その点に関する限り殆ど役に立たない領域と見なされてきた。ところが、近年の研究で、この領域がヒトの進化・免疫・老化などの非常に多様な分野において、殆ど無尽蔵なほどの重要な役割を担っていることが理解されつつある。

よく知られた事例では「免疫グロブリンの遺伝子再編成」の問題がある。免疫グロブリンは抗体を作るタンパク質で、普通は「1種類の抗体がある特定の異物(抗原)だけを攻撃する」という“特異性”を持つ。一方、生命個体の外部から侵入する抗原の種類は殆ど無限大に近いといってもよいので、進化のプロセスでグロブリン再編成(ごく一部の小さな可変領域におけるリフォーム)の仕組みが編み出された。

ところで、新種の異物(抗原)に対処するためのグロブリン再編成の材料となるタンパク質はDNAでコードされるため、殆ど無限大に近い新種の抗原に対処するためには膨大な数のDNAが必要となるはずだ。しかし、ヒトゲノム・プロジェクトで確定したDNAの数は有限(約2.2万個)である。そこで、進化の過程で編み出されたのが「一見では何の意味も持たないDNAの墓場的な領域を設ける」という戦略であった。

つまり、その「殆ど無意味な、一見では役に立ちそうもないDNAの墓場/偽(ギ)遺伝子と呼ばれる壊れた遺伝子のリピート配列(従来はジャンク、つまりゴミと呼ばれていた)」からランダムに1つずつの材料が選ばれて、それらの組み合わせで、新しい免疫グロブリンの再編成が行なわれていることが分かったのである。

恰も、このような「全体の98%を占める非コードDNA」の巧妙(絶妙?)なメカニズムは、上で見た「社会的共通資本としての“社会の茎”」そのものだ、とさえ言えるのではなかろうか。つまり、生命モデルから得られる知見からすれば、「例えば、新古典派経済学にシッカリ取り憑いた新自由主義の如き“合理原理主義”こそ“非合理”であり、“時に備えたムダも一定の視野に入れる“限定合理”こそが、ある意味で合理的であることが分かる。

従って、このことは後述する「新たなリアル需要の創造/第4次産業革命をリアル化する新たな課題への挑戦」の問題とも必然的に関係することになる。因みに、これは殆ど余談だが、同書によれば「進化の過程でサルとヒトの違いを作ってきた」のも、この「従来はジャンク(ゴミ)と見なされていた、全体の98%を占める非コードDNA」であることが理解できる。

 

(2)“社会の茎”(社会的共通資本)における「エネルギー通貨」の考え方(新しいマクロ金融のエルゴン)

・・・そこで必須となるのが、個体内におけるリアル生命の「エネルギー通貨」の役割についての理解ということ。・・・

これまでの当記事の流れの中で、特に前節の「生命モデル」という着眼点で学んだのは、「持続するリアル生命のあり方の根本には“時に備えた一定のムダも視野に入れる“限定合理”(ヒューリスティクス)こそが、ある意味で生命個体ないしはそれが一部として成立する広義のバイオスフィア(地球環境の如く多様な生命が個々の生態連鎖である、喩えれば“入れ子”構造のような共鳴・循環・円環・交流のなかで存在するリアル世界)のため、つまりそこにある個体生命トータルの“幸せ”のためには最も合理的である”」ということではなかったのか?

特に、それは「マッハ感覚論的素材性」というリアル意識の入り口を介してこそ“幸せ”を感じられるヒトの場合は、この着眼点に気付くことが重要ではないかと思われる(関連参照/プロローグ―(3)準汎用AIの時代が意味するコト、第5章-1 近づく本格的な「第4次産業革命」の時代に潜む超リスク)。

そして、その本格的な第4次産業革命の時代において『完全な“汎用AI”の実現を夢想する一握りのホモデウス派が、相変わらずの抽象観念的“合理性”で永遠の生命の実現をすら求めるあまり、益々、彼らがマイファースト化して新自由主義の新たな暴走ステージ』への相転換を現実化させようとする節が覗われる今だからこそ、ヒトを含む地球上の凡ゆる生命にとっても重要な意味を持つことになる。

それは、完全とは言わぬまでも、仮に『“準汎用AIロボ”の段階で新自由主義の新たな暴走ステージへの相転換』が実現してしまったとすれば、一握りの“完全電脳化”したホモデウス派にとっては、もはや多様なリアルエネルギーを必要とする生命が存在する、現在の豊かで美しい自然環境に満ちたエトノス(リアル地球環境の総体)をすら不要と見なすことになる恐れがあるからだ。

更に、ここで想起すべきは<GDPは人間の主観的・欲望的な意思(漠然とした、大まかな、従って強欲へも傾斜し得る!←補、toxandoria)を初動因とするイノベーションの計数化」だということ>である(関連参照/第2章‐(イ)「有効エネルギー(エクセルギー)、無効エネルギー、ミクロな日常生活」に見える<人間本位の経済学>の可能性)。もしそうなら、場合によっては<“狂想+強欲”の異常な意思>が彼らの<脳/精神環境>を完全支配する恐れが高まり、その結果として「とめどなく超搾取的なイノベーション創造」となることもあるだろう。

従って、“準汎用AIロボ”システムの機械的な「高度付加価値」創造が、今度は地球上の凡ゆる生命を悉く根こそぎに搾取し尽して、地球上の全生命を絶滅させる危機が迫る可能性すらあり得るだろう。無論、その真相は「ストレスが原因とされる、タコの自食行動」にも似た彼らの浅はかな愚行であるのだが!(しかも、普通に自食したタコの脚は再生するが、根元までゴッソリ食べ尽してしまうと再生が中々困難となるらしい?w)

因みに、この「カーツワイル」型のシンギュラリティ原理主義という異様な状態は安倍晋三日本会議らが夢想する“追憶のカルト”の『神国ニッポン』、あるいは米トランプ大統領の中核支持基盤であるキリスト教右派ダーウィン進化論否定/ペンス副大統領のベース基地)の『神の国』のそれに酷似している。

一方、(繰り返しになるが)マーティン・オルブロウの“社会の茎”のそもそもの定義であった「トランスナショナルな分業を巡って組織される、国家など一定の地理的な領域を持たないコミュニティ」は、今では必ずしも「コミュニティ」だけにかぎるものではなく、グローバルな地球環境という「大きな繋がりの網の中でこそ個体生命は存在し得る」という現実を保証する入れ子構造のフレーム(観念)をも意味する。

従って、恰も「エネルギー通貨をエルゴン(活力源)とする生命(or生物環境)トータルの壮大な循環モデル」内部での活動と同じく、“社会の茎”の内部でも何がしかのエルゴンを供給するものの介在が必須であり、それが中核的な交流・交換・共鳴らの諸活動を促す何らかのパワーとなり得ることになる。

そこで、注視すべきが生命活動における「エネルギー通貨」の意義ということだ。第4次産業革命の「AIロボ機械経済」がもたらす『人間の壁』(デュナミス経済化従来のマクロ経済では解決不能な『AIロボ・高度生産性』Vs『ヒト型経済の低生産性』に因る大格差(新種の巨大ワニ口)が発生すること!)/しかし、そのままでは前者と後者の価値交換が殆ど不可能という、これら二種の異質な生産性を巡るアポリア!)に因るデストピアの出現が高まりつつある今だからこそ、この観点が特に重要と思われる(関連参照/第5章-1 近づく本格的な「第4次産業革命」の時代に潜む超リスク)。

<補足1>エネルギー通貨(ATP/adenosine triphosphate)とは?

・・・以前にも述べた内容もあるが、最も重要な点なのでそれらも含め改めて説明を加えておく。・・・

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f:id:toxandoria:20190323094513j:plain・・・このATP合成酵素の画像は、https://pdbj.org/mom/72より転載。

生命進化の過程におけるポスト通過点の各フェーズ(動物or植物)内では細胞内にあるオルガネラ(organelle/ミトコンドリアら微小器官)のATPに関わる機能分担“再配置”の如く動物と植物ではATP(アデノシン酸三燐酸)の役割分担は異なるがエネルギー通貨(生命活動のためのエルゴン)の役目は共通している)、必ず個々の生命総体での帳尻合わせが行なわれているようだ。そして分子生物学者である二井將光・大阪大学名誉教授は、オルガネラとミトコンドリアについて以下のように説明する(典拠:https://www.jst.go.jp/pr/announce/19991126/index.html・・・膜に包まれた生体細胞の中にはオルガネラと呼ばれる小器官が存在する。ミトコンドリアはこのオルガネラの一つで、いわば生物のエネルギー工場である。ヒトを含めた真核生物の祖先は、荒々しい原始地球から現在のように大量の酸素を持つ地球に変わる過程でミトコンドリアと共生し、呼吸によりエネルギーを大量に獲得出来るようになったと推定される。ミトコンドリアは、呼吸によって得られる酸素と食べ物を分解して得られるプロトン(水素イオン/陽子)と電子とを反応させて、ATP(アデノシン5-三リン酸)をATP合成酵素酵素・分子モーター・イオンポンプの性質を併せ持つナノスケールのバイオ・分子境界機構https://pdbj.org/mom/72で合成する。合成されたATPは、蛋白質の合成や筋肉の動きのエネルギー源として消費される。

<補足2>個体生命(真核生物)内における「エネルギー通貨(ATP)」の基本的な働き

1 ATP(高エネルギーリン酸結合/酸無水物による酸無水結合)には2つの高エネルギーリン酸結合があるが、生体内のエネルギーとしては末端の1つが主に利用されている。ATPTPaseという酵素加水分解されADP(アデノシン二リン酸)とリン酸になり、この時にATP1モル(グラム分子)当り7.3kcalの高エネルギーが放出される。 http://y-arisa.sakura.ne.jp/link/yamadaka/animal-cell/gene/ATP-1.htm 

2 ATPに蓄えられたエネルギーが放出され、生物の緒活動、例えば蛋白質等の合成、輸送、運動、発光、発電、発熱、発音などに利用される。一度ATPがADPとリン酸に分解・消費されると直ちに呼吸代謝系(光合成、呼吸・食物/+酵素(触媒))からエネルギー供給を受け、逆反応でATPが生成される。そのためATPは生体内での通貨に喩えられ、余分が生ずるとクレアチンリン酸などで貯金される。但し、この貯金(エネルギー物質)の割合は非常に小さいので、絶えず食糧(酸素、糖質、脂肪など)の形で外部からエネルギー源が供給される。http://y-arisa.sakura.ne.jp/link/yamadaka/animal-cell/gene/ATP-1.htm

3 ATP合成酵素については未知の領域が多く、無論、ATPアーゼ(アデノシン三リン酸分解酵素)」を人工的に作ることはできないが、特に複雑極まりないF型ATPアーゼ(分子量50万以上)はほぼ全生物に共通してATP合成に用いられる普遍的な酵素であることが知られており、そこには進化の痕跡が垣間見られない。https://pdbj.org/mom/72-

<補足3>ATP研究に関するトピックス

【ATP合成酵素の原子構造の解明は程遠い!】20180917

・・・ATP合成酵素の調節の詳細を知るには、その原子構造の知識が必要である。しかし、ATP 合成酵素は、私たちを含む世界の多数の研究グループの構造解明の挑戦を、この15 年間ことごとくしりぞけてきた。/細胞のATPの消費需要と合成能力とは刻一刻変化しているが、それに応じATP合成酵素はどのように制御されているか。これが全くわかっていない。京都産業大学・総合生命科学部・教授 吉田 賢右 https://www.jsps.go.jp/j-grantsinaid/12_kiban/ichiran_23/j-data/j77yoshida.pdf

【ATP合成酵素(分子モーター/人間の場合、ATP合成酵素ミトコンドリアの内膜にあり、水素イオンの流れでATPを作っており、その役割は発電所の仕事に喩えることができるが・・・】20180919

・・・なぜ、あらゆる生物が簡単な機構ではなく、複雑なナノモーター(ATP合成酵素の回転運動を世界で初めて観察!)を使用しているのか?は未解明である!その回転には何らかの宇宙的な普遍性があるかも!?/京都産業大学、総合生命科学部 生命システム学科 吉田賢右教授、https://www.kyoto-su.ac.jp/project/st/st11_06.html 

 

(3)「エネルギー通貨」モデルこそ「新しいマクロ金融」のエルゴン/その一例がべーシックインカム

 段階的べーシックインカムが今の日本で必須!と考えられる理由

これは前にも述べたことだが、この段階的べーシックインカム導入の狙いは<近未来において汎用・准汎用AI(純粋機械化)が創造する高度付加価値(生産性)の「ヒトの“幸せ”と未生のための有効活用」を特に「マーティン・オルブロウの“社会の茎”(socio-scapes/生命モデル社会を実現するための主柱)の観念に因る新たなマクロ経済」政策の中核、つまり社会的共通基盤の中で最もべ―シックな役割を担うべき基盤としてシッカリ取り入れるべきだというということ>である(関連参照/第3章‐マーティン・オルブロウの社会の茎/socio-scapes)。

繰り返しとなるが、より具体的にその意味することをイメージ化できるように説明すると次のとおりである(関連参照/第5章‐1:“第4次産業革命”で期待できる『ヒトの“幸せ”のためのヘゲモニー争い』の行方/マクロ経済学的に何もせず放置すればデストピア出現の可能性が高まる)。 

⇒「准汎用AIロボ(機械化経済システム)が創造する高付加価値(生産性)のデュナミス(そのままでは潜在性に止まる“准汎用AIロボ”が創造した高度生産性)を如何なるマクロ政策的な仕組みを介在させて多くの生身の人々が“幸せ”を感じられるようにリアル化するかが、つまりその意味で資本主義をどのようにネクストの方向へ相転化(ヴァージョンアップ)できるかが、非常に重要な喫緊の課題となっている。そして、そこにこそ“新しい金融インフラストラクチャ―(社会的共通資本)”としてのベーシックインカムの役割が改めて認識されることになる 

しかし、米国・カナダ・インド・イタリア・スイス・フィンランド・オランダ・ケニアウガンダなど世界各国で べーシックインカムについての「支給対象者を絞り込んだ実験」が行なわれているが(その殆どは現行の福祉・給付制度と並行して行われていると思われる)、概ねのところは財政負担の拡大等を主な理由として時期尚早との評価が出されているようだ(Cf.https://seijichishin.com/?p=4826)。

また、ベーシックインカム論の淵源の一つが、マネタリズム市場原理主義・金融資本主義を主張したミルトン・フリードマンの「負の所得税」であることから、例えば黒田バズーカ(異次元金融緩和)らのバラマキ論(マネタリズムの暴走)と同じジャンルと見なされることがあり、左右派の立場の違いを問わずベーシックインカムでは財政破綻になるだけだ!と、これを一笑に付す人々も多いようだ。

しかし、いまや周知のことであるが、「アベノミクス(“黒田バズーカ”なる妖しげな保証人付き!)の大混迷orアベさまの上げ底景気?」(ピンクGDP操作なる“日本の信用破壊工作?”のオマケ付き!苦w)のお蔭で日本の財政負担は膨らむばかりとなっている(2015年末の日本国債の発行残高は約807兆円、地方と合わせた長期債務残高は約1035兆円/財務省データ)。

そのため、内外景気動向と日本政府の今後の舵取り如何によってのことだが、次第に財政破綻リスクが高まりつつあるのが現実だ。何も手を打たずに、このままボーッと座して二つのデストピア(“アベノミクス等の失敗に因る破綻リスク”と、“汎用AIロボ機械経済に因る『人間の壁/二種生産性のミスマッチ』の出現による破綻リスク”の二つ)の来襲を待ち受けるばかりというのでは、あまりにも悲惨で無策であり、かつ無責任すぎるのではないか?

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そこで、世界各国で行なわれている べーシックインカムについての「支給対象者を絞り込んだ実験」とは全く異なる発想でベーシックインカムを提言する、井上智弘・駒沢大学経済学部准教授の箸書『人工知能と経済の未来』(文春新書)を手掛かりに、「ノモス、あるいは社会的共通資本の枢軸(“社会の茎”たる新たな金融制度の主柱)と位置付けた、その意味において全く新しい角度から発想した「ベーシックインカムの段階的導入」の可能性について考えてみる。

 なお、これも前に述べたことで繰り返しとなるが(上掲書『人工知能と経済の未来』は、このノモスについては全く取り上げていない!)、最も重要な点なのでノモスの問題について要点を以下に纏めておく(関連参照/第2章:宇沢弘文『社会的共通資本』と共鳴するH・アレント『ノモス社会論』)。 

・・・「エトノス(ethnos)とは『人間の生命と社会生活の維持に必須となる一定のローカル地域の自然・歴史・文化環境と深く共鳴して“人間性を未生(未来)へ繋ぐ揺り籠”となる開放系の共有観念、および風土または過去~現在~未来に渡り生存環境の微小馴化(マイクロバイオーム世界の理解など)を常に受け入れつつも、その伝統的なヒューマン・スケール個体の全体性の“持続”を最も重視する、非常にしなやかで幅が広い寛容の意識、およびその受け皿となるローカルの風土』を意味する。

・・・そして、ハンナ・アレントの「社会」から見えてくるリベラル共和主義の可能性を明確に視野に取り込むためには、ノモス(nomos)についての理解が重要なカギとなるが、そもそも最も根源的な「法」としてのノモスは古代ギリシアの社会概念であり、より古い時代には「神々と父祖伝来の伝統(現代風に言えばエトノス、つまり自然・伝統文化環境の総体である)が定めた行動規範としての「法」、あるいは同じく、そこに住む住民が平等に与えられる「ノモス法で定められた社会環境とインフラストラクチャ―の一定の分け前」を意味していた。

・・・従って、ノモス法は現代的な理解である客観的な社会規範を文章で表現した「法」の内容だけではなく、一定地域の自然環境、土地、建物、市街地、橋、道路など目に見えるモノとしての公共財(インフラ)と離れ難い存在であった。

・・・現代風に言えば、それはエトノス自然環境とも離れ難い存在であり、フーコーの“統治理性”を理解するための必須概念となる。因みに、フーコーの“統治理性”の核心は<どれほど社会理論や科学・科学技術が進歩したとしても常に国家(政府)の統治権力と市民社会の自律的運動法則(関連して、特に労働組合の“自らのレゾンデートルの再定義を伴った真の再生”が喫緊の課題となる!)は対等であるべき!とする非常に厳格な”考え方>である。

・・・そして、フーコーの視野に科学技術の未来までもが的確に入っていたことには驚かされる。ともかくも、これは“準汎用AIロボ「機械経済」の時代を目前とする今だからこそ理解できるベーシックインカムの存在理由であると言えるだろう。それは、準汎用AIロボ「機械経済」化の時代が目前であるからこそ、恰も生命界における『エネルギー通貨』の如き役割を担うことが可能なベーシックインカムの出番だ!ということである。しかも、それが大きな財政負担の重圧を伴うというのは誤解に過ぎぬことなのだ。)

・・・

 ところで、日本がこのような隘路に立たされた時であるからこそ、(1)この国難とも見るべき大混迷の真の原因の在り処の摘出、と(2)それに基づく長期展望の設定(時代潮流に不適応!と化しつつあるマクロ政策に関わる展相(相転換)の主柱の再設定)の二点が重要と思われる(無論、アベ神さま宣言?なる超常(追憶のカルト)現象が、現下の大混迷の第一義的な原因であることは言うまでもない・・・苦w)。

大きく捉えれば、(1)についてはこれまでの諸検討の結果から「産業革命以降の技術イノベーションに因る二段階の格差の発生(資本主義と技術イノベーションの宿命的関係性に因るとも言えよう!)、つまり「“供給>需要”」なるパワー(力関係)不均衡に因る「企業総利益⇔総雇用所得」の格差、ひいては「大企業雇用所得>一般企業雇用所得、なる大きな格差の発生・拡大(第一のワニ口)」および「1970年代以降の新自由主義思想のメジャー化(規制緩和原理主義と労働力の物象化フェティシズムなど)による大格差の発生・拡大トレンド(第二のワニ口)」であることが理解できた。

そして、この「二つのワニ口」(格差拡大トレンドの動力源)に加えて、愈々、準汎用AIロボがもたらす機械経済化、つまりAI活用型の高度イノベーション効果に因る「三つ目の巨大なワニ口」が予想されることになった。そのメカニズムについては「第6章‐マクロ経済学的に何もせず放置すればデストピア出現の可能性が高まる」で詳述した通りであるが、要は<「AIロボVsヒト、という二つの異質な生産性」の宿命的な断絶による絶対的大格差が発生し、ひいては資本主義そのものが成り立たなくなる(資本主義の死滅)>ということである(関連参照/第6章‐『人間の壁』(デュナミス経済化)を乗り越え、ヒトが少しでも“幸せ”に生き抜くための方向性とは?)。

 

 b 段階的べーシックインカムの設計

・・・以下は、井上智弘・駒沢大学経済学部准教授の箸書『人工知能と経済の未来』(文春新書)が提言するベーシックインカム(設計内容)の要点の転載であるが、特に留意すべき箇所には所見を加えておく。・・・

(イ)段階的べーシックインカム(月額7万円/満額目標)の対象者

給付対象:国民一人当たりとする。

・・・つまり、赤ちゃんが一人生まれたら給付の対象となるので、それは最低限度の生活支援の意味だけでなく少子化対策にもなる。

給付金額:満額の目標は月額7万円の支給とする。

・・・たしかに一気に数十万円の高額支給を行った場合はハイパーインフレの恐れがあるので、「満額の目標は7万円程度とし、月額1万円から始めて10年程度以上の時間をかけて完成する。

(ロ)財源は所得税・消費税(+富裕税創設(←補足/toxandoria))とする(月額7万円の前提で給付総額は約100兆円未満)

・・・アベノミクスの如き無定見なバズーカ異次元緩和(事実上の国債増発)によるバラマキ政策とは全く異なり(←補足/toxandoria)、その中心となる所得税については、税制改革で累進税率の改正を行う。

・・・その効果を凡よそのイメージで言えば「特別の大富豪らを除く一般の高額所得層の所得はややマイナス、中間層は,ほぼ±ゼロ、貧困層はプラス」となる。通例は消費税で特に問題となる貧困層への課税であるが、べーシックインカムでは自分が納めた税金が給付となり戻ってくるブーメラン効果が働き、その部分は各層でそれぞれに相殺される。

(ハ)福祉・各種給付との関係、純負担額のシミュレーション

・・・総体で見ると、「ベーシックインカム⇔福祉・各種給付」の調整が必至なので、事務量(費)の削減効果がある。

・・・純負担額のシミュレーション(満額7万円の場合/詳細な計算内容は省略)

  ●年収400万円(一人暮らし)の人の場合は「増税額-ベーシックインカム」=16万円となる。同条件               の 年収336万円の人では±ゼロである。つまり、年収が純負担336万円より多い人は純負担(損)が生               じ、それより少ない人には純受益(得)が生じる。しかし、336万円より多い人の全てに純負担が生じ             る 訳ではない。それが「専業主婦∔子供一人」のケースでは、max.125万円の純受益が発生する(但               し、現行児童手当らの給付はマイナスされる)。ここでも少子化ベーシックインカム対策の意義が認           められる。

(二)汎用AIロボ機械経済とべーシックインカムの親和性

・・・そこでは、おそらく汎用AIロボ機械システムでは爆発的な高度生産性が実現するので、より一層、べ              ーシックインカムの役割を発揮できることになる。

・・・(補足/toxandoria→)これらのことだけでなく、当記事の分析で判明したとおり「準汎用AIロボ機械経済による人間社会のデストピア化を回避するため、愈々、そこで行き詰まる可能性が高い資本主義をどのようにして多くの人々が“幸せ”を感じる方向へ相転化(ヴァージョンアップ)できるか?が非常に重要な喫緊の課題となっており、そこにこそ“新しい金融インフラストラクチャ―(社会的共通資本=社会の茎の中枢となる新たなマクロ金融基盤)”としてベーシックインカムを導入する重要な意義が改めて認識される。

社会福祉の再設計(段階的べーシックインカム導入の補完)

・・・それは、“社会の茎”(新しい金融の柱)をベースとする社会福祉の再設計ということ。つまり、段階的べーシックインカムと従来型の社会福祉の“相互補完的な役割の再設計が必要になる”ということ。適切に実行されれば、社会福祉予算はムリなくダイエットできると思われる。・・・

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井手英策・慶大教授(財政学)は、著書「経済の時代の終焉」(岩波書店)のなかで、バブル崩壊後の1990年代後半から「小さな政府・規制緩和」万能主義なる新自由主義(似非イデオローグ/“相互扶助・分配・共助”蔑視観を持つ)が本格的に国民の心の奥に深く浸透し、特に多数派層の精神面が変質した(それに洗脳されてしまった)ことが、今に続く混迷の根本原因であると指摘して、以下のように続ける。

・・・ところで、プラザ合意(1985/協調介入名目の対日『円高・ドル安誘導の強制、米国際収支改善が目的』/バブルの遠因?)後の約30年の間に米国が新自由主義の受け入れ圧力を日本へより強め続けてきた訳だが、そもそもその間にこそ日本政府は、対米追従だけでなく、自律的意思に基づき「相互扶助・分配・共助をベースとする財政力強化の国家理念」を、しぶとく構築すべきであった。・・・

・・・それどころか、前川レポート以降に内需拡大策として強化された土建型国家政策(地方交付税生活保護、貯蓄率向上効果等に資するという意味では地方傾斜型の分配に一定の有意性(高い成長を期待しつつ個々人が高い貯蓄率で病気や老後へ備える意味)があった)と、それに付随して設計された肝心の福祉基盤を維持する財政が根こそぎ激しい批判に曝され(それは主に中間層の錯覚であったが)、かつ苛烈な格差拡大が、そして新自由主義政策が一貫して強化されてきたため、徒に財政赤字だけが積み上がり、肝心の福祉部分(相互扶助・分配・共助)がより一層貧相化する惨状と化し、結果的に殆どの国民層が将来不安に怯えるというアベノミクスのジレンマに嵌っている訳だ。・・・

そこで、安倍政権下でアナクロ二ズム(追憶のカルト)とネオリベラリズム(新自由主義)が癒着した複雑骨折症状という政治・経済・財政的な奇病を罹患」してしまった日本の近未来の救済のため、井手英策氏は『以下』のことを提言する。

・・・『成長(GDP年次比)は、只の集団ではなく信用(人々↔人々、国↔人々、国↔地方自治体の繋がりを“よすが”とする)を基に統合された人々(国民)の日常生活活動の結果と見なすべきであるので、財政のそもそもの最重要な機能であった相互扶助(互酬/集団パターンに応じた相互扶助、助け合い)・再分配(徴税上の応能負担・応分負担の均衡を図り、全体の公正を期すための中央の決定によるメンバーへの再配分)の仕組みを再構築すべきである。市場機能である交換は、これら財政の規模と適正バランスを保ちつつ伸縮すべきであり、似非イデオローグ新自由主義が言う小さな政府が成長を促すは決定的な誤りである。従って、日本政府(安倍政権)は信用をゼロから構築し直せるように発想を180°転換すべきである!但し、そのやり直しが許される時間はあまり多くは残されていないので、ここ5~10年位が勝負である。』 ← 近年、進化経済学等の最先端フィールドでのAIによるビッグデータ解析から「利他心>利己心」の有意・有効性が証明・理解されており、この観点からも井出氏の提言の正しさが裏付けられる!(補足、toxandoria)

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 https://twitter.com/shinkaikaba/status/1099848047691878400

 共同体の力の再発見で国家財政と社会福祉、そして国家の信用を再構築しようとする井手英策・慶大教授のこの考え方は非常に重要であるが、第4次産業革命のエンジンたるAIロボ「機械経済」と、その高度生産性の現実化で「新マクロ経済・BI型金融」等への展相が必然であることを踏まえて、例えば、そのBI型金融と福祉・給付等の分担・補完関係の見直しと再設計に取り組むことが急務となる。

なお、「リベラルな社会 共同体の力で/生活のニーズ 満たす政治を」(20190225朝日)、の中で井出栄作は「富山=北欧論」を説いているが(https://www.asahi.com/articles/DA3S13908426.html)

アベさまの復古主義(追憶のカルト)を連想させる旧来の共同体ではなく、ノモスとエトノス(宇沢弘文の社会的共通資本に繋がる)に由来する「リベラル共和」を構想し、その実現を目指すべきであろう。(関連参照:第3宇沢弘文「社会的共通資本」から学ぶ、自由原理主義(金融市場原理主義/サプライサイド論)の根本的誤謬の在り処

 
(エピローグ)「新マクロ経済」周辺、アラカルト

・・・「新マクロ経済」への展相については、より広く多様な観点からその方向性を強力に補完するべきと考えられるが、その内容についての詳細は、又の機会へ譲ることとする。(但し、(3)だけは、内容を詳しく書いた)それらの中でも特に重要と思われるものについて、以下に項目(+参考画像)程度の内容だけを列挙しておく。・・・

 

(1) 内外「金融」の「グローバル基準(信用構築)」への積極的な関与・・・日本の経済力、信用の名残があるうちに内外「金融」の「グローバル基準(信用構築)」への積極的な関与が必要である。例えば「消費者余剰/consumer’s surplus」(消費者が得をしたと感じられる程度を示す金額)の問題がある。ここから、現行GDPとは全く次元が異なる新たな生産性指標を創るというアイデアが生まれる可能性(これは、別種の展相の経済!)がある。・・・

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